ほら吹き地蔵 第七夜 狼どんと狐どん
【お断わり】今回も三題噺ではありません。
ボクのうちの裏庭に、かなりいいかげんなお地蔵さんが引っ越して来ました。
でもまあ、とりあえず、ありがたや、ありがたや。
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【第一夜】
むかしむかし、ある大きな川のほとりに、それはそれは、ものぐさな狼が住んでおりました。
今日も今日とて、ねぐらにしている岩の上にあおむけになり、日なたぼっこをしていたら、知り合いの狐どんが、やって来ました。
「狼のダンナ、ダンナさんよ。そんなところで犬ッコロみたいに惰眠をむさぼってたら、狼に取って食われちまいますぜ。」
「おお、狐どんか。あいかわらずセカセカしているな。そんなに急いで、どこへ行く?」
狐のイヤミをイヤミとも捉えず、サラリと流してしまうあたり、この狼、大物と言えば大物ですな。いや、そうかもしれないと言う話ですが。
狐、くるりと目を動かした。こいつ。なにか言うつもりだな。
「お言葉ながら、ダンナ。
いずくへ急ぐと問われちゃあ、墓場までまっしぐらの、明日なき暴走とお答えするしかありやせん。
あっしゃあ、走るために生まれて来たんでげす。」
「ジェームズ・ディーンだったっけ? それ。」
「ちょっと、ちがいます。」
狼、ようやく体を起こして大あくび。目じりの涙をふきながら、狐に向かって言いました。
「そんなに急いでも、金は落ちてないぞ。ボタモチも降って来ないぞ。ブドウの房ひとつ、見つかりゃあしないだろう。」
狐、待ってましたとばかり、身を乗り出して言葉を続ける。
「それが、そうじゃないんすよ。この間、あったんすよ、タナからブドウってやつが。」
「なんだい? そりゃあ。」
「岡の向こうのケチケチじいさんの果樹園、ごぞんじでしょう?」
「東西南北、高圧線で囲った、例のアレか? バカな猪が感電死したとか言う。」
「そうそう、アレです。一昨日の大風で果樹園のブドウ棚が崩れましてね、よく熟したブドウの房が、外の通り道の、ちょうど頭の上に、ゆうらりゆらりと揺れてたんすよ。」
「良かったじゃないか。うまかったか?」
「それがねえ、まあ、聞いてくださいよ、ダンナ。そのブドウの野郎、微妙な高さにありましてね、ジャンプしてもジャンプしても届かないんでさ。」
狐、いかにも悔しそうな顔をしてみせる。
「オマエがか? ホラ吹くために生まれてきた、人呼んでジャンピング・ジャック・フラッシュのオマエでも届かなかったのか?」
どうも、恐竜ロックっぽい話になって参りましたな。
狐、わが意を得たりと言った顔で。
「いえね、いっそカスリもしないんだったら、あっしも早々に諦めやす。
ところがどっこい、鼻の頭がギリギリ、タッチするくらいの高さなんでさ。
熟したブドウのあま~い匂いが鼻の穴をくすぐって、そのくせ舌先までは届かない。
歯はくやしがる。歯がみして泣いている。呼べども飛べども届かない。
こんな思いをするならば、いっそアンタに会いとうなかったってね。
憎いよ、こんちくちょう!」
狼、再び大あくび。
「今度は三味線かい。忙しいやつだなあ。
オマエさんのことだ。それで小一時間はジタバタしたんだろう? フィジカル、フィジカルって。オマエさんのボディ・トークを、たっぷり聞かせてやったか?」
狐、「よくぞ聞いてくださいましたぁ!」と言う顔をしつつ、
「いえね、常にポジティブ・シンキング。オール・タイム攻めの人生、いや狐生が看板のあっしでやす、そのブドウの野郎にピシッと言ってやりやしたよ、『けっ、オマエみたいなスッパい女は、こっちから願い下げだぜ』ってね。」
狼、言葉を選びながら、
「うーん。それで良かったのかねえ。
