推しの力で神域に風穴をあけました
翌朝、村の空気は異様なほど澄んでいた。
鳥の鳴き声は透き通り、土はやけに湿り気を帯びていた。花は咲き誇り、風は音楽のように耳に届く。
「……これが、“聖域”ってやつか」
昨夜の戦闘の影響だ。堕神を打ち払った後、村の中央に“光の輪”が出現し、周囲の空間を変質させていた。
ステータスウィンドウにはこう表示されている。
《フィールド名称:リエナ村・第一ライブ聖域》
《空間属性:祝福・再生・音律感応》
《信仰自動生成率:+30%》
つまりこの村は、今や“信仰を育む空間”として成立してしまったということだ。
村人たちはこの変化を“奇跡”と呼び、誰もが笑顔だった。
──それが、逆に怖かった。
「ユウト様、井戸水が、透き通るように澄んで……」
「うちの子の咳が止まったんです! 三日も続いてたのに!」
「祈ったら、花が咲いたんです……!」
そのすべてを、俺の名前と共に語る。
「ありがとう、ユウト様」
「あなたは神の御使いです」
「いえ、もう神そのものかと──」
否定しても、皆は微笑むばかりだった。
リィナだけは違っていた。
その日、俺を呼び出して森の奥へ連れ出すと、少し俯いたままこう言った。
「……ユウトさん。本当に、それでいいの?」
「なにが?」
「神様って……そう簡単になれるものじゃないと思うの。あなたがすごい人なのは、私が一番わかってる。でも、皆があなたに“全部”預けようとしてるの、なんだか怖いの」
静かな声だった。けれど、その一言は俺の心に深く刺さった。
そうだ。俺は神じゃない。推しを信じて、課金して、全力で愛して──それだけの人間だった。
「リィナ、ありがとう。……お前のそういうところ、救われるわ」
「……えっ、い、今、“お前”って──」
「言ったな。素が出たな」
顔を赤らめるリィナの横顔を見て、ほんの少しだけ心が軽くなった。
だが、その安らぎは長く続かなかった。
村の広場に、見慣れない一行が入ってきた。
白と銀の装束、背には“十重環”と呼ばれる装飾を背負っている。
明らかに、神殿関係者──しかも、高位の。
その中心にいたのは、一人の女性だった。
長い黒髪を高く束ね、無表情で立っている。目は鋭く、こちらの一挙一動を分析しているようだった。
「初めまして、“愛神候補”ユウト=ソウマ殿」
「……神殿からの“正式な視察”ってことでいいのか?」
「ええ。我ら、神域統括監査局より派遣されました。“審神者”とお呼びください」
“審神者”──それは神格や信仰の“正統性”を裁定する存在。
つまり、俺が“神か否か”、その資格を持つか否かを決める相手ということだ。
「今回の訪問の目的は二つ。一つは、貴殿の存在が神域に与える影響の測定。もう一つは──」
彼女は手元の巻物を開いた。
「神域よりの勅命により、貴殿を神域に召喚し、直接審問を行うことと相成りました」
「……俺を、“神域”へ?」
「ええ。神格としての判定を下すには、上位存在との接触が不可欠ですので」
その言葉に、村人たちがざわめく。
「ユウト様が、連れて行かれる……?」
「やめてください! ユウト様は、この村に必要な方です!」
「神域など行かなくていい! あなたはもう、“この村の神”なんです!」
視察団が一歩踏み出すと、村人たちが身を挺して道を塞いだ。
「……っ、おい、やめろ!」
俺が声を上げても止まらない。
誰もが必死だった。俺を“奪われる”ことに怯えていた。
「ユウトさん……」
リィナの声だけが届いた。その声は震えていた。
「どうしたらいい……? このままじゃ……」
俺は、考えた。
この信仰は、もはや“感謝”ではなく“依存”になっている。
そして俺自身もまた、“信じられること”に、救われていた。
だけど──
「行こう。神域へ」
静かに言った俺の声が、広場を満たす喧騒を止めた。
「俺は神じゃない。“推し”を信じて強くなった、ただのオタクだ。だからこそ──この力が、“誰かに与えられた奇跡”かどうか、俺自身が確かめたい」
