六十話 邪神と在り方と武魔踊る宴(前)
時間の合間に、こっそりと更新!
審判が高らかに勝利の宣言を行ったとき、俺は反射的に観客席から走り出していた。
「きゃっ!」
隣にいたミナの身体にぶつかり、慌てて抱きとめる。
「ご、ごめん。ちょっくら行ってくる!」
「あ、ひ、ヒカル様!? どちらにいかれるのですか!?」
「選手の待機室! ミナ達は別にいいから!」
ミナの追いすがる声に背中で答えながら、一人駆ける。
人混みをかき分けて進みながら、屋内に入るための階段を探した。
観客は拍手で総立ちだ。
誰もが手すりに押しかけるようにして闘技状に視線をやり、戦いの余韻に浸っている。
マグダウェルの魔法に、ルリューゼルの体術に、そして口々に、天下のゼ魔校、さすがゼファンディア、と褒め称えている。
「うほっほ! 今夜は酒池肉林じゃーい!?」
「今夜は宴やでー!」
賭で勝ったのか、踊り出しているヤツ、なぜか涙むせびながら胴上げされてるヤツもいた。
通行の邪魔過ぎる。
「ハイハイ通りますよー!」
どんっ。
『『あ』』
『アー!?』
胴上げされてた男が観客席から落ちていった。
『金券が舞ってるぅうううううううう! 拾え拾え!』
『ねぇ今落ちていったおっさんは!? 落ちていったおっさんは!?』
『知らね知らね! くそっ邪魔だオラ! その金券は俺ンだ!』
にんげんってあさましい。
コロシアムの屋内に入っていく。
入るとすぐに、通路両脇にある階段を駆け下りる。
コロシアムの主資材である黄砂色の石壁には、踊り場で会場側の壁が四角く切り抜かれている。
日光を取り入れるためと、屋内からでも見られるようにするためだ。
やはりそこでも人がたまっている。日焼けを気にしているのか、ご婦人方が多い。ここはそういうたまり場か。
俺は階段を下りつつも、何とか石壁の窓から、闘技場の経過を見守った。
マグダウェルは地に伏したまま死んだように動かない。完全に気絶しているようだ。
駆け寄ってきたギルドの制服を着た人間数人が、マグダウェルを担架に乗せる。
ルリューゼルもタンカの後についていっていった。
好都合だ。
§
試合は、――終わってみればルリューゼルの圧勝だった。
最後はルリューゼルの連続逆立ち蹴りに頭蓋を薙ぎ払われ、マグダウェルはピンボールのように吹き飛び、そのまま10カウントで勝敗が決した。
(……ありゃ、痛かったろうな)
俺は、あの足技を知ってる。
忘れるわけがない。
俺の心強い仲間が使っていた技だ。この両目で、敵が吹き飛ばされるのを見てきた。
――カポエイラ。
その奇天烈な体術故に芸術面やダンス要素をメインに取られがちだが、その本質は蹴り技の極地だという。
格闘技では、蹴り技は言わば大技だ。だが隙も多いため、在り方は常に、一撃必殺でなくてはならない。身体も大振りになるため体力の消費も多くなってしまう。
だが極めれば、大砲の乱れ撃ちと同義だ。
人体が生み出せる最大射程の攻撃は、刀剣をへし折り、肉を穿つ。
まともに食らえば、今しがた倒されたあのマグダウェルのように、一撃で意識を奪われることになる。
アイツは、そんなカポエイラの極みを修めている身だ。
仮面が外されて正体が分かった瞬間、俺の中では、もうマグダウェルは負けていた。
ルリューゼルに……いや、あの万夫不当、天下無敵のぎんぎら竜巻お嬢様…………戸泉小町には、さすがのマグダウェルも遊ばれていたと言わざるを得ない。
§
そのまま駆け足で向かい、選手の待機室のドアが見えてくる。マグダウェルが待機していた部屋だ。
「ぅ……」
足は、自然と走るのを止めていた。
この階に降りたときにはもう小走りになっていて、今では歩きになっている。
頭のどこかでたどり着くのを拒否するかのように。
ていうか走り出したのもほとんど条件反射だったのだ。
元の世界にいたときは三六九を取り巻くメンバーの中で明らかに実力不足な俺を鍛えるため、小町に怒鳴り立てられながら追い回された記憶がある。
弱音吐く度に金属ハリセンをブンブン振りまくって『ちんたら走って! 張り倒されたいですのね!』とか鬼のように叫ばれ続けたら誰だってそうなる。
今さっきまで必死こいて小町の元へ走っていたのも、小町のご機嫌をそこねないように、びびって馳せ参じようとしていた節もある。
念入りに教え込まれた上下関係が嫌になる。
「……ていうか、どんな顔して会えば良いんだ……」
俺、今まで異世界にいました?