まあ、今でも心に残ってるのは、選ばなかった方の選択肢ばっかだもんなあ。
それを後悔し始めたら、それこそ切りが無いもんなあ。
そういうのはスパッと切り捨てて、『ありゃあ、スッパいブドウだったんだ』と割り切って、別のブドウを探しに行く方が、理にかなってるのかもしれんなあ。」
狐、ここで手を緩めず、
「ダンナ、今度はダンナの番ですぜ。
あっしにだけ恥さらさせといて、自分は悟りの境地って、そりゃあナシにしましょうや。」
狼、急に下を向いて、
「そりゃあ、天下ごめんなさいのネタは、しこたまストックしてるけど、もう夜も白んで来た事だし、続きは明日の晩にしないか。」
「こんな日の高いうちから、ナニ千夜一夜物語してんですか、シェエラザードじゃあるまいし。」
狼、しぶしぶ、
「分かったよぉ。半年たっても心の傷が塞がってないんだけどなあ。」
「待ってました! じゃなくて、あっしで良ければお話を聞きやすよ。」
「こういう時だけは、ホントにいい顔するなあ、オマエ。」
狼、口を開きます。
【第二夜】
「この春先の雪どけシーズンの事さ。知っての通り、ここいら一帯の原野は、雪どけ水で川の水面が上がって水びたしになる。
オレたち狼のエサとなるべく生まれついた小動物たちは、みんな、どこかに行っちまう。
だから、オレたち食べる方も動かざるを得なくなる。
まあ、毎年の事だけどな。」
「アンタのエサになりたくて生まれて来た訳じゃないんだけどな」と狐は思いましたが黙ってました。
「毎度毎度の繰り返しが、なんか面倒になっちまってな。
『常に先回りする。ターゲートの二歩三歩、先を読む』。
それがハンターの仕事だと分かっちゃあいるが、食われる方は、こっちの五歩六歩、先を読んでるさ。それを良く教えてくれたのが、狐どん、オマエさんだ。
オマエさんと、こうやって時々、話をするようになってから、なぁんか、エサの事をエサと呼べなくなってなあ。別に情が移ったって訳じゃないんだが。」
「こっちだって、別に情をかけて欲しい訳じゃないよ。面白いから、からかってるだけだ」と、狐は心の中で毒を吐きました。
「そんなこんなでウダウダしてる内に、オレは、この岩の上で孤立しちまった。
水底まで足も届かない泥水に包囲されて、エサどころかトイレにも行けやしない。
そこでオレは思ったよ。
『狩るのが仕事のオレが、もう狩りたくないと言う。そう発心した時点で、こうなる事は決まってたんだ。この上は、ここで餓死するのもご縁、生き延びるのもご縁。じっと耐えているのも断食修行とは思えんか』とな。」
「そんなんで、良く生き延びれましたね。今年の雪どけ水は、えらい量が多くて、引くのも遅かったじゃありませんか。」
ここで狼、ぐっと言葉に詰まる。胸に迫るものに耐えながら言葉を続ける。
「ああ、つらかったよ、つらかったよ。毎度のことだが、飢えほど恐ろしいものはないね。病気になれば死にたくないと思うが、空きっパラを抱えてどうしようもないとなると、『いっそ誰かオレを殺してくれ』と思うもんな。」
うんうんと狐はうなづく。空きっパラが怖いのは、野生動物なら誰もが知ってる事ですから。
「その時だよ。現れたんだよ、目の前に。光り輝くヤギがさ。」
「足も届かない泥んこの水の中にですか?」
「いや、水面に浮いてた。浮島みたいに水の上に立ってた。」
「気のせいじゃないんですかい?」
「最初はオレも、そう思ったさ。
でも、こっちだってハンターだ。断食修行は、ここまでだ。これからは戦闘状態に入れりだ。
取り敢えず、そのヤギに飛びかかった。角でしこたま反撃されたよ。
今度は痛かったなあ。油断してた脇腹から、血がダラダラ流れたよ。
オレは自分に言い聞かせたね、『大丈夫だよ、ママ。血が流れてるだけだよ』って。」
