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その日は特に空が晴れ渡っていて、青空の下でぐーっと背伸びをした茜が大きく息を吐き出した。


女神の国での暮らしにもすっかり慣れてきて、ここに迷い込んだ時は薄かった木の緑色が濃く力強くなり、季節の移り変わりを感じさせる。

そして夏を迎えているはずなのだが、それに反して気温はそこまで高くならず、体温調節が難しいはずの和装をしていても適温に感じられるような暖かさをしているのがこの地だった。


寝殿造とセットになっている庭園の池には枯れ葉一つ落ちておらず、透き通った水面が太陽光を反射してキラキラときらめいている。とても快い光景に茜はしばらく見惚れていた。


「茜さん、お待たせしました」

「あっ、小春さん」

「あら。雪音さんと蓮華さんはまだいらっしゃっていないのですね」


駆け寄ってきた小春は茜の周りに誰もいないことを確認して首を傾げる。

今日はこれから女神のいるという神殿の掃除に行くために4人で集まる予定なのだ。


この国の生活班の中で当番制になっている仕事は色々あるが、こうして茜にも初めての当番が回ってきたというわけだ。

そして残るは雪音と蓮華の組み合わせがやって来るのを待つだけなのだが。


「あっ、茜さん。こちらを向いて少し止まってください」

「は、はい……?」


突然そう言うと、小春は茜の胸元に手を伸ばしてきて―


「ひぁっ……!?」

「掛襟が乱れているので直しますね、じっとしていてください」


掛襟 ―小袖と襦袢の間で緋色を重ね着しているように見せているたすきのような付襟のことだが― が見えすぎてしまっていたようで、それを小春が直してくれている。

鏡もないから自分の手で直すというのは難しいし、このまま小春に任せることにする。


「着付けはもう少し練習がいりますね、茜さん」

「えっと……はい」


ふふっと小さく微笑んで着付けを直すその表情はどこか嬉しそうに見える。

お世話をしてあげているのが楽しいのか、それとも他に何かあるのか、茜にはよくわからない。


ただ、その表情が自分の目の前にあることに関してはどうしても慣れなかった。

片想いの相手と同じ顔なんて。


そうしていると背後からすっかり聞き慣れた声が響いてくる。


「ふたりともラブラブしてるなー!」

「ふふふ、お二人とも仲がよろしいですね」


雪音と蓮華がその間に登場していた。

蓮華に関しては寝癖が直し切れていないようで、髪が少し跳ねている部分が残っている。


「お二人とも、おはようございます」

「茜さん、すっかりここの暮らしに慣れたみたいで私も嬉しいですわ」

「毎日元気そうであたしも安心だー!」

「えっと、ありがとうございます」


二人ともなんだかんだ茜のことを気に掛けてくれている。

そんな優しい気持ちが感じられて嬉しい。


そして、二人の登場が遅れてしまった理由だが、茜が何となく予想した通りの内容だった。


「すいませんね。蓮華が寝坊してしまって遅れてしまいました」

「だって雪音が起こしてくれなかったんだもん……!」

「あのね、蓮華も一人で起きられるようにならないと―」


そうやって雪音のお小言が始まる。

そんな本当に二人は姉妹のように見えるので、揶揄われて気恥ずかしさを感じていた茜もすっかり元の調子に戻る。


だから、小春もきっとそうだろうと思って振り返ってみたら―


「…………」


顔を赤くして黙りこくっていた。

恋人同士のように扱われたのがそんなに恥ずかしかったのだろうか。

目はキョロキョロと泳いでいて、両の手は所在無さげに空を切っている。


そこで目を合わせようと茜が正面に回り込んだら、びくっと身体を跳ねさせて大きく反応した。


「あ、あっ……茜さんっ……」

「小春さん、大丈夫ですか? 熱はないですよね……?」

「ち、違いますっ……どうかお気になさらずっ……」


そういえばこの国には病気も怪我もないのだった。

じゃあなんでそんなに恥ずかしがっていたんだろうと不思議になるけど、小春が背中を向けて歩き始めてしまったので茜はその疑問を放っておいて追い掛けるしかなかった。

そして雪音と蓮華もその後ろを付いてくる。


「雪音さん、神殿の掃除って大変なんですか?」

「そうでもありませんよ。普段の私たちの掃除とほぼ同じですし、ちょっと違うのはお供え物があることですね」


……そういえば、お供え物があるというのは初めて聞いた。


「確か小春さんが準備してくださると聞いています。なので茜さんは心配しなくて大丈夫です」


前を歩く小春の手には風呂敷があった。あの中にお供え物が入っているのだろう。

本当に何から何まで頼れるお世話係だなと思う。


だからこそ、今こうしてそっぽを向いて歩いていってしまったのが普段と違って気になる。

それを考えながら足を進めているうちに神殿の前まで辿り着く。


毎日お参りには来ているので建物の目前までやって来るのは慣れたものだけど、いざ神殿の中に入るのは初めてでどこか緊張を覚える。


そうして踏み入れた先は、ぶわっと鳥肌が立つほどの静謐な空気が満ちていた。

建築自体の構造はシンプルだったが、その真ん中に位置する祭殿を中心として、人ならざるものを祀るに相応しい世界が広がっている。そしてその奥には本当に女神が存在しているような、そんな気持ちになる。


とても静かで、凛としていて、人が踏み入ることを許されないような、そんな感覚。


茜はその光景に見惚れていた。

自分の求めていた世界がそこにあるような気がして、心が躍るように鎮まる。

こんな場所があるのなら、この国で一生を過ごしてもいいとすら思えた。


それくらい心酔してしまって、雪音に声を掛けられるまでの数分間、いやそれ以上かを黙ってただ見つめて過ごしていたことに後になって気付いた。


「茜さん、満足しましたか?」

「……えっ、あっ、はい。すいません、何も喋らずにいて」

「いえ、よいのですよ。この場所はとても心が静かになるのです。巫女たちにも神殿を好む者は多くいます」

「あたしも。ここに来ると心が引き締まるっていうか、ちゃんとしなきゃって思う」


雪音も蓮華も、茜の今の態度を肯定的に受け入れてくれた。

それくらいこの神殿には人を魅了する力があるのだと改めて感じる。


改めて見渡す。

朱色の鮮やかな柱が並び立つ広大な空間に、どこまでも広がる静謐な空気。

祭殿は何段にもわたって構成されていて、金色に塗られた中央の扉が神々しい輝きを放つ。


毎日でも訪れたいこの空間を目に焼き付けて、くるりと横に視界を変えて。

そこで小春と目が合った。


「…………」

「…………」


頬をうっすらと桃色に染めて、大きな瞳を開いてこちらを見つめていた。

この神殿の空気と光景に圧倒された自分と同じような顔をしている、と何故かそう思った。


その瞳は茜をまっすぐに捉えて動かない。

そんな小春の中でどんな感情が渦巻いているのか、それを確かめる術は茜にはなかった。

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