五七話 邪神の確信と怨嗟を背負う銀姫
予選の全行程を終え、明日の試合表が掲示される頃には夕刻を迎えていた。
マッシルドの大門を超えて遙か草原、山の尾根の向こう。柔らかい乳白色のマゼンダが地表へ惜しみなく降り注ぎ、光と影のヴェールを敷き広げていく。ゆっくりとゆっくりと、山の影、草原の波模様、巨人のように光に立ち塞がるマッシルドの外壁が背後の街々に早々と夜を作る。暮れなずむ大通りを歩く人々一人一人に等身大の黒子が地面を這って楽しげにひっついていくのだって――時には、コロシアム会場入り口からは本当に家族が一組増えたみたいに錯覚して見えたりしてしまうほど。
ふと視線を足下に落としてみれば、コロシアムの選手入り口にある石柱がたおやかな足のような影を垂らして俺の足に寄り添い、心の不安につけ込むように絡まって赤煉瓦の地面に伸びていた。
「……よりによって本戦最初の試合で、いきなり身内相手の戦いって何よ…うう、胃が痛い。…………………………ついでにお腹減ったわ」
「昼食でコロシアム内のレストランを一時は機能停止に陥れておきながらまだ食べるのかファンナは……。
まぁ、試合に関してを言えば手の内が分かるだけマシというモノだろう。森の主退治依頼の時にお互いの戦闘スタイルは知っていたわけだし、試合も見合って再確認も出来ているじゃないか。あとは剣をあわせるだけだぞ?」
「夕食は貴方が奢りなさいよシュトーリア」
「………ぇええ!? ま、待ってくれファンナ、今私は何か気に障ることを………?」
「貴方達や他人の試合などどうでもいいのです。ヒカル様はどうだったのですか」
「そうですよファンナさんシュトーリアさん! ヒカル様はどうd(以下略)」
「爺ちゃん、爺ちゃんは誰に賭けたの?」
「ぅむ……ヤー坊や、賭博なぞするものではない。きちんと労働によって対価を得る。間違っても祭りに浮かれてお金を賭けるような事はしてならんぞ?」
「「ギクッ……………………」」
「うん、わかった。やっぱり欲深いのって良くないよね。エマお姉ちゃんみたいにちょっとずつでも自分で作ったり売ったりしてお金稼がないとね。何かずるいもんね」
「「ギクギクギクッ…………………………」」
「……? どうしたんだミナにナツに。二人とも突然背中を撫でられたみたいに背筋のばして。トイレか?」
「と、イレって違います! その、ですね? ちょっとばかり思い出したことがあって……、なな、何でもないですよ? ねぇナツ?」
「………へ、へぇそうですか姉様? ふ、ふ~ん♪………(明後日の方向を向きつつ)」
「あぁ……何かあの雲ミッポ鳥のから揚げに見える……ザムサでくるんでサクシャクジュワッとジューシーにいきたいぃ…………………」
ったく。俺の背中では姦しい会話。嘆息するが、それでも何だかその小うるささに気が紛れた。
コロシアムの本戦に劣らぬと思えるほどの熱戦に当てられ、未だ熱が冷め止まない人々は、連綿と続く雲のように寄り添って、その長く広い大階段を下りていく。
恋人がその愛を誓っても良さげなまでの刹那の輝きも、裏を返せば決意を急がせる重苦しく脅迫的な橙色だ。今だって愛ではない、苦渋に満ちた顔で寒気が走る何かをこの夕日に誓っていてもおかしくない。叶わぬ夢を誓い、鮮血を誓い、復讐を誓い、その不幸を嘲笑い、その在り方は生者をねたむ亡者に近い、――そんな決意が誓われるいるかもと予感がぬぐえない、帰り道。
「ヒカル殿」
「ん? あ、ああ、どうしたのバウム?」
ミナ達の若さに追い出されたかのように、赤色ローブの狐獣人のバウムも歩速を早めて、ちょうど大階段の中腹辺りの踊り場で俺の隣に並ぶ。ふぅ……と気疲れしたようなため息を洩らしながら、
「本戦出場を決めたというのに随分と暗い。あの子らのように飄々としているのが普通ではと思っての……。明日のためにも今くらいは緊張の糸を切っていてもよかろう?」
「はは、糸は切ってるって。ほら、肩の力は抜いてるでしょ。わりとリラックスしてるんだよ、今でも」
「ふむ、……ふふ、癖なのか性分なのか。
だが、わしには煮え切らない考え事があるように見受けられる」
「……分かってて言ってるだろ」
明日の本戦で、俺はエマと闘うことになる。おそらく勝敗よりも優勝よりも、エマやアーラック達にとっては俺の命を取るための一戦。ミナ達はギルドや町の会話を通じて予選進行の途中経過を聞いていたらしく、――もちろん一戦一戦に鮮烈な死体を作り上げてきたエマはあろう事かコロシアム本戦20人中4位の優勝候補として人気を誇っているだけでなく、一部ではその恐ろしさに異名すら語られるほどだという。
『惨血のエマ』
曰く、目を包帯でぐるぐる巻きの少女。巨漢の斧を折るばかりか、速度重視の魔術師の魔弾をすら引き裂いて死を振りかざし、立ち向かう勇気を折り、そして恐れをなして逃げるその肉と骨を、棄権の声を上げる間も与えずに血溜まりと肉塊へ変えていく殺人鬼。それを聞いた直後のバウムを俺は見ていないが、ミナによると、話を聞いて立ちくらみで倒れかけたらしい。――だから。こうして考え事をしている俺を気遣っているが、本当はバウム自身が気遣われなければならないはずなのだ。実物を見ていないからというのもあるが、よく持ちこたえていると思う。
「……すまぬ、と思っている。………………育ての親として」
「違う。バウムは何も悪くない。悪いのは俺だもん」
だってそういう風に仕向けたんだもんな。
そのおかげで、エマは今も復讐を糧に生きていられる。
そのおかげで、不運な対戦相手は死んでいった。
命を奪い奪われる事を前もって覚悟しての誓約も予選前にしていたわけだから、同情はするけど罪悪感はない。こんな大会に出ること以上、自業自得なんだ――だなんて。あぁ、確かにこれは強がり。一番奥底の本音は違うさ。