仲間作って旅してます?
成り行きでコロシアム出場しちゃってます?
無理だ。何言っても無駄な気がする。大体、嘘ついたところでこっちのことは全部バレてるだろうし。
「そんなこと考えてたら結局ドア前まで来ちゃったよ……」
気が重い。おかしいな。本当だったら感動的な再会のはずなのに、なんでお仕置きのことから心配しなければならないのか。
ドアまででうろうろする。そしてたまにちらとドアの方を不安げに見て。
うろうろ。
うろうろうろ。
ドアの前を行ったり来たりする。俺はお産に緊張してるお父さんか。
「……そ、そうだっ、それだ! 感動的な再会ムードを作って誤魔化せば!」
天啓。
何事も勢いが大事だよ! と俺の中の悪魔がグッと親指を立てる。
良い作戦だと思う。俺がいかにみんなと離れ離れになったことを寂しがっていて、再会できたことにのみ注目させてやれば、あの小町だって鬼じゃないだろうし、許してくれるに違いない。
ドアの取っ手に手をかけ、ごくり、と生唾を飲む。
『何あの人、マグダウェル選手のファン?』
『邪魔よねーサインもらいにいきたいのに。ほんと邪魔……』
『ストーカーっぽいなー、あの男』
『違うわよ貴方達。あれは、負けた恋人に、どういたわりの言葉をかければいいか悩んでる感じの彼氏の雰囲気だわ!』
「ええい、こっち見るな! うっとうしいわ!」
しっしっ! と周囲を手で払う。
十数人くらいの視線が集まってきていた。
よく考えたら注目カードの試合が終わった直後なのだ。選手を見に来る人も多数いて当然である。
しかも、どんどん人数が増えてきている気がする。ぼうっとしていたら次の試合の選手も来てしまうだろう。
――ままよ!
俺は、感動の再会作戦を十分に練る余裕もないままに、勢いよくドアを開け放った。
「小町――!」
「さっさと入ってきなさいなっっ!」
「えっ!? ――へぶっ!?」
開けた途端、顔面にグーパンが飛んできて、通路の向かいの壁に叩きつけられた。
感動の再会は?
涙ながらの抱擁は?
