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第二章 協心する人とロボット その二

 アミがろ過装置を作り数日が経過した。アミは露店でろ過装置を四十ほど売り捌き、屋根の雨どいの設置工事の仕事も四件ほど受注した。だが、アミの懐は大して潤わなかった。それはアミがとにかく安い値段で仕事を受け、仕事を手伝った少女二人にそこそこのお駄賃を渡したからだ。


「困っている人のためになりたいなぁって」


 そうアミはイオに説明した。


 アミは水という皆の悩みの種のことであまり足元を見る真似はしたくなかったのだ。イオもアミの意見を尊重し、反対しなかった。客も二人の少女も皆、喜んでくれた。


 ただ一人を除いて。


「アミ、あんたまた変な事始めたんだって?」

「えっと……。その、良かれと思って、新しい事業を始めたのですが……」


 それはアミの家の大家だ。名前をミナコという。


 アミの家は二階建てのボロボロのバラック小屋の二階に位置しているが、大家のミナコは同じバラック小屋の一階に住んでいる。年齢はもう七十近くで体は小さく、白髪で眼鏡が手放せない老眼、そして腰がやや曲がっていて杖を突いているようなお婆さんであった。そんな風で体は弱っているものの、気は強くアミは頭が上がらない。


「事業ね、そうかいそうかい。で、お金は? 今日が年貢の納め時だよ」


 そのミナコがアミを呼び出し、遂に家賃を要求した。


 バラック小屋の床にはビニールシートや色褪せた新聞紙が敷かれている。そして壁は一部剥がれていて所々板やトタンで補強してあるが、外からは丸見えだった。アミは自分が大家のミナコに絞られている様子を何人かの知人に見られ、そして笑われた。


 アミの困った心境を体現するように、部屋の天井から吊り下げられた古い電球がゆらゆら点滅していた。奥にある小さなカセットコンロに仕掛けたやかんの中の湯が音を立てて沸いていた。


「お金は……。その……あはははは……ははは……はぁ」


 アミは返答に窮する。


「全くもう! あんたぁ、いつも言っているけどねぇ! 金にならないことをするんじゃないよぉ……」


 またミナコの長い説教が始まろうとしていた。そして最悪の場合、今度こそ家を追い出されるかもとアミは恐れ戦く。


 だが、今日は助っ人が一人いた。


「ミナコ様、今はアミ様の仕事を色んな方に認知してもらう種まきの時期なのです。もう少しすれば事業が軌道に乗り、家賃も安定して払えるようになるとイオは断言します」

「……なんだいこりゃ?」


 ミナコは訝しむようにアミの抱える頭部だけのロボット、イオを見つめる。


「この子はイオっていう名前で、とても賢くて思いやりのあるロボットです。色んな事を知っているし、色んな事が出来る凄い子です」


 アミは自分が背負っている看板を持ち出してミナコに見せた。看板には『フィルター一つ百五十円』と拙い字で書いてある。


「アミ、あんたいつの間に字なんて書けるようになったんだい?」

「いいえ。あたし馬鹿だから数字くらいしか字は書けないけど、イオが教えてくれたから……」


 アミはメモ帳程度の大きさの紙をミナコに見せた。そこには活字で『フィルター一つ百五十円』と書いてある。


 つまりはイオが書いた文字を、アミはそっくりそのまま模写したのだ。アミが字を書くことが出来ずに困っている時、イオはその口のような部分から紙をレロレロと出してアミを仰天させた。


