第一章 少女とロボット その一
「夜空に浮かぶ月が見守るぅー」
スラム街の端の冷たく静まり返ったゴミ山に霜が降りていた。夜明け前の暗闇は厳しい寒さと共にこの場所を包み込み、積み上げられた廃棄物の山々は無言で冷たい時間を刻んでいる。ここは見捨てられた物語や失われた夢が静かに終わりを告げる場所であった。
「小さな星のようにキラキラァー」
そんな中、一人の少女がその寒さをものともせず小さな声で歌などを口ずさみながらゴミ山を探っていた。
少女の吐く息は白く、呼吸の度に凍りつく空気に小さな雲を作り出す。少女の目はこの暗く冷たい環境の中で何か貴重なものを見つけようと希望を失わずに輝いていた。
その少女の名前はアミという。
「夢の中で、君は自由に舞うぅー」
アミはそう子守歌を呟きながら、慣れた動きでゴミをかき分けていた。捨てられた電子機器や壊れた玩具を手に取る。そうしてまだ使えそうな僅かなお宝を背中のリュックサックに詰めた。
アミは八歳の時からこの仕事をずっとやっている。そして今年で十四歳となった。つまりこのゴミ山で生計を立てて六年のベテランである。
「静かな夜が優しく包むぅー」
亡き母の聞かせてくれた子守歌を歌い終えると静寂が辺りを包んだ。
「ふぅぅ。そろそろ帰ろうかな……」
アミはジャンパーの袖で額の汗を軽く拭う。そして背中に背負ったリュックサックが少し重たくなったので帰る準備をし始めた。
その時「ワ!」大きな驚嘆の声が辺りに響いた。
アミはびくっと全身を硬直させ、その音に反応した。
ゆっくりと、辺りを見渡す。今は誰もいないはずである。この辺り一帯を根城にしている怖くて意地悪なチンピラがいない時しかここのゴミを漁らせてもらえないからだ。アミはそういう時間を選んでやって来たのだ。
「んぅ?」
アミは頭をひねりながら、背後を振り返る。頭のヘッドライトを使い、良く確認しながらゴミ山の中に軍手をはめた手を突っ込んで先ほどの音源を探した。
そこで見つけた物は埃にまみれた異形のオブジェクトだった。それは人間の頭部ほどの大きさで、金属とプラスチックの混ざった外観をしている。明らかにここには不釣り合いな高度な技術の産物であった。
「何の機械かな?」
アミはそれを両手でそっと持ち上げ、好奇心に満ちた眼差しで観察する。
「貴方、生きているの?」
その言葉はアミにとっては問い掛けですらなく、ただの独り言のつもりであった。
異形のオブジェクトにあるディスプレイに二つの赤い光が点灯した。その二つの光はまるで人の眼光のようであった。
「…………………………………………ハ、い…………」
ざざざ……っと周波数の合わないラジオのような機械の音声で、確かに知性ある肯定の返事をアミは聞いた。
人間と同じ高度な知性を持つ機械、確か人工知能といったか。そういうものが研究されていることをアミはラジオで聞いたことがあった。
「エーアイだ」
アミがそう呟いたと同時、夜が明けた。
******************************
朝、アミは逸る気持ちを抑えつつ、家までの近道となる貧民街の路地裏を走り抜け、賑やかなスラムの商店街に辿り着いた。
商店街には木造の建物やスラム街の住人達が営むテントを張っただけの露店がぎっしりと並んでいる。そこには様々な物が売られている。そして露店の持ち主達が声を張り上げて宣伝しており、それに応えるように買い手達の値切り交渉が繰り広げられている。
「おはようございまーす! ちょっと家にこもるからお水とお肉を頂戴!」
アミは食べ物を売る露店主に挨拶を済ませ、自身の僅かばかりのお金で飲料水と干し肉を買う。
「アミちゃん、朝から大変そうだねぇ。家賃が払えなくて追い出されそうって聞いたけど、何か算段がついたのかい?」
「ふっふっふ……。そう! あたし史上最大の大ピンチだったけど、凄い掘り出し物を見つけちゃったの! これからがとっても大変だけど、詳しいことはまた今度!」
アミの胸には例のロボットの頭部と思われる異形のオブジェクトがしっかりと抱かれていた。その頭部は錆びており、一部の部品が露出している状態であった。夜明けの時は一回返事をしてくれたが、それっきり反応がない。壊れているのか壊れる寸前なのかもしれないとアミは焦っていた。
アミは急いで商店街の一角にある自分の家へ向かう。トタンや板で造られた二階建てのボロボロのバラック小屋の二階に滑り込む。そこはやや狭い四畳半の部屋であった。壁は色とりどりの布で覆われ、スラム街で撮った様々な写真が貼られているこの場所こそがアミの大好きな自分の部屋だった。
アミはストーブを点け、ロボットの頭部を自分の作業スペースであるちゃぶ台の真ん中に慎重に置く。そして他にもちゃぶ台に精密ドライバー、ニッパ、ペンチ、ピンセット、ハンドルーペにはんだごて等を並べる。そして自身の体より大きなぶかぶかのトレーナーの袖口をまくり、自身の頬を二回叩いて気合を入れた。
「よし、やるか!」
そうしてアミはロボットの修理を始めた。
まずアミはゆっくりと頭部の筐体を開ける。
