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五六話 一途な気持ち

 激闘への足踏みと、タクティクスリハビリの挿入話でございーっ(-_-)

 じわじわに文体もタクティクス風を戻していきます。あうー。

 鳥を飼うなら窓のない室内で、かつ鳥籠で飼うべきである。

 なぜなら、鳥が『外』の存在に気付くこともない。

 籠の外でそっとついばんだ米粒を最上の喜びとするなど、端から見ていた飼い主から見ればさぞ滑稽な姿だろう。

 鳥にとっても、『外』を知らないままであれば幸せであったにちがいない。

 そして、きっと彼女――アミル姫もそんな『籠の中の鳥』だった。


 完全に王宮とその近辺の森で彼女の人生を形作られていて、王家というものを家庭教師に学びながらも自らが従えるべき民草を見たこともなく、大切に大切にお人形のように飼われていたのだった。

 飼われているという自覚すらなかったのだから仕方がない。

 楽しみは部屋を出た時にすれ違う家臣と話す事で。

 使用人から内緒で譲ってもらった物語の本を読むことで。

 家庭教師に褒められることで、でも授業を隙を突いて抜け出して。

 ……兄に連れられて王宮外の森で遊ぶことで――彼女の世界は完結していた。


 アミルの特にお気に入りだったのは、兄の狩りを見ることだった。

 よくマハル家の老当主や家臣を連れて兄……ブックナーはミッポ鳥狩りに行く。

 いずれ国を出て他国に嫁入りをする事になるアミルは兄以上に厳格に作法を初めとする王宮所作を叩き込まれる日々である。

 走り回るなどと、家庭教師が見れば卒倒するか、すぐにアミルを叱っていただろう。

 それも、他の国に比べても明らかに特徴ないマキシベーの王家なのだ。

 ガルガンツェリとの戦争の末ラグナクルト大陸の主権を握る事になったアストロニアは元より、真法のエストラント、実力未知数のコーエン群域、大陸全土の交易を支配しつつあるマッシルド、鉱石のアンテューブ、動向の怪しいベーツェフォルト――。

 小国ゆえに、いかに周辺諸国の機嫌を伺うようにして営まねばならないか。

 連綿と続いてきた綱渡りのような外交と血脈と民心の支持による生命線。

 大切に、大切に守ってきた文化や、歴史があるのだ。

 けれど国営という難解な話が幼いアミルに理解できるはずもない。

 王女らしくなければ怒られる。それだけだった。


「なぁアミル。そういえば俺はお前が背伸びしている所を見たことがない。座ってるばっかりなんだぞ?」

「僕は女なので身長は伸びなくて良いのです。昨日カナィに聞きました、乙女は小さければ小さいほど良いと」

「べ、別に身長のためにというか…………いや、そういう意味で言ったんじゃないんだ。はは、まだるっこしい言い方は、まだアミルには早いのかな」

「む、むぅっ……」


 ブックナーは、アミルにそういう風な言い方をする。言葉の真意に気づくクセを養って欲しい兄心なのだが、純粋に受け取ってしまうアミルには酷だったようだ。


「あ、あははは! せ、背伸びは……こう、背中がこきっと鳴ったりするのって気持ちいいんだけれど……やれやれ」

「苦労されますな、ブックナー様」

「うるさいですよご隠居!」


 その日も18才になる精悍な青年のブックナーに手を引かれて、アミルは裏森の茂みをおっかなびっくりに踏み越える。


「む。およよ、ブックナー様、ちょちょいとお静かに……あちらをご覧ください」


 先頭にはおぼつかない足取りの『まだまだ現役』らしいマハルの御隠居。殿しんがりは『ちょ、ちょっと王子、これ以上は深過ぎま…あわわ待ってくださいっ.て!』とミッポ鳥の羽毛をなめして作られた帽子を押さえながら追ってくるカジー大臣だ。

 アミルは慣れたが、ちょっと林の暗がりに入るだけで大臣は普段のお調子者ぶりが嘘のように豹変しておどおどとしだす。

 そのくせついてくる辺り、彼の心労が窺える。

 ワシが囮になっている隙に! とブックナーが弓で狙うあたりを右往左往して帰って邪魔になる御隠居に苦笑しながら、彼女の兄はキリリ、と弓を引く――。


 ……もちろんブックナーを含めてのこの三人は、アミルを連れ出して狩りに出かけているなど家庭教師には一切内緒で通している。

 カジー大臣曰く、家庭教師のマーサ様は国王様さえ及び腰になる、との事で、その話を聞かなくとも恐ろしさは王宮でも周知の事実だった。

 三角眼鏡をキリッと上げる鬼婆。しかしアミルは優秀・・であったのでマーサ教師の怒髪天を全く知らない。

 噂が正しいならば、授業を抜け出そうものなら鉄拳制裁も考えられるにもかかわらず、いつも怒られないので、ブックナーがいつも家庭教師にどんな言い訳をしているのかアミルは不思議な事だった。

 シュトン、とブックナーが矢を放った。空から木々の枝葉を突っ切ってミッポ鳥が墜落してくる。


「仕留めたな。アミル、おいで」


 大きな木を一本中央に据えた、森の広場、といった光景の空間に出た。草の背丈も短く、丸く木々が切り取られてぽかぽかとした日光が降り注いでいる。動物たちの日光浴スポット……そんな印象をアミルは感じた。


「これはまた大物でございますなブックナー様! カジー。貴様も田舎育ち、体内地図くらいついておろう。ワシがついておるのに迷うなどあり得るものか。さっさとブックナー様が仕留められた獲物を背負わんかい」

「まだすごいピクピクしてるじゃないですかこれ……! わわあ、くちばし痛っ、つっついて来ますよ!? ダーヴァ様も手伝って……ど、………そ、それにお、重い……!」

「王に書類を持っていくときだけはワシも驚くほどの筋力を発揮するくせに、だらしないのぉ。老骨に持たせようという魂胆がいかん。ブックナー様も手伝わなくてよろしいですからな。魔獣でも現れましたらワシら以上に走るはずでございます」

「うう、ラクソン様との折衝で昨日も寝てないのに……!」

「ダーヴァ様もお人が悪い。自分で仕留めた獲物は自分が持ちます。カジーさんも可哀想だ。よーし、アミルも持つぞ、右の羽を持っててくれるかい?」


 腰のふらつくカジーからミッポ鳥の巨体と弓を交換して受け取るブックナー。そーれ、と両足を持って勢いよく背負うと、アミルに手羽を持ち上げさせる。兄が勝ち得た獲物の重さに、自分まで誇らしい気持ちになる。

 ――意味はないと分かっていながらも、自分も参加させようとしてくれる兄。

  ……また一つ、心が揺れた。




 そんな兄が、ある日突然に国を去った。

 朝から兄の姿を見ず、不思議に思いながらも作法講義に一日を費やしていたアミルがそれを告げられたのは夕食時であった。父、マキシベー王は瞼を腫れ上がらせて家族に告白した。

 今朝、起床した時枕元に手紙が置いてあった事。

 王子として、マキシベーの国を継ぐ自信がなくなった事。

 マハルを先頭に兵を走らせ、街はしらみつぶしに、国境をも越えて捜索させたがその姿がなかった事。

先日の少年剣術大会の決勝戦で異国の少女にこっぴどくやられてから様子がおかしいとアミルも思っていたが、それでも国を去るなどとアミルには到底考えられないことであった。

 こっぴどくなど、マハルの現当主と手合わせしている兄にはいつもの事ではないか。自信がなくなった、という言葉にも、きっと以前から兄に悩みがあったのだ……という強い確信があった。

(そうだ――そうに違いない)

 剣術大会の後から、家族と僅かな団欒の一時である食事時に姿を現さなくなったのも。廊下ですれ違う時も無言で、アミルから逃げるようだった素振りも。

 追いすがり…………『兄さんにも失敗はあるし、王様は剣が上手い必要はないです』とアミルなりに励ましたことも。

 アミルの言葉に、兄が口惜しそうに面を落としたのも。

 きっと、何かの間違いなんだ、と。

 信じられない、という強迫観念にも似た焦燥。

 兄の部屋ではきっちり剣と衣服が無くなっていて。

 屋敷をマーサの叱責も振り切って走り回って探して探して探して影一つ見つけられなくて。

 王宮を飛び出して正門の兵を押しのけて目撃情報を洗っても誰一人行方を知らず。

 締め切られた大きな鉄門をガンガンと叩いて、

 『開けて、兄さんを捜して』と叫んでも、

 兵士達は門を開けるどころか、アミルを羽交い締めにするようにして王宮へ引きずり込む。

 ――外の世界を知らせるまいと、鳥籠に閉じ込めようとするように。

 その日初めて、家庭教師のマーサから張り手をもらった。

 それでタガが外れたのか、兄がいなくなったというのに王夫妻を前に毅然として今後のことを話す、沈痛な表情一つ見せない先生にアミルは初めて人に物を投げた。

 金切り声を上げて掴みかかり、食事途中だった皿を床でたたき割った。

 講義で習った全てを、罵詈雑言で否定した。


 ――自分が良い子にしているから兄は自由に飛び回れるんだ、とこれまでの欲を殺してきた気持ち。

 マキシバムの姫でありブックナーの妹であるからしない、わがまま。

 なぜ自分が良い子であり続けようとしたのか、大本を辿っていくと――あの兄がいてこその感情だと今更に気付いたアミルだった。

 姫であり続ける意味をなくしたアミルに、マキシベーにとどまる理由など、なかった。




 マキシベー王国。その地は寂しき、ラグナクルト大陸の最西。

 大天街マッシルドから臨のぞむならば、直進することになるのは獣人や人魔が巣くうコーエン群域――荒野、毒沼、湖、森、幻、魔境、谷があれば丘が障害となる。

 意地だけで国を飛び出した少女が踏み越えてきたと考えると、あまりにも過酷な道のりだった。

 煉瓦で舗装されていない地面。

 薄暗く草木に足肌を切り、身の毛もよだつような昆虫に足がすくみ、つい先日まで羽毛とドレスに包まれていた肌は雨風に容赦なく打たれ、木々に隠れて見えないどこからかの魔物の雄叫びが聞こえる度に恐怖におののき、何度も後悔を重ね、泥にまみれ、夜の暗闇では華やかで暖かだった王宮を瞼の裏に追想しながらの、旅路たびじ。時には沼に足を取られた。空腹に彷徨った。守ってくれる者はなく、いたわりの眼差しもない。王族と嫌がらせのように称える声も今は遠く。ただ、アミルと呼ぶ優しげな声だけが脳裏で何度も響く――。

 背がぎりぎり届かない程度の地面の隆起に足止めされた時だった。悔しげに見上げる崖は、日を背に憎らしいほど高く見える。剥き出しの岩石は風化していても硬く、登る足場も見つからないほどに垂直な壁であった。

 ちょうど兄におんぶをしてもらえば届く高さ、と気付いてしまったのがいけなかったのだろう。

 途端に上を見続けることも出来なくなり、堰を切ったように流れ出す涙に耐えきれず、八つ当たりの対象を探すようにどうしようもなくガリガリと土崖を搔き始めるアミル。皮がむけ血が滲む。崩れ落ちる膝。……懐古を止めない自分の弱さを、とにかく閉め出すように、きつくきつく目を閉じて。

