そこにいたのは誰ですか?
その日から、綾瀬さんが早退しない日は、毎回ではないけれど――
俺たちは屋上前の踊り場で、一緒に弁当を食べるようになった。
静かな時間。心地いい沈黙のあと、俺は少しだけ勇気を出して声をかける。
「ねえ、綾瀬さん。……気のせいかもしれないけど、最近、何かあった?」
綾瀬さんは、箸を止め、少し驚いたようにこちらを見る。
「えっ? どうして?」
「なんか……ちょっと元気ない気がしてさ。目の下、ちょっとクマできてるし」
俺がそう言うと、綾瀬さんは目を逸らし、そっと視線を落とした。
「……鋭いね、日向くん」
少し迷ってから、彼女は言った。
「……うん。よかったら、相談に乗ってもらえるかな」
「もちろん。俺でよければ、なんでも話して。絶対、他の人には言わないから」
綾瀬さんは、カチリとお弁当箱の蓋を閉め、少しずつ口を開いた。
「実は最近……誰かにつけられてる気がするの」
「――えっ? それって、ストーカーとか?」
「わかんない。たぶん……違うとは思うんだけど」
「どういうこと?」
「……たまに、視線を感じるの。振り向いても誰もいなくて……でも、そのときだけ、心臓が変なふうにドキドキして。息がしづらくなるというか」
そこまで言って、綾瀬さんは口元を押さえる。まるで自分が”おかしい”と思ってるように。
「ごめんね、変なこと言って」
「いや、全然変じゃないよ。……それ、本気で気をつけた方がいい」
彼女の顔色が少し青ざめているのが、気がかりだった。
「とにかく、ひとりにならないほうがいい」
「……ありがとう。日向くんに話せてよかった」
そう言って、綾瀬さんは微かに笑う。
その笑顔が、どこか無理しているように見えたのは、たぶん気のせいじゃなかった。
♢♢♢
放課後。教室には、すでに2割ほどしか生徒が残っていない。
綾瀬さんは席に座ったまま、鞄の中をごそごそと探っている。
俺は彼女に声をかけた。
「綾瀬さん、もう帰るところ?」
「うん。今日はお母さんが迎えに来てくれるんだ。学校の近くのコンビニにくると思う」
「それなら安心だな。途中まで付き添うよ」
「えっ、でも。……うん。ありがとう」
そう言って綾瀬さんは、静かに廊下へと歩き出した。
俺も一緒に教室を出て、彼女と並んで歩く。ちらりと周囲に意識を向けながら――
(──スキル感知)
ほんの一瞬、微細な魔力の流れに意識を集中させる。
(ん? 外の方に……微弱だけど、スキル反応を感じる)
俺はスマホを取り出してリックを呼び出した。
周りの様子を見てもリックに反応していない。ちゃんと俺以外に見えない状態のようだ。
「どうした優斗? 何かあったか?」
(スキル反応があった。正門のほうだと思う。探してきてくれ)
「オッケー、俺の方が探知スキルは上だからな。任せておけ」
そのまま二人で靴箱に向かい、スリッパから靴に履き替える。
――校舎の入口から外に出た瞬間、俺がさっきまで感じていた反応はまるで霧のように消えてしまった。
俺は正面に見える門に意識を向けつつ、何も言わず綾瀬さんの隣を歩き続けた。
やがて、正門を抜ける。周囲に見えるのは、帰宅途中の生徒たちだけだった。
やがてコンビニの近くまで来たところで、綾瀬さんが小さく頭を下げる。
「ここで大丈夫。ほんとにありがとう、日向くん」
「うん。気をつけて。……また明日」
(……よかった。何事もなく送れて)
彼女が無事である以上、次に優先すべきは――
そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。
取り出して画面を確認すると――そこには、見慣れたアプリの通知が浮かんでいた。
【ミッション:反応を探って敵を確かめろ】
制限時間:60分
報酬:スキル≪剛力≫
※5秒間だけ、通常の3倍の力がだせる(クールタイム5分)
失敗時ペナルティ:大きな口内炎が2つできます
「おい、優斗。反応があったのは間違いなく校門のとこだ。ただ俺が見に行ったときにはもう誰もいなかった」
リックはぴょんと肩に乗りながら、俺のスマホをちらりと見やる。
「……それと、さっき通知きてたろ? ミッション、“反応を探って原因を確かめろ”――ってやつ。確認したか?」
「ああ。これがきたってことは間違いなく何かあったってことだろ」
俺はきびすを返し、静まりかけた校門の方へと歩き出した。
校門の近くを見回しながら、スキル感知を再度発動してみる。けれど、さっきの反応はもう完全に消えていた。
(くそ……。手がかりも何も、これじゃどうにもならない)
舌打ちしそうになるのをこらえて、フェンス沿いを歩いていると――
「おーい、優斗! 奇遇だね!」
カメラを首から下げた赤城が、息を切らしながら駆け寄ってくる。
「おー、赤城!」
あの一件のあと、赤城は新聞部に入ったらしい。