「不運、か……………………いやいいや…………とりあえずは、選手の中にアーラックがいた。俺が勝ち残れば決勝戦でアーラックとぶつかる可能性がある。何よりこんな大会にその名前で出場すること自体おかしいんだ。大会に参加する事よりもアーラックという名前による損得、利害を狙っているのは火を見るより明らかだろ。おちょくってるとしか思えないよ」
「……確かに。わしもな、王侯貴族の前で、それも軍人が警備に取り囲むこのマッシルドにおいて、アーラックの名を出すことは自殺行為としか思えぬ。大会に優勝しようが、しまいが、試合が終わった後には選手の保護もなくなり、アーラック逮捕に兵士が押し寄せるはずであろうな。――……疑い始めるときりが見えぬ。
エマは、かの者に捕らわれているならば、やはり例の光魔法によって操られているのだろうかの」
バウムは言うが、やはり自信なさげだった。それもそうだろう、ニスタリアン戦士学校ではエマがアーラックをかばうように登場し、試合ではその肢体を持って大会に出場する理性を保ち、エマでは到底出来ないような惨い事をした。事実だけを見れば操られているとしか思えない事。だが、そう思わないと自分が正気を保っていられない事もあるから、果たして自分の希望がましい推測が当たっているかどうかという信疑に自信が持てないのだろう。たとえそれが血のつながりがなくとも我が子、可愛い娘だったとしても。
「もしくは呪いの武器とかね。……アルレーの町の事、覚えてる?」
「ああ、例のトラファルガーの遺剣か。憑依なら或いは。……………そうであるな。きっと、そうだろう」
まだ、後押しが足りないかな。
「それに大丈夫、俺がきっちり取り押さえて解呪してしまえば万事解決だって」
解呪しても俺への殺意は消えはしないけれど。……俺はむしろ、解呪した後冷静になったエマが惨たらしく殺人を犯した自責に耐えられるかどうかの方が心配だ。
「バウム。エマは助ける。絶対だ。……だからバウムも自分の気をしっかり持ってて。戻ってきた時、親こそが誰よりも、変わり果ててたとしても嫌悪感なんて微塵も持たずにただ包み込んでやらないと、立ち直れるものも立ち直れないよ……ん?」
何だか見つめられている気がしてバウムの方を向いてみたが、当のバウムは俯いて考え事をしているようだった。気のせいか。
今、ガサリと動いた林道の茂みも、あの巨大な雀みたいなミッポ鳥か何かだろう――――。
「――――――――――――――――――――――――――、……びっくりした……」
少女はヒカルの視線が自分に真っ直ぐ向けられた瞬間、反射的に後退しようと尻餅をついてしまうのだった。ファンナの超聴力やミナの広範囲魔力感知をして捕捉することが出来ない完璧な隠形を狙い澄ますかのように見破られた、かと思ったからだ。開いた口がふさがらず緊張に汗を吹き出して動けない様など、彼女を知るものならば決して信じないであろう。
見た目ならば確かにただの美少女である。赤いフリルラインが何本も縦に走っている黒長シャツ、パレオ状の巻きスカート、そしてプリント入りの真っ白なカウボーイハット。桃色のツインテールと来れば、一体どこの西部風アイドルポスターから抜け出てきたかと言わんばかりだ。
――けれど、彼女は曲がりなりにも真法騎士団諜報部隊長。卓越した隠密技術と経験、体温体臭遮断、身体のゆがみやひずみによる体音のなさ、全身の魔力孔が塞ぎきってしまっていることによって魔力感知すらすり抜ける、魔力第一主義である今のラグナクルト大陸においては奇形とも呼べるポテンシャルを持つのだ。素質があったためか、生まれた頃から忌子として家族からも敬遠されていた。――生きているならば必ず漏れ出すはずの魔力、が、彼女にはなかったのだから。
徐々に緊張が解け消えていって、……終いには、ひく、ひくと頬が笑みに震えだした。
「近距離で見ればいよいよよっぽどだってば、あの魔力の純粋さ。……くひひひ、でもこうも上手いこと総長の言うとおりに事が運ぶなんてね。人外補正…………いや神様補正とでもいうのかな、ホントあっぱれあっぱれ」
尻餅をついたまま膝頭を叩いて堪え笑ってみせるマァム。今回はお目付役とも呼べるだろう諜報部新人のビルとは別行動を取っていて彼女一人だった。
ソルム・ソネット・ラ・ヒカルがアーラック盗賊団の手に落ちマッシルドより『転移』され、僅か2日ほどで、行方不明だったマグダウェル嬢をも引き連れてターヴに乗って帰還してきたことはマァムの調査により諜報部で確定情報として取り扱われている。ゆえにヒカルの行動力は高く評価され――同時に危険視されているのだった。
常人では思いつかないような破天荒、常人ではこなせないような作戦の力任せな遂行は、ある種の美学すら感じられる。スマートさはないが、その派手さや豪快さは、ある種の――――英雄、のそれに通じるだろう。
その予兆を感じ取るかのように…………まるでヒカルが何の憂いもなく戻ってくる事が見えていたかのように、マァムの上官である真法騎士団総長はヒカルの再来を予言していた。予知などではなく、単純にヒカルの在り方や行動の軌跡が、いつか書物で見覚えがあるかのような言いぐさ。――元々正体不明な総長ではあるが、それでも立派な彼女の上官である。
「なるほどね…………確かにヒカルとその周囲を遠くから観察していると、諸国の動きが簡単に分かっちゃうわけなのね。強力な本戦選手が目障りだったり不確定要素は極力排したいのはどこも同じ、か。えっへっへ、ざまぁないね」
コロシアム本戦に出動する選手のうち、ヒカルを初めとしてシュトーリア、ファンナ、ブックナーの俗に言うヒカル一派、そしてアラストを除けば、他は全て政治的かつ国家的な圧力や権力が選手一人一人に絡みついている。
王侯貴族のコロシアム本戦の賭け。実は本戦出場のメンバーはその全てが予選前から勝ち残る事が決まっていたのだった。複雑なものではない、試合ごとに八百長が行われていたというわけではなく、彼らの予選の1から20までのグループの割り当てがコントロールされていたと言うだけである。そのグループ内で彼らは順当に勝ち残り……――王侯貴族の思惑のままに20名はその名を本戦に連ねることになった。
