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そして、巫女舞の日はいつの間にか翌日に迫っていた。
いや、正確には事前に伝えられていたものの、日付の感覚がないこの国ではすっかり日程など頭の中から消えてしまい、練習の後に明日が本番と不意に伝えられて思い出すという有様だった。
茜もすっかりこの国の習慣に慣れてしまったものだ。
とはいえ、毎日のように練習を重ねてきたので問題はなかった。
楽器を演奏する巫女たちと合わせての練習も、一人で静かに続けていた毎日の練習も、どれも時間を重ねて小春に負けないように、少しでも近づけるように努力したと思える。
だから、今の茜に問題はなかった。
たくさんの人の前でも、本物の女神の前だったとしても。
そして、その積み重ねは小春にも伝わっていて、それと同時に自分へ向けられる小春の好意が増していることもわかっていた。
一緒にいると楽しいと言葉に出して伝えてきた自分がいるからこそだが、小春も小春で茜へのスキンシップが増えたり、今までより積極的に話し掛けてくるようになったり。明確にそういう兆候が見えるようになった。
だから、こうやって夜の部屋で二人きりで、小春が何かを言おうと切り出してきたのも予想の範疇だった。
灯りひとつだけが照らしている空間で、布団に座っている茜の傍に寄ってきた小春は向かい合うように座り込む。
茜はそれをいたって落ち着いて迎え入れた。
「茜さん、お話があります。少しだけ聞いてもらえますか」
「はい」
灯りの中に浮かび上がる小春の頬は桃色に染まって、恋する乙女の表情と形容して差し支えなかった。
手はもじもじと膝の上で所在なさげ。視線は少し泳いで茜と目を合わせたり合わせなかったり。
そんな姿を見せる小春の口から出てくる言葉はもうわかっていた。
「あの……わたくし、茜さんのことが、す、好きなのです。わたくしの、恋人になってもらえませんか」
でもその言葉を発する時はちゃんと茜の目を見て、しっかりと想いを告げてきた。
友愛ではなく恋愛の意味の告白。これまで一番近い距離で過ごしてきた小春からの愛の言葉。
「茜さんの真摯なところ、優しいところ、素直なところ、たくさん見てきました。そうしていたら好きになってしまったのです。茜さんの全部に惹かれてしまいました」
とても嬉しかった。
勇気を出して告げてくれたことも嬉しかった。
「だから、茜さんと恋人になって、ずっとそばにいたいのです」
だけど、茜にはまだ返事ができなかった。
この国に迷い込んでからずっと、小春と一緒にいる時も頭の片隅から離れなかった幼馴染のことが。
彼女のことがまだ頭の中から消えない。心のどこかに引っかかり続けている。
その気持ちとちゃんと向き合うまでは、小春の言葉には答えられない。
それをできるだけ角が立たないように、でも自分の本心の通りに、ゆっくりと伝える。
「少し時間をください。お返事は、その時にします」
「……わたくしではだめですか……? 茜さんのそばにいるのは」
返す言葉で小春も十分理解した。茜がまだ幼馴染のことを考えていると。
この世界にいる好きな人と、こことは別の世界にいる好きな人の間で揺れていると。
そしてそれが簡単に解決がつくものではないとわかってしまうけど、でもそう返さずにはいられなかった。
茜もその葛藤の中でまた考える。
どうすればどちらか一人に想いは定まるのだろうか。
穂香への片想いを手放して忘れてしまうのか、小春の好意を振り切ってでも片想いを続けるのか。
だけど、すぐには答えを出せない。
だから、もう少しでいいから時間が欲しい。
「小春さん、悩ませてごめんなさい。でも、もう少しだけ時間をください。……わたしも、ちゃんと考えないといけないんです」
「……わかりました。お返事、待ってますね」
そう告げると小春はすっと背を向けて、自分の布団へとまっすぐに戻っていく。
茜はその背中を見ているしかできない。だけど、今はこれがいいのだと思う。
自分も布団に入って、灯りを消す。
眠る体勢になりながらも茜の心と頭はまだ動き続けていた。
―――
わたしは、たぶん人よりも敏感で、心も弱くて、社会で生きていくのに向いていない人間なのだと思う。
それはわたしがそういうふうに育って、そういう人生を送ってきたから。
人が多い場所はあまり好まない、騒がしい場所にはいたくない、モノや情報がひっきりなしに行き交うような空間は苦手。
それが辛くて、そこから逃げることでしか自分を守れなかった。
だけど、それでもわたしはまだ元の世界で、ヒトとモノに溢れる世界でもまだ生きていけそう。
そんな風に思うようになった。
それは女神の国という場所に来たから。
とても静かで、人も穏やかで、落ち着いて暮らしを送ることができる場所。
わたしの弱い心でも傷つかずに安心して生きていける場所。
だけど、そんな場所だからこそ感じることもあった。
小春の存在。誰かと一緒に過ごして、同じ時間を共有して、密接に過ごした時間。
好意を抱く相手がいるだけで暮らしは明るくなって、その人と一緒に見る景色はきらきらしていた。
共に暮らす巫女たちの存在。挨拶したり、時々喋ったり、何かを一緒にこなしてみたり。
もちろん穏やかな性格をしている彼女たちだったこともあるが、それでも他人と同じ空間で過ごして苦痛ではないという経験を得られた。むしろそれが楽しいと思う部分もあった。
特に雪音と蓮華の存在は大きかった。
おっとりしてお姉さん気質の雪音は優しくて話しやすかったし、活発な蓮華もとてもいい子で一緒にいて元気になった。二人と近い距離で過ごしたことも今の茜の心に影響を与えている。
こんなわたしでも誰かと同じ時間を共有して、誰かと同じ場所で過ごして、楽しく過ごせた。
だから、もしかしたら、元の世界に帰ってもこんなふうに思えるのかもしれない。今までのわたしが逃げてしまっていたところから、逃げ出さずにいられるかもしれない。
もちろん女神の国という場所だからこそ元気でいられたという大前提はある。
それでもわたしはもう一度試してみたいと思う。ヒトとモノに溢れる現代で。
そして何より、元の世界には彼女がいる。
穂香はまだわたしのことを待ってくれているだろうか。もしかしたらわたしのことなんて忘れて平気で過ごしているかも。
だけどそれでも構わないと思う。
わたしがずっと前から抱いていた片想いはまだ捨てられない。
穂香と一緒に過ごす未来に憧れを抱いている自分がいる。
今までずっと怖いと逃げてきたことも、辛いから避けてきたことも、穂香が一緒にいてくれれば大丈夫かもしれない。楽しいと思えるかもしれない。
だから、わたしは決めないといけない。
穂香への片想いを大切にするか、それとも小春への好意を形にするか。
それを明日試すことにする。
わたしが挑戦してみようと思ったことは、わたしがまだ頑張れるかもしれないと思った気持ちは本物なのか。
小春にもこの気持ち、ちゃんと伝わるかな。