第二章 協心する人とロボット その三
翌日、アミはリュックサックにイオを収めてゴミ山へ向かった。
アミの目的は水の浄化装置に使う大きな容器を見つけることだった。ゴミの山を注意深く見渡しながら歩いていく。すると偶然にも目を引く状態の良い物があった。
「これ綺麗だし、結構使えそうじゃない?」
アミが指差す。
それは一般家庭用の浴槽だった。アミは浴槽に近づき、その表面を軽く叩いた。
「イオもそれが適当であると判断します。このサイズならば約二百五十リットルの水を集められます」
「よし!」
アミは思わずガッツポーズを取った。そうしてアミは喜び勇んでその浴槽をゴミ山から引きずり出そうとする。だが直ぐに表情をしかめた。
「重いッ……!」
「アミ様、その浴槽は二十五キログラムを超えると見積もられます。台車を持って戻ることをお勧めします」
イオが分析結果を告げる。
「大丈夫大丈夫! あたしに任せて。これくらい余裕!」
アミはそう言いながらリュックサックをお腹側に抱え、浴槽をひっくり返して被るように無理やり背負った。
「アミ様、無理をするのはお勧めしません……」
イオの声には少し不安が滲んでいた。
アミは浴槽の重みでバランスを取りながら川沿いの道を上流に向かって歩き出した。最初の二十分は何とか進んでいたが、三十分、四十分、五十分と経過するごとに足取りは重く、おぼつかなくなっていく。
「ふぅ……ふぅうう……」
アミはついに足を止め、浴槽を地面に下ろそうとする。その拍子に浴槽に押しつぶされそうになった。
「忍法カタツムリの術……なんちて……」
アミは軽い冗談を言ってみたものの、全身から疲労が滲んできていた。
「アミ様、一旦浴槽をここに置き、誰かに助けを求めるか台車を取りに戻るべきです」
そのようにイオが提案する。
だがアミは首を振った。
「道の真ん中にこんな綺麗な物を置いたら、誰かに盗られちゃう……」
そう言いながら再び浴槽を持ち上げようとするが、腕の震えが止まらない。
「アミ様……。では休憩を取りつつ頑張りましょう」
イオが「手伝えなくて申し訳ないです」と申し訳なさそうに呟く。アミも「気にしないで」と答えた。
アミは道端で浴槽を背負った肩を押さえ、額の汗を拭い、荒い呼吸を繰り返す。遂にアミは疲れ果て、地面に腰を下ろして完全に動けなくなってしまった。しばらくぐったりとする。
その時、遠くから見知った顔の子供達が現れた。それは塾で共に勉学をする六人の仲間達であった。
「アミお姉ちゃん!」
六人の子供達の先頭に立っていたのはユウナだ。
「アミお姉ちゃん、大丈夫?」
ユウナが心配そうにアミの隣にしゃがみ込む。
「ユウナちゃん、それに皆……どうしてここに?」
アミは目を見開いて皆を見た。
ユウナは胸を張って答えた。
「昨日、塾でお姉ちゃんが何か新しいことに挑戦するって言ってたでしょ? それで今日の勉強の時間を過ぎてもアミ姉ちゃんもイオ先生もいないから、皆で探しに来たの!」
「アミ姉ちゃん、イオ先生!」
今度はハルが前に出てアミの手を握った。
「僕達、手伝ってもいい?」
「ハル君、その気持ちは嬉しいけど……この浴槽、とっても重いし、大変――――」
アミは申し訳なさそうに首を横に振る。だがハルは真剣な眼差しでアミを見つめた。その視線に、アミの言葉が詰まる。
「是非、手を貸して頂きたいとイオは懇願します」
気まずい沈黙が流れたその瞬間、リュックサックの中からイオの声が響いた。
「イ……イオ?」
アミは驚いてリュックサックの中のイオを見下ろす。
「イオはアミ様が疲労困憊であることを考慮し、この状況の打開のために援助を受けるべきと判断しました」
イオは落ち着いた声で続ける。
アミは思わず苦笑した。
「今のあたし、格好悪いね……」
六人の仲間達は力を合わせ、浴槽をひっくり返して持ち上げ始めた。「わっしょい! わっしょい!」と掛け声を出しながら、全員で浴槽の縁を持って少しずつ歩みを進める。
「お姉ちゃん、私達結構力あるんだからね!」
ユウナが誇らしげに言う。
「重いけど楽しいね!」
ハルが笑顔を見せながら、皆を鼓舞する。
その光景に、アミは胸にこみ上げて来るものを感じた。
「皆、本当に助かるっ!」
道中、何度か休憩を取りながら、皆でゆっくりと川の上流を目指した。数時間かけてようやく林の中に到着したとき、全員が汗だくになりながらも満足げな顔をしていた。
「ふぅ、運び終わったね!」
ユウナが肩を回しながら言う。
「実はさ……」
アミが申し訳なさそうに言葉を切った。
「あと一個、浴槽を運びたいんだよね!」
その瞬間、六人の子供達は一様に渋い顔になった。
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それからアミやイオや子供達は午前に商店街のミナコの家で塾を開いて一緒に勉強をし、午後に川の上流にある林で浄水装置を作るという日々が続いた。
浄水装置の設計は決して難解なものではなかった。アミが必要な資材をゴミ山や雑貨屋から集め、イオがその場で的確な指示を出す形で進められていた。
現場にて、イオが緩速ろ過装置の仕組みを説明する。
