第五章 二人の冒険 その一
お祭りの日の深夜、月明かりが街並みをぼんやりと照らしていた。いつも賑やかな商店街は静寂に包まれている。
アミは神威総合テクノロジーの手から逃れるため、スラム街を出ることに決めた。その準備をする必要ために商店街にある自分の家に急いだ。
アミは家に入ると、アミは慌てて扉を閉め、鍵をかけた。息を荒げながら、手探りでランプに火を灯す。オレンジ色の光が部屋を照らし、薄暗かった空間にかすかな温もりをもたらした。
「時間がない……」
アミはそう呟く。アミはイオを神威に渡す予定であったため、明日の午前中に神威のエージェントである土方と会う約束していた。その時に逃亡がバレる。
アミはまず一つ目のリュックサックを引き寄せ、最低限必要なものを詰め込む。乾パンや缶詰といった保存が効く食糧、使い古した衣類、そしてイオのメンテナンスに欠かせない工具だ。手に取るたび、何かを忘れていないかという不安が胸をよぎる。
「アミ様、焦りは禁物です。一つずつ確認していきましょう」
そう机の上からイオの穏やかな声が響く。
アミはイオの言葉に頷く。
「うん……焦ってるね、あたし。ありがとう、少し落ち着く」
アミは一度目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。
そうしてリュックサックの中身を一つひとつ確認しながら、アミは冷静さを取り戻していった。そしてリュックサックのジッパーをしっかりと閉めると、次に二つ目のリュックサックに手を伸ばした。
「イオ、準備できたよ。少し狭いけど我慢してね」
アミはイオを優しくリュックサックに収めた。イオの頭部がしっかり固定されるように、周囲にタオルを詰め込む。
「アミ様、イオは貴女の優しさに感謝します」
イオは静かに答える。
「もう……そういうのやめてよ。泣きそうになるじゃん……」
アミは目元を拭いながら、笑顔を作った。
アミは一つ目のリュックサックを後ろに背負い、二つ目のリュックサックをお腹側に掛ける。そうして一度だけ部屋を見渡す。この家で過ごした日々の思い出が一瞬で蘇る。狭いながらも安心できた良い場所であった。しかし、もうここには戻れないかもしれない。
「行くね。ここにいると捕まっちゃうから」
「アミ様、どのような未来でも、イオはあなたと共にあります」
イオの声には願いが込められていた。
アミは意を決して扉を開けた。夜明け前のひんやりとした空気が顔を撫でる。静まり返った商店街には薄い霧が漂っていた。
アミの家はバラック小屋の二階にあった。アミは静かに階段を下り、家の隣にある小さな物置へと足を向けた。その間、アミの背負ったリュックサックの中でイオが微かな光を放って辺りを警戒している。
「アミ様、周囲に注意してください。微かな足音を検知しました」
イオが静かにアミに囁く。
「分かった」
アミも囁くように応える。
「……アミちゃん、どこ行くの?」
アミは物置の前で振り返った。
薄暗がりの中に立っていたのは幼い男の子だった。眠そうな目をこすりながらこちらを見つめている男の子は、同じ建物の一階に住むミナコの孫のコタロウだった。
「コタロウ君……まだ寝てる時間だよ。早く家に戻らないと」
アミは諭すように言った。
しかしコタロウの小さな唇は震え、目には涙が浮かんでいた。
「アミちゃんがいなくなるの、嫌だよ……」
その一言にアミは胸を締め付けられるような思いを感じた。子供の勘は鋭い。何も言わずとも、アミの決意を察しているのだ。
「少しだけ留守にするけど、大丈夫。必ず戻ってくるから」
アミはしゃがみ込み、コタロウの頭を撫でた。
「ミナコさんと一緒に待っててくれる?」
「うん……」
コタロウは泣きそうな顔のまま、小さく頷いて家に戻っていった。その背中を見送りながら、アミは深く息を吐いた。
そうしてアミは物置のドアを開ける。中にはアミがゴミ山で拾い集めて修理した品々が所狭しと詰め込まれていた。中でも目を引くのは、アミが大切にメンテナンスしていた一台の自転車だった。
「これしかないよね」
アミは呟きながら、その自転車を引っ張り出した。
「それは賢明な判断です」
イオの冷静な声がリュックサックから響く。
「お褒めに預かり光栄だわ」とアミは苦笑しながら、ペダルの具合やチェーンの状態を確認する。準備が整うと自転車に跨り、そっとペダルを踏んだ。
そうして薄暗いスラム街の路地を進む。スラム街の外れに着いた頃、東の空がわずかに明るくなり始めていた。夜明けの独特な匂いが漂う。空が茜色に染まる中、アミは自転車を止め、後ろを振り返った。
高くそびえる廃ビル、整理されつつあるゴミ、そこで出会った人々の顔が次々に浮かぶ。アミは唇を噛みしめながら小さく呟いた。
「必ず戻るから……」
アミはハンドルを握り直し、再びペダルを踏み出す。
広がる田舎道は、朝日に包まれて美しく輝いている。
「ただの逃亡で終わらせない」
アミは力強くそう言い、自転車をこぎ続けた。
イオの重みをお腹側のリュックサックに感じながら、アミは新たな一歩を踏み出したのだ。




