五二話 邪神と弓姫と役得の悪戯劇(後)
「というわけだから、ちょっと午後から用事なの。悪いけど今日はもう相手できないわ」
「ふーん、大変だな。やっぱそういうもんだよな」
そろそろお昼時、お腹も空いてきた時間である。
命からがらデミアンテルの猛攻をかいくぐりファンナの部屋に戻ったのだが、そこではパティさんを脇に立たせ、ソファで冷めた紅茶を飲みながら眉間にしわを寄せているファンナの姿があった。機嫌が悪いのは一目で分かったが、…何でもお昼からファンナの婚約者候補が来るらしいのだとか。
「ま、仕方ないだろ。それが義務だ。そう言う上の義務があって、民草は平々凡々な生活をしていられる訳なんだから」
「ヒカル様はドライですねー」
「ん? そう? でもそう言うもんだろう?」
俺の経験上では――と言う奴ではあるが。前にも話したように俺の家や、学校生活の中ではそう言う境遇の奴が結構いた。子孫を残す、のとはまた意味の違うつながりだ。
家族というまとまりの中にも序列があるように、それは人の中にも地位の序列が存在する。父や母は子を守らなくてはならない。貴族や王は、その土地に抱える人民を守る義務がある。どこからその義務が生まれたのかは、俺も考えてたことがないけれど。
けれど、父や母が仲違いをすれば、食事もまずくなるだろうし、家計も危うくなるだろうし、住む家を追われることだってある。上の人間が下の人間に与える影響は本人の想像以上に甚大なモノだ。だからこそ、上の人の地位を守るという意味を含めても、政略結婚などと言った横のつながりは必要不可欠なのである。
「そうね、…もうちょっと普通な反応して欲しかったりもするんだけど。相手がどんな奴とか聞かないの?」
「考えたって仕方ないだろうに。顔も知らない奴と結婚させられる奴だっている。年が20、30離れてる結婚だってザラだ。まぁ諦めるんだな」
またデミアンテルの人形が入ってないかとびくびくしながらアルレフールをつまみ、口に放り込む。パイ生地にフルーツの甘み。さっくりほろろで思わず頬がゆるむ。
「…………アンタ、逃げたきゃ逃げていい、って言わなかったっけ」
「言ったぞ? でもそれは逃げられればの話。ファンナが嫌でその地位から逃げ出すのは勝手だ。
でも、父親がそれを許さないだろう。
死んだ母親の面影がそれを許さないだろう。
ファンナが庇護すべき民がそれを許さないだろう。
何より、ファンナ自身の根性がそれを許さないだろう。
父親に、約束してしまったんだろ。短い付き合いだけど、俺はお前が約束を反故にするような人間には見えない。きちんと正面から勝負して、その結果に意地でも向き合うタイプの人間だ。そんな奴に同情しても傷口に塩を塗るだけだ。決意に邪魔なら俺達なんか忘れてしまえばいい」
他人の家に介入することは貴族としてタブーだ。部外者な俺は口を出すべきではない。相手が見ず知らずの少女やただの傭兵などではなく、マッシルドの土地名を持つファンナだからこそ、その家系が代々守ってきた歴史や役割を貶すことになるから。重い…事情だってあるのかもしれないから、決めるのは当人だけ。俺は口をつぐむだけだ。
「少なくとも、俺は気にしたりしない。どうなったって今まで通り接するさ。ファンナもいつも通りに振る舞えばいい。俺はそんなファンナの態度を揚げ足取ったり、しない」
「……そ。ならいいわ。
さて、と。パティ送ったげて。私は出迎えの準備をするわ」
「かしこまりましたお嬢様」
パティの礼を片手でひらひらといなしながら部屋を後にするファンナ。その背中はいつも通り毅然として…どこか影を伴いながら。
「なんだよ?」
パティさんがじっと、無表情に見つめてきていたので見返すと、ぱっと笑顔に変わる。魔法のようだ。そして30度のお辞儀で俺の追及の意を完全に遮断する。
「いえ。ではヒカル様、屋敷の入り口までご案内しますので」
パティを先導に屋敷の階段を下りているとデミアンテルとすれ違った。この執事、先ほどとはうって変わってにこやか~に「ほっほっほ、またおいでくださいませ」などとほざくので足をひっかけてやる。老紳士は「ずああああ!!??」と本性丸出しに階段に前のめりに倒れたかと思いきや、俺の背中に回り込むような肘鉄で俺を突き飛ばしてくる。二十と数段を山の斜面を滑るように転がり落ちて踊り場に突っ伏す俺。
「おいクソジジイ、使用人の分際で覚悟はできてるんだろうな」
がばっ!! と起き上がりながら階段上の変態ジジイを睨め付ける。ほっほっほ、と転けた膝の埃を払いながら