「勇者は時代の節目に現れるっていうけど、その実は勇者が時代を作ってる。時代は勇者に付随、寄生、そして規制して手駒に置き自国の繁栄の看板とする――なのならば。フフ、その勇者の卵の取得はそのまま自国の『良政』への先刻投資で、『勇者を生み出す』ためのコロシアムは国力増加につながる大々的な国家行事とも呼べるんだから。自国で勇者候補を前々から飼い慣らしておくのは当然。わかるぅ? 君らがこのマッシルドで安全にいられるのは無理無理」
――――ヒカル一派はどの国にも利益をもたらさない。ならば、少しでも自分達の国の利益に近づけるためにその命を狙うのは当然のこと。
アラストはすでに勇者パーティとしてのレーベルを持つので、彼女の順位はコロシアムでの勇者選定には適応されない――つまりアラスト優勝する場合においては2位が勇者としての格を獲得する事になるだろう。
「だけど、国がいくら飼い慣らしてたって、勇者を横から掠め取るのが『真法騎士団』のやり方なんだけどね。あははっ」
マァムは自ら、大衆が持つ神聖な真法騎士団のイメージを貶めるような言いぐさをした。
ラグナクルト大陸最強の二枚壁、タンバニーク騎士団と双璧をなすは――――――聖王神ムードゥルを掲げる大陸最大宗教イグナ教すら手を出せない絶対性と格を持つエストラント真法国の至宝/司法。そのベレー帽型兜の蒼い法の守りを突破することは世界を矛盾させることに等しい絶対守護。なびくのも当然であろう。かつてニスタリアンの英雄トラファルガーすらその席を置いた、名実共に一騎当千が連なる精鋭部隊。
――真法騎士団。
身内でさえその闇を知り得る者は少ない。マァムでさえ、せいぜいイグナ教牽制のための隠密、殲滅作戦に加わった程度である。どんな聖母のような微笑の裏に腹黒いものを抱えているのか……。
「…………ふんだ、どうして総長があいつを気にするのやら。何なの、じゃあ私達はあいつに唾をつけておくってこと? ……とと、追跡しないと」
マァムは尻餅したときについた湿気た土を両手で払うと、ヒカル達の気配を追うために表へ足を向け、
がしッ。
「え、――、」
後ろから肩を掴まれる。何ごと、とマァムは先ほど吹き出しかけた冷や汗を思い出したかのように全身から滲ませながら心臓を握られているように固まった。自分とあろう者が背後を取られるなど、という歯ぎしりもどうしようもなく震えてしまっている。両の手の平がすがるようにスカートを鷲掴み、ここ数年で久方ぶりにたまった唾を嚥下した。
おそるおそるその誰かを振り向こうとして、……おあずけをするように、ちょん、とその頬に指を当てられた。
「――怖い物見たさでも我慢するべきですわね、貴方。まぁ男子を物陰からのぞき見するような人に何を言っても無駄でしょうが」
女の口調ではあるが――マァムには分からなかった。男とも女ともつかない不自然に機械的なノイズがかった声色は、あらゆる直感を先んじて性別や年齢を判別させてくれない。――いや本当にノイズがかかっているかどうかもマァムには自信がなかった。黙秘の香のように無意識レベルに認識阻害の何かの強制力が影響していて、声の主の正体を思考する事を妨害、阻害しているのかも知れない。
(な、何よ、誰よ、こんな技術アストロニアだって、ううん隣大陸でだって聞いたことも――……!!!)
「ごめんあそばせ。質問に答えるならば危害は加えませんわ。まぁ……あんなにも分かりやすく坂月ヒカルに視線を送っていれば嫌でも分かりますけれど。ここ一帯では貴方が最後ですわ」
(貴方が最後って……あ)
気付けば両足をつなぎ目のない太い手錠のようなもので捕縛されている。マァムは悟られないように明るい夕日のコロシアム階段へ視線を戻し、そのままコロシアムの貴賓塔の屋上に視線を動かした。そこにはベーツェフォルトの暗殺者が塔の影に身を潜めながらヒカルの背を虎視眈々と睨んでいたはず――…………が、……だらんと屋根に両手を投げ出してうつぶせに倒れているではないか。…その他も確かめてみたが皆気絶しているか姿を消していた。皆……隠形技術においてはそれこそマァムも一目置く者もいた各国の諜報だというのに、それを片っ端から見つけ、――このように背後を取ってきたというのか。
(そんな…………馬鹿な、ばかなバカなバカなバカなバカな…!)
「聞いてますの?」
「……で、私に何が聞きたいわけ。見ての通り、……じゃぁ分からないか。私ギルドの情報屋だけど、あの子についてはそんなに知らないよ」
「そうですの? ま、いいですわマァム。真法騎士団の諜報員である貴方は精々観察と報告しか命令されていないのでしょう? 想像に難くないですわ」
「………………………………ど、どうして……!? 名前まで、」
「私が貴方について知っているのはその程度。それ以上は興味もありませんし。貴方個人が何かしら彼について執着を見せていたら話は別でしたのに……どうも違うみたいですわね。ごめんなさいな」
「……保証は出来ないよ? 上に命令されればいつ私が手にかけてもおかしくない。中間職って面倒でさ、わかってくれるかなー」
「なら上とやらにお伝えなさい。
邪魔をすれば貴方がた、破滅も覚悟してよろしくってよ」
「…………………………………………へぇ、」
一体何者だというのだろう。
真法騎士団を知っておいてこの所行、この言いぐさ。
――隙を探した。離脱方法、背後の人物の呼吸のテンポ、地形、障害物、現体勢からの応戦手段を有効順位別に並べ立て全てを検証した上で。なおも、光明は見つからない。
(おかしいよ、これ。……だって、あり得ない――――!!!)
その絶対的な理由は、今もマァムの両足を捕縛する、つなぎ目のない太い手錠状の足かせだった。
「…………聞いて、いい?
