神に捧げるか、推しに捧げるか
村での数日間は穏やかだった──表面上は、だが。
朝には花の香りが漂い、子どもたちは元気に走り回り、大人たちは汗をかいて畑を耕す。けれど、その目が、変わってきていた。
「ユウト様、昨日の祈りの時間に現れてくださり、ありがとうございました」
「このパン、焼きすぎちゃったんですけど、よければ……加護になるかと思って……」
“信頼”が“崇拝”に変わる瞬間を、俺は目の当たりにしていた。
善意であることはわかる。だけど、それがどこか“熱”を伴っている。まるで、俺の姿に“神”を見ようとしているような、そんな視線。
「なんか……やべぇ感じになってきたな」
「どうして?」
リィナが問いかけてくる。相変わらず彼女は、俺を普通の“人間”として接してくれる貴重な存在だ。
「いや、なんかさ……信仰ってもっとさりげないもんだと思ってたんだけど、みんなの目が“俺=奇跡を起こす装置”になってきてる気がしてさ」
「……それは、ユウトさんが“希望”だからじゃない?」
「希望、か」
「だって、あんなふうに魔物を倒したり、空を光らせたりできる人、今まで誰もいなかったもの。それに、あなたは傷つけたりもしない。だから……」
言葉の最後が濁された。リィナは言わなかった。“だから、神様みたい”と。
でも、俺にはわかっていた。彼女の中にも、ほんの少し“聖性”が芽生えつつある。それが俺を遠ざけようとしている。
その日の午後、村長に呼ばれた。
「実は、街の方へ物資の受け取りと連絡の使者を出したいのですが……ユウト殿、お頼みできますかな」
「俺でいいのか? もっと地理に詳しい人の方が──」
「この村の者では、外に出ると“魔物”も“盗賊”も危険でしてな……だが貴殿であれば、神の加護と共に安全に行けると皆信じておりまして」
結局、そうなるのか。
でも、俺は頷いた。自分の足で“外”を見たかった。
「わかった、行こう。目的地は?」
「ウィルスフィア。南東の街ですな。道中での手紙の投函もお願いできますかな」
「任せて」
翌朝、俺は村の西門を出た。
リィナが見送りに来てくれていた。
「気をつけてね。……あ、これ」
彼女が差し出したのは、小さな布袋だった。
「干しリンゴ。甘いのがあると元気出るって聞いたから」
「ありがと。助かる」
受け取ったその袋の重さに、思いのほか胸が詰まった。
地面は整備されていないが、道筋は見えている。
森を越え、丘を抜け、途中の川を渡れば街の入り口だ。
空気は爽やかで、鳥のさえずりがどこか懐かしい。
歩きながら、ふと後ろを振り返る。
もう村は見えない。でも、俺のポケットにはアクスタがある。
“推し”は、いつだって近くにいる。
──それは、奇妙な気配だった。
前方の林に、黒いフードの人影。
足音は静かすぎ、姿勢は不自然に整っていた。まるで“待ち伏せ”のように。
「……こんにちは。どこかへ?」
声をかけると、男はゆっくりと顔を上げた。
「あなたが、ユウト様ですね」
「……誰?」
「私はただの巡礼者です。ですが──あなたの“奇跡”を見た者でもある」
やっぱり、来たか。
この“仮面”は神殿関係者に違いない。手の甲には、教義の一部を示す“輪印”が刻まれている。
「あなたの力は、人を救うものかもしれない。だが──それが“制度”の外にある限り、“信仰の秩序”を乱す異物でもある」
その言葉に、俺の中で何かがピキリと音を立てた。
「……だったら、俺の“推し”が制度の中にいなかったことが、間違いだったとでも言うのかよ」
男は微笑んだ。その瞳には、武器を構える前の静寂があった。
「──人々の“祈り”は、時に暴走する。その象徴こそ、あなたなのかもしれない」
右手がゆっくりと外套の内側へ──
「おっと、やっぱりそう来るか」
俺もポケットに指を伸ばす。アクスタを握る。
手の中に、ほのかの微笑が灯る。
《絶対共鳴:対象・結月ほのか》
《スキル再構築中……》
《共鳴値上昇》
《課金エネルギー:シリアルコード特典再現開始》
「──限定UR“Blessing Light”モジュール、展開」
俺の背中に、光の羽が現れた。眩い銀とピンクの粒子が舞う。