一応涙は出てくる。全身がもの凄く痛くて。
「こンのおばかさんは! 悩んでる暇があったら入ってきて土下座するなりあるでしょうが!」
「ご、ごめん」
ドアの前に集まりかけていたマグダウェルのファン達が唖然としているのがわかった。
「あ、……お、おほほほほ。ごめんあそばせ」
「おほほってあんた」
「うるさいですわよ!」
襟首を掴まれる。
「い、痛い、襟首掴まないでっ、あ、あー!」
「話は中でしますわよっ! ……皆さん、失礼しましたわ。おほほほほほ……」
ずるずるずる、と引きずられるようにして待機室に連れ込まれる。
§
待機室の左手に給水などできる休憩室があった。すぐ隣の部屋は救護室……マグダウェルが治療中らしい。
休憩室に引っ張り込まれた俺は、そのまま正座させられた。
石の床がかたいです……。
「で、弁解はありますの?」
目の前には、青筋を浮かべ口元をひくひくさせながら腕組みして睥睨している小町がいた。
「え、聞いてくれるの!?」
「弁・解・は・あ・り・ま・す・の?」
「………………………………その………………ない、です……」
とてもじゃないが言い訳は火に油だと思った。
というより言い訳を求めてない。このお嬢様が求めてるのはただただ機械のように謝り倒す俺だ。
次の試合はもう始まっている。ナナルダ選手VSカプト選手。俺達のいる待機室にはトレージャーハンター然とした素敵おじ様なカプト選手が詰めていた。俺が休憩室に連れ込まれるところを見て『頑張れよ少年』なんて言って星が舞うようなウインクしてきたのが印象に残る。将来は、ああいう渋いおじ様になりたいな。
「ヒカル君、顔を上げなさいな!」
「は、ひゃい! そのぉ……、小町は何でここに……」
「バカですわね。試合見なかったですの? 私もコロシアムに出場したからですわよ? もちろん、ちゃんと参加登録もしましたわ」
「いや、そうでなくてね」
久方ぶりに出会った小町は、マグダウェルのと同じ、ゼファンディア魔法学校の制服を着ていた。モデル並みのスタイルは元より、一番大きなサイズのソフトボールを二個差し入れているかのような張りの強い胸元は、下から見ると圧巻の一言に尽きる。
コロシアムにも出ているあたり、ある程度この世界のことについて馴染んでいるようにも見える。自分の正体を隠す謎の仮面も持ってたことだし。
「なんでこの世界に、小町もいるの?」
言われた小町は目を丸くし、なぜかバツが悪そうに視線を空へ逃がしながら、
「ああ……まぁ、こっちも貴方がいなくなってから、私もほんの、ほんっっの、すこーしだけ探しましたのよ」
「探してくれたんだ。ごめんね」
「ほんの少しだけですわよ!」
つばを飛ばすくらい歯を剝いて怒鳴ってくる。そこまで言わなくてもいいのに。
「貴方がどこでのたれ死のうの私には関係ないですわ! 勘違いしないでくれます!?」
「痛い、痛いって」
かかとをひざに乗せてぐりぐりと踏んでくる。
手で足をのけようとするとガチンと金属魔法で背中に手錠をかけさせられる。
俺は罪人か。
「……ですけど、ですけどね! 声くらいかけてほしかったですわ! 妹さんや照瑠さんがどんなに心配していたか分かってますの!?」
フンッ、と、なぜか赤面してそっぽ向いてしまう小町だった。
「あー悪いコトしたな……」
学校が寮だったから良かったものの。
俺の妹……灯梨は兄の俺が言うのもなんだが、良くも悪くもお兄ちゃんっ子だったからな。小町も折を見て慰めたりとかしてくれてたんだろう。
「そうですわよ。綺卿君が半年前のゴールデンウィークの時にヒカル君が飛ばされた、と白状してから、やっと捜索が開始されましたから。……苦労しましたのよ、通常任務とは別に、術士支部に事の次第を説明して日本支部としての問題として取り上げてもらうまで書類書類交渉交渉、嫌な知り合いにまで連絡を回して……はぁぁ」
どれだけ迷惑をかけたがわかるような、濃い溜息だった。
「苦労……かけたねぇ」
「ホントですわよ。……で?」
「で?」
「で? じゃないですわよ! 張り倒しますわよ! ……でっ、ですから、そんなに苦労した私に、なな、何か言うことがあるんじゃありませんの……?」