今ではカメラ片手に、女の先輩に連れ回されながら、校内や学校を出て必死に走り回っている。
人との距離感が不器用だったやつが、こうして頑張っている姿を見るのは――なんというか、少しだけ安心する。
「何かあったの? 真剣な顔してたみたいだけど」
「……ああ。実は少し、気になることがあってさ」
俺は周囲を見回しながら、あえて「ストーカー」という言葉は避けて続けた。
「最近、このあたりに妙なやつがうろついてないか、気になってて。
お前校内のいろんなとこで写真撮ってるだろ? 何か変なやつ写ってなかったか?」
「あっ、そういえば。ちょっと部内で心霊写真だ、って話題になったものがあるんだ」
赤城はそう言いながら、カメラのモニターを操作し始めた。
「これ、先週の放課後に撮ったやつなんだけど──」
赤城が見せてきたのは、部活取材の一環で撮影した連続写真だった。
夕焼けに染まるグラウンド。その端、人気のないフェンス際の茂み。
そこに──フードを深くかぶった人物が、茂みの影に溶けるように、じっと立っていた。
だが──
「これ、数秒後のカット。ほら、もういないんだよ」
画面をスライドすると、そこには同じ場所を写した次の写真。
だがそこには、さっきまで確かにいたフードの人物の姿が、跡形もなく消えていた。
「これ、部内では“幽霊じゃないか”って、ちょっと冗談半分で話題になってたんだけど──」
「……いや、これ完全に人だろ」
「うん。顔は見えてないけど、ここに絶対誰かいたんだと思う」
背筋に冷たいものが走る。
俺がスキル感知で察知した、あの気配。
そして写真に残った、“人の気配”。
偶然だなんて、とても思えなかった。
俺はポケットの中に手を入れ、小声でつぶやいた。
「リック、頼む。写真、見てくれ」
次の瞬間、赤城の目の前に、ふわりと空間から現れる小さな獣――リック。
(リック、赤城の前では実体化して大丈夫だ)
「うわっ……!」
リックが突然目の前に現れたことで、
思わず赤城が一歩引いた。
「大丈夫。こいつは敵じゃない。俺の“ナビ獣”――リックだ」
「な、ナビ……獣……?」
リックはくるりと一回転して、よっと手をあげる。
「よろしくな。赤城。俺は優斗の相棒ってやつだ」
「しゃ、喋った!? ……って、君もスキルで、そういうの……?」
「まあ、そういう感じだ」
俺はスマホを開き、例のアプリを赤城に見せた。《Re:quest》のアイコンが、静かに光っている。
「実は、俺……こういうのに巻き込まれてる。黙ってて悪かった」
しばらくの沈黙ののち、赤城は真剣な眼差しで俺とリックを交互に見た。
「……なんとなくだけど、わかったよ。僕は僕を助けてくれた君を信じる。」
「……ありがとう、赤城」
赤城は小さく笑って、カメラを持ち直した。
「それでリック、何かわかるか?」
リックはカメラの写真をじっと見つめ、小さくうなった。
「……悪い。スキルの反応までは分かんねえ。魔力ってのは場に残るものであって、こういう写真には残らねえんだ」
「そっか……まあ、だよな」
「だが間違いなく校門の所には、スキル反応はあった。それがこの写真の奴なら、急にいなくなったのも納得できる」
「赤城。この写真、送っといてくれ」
「え? うん、いいけど……優斗、本当は何か知ってるんじゃない?」
真剣な目でこちらを見つめてくる赤城に、俺は少しだけ躊躇してから答えた。
「……もしかしたら、この写真に写ってるやつが《SkillStock》を持っているかもしれないんだ」
「《SkillStock》……!」
赤城の表情が強ばる。
「まだ確証はない。だけど、赤城──今後も何かあったら手伝ってくれないか?」
赤城はぐっと唇を噛みしめ、それから、静かにうなずいた。
「……僕でよければ、なんでも手伝うよ。もし本当に《SkillStock》が関係してるなら、ほっとけない」
赤城と別れたあと――自宅への帰宅中に赤城から写真が送られてきた
写真をじっと見つめていたリックが、やがて顔を上げて言った。
「やっぱ消えたってより、“どっかに飛んだ”って感じだな。
透明化って線もゼロじゃねーけど、次のいなくなった写真までの速さ的に、
これはスキル ≪ワープ≫の可能性が高い」
「≪ワープ≫……?」
思わずつぶやいた俺に、リックはうなずいて続けた。
「瞬間的に位置を移動するスキルだ。
で、もしこいつが《SkillStock》持ちなら、スキルは一つきり――」
「つまり、≪ワープ≫が唯一の能力ってわけか」
「ああ。逃げに特化してるぶん、戦いは避けるタイプかもな。
厄介だけど……正体、見えてきたな」
スマホが軽く震えた。画面には《Re:quest》の通知。
【ミッション達成】
報酬:スキル≪剛力≫を獲得しました。
※使用可能になりました(クールタイム:5分)
どうやらリックの予想は当たっていたようだ