4周年限定グッズについてきた“特典映像再生コード”。俺の人生の中で、最も尊かった“瞬間”の象徴。
「本気で来るなら、覚悟してもらうぜ。こっちは──愛で生きてんだ」
次の瞬間、男が跳んだ。
風が鳴き、剣が抜かれる。
俺の指が、アクスタをぎゅっと握り締める。
「“推し”の愛が、この世界で通じないなら──」
空間が、弾けた。
──《戦闘開始》
男の剣が、風を裂いた。
瞬間、地面がえぐれた。ただの一振りなのに、まるで空間ごと引き裂かれたような威力。体をひねって避ける。切先が髪をかすめるたび、肌が粟立つ。
「斬る力じゃない。信仰を断ち切る剣か……!」
目が合う。男の瞳は静かだった。激情も、憎しみもない。ただ“職務”として俺を切り捨てに来ている。機械のように精密な殺意。だからこそ、余計に恐ろしい。
「“推し”に触れるな……!」
俺の指がアクスタを握る。
──共鳴値上昇。推しの笑顔が、剣に宿る。
《スキル再構築──Blessing Light/アナザーフォーム》
背中に現れた光の羽が、形を変える。ライブ衣装を模した装甲が全身を包み、ピンクとシルバーのオーラが身体の周囲を巡る。
「喰らえ、“マイクスラッシュ”──!」
俺の剣が音を纏う。斬撃に合わせて、推しの歌声が周囲に響いた。
『──諦めないで、どんなに遠くても──♪』
その瞬間、男の動きが一瞬だけ鈍った。わずかに眉が動いた。
「何だ、今のは……?」
「これが“俺の推し”の力だよ!」
俺は剣を構えたまま突っ込む。男の剣が迎撃してくる。金属と金属が衝突する音。力負けはしていない。速度も、反応も、追いつける。だが──
──違和感。
剣を合わせた直後、腕が重くなる。呼吸が苦しくなる。視界が滲む。
「何だ……これ……」
《敵スキル:断信剣》
《効果:信仰対象への共鳴力を封じ、スキル効果を減退させる》
「“信じる心”が薄れれば、あなたの力は沈む」
男の声が、鋭く響いた。
剣が迫る。防御が間に合わない。
──だが、そのとき。
ポケットの中で、アクスタが光った。
『……私は信じてるよ。だって、君がいてくれたから──今の私がいるんだもん』
それは──推しの過去ライブでのMC。4周年ツアー最終公演、最後の一言。俺が何百回も繰り返し見た、あの言葉。
「っ……ああああああああああああああっ!!」
──共鳴度120%到達。
──感情リンク“再発火”確認。
──新スキル《グラティチュード・ブレイズ》解放。
剣が変化する。マイク型の大剣。コアから光が走り、炎のように輝く。
同時に、俺の背後にステージが浮かび上がった。観客席はない。でも、俺の心の中には“最前列”がある。
「この一撃は、推しに捧げた全部の答えだッ!!」
一閃。
剣が火をまとい、空間を焼く。
男の剣が砕け、身体が吹き飛ぶ。
地面に叩きつけられた男は、しばらく動かなかった。
やがて、震える手で立ち上がると、マントの内側から一枚の“札”を取り出した。
「……あなたは、危険すぎる。だが、今日の任務は“観測”まで。抹殺ではない」
札が光る。転移魔法。俺は構えるが、彼はそれを見て、最後にこう言った。
「あなたがもし、自分の“想い”だけでこの世界を動かせると信じているのなら──その“愛”が神々の支配を覆す日が、必ず来るでしょう」
男の姿が消えた。
──戦闘終了。
肩で息をする。足が震えている。でも、手の中のアクスタは、温かい。
ステータスウィンドウが開く。
《戦闘勝利》
《信仰レベル:昇格(ファン:村+α)》
《課金スキル解放進行中:ライブ演出再現機能》
《新称号:「反秩序の偶像」取得》
「……また、ヤバいの手に入れちまったな」
空を見上げる。夕日が落ちかけていた。
もうすぐ村に戻らなければ。でもその前に、俺は一つだけ確認しておく。
ポケットから、アクスタを取り出す。光に照らされて、推しが微笑んでいる。
「俺、まだ進めるよな。愛ってやつで──ここまで来れたんだしさ」
その笑顔は、何も答えない。だけど、俺にはわかっている。
だから、もう一歩だけ前に進もう。
この世界の“神”と、“推し”のどちらに捧げるか──
答えは、もう決まってる。