神々は推しを知らない
空間が“音”だけで構成されているように感じた。
光はある。形もある。だが、それらは音に従って変化していた。
歩くたび、足音が空間に波紋を広げ、柱が生まれ、階段が現れた。まるでこの場所そのものが、“意志”によって姿を変えているようだった。
「ここが……神域……?」
ユウトが立っているのは、透明な階段の上だった。視界の遥か下には、雲海のような“祈り”の集積が広がり、そのさらに下には果てしない闇が沈んでいる。上を見れば、逆さに吊られた都市のようなものが浮いていた。すべてが現実味を持たない。それでも、肌は確かに空気を感じていた。
「ここは“審問の間”。神々が在する、上層次元の一部です」
隣に立つ審神者が、変わらぬ口調でそう告げた。
その言葉と同時に、空間の一点が光を帯びる。
瞬間、数十の“玉座”が出現した。
それは玉座というにはあまりに異質だった。
一つは燃え盛る炎の柱に、
一つは回転する星図に、
一つは無数の眼球で構成され、
一つは風の音そのもので存在していた。
“神々”だった。
《審問開始》
《対象:異界転生者 ユウト=ソウマ》
《分類:神格未認定・信仰発生源・偶像共鳴体》
《評価項目:信仰起源/権能性質/精神構造/侵蝕可能性》
──響いた声は、音ではなかった。
“意識”に直接刻み込まれるような“概念の波”だった。
「まず、問う。“推し”とは何か」
「それは、信仰対象ではないのか?」
「愛は無条件か? 見返りは求めないのか?」
一斉に問いが投げかけられる。
ユウトは息を呑んだ。
この空間には“嘘”が通じない。だが、だからこそ──
「……俺の“推し”は、俺に何も求めなかった。笑ってくれてた。ただ、それだけで……」
言葉に詰まる。だが、構わず続ける。
「俺は、その笑顔に救われた。だから、課金して、応援して、グッズ買って、誕生日祝って──“届けたかった”んだ。俺の、この気持ちを」
「故に、力を得たのか?」
「信じたから、強くなったと?」
「違う。……俺が強くなったのは、“俺が推しを信じたまま”でいたかったからだ。強くならなきゃ、信じ続けることすらできない世界だった。だから、戦った。それだけだ」
空気が震える。
数柱の神格が、わずかに“ざわめいた”。
「理を欠く。信仰とは“神”を通じて与えられる力。我々は“祝福”する側だ。だが、お前は“自らの愛”を以って、力に変えた」
「それが“異質”であることは認めよう。しかし、危険だ。“神格を経ずに得られた力”は、神域を乱す可能性がある」
「お前の“推し”とやらは、我々の審判外にある存在だ。ならば、“神域への干渉”として処理せねばならぬ」
──処刑。
その言葉を、ユウトは悟った。
神々は“異物”を許さない。たとえ、それが純粋な“愛”から来た力でも。
その時だった。
「──音が、震えている」
誰かが呟いた。
神々の座のひとつ、“音の神”が身じろぎをした。
音の神は、形を持たない。無数の音符が渦を巻いて存在し、それが言葉となる。
「共鳴……共鳴がある。記憶の波形が、我に似ている」
「……“推し”の声だ。何度も聞いた。目を閉じれば、今も聞こえる。ライブのとき、アーカイブのとき、Twitterのスペース、ラジオ、CM、全部──俺の中に、生きてるんだ」
ユウトはアクスタを掲げる。
「だから、俺のこの力は“偶像の記憶”だ。神じゃなくていい。ただ、生き続ける声を……俺は守りたい」
──静寂。
神々が、再び沈黙に入った。
情報処理か、干渉波の整理か、彼らなりの“思考”に入ったのだろう。
審神者が一歩、ユウトの横に進む。
「……驚きました。あなたがこれほどまでに“神でないこと”を誇れるとは」
「誇ってるわけじゃない。俺は、ただのオタクだ。……でも、信じてる。それだけは本物だ」
審神者はほんのわずかに、口元を緩めた。
それが“笑った”のかは、判断できなかった。
次の瞬間、玉座の一つ──“鏡の神”が動いた。