「は? あ、ああ……」
きょとんとする。
もう少し怒鳴られるかと思ったのだ。
叱られて叱られて、事の次第を説明させられて、容赦なくなじられる、というとこまで覚悟してたのに。
気づけば、小町の双眸は、どこか期待するように熱っぽくこちらを見ていた。
「小町、ありがと。一番に来てくれるトコとか、さすがだよね」
「……ふんっ。一番槍の花を逃したとなればオルタ・ローズの名が泣くからですわ。それに、身内のことに関して他人に先んじられるのは私の性根が許しませんから」
「それでも少しでも早く来てくれようとしてたのは、やっぱり嬉しいよ。心細かったもんな」
「ひ、暇だったからですわっ! 取り立てて大きな事件もなかったですし、……けけけけ決してっ、もの凄く心配してたとか、そういうことはないですのよっ! 勘違いしないことですわね!」
俺の顔面は、もう小町のつばまみれだ。
「そ、そんなに必死になって否定しなくても」
「は! 大体貴方、あの『ぱーてぃ』とやらは何ですのよ! また性懲りもなく、お、おおおお女の子ばかり集めて! なっ、何がしたいんですの!?」
「ああ、パーティっていうのは、RPGゲームとかでよく使われる冒険者の一グループを指す言葉でね」
「そんなこと今は聞いてないですわよ!」
殴られた。
「……ふぁ、ふぁい」
「聞いてるのは! どうして貴方は女の子ばっかり引っかけて集めようとするのかってことですのよ! あのキツネさん以外全員女の子じゃないですか! 天然ジゴロは死ねばいいですわ!」
両手を腰に当てて、がみがみ噛みつくように怒鳴ってくる。
「ま、まぁ、落ち着いて。こっちにも事情があるんだ。……きちんと説明するから」
「当たり前ですわっ、こっちが真面目に探してるのに、そんな自分がばからしく思えたことが、今まで何度あったことか……」
「あ、やっぱり真面目に探してくれたんだ?」
「こっ、言葉のあやですわ。……いちいちツッコまないでくれます?」
むすっ、としていじけたように睨んでくる。
何だかんだ言って、出会ったときから小町は面倒見がいい女の子だったからなぁ。
「とはいえ。貴方が無様にひーこら言ってる姿は時に腹がすく思いがしましたわ。もっとやれと笑ったこともありますのよ」
「こっちは必死こいてたのに!?」
「おほほほ。いいきみでしたわ」
高笑いしながら小町が指を鳴らした。すると、バチン、と背中で音がする。手錠を外してくれたようだ。背中を見やると、金色の金属が液体みたいになって地面に染みこんでいくところだった。
「……それ、こっちの世界に来ても相変わらずなんだ」
俺が言ってるのは、今しがた小町がやったような、金属を自由に操る技術のことだ。
まるで――魔法である。
小町が試合で使った土の技も金属の技も、現代常識ではオカルト、もしくはファンタジーの領域に分類される、本来起こってはならない現象だ。
使えない俺みたいな一般人からしてみれば魔法みたいなものである。厳密には魔法ではないらしいが。
「ページは使い手の魂にストックされますのよ。肉体の構成はこちらの世界で行ったようですが。まぁ、使えたなら使えたでいいじゃないですの」
「まぁ、そうだけどさ」
「そうですわよ。大体ページがあろうとなかろうと関係ないですわ。典法術士に必要なのは使えるページの量や属性や強さではありません。人類の……守りたいものの危機に対して責任を持つ在り方なのですから」
「はいはいご立派ご立派」
それは、絶対的な強者だから言える言葉だと思う。……小町がそこに至るまでなんの努力や苦渋がなかったかと言えば、決してそうではないんだけど。
「ははぁ、この世界の『魔法』で同じことをしている、と思ったんですの?」
「うん。あの土壁の魔法とか、同じのも見たことあるし。ていうか呪文名も一緒だし」
「違いますわよ。エネルギーの性質から全く違いますわ。まぁ……ヒカル君がそう間違えるほど似ていることも確かですけどね。それはおいおい。とりあえず席にお座りなさい。詳しく話しておきたいこともありますわ」
小町に促されて、四人掛けのテーブルの席に、向かいで腰かける。
