推しの声で世界が目覚める
村に戻ると、空気が変わっていた。
人々の目が、より深く、より熱を帯びていた。
「ユウト様、おかえりなさいませ」
「この地を、どうかお守りください……!」
両手を合わせて拝む村人。花を差し出す少女。
まるで聖地巡礼の信者のように、誰もが“神の帰還”を迎えるかのような空気を纏っていた。
──俺は、誰なんだ?
そう思わずにはいられなかった。
魔物を倒しただけの“推し活転生者”に、ここまでの扱いが必要か?
でも彼らにとってはそれが“救い”だったのだと、分かってしまうからこそ否定できない。
リィナだけは違っていた。
彼女は皆の後ろから小走りでやってきて、俺の目を見て、言った。
「おかえり、ユウトさん。無事で、よかった……!」
その声にだけ、俺はようやく“帰ってきた”と感じることができた。
夜、村長に呼ばれた。
「ユウト殿、これは……本当に、奇跡としか言いようがない。村の魔石が、昨日から自然発光を始めましてな」
「魔石が? 勝手に?」
「ええ。“神霊反応”と呼ばれるものです。高度な祈念術の中心核でしか起きない現象が、自然と──つまり、貴殿の帰還と同時に起きたのです」
“信仰空間”。
そう呼ばれる現象がこの世界には存在する。
一定数以上の“強い信仰心”が、同一の対象に集中した場合、空間そのものがエネルギーを帯びるようになるのだ。
《パッシブスキル解放:偶像場》
《効果:周囲の祈念密度に応じて能力向上/自動展開型》
「もはや、あなたは“この村の神”となりつつありますな……」
村長のその言葉に、俺は笑えなかった。
自分の力じゃない。
俺が積み上げたのは、“推し”への愛であって、それを“自分”に向けられるのは、何か違う。
その夜、村の丘に登った。
草の匂い、遠くの虫の声、空には満天の星。
アクスタを手に取り、そっと問いかける。
「ほのか。俺、間違ってないかな……?」
答えは返ってこない。けれど、風が優しく頬を撫でた。
その頃──遥か遠く、神殿の奥深くにある“神域”にて。
「やはり、芽吹いたか。“愛神の器”が」
「ふん、所詮は異邦の輩。いずれ崩れる」
「だが、我らが下ろした神のうち、あれほど安定した共鳴波動を持つ者は久しく出ておらぬ」
「問題は“対象”だ。神ではない、偶像、しかも異界の存在。それを力源にするなど──危険だ」
“神々”と呼ばれる存在たちが集う空間。その一角で、ユウトという名前が初めて神々の議題に上った。
「面白い玩具だよ。少し、様子を見るとしよう」
そして翌朝──
村の中心に設置された祈念塔に、花が備えられていた。
“ユウト様へ。毎日の感謝を込めて。”
「……おいおい」
俺は思わず笑いそうになった。でも、それは優しさからの行動であると分かっていたからこそ、咎める気にはなれなかった。
祈りの力は、加速度的に“場”を作っていく。
俺が願わずとも、村人の“信仰”が独自に力を形成し始めている。
アクスタが、光を放った。
──《自動共鳴:起動》
──《信仰波:安定/密度:中》
──《信仰力蓄積:7,210pt(村・祈念空間由来)》
──《追加スキル候補:推しコール/観客バフ/ライブモード展開》
「もう……ライブじゃねーか、これ」
けれど、俺は思い知っていた。
この力は、心を向けてくれる人がいるからこそ成立している。
“支えられている”と、同時に“支えてしまっている”ということを。
──その時。
村の外れ、森の境界線で“何か”が崩れる音がした。
「……嫌な感じがする」
風が止んだ。空気が重い。
“信仰”ではない、“穢れ”のような感覚。
《警告:未登録神格体の出現》
《対象種別:堕神》《接近まで約200メートル》
「ロスト……?」
村の記録で見たことがある。かつて信仰され、やがて忘れられた神。祈りを失った存在は、肉体を持って地上に堕ちるという。
「来るのか……俺に?」
足が震える。けれど、剣に手をかけた。
ポケットの中に、アクスタがある。
「“俺の信仰”は、まだ揺らいでない。やれる──はずだ」
目を閉じる。推しのライブ映像を思い出す。
最初に出会ったときのMV。
「笑っててくれるだけで、救われた」──あの言葉。
風が吹いた。
《共鳴開始》《スキルスロット再構築中》