あんたさ、どうして魔力を使わずにこれはめたの?」
魔力に関しての完全な隠密性に優れるがゆえに、魔力の肌触りに敏感なマァムだから分かった事だ。
「魔力を使わずして、魔法が使えるわけないじゃない…………!!!! それを何で!?」
ソンナモノが当たり前になれば魔法理論の常識を崩壊させるといっても、過言ではないのだ。
「……ま、いいですわ。それではごきげんよう」
トン、と首筋に手刀。青ざめて激昂するマァムの視界は瞬間、暗転し――『ルリューゼル』の名を名乗る女性は林道に姿を消していく。
大通りの料理屋で宴会じみた夕食を取り、夜。
俺は月明かりだけのベッドに横になりながら天井を見上げていた。ふと眼を閉じれば、脳裏には、先ほどの賑やかすぎる夕食の光景が目に浮かぶ。
やけ酒のつもりか、バウムがぼそぼそと愚痴を言いながら俺やミナに注がれるままに酔いつぶれるまで飲み続けたり(最後はテーブルに突っ伏して鼻ちょうちんであった)、ファンナのお代わりに次ぐお代わりに店長が涙目になって追加の食材を探しに八百屋肉屋に押しかけに出ていったり。いらないと拒むシュトーリアにやや強引に飲ませてみると、すぐに顔を真っ赤にして料理屋の外に響くほどに『わはははははははははははははは!!』と大笑いしだす始末である。こいつ笑い上戸だったのか。終いにはたがが外れたのかファンナと飲み比べしてたりしたが、まさかのファンナがサラダに顔を突っこんでダウンして決着がついた。(店長が諸手を挙げてシュトーリアを祝福した)
ちなみに、俺は飲んでない。大事な本戦前に飲んだりするほど肝っ玉も自信もないしな。――ぐでんぐでんの三人をホテルに連れ帰って各部屋のベッドに寝かせるまでしてやる俺の慈愛の精神に涙が出る。ファンナにシュトーリアよ、俺一応お前らの競争相手なんだぞ? ついでに俺、男なんだぞ?
「本戦前日だって言うのに……全くあいつらは」
さっきまでミナの部屋で明日についての作戦を相談していた俺だった。それである程度の方針が決まり、現在自分の部屋で――物思いにふけっているわけ、ということである。
(さぁ……とうとう明日だ。明日で、決着をつける。終わらせてやる)
エマを助ける。明日はバウム達も試合を観戦する――間違ってもバウムの目の前で死別なんてさせてやらない。
マグダウェルも問題だ、あいつはおそらくアーラックと戦うために出場しているようなモノだろうし、……機会が来れば、ルールを無視してでもアーラックの命を狙うだろう。だがそれ簡単であるはずがない。大陸全土から追われているはずの人物だ、不意打ちごとき当然のように対処する用意があるに違いないのだ。
そしてそのアーラックとは、…………ブックナー……いや、アミルの兄なのだ。ブックナーはまだその事実を知らないはず。俺的に一番なのがブックナーに実の兄だと感づかれる前にアーラックを仕留めてしまうことだ。兄妹の情だかでかばわれても百害あって一利なしなのだから。
……考え出せばきりがない。優先順位を上手く振り分けられない。目下は最初の対戦相手であるエマだろうが、…………じゃあマグダウェルやブックナーをおろそかにしていい、なんていうのはあまりにも楽観的に過ぎる。何とかなる、だなんて他人任せで運任せな精神論ではまた元の世界と同じように死体を増やすだけだ。思考停止は罪だ。一の動作で四、五の結果を捻出してやっと勝ち取れる、犠牲の少ない理想の結果――――……って、
「はははははっ、俺って何様のつもりなんだか。自分は大丈夫かっていうんだよ、ばっかだな」
結論から言おう。俺は優勝するならわけないんじゃないか、と滅茶苦茶気が楽なのである。警戒さえしていれば死ぬなんてまずあり得ない。――もう、何の心構えもなく技術もなく運命の風雨にさらされているわけじゃないのだ。優勝賞金三〇〇万。それに何だかやけに『優勝頑張ってね!』的なプッシュをミナとナツから感じたけど。
「は、はは……まぁお金はあって損はない、しなぁ……」
竜剣を手に入れるための密林サバイバルに徹底的に装備を調えて、傭兵小団隊雇っちゃって進むっていうのもありっちゃありだ。それと一度個人的に『お金の海』で泳がせてみたい。経験あるけど、ちょっとばかしそれまでの価値観と小銭の文化がしばらくバカらしくなるほど――――。
「――――――、俺のせいなんだよな」
その瞬間、渇いた笑みは嘘になる。
俺のせい。
――誰かに責任を押しつけるよりそう思っていた方が嫌な気持ちにならなくて済む。
もっと速くアフタの町にたどり着いていれば襲われる前にエマを助けられただろう。俺への敵意も、もしかしたらただ励まして支えて破瓜の悪夢を忘れるように辛抱強く辛抱強く腫れ物に触るように良い子良い子可哀想な子と優しくしてやればそれだけで解決した話なのかも知れない。――――でも。俺は同じ失敗を二度も繰り返したくはなかったから。
女の子にとって『初めて』というのはそれだけ意味があるモノだ。
純な心を持つ子ならなおさら。
一生に一度きりしかできない異性への贈り物。今日この日まで貴方を一途に思っていましたと言葉以外で伝えることが出来る最大の誠意と言っても過言じゃない。心根の弱い現代の少女なら、予期せず失うだけで自殺に走る事だってある。この地の女の子だって――心の痛みの強弱に違いはあれど、傷の深さは一緒だと思う。
恨む事で生きながらえるには、比較的その恨みを晴らすことが可能である可能性が脳内にちらついていることが必須条件だ。ゆえに、エマにあえて追い打ちをかけることで少なからず、という可能性に賭けた。応急処置という意味では俺としても不本意な方法だった。
(代わってあげられるなら……………………代わってあげたかったさ。
そんなの俺一人で十分だ。
当たり前だろう?