「ダンナ、ホント古いロックが好きっすね。あっしもだけど。
まあ、とにかく、そのヤギの野郎が見間違えじゃない事は分かった訳だ。」
「ああ、そこから先は、飢えた手負いの狼と、謎のヤギの泥んこプロレスさ。」
「そりゃもう、怖いものはありませんからね。」
と、狐も深くうなづく。
野生動物はケガを恐れます。鼻の頭を擦りむいただけでも、消毒薬ひとつ塗ってはもらえませんから。
だから逆に手負いになったとなると、もう怖いものはない。遠慮しいしいターゲートと間合いを取る必要もない。ガチンコ勝負になる訳です。
「空きっパラのオレの、一体どこから、こんな力が湧いて来るんだと思ったね。
泥の中で血まみれになりながら、オレはどこでもいい、ヤギの体を咬み続けたよ。
あの血はオレの血だったのか、ヤギの血だったのか、今では分かりゃしないがな。」
「まあ、とにかくヤギは仕留めた訳ですな。
こうやってダンナがピンピンしてるって事は。」
ここで狼、ちょっと戸惑ったような表情を見せる。
「そう思うだろ? ところがどっこいでなあ。
動かなくなったヤギを見おろして、『やったぞ』と思った瞬間、ヤギの体がパッと消えちまったんだよ。」
「やっぱり、気のせいだったんじゃありませんか?」
「気のせいなもんか。空きっパラで、おまけに血だらけで、それから半日、オレはのたうち回ったんだぞ。
いよいよご臨終って時に、オレは思ったよ。
『長くて曲がりくねった道みたいな人生、いや狼生だったけど、やっと御仏のドアの前までお導きいただいたような気がします。兎にも角にも断食修行の誓いを破らずに済んだ、このご縁をちょうだいできました事に感謝します。』
その直後だよ、誰かが大きな声で笑いやがるんだ。
『なにが修行だ、ナマイキぬかすな。いいか、修行はお布施のためにある。いや、お布施そのものが修行なのだ。どっちが後でも先でも構わんが、それでも御仏に帰依してる積もりなら、もう一遍、顔を洗って出直して来い!』と、こうだぜ。」
狐も一瞬、絶句してしまいましたが、ハッと気づいたような顔で言いました。
「ああ、分かりやしたよ、ダンナ。あの方に、まんまと一杯食わされたんですね?」
狼も、ホッとため息つきながら言いました。
「ああ、その通りさ。ひどいよな。狐でも狸でもムジナでも、ここまでしないぜ。」
「それでダンナ、結局、どうやって助かったんで?」
狼、「もう隠す必要もないや」みたいな感じで淡々と答えていわく、
「傷はあの方が直してくれた。エサもくれた。『今回限り、命は助けてやるから、今度こそ、ちゃんとお布施しろ』だとさ。」
今度は狐が、ため息をつきました。
「お布施って言われてもねえ。
野生動物の私たちにお布施できるのは、せいぜい、この体くらいのもんですよ。」
「ああ。人間は、いいよなあ。電車で席ゆずっただけでも、お布施した事になるんだから。」
とうとう二匹とも、どよ~んとしてしまいました。
ちなみに「電車で席をゆずる」のは床座施と申しまして、レッキとしたお布施であります。
詳細は兎平亀作の近刊『無財の七施(副題)お金なしでもお布施できる七つ習慣』をご覧ください。
死んだも同然の狼と狐の横に、お地蔵さんがスタスタと歩いて来ました。
お地蔵さんいわく、
「おい、おまえたち。いつまで遊んでるんだ? もう長期休暇は十分だろ。さっさと付いて来い。」
そう言って、お地蔵さんは振り向きもせず、向こうに行ってしまわれました。
「あ~あ、また、こき使われるのか」と、神狼と神狐は目で会話し、お地蔵さんを追いかけて行きました。
一時間後、川のほとりのカラスたちは、岩の上に死んだ狼を見つけ、岩の下に死んだ狐を見つけて、おいしい晩ご飯のお布施を、ありがたくちょうだいしましたとさ。