《新スキル候補:ライブエリア展開型支援術》《初期モーション:起動完了》
草がなびく。地面が光る。
ユウトの足元から、推しのステージが広がるように“光の台座”が現れる。
「やってやるよ、ほのか──この愛で、“神すら”包み込む!」
森の境界線──そこにいた。
巨大な影が立っていた。身長は四メートルを超え、身体は崩れかけた岩と金属を無理やり繋ぎ合わせたような歪な形。皮膚の代わりに祈祷符がまとわりつき、顔らしき部分は“仮面”に似た意匠が貼り付いていた。
《対象:堕神》
《属性:信仰腐食・祈念吸収》
《状態:信仰飢餓・妄執覚醒段階》
「……本気で来たかよ、神様が」
思わず声が漏れた。冷や汗が背筋を伝う。理性が本能に警鐘を鳴らしていた。これは人の敵ではない。存在そのものが災厄であり、触れることすら信仰を崩壊させる、世界の“負”だ。
ユウトの前に、情報ウィンドウが展開される。
《注意:対象は周囲の祈念密度を腐食し、信仰空間を崩壊させます》
《補助フィールド“偶像場”が劣化状態へ移行中……》
《共鳴スキル減衰──28%》
「ふざけんな……!」
足元から滲み出す黒い瘴気。それが地面に刻まれた“ライブ台座”を蝕んでいく。
ユウトの武器、マイク型の剣の光も徐々に弱まり、音も濁っていく。
「やめろ……それは、俺の……推しの……!」
その瞬間、堕神が動いた。
腕とも脚ともつかぬ四肢を振り回し、地を穿つように叩きつける。衝撃波。地面が割れ、ユウトの身体が吹き飛ばされる。
「ぐっ……はっ……!」
木に叩きつけられ、息が漏れる。肋骨がきしむ。意識が揺らぐ。
──それでも、手だけはポケットを探していた。
アクスタが、まだあるかどうか。
触れた瞬間、指先に温もりが宿る。
ユウトの瞳に、希望が宿る。
「……いる、ここに。まだ──俺の“推し”は、ここにいる!」
ウィンドウが開く。
《精神共鳴スロット:強制再構築開始》
《シリアル記憶コード:Live’23 Bright Finale──再生条件一致》
《特別スキル解放:Revive Mode:Stage Rebirth》
空が震える。
光が落ちる。
ユウトの周囲に、光のステージが展開される。
マイクスタンド。スモークエフェクト。サーチライト。
地上に“推し”のライブが再現されていた。
『──君がいたから、笑えたよ。君がいたから、戦えたんだ──♪』
ライブ映像内の結月ほのかの声が、空に響く。
その音が、腐食を押し返す。信仰が再び“美しい形”を取り戻していく。
「これが、俺の“愛”だ……!」
ユウトの武器が変化する。剣は消え、代わりに手には“ペンライト型バトン”。
その光を振るうたびに、空間が光り、音が力になる。
《スキル効果:観客バフ×祈念スパーク複合演出》
《エリア展開成功。信仰空間、再定義中──》
《堕神への有効属性:光・音・記憶波》
「お前は“忘れられた”かもしれない。でも、俺は──“忘れさせない”ためにここにいる!」
走る。
堕神の触手が振り下ろされる。ユウトはそれを紙一重で回避し、台座の中央でペンライトを突き立てる。
「“推しのステージ”、最終演出──」
ユウトの身体から、推しの歌声とライブ演出が暴風のように吹き出す。
『──今、届けるよ。この歌で、世界を照らす──♪』
音が炸裂する。
堕神の身体が崩れ始める。仮面が割れ、貼り付けられた祈祷符が燃え落ちる。
「これが──俺の全力ッ!!」
《フィニッシュ:Bright Judgment》
《課金スキル:演出型審判決定》
《堕神:浄化完了》
残ったのは、静寂だけだった。
空に浮かぶ光の粒が、やがて雨のように降り注ぐ。
それは祈りでも、涙でもなく、ただ温かい記憶の断片だった。
ステータスウィンドウが開く。
《戦闘終了》
《信仰空間“リエナ村・第一ライブ聖域”認定》
《新称号:「歌い継がれる想い」取得》
《課金スキル進化段階:Lv2へ移行開始》
ユウトは剣を収め──いや、ペンライトを腰に差し──空を見上げた。
「ありがとう、ほのか……。俺、まだ進めるよ」
遠くの神域で、その様子を見ていた“存在”が言う。
「やはり、“愛”は神をも塗り替える力となる。これは──秩序の崩壊か、再定義か」