 なのに。

 なのに、腰を落としてアミルの顔の高さで頭を撫でてくれた兄の微笑みだけが、どうしても流れ落ちてくれず。

 口から零れる負け犬のような嗚咽が、アミルに思い知らせる。

 なんだ、負け犬の妹も、負け犬じゃないか、と。


 ――――――涙を、歯を食いしばって、噛み殺す。


 兄さんが負け犬なものか。

 逃げたんじゃない、何か理由がある。

 自分にティアラをくれるために、強くなるために旅に出たに違いない。

 大会だって、強かった兄さんより、もっと強い人がいただけだ。

 背中を守れないというのなら僕が守ってみせる。世界は広いというなら僕もその世界を見て、それでも兄さんの背中を押してあげる。

 兄さんが羽ばたくためだったら、笑いかけて、頭を撫でてくれるんだったら、僕は、アミルは何だって――。





 アミル姫……いや、アミルは、兄がいずれ来るだろう可能性に賭けてマッシルドに足を進めた。

 毎日が祭りのような人混み、吐息が当たるような隙間を塗って進む道など箱入り娘のアミルが経験できたはずもない。

 今まで衣食住に困ったことがないアミルにとって、生活費の問題は切実である。ギルドの存在を知り、弱いモンスターやうち捨てられた魔物の皮をかき集めて数日間の生活費を稼いでいた。がそれには限界もあるし、マッシルドほどの大都会となれば魔物よりも『人』の方が恐ろしい。路地裏では当然のように追いはぎがあり、人さらいや奴隷の売買がその時のマッシルドの話題の一つだったこともあって、アミルは女である事を隠さざるをえなかった。髪や目も、マキシベーの追っ手からバレる恐れがあるので、酒場で手伝いをしている時に小耳に挟んだ『変装屋』を探しだし、なけなしのお金をはたいて髪と目を染めた。


 別人になるならば、別人たる名前がいる。親しい他家の名前をマハルしか知らなかったアミルは適当にその名を名乗り、ギルドの依頼を続けた。――だから、その出会いは本当に、偶然だったのだろう。

 アミルがいつものようにギルドの女性に簡単な依頼を聞いている時だった。人が話しているにもかかわらず押しのけるようにして受付の前を取ってきた銀髪オールバックの銀鉄一式の男子は木板に尻餅をついたアミルを見下しながら言った。

「君ね、依頼を聞くのに時間をかけ過ぎだ。第一、剣の一本も持ってないのにどうやって依頼をこなすって言うんだ? ギルドの係も困るに決まっている。……毎日毎日簡単な仕事を君を気遣って捻出しなければならない彼女の骨折りを察したまえ」

「あ……」

 ――確かに、とアミルは思い至る。自分が物々しい男達のたむろする酒場を抜けてアミルがギルドの受付に現れると、その度に困ったような笑みで迎える受付の女性。一〇代を半ばにも至っていない、武器も持たず、狩りの心得と言えばミッポ鳥を射落とすための追い込み方程度というアミルに出来る依頼など皆無に等しい。よくマッシルド内の届け物の依頼を任されたが、時には酒場正面の武器屋の店主宛だったりと、それでお金を払っていいのかという依頼まであった。依頼に関係なく、寝泊まりの場所を聞いてくるなども記憶に新しいことだった。

「…………ふん、君の家の名は?」

「あの…………ま、ハル。マハルです。マハル・マキシベー」

「マキシベーなのに茶髪? 珍しい。……まてよ、マハルと言えばマキシバムの懐刀か? ……君、嘘ならもうちょっと上手くだな」

「ほ、本当です! ほら、マキシベーでしょ?」

 本来は名前を嘘だと言われようが笑って誤魔化してしまえば良かったのだろうが、マハルで通す、と最初に決めてしまったのが災いして、証明すべく行動に出てしまうアミルであった。胸の内から三本剣のネックレスを取り出し、男に見せつけるように、

「ですからマハルです。マハル・マキシベー・ラ…………」

「ラ、何なんだ。誉れ高きマハルならはっきり言ったらどうなんだい」

「――…………………………、……クナー」

「ん」

「……ぶ、ブックナー………………………」

 咄嗟に、自分は今男なんだと改めて言い聞かせる意味も含めて、兄の名前を口にするアミルだった。

「なんだそのちんまい名前は。なよなよしい。若芽でももう少し背を伸ばそうとする気概を見せるものだが君はまるでダメだ。大人しくマハル家に帰るといい。怪我をする前にね」

「ちち、ちんまい……!? 人の名前バカにしないでください……!」

 一国の王子の名だというのにマッシルドでは知られていない、ということに内心愕然としているアミルだった。どうして臣下の家名は知っていてマキシバムの王子、……少年剣術大会の準優勝者の名前が知られてないのか。

「マハルは武勇において大陸でも有名だから仕方がないだろう。僕もかのダーヴァ将軍の戦果については書籍やお爺上の話からよく聞き及んでいる。ラングクロフト地帯横断作戦、タンバニーク王国を相手に――第三補とはいえ――督戦騎士団二〇〇〇を僅か一二〇〇で数週間持たせた、などね。調べたことがあるが……やはり凄まじい。

 そんな英雄の血脈だとするなら、こちらも想像してしまうというものなのはわかるかい。ああ、疑いやしないよ、その三本剣の王紋のネックレスは偽物には見えない。間違いなく君はマキシバム王家に使える家の人間なんだろう。でもね、君、はっきり言わせてもらうが、………………………………ちんまいなぁ」

 これだもんなぁ、と手をアミルの頭の高さくらいに上げ、嘆息気味に言う。

「……服装を見た感じ家出か。見張りやお守りの気配もない。父上に報告すべきか……」

「止めてくださいッ!!」

 アミルは叫ぶ勢いで立ち上がり、がしりと銀鉄の手甲の上から男子を掴んだ。

「家はダメなんです、あそこは…………」

「――――――――だめだね。君を匿えば僕のキャリアに傷がつくことになりうる。引き渡して王家に貸しを作った方が利口そうだ。子守をするのも御免だしな。

 そう思わないか、ファン」

 男子がちらと、酒場へと続く扉を一瞥しながら言う。――申し合わせたかのようなタイミングで開き始めるドア。

「次私がつかえてるんだけど。|依頼を聞くのに時間をかけ過ぎ《・・・・・・・・・・・・・・》じゃない? ……気に入らないわね、いつから気付いてたわけ」

 金のロングヘア、ノースリーブの白ブラウスに赤の鎧スカート――そして、緑の眼。マキシベーの血筋を持っているのだろう、アミルも一目惚れするように美人で白い肌、踊り子のようなスタイル、人好きされる顔立ちに一瞬目を奪われてしまう。

「それこそ愚問だ。マッシルドの弓姫がギルド扉前で立っているんだ、酒場の人間は会話を潜めて君とその美貌を伺うだろうさ。

 旅人はローブで顔を隠し、荒くれも多く、砂漠も近く日射の強いここマッシルドで君ほどあからさまに露出度の高い装備をする女性はさぞかし目の毒に違いない。コーエンの異民族でもあるまいし。正気の沙汰じゃない」

「このクッソ暑いのにヘルムなしフルプレートっていうアンタはどうなのよパーミル。男って大変なんじゃないの。股間がムレて大変って傭兵仲間から聞くわよ」

「下品な女だね君は」

「やる気? いいわよ、でもお坊ちゃまが下町仕込みのケンカについてこれるかは保証しないけど?」

「勝手にしたまえ。こっちはめまいがするくらいの人混みと不潔な匂いで鼻も曲がりそうだ。僕は草原へ行く」

 犬猿の仲、と形容しても良いくらいの言い合いっぷりにアミルは言葉を失って状況を見ていたが、扉を出て行く間際、男子が言い忘れていた言葉があったかのように、足を止め、一言言い残す。

「ブックナー、君はせいぜい身の丈にあった生き方でも考えるんだな。君も貴族なのなら僕らと同じ生きた宝石。一般人にはない『価値』がある。着飾る装飾としての武器がないなら、宝石箱の中で大人しくしているんだね」

「……ッ」

 アミルは唇を噛みしめて扉が閉まるのを見届ける。――ぽん、とその左肩に、手。アミルが振り向くと、先ほどの弓姫と呼ばれた女性がいて。

 苦笑いしながらまた、ぽん、と肩を叩いた。

「ごめんね、僕。ブックナーって言ったっけ。知り合いが迷惑かけたわね。エベレンさんも一言言ってやれば良かったのに」

「お家柄のことになると割り込みづらかったんですよ、ファンファン」

「だからファンファンって止めてよ……。

 とりあえず、あいつパーミルって言うんだけど、クラスでも本当に一匹狼な奴でねー、」

「く、らす?」

「そ、クラス。ニスタリアン戦士学校のね。私もパーミルもそこの生徒ってわけ」

「ニスタリアン……?」

「ありゃ。もしかしてここに来たばっかりなの? っていうかニスタリアン知らないなんて私も意外だったわ――」

 うーん、と腕組みして難しい顔をする女性だった。(直感的にブックナーはこの人は悩むのが苦手なんだろうなと思った)

「ま、いいわ。エベレンさんありがと。この子は私が引き継ぐわ。ギルドの明るい将来のためにね♪ そうね、手始めにD級の掃討依頼とかない?」

「そうですね……ちょうど小オークの群れがカントピオ砂漠最南部の荒野に出没していると報告が入っています。巣を掘り進めている最中でしょうから叩くなら今、ですね。支払いもD級にしてはお買い得ですよ、一〇〇〇シシリーです」

「お買い得とか言っちゃって相手の数が不明じゃない。……面倒くさそうね、ま、いいか」

「えええッッ! あ、あの、ちょっと……」

 いくわよ、とアミルの手を引いてギルドの部屋を出ようとする女性は、きょとんとした顔で言う。

「何で? 依頼取りに来たんでしょ?」

「僕、武器とかないし、魔物もまともに相手にしたことないし……」

「ああね。今回は見学って事で私についてきなさい。新人のうちからしっかり教育しておくのもギルドのためってね。まだ地に足ついてないアンタに、――ギルド協会副会長の娘がダテじゃないって事、教えてあげるわ。私はファンナ。よろしくね」



――――――――……………………。


 窓の外は夕闇に、マッシルドやニスタリアンの校舎がしっとりと沈みゆく。

 生徒寮の、昼間と変わらないほどにランプを灯されて明るい、とある一室。

「――話は、わかった。圧倒的な数の魔物を捌いて活躍する君に憧れ、自分も強くなりたい、といわんばかりの少年の瞳に負けてついつい話を通してしまったというのもわかった。住む場所もないし、家出に同情してしまったのもいい。ギルドの強権で入学、入寮させたのも我が儘な姫の所行仕方なしとしてギリギリ目もつぶろう、」




 パーミルは指さしてファンナの背に隠れる人影を指さして言い放った。

「だが、こいつが同室人になるのは許さない」




「けちー」

 ファンナがたこ風船のように頬を膨らませる。

「ケチ? なら君の部屋に住まわせればいいだろう、ふざけるな。僕の部屋が普通の学生より広いのは、ひとえに実力でつかみ取ったものだからだ。何が悲しくて野良犬と一緒にされなければならないんだファンナ」

「他に空き部屋がなかったのよ、仕方ないじゃない」

「ひうっ……ふぁ、ファンナお姉さん、やっぱり無理だよぅ………」

「この捨て犬っぷりが最高…………ふぅ。ブックナー、『ファン姉』でしょ?