「よしと……。で、話しておきたいことって?」
席に着くなり、訊いてみた。
「『アーラック盗賊団』……聞き覚え、ありますわよね」
「……っ!」
「その反応だけで十分ですわ。私達の目下の敵はアーラック……あろうことか堂々とその名でコロシアムに参加している、あの男」
「小町は、会ったことあるのか?」
「あくまで遠目で、ですわ。私の同位体はアーラックと付き合いがあったようですわよ」
小町は疲れたように首を横に振る。
「同位体?」
「この世界の本来の住人だった、私にそっくりさん……ルリューゼル、という女性のことという女性ですわ。他人を見下し、嫉妬深くて、悪の組織に学友を売ったとんでもない人間だそうで」
「なるほど。じゃあそっくりさんはどこに?」
「死にましたわ」
「あ、そうなの。見るだけでも会ってみたかったな。小町と並べてみると双子みたいで面白かったろうに」
「変な人ですわね……。ひとまずは、アーラックを落とすために動くことに私達はなりますわ。一応言っておきますけど、コロシアムの優勝云々は脇に置いておくことですわね。必要ならば辞退しなさい」
「うーん、それも仕方ない、か」
結構今、お金が必要なんだけどな……。
「……そもそも! そもそもですわよ、貴方一応邪神なんていう不特定多数に恨みを買ってそうな存在なんですから、もうちょっと日陰に生きようという考えは働かなかったんですの!?」
「そういう成り行きだったんだよ」
「いつもいつも派手な方、目立つ方にばっかり! ぁあ、またイライラしてきましたわ。……もう一回引っぱたいておこうかしら」
「あのさ、缶ジュース買うような気安さで人を殴打するのやめてくれない」
「でしたらもっと褒められるような人間になることですわね」
「褒められて伸びる子なんだよ」
「だまらっしゃい」
ふん、とのけぞるようにして見下してくる小町だった。
背をそらしたせいで、重量感ある胸が、差し出されるかのように前に出てくる。
所作はいちいち優雅なくせに、こういうこと無意識にやるからなぁ……。
「ヒカル君? 聞いてますの?」
「……んんっ!? あ、いや、うん、聞いてる」
「ことは性急な解決が必要ですのよ。罪のない人々の命もかかってるというのに……わかってるのかわかってないのか……」
十分わかっている。おっぱい見つめてました、とか言ったら俺の命が危ないってことは。
「じゃあ、大筋を詰めさせてもらいますわよ」
ウインクするように片目を閉じて、訊いてくる。
「わかった」
そう言って、頷いた時だった。
「――ん?」
小町がふとドアの方に視線をやったのだ。数秒後、外の、待機室の方のドアが開く音が聞こえてくる。
『……おい、本部からお達しだ。詰め所の人員を増員するってさ』
『おいおい、後ろの二人もか? 三人たぁ随分な増員だな』
『言うな。なんでも――え、なんつう名前だったか……』
「何かあったのかな」
「静かに」
と、小町が人差し指を立てて静聴を促してくる。
しばらく唸っていたが、思い出したように、
『そうそう、トスラード選手だっけか。殺されたぞ。そのせいらしい』
『はぁ? ……おいおい仮にもコロシアムの本戦選手だぞ、おい。俺達みたいな凡兵が詰めたところでどうにもならんだろ……』
『だよな。まぁ気休めかもしれんが』
会話している知り合いらしい二人に、増員された他の兵士が言った。
『選手同士のケンカ防止だよ』
『ケンカぁ?』
『ああ。理由は分からんが。あのやっばい雰囲気の女の子、エマちゃんにやられたとか、おれは聞いたな。トスラードも男さ、小娘にちょろっと手を出したんじゃねえのか』
『ははは。ありゃ釣れるタイプの娘とは思えないけどな。頭イってるぞアレ』
『わはははははは』
「……エマだって!?」
俺は机を叩くようにして席を立っていた。勢いのあまりイスが床に倒れてしまう。
「確かヒカル君の仲間でしたわね」
「あ、ああ。……アーラックに半分捕まってる」
「半分?」
「操られてるかなんかなんだよ! エマ本人は、人殺しなんて出来るような子じゃないんだ。無理矢理やらされてるに決まってる」