「もちろんですとも。キーシクル家に長年仕える執事として、害敵を排除するのは当然のこと。…貴様にお嬢様の柔肌は30年早いッ!! 出直してくるがよいわッッ!!!」
「生まれる前から狙ってたのか!?」
いや30年て。
「もちろんですとも、母君の素材と形から判別し、こういう子ができるだろう事は想像できておりましたとも。…ああっ、我が人生に悔いなし!!」
母親は確かペチャパイだったと聞く。今のファンナのスタイルを想像していたとすればそれは何とも皮肉な想像であり妄想のたぐいだ。変態過ぎる。素材とか形とかなんという底冷えのする変態度。
「三六九、わかったよ! 俺が異世界に呼ばれたのは、この変態妄想ヒヒジジイからファンナを守ることだったんだね…!」
「かかってくるがいい幼き性よ。我が熟年の変態、超えられるか!」
「あのデミアンテルさん、私なんか急にお暇をもらいたくなっちゃったようなー」
獣であったらお互いにかみつき合っているだろう俺達の間にとぼけた表情で入り込みながら赤毛のお団子メイドは、ふと思い出したように言う。
「あ、会食のお料理の前菜とかまだ決まってないって言ってたじゃないですか! デミアンテルさん、こんなところで油うってないでさっさか厨房にこもらないと」
「お、…う、うむ。それではパティ、ヒカル様がきちんと屋敷から出られるのを確認するのですぞ」
「りょーかいです。それではっ!」
「え? デミアンが料理してるの? シェフいないの? テーブルサイドには誰がつくの?」
「え?」
…それは、今からまさに俺の元へ向かおうと階段を一段下りたパティの声だった。デミアンテルは顔をしかめ目を細めて俺を見る。
「本日の、屋敷内の表だった使用人は私とパティの二名ですが、何か?」
「いや、それはいいんだけど、普通貴人客人を相手にする場合は家主の意向もあるだろうけど基本一家につき一名サイドサービスでつくもんだろ? デミアンテルとパティでキーシクル家と客人、一、だけど料理の用意と盛りつけの仕事が余る。どうせ作り置きじゃ冷めてしまうし。
特にだけど、使用人の多さは家主の富の実力とイコールだ。それを『足りないから』って理由で兼用させてたりしたら逆にファンナの家の名誉に関わる。政略結婚なんて言う沽券と沽券ドロドロの勢力図作ろうとしといてそれはないよ。誰だよ、今日の使用人の人事仕切った人」
ファンナもファンナなら使用人も使用人なのか。こいつら、明らかに立ち振る舞いが素人の俺だから気づかれないとでも思ったのか。ファンナの友達としてここにきたから黙認していたが。ファンナが何も言わないからそういうおおらかな家なんだろうと目をつぶったが。そんな…そんな意識の低さで望んで、ファンナが結婚してから良い扱いをされなかったとしたら、それはこの家の空気のせいだ。その時、使用人一人足りないだけ。サービスが遅れただけ。それだけで後々の立場まで危ぶませる世界だ。それが貴族の世界だというのに。
「俺はそっちの事情は知らないけどファンナの味方ではありたいよ。デミアンさん達のせいでファンナが面倒被るのは我慢成らない」
押し黙るパティ達をよそに、俺は一階への階段をまた一段下りながら言った。
異世界に来てから約一ヶ月か…鈍ってないと良いけれど。
「手伝うから一個一個片付けよう。で、厨房どこ?」
「ふうっ。ウィームス君。モホモスなどではなく引きドラゴンにすれば三割の時間でこれたであろうよ。君の家でも取り入れたまえ」
「ドラゴンを飼うには維持費が持ちませぬ。何よりモホモスのゆったりとした足取りも我が家の時間の流れなのでして、ボルダノ様にも慣れていただければ幸いです」
キーシクル家の林道を抜けた、金で縁取りした濃紺の三人乗りモホモス車、の後部座席。停車した車体から苦言しつつのっそりと顔を現したのは、四〇後半ほどであろうか――腹の出始めたあたりの小男である。暑いのか胸のボタンを2個開き、せわしなく右手の扇でぱたぱたと自身を仰いでいる。薄くなった頭部を隠しもせずタラコ型の厚い唇がはっ、はっ、と皮肉げに笑い声がもれる。
そして座席の反対側から出てきた燕尾服の傍目三〇代前半ほどの細目の紳士は涼しげに愛想笑いするだけである。きっちりと8:2で分けられた茶髪。体年齢よりも年を取っているのを証明するかのような表情の渋みは洋酒のようだ。柑橘系を思わせるコロンがそっと首元から香っている。ボルダノの体臭が強すぎてほとんど第三者からは気づかれないほどであるが。