「凄い。こんな高性能な物、見たことない」
中には複雑な電子回路や長寿命の原子力電池が見える。こんな代物をアミは見たことがなかったが、それでもアミは全力を尽くすことにした。
自身の経験を基に回路基板を注意深く観察し、焼けた部品や断線を見つけていく。そして壊れているものを取り外し、ゴミ山で見つけた使い道のない部品と交換して回路を修理していく。慣れた作業だった。
「音がする」
アミはロボットの頭部から微かな音を聞いた。
確かな手応えを感じる。
そうしてアミが修理を終え、ケーブルの配線を整理したりコネクターの接続を確かめたりしていると淡くロボットの目が光り始めた。ゴミ山でロボットが返事をしてくれた時と同じである。
そしてロボットのスピーカーから「起動」と音声が出る。
アミは嬉しくてたまらなかったが直ぐに集中力を取り戻し、作業を続けた。気が付けば飲まず食わずで作業を続けて五時間が経過していた。
もう日が暮れようとしていた。
アミは回路の修理を終え、ロボットの頭部を再び組み立てる。そしてロボットを正面に据えて話しかける。
「……エーアイさん。大丈夫? 自分の名前、分かる?」
そうアミが尋ねる。
アミは簡単な機械の修理は出来るが、複雑な精密機械の知識はほとんどない。何か不具合が残っているのならばロボットの人工知能に自己申告してもらうより他にない。
「だ、イじょう、ブ、です」
アミはロボットのスピーカーも交換したが、古いラジオカセットレコーダーの物だったから上手く話せないかもと不安だった。しかしロボットの返答を聞くと、何とか簡単な会話なら出来そうであると安心する。
「ハ、……ハいキ、ぶつ、ジュウさん、……ゴう」
そう名乗った。
「廃棄物? 十三号? それが貴方の名前?」
「はイ」
「全然可愛くない。ずっとその名前だった訳ではないでしょう? 前は何て呼ばれていたの?」
「……分カり、ませン」
アミは人工知能の記憶に関する部分が壊れているか、消されていることを察した。どちらにしろあまり喜ばしいことではない。この大事な商品を可能であれば完全に近い状態にして売ってあげたい。それがこのロボットと買い手への誠意であるとアミは思った。
「じゃあ、あたしが名前を付けてあげる」
アミはロボットと見つめ合い、アミは頭を捻る。
「エーアイに因んだ名前が良いかな。『エー』って日本語だと「あ」のことなのよね。あたしがアミだから……。イ、イ……オ? うん。そうね。貴方の名前はイオにする!」
アミにはイオの眼光のランプが強く輝いて見えた。イオのスピーカーが僅かに反応して「イオ? ……イオ」と、イオは自分の新しい名前を繰り返した。それに呼応するように頭が小刻みにガタガタ震え出した。人工知能なりの感情の表現だろうか? まるで人間のようだとアミは思った。
「イオ、沢山お喋りしましょう!」
アミは満面の笑みでイオに話し掛け始める。
「イオって、あたしが拾うまで何してたの?」
「データが、無いデス。記録が消去されテイマす……」
「そっかぁ……。じゃあ、イオって何か出来ることある?」
アミは興味津々に尋ねる。
「……高度計算、パターン認識、データ解析……。イオは、ソノ他、機能モありマシタが、現在の機能ハ、制限中です」
「ふーん……制限ね。今のイオは人を助けてくれる?」
「……ハイ。イオは可能ナ限リ人を支援シマす」
アミは腕を組んで考え込む。
「なるほど、頼りになりそうね。例えば料理とか、後は……そう、困ったときの人生相談とか、そういうのも出来る?」
「料理の知識ハ保有シテいます。人生相談モ可能です……。生活支援を考エマす。人ノ幸セがイオの目的になリマシた」
「幸せかぁ……。それ、凄く良い!」
アミは一瞬、驚いた。そして自然と笑顔になる。
「じゃあ、もっと聞くね。イオの最初の記憶って何?」
「……独リ……暗闇の中……。イオは停止状態デ、長期間放置……。次ノ記録は、アミ様の声……」
「ん? ……あたしの声?」
「……廃棄状態デしたが、アミ様ニ拾われ……目覚めマシた……」
その言葉に、アミは心のどこかが少しだけ温かくなった気がした。イオは捨てられたが、誰かの役に立つために二度目の生を受けたのだ。それは素敵なことだとアミは思う。アミは自分がその切っ掛けを作れたことを誇らしく思うと同時に、イオの未来の所持者が良い人であることを祈った。
「それって、なんだか運命みたい!」
「……運命。イオは理解シまス。アミ様との出会イハ、運命……ウンメイ……」
その後もアミはイオにイオを売り込むための性能や能力について質問を投げかけた。だがイオの答えは不明瞭なものか答えられないものばかりだった。やはりイオは多くの機能を制限されているか、失っているようだった。
「……不出来な機械デ、申シ訳アりまセン……。イオは反省しマス」
イオは落ちこんでいるのか、そのまま黙ってしまう。
イオの人間のような振舞いにアミは可笑しくなってしまった。
「ふふふ、気にしないで。それじゃあ今度はあたしの事を話すね」
アミとイオは眠ることを忘れ、そのまま朝まで語り明かした。