第三章 立ち込める暗雲 その一
時が経ち、スラム街にも桜が咲く季節になった。
イオとアミ達が作った浄水装置は藻の繁殖や水の詰まりなど多少の問題はあったものの、試行錯誤を経て上手く稼働し始めた。そして一番の課題であった水質検査を実施し『水道法の水質基準に適合しています』という最高の評価を獲得した。
この結果を踏まえ、イオとアミ達塾生は商店街でこの水を安全な飲料水として宣伝し、安値で売り出した。
始めは安全性に関して懐疑的な様子のスラム街の住人達も水質検査結果報告書を確認するとその場で水を試飲し、買っていった。更に幾人かの商売人はイオやアミ達に安全な飲料水の作り方を教えてくれと頼みこんできた。
「良いですよ! 綺麗な水が増えるのは大歓迎です」
「イオも賛成します」
飲料水の供給を独占すれば大きな利益が上げられそうではあった。だがアミとイオはスラム街の住人達のことを第一に考え、商売人の申し出を快く引き受けた。緩速ろ過法による水の浄化のやり方をスラム街の商売人に伝授する。
こうして多くの商売人の力もあって、スラム街に十分な量の安全な水が供給される。
そのおかげでスラム街での健康被害が減った。また、水の運搬や共同の水道で行列を待つ長い時間を大幅に短縮させたことにより、スラム街の経済活動も以前より活発になったとアミは聞いた。
色んな人の助けになれていると知り、アミは嬉しかった。
だが話はそれだけでは収まらなかった。
なんとアミとイオがスラム街での生活の質向上に尽力した功績を認められ、市長から表彰されたのだ。
今、アミとイオはスラム街から出て市役所の表彰式に来ている。
そこは大きなコミュニティホールであった。ステージの上にある檀上花と演台が印象的だった。ステージの奥の壁には大きなスクリーンが下げられており、そこには『生活改善賞表彰式』と書かれた横断幕が掲げられていた。
「なんか大変なことになったね。イオ」
「そうですね。全ては行動したアミ様達の成果です。誇って良いとイオは思います」
そうアミとイオは小声で話す。
アミがホールの中央にある演台に立つと熱を持ったライトが当たる。数人の報道陣がカメラのフラッシュをたいていた。目の前の観客席にはスラム街の住民や支援者、市政の関係者が座っている。
アミはいつもと変わらない薄汚れたジャンパーとくたびれたジーパンで来たことを後悔した。そうして極度の緊張で冷や汗をかき、震えていた。周囲の拍手を受けながら不器用に、不自然に微笑む。
アミが不安そうにしていると演台の上に置かれたイオが「主役はアミ様です。自信を持って大丈夫です。落ち着いて下さい」とアミに囁いて勇気づけてくれた。
記者達がアミにマイクを向け、いよいよインタビューが始まる。
「アミさん、おめでとうございます。スラム街の生活を改善するためにどのような取り組みをされましたか?」
アミは一瞬考え、ゆっくり答える。
「……ありがとうございます。あ、あたし達……が今回始めたのは、水浄化装置……の導入です。……あたしは、このイオというエーアイの助けを借りて……スラム街に清潔な飲み水を提供することができました……」
「イオというのは、そのロボットですか? どのようにしてイオと出会い、協力することになったのですか?」
アミは懐かしそうにイオとの出会いを思い返す。
「そうです……。イオは、あ……あたしが……ゴミ山で見つけたエーアイを搭載したロボットです。えっと……その、最初はただの壊れた機械だと思っていましたが、修理してみるとイオは非常に高度な知識と能力を持っていました……。それでイオと一緒に、あたし達は色々なことに取り組むことができました……」
「具体的にはどのようなプロジェクトですか?」
「えーっと……。最初は、雨を集めて生活用水にすることを思いついて、手作りのろ過フィルターを作って、家に雨どいを設置しました……。その後にあたしも含め、スラム街の子供達と一緒に……勉強するための小さな学習塾も開きました。……そして今回表彰されることとなった……川の水を綺麗にするための、水浄化装置作りです。……皆の、本当に沢山の助けのおかげでここまでやってこられました……」
アミは緊張で心臓が口から出そうな感覚に陥る。上手く言葉がまとまらないが、脚色のない事実と自分の正直な気持ちを話せていた。色んな人に助けられて今の自分がいると確信している。
そのアミの懸命な受け答えが質問者である記者の好感を得たようだった。記者は満足したのかメモ用紙に何かを書き込む。
別の記者が尋ねる。
「アミさんにとって、これらの活動を続ける原動力は何ですか?」
アミはこの質問に対しても少し考え、静かに答えた。
「それは……難しいですけど、小さな希望だと思います……。自分の名前を文字にした時、思ったんです。……環境や境遇で色んなことを諦めてしまったけど、頑張れば大概の事はどうにかなるんじゃないかって……。スラムでは貴重な清潔な水、それを満足するまで飲めた時の子の笑顔を見られた時、あたし頑張って良かったって思えたんです。……そんなに出来た人間ではないのに、なんだか偉そうにすみません……」
アミが萎縮して謝罪してしまうと会場でどっと笑いが起きた。記者が微笑みながら「貴女は素晴らしいことを成し遂げたのですよ」とフォローを入れてくれた。
アミは顔が紅潮し、俯いてしまう。
「では最後に、これからの目標を教えてください」
アミは深呼吸をして落ち着きを取り戻す。そして真剣な表情で答えた。
「……今、スラム街にゴミ処理施設を作ることを考えています……。ゴミがきちんと整理されれば清潔になって伝染病が減りますし、使える資源ゴミはお金になります。……更に生ゴミを土に還して肥料にし、畑を耕して野菜を育てる計画もあります。……あの……皆様、力を貸して下さい。……これからもスラムの人に寄り添って、良い明日のために皆で力を合わせて……いきたいと思います……」
それはアミの心からの言葉であった。
インタビューが終わり、再び大きな拍手が会場を包む。
アミは感謝の気持ちを込めて頭を思い切り下げ、マイクに頭をぶつけて再び笑いを取った。そしてアミは照れ笑いを浮かべながら、ぎこちないロボットのような足取りでステージを後にした。