第六章 決戦の時 その二
そして決戦の夜が来る。
都市は眠らない。高層ビルのネオンが瞬き、狭められた空には満月が冷たく輝いている。夜風に乗って街のざわめきが聞こえ、どこか不穏な気配が漂っていた。
アミとイオは、反神威のジャーナリスト坂本の車に乗り込む。坂本の車は黒いセダンで、車内には必要な機材が詰め込まれている。坂本は運転席に座り、アミは助手席に座る。そしてイオはアミに強く抱かれていた。
「ふぅ……」
「緊張しているのか?」
坂本がちらりとアミとイオを見て問うた。その三白眼には鋭さと、どこか親しみが混じっている。
「少しだけ。でも大丈夫、絶対成功させるから」
アミは深呼吸をしながら答えた。
「イオもアミ様を全力でサポートします」
イオが静かに応じた。その冷静な声に、アミは少しだけ肩の力を抜く。
車は静かに夜の街を走り抜けていく。華やかな繁華街を過ぎると、次第に街並みは寂れたものに変わり、やがて人気のないゴーストタウンのような区域に差し掛かった。朽ちた建物の影が闇に溶け込んでおり、不気味な静寂が辺りを包み込んでいる。
「こんな場所、通る必要があった?」
アミが少し不安げに尋ねた。
「近道だ。ここを抜ければ神威の本社までもう少しだ」
坂本は低い声で答えた。
だが、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、突然交差点に白いワゴン車が進行方向を塞ぐように現れた。坂本が急ブレーキを踏み込むと、車内の全員が前方に大きく揺さぶられる。
「何だ……?」
坂本がサイドミラーを覗き込んで確認していると、背後にもう一台の車が現れた。二台の車が坂本の車を挟む。
「土方……」
アミが息を呑み、呟いた。
二台のワゴン車のドアが開き、計四人の男達が次々に降りてくる。その内の一人は神威のエージェントの土方だ。しかし様子が以前とは違っていた。髪はボサボサで疲れたような表情を浮かべている。そしてその目には冷酷な光が宿っていた。
土方は静かにこちらへ向かって歩いてくる。車のライトに照らされたその姿は、闇に浮かび上がる悪魔のようで不気味だった。後ろには三人の部下と思われる男達が控え、土方の命令を待っている。
「……アミさん、これ以上の抵抗は無駄です。イオを神威に渡しなさい。貴女の身の安全は保証します」
そう話す土方の声は冷たい。
アミは震える手で拳銃を取り出し、土方を睨みつける。
「イオは渡さない!」
アミの声は震えていた。
土方はその言葉に失笑し、大きな欠伸を漏らす。
「愚かな選択です」
土方はそう言い捨てると、腰から大きな銃器のようなものを取り出した。躊躇うことなく坂本の車に向けて構える。
「ショットガンだ!」
坂本が叫び、同時に車のエンジンを再起動しようと試みる。しかし土方のショットガンが先に火を噴いた。轟音が響き、フロントガラスが粉々に砕け散った。飛び散った破片がアミの頬をかすめる。
「伏せろ、アミ!」
坂本は再度叫び、ハンドルを強く握る。
だが土方も冷酷に再度ショットガンを構え、発砲した。タイヤが破裂する音が響き、車は大きく揺れて停止してしまう。土方の三人の部下達が坂本の車に近づいてくる。
「ここで終わりか……」
坂本が低く呟く。
だがその時、アミは決意を固め、動いた。
「まだ終わりじゃない!」
アミは車のドアを勢いよく開け、イオをしっかり抱き抱えたまま外に飛び出した。坂本も車から跳び出してアミに付いて走った。
「逃がしませんヨ!」
直ぐに土方が部下達に命じ、三人がアミと坂本の後を追い始めた。更にショットガンの轟音が再び夜の空気を裂くが、アミと坂本は全力で走って何とか弾道から逃れた。
「アミ様! 坂本様! 次の角を左に曲がってください!」
アミと坂本は狭い路地へと滑り込む。そのままイオの指示の従いながらアミと坂本は必死に走る。
土方の部下達が容赦なく追ってくる。
「今なら楽に殺してあげますよッ!」
土方の冷酷な声が響いた。
アミは振り返らず、ただひたすら前を向いて走った。怖くて恐ろしくて身が縮み、竦むはずの場面であったが、アミの心は燃えていた。どんなに追い詰められても、イオを守る。その決意がアミを動かしていた。
「アミ、ここだ!」
坂本が廃墟となった建物の入口を指さす。息を切らしながらアミと坂本はその廃ビルに飛び込んだ。直ぐ外からは土方とその部下達の足音が迫り、追撃の気配が肌を刺すようだった。
廃ビルの内部は薄暗く、壁はひび割れ、瓦礫や廃材が散乱している。床には埃が積もり、金属の腐食臭が鼻をつく。窓はほとんどが割れていて、夜風が吹き込むたびに、廃墟全体が悲鳴のような音を立てる。
