神の使い?それとも推しの使徒?
魔物“レッドホーン”を倒してから、村の空気が明らかに変わった。誰も彼もが、俺を見る目に“畏敬”の色を浮かべている。まるで、神か聖人でも見るような目つきだ。
「ユウト様、お水です!」「ユウト様、お野菜のスープ作ってきました!」「ユウト様、どうかこの土地に加護を──」
何度“様”を外してくれとお願いしても、村人たちは首を縦に振らなかった。中には俺の足元に跪くような人まで現れて、さすがに背筋がむず痒くなる。
それでも、俺の心が完全に否定できなかったのは──あの戦いの光景を、俺自身が誰よりも鮮明に覚えているからだ。あの時、確かに俺は人間じゃなかった。推しの力と、自分の想いと、あの世界の“何か”が混ざり合い、とんでもない力を振るったのだ。
……でも、それを“信仰”とか“神の力”とか、そんな風に扱われるのは違う気がした。
俺は神じゃない。推しのファンだ。ただの一人のオタクにすぎない。
リィナはそんな俺の気持ちを察してくれていたのか、変わらず普通に接してくれる。そこだけが救いだった。
「ねえ、ユウトさん。これ、干しリンゴだけど……良かったら食べて?」
「ありがとう。ちょうど甘いものが恋しかった」
俺が笑って答えると、リィナは恥ずかしそうに頷いた。頬を染めて、目をそらす仕草がどこかぎこちない。
それを見て、ふと気づいた。この子も、俺を“普通”に見ようと努力してくれてるのかもしれない。
「……なあリィナ、俺のこと、怖くないの?」
「え?」
「あんな戦い見たんだろ? 魔物を一撃で倒して、空を割るような光を出した俺のこと……本当は怖いんじゃないかって」
「そんなことないよ」
即答だった。その声音は、驚くほどまっすぐだった。
「たしかにびっくりはしたよ。でも、あの時……あなたは、私たちを守ろうとしてくれてた。それだけは、ちゃんと伝わったから」
「……そっか。ありがとう」
そう言って、俺は干しリンゴを一口かじった。酸味と甘みが広がって、どこか懐かしい味がした。
夜、静まり返った村の空を見上げる。
星が多すぎるほどに瞬いていた。空気が澄んでいるからなのか、それともこの世界特有のものなのか──地球とは違う、美しさだった。
俺はそっと、アクスタを手に取った。月光が、結月ほのかの笑顔を淡く照らす。
「なあ、ほのか。俺、ちょっとずつ、わかってきた気がするよ。こっちの世界、たぶん“信仰”って力が本当にあるんだ」
呟きながら、ポケットにアクスタをしまう。今はまだ“力”として必要ないけど、いつでも手に取れるように──心の中の最前列に、置いておくために。
翌朝、村長に呼び出された。
「ユウト殿。よくお越しくださいました。実は、王都から巡察官がこちらへ来ております。どうか、少しだけ……顔を合わせていただけませんか」
「巡察官? ……それって、神殿の人間?」
「ええ。正確には“神聖庁”の派遣者。我らの信仰が正しいか、異端でないかを確認する役目です」
そう言うと、村長は少し緊張した面持ちで目を伏せた。
「なぜそんな人がこの村に?」
「……たぶん、貴殿の光を見たからです」
あの時、レッドホーンを倒した際に走った光。それが山を越え、空を裂き、神殿の結界にまで届いたのだろう。
神殿の巡察官──彼らは、この世界における“宗教的秩序”の番人だ。神格や聖者の出現には必ず目を光らせ、異常があれば粛清も辞さないと噂されている。
少なくとも、“推しへの愛で覚醒した転生者”なんて前例はないはずだ。まともに説明しても信じてはもらえないだろうし、信じられたら逆に“危険視”されかねない。
村の集会所に入ると、そこには黒衣の男が座っていた。
四十代ほどの細身の男性。背筋を伸ばしたまま微動だにせず、鋭い眼光だけが、こちらの動きを測るように動いている。