最大の候補は、エマの使ってる武器だ。
呪いの武具。
アルレーの町で、エマがトラファルガーの遺剣アラマズールに囚われたエマとのと同じ。 人の理性を奪い、人体の限界を無視した運動性能の行使によって暴れ回り、同時に使い手を崩壊させる恐ろしいものだ。
「じゃあ、……もう半分は?」
じっと、女の敵を見るような粘ついた視線で見つめてくる。
いや、さすがに小町でも、エマとのことは知らないだろう……。俺に恨みを向けさせていることを知るのは俺だけのはずだ。
「……とにかく」
小町の追求を中断させるべく、語尾を強める。
「かなりマズい。へたすると、エマがギルドや各国らの兵士に捕まって殺されるかもしれない。エマを捜さないと」
「そのエマさんとやらに私達が殺される可能性もありますわよ……まずは現場検証ですわ」
「……だな」
頷きあう。
……確かに、俺達を取り巻く状況は、一秒たりとも待ってはくれないようだ。
§
兵士達に事情を聞いた俺達は、トスラードが殺されたという部屋――コロシアム会場西棟四階の一室に向かった。
小町の着ているゼ魔校の制服は、言わば水戸黄門の印籠のようなものだった。
ニ戦校……ニスタリアン戦士学校と並んで、その卒業生は中堅クラス以上の傭兵となったり国軍に入れば将兵クラスは間違いないといわれているらしい。
何よりどちらも凄まじい才能がある場合は別だが、基本的に貴族子弟が入学する名門校でもある。
一介の兵士にとっては雲の上の存在だ。小町に話しかけられた瞬間飛び上がるようにして、びっくりして質問に答えていた。小町自身も、貴族といわれてもおかしくないほど品格を持ち合わせていたので、小娘と舐められるはずもない。道を聞くどころか案内すらさせる始末である。
俺達は、トスラードの休んでいた一室に到着する。
ドアは閉められ、その両脇には兵士が毅然と正立していた。聞けば、現代の警察のように検死するため死体を持ち帰るわけもなく、普通に葬式屋を待っているだけらしい。許可され取れれば誰でも入れるとのことだ。
「それでは失礼しますわ」
そう言って、小町がしゃなりしゃなりと現場に入っていく。
「ほんとにいいのかよ……」
「ヒカル君もいらっしゃいな」
「あ、ああ」
戸惑いながらも、遅れて俺も入室する。
「ッ……!」
敷居をまたいだ瞬間、酸っぱさと鉄の錆びたような匂いが鼻をついた。
石壁から入ってくる日光に、惨殺現場が照らされていた。
何瓶もの苺ジャムを撒き散らしただけかもしれない、と思いたかった。けれど、小町が屈んで見つめている所……人体の肉塊が寄せ集められたような小山を見てしまうと、そんな言い訳は思考の外に追いやられてしまう。
断末魔さえ想像できない、不気味な現場だった。
人が十センチごとの肉片に変えられたのだ。血が部屋中に縦横無尽に飛び散っていてもおかしくない。だというのに、不思議と死体の周辺しか血溜まりは出来ていなかった。
「……見事なものですわね」
小町は死体の頭蓋部分だろう、血で汚れていない毛髪を掴み、引っ張りだして転がした。
「どういうこと?」
「よほどの早業ですわ。この人は一瞬で人体を解体されたんでしょうね……」
一瞬。そう、一瞬だ。
この部屋の、死体の不気味さの理由が分かった気がした。
直立していた人が一瞬のうちに身体を解体され、その場で身体がボロボロと崩れていき血肉となってその場に小山を作って死んだ。
(エマ、だ)
これと似た光景を、俺は昨日、見たばかりじゃないか。
『逃げだそうとエマに背を向けて駆けだした、その後ろから、虫取りアミで蝉を追いかける少女のままに小斧を振り上げて――男を一瞬で何十にもスライスし、大槍で脳漿のうしょうをぶちまけながら恐怖ににじむ頭部を破砕する。
血液を漏らしながら男の体が肉片と化して闘技場に崩れ落ちる。』(※五五話)
瞬殺、したんだ。それこそ断末魔すら許さないほどに。
動悸が荒くなる。このトスラードの死体も、俺に次はお前だという殺人予告にすら思えてくる。
殺される。神殿障壁を張っていなければ、やられる。突然襲われたならばまともに反応すら出来ない。
そんなエマを相手に――殺されずに、殺さずに、勝つ?