「坂本様に付いて急いで上がりましょう!」
イオが上擦った声で指示を出す。アミはイオをしっかりと抱え、坂本の背中を追って階段を駆け上がった。
階段は崩れかけていて、何段かは完全に抜け落ちている。アミは息を詰め、慎重に足を運びながらも全力で坂本の後を追った。時折、背後から土方達の声が聞こえるたびに心臓が跳ね上がる。
「早くしないと追いつかれる……」
アミは汗で湿った額を手で拭いながら、心の中で自分を叱咤する。
「絶対に負けないッ……」
「こっちだ!」
坂本が次の階へ繋がる扉を開ける音が響く。坂本とアミは廃ビルの各階を駆け抜け、追手を撒こうと方向を変えながら進む。影がちらつく薄暗い廊下を走り抜け、時には廃材の裏に身を潜めながら進む。
突然、背後から銃声が轟き、金属製の手すりに弾が当たる音がした。火花が散り、アミは反射的に身を縮めた。
「追いかけっこは楽しいですねぇ、アミ!」
度々、土方の声が廃ビルに響く。
「次の非常階段へ!」
坂本が小さなドアを開けると、二人はさらに上階へと続く非常階段を駆け上がる。廃墟の不安定な構造の中で、階段が軋む音が恐怖を煽る。
「アミはイオを連れて逃げろ。俺は囮になる」
坂本が振り返りながら言った。
「そんな! 殺されちゃうよ!」
アミは恐怖と心配で声を張り上げた。
「俺にはこれがある」
坂本はアミに黒い箱のような物を見せる。スイッチを押すと青白い火花がバチバチと噴き出した。
「スタンガンだ。それに俺は柔道黒帯、空手三段だぞ。心配するな」
坂本は微笑みを浮かべるが、その目には鋭い決意が宿っている。
「分かった……。でも、絶対に無茶はしないで!」
無茶するに決まっている。しかしアミは泣きそうになりながらこの場を坂本に任せた。そのままイオを抱えて再び階段を駆け上がる。
廃ビルは上層階に近づくほど荒れ果てていた。壁には大きな穴が開き、天井からは鉄筋がむき出しになっている。窓から吹き込む風が廃材を揺らし、不気味な音を立てる。
「頑張れ……あと少し……」
アミは自分を鼓舞するように呟きながら、最後の階段を必死に駆け上がった。
遂に屋上に辿り着いてしまった。もう逃げ場はない。アミがドアを開け放つと冷たい夜風がアミの頬を叩く。
屋上は瓦礫が散乱し、鉄骨が影を落とす荒涼とした空間だった。上空には満月が煌々と輝き、都会の灯りが遠くに霞んで見える。風が鳴り、空気が張り詰めていた。
「ようやく追い詰めましたよ」
アミが振り返ると、土方が廃ビルの扉の奥から現れた。土方の重い足音が屋上のコンクリートを響かせる度、アミの心臓の鼓動が速まっていく。土方の目には獲物を追い詰めた猛獣のような光が宿っていた。そしてその手には鈍い光を放つショットガンがしっかりと握られていた。
対するアミも覚悟を決めて拳銃を構え、それを土方に向けた。
二人がお互いに銃器を向け合って静止する。
「……ふぅ……」
「すぅ……はぁああ…………」
「貴女に撃てますか?」
土方が挑発するように低く言った。
その瞬間、アミは引き金を引いた。
銃声が夜の空気を裂き、土方の耳元をかすめた弾丸が後方の鉄骨に当たって鋭い音を立てる。土方は思わず一歩後ずさりし、表情にわずかな動揺が走る。
「……撃てるよ」
「何……?」
「イオのためだったら命、懸けられる」
土方は「馬鹿な」と言葉を吐き捨てた。
「……アミさん、貴女が神威総合テクノロジーに不信感を抱くことは理解出来ます。しかし改めて考えてみなさい。どういうやり方であれ、企業が利益を求めるのは当然のことなのです。それで何千何万、家族を含めれば何十万もの人が食べているのです。貴女はそれを邪魔しようとしている。それを理解していますか?」
「……それでもあたしは、明日をイオと共に歩みたい」
「…………アミ様」
アミはただ静かに土方を見つめる。イオが何か呟くがアミには聞こえなかった。そして土方はショットガンを構えながら無言で何やら思案していた。
「神威から出る安月給では……割に合いません……」
土方のその声にはどこか諦めの色が混じっていた。そして土方はショットガンを降ろした。携帯端末を取り出し、電話で誰かと話す。するとそのまま後ろを振り向いて帰ってしまった。
「今の威嚇射撃が五発目、つまり最後の弾丸でした。素晴らしい覚悟です」
イオが今の発砲について解説してくれる。
「ああぁ……怖かったぁ……」
アミはその場でへたり込む。そのままおしっこを漏らした。