そんな女の子の辛さを、俺以外に誰が分かってやるって言うんだ)
ここには『みんな』がいない。古屋敷先輩に、頑張ったね、と慰めてもらうことも出来ない。だから、月明かりが辛くて、ごろんと窓に背を向けた。何だよ、ここは俺のいた世界じゃないっていうのに、同じように月があるんだか――――――
『――難しい顔をして。
貴方またそうやって、他人のことまで背負い込むのですわね』
そうそう、こんな情けなくいじいじしている俺を見た時、きっとあいつならそう言うんだろうな。単純で、それでいて深く突き刺さる一言一言が懐かしい。
顔をつきあわせたら何か言ってやらないと気が済まない間柄だった。人の顔を見るとひくひくと口端を引きつらせて『また貴方ですの』と俺を殴らずにはいられない、あの子。
思えばいつも怒られてばっかりだったよな。当然だ。気高く、自分に厳しく孤高で、とても強い女性だった。俺なんかあいつの目にはそれはもうだらしなく映っていたんだろう。
しかし心の奥底はとても繊細で、時に誰よりもヌケてて。――――――困っている人を見れば、我が身を賭けても助けずにはいられない、素直になれない究極なまでに不器用なお節介焼き。……格好良かったさ。その生き様に憧れもした。だから『あいつの隣に並ぶに相応しい男の子になる』は、俺の一つの目標でもあった。
幻聴かなぁ。緊張してるって言うのに心乱すのやめてくれよホームシック……。
『ははぁん、む、無視、ですの。……まぁいいですわ。寝ぼけているならそれで。久方ぶりに顔を見て手が出そうでうずうずしていましたし、試合前に傷だらけにしても仕方ないですものね。いまいましい。
……全く。坂月ヒカルはいつも、心配事を持ってきては人に手間をかけさせる』
もうやだ。幻聴やだやだやだ。俺は枕を頭に思い切りかぶせてばたばたと足をばたつかせる。
『な、何ですのそのリアクション。…………………………………あの人、本っっっ当に気付いていないのかしら。あっそうですの。……一発殴ってあげた方がいいですわね。
――ん?』
「……る、ルリューゼル…………貴方ッッ!! 待ちなさい!!」
マグダウェルの叫びと共に、バンッッ!! と二つ隣の部屋の窓が勢いよく開け放たれる音が響いた。窓枠を踏みしめる音が続く。……俺の部屋の窓の正面に誰かいたのか、舌打ちがした。
「な、なんだなんだ……?」
俺は枕から顔を出して窓外に目を向けた。通りを飛び越え、向かいの屋根に飛び移ったマグダウェルと、彼女から逃亡する誰かの背中。
――そいつは、一度だけこちらを振り返り、クスリと微笑んで。
……硬直した俺が再び目をこすって見た頃には、ただただマッシルドの町並みと眠らぬ町の光と闇が続いていくばかりだった。
「あ~~~! ご飯が美味しい! 美味しいぜ畜生!」
「ひギッ……うぅ~……頭痛い。ヒカル、お願いだから耳元で大声出さないで……二日酔いでも痛いのにもぉ……ぉえ」
「……ファンナ姉ちゃん、選手、なんだよね? 一応」
いつの間にかお決まりとなったホテルロビーのレストランでの朝食のテーブル。俺の隣で頭を抱えて机にうつぶせになっているファンナを、その隣のブクオが背中を撫でてやっている
「ぞ、ぞうよ……ゥウう、い、痛いぃいい……」
「貴方という人は……。自業自得ですね。どうせならそのまま棄権してはどうですかファンナ。ええ、それは我ながら良い考えです」
あ、あはははは……と、ナツが苦笑する。ナツは食事をしながら、いくつもテーブルに小瓶と皿を並べ、酔い覚ましの薬のために薬草を調合している。ファンナと……まだ部屋で寝込んでいるバウム用である。ミナの突っぱねた言い方に『こ、こいつ…』と何か言いたげなファンナだがミナに苦し紛れにガンつけるだけで、すぐさま口を手で押さえるのに忙しくなる。
「なら簡単ですね。シュトーリアは左のトーナメントを制してしまってください。右のトーナメントから勝ち残ってきたヒカル様と当たったら負けるのです」
「んむんむ(パンをかじっている)…………ぶふっ!!??」
シュトーリアの吹き出したパン屑と一緒にナツの薬粉が吹き飛び、ミナに直撃した。
「けほっけほっ……食事中ですよシュトーリア!? もう、粉末で服が緑っぽく……ああ、ヒカル様すみません。お召し物に少し飛びましたね。……シュトーリア、貴方聞いているのですか!?」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待ってくれミナ……はは、なんかの冗談だろう……? 八百長などと。私だって威厳と剣の誇りをかけて優勝を賭けて戦う選手、」
「はぁ。……何をたわけたことを言っているのですか貴方は。貴方のプライドや道理など知ったことではありません。棄権はダメです。負けてください。出来る限り無様に」
ヒカル様の良い宣伝になりますしね、とずずず、と湯気のくゆるティーカップを傾け、のどを鳴らすミナだった。いつもの巫女服に薄藍のロングヘアを背中に流して涼やかなものである。黒髪ウェービーボブカットのシュトーリアが焦りまくりながら立ち上がる。
「そ、そんなッ……、私はこのコロシアムでヒカルと戦うために修行をしていたんだぞ! 何よりヒカルに勝たないと、その……、だな! そ、そのぉ…………」
途端、顔をかぁ……っと赤らめてバンバンバンとテーブルを叩いて抗議するが、
「知りません。そうですね、理想としては大衆の面前でヒカル様に散々弄ばれた後、押し倒されて首に剣を突きつけられつつ泣きむせび、失禁しながらびくびくと情けなく命乞いをするような感じが、」
「い、いやだぞ私はそんなのっっ! 私は誇り高い騎士だぞ!? そのような事、剣にかけてもできるわけがないだろうっ! なんでそ、そんな辱めなんか……!」
確かに後々まで語り継がれるレベルの無様さである。
「まぁ、シュトーリアくらいだったら別に……。まぁそんなお嫁に行けない感じでシュトーリアをこてんこてんにしてしまえばいいんだろ。適役じゃないか」
「おいヒカル!? ま、ままま待ってくれ、二人で納得しないでくれ、君達二人は私をどうするつもりなんだっ!?」
「ヒカル様、こういうのはどうでしょう。適当に彼女の鎧を削った後、例の生きてるような鎖で縛り上げて観客に見せびらかすように引きずり回したあげく、」
「うぅう、ぅう、お願いだ、私を置いてけぼりにしないでくれ……。お、お願い……」
「ふむゥ……」
ミナも中々腹黒い所があるなぁと改めてしみじみ思いながら泣きッ子化しているシュトーリアに視線を向ける。シュトーリアねぇ。何だかんだでコロシアム本戦の賭け金で言えば俺よりも上。ファンナは地元人でかつニスタリアンの生徒ゆえにある程度知られているのは分かる。しかしシュトーリアは何なんだろうな。町の警備にしばらく手を貸していたとは聞いているが、それでもそんなに顔や名が広く知られているとは思えない。コロシアム予選だってシュトーリアが試合している間にも他のグループが三隅で試合しているわけだし、何よりシュトーリアには技に派手さがない。特に目をかけるためには――シュトーリアには何か付加価値的なものがないといけないわけだが――、
「…………………美少女、対決ぅ?」
ふむ。よく考えたら第一試合初っぱなから観客の目の保養を…………ってあれ、
「みんな、この対戦表の選手のプロフィールについて聞きたいんだけど」
「ヒカル様、戦う前に敵の分析ですねっ! さすがヒカル様! 私も全力で協力しますからっ。ちょっと痛みがトンだりハイになるお薬とか作っちゃいますから!」
鼻息荒く目を輝かせて俺を見つめてくるナツだった。…………軽く引いた。
「ナツ?