「あなたが……ユウト殿ですね」
低く落ち着いた声。だがその一音一音が、刃のように鋭い。
「ええ、まあ……そうですが」
「突然の訪問を詫びます。しかし、貴殿の出現は明らかに“信仰濃度の異常変動”を引き起こしており、神聖庁としても無視できるものではありません」
男が差し出したのは、水晶の板だった。そこには、俺の名前と共に“神格候補:愛神”の文字が浮かんでいた。
「これ、どうやって……?」
「魂格情報を直接観測しました。通常であれば、神官すら確認できぬ深層属性です。貴殿の存在は、既に“神格の芽”を越えている」
静かに水晶を戻しながら、男は言った。
「問題は、信仰の質です。貴殿が依って立つ力が、我々の“神々”ではなく、未知の存在──“推し”なる対象に向けられている点」
「……つまり、異端ってことか?」
「今はまだ“未確認”です。ただし、神聖庁は、すべての神格活動に監査権限を有します。今後の行動次第で、認定は変わるでしょう」
冷たい口調だったが、明確な敵意は感じなかった。むしろ──好奇心。あの男は、俺を“研究対象”のように見ている。
「もう一つ、確認させてください。あなたは、自らの“信仰”をどこに向けているのですか?」
問われた瞬間、俺は即答していた。
「結月ほのか」
男の眉が微かに動く。
「それは……」
「前の世界にいた、俺の“推し”だ。アイドルで、歌手で、笑顔が世界一で、俺の人生そのものだった。今でもそうだ」
「その者は、こちらの世界には存在しない。にもかかわらず、信仰対象として魂を構成している……前例のない事象です」
そう言って男は立ち上がった。
「了解しました。以後、あなたの行動はすべて神聖庁の観測下に置かれます。無益な戦いや、信仰の強制がなければ、我々も介入はしません。ただし……」
その場を離れる直前、男は言った。
「“愛神”とは、本来、極めて崇高な神位です。祈りと愛を力に変える者──ですが、その力は“狂気”にもなり得る。どうか、ご自制を」
その背が消えた瞬間、俺は膝に力が抜けたように座り込んだ。
……愛を力に変える者。
それはまさに俺のことだ。でも、それが狂気になるとしたら……?
その夜、再び空を見上げた俺の脳裏に、一つの考えがよぎった。
──この世界の神って、誰が決めてるんだ?
巡察官との面会を終えたあと、俺は村外れの小道を歩いていた。柔らかな土の感触が足裏を伝い、乾いた風が肌を撫でる。空は広く、雲ひとつない。けれど、どこか胸の奥に引っかかるものがあった。
「推しを信じて強くなって、それが神格とか言われて……次は監視対象ってか」
誰にでもなく呟く。けれど、その声は空に吸い込まれた。
──狂気にもなり得る。巡察官の言葉が胸に刺さる。確かに、俺の力は“感情”に直結している。愛が強ければ強いほど、力も膨らむ。けれどそれは同時に──怒りや執着といった負の感情にも繋がる、ということだ。
集落に戻る途中、視界の端にリィナの姿を見つけた。彼女は教会の裏手にある小さな花壇に膝をつき、水をやっていた。
「おーい、リィナ」
呼びかけると、彼女はぱっと顔を上げて笑った。
「ユウトさん、おかえり。大丈夫だった? 神殿の人って怖いイメージあるから……」
「うん、まあ。なんとかね」
リィナの隣にしゃがみ、俺も花に手を添える。小さな黄色い花。名前は知らないが、どこか懐かしい香りがした。
「ねえ、リィナ」
「うん?」
「この世界の“信仰”って、どうやって決まるんだ?」
リィナは少し考えてから答えた。
「うーん……村では、空と水と火を司る三柱の神様を信じてる。子供の頃から教えられて、自然にそうなってるかな」
