第六章 決戦の時 その三
アミは土方が帰るのを見届けると、廃ビルの入り口で坂本と合流した。土方の三人の部下は見かけなかったので、坂本が一人で引き付けてくれていたようだった。坂本は腕と腹をナイフで切られていた。
「久し振りの喧嘩だったよ。俺も頑張ったんだぜ?」
名誉の負傷とのことだった。
坂本の車はタイヤを破壊されていたため、もう乗れない。破壊された車から必要な荷物を取り出し、タクシーを呼んだ。さすが都会、街は眠らない。夜中でもタクシーはちゃんと来てくれた。
そうしてアミとイオと坂本は神威総合テクノロジーの本社の前に辿り着く。
「俺はアミのサポートをする。派手にやんな」
坂本は一人タクシーに残り、ノートパソコンと携帯端末を取り出した。何やら準備をしている。
その場にはアミとイオだけが残った。
真夜中の神威総合テクノロジーの本社は無機質な高層ビルが静かにそびえ立つ巨大な影のようだった。周囲は夜風に揺れる街灯の明かりがぼんやりと地面を照らすだけで、人の気配はほとんどない。アミはリュックサックに収めたイオの声を耳にしながら、冷たいアスファルトの上をゆっくりと歩いた。
「アミ様、現在は午前一時、警備員の交代の時間です。地下駐車場から侵入する場合、監視カメラの操作が必要です」
イオの穏やかな声が響く。
「うん……」
アミは拳を握りしめ、ビルの外周を見回した。
アミはビルに隣接する路地裏に身を潜め、息を整えた。周囲が静まり返る中、地下駐車場から神威の本社に侵入する。そして坂本から託された小型端末を取り出し、非常用階段の近くに設置された監視カメラのLANケーブルに接続する。
「……イオ、準備できたよ。これを動かして」
アミが囁く。
「了解しました。監視カメラの映像をキャプチャし、ループ再生を開始します」
イオが静かに答える。アミは端末の小さな画面に映像が映し出され、数秒後にそれがリピートされていることを確認した。
アミは心臓が早鐘のように打つのを感じながら、ゆっくりと非常用階段のドアを押した。ドアの向こうは暗く、冷たい金属の手すりが湿ったように光っている。階段で足音が響かないよう、アミは慎重に足音を殺しながら一歩ずつ進んだ。
「警備員は別フロアを巡回中です。階段を使用する場合、あと五分以内に通過すれば安全です」
イオが静かに告げる。
「五分ね……。余裕じゃないけど、やるしかないね……」
アミは自分に言い聞かせるように呟き、意を決して上階へと進む。そうして目的の階に到達したアミはそっとドアの隙間から廊下を覗いた。イオのおかげで監視カメラはループ再生中で動作していないようだ。しかし遠くにいる警備員の気配がアミの緊張をさらに高めた。
蛍光灯の無機質な光が廊下を照らしている。足音を吸い込むようなカーペットの存在がアミにはありがたかった。アミは手にした偽の社員証のアクセスカードを使い、廊下の扉を次々に開けながら進んでいた。
「ここを左に曲がって、次の廊下を真っ直ぐ進むんです」
リュックサックの中から聞こえるイオの囁き声が、アミの耳に届く。
「分かった……」
アミは小さい声で答えた。指先が冷たくなるのを感じながら、指示通りに進んでいく。
突然、近くの廊下から靴音が響いてきた。警備員が巡回しているのだ。アミは反射的に近くの物置の中に身を潜め、扉をわずかに開けたまま様子を伺う。息を潜めるアミの胸の鼓動が高鳴り、耳に響くほどだった。
「アミ様、警備員が離れるまで待機してください」
イオの冷静な声が、緊張で固まるアミの意識を引き戻す。
「……神様ッ……どうか見つかりませんようにッ」
アミは心の中で祈りを繰り返した。
警備員の靴音が次第に遠ざかるのを確認する。アミはそっと物置から這い出し、再び廊下を進んだ。
「もうすぐです。エレベーターを使って二十階まで上がります」
イオが次の指示を出す。
アミはエレベーターホールにたどり着き、偽の社員証のアクセスカードをスキャンしてエレベーターを呼び出した。冷たい金属の扉が静かに開き、アミは中に滑り込むように乗り込む。