…………まぁ私も微力ながら情報を得ていますので聞いてください、ヒカル様。
そうですね、上から――」
「……………………………以上です。何か質問はありますでしょうかヒカル様?」
「…………いや、ちょっとね」
ファンナVSシュトーリア、マグダウェルVSルリューゼル、俺VSエマ……。
身内戦が多いな、とふと思っただけだ。確かに20人中6人が知り合いなんだからあり得ない話ではないのだが、違和感を覚えた。
ファンナVSシュトーリア、俺VSエマについては『同士討ち』………それにトーナメントの配置についても、示し合わせたようにマグダウェルとアーラックが同じ左下グループ、おいたが過ぎたと噂されていたという俺に至っては、どう考えても右下は明らかに故意に俺を潰そうとしているとしか思えない。まぁ……こういう大会で何らかの意志が動いていないって言うのはまずあり得ないし。てか誰だよアラストって。エマに至っては、全盲の殺人鬼とまで呼ばれている。ミヨル憑依の幼い笑顔で買ってもらったスカートやキャミソールを見せびらかしてくる光景が今でも目に鮮やかで――――――、
「ヒカル、みっともないぞ。トーナメントの対戦配置について何だかんだと。
確かに各国の思惑は交錯しているだろう。けれど、例えアーラックのような犯罪者であっても勇者の候補として大会中は捕らえないと保証されてもいる。勇者を大陸より輩出する、という厳格な目的の基盤があってこそだ。いいか、私達は他の対戦者のように後ろ盾や背負うものの少ない身だからといって――」
お堅いったらありゃしない。シュトーリアよ、もう少し疑うことを覚えないとだな……、
「……………………………………あれ?…………いやいいんだよ、……………そうか、いや…………そうだよ! そうだったんだよ! クッソ、何で今の今まで気付かなかったんだ!! ナイスだシュトーリア! 何もかも、そう言うことだったんだ……! ……なんてこった………………!」
――全部つながった。この対戦表で、それは確信に変わった。
「ひ、かる? ……どうしたんだ、いきなり」
「…………さぁ。私には、ヒカル様の深考は計りかねます。ヒカル様、一体何をお気づきになられたのですか?」
「説明は後だ。まずやらなきゃいけないことがいくつかある。時間も惜しい。被害も最小限に抑えないと」
俺は席を立ち、おほんと一回せきをする。そして――――手始めにそいつの肩にポンと手を乗せた。
「ねぇ、そう思うだろ、ファンナ君?」
ふぇ、と二日酔いにふらふらしている頭を起こしながら俺を見上げてくるファンナに、俺はニンマリと笑いかける――――。
朝食後、俺達は大きなふくらみのズタ袋を持ってギルドに直行した。案の定ギリリー、アグネらが朝っぱらから酒を飲んでいる。
「ギリリー達おはよ」
「お、おおう!? ヒカル様じゃないすか! 本戦出場おめでとうございやす!」
「おはようございますヒカル様。あたしらもヒカル様に賭けさせてもらってるよ。頑張ってくださいな」
「ありがと。でも残念ながらその期待に応えられるかどうかは分からないなぁ。とりあえずこれ」
でん、と神殿障壁で浮かせてきていた『人間が一人、入ってそうな大きさ』のズタ袋を酒場の板張りに寝かせて言う。
「これは一体……?」
ん、んむ~……! とくぐもった声が聞こえてきて、さらには動いているだけにギリリー達達も怪訝な目になる。
「これを大会中運んで動き回って欲しいんだよね。できる? 報酬ももちろん出すよ」
「い、いいですけど…………はぁ、」
俺はそうやってファンナを引き渡して酒場を出る。酒場の前でどんよりと罪悪感に落ち込んでいたシュトーリアはミナに慰められている最中だった。俺は魔法の言葉を呟いた。
「鬱陶しいな。――――――シュトーリアもお持ち運びされたい?」
「い、いいいいいや、それはいい……」
ビクビクビクッ!! と背筋を震え上がらせて元気に返事をするシュトーリアだった。「お前を残すのはあの二日酔いより役に立つからだぞ、立たなかったらどうなるかわかってるだろうね。ん?」
「……ファンナは本戦出場を切望していたんだろう? 人のの半生の目的を簡単にへし折れる奴なんて……」
「これは俺の友達の受け売りだけどさ。
――――人の夢ってね、折れる時、それが情けない理由であればあるほど、いい音を立てて折れるんだってさ」
「こ、この人でなしめ…………っ!」
人でなしで結構。むしろそう思われた方がこちらも妙な罪悪感に捕らわれないからやりやすいしな。
「………………優先順位を間違えちゃいけないんだよ」
「……ヒカル?」
今なら何が起こっているかという盤面が見える。きっと昔三六九もこんな風にして自分すらも客観的に捉えて俺達と一緒にいたのかな。……そう思うと酷く恥ずかしい気分になる。そこへいくと今の怪訝そうに俺を見ているシュトーリアは昔の俺を見ているかのようだから、呆れを通り越して何だか可愛く見えもするのだ。守ってやんなきゃな――って。
「いいじゃんか運も実力のうちだ。お前は戦わずしてトーナメントを進むことが出来たってだけの話。精々優勝目指して頑張るんだな。ま、……対戦相手が絶対『対戦中にしか手を出してこない』っていう都合のいい話はないって考えた方が良いぞ」
ひらひらひら、と後ろ手でシュトーリアをバカにしながら俺は先を歩き始めた。朝日に向かいながら進む先は――――マッシルドの華、コロシアム会場。
「ヒカル様、」
ポンチョの背中をつかまれたらしく、引っ張られる。そのまま窺うような上目遣いで俺戸の距離を詰めてくるミナは、そこで意を決したように言った。
「それは、危険なことなのですか?」