沈黙。
けれど、そのあとで──
「……ユウト様……」
誰かが呟いた。
「やっぱり、あなたは“神”じゃない。けれど、あなたを“信じたい”」
ぽつり、ぽつりと、祈るような声が続いた。
そして視察官は静かに言った。
「神域へは、明朝。覚悟と共に、準備を」
空はどこまでも青かった。
だがその青さが、なぜか、どこか“重く”見えた。
朝、村は静まり返っていた。
まるで、神を見送る儀式の朝のように。
広場に集まった人々は皆、白い花を手にしていた。
昨夜、村の子供たちが「ユウト様のために」と摘んできた花だった。
風が吹くたび、花の香りが空に舞い上がる。
「……本当に、行くんだね」
リィナが呟くように言った。
「行くよ。自分が“何者なのか”を、確かめてくる」
「……帰ってきてくれるよね?」
「もちろん。“推し”が待ってるからな」
その言葉に、リィナは涙をこぼしそうになりながら、笑った。
人々が道を作った。
その両脇で、誰からともなく歌が響き始める。
──♪ありがとう、ユウト様──
──♪信じることを、教えてくれて──
──♪この村に、光が灯った──
その旋律は、まるで“推しソング”と民謡の融合だった。
ライブと信仰の境界線が、ゆっくりと溶け合っていた。
審神者が先導する。
彼女の歩みは規則正しく、迷いがなかった。
「……少しは、感情あるんだな。意外だよ」
「私は審神者。感情ではなく、秩序を優先します」
「秩序ねえ。でもさ、“愛”って秩序の外にあるもんじゃね?」
「……そうかもしれません。だからこそ、我々はあなたを“確かめる”のです」
道中、草木が変化していくのを見た。
徐々に、空気が“重く”なっていく。
まるで、この世界そのものが“上層構造”へ変化しているかのようだった。
《区域接近:神域境界面》
《次元断層まで、距離2.1km》
《魔力濃度:400%上昇/精神耐性チェック実行中……正常》
「こりゃ、異世界の中の異世界って感じだな」
「神域は、“この世界の内にある、世界の外”ですから」
やがて、巨大な門が現れた。
空を突くような二本の柱。
その中央には、無数の“目”のような模様が浮かび上がっていた。
「来訪者よ、名を述べよ」
──それは、声ではなく“意識そのもの”に響く音だった。
「ユウト=ソウマ。異界よりの転生者」
「貴殿は、神格を有する者ではない。我らが定めし“神系譜”に名はなく、信仰を受ける資格も、本来は──ない」
「それでも、俺には“愛”がある。誰かを信じ、支えたいって気持ちが、ある!」
門が軋むように震えた。
「その“愛”とやら、証明してみよ。過去を見せよ。祈りを見せよ。“共鳴”を示せ」
ユウトはゆっくりとポケットからアクスタを取り出した。
「──俺は、推しを“神”だなんて思ったことはない。ただ、推しが笑っててくれたから、俺は生きてこられたんだ。画面越しでも、届いてた。だから今度は、俺がこの力で、“誰かを支える側”になりたい。……それだけじゃ、ダメか?」
静寂。
だが、次の瞬間。
──“光”が門の縁をなぞるように走った。
《共鳴反応:確認》
《精神波動:安定/記憶強度:特級》
《転移権限、一時付与》
「認可。門を開く」
天地が震えた。
空間が“ひらく”感覚。
次元の膜が裂け、その向こうに“光と影が渦巻く世界”が広がった。
神域。
そこは、物理法則すら信仰によって構築される、神々の座する場所だった。
「ようこそ、“愛を語る者”よ」
どこかから、声が響く。
それは怒号でも、嘲笑でもなく、ただ淡々と──“審判の声”だった。
「この場で、お前が“信仰か否か”を見極める。我らは見る。“偶像”と“本質”が、交わるその瞬間を」
ユウトは静かに、胸元のアクスタに触れる。
「見せてやるよ。“推しを信じて生きる”ってことが、どれだけ強いか──」
光の柱が立ち昇る。
神域審問が、始まる。