 ファ・ン・ね・え。言って。ほら、」

「人がいるんだよ!? うぅうう…………ふ、ふぁ、」

「君達の交遊なんかに興味はない。帰ってくれ」

「待って! 話はまずブックナーが私の名前を呼んでからよ。ブックナー、言わないと色々困るんじゃない?」

「ううううううううううぅぅ~~~……!」

「…………ファン。君は子共を脅して楽しいか?」

「脅してるんじゃないわよ。立派な美少年調きょ――じゃなかった、友情を分かち合い名前交換をしたっていう、再確認よ。ブックナーも、ほら。私と二人きりの時はあんなに普通にしゃべってたのに。名前も呼んだのよ?」

「そ、そりゃ二人っきりだったからだよっっ! なん、なんでだろ、でも凄く、今のファン………………ね、ぇに見られてると………………………………………恥ずかしぃ……」

「あっ~~~!!! もぉこの子ったら滅茶苦茶可愛いっっ!! やっばいわやっばいのよ、ぁあ……思わずよだれ垂れそうだった。

 今の見たでしょ聞いたでしょパーミルったら!」

「僕は算術の課題をしているのだから二人とも静かにしてくれないか」

「まず鎧を脱いでからにしなさいよ!? わざとらしい話題そらししても、」

「……………………………………………………………………ただのポリシーだ(フイッ)」

「この人着鎧で勉強を押し通したよ!?」

「いいんじゃない? 男性鎧の拷問的な重さと、染みこんだ自分の汗臭さに包まれながらのお勉強の方が集中できるんでしょ。ただのマゾって事ね」

「……………………………………………………ふ、…………ふふふふ、君ね、さっさと帰ってくれって言う意思表示だったんだが……? 地獄耳に頼りすぎな上にワガママが堂に入り過ぎて、婦女子の慎みはおろか洞察力すら幼稚化したのかい、ファン。

 帯剣までしているんだ、人が依頼から帰ってきて一息つこうとする間もなく、すぐに君達が押しかけてきたのだと見て分かるだろうが」

「バカね」

「ちょっと、バカっぽいかな………………、っ!? ご、ごめんなさい、」

「いい加減に帰ってくれないかな君達」

 汗一つ感じさせない平静を装いながらも――パーミルなりに依頼で疲れていたのだろう。怒る気力もなくなったのか、立ち上がると右の手甲から外し出し、次々にベッドに並べていく。目をつぶり、アミルとファンナの二人を意識の外に追いやることで自分の時間を取り戻そうとするかのように。

「はぁ。………………ファン姉、もう、無理だよ。パーミルさんに迷惑がかかるよ」

「よしっ、聞けた聞けた。次からはもっと自然にね。

 じゃあパーミル、この子置いていくから後よろしくね。私もお風呂入らないとだわ。あー疲れた。お休み~」

「あ、ファン姉、さっ! ………………………あぁ、行っちゃった……」

「君も帰れ」

「で、でも……僕にはここしか泊まる所がないって……」

「話し方くらい男らしくできないのか君は。情けない。まるで女子共を相手にしている感じだな。家族でもたたき出している所だ。ファンに付きまとわれているようだが、男なら女に媚び売って一夜をしのがせてもらうなんて真似はせずに、野宿しろ。出て行け」

「っ、は、はいっ!」

 アミルはこれ以上パーミルを怒らせないよう、慌てて部屋を出ようとする。

「あの………………」

 が、ふと、ドアを閉めかけた所で足を止め、怖くて顔は見れないのか背中で考えるように、言った。

「今日は、すみませんでした。………………色々迷惑を、」

「……謝る事はない。それに今日から彼女を相手してくれるんだったらこっちは大助かりさ。今日からせいぜいマハル家に恥じぬよう武を磨くんだな」

 ――ドアを閉めるアミル。背中で聞いたパーミルの言葉を反芻しながら、……パーミルに悟られぬようドアに背中を預けて俯いた。

(恥じぬようだって? …………ああ、考えたこともなかった)

 姫というものは、暖かで隔絶した箱庭で育てられ、国家間の友好のために出荷されるためだけのものだと。少なくともアミルが教え込まれた思想はそうで、…………ファンナのように同じ女でも生き生きと自由奔放で、武勇の才で一目置かれるような人間の生き方もあるのだと、――マッシルドに来てギルドを通じてうすうす感じてきた現実を、一気に思い知らされたような心情であった。

 悲しいかな、ファンナにもパーミルにもアミルの変装ぶり(髪を染め目をの色を変えただけだが)に完全に男と信じてくれているようで複雑であるが、今日から男である。

 ……宿もなく、行き先も分からず、生きる術も知らない身の上で兄を捜すことなんかできやしない。アミルは今日、ファンナの強さを見てそう気付いたのだ。

「野宿、か」

「いつまでそこにいるつもりなんだ」

「って、わあわ!!? ……ぃだっ……」

 がちゃ、と開けられるドアに背中を突き飛ばされるように正面の部屋のドアに額をぶつけるアミルだった。木剣で木人形に一太刀入れたような鈍い音を立てて、額を抑えながらうずくまる。

「…………………………………………………………全く、」

 鎧を下ろしてシャツ一枚のパーミルは生えぎわを揉むように頭を抱えながら踵きびすを返し、ベッド上の一枚だけの毛布をはぎ取り、ようやく額の痛みが取れてきたらしいアミルの顔に投げつける。

「ばふぅっ!? あ、」

「…………寮の本館への渡り廊下がある突き当たりに、談話室がある。先日ソファが置かれたばかりで寝心地は悪くないはずだよ」

「……は、いっ」

 アミルが目を点にして、……ようやく自分が毛布を与えられたのだということに頭が追いつく頃には、パーミルの部屋のドアは閉められているのだった。


 ――次の日からアミルは、ニスタリアン戦士学校の授業が始まった。格闘術はおろか剣を持ったこともなく、傷薬の塗り方や火起こしの方法すらままならず、体力は下の下――アミルは近年まれに見る落ちこぼれとして学園生活をスタートするのだった。周りの生徒はそんなアミルを見て鬱陶しいと思うか、今まで自分達より下がいなかった分優越感に浸って上機嫌なのかのどちらかであった。唯一通用したのは家庭教師に習っていた座学の地理と歴史である。アミル自身教養のある人間並みに知識を有していたが、ここニスタリアン戦士学校は戦士育成の場であるため、あくまで必要なレベル以上は重要視されていない科目であるが。

「はぁ…………今日も全然だったよ」

「だいじょぶだいじょぶ、次を頑張ればいいじゃない次を」

 ――談話室の三人掛けのソファでそうファンナに良い子良い子されるアミルであった。当初こそ突如談話室で寝泊まりを始めたアミルに周囲は良い印象は抱いていなかったが、ファンナの存在もあってか周囲もいい加減に慣れるというものだ。ファンナを中心とする女性グループでは『談話室の子犬』と称してよくアミルは可愛がっては餌付けしていた。アミルも中身は女の子、甘い物は正義である。ほいほいとついていってしまうのだった。

 そんなアミルが見下ろすのは、今日行われた実力戦闘試験の評価表。

 体力G

 剣術G

 体術F

 魔術G(魔術G + 対魔術G)

 順位 746/746

 ……体術があと一つ低ければオールGの快挙である所だったのだ。おそらくこのFというのも、今日対戦したひょろっとした男子の剣を運良く一太刀だけかわせたからによるおまけだろう。

 戦闘にまるで才能がなく、マハルはマキシベーの家のくせに髪は茶色で目も緑ではないアミルを見て、誰がマハルの名を、あのマキシベムの懐刀と同一と考えるだろう。名前がたまたま一緒だっただけだと周りは半ば信じ込んでしまっている始末だった。

「はーぁ、……ちなみにファン姉はどうだったの」

 この頃になると、もうファンナの押しつけてきた愛称にも抵抗がないアミルである。

「私? まぁ戦闘スタイルが違うから当てにはならないけど、見る?」

 体力B

 剣術B(剣術C+ + 弓術A-)

体術B+

 魔術C(魔術C + 対魔術C+)

 順位 21/746

 ――まだ三学年でこれである。五年制であり、全学年の総合評価である形式での点数でいえば、三年生ではトップクラスの評価と言えよう。上の先輩らには真法騎士団やタンバニーク督戦騎士団の内定こそないが、例年上位五〇名は各国から将兵候補として声もかかっている。

「ま、パーミルにはまた上を行かれたけどね。先生達も剣士に贔屓でもしてるんじゃないのかしら」

「……ファン姉達化け物だよ…………」

「そーお? 全校生徒の三分の一くらいはニスタリアンの名前にすがってるだけのお坊ちゃまだけどね」

 ファンナの謙遜にアミルは落ち込んでいる肩をさらに落とすのだった。ならば――そのやる気のない生徒らよりもアミルは能力がない、ということなのである。

 聞けば、あのパーミルは全校生徒中八位だとの事だ。三年生では唯一、ニスタリアンの極意である『神聖仮装』を使うことが出来ている生徒でもある。負け惜しみのように『弓使いにフィールド制限されちゃたまらない』だの『筆記は私の方が上』だのファンナがぶつぶつと腹立たしそうに言っているのを聞き流しながら。

 ――――何となく。

 パーミルの結果には、やっぱりな、と分かっていたようにアミルは、ほうとため息をついた。

 ――次の日、テスト明けの朝食。ファンナは実家にテストの結果を報告のため昨日の夜から家に帰っているため、アミルは一人だった。

 木造の丸テーブルはたいていのグループが既に陣取っていて、昨夜語り尽くせなかったのだろうテスト話の続きなり、今日の授業の事なり、アミルに入り込める雰囲気はない。アミルの成績をどこからか嗅ぎつけたのか食堂入り口の端で立ち尽くすアミルを指さす者もいて、頼みの綱のわりと可愛がってくれる女子の先輩らもアミルの心細さを知るよしもなく、彼女らのグループで丸テーブルを囲んで朝食を楽しんでいた。

「うう……、」

 見事にいつもファンナにくっついていたためか、学年入り乱れる場に一人で飛び込む勇気はないアミルであった。が、ふと聞き覚えのある声が聞こえた気がして――がやがやとした食堂でもひときわ黄色い声の上がっている窓際の丸テーブルに視線が向かう。

「パー、ミル……先輩?」


『パーミル先輩、私剣術の成績が下がり気味で……お暇であればちょこっと練習を見ていただきたいんですけど、』

『剣術なんて他人のを見ていれば上手くなるでしょう。パーミル様、やはり私は神聖仮装のコントロールについてご教授いただきたいですわ』

『テストお疲れ様と言うことで実家から生菓子が届いているんですけど、今日のお昼後、お茶にご一緒いただけませんか?』

 わいわいがやがや。

 二〇人くらいの一年から五年までの女子らに囲まれているパーミルはというと、とりあえず丁寧に応対しながらも仏頂面で黙々と食事を続けている。眉目秀麗、成績優秀、学校内ではわりと無口なためクールだとも取られているパーミルの追っかけは後を絶たない。

