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「…………」


光を抜けた先は、あの日迷い込むきっかけになった遊歩道の入口だった。

もうすぐ傾き出しそうな太陽がまだ浮かんでいる空の下でぼーっと立ち尽くす。


女神の国から元の世界へ帰ってきた茜を待っていたのは静かな森とアスファルトの道路、そしてどこか遠くの方から聞こえてくる現代の生活音。

その感覚にすぐには付いていけなくて、何分間かその場から動けずにいた。


肌に感じるのは少し湿った弱い風。視界の先は街へと続いていく下りの道路。

そうしているうちにはっと気付いてスマートフォンを取り出せば流石に充電が切れていたようで、日付を確認することはできなかった。


自分があの国へ迷い込んでから一体何か月が過ぎたのだろう。

もう日付の感覚を失くしてしまった茜にはそれを確かめる術はない。


ただ、ずっとここに立っているわけにもいかなくて、ゆっくりと道を下り始める。

踏みしめるアスファルトの感触は女神の国の土や草とは違って固くて無機質で、でもここが自分が生きていく世界なのだと再認識する。


理想郷を捨てて、好意を抱いていた少女からの告白も振り切って、それでも戻ってきた世界はやはり茜が生きていくには少し辛い環境なのかもしれない。

だけど、それでも強く生きてやろうと思って、一歩ずつ踏みしめて道を下る。


傾き出した夕陽がオレンジ色に空を染めて、それが綺麗でふとあの少女と一緒に見た夕暮れのことを思い出す。森の中を散策して、帰り道で眺めた夕陽。


だけど、思い出だけに浸っていてはいけない。

一人に逃げたくても、逃げずに生きていける自分になるんだと自分自身を鼓舞する。

彼女とその周りの人たちにもらったものを大事にするんだともう一度決意する。


森の中から街へと下っていく道のりは、茜がこの世界でもう一度頑張って生きてみようと思う、その気持ちを確かめるための道のりでもあった。


一歩下って行く度に街が近くなる。今まで自分が逃げてきた世界に近付いていく。

でも、これからは逃げるだけじゃなくて、その中でも息をしてみせるんだ。

そんな気持ちは強くなっていって、やがて辿り着いた麓の街の雑踏の中でも茜は躊躇わなかった。辛いと感じても、そこに立ち向かおうとする気持ちがあった。


そうやって心を強く持っていたから、強く生きていく覚悟を決めていたから。

だからこそ、帰りのバス停の待合所に座っている彼女を見た時、茜の心中は揺らがなかったのかもしれない。


彼女の瞳が茜の存在を捉えて、大きく見開かれる。


「…………茜?」

「穂香、ただいま」


ここから遠く離れた場所に住む彼女がどうしてここにいるのかは関係なかった。

ただ、今一番会いたい人がいてくれたことが茜の心を捉えて離さなかった。


そして、茜が帰ってきたことを認識した穂香は、カタカタと壊れたロボットのように立ち上がったかと思えば、勢いよく走ってその胸に飛び込むように抱き着いたのだった。


「茜っ……! 本物、だよね……?」

「そうだよ。穂香」


今にも泣き出しそうな幼馴染の顔が目の前にやって来る。

その顔があの国の少女と重なって見えてしまったことには少し罪悪感を覚えたが、その声、言葉、匂い、温度、柔らかさで感じる。自分がちゃんと向き合いたかった人はこの人だと。


「どこ行ってたのっ……茜っ! 私っ、ずっと探してたのにっ……!」

「ちょっと、神隠しに遭ってた」

「なにそれ……9か月だよ、茜がいなくなってからっ……でも、幻じゃない、本物の茜だっ……」


泣き出しそうだった顔をもう一度見てみれば、瞳からうっすらと涙が伝っている。


「穂香、ずっとわたしのこと待ってくれてたの?」

「そうだよ……毎日茜のこと考えてっ、毎週この場所まで― 茜がいなくなった場所まで来て探してたんだよ……」

「ありがとう。そんなにわたしのことを大切に思ってくれて」

「当たり前だよ……茜は、私の……私のっ!」


何か言いかけて口を噤んだ穂香に、茜はとっくに気付いていた。

穂香が何を言いたかったのか、そして自分は何を言いたいのか。


「穂香。わたしね、神隠しに遭ってる間も穂香のこと考えてた。今頃穂香はどうしてるのかなって、穂香が一緒にいたらわたしはどんな気持ちだったんだろうって」

「茜……」

「今までずっと勇気がなくて言えなかったけど……わたしは、穂香のことが好き。幼馴染じゃなくて恋人の意味で。好きだよ、穂香」

「わ、私もっ……好きっ、茜……!」


茜から穂香の唇に口づける。

もう今までの逃げてばかりの自分じゃない、ちゃんと大切な人と向き合える自分になるんだと自分に言い聞かせるように。そして、穂香への愛を形にするために。


「んっ……茜っ……」

「穂香、好き。愛してる」

「茜っ……私も愛してるっ」


ずっと長い間抱いていた、言えずにいた気持ちを言葉にする。


ここがバスの停留所で、すれ違う人がいるかもしれないことなんて気にもならない。

今の気持ちをちゃんと忘れないようにするんだ。


「穂香。わたしは弱いから穂香と向き合うことから逃げ出してきた。でも、今日からは逃げないように頑張ってみる」

「告白してきただけでも、十分頑張ってると思うけど」

「そうだね。あと、穂香が望むことならなんだって一緒にしたい。お出かけしたり、二人きりで過ごしたり、デートとかも」

「ふふっ……茜、ずいぶん変わったんだね。神隠しとやらで」


口に出すことで自分の気持ちを固いものにして、それを穂香にも伝える。

そんな気持ちを小さく微笑んで笑顔で受け入れてくる穂香が嬉しくて、茜もふっと笑ってみせる。


そうしたら今度は穂香の方からキスされて、茜がそれを受け入れる。

大切な人にちゃんと気持ちを伝えて、向き合って、こうして深い関係になることができた。

あの国に留まらなかった自分の決意に報いることができたと思う。


やがて唇は離れて、それでも二人は手を繋いだまま。

穂香の瞳に溢れていた涙はまだ乾かないけど、これ以上流れる様子はなかった。


「茜、一緒にいられなかった時間の分、これからは少しも離したりしないからね」

「うん。わたしも、穂香と一緒にいたい。だから、ちゃんと離さないでいて」


穂香と、一番大切な人と一緒にいる未来なら、こんなわたしでも頑張れると思う。

生きづらい世界でも頑張って生きてみよう。

きっとその先に幸せだと思えることが待っているはず。


そうしているうちに遠くから見えてきた帰りのバスは、茜が元の世界へ帰るためのものであり、穂香と共に過ごす未来へ向かうためのものでもあった。


「じゃあ帰ろうか、茜」

「うん、穂香」


二人を乗せたバスは静かにこの地を走り去る。

茜色の空がそんな二人を見守るように広がっていた。

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