「ふぅん……」


 ミナコは静かに思案する。


「そのロボット、イオだっけ? 一つ、年寄りの頼みを聞いてはくれんかね?」

「構いませんが……。どのような案件でしょう?」


 ミナコは隣の部屋から男の子を連れてきた。その子は鼻水を垂らして指を咥えながら不思議そうにアミを眺めている。


 アミはその子を知っていた。ミナコの溺愛している六番目の孫のコタロウだ。まだ四歳と聞いている。


「コタロウには将来苦労させたくないのよ。だから勉強して欲しくてね。コタロウに字とか簡単な算数を教えて欲しいの」

「必ず学習させることをイオは誓います。せっかくの機会なのでアミ様も含め、皆で勉強しましょう」

「え? あたしも?」


 巻き添えを食らい、アミは狼狽えた。


「字が書けた方がこれから先、得だとイオは考えます」

「いやぁ、あたしもう十四歳だしぃ……。今更かなぁって……」

「学びに遅いはありません」

「そのぉ……あたし、昔から勉強って奴が苦手で……。コタロウ君と並んで勉強するの、恥ずかしいよ……」

「学びに恥ずかしいはありません」


 イオは毅然とした声で訴える。


 アミはぐうの音も出ない。


 イオの言うことがアミには分かる。


 イオの言う勉強はスラムに来る前、実家でアミが押し付けられた有名幼稚園へ行くためだけのお飾りなお勉強ではない。イオの言う勉強は自分自身を成長させて生きる力とする活きたものだ。人と比べるものでもないし、遅いとか恥ずかしいはない。だからそれは発達障害で勉強が苦手であっても良いのだ。


「頑張ります……」


 しょんぼりした声でアミは返答した。


「イオは教材を配ります」


 イオは口からまたメモ帳程度の小さな紙をどんどん印刷していく。


「場所はここが一番広いからこの部屋を使いな。アミには机を出して貰おうかね」

「え? 今日からやるんですか?」

「善は急げ!」

「はい……」


 ミナコはアミをこき使いつつ、イオを含めた全員にお茶を振る舞う。


 今日この場所からアミは家の直ぐ外で自分の露店を開くと同時に、一階のミナコの家で塾を開くこととした。


 これからアミ達は仕事と勉強を両立することとなる。


 塾を開校した時、イオを先生として生徒はアミとコタロウ、そしてアミの手伝いをしてくれたハルとユウナの四人だけであった。だが一週間も経たないうちに噂を聞きつけたり露店の前で勉強している様子を覗き見たりした人から「うちの子も面倒を見て欲しい」と入校をお願いされた。


 日を追うごとに噂が広まってどんどん人が増え、最終的にアミを含めて合計七人となった。全員でミナコの部屋で机を並べてすし詰めになり、勉学に励むこととなった。

 


 ******************************

 


「かわ」

「といれ」

「ゆうやけ」

「あさごはん」

「いしやきいも」

「どれも正解ですアミ様。イオは感動しております」

「いやぁ先生のおかげですなぁ」


 アミは満面の笑みでイオを見つめる。


 塾での数日間の猛勉強が功を奏し、アミは平仮名の読み書きが半分くらい出来るようになった。自分の名前を漢字で『亜美』とも書けるようにもなった。勉強は嫌いであるが出来ることが増えるのが嬉しかった。


 今、アミとイオはいつもの早朝のゴミ漁りを終え、広場で炊き出しが始まるまでの暇つぶしに近くの川岸まで来ていた。そこでアミはイオを抱き抱えながら砂に文字を書いて遊んでいる。


 スラム街を流れる川は都市の繁栄の影を映していた。かつては澄んでいて生命溢れる川であったことが嘘のようで、今では工場や家庭からの排水でその水は汚染されている。それだけではなく、水面にはプラスチックの瓶や壊れた玩具、時には衣類の切れ端が浮かび、川の流れとともにゆっくりと動いている。川岸には錆びた金属の片や建築廃材が積み重なり、かつての自然の美しさを隠してしまっている。


「…………ここには沢山水があるのにねぇ」

「川を見るとイオは虚しいです」


 アミは大きく溜め息を吐く。


 皆、飲み水に苦労すると同時に、水を蔑ろにしている。


「ねぇイオ。この川の水、どうにかならない?」


 アミはイオに尋ねる。


 アミがイオや仲間と共に行っているろ過装置の売り上げと雨どい設置事業は好調だ。それがスラム街の住人達の水の獲得の一助となっているとアミは思う。ただそれだけでは足りないのだ。