モハドニ・アストロニア・ラ・ボルダノは、名の通りアストロニアの貴族であった。武器商売を生業とし、国庭地――アストロニア王がその『庭』に住むことを許した貴族のみに与えられる特別地区のことだ――在住ほどではないにしてもそれにつぐ影響力を持っているという、ラグナクルト大陸では有数の大貴族なのだ。前回の邪神戦争において高く評価され、次があるならばほぼ間違いなく、ボルダノは国庭地の権利を賜るだろう。そんな人間が付き人もなく、遠方の貴族の屋敷を訪れている。
――否、信頼なのだろう。今自分との関係をここで切られてしまえば困るのは圧倒的に、ボルダノから大口の依頼斡旋を度々受けているギルドの方であり、マッシルドを守る貴族であるキーシクル家の方。何か不測の事態が起きようと、ギルドナンバー2
であるウィームスの方が自身の生命を賭してでもボルダノを助けなくてならない。
…もちろん『そうした事態』を用意して、やりにくいウィームスを亡き者にし、キーシクル家ごと一人娘もろとも飲み込んでしまっても良かったのだが――従順であるしかないウィームスに知られながらその娘を頂く、という方がそそるモノがあった。それだけだ。
「小腹も空いたことだ。シェフの腕に期待しよう」
「ご期待に添えるかは分かりませんが」
「おいおい…、こっちはこの忙しいのにマッシルドにまで足を運んだのだ。期待もできない程度では割に合わん。コロシアムでは傭兵どもがおかしな真似をしてくれたと言うし…何、君に監督責任を問ってるわけではないぞ。ギルド底辺がしでかしたことだ。君は私の期待を裏切らない――な? ぅんん?」
「さぁ。しかし努力はいたしましょう。こちらです」
ざわり、突風に林が音を立てた。
挑発に、最期まで涼やかさを維持したまま屋敷に歩を進め出すウィームスだった。ボルダノは唇をぬらし。扇で照りつける日光を遮りながら、その陰りの中で、期待に、醜悪に頬をゆるませる――。
「さて、と」
黒エプロンの裾をそろえ、畳んでから椅子にかける。やっぱり思った通りだが料理のコースラインがめちゃくちゃだった。
魚に白、肉に赤のワインを合わせられないのはまだ良いとして、肉と魚の間に口直しの一品がないってどういう事。しかもどっちも色違いだが基本的に酸味ソース。飽きる。
各皿に一品一品の料理じゃそこらの学生にでもできる。遊びや絵画的な演出がないのだ。むしろ皿の中にどうにかしてたくさんの種類を無駄なく添えるか悩むべきなのに。俺の持論だが、料理なんて手順さえ覚えれば誰でも真似出来る。シェフでしか出せない味、なんていうのは嘘っぱちだ。料理ってのは極論、盛りつけのセンスが格を分ける。逆に言うと味は良くても盛りつけがダメならどこの高級料理店でも雇ってもらえない。
何が食べられて何が食べられないかどうかの素材のNGすら聞いてないのが極めつけ。確認して発覚した時は本気で頭を抱えたほどだ。おそらくこの世界ではまだ食に関して発展が足りていないのだろう。
それがこの世界のコースなのかも知れないけど前菜に合わせてスープも魚も作り直し。もうすぐ着くと言うからデミグラス作ってる時間もない。バイト先のホテルであったようなオーブンもなければ保温期もなく、氷もなければ冷蔵庫の冷えも不十分。調味料、香辛料は全部いちいち味見してどういう風味、味か確かめる必要があったし、料理用の水もややイタリア系のミネラル軟水ぽかったので、おそらく肉や魚には不向き。こんなんでソースなんて無茶だ。
よって肉は和風に調節して煮込んで後にグリエ、盛りつけと肉色に深みを出させるためホワイト系の香辛料で誤魔化す。魚は反対にタタキだ。海辺が近いとなれば言い訳も聞く。デミアンテルさんが作っていた酸味ソースがもったいないので、本来肉に使用するはずだったオリーブオイル色の方を採用。そのままでは単色なので刻み山菜と調味料でマーブル状にし、茹で野菜を添えた。
して前菜は、野菜の新鮮さとチーボとかいうナマコみたいな面白い食感の珍味その他を使った、色の強弱を生かした六つのプチフール仕立て。薄赤の酸味、緑の酸味、灰の辛味、透明の甘味、薄桃の塩味、黒の香味で、舌を慣れさせたところで次のスープにつなげる。
スープはデミアンテルさんが作っていたコンソメみたいな奴をそのまま採用。アルレフールのパイ生地の残りがあったのでそれを焼いて、パイ生地を被せてつぶしながら食べてもらう事にした。俗に言うスープのパイ包み焼きという奴だ。
魚と肉の間の口直しだが、作ってる暇がないのでマッシルドの町で水気の多い甘味菓子を買ってきてもらった。首都人のようだし、地方菓子ですとでも言って食わせとけば心よく受け取ってもらえるだろう。