できるのか――俺に。
「……気負うことはないですわ」
「え?」
「ヒカル君。貴方には神殿障壁という強い武器がある。使い方さえ間違えなければ、使いどころさえ見極めれば、この世界では最強の盾でもあり最強の矛ですわ」
「たしかにそうだけど……」
けれど、絶対、ではない。
アラマズールに囚われたときのエマもそう。
オットー山脈で相対した氷冷の大竜、ヒュグルド・ドラゴンだってそう。
一点に集中した攻撃は、人間の常識を嘲笑う強烈な魔力は、時として最強の守りである神殿障壁を打ち破ってくる。
俺自身、絶対はない、と知っていたはずなのに。
だからこそ呪いの武器を集め、少しでも攻撃力を高めようとした。攻撃は最高の防御とも言う。神殿障壁の守りにあぐらをかかないよう、心のどこかで疑っていたからだ。
でも今は、こんなにも、その絶対にすがらずにはいられない。
保証が欲しかった。
自分の命とエマの命が助かるという、虫の良い証明が。
邪神の魔力は、暴力的な容量を持って、オレを使えと囁いてくる。
ねじ伏せればいい。
魔物のように地面に、何もかも押し潰してしまえばいいと――。
「……くそ」
「ヒカル君?」
「小町、訊いてもいい?」
「……言ってごらんなさい」
「小町はさ、大事な目的を達成するための、強い力を持っているよな。そんな力に溺れてしまいたいって思ったこと、ある?」
「ええ、何度もありますわ」
「意外だな。ていうか質問した瞬間にボコってくるの覚悟してたよ」
「おばかさんですわね。何のために警察が拳銃を扱うとき厳しい規則があるか、知ってるでしょう。力の暴走を抑制するためですわ」
有名な話だ。そうして規則と重さに怖じ気ついた警官は犯罪を止める力を振りかざせず、張り子との虎と化してしまう。海外では日本人の臆病さをさすときに揶揄される話である。
「……人は弱いですわよ。あまりに強い力を持ってしまったとき、日々モラルという抑圧に晒されてきた理性は、解放されたいという感情に押し流されてしまう。今の貴方のように。力の得方はどうあれ、万人同じでしょうね」
「そっか……」
「今まで出来なかったことが出来るようになった。ならば、今まで出来なかった分を取り返そうと心が反発するのは当然ですわ。
ヒカル君は、典法術やその他の術が使えるわけではない。
国家や能力に起因した強い権力を振りかざせるわけでもない。
人間の限界を超えた何かを持っているわけでもない。
……あのときも、自分の無能さを私に嘆いたことがありましたわね。
ええ、貴方は無能で、無力だった。状況を動かす強い力を持っていなかった。
ヒカル君が、私達にコンプレックスを感じてしまうのは仕方ないことですわ。
今回反則的な魔力を得て、冷静になってみて、怖くなったのでしょう?」
「溺れれば楽になれる……思い切れば、割り切ってしまえば……って、悩んでる」
邪神の魔力。
それは大きすぎる力だ。人を本当にひねり潰せる。
「あら、私は割り切っていたと思っていましたわ。でないと、あんなに魔物を殺せたりしなかったでしょうに」
「……あ、」
脳裏に、得意げに魔物の雪崩を発生させて草原を掃除する自分の姿が、蘇る。
元の世界で言えば、動物だ。はたして、殺していいからと言って、殺さなければいけないからと言って、道ばたの犬を俺は殺せただろうか。
……なら、とっくの昔に、俺は。
「ファンタジー映画や小説では良くありますでしょう? 魔物や化け物と名前を置き換えることで、動植物を殺す免罪符を得ている人間達が。人間以外なら、思いきるための背中さえ押されれば、殺せるんですのよ。私達は。そして倒すことで、賞賛を浴びる悪しき循環を正しい、気持ちいいことだと植え付けられているんですの。そうですわね、さしずめヒカル君は――」