 食べ終えたのか、食器を片付けるために受け渡し台にトレーを片付けにいくパーミル。カルガモのようについていく女子ら。周囲の男子らのねたむような視線を背中に浴びながら涼しげに――アミルの方へ歩いてくる。どうやら食堂を出るらしい。

「お…………おはよう、ございます」

 頭を下げるアミルを一瞥したパーミルは、――通り過ぎるかと思いきや、足を止める。

「何を突っ立っているんだ。もう授業までそうない。朝食は一日の源だよ。この十数分をおろそかにするだけで一日の約半分が無駄になる」

「う、うん……あ、…………はい、です」

 アミルには睨みまれているようにすら感じるパーミルのキレのある目。何より、パーミルが引き連れている女子らのひそひそ声やら邪魔者扱いの視線にすくんでしまい、くしゃりと――成績表を握りしめて手を背中に隠した。食事をしながら、一人でこれからどうすればいいか考えようと持ってきた、オールG近い最悪の成績表を。

「…………………………まだ、二〇分はあるか。

 ブックナー。手が空いているならでいい。食べながらでいいからメモを取ってくれないか。また教本にいい訳やくを思いついた」

 パーミルは突然のことに戸惑うアミルにも構わずに手を取ると、急なことに戸惑う女子らの間を割りながら食堂の受付に戻りはじめる。

「いつもは何を頼んでいるんだ。早く頼んでくれ」

「ぱ、パーミル、先輩っ、あの、一体」

「メモを取って欲しいと言っただろう。…………何、あの女子らにもきちんと言ってやらないといけないこともある。メモを取らせるふりをして、僕の言葉を盗み聞く彼女らに真実を伝えたいだけだ。そして君は、そうした僕にダシに使われるだけだ」

 アミル以外の誰宛でもない言葉をそっと囁いて、パーミルはつまらなそうに目を閉じる。

 ――その後、アミルはパーミルと向かい合わせに席に座り、独り言のようにしゃべり出す言葉を厨房から借りたペンと紙で書き取っていく。

 痛烈な、騎士道の誤解釈への批判。基本をおろそかにする怠惰を罵り、技術の無さを才能と決めつける事を愚かと吐き捨て、修行へのどん欲な意気込みの欠如、何より人形のように育てられてきた唾棄すべき甘えを今もなお持ち続け、学校をダメにしている――――という独り言。

 徐々に女子らは聞き続けられなくなっていって、一人、一人、授業のために食堂を後にする生徒らに自らも紛れるようにして、出て行く。一〇〇人……五〇人……二〇人……、と閑散としてくる食堂。

 パーミルの周りにも上級生はほぼいなくなり、残す所一~二年生が三人と人数が少なくなってくると、今度は基本となる体力作りの大切さを説き始める。体力が伸び悩むなら技術に逃げるのではなく、体力を補うための技術を覚えるべきだと。食事をしながらだったアミルも途中でペンが止まり、目尻を口惜しさのあまり潤ませながら食べかけの皿に俯いていた。パーミルはペンが止まっているにもかかわらず、淡々と、実力不足は修行不足、訓練の一瞬一瞬を真剣に取り組まない甘えにこそあるとパーミルは説いた。

「最後に――成績表は、僕は常に最新の物を部屋のよく見える場所に飾るようにしているが、良いときならば誇りとし次もと熱意を静かに燃やし、悪ければ毎日朝から自分にハッパをかける意味でも有効であるかもしれない…………ふむ、今日は今朝から舌が回るようだね。メモが取れたなら、清書して今日の放課後でいいから僕にくれないか。頼んだよブックナー。邪魔をしたね、それじゃあゆっくりと・・・・・朝食を楽しみたまえよ」

 パーミルを追える者はなく。立ち尽くしていたアミルや三人の女子は、散り散りになるようにして肩を落ち込ませながら食堂を後にした。

 食堂にアミル一人取り残され、……もそもそと食事を再開する。

 授業のチャイムが鳴る。

 シェフが、まだ一人残っているアミルを何事かと近寄った。声をかけても返事はない。

 顔を悔し涙でぐずぐずにして、パンをいつまでも咀嚼しているアミルだった――。


 半年も過ぎると、さすがのアミルも身の振り方を弁えるようになる。

 年上には必ず会釈をし、授業で分からない所をネタに話せる人間を作り、教師に授業後に質問して評価を得るようになった。談話室住みなのは相変わらずだが、そこに雑談に来る先輩やらの話に教科書を眺めるふりをして聞き耳を立て、向上するヒントになりそうな技術や知識があればメモを取る。

 談話室の窓正面の壁にはアミル自らその悲惨な成績を張り出している。周りはどうしてこんな事をしているのかとアミルにたびたび聞いたが、やんわりと誤魔化される。アミルと親しいファンナに聞けど、訳知り顔にほくそ笑むだけ――。

「あ、れ……おかしいな、…………………………今度は薬草学の教科書が、ないや」

 そんな生徒だからこそ、実力社会の構造にとって、アミルは格好の獲物なのである。

「……ありゃ、確かにないわね」

 ファンナに相談して、二人して談話室のソファや机をひっくり返すようにして探したが見つからず終いに終わった。

「うーん、盗とられたかもね。パーミルはどう責任取ってくれるのかしらね」

 ファンナはソファにどっかりと座り込むと天井を仰ぎながら言った。

「取る? ファン姉何で? だって教科書は全校生徒が一緒の物を――」

「何言ってるのブックナー。この学校の生徒で盗とらなきゃいけない切実な理由抱えてる人間なんているわけないじゃない」

「え? じゃあ何で」

 素で呆けてみせるアミルに、この箱入りは、と呟いてみせるファンナ。

「最近あんた調子がいいんでしょ? 実技はまだでも筆記の授業ではさ。つまりそれだけ成績が上がると、誰かが順位的に下がるって事でしょう」

「……うん……?」

「いい? あんたも半年ここにいるからもう分かってるだろうけど、ニスタリアンは外部と隔絶されてるでしょう。外でいかに偉かろうと、ニスタリアンの中では成績が全て。価値観が成績に集約されるの。だからみんな必至になるし、少しでも成績を上げるには知識をつけないといけないし強くならないといけない。――まぁその逆をいく汚いやり方もあるっちゃあるけど、それは別にいいわ。

 あんたが最下位から上がろうとすれば、誰かが抜かされた事になる。ニスタリアンの外の常識では『ま、いいか』で済ませられるかも知れない。でもニスタリアンの中では、それがたとえ成績を諦めた連中であろうと、抜かされるのは気にくわないのよ。成績や順位がニスタリアンの中では至上の価値観だから」

「つまり、ファン姉、どういう事なの?」

「あんたは嫌がらせされてるのよ」

 とりあえず頷いてみせるアミル。だが――半年を終えても、生粋の、蝶よ花よと育てられた一国の姫であるアミルに、その概念は一口に理解し切れるものではなかったのだった。

 ――最初は『兄が自分にやっていた可愛い類たぐいの悪戯』と思っていたが、教室で自らの机の中を調べた時、ようやく明確な違いに気付いた。

「な、に、これ――」

 ページの半分が紙くずと化し、席の引き出しからはみ出すようにして散乱している。よく見れば一ページ一ページにナマイキだのシネだのデテイケだのフロウシャだのイミノワカラナイ言葉が綴られているような気がする――。

「みんな、これって」

 たまらず、青ざめた顔で教室に座る皆を見回した。幾人かは近づいてきてアミルの言葉に応えてくれたがそれだけである。ほとんどが、アミルがどういう反応をするかを、何気ない会話ややり取りの中で観察しているような感じに思えてくるのだった。せせら笑われている気がする。席の下に紙くずが散らばっているのだ、教室に入ってきた人間なら大抵がその異変に気づくはずなのに。

(僕、き、らわれてるの――?)

 ――その日は一日中授業も身に入らず、教科書の事も、紙くずにされたなどと教師に言うことが出来なかったアミルは一日中悩んでいるのだった。

 アミルの内心の異変をファンナが確信したのは、その半月後の――一ヶ月ごとにある実技試験の結果を見てからだった。

 体力G

 剣術G

 体術G

 魔術G(魔術G + 対魔術G)

 順位 746/746

 ――一見、何も変わっていないかも知れない。けれど、ファンナはアミルの話や、彼女の訓練風景をたびたび見ていて、その真剣ぶりは普通の生徒に劣る物ではないと知っていたのである。

 受け身も取れるようになったし、剣術も肌に合っているのかマキシベー軍の兵士の剣技を習得し始めてから太刀筋も安定し、振り切ればそれなりに鋭い風音も奏でるようになった。魔術も真力を理解し、風にも目覚めた。授業態度も至極真面目――ファンナの経験上、学生の底辺レベルの実力の生徒とは十分拮抗きっこうするくらいは出来る、と睨んでいたのである。その、成績表が返還される前日はどうやってこの一ヶ月の努力を褒めてあげようかと密かに悩ましかったりもしたのだ。だからだろう、成績表を見た時の――実力の無さに絶望するのではなく――まるで、調子を悪さを誤魔化すような笑い方をしたアミルを見て決心がつき、ファンナはアミルの試験を監督した教師の下に走っていった。

 夕闇を過ぎても、仕事中の教師の気配が十数と感じられる、職員室。

「失礼します。キーシクル・マッシルド・ラ・ファンナです。アドロバリュ先生はいらっしゃいませんか。マハル・マキシベー・ラ・ブックナーの試験の件について質問があります」

 ドアを開け、デスク作業をしている教師達を見回しながらそう言った。ドア際のファンナの担当の教師がまず彼女に気づき、アンドロバリュ教師を捜してくれる。その間にもその他の教師がファンナの姿を視界に収めると若干頬を緩める――ファンナの名はその優秀さや人当たりの良さにおいて教師の評価も総じて高いのだ。生徒の実戦訓練としてギルドの仕事の斡旋も彼女を橋渡しにして行われている実情があり、教師も普通の生徒なら許せない問題も、彼女ならば目をつむってしまう事も多々ある。

 ティーカップを傾けながら眠たげに歩いてくる壮年の教師――アンドロバリュに、頭を下げながら、ファンナは再度質問した。

「ブックナー君についてです。私は彼とは先輩後輩の関係で親しい仲にありますが、今回の実技試験での結果に疑問があります。今回の試験での結果は、一体どのような判断をされたのかを姉貴分として聞いておきたく思ったので」

「んー、ふんふん? キーシクルが目ェかけてるの、あの子」

「成績の結果が気にくわない、というのではなく、どのようなご判断でつけられたかを聞きたいのです。お願いできますでしょうか」

「いや確かに真面目だろうけど、それは前半だけだったしねぇ。ある日から急に授業道具忘れ出すし、訓練中も上の空だし、私としては何とも。実技試験の時だってそうさなぁ、エンファル相手に一歩も動けてなかったしな、仕方ないだろ。エンファルが調子に乗って、マハルが尻餅ついた所を攻撃し出すから間に入るために本気で走ったさぁ」

 助けた後も、礼もなく、教師である自分すら見えていないようだった、と苦笑気味に話す教師だった。ファンナは言葉が詰まり、そのまま追求することも出来ずに職員室を後にする。

 ――談話室に戻ってみると、………………………………………………………………………ブックナーが、何やら生徒に囲まれている。授業をたまにサボって校舎裏で遊んでいる所をファンナも見かけたことがある、出来の悪い生徒らだ。とてもじゃないがアミルとはお友達にはなれないタイプである。