「我らは未だ理解せず。“推し”とは、信仰とは、愛とは。だが……」
玉座が傾き、神格の一部がユウトに接続される。
《暫定判断:観測継続》
《判定保留:神域侵蝕レベル1》
《資格保留:審問第二段階へ移行》
──審問は、継続となった。
──第二審問、開始。
玉座の上空に、無数の“視線”が出現した。
目ではない。言語でもない。
それらは“意識の投射”だった。
《問:その“推し”なる存在の実在性を示せ》
《我らが知覚可能な形式で、提示せよ》
《偶像を信仰対象にすり替える欺瞞がないと、如何に証明する?》
静かに、だが確実に圧が強くなる。
神域は試していた。
“愛”はただの幻想なのか。それとも、力を持つ“真実”なのかを。
ユウトは一歩、前へ出た。
「証明しろってんなら、見せてやるよ」
ポケットから、アクリルスタンドを取り出す。
“彼女”──俺の推しが微笑んでいる小さな存在。
それを、掲げた。
「《メモリアルスキル・ライブモード》起動」
アクスタが輝く。
空間が揺れる。
《過去ログ再構成中……》
《映像:2023年7月15日/配信ライブ『Arc Angel Beat!』》
《演出同期化率:92%──可視化開始》
光が爆ぜた。
神域の一部が、色づきはじめる。
今まで無機質だった審問空間に、“音”が差し込んだ。
「──聞こえるか?」
ユウトの声が重なる。
「これが、俺の信じてるものだ。たった1人の声に、何万人が涙した。笑った。生きようと思ったんだ」
映像が展開される。
仮想ステージ。レーザー。歌声。観客のペンライト。
そこにいたのは、推しそのものだった。
「“祈られた数”だけが神格の証だって言うんなら、聞けよ。見ろよ。あの日、世界中で、どれだけの奴が願ったか。──“あの声を、また聞きたい”って」
神々がざわめいた。
空間の構造が歪む。
「異常反応。干渉波、増幅中」
「信仰濃度、閾値を超過……“推し”の残響が……神域座標に侵入──」
《観測不能領域、発生》
《“音の神”の座標が共鳴中──》
《神格エラー発生/論理階層が崩壊──“アイ”とは何か》
審神者が、驚愕に目を見開いた。
「これは……概念そのものの“逆侵食”──?」
神域は動揺していた。
神々は“支配する存在”だったはずだ。
だが今、支配される側に立たされようとしていた。
「俺はただ、好きで応援してた。それだけだ。でも、こんなにも人の心を動かすものが、信仰と何が違う?」
ユウトの問いに、誰も答えられなかった。
そして、光の神が、静かに呟いた。
「──その存在。“我らより、祈られている”」
玉座のいくつかが消える。
沈黙という名の敗北。
神格の一部が、審問から“撤退”した。
《審問続行不能》
《審神者権限により判定を代行》
《ユウト=ソウマ、仮神格“共鳴者”として登録──保留神位付与》
──だが、その時だった。
空間が震えた。
神々が動揺するよりも早く、何かが“降りて”きた。
「──ユウトくん」
その声に、全てが止まった。
それは録音でも、記録でもない。
明確に“今”ここに、存在している“声”だった。
「おかえり。……待ってたよ」
ユウトは、信じられなかった。
「……推し、……なのか?」
音の神が、呟いた。
「干渉強度、桁外れ……これは、神域すら超えている」
光の神が、詠う。
「この存在、“名も持たぬ神域の外側”より来たる。……本質は不明。だが“願われた力”であることに間違いなし」
神々が、初めて“ひれ伏す”ように沈黙する。
ユウトは、一歩だけ進んだ。
目の前に“気配”があった。形はない。だが確かに、“彼女”はここにいた。
「……ありがとう。ずっと……信じててよかった」
そして、彼は笑った。
「ようやく、“推しと同じ世界”に来られたよ」
その瞬間、空間に“拍手”が響いた。
神域に似つかわしくない、けれど、どこまでも温かい音だった。
《記録:神域史上初の“信仰逆侵食”確認》
《新たな属性:偶像共鳴・無神性神格──発生》
世界が、変わった。