「まず、川の水が流入槽となる浴槽に入るように流入管を設置します。ここでゴミよけネットを使い、大きな異物が入り込まないようにします。その後、水は粗ろ過槽として使うバケツに入り、アミ様が売っているフィルターと同様の効果を発揮する層を通過します。そして砂ろ過槽で微生物の浄化を受けた後、最後に貯水槽となる二つ目の浴槽へと流れ込みます」
アミは頷きながら、資材を手に取った。
「なるほど。順番通りにバケツと浴槽を繋げば良いんだね」
「その通りです。正確に繋げることで効率的な浄化が可能となります」
イオは明確に答えた。
アミは塾生である六人の子供達にも手伝いを頼んでいた。皆は最初こそ不安そうだったが、次第に作業に慣れて生き生きとした表情を見せていた。
「ユウナちゃん、このネジ付きソケットを使って浴槽に穴を開けてくれる?」
アミが指示すると、ユウナは自信を持って作業を始めた。
「アミ姉ちゃん、このパイプはここで良い?」
そのようにハルが尋ねる。
「うん、そこに差し込んで! コーキング材を塗って水漏れしないようにしてね」
アミは笑顔で答える。
子供達はそれぞれが役割を分担しながら作業を進め、緩速ろ過の順序通りにバケツと浴槽を塩ビパイプで繋ぎ合わせていった。それが終わると装置全体を配置するための台座を準備した。重力によって水が自然に流れるよう、浴槽とバケツの高さを微調整しながら固定していく。
「ここを少し高くしてみて!」
アミが指示を出すと、皆が協力して台座を調整する。
「アミ様、全体の流れがスムーズであることを確認してください」
イオのそんな提案を受け、アミは実際に水を流して最初の浴槽から最後の貯水槽まで順調に水が流れることを確認した。
「よぉし、完璧!」
最後に砂利や砂を集め、ろ過用のバケツに敷き詰める作業を行った。それから作業を始めてから四日の時間を費やし、装置を試運転しながら改良を加えていった。
そうして五日目、アミは塾での勉強会が終わった後、協力してくれた子供達に感謝の言葉を伝える。
「後は全体を覆う小屋を建てて、しばらく様子を見ます。浄化がちゃんとできていることが確認できたら、ミナコさんの出資で水質検査に出してみよう! 皆、今日まで本当にありがとうございました!」
アミはお礼として、なけなしのお金を駄賃として子供達に渡す。
「これで好きなものを買ってね!」
子供達は満面の笑みでお金を握りしめた。
その後子供達は解散し、塾は静かになった。
アミは一階の塾から二階の自分の部屋へと帰る。バラック小屋の階段を上がるたび、今週の出来事が脳裏を巡る。皆で協力しながら作業した思い出が心を温かくする一方で、胸の奥に小さなチクリとした痛みが残っていた。
アミは部屋に入り、真ん中を占領しているちゃぶ台をさっさと片付ける。そして布団を敷いて横になる。
四畳半の部屋の壁には、スラム街で撮った写真が隙間なく貼られている。炊き出しを食べる老夫婦、商店街の見知った店主、そして塾の仲間達、アミは色んな人の笑顔に囲まれていた。
その写真を見つめるうちに、アミの胸に独りぼっちの寂しさがこみ上げてきた。写真は孤独を少しでも埋めるための物であったとアミはこの時気付いた。アミは母親を失っている。だからその大きな穴を人数で、笑顔で、埋めようとしたのだ。
「皆に迷惑かけちゃったかなぁ……」
アミは天井を見上げながら呟いた。疲れているのに眠れない。
イオの声が枕元から響く。
「持ちつ持たれつですよ、アミ様」
アミは思わず微笑む。
アミはふと考え込む。自分は一人では何もできなかった。皆の力を借りなければ、浄水装置なんて完成しなかっただろう。けれど誰かに頼ることがどこかで怖かった。それは自分が迷惑をかける人間だと思われることへの恐れだった。
「イオ、あたし、助けてもらうのが苦手なんだなって思ったよ」
アミは枕に顔を埋めた。
「誰かに助けを求めたら、嫌われちゃうんじゃないかって思っちゃう」
「アミ様、それは誤解です」
イオが優しい声で答える。
「人間関係において、助けを求められることは信頼の証でもあります。多くの人がアミ様を信頼し、またアミ様を助けることで喜びを感じています」
アミは目を閉じながら小さく笑った。
「……でも、あたしって八方美人だと思う。皆に嫌われたくないから、良い顔しちゃうんだよね」
「八方美人であることと、誰かを助けたいと願うことは異なります」
イオは即座に応えた。
「アミ様は多くの人を助け、また多くの人から愛されています。それは素晴らしいことです。ただし助けられることも、時には必要です」
その言葉にアミは深く息を吐いた。
「そっか……。今日は皆に頼って良かったのかな?」
「間違いありません。今日の成功はアミ様と仲間の絆の結果です」
イオの声がどこか誇らしげだった。
アミの心に刺さった刺が、少しずつ抜けていく。心が温もっていく。
「……そうだね、皆のおかげだね……」
アミはそっと布団を引き寄せ、目を閉じた。
誰かを頼ることの大切さ、そして一人ではできないことがあるという当たり前の事実をようやく心から受け入れることができた。そしてその気づきをくれたイオに感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と小さく呟いた。
その夜、アミは部屋の壁一面に貼られたスラム街の笑顔に見守られながら、気持ち良く眠ることができた。