小町は、下を向きすぎたせいか首を回しながら立ち上がり、振り返った。
そして同情するような目で、言うのだった。
「大量の魔物を殺して、人々には力を振りかざして、正義の味方を気取る――哀れな邪神、と言ったところですわね」
§
小町に先導されて、部屋を出た。
新鮮な空気が吸いたかった。血に酔ってしまったのか、頭は朦朧としていた。
けれど、魔物の血にはそんなに酔わなかったな、と自嘲的に頬はつり上がる。
「ご苦労様です」
兵士が姿勢を正して会釈してくる
「ありがとうございました」
会釈を返す。とっとと先に行ってしまう小町を近くにいた兵士が一瞬見やり、こっそりと俺に身を寄せてきて、
「ショックを受けたのでしょうが、お気を確かに」
「……あれ、そんな酷い顔、してます?」
「ええ。外でも出て涼まれると良いでしょう」
頬に手を当てるが、わからない。ただそうして地肌に触れることで、眉間がひくひくと痙攣しているのだけは分かった。
兵士にもう一度会釈して、小町を追って走る。
「待ってくれたっていいじゃないか」
「あら、そんなに私、歩くの早かったですの?」
「あ、いや、……なんでもない」
そうだった。小町は変わっていない。
俯いた俺の眼に、答えが映っていた。
前に進むのを恐れるかのように、俺の歩幅が、小さくなっていただけだ。
コツコツと、石床を歩く足音が広い通路に響いていく。トスラードが殺されたせいか、怖がって一般人はこの一帯にはいないようだ。
分からない。
エマを前にして、いったい俺はどうすれば良いんだろう。
力尽くで助けるしかないのか。
言葉は届くのか。
方法を模索する時間は。
救出の成功率を危険性と天秤にかけた、期待値は。
立ち向かう勇気は、たり得ているか。
答えを出さなくてはならない。自分に、エマに、そして邪神の在り方に。
ゲームじゃない。異世界と思って、そうじゃなかった。命だってモラルだって思いだってある、現代と全く変わらない世界だった。変わったのは、俺の方だったのだ。
『……まてぇえええええええええええええええええええええええええいい!!!!』
「ん?」
遠くで若い男が、声が割れるほどに叫んでいる。
「――ヒカル君、お下がりなさい」
小町が左腕を上げて俺が前に行くのを制した。
「え? 何?」
「来ますわ。一人――いや、二人?」
ふよん、と周囲の石壁が水面のように揺れた。得意の土魔法を待機しているらしい。
通路はカーブしていて先まで見通せない。片方は叫んでいた男だろうが……。
段々二つの足音が聞き分けられるほどにはっきりしてくる。
必死に廊下を駆ける、体重を感じる追っ手の足音。それと、軽やかで豹のように俊敏な逃走者の足音。
たたたたたたたたたたっ、たんっ!!
突然カーブから姿を現した人影は、弾丸のように跳躍した。後ろからの青い魔力弾をダンゴムシのように身体を丸めて回転させ、飛んでかわす。
そのままピンボールのように壁をはねながら向かってくる。
体重をほとんど感じさせない、猫のような着地。
そして、助走もわずかに凄まじいスピードでこちらに疾走した。
「伏せなさい!」
「い"っ!?」
周囲から石柱が高速であらわれ、逃走者をせき止めようとする。
ガギィッ! ガギギギギギッ――ゴォォン!
「んなっ――」
引き倒されるようにして地面に仰向けになった俺は、見た。
得意の石柱を砕かれて戦慄する小町の顔を。
『はぁはぁ、止まらぬか! 我が王の御前で狼藉は許さぬぞ、この殺人鬼めがぁ!』
俺は見た。
杖を携えた、王宮勤めな風体の若い男が叫ぶ様を。
『――――』
俺は見た。
エマを。
口を猟奇的な笑みで歪ませたエマを。
まがまがしい大槍と小斧を携えて小町を斬殺せんと迫る、エマを――。