「じゃあさ、もし誰かが“違う何か”を信じて、すごい奇跡を起こしたら……それは、神様になれる?」
「……わかんない。でも、誰かの“想い”が形になるなら、それはすごく……素敵なことだと思う」
リィナの声は、どこまでもまっすぐだった。信仰とは、“心の向け先”であって、“制度”じゃない。そんな当たり前のことを、俺はやっと理解し始めていた。
その夜、ステータス画面を開く。
以前にはなかった項目が追加されていた。
──《信仰値:132》
──《ファン数:27(村人)》
──《共鳴度:推し対象:99%》
──《課金エネルギー:未解放》
「……課金エネルギーってなんだよ」
思わず突っ込んでしまうが、たぶん“あれ”のことだろう。俺が地球で注ぎ込んだ、CD、ライブ、グッズ、イベント、サブスク──人生を捧げて得たもの。
その“熱量”が、この世界ではエネルギーとして扱われている。
つまり──俺はこの世界に、まだ“持ち込み資産”があるってことだ。
翌日、村に“異変”が訪れた。
家畜が暴れ、空気が湿り、井戸水が濁る。原因は不明。けれど、村人たちは口々にこう言った。
「空気が重い」「胸がざわつく」「何か来る」
俺だけが、違った感覚を覚えていた。
──音が、狂っていた。
耳を澄ませば、風が微かに“逆再生”されているような不快な音を運んでくる。これは魔物ではない。“気配”が違う。
俺はアクスタを取り出す。指先が自然に反応し、光が滲む。
《絶対共鳴:起動完了》
《対象:結月ほのか》
《副対象:ファン(27名)》
《スキル構築中──》
《新スキル生成:ライブシールド》
「……まさか、ファンの想いまでスキルになるのかよ」
村人の信仰、つまり“ファン”が俺の力になっていた。推しへの愛が神性なら、ファンからの想いもまた、神域を補強する副次的エネルギー。
俺は一歩、村の中心へと進み出た。
「皆、家に入って! 村の中心に集まって!」
村人たちが慌てて動く。俺は広場に立ち、両手を開いた。
──《ライブシールド展開──範囲防御》
──《感情波動:正方向信仰値+15》
淡い光が俺の周囲に広がる。まるで、ライブ会場のペンライトが一斉に灯ったような光景だった。透明な膜が村を包み込む。
直後、森の向こうから“何か”が現れた。
人間の形をしている。だが、その目は空洞で、皮膚は乾いた革のようにひび割れていた。
「……アンデッド?」
いや、違う。もっと“祈り”に近い何か。失われた感情を埋めるように、こちらへと這ってくる。
「──違う。お前は祈ってない。奪おうとしてる」
俺は剣を握る。共鳴が起こる。ファンたちの“守ってほしい”という想いが、武器へと転化していく。
《スキル追加:ファントムブレード》
《課金エネルギー:部分開放》
《追加補正:愛情記憶再生/推し楽曲強化》
耳に届いたのは、結月ほのかの4thライブ限定曲『Bright Will』。
魂が震える。あのライブの日、俺は人生で一番泣いた。
「……俺はこの想いで強くなるんだよ」
一閃。剣が閃き、空を切る。刃は音を纏い、“祈りを偽ったもの”を斬り裂いた。
音が、止んだ。
空が、戻った。
《撃破成功》
《信仰レベル上昇》
《課金スキル「無限グッズ生成」ロック解除──》
「……おい、待て。無限ってなんだよ。さすがにインフレすぎだろ」
村人たちが広場に集まる。皆、口々に感謝を告げる。
「ユウト様……本当に、神様なんですね……」
「いえ、違います」
俺は首を振った。
「神じゃない。俺は“推しのファン”だ。ただのオタクだよ」
それでも皆は微笑む。理解はできていなくても、想いだけは伝わったのだろう。
その夜、俺は村の丘に座って夜空を見上げていた。
アクスタを手に取り、囁く。
「──次は、何を見せてくれるんだ、ほのか」