「イオは、……難しいと思います」

「難しいってことは、一応は何か手立てがあるの?」

「ここまで汚染されていると浄化には沢山のエネルギーが必要になります」

「そう……。もう少し川の上流に行けばここよりはお水、綺麗かも。生活排水が流れ込んで、ここら辺が一番汚いと思うから」

「もしかしたら、もっと水の汚染レベルが低い上流ならば、『緩速ろ過法』による水の浄化が可能かもしれません」


 アミは炊き出しに向かう足を止め、川の上流に向かって歩み出した。何か自分に出来ることがあるかもしれないと思うと体がうずうずしてしょうがない。こうなったら悠長に朝ご飯など食べている場合ではない。


「緩速ろ過法?」


 イオの話によると、緩速ろ過とは水の浄化方法の一つで細かな砂の層に水をゆっくり通して浄化する方法だということだ。


「それって今あたし達が作っているろ過装置と同じじゃない?」

「いえ、緩速ろ過法は別名を生物浄化法と呼ばれ、砂で物理的にろ過するだけでなく砂の中にいる微生物も活用します」


 緩速ろ過法は微生物の分解作用も駆使して水を浄化するとのことで、これにより小さな浮遊物や悪い細菌まで除去することが可能となり、安全で綺麗な飲み水を作れるそうだ。しかもこの方法は複雑な機械や高価な薬品も不要であるとのことだった。


 メンテナンスのためにやらなければならないことと言えば、微生物を守るために常に通水し、目詰まりを防ぐために表面の砂を一定期間ごとに削り取るぐらいらしい。


「緩速ろ過法は自然の中で行われている水の浄化方法と同じです。それゆえに難しい技術を必要としません」

「凄く良いように聞こえるけど……。何かデメリットはあるの?」

「二つあります」


 イオは緩速ろ過法のデメリットを説明する。


 一つ目は浄化する水の水質が悪すぎると微生物の働きが鈍り、生物ろ過の機能が悪くなるとのことだった。だからイオは上流の水質を確認しましょうと言った。


 二つ目は緩速の名の通り水の浄化速度はゆっくりであるため、沢山の水を浄化するのは難しいとのことだった。だから生活する上で水には色んな用途があるけれども、浄化された水は一番重要な飲み水に限定して使うべきだと言った。


 アミはイオから緩速ろ過法の説明を受けつつ上流に向かって歩き続け、林に入ったところで足を止める。


 その林は背の高い樹木が密集し、陽の光が木漏れ日となって地面に散らばっているような場所であった。木々の間には鳥のさえずりが響き、風が葉を揺らす音が心地良かった。また、中には小川が流れており、その水を浄化するための設備を設置するのに適していそうな場所だった。


「少し開けた所に着いたけど、ここはどうかな? 緩、速……ろ過だっけ、それにはもっと広い場所が必要? 水質はどう? ここなら工場の排水はあるけど生活排水はないしさっきよりはマシだと思う」


 アミはイオを抱いたままイオに周辺を見せる。


 イオは「ムムム」と呟き、珍しく悩んでいる様子だった。


「ムムム……面積が広い方が浄化する水の量も増えますが、巨大な浄水装置を作る訳ではないですし、スペースは問題ありません。ただ、……イオはやはり水質が心配です。……生物ろ過をする前に、……えっと……汚れを物理的に粗ろ過する槽を多めに用意すると良いと思います。それと、……その、高さを調節し、全体を保護する、……小屋を建てた方が良いと思います……」


 アミはイオにして歯切れが悪いと思った。


「どうしたの? イオ?」

「作業が多くなりますが、大丈夫ですか? イオは頭部だけなので、上から指示することしか出来ません。悔しいです」


 イオはイオなりに責任を感じているらしい。口だけ挟んで手を動かせないということに罪悪感のようなものを感じているらしい。


 アミは思わず頬が緩んだ。イオを愛おしく思う。


「イオは精一杯のことをしてくれているよ。ありがとう」


 アミはイオの頭部を優しく撫でた。


 アミは「イオがいなければ水の浄化方法なんてずっと知らないままだったよ。イオにはいつも助けて貰っているよ」とイオに話した。


「よし、頑張るぞ!」

「イオも応援します!」


 アミとイオは気合を入れた。

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