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第四章 アミの決断 その二

 風が爽やかに吹き抜ける新緑の季節となった。


 世間はゴールデンウィークと浮かれているが、スラム街の住人の多くは週休二日や祝日を享受しづらい日雇いの労働者である。いつもと変わらないスラム街であるはずだが、今日のスラム街はいつもより一層賑わっていた。


 それは今日がお祭りの日だからである。ここのスラム街の人々はとにかく騒ぐことが好きなのだ。


 塾では子供達が壁に貼られたポスターを眺めていた。


「イオ、見て! 今晩、スラム街で小さなお祭りがあるの!」


 アミは嬉しくなって、掲示板のポスターを指差しながらイオに話しかける。


「……お祭りですか? それはどのようなイベントですか? イオは興味津々です」


 そうイオはアミに尋ねる。


「うん、楽しいことがいっぱいあるの! 食べ物の屋台とか、ゲームとか、皆で神輿を担いだり踊ったりするの! 後で一緒に回って楽しもう!」


 それが今朝の塾でのことであった。


 それからアミとイオは夕方頃にスラム街の中央広場に向かった。


 広場やあちこちにある狭い路地には赤や緑、青色などの様々な色の提灯が吊るされていた。その光が柔らかく街を照らし、夜の空間を美しく彩っていた。


 広場には屋台が所狭しと並び、焼きそばやたこ焼き、綿菓子の香ばしい匂いが漂っている。また金魚すくいやヨーヨー釣り、射的などの遊戯に興じる人達も沢山いる。屋台の店主達は元気な声で呼びかけ、笑顔を振りまいていた。


 アミはイオをお腹に抱えながら、屋台を見て回る。


「あれが綿菓子! あんなに大きくてふわふわなの!」

「非常に興味深いです。綿菓子はどのように作られるのですか?」


 イオは真剣に聞いてくる。


「それはね、砂糖を熱で溶かして、回転させながら細い糸状にして作るの。ほら、良く見てみて!」


 アミはイオに綿菓子を良く見せる。


 イオは目から光線を出し、綿菓子をじっくり観察しているようだった。


「空に浮かぶ雲のように軽そうですね。これが食べ物とは……。材料は砂糖、推定される原価は……」


 イオが大真面目に綿菓子を解析している途中でアミが遮った。


「良いの……。綿菓子とかき氷の原価は考えては駄目……」


 アミは少し泣きながらイオを諭した。


 次に、アミとイオは射的の屋台に立ち寄る。


「これで遊んでみよう! 鉄砲で的を狙って倒れたら景品をゲット出来るの!」


 アミは玩具の鉄砲を持って、一番大きいワニのぬいぐるみを三発撃った。だが一発は外れて二発は当たったがびくともしなかった。


「残念です……。弾の速度、質量が不足しているようです」

「うーん。次はイオが狙って」


 アミはイオを長テーブルの上に置き、イオの眼前に玩具の鉄砲を持っていった。アミは照準のイオに任せ、引き金にだけ指をかける。


「アミ様、イオは上から二段目に置かれた的を狙おうと思います。もう少し右です。……もう少し上、僅かに左……そこです」


 弾は全部で三発。イオは慎重に的に向かって狙いを定めているようだった。


 その結果、初めの一発は外れ、次の二発は当たったが倒すことが出来ず、最後の三発目で的に当てて倒すことが出来た。そしてアミはイオとの共同作業で見事に小さなクマのぬいぐるみを手に入れた。


「やったねイオ! 凄いよ!」


 アミは拍手して喜んだ。


「ありがとうございます! これは非常に楽しいゲームです! イオはとても感動しております!」


 二人は屋台を回り、たこ焼きや焼きそばなどのお祭りの定番料理を堪能した。アミはたこ焼きを一口食べて、「熱っ!」と叫びながら笑い、イオもその様子を見てまばたきを繰り返し、笑い声を出した。


「これがたこ焼きよ。熱いから気をつけてね」


 アミはイオにそう教え、たこ焼きを近づける。


「わかりました。食べ物を摂取する機能はありませんが、とても興味深いです」


 イオはそのようにアミの言葉に応えた。


 アミとイオが中央のやぐらの前まで行くと、老若男女問わず沢山の人が太鼓に合わせて歌や踊りを披露していた。アミとイオもその光景を見ながら楽しんだ。


 そうして夜が更けてお祭りの賑わいが一層増してきた頃、やぐらの前に置かれた大きな神輿が注目を集め始める。神輿は多くの華やかな装飾が施され、提灯の明かりに照らされて輝いている。


