第一章 少女とロボット その二
今日のスラムの商店街には初雪が静かに舞い降りてきていた。冬の訪れを告げるその雪は色あせた看板やボロボロのシャッターに穏やかに触れ、露店の屋根には白い帽子が載せられている。
人々は寒さに身を縮めながらも、本格的な寒波の到来に心の準備を始めていた。商店街の各店は入り口にドラム缶の焚き火台を置き、集まる人々に暖を提供している。
「はぁ……」
そんな喧噪の中でアミも家の前の路上で露店を開き、そして心ここに有らずといった感じでぼーっとしていた。
いつものアミならばゴミ山で見つけた商品を並べ、商店街の通行人に元気な声で商品の宣伝しているところだ。だが今日のアミはイオを脇に置いて店の真ん中に座り込みながら大きな溜め息を吐き、ぼんやり物思いにふけっている。
「アミ様、元気ないですか? 悩み事ですか? イオは心配です」
アミの隣にはアミのことを気に掛けるイオがいた。イオは昨日に比べてずっと綺麗な音声が出せるようになっていた。そのことについてイオはアミに音声の最適化が完了したからだと話した。
「ん? んー……。何でもない。元気だよ?」
嘘であった。
アミは悩んでいた。それもこれもイオが悪い。なぜイオは機械のはずなのにこんなにも人間らしく、こんなにも優しいのだと内心アミは思っていた。
実は少し前に事件があった。
時を六時間ほど遡る。
アミを含めたスラム街の住民は飲み水を商店街で調達することが多いが、財布に余裕がなくなるとスラム街の中心にある共同の水道まで汲みに行って調達する。
これがまた厄介でバイクなどの足がない場合、片道一時間かかる道を歩き、長い列に更に数時間待ち、また片道一時間かかる道を頭に重たいタンクを乗せたまま歩いて帰らなければならない。
極めて重労働である。
そんな不便な生活をしているスラム街の人々の中には悪知恵の働く者も出てくる。そう、水を調達したその帰りを狙う泥棒や喝上げだ。
アミはイオというどんな値段が付くか分からない代物の御披露目ということで気合を入れていた。だから早く帰って早く店を開きたかったのだ。アミは近道をして治安の悪い路地裏を通り、そこでたむろするチンピラ四人に呼び止められた。
「おうアミか、久し振りじゃねぇか。そう言えば今月のゴミ山の使用料を貰ってねぇな」
そうチンピラ達はアミに話した。
「あの、ゴミ山の使用料はもう払ったはずじゃ……」
アミは焦り、見逃して貰えるはずがないのに時間稼ぎのための無駄な対話をする。
「馬鹿。毎月払うんだよ」
「でも、でも、お金ないし……」
「水を置いて行け」
「水がないと困る……」
アミは自分の迂闊さに嫌気が差す。アミは頭の上に置いていたタンクを大事そうに抱え、小さく震えた。誰でも良いから助けて欲しかった。
「聞き分けがないな」
チンピラの一人が持っていた金属バットで地面を強く叩いた。カンと乾いた音が鳴る。
アミは恐怖で縮こまってしまう。
その瞬間である。警報のような、サイレンの音のような目覚まし時計のようなリーンリーン、ジリリリリリリリという耳をつんざくような大きな音がした。
「うるせえな! 何の音だ!」
激しい音にチンピラ達は耳を塞ぎながら叫んだ。
「え? え? え?」
アミは最初、それが何の音か分からなかった。自分の後方から聞こえるその音に驚き、振り返るが背後には何もない。その爆音が自分の背中から発せられたものだと、全く気付かなかったのだ。
「音止めろ!」
「あ! あ、あたしにも分からない!」
そこら中の建物の窓から、通りの向こうから、何だ何だと人が集まって来る。色んな所からアミとチンピラ達は視線を浴びる。
「チッ……行くぞ!」
目立つことを嫌がったのか、チンピラ達はアミに舌打ちしてその場を後にした。
呆然と一人で立ち尽くすアミは背中でもぞもぞ動く感触でリュックサックに入れたイオのことを思い出した。水を貰う道中でお喋りできたら少しでも楽しいかもしれないと思って連れてきたのだ。
アミがリュックサックを降ろすとリュックサックが発光していた。
「イオ?」
「アミ様、お怪我はありませんか? 迷惑ではなかったですか? イオは不安です」
アミがリュックサックを開けると、目を光らせたイオがそう語りかけてきたのだった。
それが今朝のことである。
アミはぼうっと商店街の自分の店で番をしながら木造の建物とテントで狭められた雪が降る空を見上げ、寒さに身を震えさせた。そうして何気なしにかじかんだ手でイオの頭部を抱き抱える。イオは微かに温かかった。
「昨日の夜はイオとのお喋り楽しかったな……」
アミはイオの頭を撫で回しながらそんなことを呟く。するとイオは「いつでもお話しします」と返答した。アミにとって、一人ではない夜は久し振りだった。
「はぁ…………」
アミは再び、長い溜め息を吐いた。溜め息は白い小さな雲となり宙に消えていく。
「アミちゃん。それは何だい?」
ぼんやりしていたアミが、はっと我に返る。
沢山の人々が往来するこのスラムの商店街で、アミの商品に興味を持つありがたい客が来たようであった。よくよく顔を見れば顔馴染み、いつもにアミの商品を良い値段で購入してくれるお得意様がイオを指差していた。
家賃も払えないし、水を買うお金すら困っているアミにとってはイオを売り込む絶好の機会である。
アミは慌てて客に応対する。
「凄く優秀なエーアイを積んだロボットなんだ! 頭だけだけど、とっても賢くて色々お話し出来るの! イオっていう名前なの!」
「へぇ……。俺は機械のことはさっぱりだが、そいつは凄いな」
紹介されたイオも「こんにちは。イオです」と挨拶をした。
「ふーん、値札がないな。その優秀なロボットをアミはいくらで売っているのだ?」
「えっと……」
アミは言葉を詰まらせる。束の間にアミの頭の中を目まぐるしく思考が駆け巡った。
「えっと……その、この子は商品じゃないの。一緒に店番してもらっているんだ……」
アミはそうゆっくり、慎重に、言葉を紡ぐ。
「そうなのか、イオも店番頑張れよ」
スラム街の上客はイオの頭をぽんぽんと撫でると去ってしまった。
「アミ様、嬉しそう」
「ふふふ……まぁね」
頭の中で思考が駆け巡った結果、アミの出した答えは到底正解と言えるものではなかった。だがイオと一緒に居られると考えるとアミは不思議と笑みがこぼれた。少し心が軽くなっていた。