「あんた達ブックナーの友達?」

「あ――やば、」

 五、六人と言った所である。見事にブックナーが見えず、先ほどのこともあってか不機嫌に言い放ったファンナ。蟻の子を散っていくように談話室から歩き去っていく生徒らを尻目に、ソファの上で身体を丸くしてうずくまっているアミルを視界に収める。

「ブックナー、どうしたの? …………何かあったの?」

 いや、と首を振るアミル。

「あ、っ」

 ファンナはブックナーの両の頬を手で挟むと勢いをつけて持ち上げ、――涙と鼻水で赤く腫れた顔を、自分も顔を近づけて見つめた。

「言ってみなさい。さっきの子達ね?」

「わ、から……ない……」

「わからない、じゃだめ。あんた、半月前教科書盗られて、まさかそのままだったの?」

「………………………」

「ずっと私の前では平気なふりしてたの?」

「……………………、」

「……怒らないから。ね、言ってみて頂戴。じゃないと私もブックナーをかばってあげられない」

 大嘘である。彼女が口添えすれば、ギルドの依頼を一切彼らに通さずに社会的に抹殺することすら可能である。――もちろんそんな大人げない真似をするつもりはない。若干の仕返しは考えていたが。

 ふるふる、と首を横に振って答えないアミルだった。言いたくて言いたくてたまらないように噛みしめた唇。こんな子でも男の子なのね、と――何も言わずアミルの頭を抱いて後ろ髪をさすった。ファンナの胸に顔を当てた途端ぐずり始めるアミルに、思わず頬を緩んだ。



「なんだこの令状は」



 パーミルが、いつぞやのように鎧の姿で椅子に座りファンナ達にすがめた目を向けている。右手の指なし手甲グローブに持っている一枚の獣皮紙を持つ右手は心なしか震え、その涼しげな表情が相まってアミルはなおさらにファンナの背中に隠れる。口笛でも吹かんばかりに上機嫌なファンナがまた言った。

「だから見て分からない? 教職員会議で、やっぱり生徒が談話室を私物化して占領しているのは悪い、って事になったの」

「だから、それなら何で僕の部屋が名指しで二人部屋にされなくてはならないんだ、と聞いているんだが」

「え? だってブックナーにわりかし縁があって同性で……って言ったらあんたくらいしかいなかったんだもん」

「君の部屋で飼え」

「飼われるの僕!?」

「それも良いかなとか思ったけどやっぱり我慢できなくなっちゃうかもだから(主に私が)、私は謹んで辞退したというわけ。…………それにあんたなら心配ないでしょ」

「心配? ……………………………………………、」

 言いかけるような表情でパーミルはまた視線をアミルに向ける。ファンナの腕の間からじっと見つめていたアミルを鼻で笑うように、

「お断りだね」

「え? 嘘、あんたも我慢できなくなっちゃうの?」

「違うっっ! 僕が面倒見る義理はないからそう言ってるだけだ! 僕にもプライベートがあるんだぞ、君と違って僕は繊細なんだ。その気になれば一般傭兵どもと雑魚寝できる君と違ってな」

「じゃあ逆に聞くけど、あんた知られてまずいプライベートごとでもあるの?」

「ないね」

「じゃあいいじゃないバカね」

「君はとにかく僕を罵倒しなければ気が済まないのかい? 物を頼むにはそれなりの態度ってものがあるだろう。こんな令状まで準備して、一体何が目的なんだ」

「ブックナー、荷物はそこの隅でも置いといて。近日中にベットも用意できると思うし、」

「う、うん」

「荷物を運び込まずにまず質問に答えないか、ファン!」

「何よあんたうるさいわね、夜になると声が強まるタイプなの? ルナティックなの? 遠吠えしちゃうの? 夜はトイレのお散歩なの? いいからハァハァ言って他は黙ってなさいよ」

「こ、この女……!」

 ファンナとパーミルがぎゃーぎゃー言い合いしている間にも、ファンナの目配せでどんどん運び込まれていく荷物。――上位一〇位以上の生徒が持てる広部屋。二部屋分の広さがあり、しかも私物があまりないパーミルにとってはようやく一人部屋といった所である。

「あ、そうだ、今日あんた床で寝なさいよ床で。この子今まで柔らかいソファで寝てたんだから。年下を硬い床で寝かせる気なの?」

「何が君をそこまで強気にさせるのかは全く分からないがこれだけは言える。一度君は叩きのめされないと分からないらしいな。表に出ろ」

「やる? やるっていうの? おぼっちゃまが明日からたんこぶ作って登校するのを指さして爆笑してやるのも一興だけど。いいわよ、決着がつくまであんたをメタメタにしてやるわ」

「え、えー、ふ、二人とも……」

 ファンナはそっとブックナーに耳打ちする。

(いいから、その間にベッドとっちゃいなさい)

 ファンナはそのまま、先に出ていったパーミルを追って廊下に出て行くのだった。

「……………………………その、あ、あの」

 ちら、ちらとフカフカそうなベッドと閉められたドアとを視線が行き来する。

「ベッド…………」

 その夜は二人は帰ってこなかった。

 翌日の朝食時。久しぶりのベッドと枕で疲れが取れたので、上機嫌なアミル。食堂に着いていつもより多めにおかずと肉をよそうと、トレーを持って空いた席を探しに行く。今日はファンナがいなくとも自然と食事が出来そうな、そんな自信も湧いていた。

 ――どの丸テーブルも適度に埋まっていて、中々良い席が見つからないだろうと思われた。が、なんだか窓際付近の丸テーブル……八人掛けのテーブルに二人が差し向かいに座り、そのどちらもが机にぐったりと突っ伏している光景があった。周りもただならぬ疲弊した雰囲気に手が出せないのか、我関せずといった具合である。

「……って、ファン姉とパーミル先輩じゃない…………………………」

 とりあえず二人用にお冷やを作って側においてやる。髪の毛が跳ね、砂埃で汚れてと、普段の、戦士だというのに清潔感と余裕がある二人とは思えないほどにボロボロであった。

「……………………ぅも~~……、ま、さか、ここまでしつこいとは思わなかったわ……」

「……ふ、限られたフィールドでなら、と豪語する理由が分かった気がするよ……この女」

 何だか大丈夫そうなので二人を見渡せる真ん中に座って食事を始めるアミル。辛オイルのドレッシングで和えられた緑菜をじゃくじゃくもさもさと咀嚼しながら二人の様子をうかがう。背後の生徒らはそのテーブルに入っていったアミルにある種の尊敬の眼差しを送るのだったが、本人が気付くわけもない。

 そうこうしているうちに、ファンナとパーミルがよろよろと手を伸ばしてお冷やを掴み、すするようにして喉を潤した。アミルは骨付き肉の筋すじと格闘している。

「……あれ? なんで模擬戦してたんだっけ?」

「…………君に弓でどつかれてから前後の記憶がない………………」

「二人とも朝ご飯何にする?」

「野菜と肉八倍のBセットで」

「気持ち悪くなるほどに食うな君は……だから君と一緒に食事するのは嫌いなんだ……。僕はAでいい……」

「ふぁーい(かみ切れないすじ肉で口をもごもごさせながら)」

 てってって、と食堂受付に早足するアミルは――ファンナとパーミルの組み合わせに溶け込んでいたことから――大量の注目の視線を浴びていたのだが、それもまた別の話である。


 パーミルは断固としてベッドを譲らなかった。が、ファンナから軽蔑の目と、昨夜のベッドの寝心地の良さからくるアミルからの捨て犬のような目のプレッシャーに負け、タンスから毛布を三枚出して敷き布団としてくれてやるのだった。

 一週間ほどで注文したベッドと勉強机が届く。パーミル達と同じ寮生タイプだ。ファンナは天蓋付きの可愛いベッドにしたかったのだがアミルがそれは恥ずかしいからいやだと固持したのである。今まではファンナに言われるがままだったのだが、アミルも成長したようである。

 パーミルと同室になってから嫌がらせが途端に消えた。さすがに実力で言えば今後不動の一位となるだろうパーミルを敵に回すのだけは避けたかったのだろう。同室人のこととはいえ、無断で部屋に入られたら怒りも買うというものである。

「パーミル先輩、まだ寝ないの?」

「予習だ。君はしっかり出来ているのか?」

「う……だって疲れてますし…………」

「そうか。少し明かりを弱めよう」

「あ、待ってください、僕もやっぱり勉強します」

「……分からない所があれば聞け」

 それから、二時間ほどの勉強をした所まではアミルも覚えていたが、いつの間にか夢に落ちているのだった。

 夜更かしが身体に応えたのかリズムが狂っていつもより二時間も早く起きてしまうのだった。

「…………あれ、僕、いつの間に寝てたんだろ。勉強途中だったような気がするのに、」

 ベッドに横たわり、布団を抱くようにして眠っていたアミルだった。二度寝の強烈な誘いがアミルを襲う。外はようやく白んできたといった具合である。

「(今のうちにお手洗いに……)…………あれ?」

 窓から視線を下ろした時、パーミルが寝ているはずのベッドを視線が横切ったのだが、そこにあるはずのふくらみがなかったのだ。近づいてみてみてももぬけの殻。

 不思議に思いながらも便所に向かい、用を足す。部屋に戻ろうとしたアミルが運動場で動く影を捕らえる。

「…………パーミル?」

 黙々と禅問答するようにトラックを回る、同室人の姿があった。

 結局二度寝してしまいパーミルに起こされて、朝食へ。ファンナと落ち合うと三人で朝食を食べに行く――いつもの流れである。

「パーミル先輩、朝何してたの?」

「ん? パーミルいなかったの? ブックナー」

「………………ただの自主トレだよ。気にするな」

「(昨日夜遅くまで勉強してたのになぁ……)へぇ」

「勉強は自分の能力不足だから仕方がない。そこの学年主席様は一度聞けば授業内容は忘れないからね。腹立たしいくらいだよ」

「ファン姉は予習とか復習とかやってるの?」

「へ? 何それ」

 …………パーミルとアミルの目に殺意が宿った。

「……………………ブックナー、参考にすれば人生狂うぞ、こんな女」

「奇遇ですね。僕もそんな感じがしてきました。フードファイターにでもなればいいのに」

「え? え? あれ、私なんかした?」

 本気で分からないようなファンナに、二人してため息をつくのだった。


 アミルは、パーミルとの夜の勉強――そして早朝の自主トレが日課になった。早朝はいつもパーミルに起こしてもらうハメになっていて起こしてもらうごとにぺこぺこ頭を下げる。

 先を走るパーミル。……実はアミルに合わせてスピードを落としているのだが、それでもアミルは並ぶどころか追いすがることも難しい。息切れして『きつい』という言葉が脳裏を埋め尽くす度に魔法学の風の術式を反芻した。時には風を作り背中を押してもらいながら無理矢理にでも走った。

 ふらふらな所をパーミルに回復魔法で息切れだけとってもらい、木剣を使って実技訓練を始める。立ち会うかと思えば、素振りからであった。

 同じ素振りでも、身体運びが違えば振るスピード、キレまで違う。どんどん回数をこなしていくパーミルをよそにアミルはその歴然たるスピード差に愕然としながらも続ける。最後はムキになって五〇〇回やり終えると、またもやパーミルは回復魔法で外見の疲れをとってしまう。筋肉痛になりそうだったが、パーミルにそれはそのままにしておかなければいけないと言われてずきずきと痛みながらも堪える。