「…………いんや。そんなわけないじゃないか。俺、運良いから」
「運、ですか?」
「そうだぜ-、運は大事。偶然とかも、案外バカに出来ないものがあるよ」
ほら。その証拠に、一国の王子様が何を間違ったのか『不運のアーラック』なんだろ? そんな出会っちゃ負け、みたいな代名詞。
つけるからには相当な――――。
野球ドームくらいの広さの闘技場を、贅沢にも丸々全部戦闘フィールドにしてのコロシアム本戦だった。マッシルドの会長とやらの本戦に向けての挨拶が終わると、観客は身を乗り出さんばかりの熱狂で叫び、本戦への期待を露わにした――のだが……、
『……え~、本戦の記念すべき第一試合ですが、ファンナ選手の棄権により、シュトーリア選手の不戦勝とします! ……あーあー、ブーイングはやめてくださいねー、ってかうるせぇ! 美少女対決の実況楽しみにしていたのよ私も!!』
――――その第一試合目がまさかの『不戦勝』である。
『ファンちゃまあり得ねぇええええええええええ!!?? な、なんかの間違いじゃ、』
『弓姫様に限って棄権!? あの子のコロシアムにかける思いはそんなものじゃなかったはずだッ!!! あの憂いな表情を覚えてる、あの子には崇高な目的が……、』
『シュトーリアちゃん万ざぁああああああああああいい! 祭りじゃ祭りじゃーー!!!』
『うぉおおおおシュトーリアちゃんヴィクトリィ……!! でもなぜだろう、この目から流れる熱いものは……!!! 見たかったぜ、俺のキャットファイト……ッ!』
『我らがシュトちゃんに恐れをなして逃げたな、あのビッチが……』
『ヴィイッチィ……? 今お前、ファンちゃまのことヴィイッチって言ったか……!』
『そこのウザいシュトーリア信者を殺せ! 兵士だろうが何だろうが血祭りに上げろ! 殺せぇええ!』
『いやむしろ胴元を殺せ! 金返せ! 俺の年俸前借りした一年分の給料を返せぇえええ!!!(泣)』
『こ、こいつ………………!』
『お前……今度めし奢ってやるよ…………』
まぁ、大会出場者ではダントツの目の保養対象とも言うべき二人の対戦が見れないとあってはキレるわな。昨日の試合表をみて悶々と期待を膨らませていた人もいたはずだ。胸が痛い。
「賭けでもファンナは人気だったですし、下手をすれば暴動が起きるかも知れませんね」
二日酔いのままでもほっとけば出場しかねなかったファンナだ、いつものファンナの事を知っている人達から見ればそれはさぞ奇妙な事態に思えて仕方ないだろう。あいつが棄権、だなんてな。
「……ば、バレたら俺殺されるかもしれん……! うう、次の試合早く始まれーっ……」
おっと。ということはそろそろ俺も移動しておかないといけないな。
「じゃあミナ、ナツとヤークをしっかり見といてくれよ。ちょっと先に準備運動してくる」
『え、えーっと……それでは気を取り直しまして、第二試合目を始めさせていただきます! 事実上第一試合目ですね! 期待も高鳴ってしまいそうです。
それでは左入場口より、傭兵魔術士――『圧縮速射』のテオ・アグナルン・ラ・カッツィオ選手ぅううう――――ッ!!!』
がりぢゃりがりぢゃりがりぢゃりがりぢゃり……極太の鎖を巻き上げる音が響くと共に、闘技場左手、成体のゾウが楽々通れるような鉄柵の門が引き上げられる。
未だファンシュトショックにもんどり打っているような空気の中、『仕方ありませんね』と言いたげな苦笑顔で入場してくる三〇才ほどの精悍なアルカイックスマイルである。何枚も生地を重ねた厚手の服装を金属製のプレートがさながら締め付けている感じの、剣士と見まがわんばかり、魔術士にしてはしっかりとした鈍色の装備らは、その身一つで稼いできた傭兵の在り方を表しているようだった。魔術士が魔術士の格好をしているというのはある種の情弱という奴なのであろう。ばさり、と向かい風に橙色のマントをはためかせてゆったりと歩を進める。
「ヒカル様?」
「……あ、ごめんごめん。じゃあ行ってくるよ」
何だか聞き慣れたような単語が聞こえた気がして、一瞬歩が止まってしまったのだ。こんな所でもたもたしてる場合じゃないっての。えーとあのカッツィオさんが左ゲートだから……。
右ゲート、大剣使いの巨人、バルドーウェ・ランラン・ラ・ダランが入場し終え、再び鉄門が下ろされる所だった。教室が二つ縦に重なったような広々とした正方形の、一面砂煉瓦張りの空間に、彼女は闘技場を見据えて立っていた。銀糸の、ロングの姫カットはさらりと、戦士の汗臭さの染みているこの場ではあるまじき輝きである。ゼファンディア魔法学校の制服――胸に金色の王冠の刺繍の赤いブレザー、栗梅色のロングスカートは、そのまま貴族の体を示している。片耳にかかった繊細な髪をそっとかき上げる。
自分がその場に立つ。顔見知り――いや、復讐相手の一人である。ルリューゼル、と呟き、瞬間、その薄い灼陽の瞳に宿る殺意。はやる気持ちが、腰に差している刺突に特化した剣……フェンシングタイプの剣に手をかけさせた。
「あの、すみません、現在次の試合の方が詰めておりますのでゲートには、」
「知り合いですわよ。すぐに終わりますわ、通しなさい」
「――ッ!!」
マグダウェルは反射的に踵を返し、待機室に入ってくるその人物に目を見開いた。
「試合前ですわよ、少々気が早いのではなくて?」
――その、人間味のない、性別すらも判別できない機会じみた声。
「貴方……ッ!」
ギン、とわき上がる復讐心のままに睨み付ける。マグダウェルの脳裏には自分のために自分のせいで死んでいった三人の笑顔がちらつき、一瞬視界がぶれるほど。
「なぜここへ。
ルリューゼル――またも卑怯な真似を狙ってですの?