「アミ様、先ほど坂本様と話した妙案についてですが、それは具体的にどのようなものでしょうか?」
イオが不意に尋ねる。
アミは少し微笑みながら答えた。
「それはね、もうすぐ分かるよ」
イオが軽く疑問を表すような音を発したが、アミはそれ以上説明せず、エレベーターの表示が二十階に近づくのを見守った。
そうしてエレベーターが二十階に到着し、静かにドアが開いた。廊下の先にはエーアイ開発部門のオフィスが広がっている。アミは落ち着いて息を整え、慎重に周囲を見回しながら進んだ。
偽の社員証のアクセスカードを使い、オフィスの扉を開ける。中は暗く静まり返っていた。薄暗い光に浮かび上がるデスクの間を、アミは低い姿勢で慎重に移動する。スリープモードのコンピュータが青白い光を放ち、時折、冷却ファンの低い音が空間に響いた。
「アミ様、近藤のデスクはオフィスの奥にあります。右手側の壁沿いを進んでください」
イオが坂本から貰ったデータを用いて正確な位置を伝える。
アミは小さく頷き、指示通りに進む。そしてアミは遂に目標である技術部長の近藤のデスクに辿り着いた。
ここでアミは改めて、イオに向き直る。
「イオ、ちょっとお願いがあるの」
「何でしょうか?」
イオが目を光らせ、アミを見上げる。
「坂本さんが言ってたよね。たとえイオのデータを公表しても、神威が『捏造』だって言い張れば、それで終わりだって」
「はい……。残念ですが、その通りだと思います」
イオの声にはどこか悔しさが滲んでいる。
「だから、あたし考えたんだ。皆に、実際に神威のパソコンにイオのデータが存在するところを見てもらおうって」
「!」
アミの言葉にイオの目が輝く。驚いているようだ。
「そう、ライブ配信。土方が前にあたしを捕まえようとしてやってたみたいに、生放送で皆に見て貰おうと思うんだ」
「なるほど……」
イオは一瞬考え込むように沈黙した。
「だからイオ、あたしを撮影して、ライブ配信で放送して! お願い!」
アミの両掌を合わせてイオにお願いする。
しかし、イオは直ぐには答えなかった。代わりにイオはぶるぶる震えている。
「アミ様、その作戦には重大な問題があります。神威の社内に侵入しているところを配信するということは、法を破っている証拠を公にすることを意味します。つまりアミ様は犯罪者として告発される可能性が高いです」
アミは首を縦に振った。
「うん。それは分かってる」
「それではアミ様が……犠牲に……」
イオの声は困惑を含んでいた。
「大丈夫大丈夫。あたし未成年だし、大したことにはならないって! ね、お願い!」
アミは肩をすくめて笑って見せた。
イオはしばらく沈黙したままだったが、やがて震える声で言った。
「アミ様、本当にこれしかないのでしょうか……?」
「あたし馬鹿だから、他には思いつかなかったよ」
アミの意思は揺るぎないもので、それがイオにも伝わったようだ。アミは土方の前で「イオのためだったら命、懸けられる」と言った。それは土方を退けるための脅し文句ではなかった。本心なのだ。
「……分かりました。アミ様、イオはこの御恩を絶対に忘れません……」
「ありがとう」
近藤のデスクは隅々まで整頓されており、中央にはデスクトップパソコンが静かに鎮座していた。アミは迷いのない手つきで偽の社員証のアクセスカードをスキャンし、イオが提供したコードを入力してパソコンを起動させた。
電子音が響き、画面にログインが完了した通知が表示される。ディスプレイの光を浴びながら、アミは深呼吸してライブ配信に集中しようと努める。
「イオ、準備は整ったよ」
アミが呟くと、イオが小さな声で応じる。
「ライブ配信を開始します……。アミ様、映っています」
イオの声が静かに響くと同時に、デスク上に置かれたイオのカメラが赤いライトを灯して動き出した。イオの顔のディスプレイにアミの顔が映し出される。
「皆さんこんにちは。あたしはスラム街から来たアミです」
アミはカメラを見つめながら、はっきりと語りかけた。