 最後に実技。打ち込んでくるといい、と構えるパーミルに、全身をむち打って飛び出し、斬りかかる。両手の全力が片手の一降りで軽くいなされる。

「いいか、今君は体力的にもほぼ限界だろう。実践でも、仲間と散り散りになり追い詰められ、そんな状況で闘わなければならない時もある。イメージするんだ。ここで殺されるかも知れないという恐怖を今体感・・するんだ」

 アミルは聞きながらも打ち込む。――荒野に一人。敵とは圧倒的な実力差。敗北必至。身体は重く。――勝たなければいけないというイメージに、身体が追いつかない。一降り一降りを余裕に弾き返されるさまに、同じ人間だというのに恐れすら抱きながら木剣を振るう。ふらふらになって握力も怪しくなった頃、最後はパーミルに木剣の柄で背中を度疲れて地面に倒れ伏した。

 朝食は骨付き肉に顔をぶつけながら食べてファンナに手間をかけさせる。

 授業は朦朧と聞いていた。さすがに皆の前で寝落ちるわけにはいかないのかアミルは指で太ももをつねりながら必至で聞いた。まるで睡眠学習をするかのように授業が終わった後にうわごとのように授業内容を反復するアミルの様相に、隣の席の女子が目を点にして言葉を失っていたりする。

 昼食時。パーミルにアミルの様子の原因を詰問していたファンナだったが途中で諦めたのか山盛りに埋もれていった。

 午後の授業も気合いで乗り切り、授業が終わると、そのまま机で力尽きて寝落ちる。部屋にいないのを不思議に思ったのかファンナが教室に来てアミルを発見し、部屋に連れ帰ってくれるのだった。

 ……そんな日が一月も二月も続いた。一年も続くと、アミルは魔術も剣の腕も学年ではトップになっているのである。――パーミルを追いながら、兄の背を追っていたのは言うまでもない。早朝はパーミルと訓練、昼間は授業に幽鬼のような表情で向き合い、寝落ちた後は……夜の予習復習。時にはファンナも訓練に参加していたし、テスト勉強の時はパーミル共々彼女のお世話になっていた。

「パーミル、でいい」

「へ?」

 二年生になって一月が過ぎたある日、朝の訓練を終えて寮に戻る間にパーミルはそう言った。

「親しいものはそう呼ぶ。ファンもね。同室人に早々いつも気を遣っていては君の気も持たないだろうし、酷だ。本来は君も一人部屋でそこでは誰にも気を遣わずにリラックスできていたのだからな。できるだけ訓練と授業以外には気疲れしないように配慮してやろう、ということだ」

「ぱー……ミル、」

「徐々に慣れるといい。……正直、君が僕についてくるとは思ってもみなかった」

「あ、……」

 そうして初めて、アミルはパーミルに頭を撫でられるのだった。


 なお、学年を刻むごとに気鋭を増すファンナとパーミル。パーミルは四年生で五学年の頂点に立ち、ファンナは神聖仮装を物にして同時に学年五位を射止めてみせる。アミルは131位だが、その序列は三年生の一位よりも高い。単純な剣術、真力の風、隣力の土と木のコンビネーションでもって女子という体力のペナルティをカバーしての結果である。

 体力C-

 剣術C+

体術C

 魔術B- (魔術C+ + 対魔術B)

 順位 131/746

 ――教師でさえアミルの躍進を予想できた者はいなかった。

 特筆すべきは魔術より対魔術が高い点である。魔術を行使し攻撃するのは知識さえあれば出来るが、対魔術は術式を肌で察知し対抗手段をとる能力の総称である。アミルは身の丈以上の魔術に対して敏感に反応することが出来る、という意味で高い評価を受けている。その点に関しては、二年生にして、三年次のファンナをも上回る評価である。――パーミルの訓練のおかげだった。

 四年生の学年主席と、次席で学年一位、二年生の学年一位のトリオはすぐにニスタリアンでも注目の的になる。特にパーミルは名高き真法騎士団のオファーも受けているらしく、近々スカウトが挨拶に来るとまで言われている。ファンナはギルドの副会長の娘であるからその後を継ぐのだろうと誰も疑問に思わず。――なら、ブックナーは? ニスタリアンの獅子の弟分はどうなるのだろう、と一時の話題にもなるほどだった。

「パーミル、明日コロシアムでしょ? ……頑張ってね、応援しておくよ」

「ああ。来年は君も来れると良いな」

「ちっ……先輩らの奇行に惑わされなかったら私だってねぇ…………」

 ファンナはコロシアム前の学内予選で七位に終わってしまっている。鬼気迫る先輩らの勢いに押されてしまった、というのがアミルの感想だった。同時に、弓使いに一定区画内での戦闘は可哀想だな、とも。事実、速射能力がいかにあろうと弓使いが接近戦を強いられればすぐにボロが出る。剣術能力は高くないファンナがそのルールで七位というのも十分な快挙と思えるほどだった。

「にしてもあんた達いつの間にそんなに仲良くなったの」

「ん?」

「さぁ……」

 夜。マッシルドではコロシアム前の祭りで大盛り上がりであり、コロシアムに出場する一位から五位まではその間だけは街に出て良いのである。事実上のご褒美だ。夜だというのに祭りの高鳴りは未だその果てを知らず、夜空の雲をすら照らす赤々とした町中の明かりがニスタリアンの寮からも見えた。

 ――――にも関わらず、パーミルはいつものようにアミルと勉強をしていた。明日はコロシアムの予選だというのに睡眠時間を削っての勉学。アミルは一時間ほどした後で、パーミルを説き伏せ強引にベッドに押し込んだ。

「パーミル、お願いがあるんだ」

「なんだ?」

「その…………暇があればでいいから、………………僕と同じ名前の人がいたら、声をかけてくれない?」

「同じ名前? どっちの方だ?」

「…………ブックナーって、名前」

「……ふむ? 分かった、調べておこう」

「勝ってね。パーミルが負ける所はみたくない」

「それなりの所までにはいくさ」

「明日からパーミル、外で寝るんだよね」

「そうだね。訓練や勉強、おろそかにするんじゃないぞ」

 パーミルを押し倒したままブックナーは、もじもじと視線を逃がすばかりだ。――が、さすがのパーミルも察せたようだ。ベッドを一人分隙間を空けて、アミルを引き込んだ。


 ――以前、パーミルと同室になって当初、ホームシックにすすり泣いたことがある。うるさいと言われてつまみ出され、廊下に閉め出されてアミルはどんどんどんとドアを叩いて喚いた。呆れてまた部屋に入れてやるも、泣き腫らして肩を小さくしているアミルを見かねたのか『次にうるさい時また外に引っ張り出したり声を上げたりするのは隣の部屋に迷惑だから』という理由でアミルを一緒のベッドに寝かせたのだ。ちょっとでも呻うめけば肘で小突いた。けれど背中を向けて寝るパーミルの、その暖かみに吸い寄せられるように瞼が落ちていき――朝。起きてみるとパーミルの姿はなく、代わりに両手で握りしめるようにしてパーミルの寝間着が残されていた。その時はアミルも申し訳なさと恥ずかしさで胸がいっぱいになったものである。


「……ありがと」

「これは僕のためだ。明日は大切な大会なのに、同室人のべそが原因で予選落ち――なんて言い訳をするわけにはいかないからね。ゆっくり寝かせてくれ」

「うん。ありがと」

「……ったく」

 ぐるり、と身体をアミルと向き合うようにして寝返りを打った。アミルは信じられない物をみるように目を丸くしていたが、すぐにくすっと破顔して、枕を頭の下に差し入れる。 ゆっくりと、部屋中のランプの火が消えていった。代わりに月明かりが差し込み、二人の横顔をそっと照らしていく。

 弟がいたらこんなものだったのかな――――。くしゃりとアミルの髪を撫でながら何となく思うパーミルだった。手はかかるわ世話は焼かせるわ、自分のことだけに集中していれば良かった今までとは打って変わって、アミルに関わる面倒ごとを一緒にしょいこむ事が増えたのだ。そんな同室人を自分の成績の低下の理由にはしたくなくて、無理をしている。だが、今まではこれ以上の睡眠や時間の切り詰めは無理だと考えていたが、以外とどうにかなっている現実が不思議でならない。僕ってこんなにお節介だったか。そう、何度自問したことだかもう忘れてしまったほどだ。

「……答えにくいなら答えなくていい。

 ブックナーは、どうして家出をしたんだ?」

 パーミルはずっと疑問だったのだ。マハル家と言えば大陸でも名高い戦士の家系の一つである。特筆すべき特技こそないものの、その王家につかえる忠誠心と、危険に満ちた作戦の数々を成功させ小さな国を強国より守ってきた歴史は、――まるでマキシバムの『幸運』の加護を一身に受けているかのような、誉れ高いものであると言えよう。

 ――ならば。一年前のアミルの歳としであっても、王家を守る家系の子として『』ある程度の手ほどきは受けていないと理屈に合わない』のだ。

 厳しくて、逃げてきたのか。だがパーミルは、アミルを貶めるような事は思いたくなかった。弱いことを嘆けて、小さい身体で自分の自主トレに食いついてきて、向学心もある。ファンナからは、同室にした理由は向学心ゆえに他者が疎んでのいじめ、に、あいかけていたからだとも聞いている。真面目で、一途で、純朴なのだ。

「………………………………」

「僕は、君が根が素直な人間だと言うことは理解しているつもりだ。正直、君のような人間が――大貴族の家の事情を僕ごときが推察するなど烏滸おこがましいが――マハルの責務から逃げたとは、思えない」

 アミルは鼻から下を隠すように布団に顔を隠しながら、おずおずとパーミルの顔を見上げる。

「……でも僕、そんな立派な理由じゃないもん」

「一見つまらなそうな理由でも、それが君を突き動かしたのは確かだよ。……大丈夫。もしつまらなく聞こえた時は、その悩みが君の深い所まで根付いている、と思おう。そうでなくては君の頑張りを見てきた僕自身が、納得できないから」

 ――ファンナに聞かれたなら一週間は同じネタでからかわれるだろうな、と言うくらい優しい声が自分の口から零れるのだった。アミルの髪の毛をまさぐるように、後ろ頭から抱えるようにして、撫でる。

「笑わない?」

「笑わない」

 唇をくちばしのように尖らせて窺うかがうように聞いてくるアミルに、心からの即答で、応える。


「僕ね……………………ずっと、ある人の背中を、追ってるんだ」


「ある人? ……わわ、こら」

 もう答えてあげない、という風に、パーミルのお腹に顔を埋めてしまうアミル。――こんなに密着した事は、訓練で足を滑らせて同じように胸に飛び込んできた時以来かも知れない。そんな事を、熱に浮かされたように回想しながら――――嗅かいだ。

 いつから、だろう……?