誇り高きゼファンディアの学び人とあろう者が、芽摘みの会などという売春組織に手を貸したというその所行。そして…………家族にも等しかった私の友を死に追いやった事実。……ゼファンディア魔法学校、第83代生徒会会長として、ルリューゼル。心配しなくとも、私は貴方を今日ここで、裁く。話す事などありません」
ルリューゼル、と呼ばれた人物は、首下はマグダウェルと同じ服装――身長が168センチと高いマグダウェルに対して、ルリューゼルは制服をぴっちりと押し上げ張り詰めるような胸部を主張するスタイルであった。その姿は無手。戦士なら剣や斧を、魔術士なら杖を、という中で、魔力を拳に込めての貴族にあるまじき蛮勇獰猛な近距離武闘戦術をとるルリューゼルならではの風体である。
ただ――頭部に限っては別物だ。髪はなく、真っ白な乳白色の、液体のつややかさを持った『人の顔の輪郭のみ』の、不気味。高い鼻、目のくぼみがもうしわけ程度についた、マネキンじみた顔なのだ。
「それで?」
「それで、ですって? 性根や目が腐っているだけではなく思考能力まで劣化したのですかルリューゼル。……ああ、そう言えば貴方は、私に勝てないあまりに芽摘みの会に手を貸したのでしたね。私から奪った生徒会長の証、今も身につけているのでしょう? 実力ではなく、一人で掴んだものではなく『おこぼれにあずかった』それを」
一歩、力強く詰めるマグダウェル。魔力という魔力が瞳という魔力孔に集約されていくがごとく、血走り始め、憎悪をにじませて。その口に牙が、その手にかぎ爪がないのが不思議なほどにマグダウェルは人の品と様相を保っていたが、――それはあくまで見た目の話。剣山のごとき視線が描く印象上では、眼前のふざけたマネキン面の元同級生を今なお千殺し続けてあまりある。
なのに――マネキンの女性は全く動揺を見せるどころか、涼しげに腕組みをして、そんなマグダウェルをあきれ果てるように顎を上げ、言った。
「……はぁ、この三日間、見つけたら追ってくると言うそのしつこさは認めますが。その気の早さが彼らを死に追いやったのではなくて? こちらの話を聞くつもりもない――」
「話? 貴方がするべきはあの子達への懺悔では? もっとも、アーラックの手先にその余地などありません。出て行きなさい。外では仕留め損ねましたが、時は満ちました。
人として死ねると思わない事ですわ。
もはや同じ制服を纏うことも反吐が出ます。
――動かなくなった貴方の四肢を潰し、
ハラワタを引きずり出して会場中にまき散らし、
貴方のその自慢の髪を引っ張って首を引きちぎり、
観客席で高みの見物をしているだろう首謀者に投げつけて、宣言させてもらいます。
――次は貴方だ、と。
ルリューゼル。目障りです。――――――消えてください」
キッ、と最後の一瞥をくれた後、マグダウェルは日光に眩しい闘技場へ向きを戻した。 その身は貴族で、誉れ高き『最高学区・当代』で、五〇〇〇人の生徒の頂点に立つ生徒会の長なれど、蝶よ花よと育てられてきた少女が――こうも品を忘れるほどの悪言を放つなど、誰が想像できただろう。もし死んだ三人が生きていたなら、例え自分達のためであっても、マグダウェルがそのような言葉で唇を汚した事を猛然と叱ったはずだ。
ゼファンディア魔法学校に入るまでは、あらゆる事象、書籍を初めとして、人の感情も成功も失敗も、家族でさえも涼しい顔で情報として認識するだけだった。成績や魔力が優等生と認知されるも、自分の学業につまらない重しがついた事にさらに感情を潜めた。授業を受けるより図書室にこもる方が有益だと主張し彼女が教室にいるのはまれだった。……簡単と思われることが出来ない周りにいらだち、今の非効率をさらに落とさないために、顔をつきあわせたくなかったのもあるだろう。ルリューゼルのようにねたみをぶつけてくる人間もいた。浮世離れしていると、尊敬と奇異の目を持って近づいてくる人間もいた。だが成績という優等生のレッテルは、学校中に国中に彼女の有能ぶりを見せびらかすばかりか生徒会長という位置にまで押し上げ、――いっそう彼女を非効率でがらんじめにした。
いつからだろう。
マグダウェル付きの使用人兼学生であったサルーン。魔術士でありながらパワーだったゼフェリー。ねたみ憎しみを持っていたが、そんなマグダウェルを頼りないと嫌々ながらに手を貸していたアルド。自分の言動がワガママであり困らせていると言う事に気づけたのも、――いつしかそんな自分のワガママに引きずり回されるようにマグダウェルを先頭に皆で学内を奔走していたのも。学生達が体育祭成功の宴に酔いしれている時それを見下ろしている彼女をマグダウェルの姉役であるガヴァンドルをして『今まで生きてきて忘れてきた十数年分の笑み』と言わせるほどの感情を、マグダウェルは得てきているのだ。
きっと無二の友を失った復讐心は、未だ手をかけているフルーレの刀身のように、彼女の持つ直情で、昏いながらもうち光ってすらいるだろう。――非効率を知り、繋がりを知り、そしてマグダウェルという少女が生まれて持った最も強い感情が復讐心だったのは皮肉な話ではあるが――。
「全く……ん?」
煉瓦越しに、走る足音がこの待機室に近づいてきていた。マネキンの少女が訝しげに振り返り、マグダウェルが心頭滅却しようと思考の海に沈もうと眼を閉じた――瞬間だった。
「マグダウェル、もういるかッ!!??」
木戸を割らんばかりに強く開き。
「――――ル……貴方、何でここに」
名前は聞こえなかったが、続けて先ほど自分が放った言葉と同じ意を言うルリューゼルに、さすがのマグダウェルも集中を乱し、闖入者を振り返った。
「よかった、よかった……間に合った……ッ!!」
いつかの少年が、額を汗で濡らし、肩で荒く息をしながら、まっすぐに自分を見つめていた――。