君は、本当に“そこ”にいるんですか?
―5時間目。古典の授業。
教師の声が単調に教科書を読み上げている中、俺は教室の後ろの席をちらりと盗み見た。
(……昨日、引っかかったのは、あいつだよな)
《スキル探知》で唯一反応を示した人物。名前は赤城翔太。名簿をみてようやく分かったが、正直、俺は昨日まで存在を認識してなかった。
(影、薄いやつだなあ)
いや、悪い意味じゃなく、自然に視界から抜けるというか……空気に紛れてるというか。
中学の時にもクラスに一人はいるタイプだ。
前髪は目にかかるほど長く、表情はまるで読めない。かといって挙動不審なわけでもなく、妙に姿勢だけはいい。ノートも取らずに教壇をじっと見つめている――
一瞬、目が合った気がしてビクッとした。けどすぐに彼は視線を下げて、また動かなくなった。
……ただの地味なやつ?
いや、それにしても気になる。この胸のざわつき、なんだ。
終礼のチャイムが鳴り、今日の授業もようやく終わった。
教室のざわめきの中、俺はさりげなく赤城の席に目をやる。
彼は立ち上がり、静かにカバンを肩にかけた。その動きも、やっぱり妙に引っかかる。
(何が気になるんだ、俺は……)
派手な何かがあるわけじゃない。声を聞いた記憶すら曖昧なのに、妙に神経がそっちへ引っ張られる。
そして次の瞬間――ガタン、と彼の椅子が引かれた音に、何人かが一瞬振り返ったのに、誰一人彼に声をかけることもなかった。
(やっぱり、おかしい)
言いようのない違和感。それが、昨日の反応と繋がりはじめていた。
♢♢♢
……旧校舎の裏。
赤城は人目のない場所で立ち止まり、スマホを取り出す。
「SkillStock。起動」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が跳ねる。
――次の瞬間、空間が“ズレた”。
……消えた?
赤城の姿が、目の前からふっと“感覚ごと”抜け落ちた。視界じゃない。音でもない。存在そのものが、俺の世界からすっと抜けたような……
「……気になるなら、ちゃんと聞きにくればいいのに」
背後から声。息を呑んで振り返ると、そこには赤城が立っていた。
まるで最初からずっとそこにいたように、当たり前の顔で。
「ずっと、見てたでしょ。こっちのこと」
俺は一歩、赤城との距離を詰めた。
「……お前、今の……スキルだよな?」
問いかけると、赤城は少しだけ首をかしげた。
「多分そう、としか言えないな」
「……たぶんって……お前、知らないのか? 自分が何使ってんのか」
赤城はスマホをちらりと見た。
「この“SkillStock”ってアプリ、ある日気づいたら入ってた。勝手に。通知もなかった」
「……勝手に?」
それって《Re:quest》と同じだ。俺だけのはずの“アプリ”が、まさか――
「で、試しに開いたら、“スキルが付与されました”って出た」
「……スキル名は?」
「《気配遮断》。効果も説明も何もなかったけど、何となく、こうやって使えば“存在が消えたみたいになる”ってのは、わかる」
説明もないのに感覚だけで使える、か。
正直、俺の《Re:quest》の方がよほど親切だ。
「でも……それだけ」
赤城は俯いた。
「他には何も起きない。誰かに話せるものでもないし……いつそのまま消えるかもわからない」
「正直、これが“使って良いもの”かどうかも分からない」
その言い方は、妙に落ち着いていて――まるで、すべてを悟ったようだった。
けれど、強さというより、声の奥に滲んでいるのは諦めに思えた。
「……お前、自分のスキルを怖がってるのか?」
赤城は少し黙ってから、ゆっくりとうつむいた。
「……怖い、のかもしれない」
声はかすれていた。でも、絞り出すように続けた。
「このスキルを使ってると、誰にも気づかれなくなる。最初は、それが楽だと思った。誰にも見られないって……」
「でも、いつの間にか思うようになったんだ。この世界に僕は、必要ないんじゃないかって」
その瞬間、俺の中で何かが引っかかった。
ヒーローでもない。
誰かに期待された存在でもない。
でも――確かに、“力”はある。
赤城翔太。
こいつもまた、俺とは違うかたちで、この世界に翻弄されてる。
そう思った瞬間、赤城はふっと視線をそらし、俺の横をすり抜けて歩き出した。
「……じゃあ、僕、行くから」
抑揚のない声。けれど、その背中はどこか寂しげだった。
無理に引き留める理由も、見つからなかった。だから、ただ黙って見送る。
校舎裏の影の中へ、静かに溶けていくように歩いていく赤城の背中。
誰にも気づかれず、誰にも干渉されず――
まるでこの世界の風景の一部にでもなろうとしているみたいだった。
そこにいるのに、誰の目にも映らない存在として。