 この、今も自分の胸に身を寄せてもぞもぞとする少年から香ってくる、

 つい言葉少なになってしまう、

 他の男子からは感じない何とも言えない匂いに。

「………………………兄、…………様……」

 秘めるような安らぎを、覚えるようになったのは――。


 本戦準決勝敗退。四年生ながらの参加にしては快挙とも呼べる結果に、パーミルは室内訓練場――通称『体育館』にて表彰されるのだった。パーミルとしては魔術師相手に負けたのが気にくわないのか終始不機嫌だったが、賞状をもらって帰ってきた時、アミルの、弾けたような喜び顔に頬を緩ませてしまったのが許せなくて――賞状を丸めてその頭を叩いてみせたりした。

「まーたブックナーつれて。あんた達は親子かっ」

「あのね君、どうでもいいだろうそんな事は」

 ブックナーをとられたように感じているのか、焼き餅を焼くファンナをなだめる。ブックナーは隣に並ぶよりついてくる方が好きなのか、いつもパーミルの背中をカルガモのようについてくる。食堂に行けば一緒のものを頼み、資料室に行けば自分の前の席で読書を始める。真似されているのかと言えば、まさしくそうなのだが、それを悪い気がしないと感じているパーミルがいるのもまた事実だった。

「そうね、どっちかと言えば兄弟だわ。ブックナーから聞いたわよ、二年次なのに神聖仮装教えたって。――覚えちゃう方も驚きだけどさ」

「ふふん、ファン姉もすぐに抜かしちゃうもんね」

「…………ほ~、私の知らない間に随分とパーミルに似てきたものね。ちょっといらっしゃい、どっちが上か身体で理解させてあげるから」

「え、ええええ!? いや、今のはただ言ってみただ、」

「だーめ、ファン姉ごめんなさいっていって謝らせた後一日中抱き枕にさせてくれなきゃ許してあげない。パーミルの匂いが落ちるくらいにね」

「怪我はさせてやらないでくれよ、ファン。……ちょうどいい、来客があるから今日の夜まで遊んでいてくれて構わない」

「ぱ、パーミルぅ……」

「交渉成立っ。じゃあブックナー借りていくわよ。

 後その………………ま、あんたにしては良いとこ行ったんじゃないの?

 おめでと」

「……………………裏があるんじゃないかと一瞬疑ったよ」

「なぁに、こっちも気の迷いよ。祭りの熱気に当てられたのかもね」

「だろうと思った」

 ……パーミルは肩をすくませてから、二人と別れる。

 ――そのまま、人気がないのを確認しながら本館の裏の森林に足を運んだ。

 開けた森道から途中で逸れ、獣道に入る。しばらく進むと緑の苔が表面にうっすらと張った沼地がある。大岩を踏み台に渡ると、自分の背丈ほどもある太さの大短樹の根本に着く。

「――お待ちしておりました」

 木々の上から声。葉を散らしながら飛び降りてくる燕尾服姿の男。中肉中背、白髪が見え隠れしているがきっちりと切りそろえられ清潔感に溢れた出で立ちの中年の男性である。

「待たせてしまいましたか? 貴方ほどの人間が僕の依頼を受けてくれたのですから出来るだけ急いだつもりですが? キーシクル・マッシルド・ラ・ウィームス氏。そうそう、貴方の娘さんにはいつもお世話になっています」

 そう、この場に現れたのは、ラグナクルト大陸のギルド・ナンバー2。副会長という肩書きを持つファンナの父親である。コロシアムの予選の日の朝にギルドに行き、とあることを依頼しておいたのだ。

「たまたま手が空いていて、パーミル様の依頼に即した情報を有しているのが私でしたので、お気にされることはありませんな」

「ありがとう。ではさっそくだが、報告を聞きたい。

 ……マハル家に縁ある『ブックナー』という人物を探してくれたかい」

 ファンナの父親は、考えるように目を閉じた後。コホン、と咳払いをしてパーミルを見据えた。

「……始めに申しておきますが、今から話す情報はマキシベー国の国家機密に関わるほどのものです。他言無用を念頭にお聞きくださればと思います。よろしいですかな」

「ああ。……まぁ、マハル家の縁者だものね。国の機密の一つや二つが関わっているとしてもおかしくないな」

「いえ――――――。

 それでは報告いたします。マハル家に縁のある『ブックナー』は一名。

 マキシバム・マキシベー・ラ・ブックナー。

 マキシベー王国の現国王の長男にして時期王位継承者であらせられます」

「…………………………………………………………………はぁ?」

 パーミルは、マヌケな声を出してぽっかりと空いてしまうほどに唖然とした。

「……どういう、」

「現在徹底した隠蔽と情報規制が敷かれていますが、マキシバム家の長男のブックナー王太子と、その妹君であるアミル姫が失踪しております」

 あの、『ブックナー』が………………マハル家を飛び出してまで、探している人間。

「…………はは、突然すぎて頭がついていかないな。

 じゃあ、無茶を承知で聞くが、ブックナー王太子の行方に心当たりは?」

 自分で言ったように無茶ぶりである。答えてくれることなど期待していない、ただ会話が止まるのを恐れたがために口にした、時間稼ぎのつもりだった。


「現在地については把握しかねます。

 しかし、王太子に関しましては『アーラック盗賊団』の首領として大陸裏を暗躍中でございますな」


 ――その無茶ぶりを、……あまりの衝撃にアミルの事すら吹き飛ぶほどの事実を、さらりと言ってのけたウィームスだった。


「………………あえて言う。それは本当なんですか」

「事実にございます。この事につきましては私やギルド会会長、アストロニアの軍部中枢の将軍クラスの人間数人しか知り得ていない情報でございます」

 ………………一国の国家機密の枠を超えているほどの、真実だった。少なくともパーミルはこれまでの人生の中で、こんなにも近づいてはいけない情報というものを肌で感じたことはなかった。総毛立ち、辺りを見回した。自分達以外誰もいない、と目で静かに伝えてくるウィームスの様子に、冷静さを少しずつ取り戻しながら、

「………………そんな、重大な事を、…………どうしてはした金で、答えたんですか」

 ギルドの副会長のその実力。パーミルは、正直舐めていたと言っていい。ここへ来てファンナの父親と言うことすらも忘れて、目の前にいる男性をパーミルは本気で恐れた。顔を合わせた最初は気にもしなかった、その冷たい瞳の裏にどんな策謀や倫理が働いているのか、といった底知れ無さ。知るだけで家族が皆殺しにされるレベルの大機密である。警戒心が最高潮にまで引きしまり、ウィームスがいつ自分の首を狩りに来ても良いように両腰の二刀を抜刀した。

「アーラック氏が許可したからでございます」

「アーラック…………いや、ブックナー王太子が!? 待て、ウィームス氏、貴方は一体、」

「ほんの一月ほど前でございます。彼からの依頼でとある人物を捜索していた際に、その近くにパーミル様がいらっしゃいましたので報告しておりました。というのも、ギルドに大金を献金してくださっているアーラック氏は自らを調べに来た人間に関して逐次報告をするように常時依頼をしておりまして、その担当を私と数人が務めさせていただいております。今回はパーミル様からコンタクトがあったと言うことで報告し、思う所があったのか、パーミル様には公開しても良いと許可が得られたのでございます」

「……その、とある人物というのは、」

「ブックナー様の妹君にございます、

 今はマハル・マキシベー・ラ・ブックナーと名乗っておりますが、マハル家に主君の子の名をつけるなどという非礼はできますまい。

 ――名を、マキシバム・マキシベー・ラ・アミル。

 パーミル様の同室人は、マキシバム王家の姫君にございます。くれぐれも手厚い友好をお願いしたいと、パーミル様宛にアーラック様よりお言葉を仰せつかっておりました」

「…………馬鹿な、そんな、そんなわけ………………」

 パーミルが自失している間に、ウィームスはいつの間にか姿を消していた。それこそ余韻も残さずに。


「パーミル、なんで助けてくれなかったんだよぅ。ファン姉ったらもう僕のこと滅茶苦茶に……………………、ねぇパーミル? どうかしたの?」

 パーミルの活躍を記念しての一日休日だったその日の、夕食時。パーミルはおぼつかない足取りで空腹に従い食堂に向かって空いている席を探していると、……二人で食事をしているファンナ達が目に入った。ファンナ隣に座っているブックナーもがパーミルを捉えると、席を立ち視点が定まらない風なパーミルの手を引いて席に座らせる。

「随分と疲れてるみたいだけど?」

「…………そうでも、ない。ちょっとばかり悩み事が増えただけだ」

 アミルに一瞬だけ視線をやって、その後は、パーミルは終始無言だった。


「パーミル、どうしちゃったのさ。食堂でも先に帰っちゃうしさ」

 ベッドに腰掛けて疲れた頭を整理していたパーミルに、拗ねたように目くじらを立ててアミルが窘める。実は、ファンナはパーミルをそっとしておくようにアミルに言っておいたのだがまさか止める言葉も無視されておいていかれるとは思っていなかったのだろう、二人きりになったのをこれ幸いと粘着質に文句を言ってくるのであった。

「……何でもない。疲れたんだ、今日は放っておいてくれ。止めないならつまみ出すよ」

「ううっ……、そ、そんな実力行使には屈しないんだからな僕は」

 今度は眉尻を下げてビクビクしながら言うアミルだった。本当に、見ていて飽きないな、と、パーミルは何気なく思った。


 ――弟分だと思っていた同室人は、実はとある国のお姫様で。


 何を血迷ったのか、家を飛び出して、名前を偽って、戦士学校に席を置いている。

 …………実の兄の名で。


 以前、アミルは『ある人の背中を追っている』と言っていた。パーミルは……その実、いつも後ろをついてきているアミルと重ねて、それは自分の事じゃないのか、とほほえましさを密かに考えて、悶々とした事もある。でも――今日はっきりしたのだ。


 アミルが追っていた人間は行方不明の兄であり。

 ……アミル自身が知っているのかどうかは分からないがおそらく知らないのだろう――、一年前に突如現れ、もう大陸全土に悪名をとどろかせつつある盗賊団『アーラック盗賊団』の首領が、アミルの兄、本当のブックナー。

 ラグナクルト大陸の暗部がこれを知りながら、その正体が分かっていながら傍観に徹している事。そして、アーラックもパーミル自身を情報によって知り得ている事――。


 …………一個人には、あまりにも重過ぎる情報だった。他国に持ち込めば多額の報償は間違いあるまい。だが、それはそのままマキシバム王家の名の失墜に繋がり、大陸支配のバランスを崩すことになる。王家の跡取りを巡っての醜い争い。他国、……可能性の高さから言えばコーエン郡域からの侵略――。

 何より、家出した兄が今は大犯罪者となっているだなんて、パーミルはアミルに伝えるなどできるはずもなかった。


「パーミル?」

 黙考しているのを心配に思ったのか、上目遣いでパーミルの様子を窺ってくるアミルだった。……実は女子…………そう考えただけでパーミルはアミルを直視できなくなる。

「……もう、今日は寝る。悪いね」

「パーミル? ね、ねぇ、どうしちゃったの? 僕…………僕、何か気に障るような事、」

「…………少し、黙っててくれないか」

 ――こんなにも悩んでいるのはお前のせいだというのに。

 八つ当たりめいた低い声色でアミルを怯ませた後、パーミルは普段着のままベッドに……アミルに背を向けて横たわった。

「…………パーミル、」

「……お休み」

 無意識に習慣の挨拶を口にしてしまった事がなぜだか悔しくて、布団をひっかぶるようにして目を閉じたのだった。


 翌日から朝の訓練に起こすこともなくなり、勉強も『ファンナに聞け』の一点張りで相手にしてくれなくなったパーミルに、為す術なく気落ちするブックナーだった。ファンナがケンカでもしたのと仲裁めいた形で入ってきたりしたが……それはパーミルとアミルの会話の無くなり具合をまざまざと露呈させるものでしかなかった。