 地元の若者達が神輿の周りに集まり、掛け声をかけている。


 アミはその様子をイオと一緒に眺めていたが、突然近くにいた地元のリーダー格の男に声をかけられた。


「アミちゃん、イオさん、今日は特別な日だ! 神輿に乗ってみない?」


 アミは驚きつつも嬉しくなり、笑顔を見せた。


「あたしも一緒に担ぐ……。え? 乗るんですか?」


 アミはきょとんとする。


 イオは首を少し傾け、アミと男性を見比べていた。


「そうそう! 一緒に盛り上げてくれ!」

「でも神輿って神様の乗り物って聞いたことあるんですけど……」

「細けぇことは良いんだよぉぉぉぉおおおおお!」


 アミはリーダー格の男性に半ば強引に連れられ、神輿の周りに集まった若者達に促されるまま神輿に乗り込む。


「神様、ごめんなさ~~~~~~~~~~いっ!」


 アミは叫んだ。


 周囲からは拍手と歓声が湧き起こっていた。


 アミの心中には喜びと緊張が入り混じっていた。アミに抱き抱えられているイオも目をカラフルに光らせ、動揺しているようだった。


 掛け声とともに、神輿がゆっくりと持ち上げられる。アミは高い場所から見下ろすお祭りの風景と、祭りに集まった人々の笑顔を見て楽しくなった。イオもスピーカーを通して担いでくれている人に大きな声援を送った。


「アミ様、これは素晴らしい体験ですね!」


 神輿は賑やかな掛け声と共に広場を練り歩き、アミはその中心で手を振りながらいっぱいの笑顔を周囲に見せ、応える。


 周囲の人々もアミの姿を見て拍手や歓声を送り続ける。


 祭りのクライマックスに差し掛かり、神輿は再び広場の中央に戻ってきた。アミは神輿から降りると大きく腰を曲げ、人々に向かって精一杯のお辞儀をした。


 そうして必要以上に目立って恥ずかしくなったので、アミはイオを抱えたままそそくさと人の少ない裏手の空き地に逃げ出す。


 その空き地はかつて公園だった名残を残していた。中央には古びた滑り台やブランコがあり、雑草が伸び放題である。周囲にはぐるっと古い木々が立ち並んでいた。そこで見上げれば夜空には満天の星が輝き、遠くの街灯の光がかすかに届いている。


 そこにはまだ微かにお祭りの余韻が残っていて、遠くから人々の笑い声や音楽が聞こえている。けれども静かで穏やかだった。


「最後に二人だけで花火をしようか」


 アミは背中のリュックサックから花火を取り出し、にっこりとイオに微笑んだ。


「はい。楽しみです」


 イオも嬉しそうに応える。


 アミは花火の束を取り出し、その内の一本を手に取って火を点ける。火花がパチパチと音を立てて広がり、小さな光の粒が夜空に舞い上がる。アミはその光景に目を奪われ、しばし見惚れていた。


「綺麗だね」


 アミはそう言いながら、花火を持つ手を少し動かして光の軌跡を描く。


「はい。とても美しいです」


 イオもアミの傍でその光景に見惚れているようだ。


 アミは次々と花火に火をつけ、アミとイオは夜の静けさの中でその美しい光景を楽しんだ。そしていよいよ最後の一本の線香花火に火を点けようとする。


「ふふふ……。今日のお祭り、とっても楽しかったね」

「はい。今日はイオにとって忘れられない一日になりました」


 アミはイオの頭にそっと手を置く。


「ありがとう。あたしこそ、良い思い出になりました」

「…………アミ様」


 夜空には微かな星が輝き、二人はその光を見上げながら語り合う。


「白状すると……実はあたし、最初はイオのこと売り飛ばそうと思っていたんだよね……。ごめんね」

「え……? うぇ、……えぇ……アぁああ……ええぇんぅ、ぐすん……」


 イオはいつもの冷静沈着な物言いを忘れ、スピーカーから情けない声を漏らした。イオでも動揺するとこうなるのかとアミは思った。そしてイオを見てみるとイオは目から油の涙を流していた。


「いやぁ、あの時はお金に困っていて……。ごめんごめん。でもやっぱり売らなくて良かったよ。……イオと一緒にいて本当に良かった」


 アミはそう語った。そして最後の線香花火に火を点ける。線香花火はパチパチと小さな火花を散らす。


「明日、神威の人に会う約束したから。……今日でしばしのお別れだ」

「……はい。分かりました」


 線香花火は燃え続ける。


 アミはずっとずっと悩んでいた。


 最早イオは家族も同然だ。けれども世の中のため、何よりもイオ自身の『安全が確保された上で、人々の生活のために尽力したい』という意見を尊重して、アミはイオと別れることに決めたのだ。


「どれくらい時間かかるか分からないけど、イオの改良が終わったら、また会えるよね。そうしたらまた遊ぼ」

「………………………………」

「イオ?」

「………………………………もう二度と、会えないかもしれません」


 イオの長い沈黙の後に聞いた言葉を、アミは飲み込めない。線香花火の火の玉が落ちた。訪れたのは暗闇と静寂。


「…………ど、どうして?」


 血の気が引く感覚。アミは頭がぐらぐらしてその場に倒れてしまいそうになる。平静を装うことが出来ない。


「イオはアミ様と出会う前、全ての記録を消され、たった独りで真っ暗な中にいました。でも、それでも良かったのです。イオには何もなかったから……」

「…………」

「でも今は違います。アミ様に出会って、スラム街の人と出会って、大切な思い出が出来て、イオは臆病になりました」

「イオ……」

「イオは消えたくないです」


 イオはアミに助けを求めていた。恐怖を感じているのか震えていた。こんなに弱ったイオをアミは見たことがない。


 アミはイオを優しく抱擁する。


「大丈夫、大丈夫だよ、イオ。気に掛かっていることがあるなら聞かせて」

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