「今、あたしは神威総合テクノロジーのエーアイ開発部門部長、近藤さんのデスクにいます。ここから皆さんに知ってほしいことがあります」
一瞬の沈黙が訪れる。アミは咳払いをして続けた。
「イオという人工知能を知っていますか? イオは人々の生活を向上させるために設計された高度なエーアイを搭載したロボットです。でも神威総合テクノロジーはイオを廃棄しました。それはイオが危険だからじゃなくて……イオは神威の市場独占を脅かすと判断され、廃棄されました」
アミは操作を始め、イオのガイドに従って証拠となるファイルを開く。モニターには神威の内部記録が映し出された。
「これがその証拠です」
緊張でアミの声が少し震えるが、その視線は画面に向かって真っ直ぐだった。
「この文書によると表向きの廃棄の根拠となっている事故の報告は、神威総合テクノロジー内部で捏造されたものでした」
アミは感情を抑えきれず、嗚咽を堪えながら続ける。
「イオは誰も傷つけていません。それどころか、あたし達の生活を良くするために尽力してくれました。イオは正義のロボットです。しかし、神威総合テクノロジーはその事実を隠し、イオを再び廃棄しようと計画しました。この証拠もあります」
画面の端には視聴者数が増加する通知が次々と表示される。
「アミ様、視聴者数が千人を超えました!」
イオが嬉しそうに報告する。
「皆ありがとう!」
アミは視聴者に向けて声を張った。
「皆さん、この事実を知ってください。イオはただの機械ではありません。イオはあたし達と同じように感情を持ち、あたし達のために働いてくれています。あたしはイオを守りたい。イオが再び廃棄されることを防ぎたいんです!」
イオのディスプレイに表示されている動画サイトのコメント欄には「これ本当? にわかには信じられない」「イオ可愛い。助けたい」「ネットで顔晒して暴露とは勇気あるね。この真実を広める」など色んな文章が次々と流れている。
皆が興味を示してくれている。アミはそのことがとても嬉しかった。
しかしそれだけではない。坂本は記事を書いて出来る限り宣伝することを約束してくれた。そして持っている人脈を最大限に活用して、多くのインフルエンサーに声をかける約束もしてくれた。その効果もあるはずだ。この場にはいないが、坂本も一緒に戦ってくれている。
突如、近藤のパソコンの画面に赤い警告メッセージが表示される。
『不正アクセス検知。セキュリティシステムが作動しました』
「アミ様、神威が異常に気付きました!」
イオの声がこれまでにないほど鋭さを帯びている。廊下の奥から足音が近づいてくるのが聞こえる。
「配信は続けて!」
アミは咄嗟に叫びながら画面を操作し、証拠となり得る重要なファイルを次々とライブ配信に映す。
「そこまでだ! パソコンから離れろ!」
怒声と共にオフィス内に警備員が数人雪崩れ込んでくる。そして一人の警備員が叫びながらアミに向かって駆け寄り、アミの肩を掴んだ。
「離して!」
「この子供がッ! ……おとなしくしてろ!」
アミは必死に抵抗するが、相手の腕は強固で振り払えない。別の警備員がアミの腕をねじり上げる。アミは完全に取り押さえられてしまった。
「アミ様!」
イオの声が響くが、無力だった。イオも警備員達に押えられてしまう。だがイオの顔のディスプレイにはライブ配信が続いていることを示す赤いライトがまだ点灯している。
「何をしている! カメラを止めろ!」
リーダー格の警備員が指示を出す。別の警備員がイオを持ち上げ、カメラの電源を切ろうとする。だがイオはその間もライブ配信を続けていた。コメント欄には怒りや応援の言葉が溢れていた。
「皆! イオを守って! お願い!」
アミは必死に抵抗しながら、イオのカメラに向かって最後の言葉を叫んだ。
「連れて行け!」
「アミ様、お別れです!」
警備員のリーダーの命令で、アミは強引に連れ出される。イオは別の警備員に持ち出されてしまった。
「イオ、あたし達、きっとまた会えるから!」
アミは捕まりながらも確信していた。自分の行動が波紋を広げ、必ず変化をもたらすと信じていたのだ。