 次の日、アミルは勉強せずに早く寝て、パーミルの早朝訓練前に起きてみせる。ささっと着替えて訓練に向かうパーミルを慌てて追いかけるアミル。

 ランニングでは――いかに今まで自分に合わせてもらっていたのかを叩きつけられるほどのスピードで、森道に入る頃にはその姿がもう見えない。

 素振りもなく、黙々とイメージを相手にした実践剣術。その太刀筋は、いつもアミルに教えていた時とは違う、二刀流でのものだった。完全に自分一人の訓練をしているパーミルに、…………また以前のように涙ぐんだが、すぐに袖で拭いて。教えてもらったとおりの素振りと、イメージでのパーミルを相手にした模擬練習をした。

 パーミルの後を必死についていくようにして食堂に向かい、自分の好みを考える間もなくパーミルと同じものを選び、食す。真似をしていると言うより真似をしろと言われているような光景だったが、水で急いで飲み込みながら、体格が一回りも違うパーミルに合わせる。……肉などは半ば噛む途中だったので、腹痛も覚悟した。

 授業が終わるとすぐにパーミルの最後の授業の教室である算術学室に足を運んだ。いつもやっていた習慣をプレッシャーを感じているアミル。――案の定パーミルの姿はなく、その姿は歴史学室の書庫にあった。アミルは、パーミルの目撃情報を探して日が暮れるまで探し回った。

 夕食時。何でもないように一人で、……以前のように女子から囲まれながら黙々と食事をしているパーミル。探し疲れてファンナと一緒に重い足取りで食堂に入ったアミルは、パーミルの姿を見つけるやいなや、先輩後輩も構わずに押しのけて、テーブルを叩いた。

「……パーミルっっ! どう、して……っ」

「どうしてもこうしてもない」

 パーミルはばつが悪そうにトレーを持つと、まだ食べ途中のまま食器台に置き、食堂を後にする。ファンナに呼び止められもしたが、その手を払いのけてきつく一瞥した後、出て行った。

「…………パーミル、」

 ダン、ともう一度叩く。食堂の、…様子を窺っていたほとんどの人間がテーブルの打音にびくっと背筋を凍らせた。……憔悴しょうすいしている内心とは裏腹に、時間のなさを焦るような表情で。

 ――そして、夜。それはパーミルにとって、逃げようのない時間だった。

 だからアミルは部屋で待った。

 ベッドに腰掛け、……何をどう話せばいいのかも分からないままに、ただただパーミルと面と向かって話したい一心で待った。現れないパーミル。ファンナにお願いして、見つけたなら部屋に呼んでくれる事を約束してから、アミルに出来ることは待つことだけ。

「あ、」

 がちゃり、とドアが開く。パーミルだった。片頬に赤く手形を作って、無表情ながらぶすっとした顔で入ってくる。ファン姉が何かやってくれたのだろう、とアミルは胸を撫で下ろした。じんじんと、自分が受けたわけでもないのに、パーミルの頬のファンナの手形が痛々しい。

「隣、座って。パーミル」

「やだね」

「何子共みたいなこと言ってるのさ。

 …………ねぇ、前に僕に質問したよね。今度は、パーミルが答えてくれない?」

「『答えにくいなら答えなくていい』って言ってたはずだけど?」

「…………………………………………………………………………………………ぱ、パーミルぅ……」

「君はね……ったく。止めてくれその目は。うるうるさせても何も言わないよ」

「……けち」

「ファンナの悪い所まで吸収したのかい。節操ないな君は」

 ぶすー、っと機嫌が悪くなる所までどことなくファンナの自由奔放さが見え隠れして、――それが年相応で、…………逆に女の子らしいと思ってしまったパーミルだった。

「そうやって笑っていればいいのに。……女の子ならね」

 ぎく、と凍り付くアミル。パーミルはその隙をつくかのようにブックナーを押し倒して両手を吊り上げるようにし、足を身体で押さえ込んでアミルの自由を封じた。

「え、ええええええええ!? ぱ、ぱぱぱぱぱ、パーミル…っっ!?」

「男子と一緒の部屋になるってどういう事か分かってるよね……って、」

 ………………だが、顔一つ染めることもないアミルである。何をされるか分かってない、というのが丸わかりのマヌケな驚き顔だった。元が箱入りの代名詞とも言うべき『姫』ならばそれも納得だ、と重くため息をするパーミルだった。アミルを解放すると、さっさと自分のベッドに戻って、身を投げ出すように倒れ込む。

「パーミル? あの……今の、

 その………………………女子って」

「何でもない、何か間違えたよ。それより暇ならちょっとマッサージを手伝ってくれないか。昨日の試合が響いてきたみたいだ」

「うん? ……うん、いいけど」

 怪訝そうにパーミルを見つめるアミル。内心の驚愕を未だ抑えきれないような落ち着きの無さに布団に顔を押し当てて苦笑するパーミルは、ここだよここ、とうつぶせになってふくらはぎを指さした。

 その日、パーミルはブックナーを引き込んで一緒に寝た。次の日も。……その次の日も。背中合わせなどなくいつも向かい合って。兄を恋しがるアミルと、アミルの温もりに慣れすぎてしまったパーミルとの利害が一致したのである。きっと卒業するまでずっと、誰にも言えないその兄妹のような温もりが、続くと思われた。


 ――だから、その温もりを手放したくないと思ってしまったパーミルは一通、アーラック………いや、彼女の兄宛にしたためて、ウィームスに託した。

 概略はこうである。

『――貴公のその志を聞きたい。その内容如何によっては、力を貸そうと思う』

アミルの悩みは、兄のこと。

 犯罪者であるなら、その事実はあまりにも苦痛。ならば――この兄を世間に肯定的に思わせなくてはならない。そうでなければアミルが傷ついてしまう。何より……義兄を助けない義弟がアミルを任せられるわけもない。

 アミルが招来、何の憂いもなく――本当の意味で自分だけに微笑んでくれるにはこれしかないと、気付いたから。

 いずれ来たる、五年次のコロシアム。

 パーミルは静かに、静かに、決意を燃やしていた。






―― コロシアム・予選二日目 ――

 

 ……飛行船ターヴでのヒカルとの言い合いでヒカルとは顔を合わせづらいと思っていたアミルだったが、それでも試合だけは見届けておこう、とコロシアム会場に足を運んだ。二日目ともなると人混みにも慣れて、間を縫うようにしてどんどんと歩を進めていく。

「ブックナー」

「え…………?」

 一週間。これほどまで長い間、彼の声を聞かなかったことがここ三年間であっただろうか。

「予選通過おめでとう。今日は……あいつの応援かい?」

 ヒカルのことを指している、と分かったブックナーは敵意を露わにしながら頷く。パーミルだった。いつものように銀鉄一式のフルプレート、両腰には短刀長刀の二刀流を思わせる剣が携えられている。

「……どうしたんだよパーミル。笑いに来たの」

「まさか。滑稽だと思ってね。一国の姫が、国を置き去りにして、剣術の真似事とはね」

 ――姫。アミルの名を一週間前に突然告げたパーミルは、兄妹そろって国をないがしろにしていること、両親の心労を作っていること、次期王位継承者の問題で揉めていること、――国と個人の感情とを秤にかけて国を貶めていることを痛烈にアミルにぶつけた。

 ついてきなよ、と顎で促すパーミルに、アミルは荒い呼吸を押し殺すようにして後をついていく。

 獣道を少し進んだ、マッシルドの喧騒が遠く離れた辺りで、パーミルが踵を翻してアミルを見据え、切り出す。

「勝てるとでも思っているのか? か弱い婦女子が、意気込んだ所で何にもならない」

「………………一週間前も同じこと言ったね」

「怪我する前に止めておいた方が良いという事だ。……本題に入ろう。とあるつて・・があってね。有力な人からの情報なんだけど――。

 昨日、マキシベー本国で、ラクソン公主導によるクーデターがあったそうだ。マキシバム王家は宮殿より逃走した」

「…………嘘だ、嘘だよ、そんな事国民が認めるわけ、」

「半数以上が賛成だったそうだけど? ――家を捨てた兄妹の王家より、王の次に権力ある重鎮であり、マキシベーへ愛国心のあるラクソン公なら是非、ということだそうだ」

「……パーミル? なんだよそのつてって……、は、ははお父様がそんな、マハルのお爺様がそばにいるのにそんな事って、」

「兄を捜すどころか、とうとう帰る家が無くなったねブックナー。どうする? 君が奮闘した所で優勝の可能性はないに等しいし、君を称えてくれる人間もいなければ、最後の家族まで失って」

「やめてよパーミル! う、うるさいよ、……そんなこと、分かってるよ……!」

「何が分かってるっていうんだ? 国民とやらを背負うとか言っていた嘘だらけの寝言か? 自分の家が守るべき国民に踏み躙られている所か? ああ、もしかして分かっているなら君の母親がクーデターの際に流れ矢に当たって殺されたことも知っていたか? いやいやそいつは済まなかった。

 どうやらマキシベーの王女様は文字通り血も涙もないらしいね」

 ……言い返すことが出来ないアミルは、ただただ、強くパーミルを睨むだけだった。

「……黙りかい。いいよ別に。後は決勝戦で実力の差を見せつけられて心でも折られるといいよ」

「……………………パーミル。

 ずっと前に、言ったよね。笑わないでくれるって。理解しようとしてやるって。何か理由があるんだって、僕のこと」

「ああ。でもそれにも限度があるよ。可哀想だけど僕は君のその自分勝手な行き方を肯定することは出来ない。……貴族として最低だよ、君」

「……パーミルッッ!!!」

 素早く抜き、本気で振り抜いた剣を、いとも簡単に弾き返される。手がパーミルの強烈な一降りに耐えきれず剣を取り落とす。

「……………………じゃあね。精々、現実を目に焼き付けるといい」

パーミルはそれだけ言うと、獣道の先へ姿を消した。

「…………パーミル」

 そう言っても、応えて振り返ってくれる影はなく。ただただ、兄のように慕っていた先輩から投げつけられた辛らつな言葉の一つ一つが、忘れられずに胸に楔のごとく突き刺さったまま、抜けない。クーデター。母親の死――。

 三年近くもよりどころにしていたパーミルの言葉だからこそ、重い。

「……………………………う、……っく…………ひっく………ッ…!」

 だめなのか。兄に会いたいと思ったのはいけなかったのか。

 小さい頃に撫でられた手の感触が忘れられなくて、この三年間もそれが全てだった。

 強くなった。でも未だ兄の所在はつかめないし、予選一日目のコロシアムにも兄の姿はなかった。――……今日の予選二日目の今日があるにしても、そこに兄の姿があるとは思えなかった。


「ひっ、っく……ひっく、ぅえ、う…っう、うううう……ぁああ、うぁあああぁ……!」


 アミルはただ。

 あのミスリルのティアラの側に行けば、いつかの兄様が来てくれるような気がして――。



 次回はちょっとしたお遊び選択肢!

 当たるも八卦当たらぬも八卦。

 今こそ皆さんの無駄なくじ運を見せつける時…!(>_<)

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