酒は度数をできるだけ弱いモノをだしてもらう。酒に飲まれて感情爆発してもらっては困るからだ。デミアンテルさんやパティさんの、俺の作った料理の感想を聞くに、綺麗だが珍しい、は、いちゃもんの元にもなり得る。プラスにはなっても、会談の邪魔になってはならないのだから。
「…一体どこでこのような調理法、盛りつけ方を? 恐れながら旦那様について各地、隣大陸を回りましたが…初見ですな」
「食べて良い? ねぇ食べて良い?」
「ホテルだけど? まぁ割といいとこのだけどさ。…ええと、ま、結構遠いとこにある。あと食べちゃダメ」
何せ成木中高一貫部は次世代の経済社会の上層部を担う成金の坊ちゃまやお嬢ちゃんが通う――そういう名目の学校だったから、そこの学生の俺が滑り込めるバイト先だって、逆に言うとそういうとこしかないよなぁ。というか近場にあっただけだけど。
調理場はなぜかいつもてんてこ舞いで人手が足らなくなったら前菜とかは任されていたりした。調理師免許持ってないのにねぇ。今思うとあれはあれで異常だった。
「さすがにここのテーブルマナーやらは詳しくは知らないからサイドにはつけないけど、料理は俺がやれるから今回だけ任せてみない?」
「いやー…いやー、嘘ぉ…。うわー、もう、うわー。
ホント、人って見た目に寄らないんですねー…、食べたい…ぅぅ」
「余裕があったら途中につまめるもの作っておきますって」
「ほんとうっ!? 恩にきりますヒカル様、お礼にファンナ様あげます! 持っていちゃえ!」
「食漢な同行者はいらないから……ん?」
ガダンッ……と、屋敷玄関の大扉が開いた音が響き渡る。
「旦那様が、お帰りのようですな」
蝶ネクタイを直し、デミアンテルの頬が引き締まる。
「ボルダノさんも一緒、と。じゃあデミアンテル達、あとはよろしくお願いします。俺は厨房で手ふきでも用意しときますわ」
「ヒカル様、私はできれば辛めな一口サイズを…」
「パティ、職務に戻りなさい。
………………………一時休戦ですなヒカル様」
「望むところだジジイ。こんなんで恩を感じてもらっちゃアンタのマウント取る快感が薄れるからな。
あ、そうそう、ここで手伝ってることファンナに話さないで欲しい。
…関わらないって約束したんだ。聞き耳立ててるなんて思われたら嫌だし」
二人の背を見送りながら、ため息、目をつぶる。
(相手、どんな奴なんだろうな。――うまく…………いけばいいけど)
ファンナは今、何をしてるだろう――?
「…お久しぶりです。ご健勝そうで何よりです、ボルダノ様」
私は、ネックラインを大きく開いた、晴れ渡る海のような糸色のデコルテドレスでマナー通り恭しくお辞儀してみせる。ドレスの裾を持ち上げた際胸元をボルダノが凝視したのは分かったが、ファンナは微笑から表情を崩さない父親に対抗して固く笑みを続ける。
「首都に比べて蒸し暑いですし、道中さぞ苦労されたでしょう。我が家ではどうぞ旅の疲れを癒していただければと思います。昼食をご用意しておりましたので、そちらで続きを。どうぞこちらへ」
家のためとはいえ、この男だけのためにこんな大人のドレスを身に纏うことになるのは苦痛だった。
自身の今の微笑みはもしかすると売春婦のそれと変わりないのではないか。
求婚を受けることを幸運に思わなければならない立場上、そう見られてしまうのは分かっていたが…………相手側が、こうもあからさまとは。
背やら、スリットからこぼれる足にじろじろと視線が当たる。金を織り込んで出来ているような自慢の長髪が現在進行形で汚されている気さえする。パパがここにいなければ少しは…少しは良心や口惜しさから免れられたかも知れないのに、パパの前で、このブ男に媚びを売っていると思うと歯ぎしりが押さえられない。あの男の脳内では既に、こんなドレスの薄布なぞとっくにはぎ取られ私はもてあそばれているのだ。――数時間後、二人になったところで嫌な条件を突きつけられて、実際にそうならないとも限らないが。
――言ったぞ? でもそれは逃げられればの話。ファンナが嫌でその地位から逃げ出すのは勝手だ――
(……………ったろうじゃないのよ、バカヒカルッ………………これぐらい…これぐらい私には何とも…………!!)
「…何?」
「いえ。お嬢様」
私の不機嫌をたしなめるかのように、パティの笑っていない目が、そっと伏せられる。
一〇人掛けの長テーブルに、端と端に向かい合うようにパパとボルダノ、パパのすぐ右手に私が着く。すると早速料理が運ばれてきた。今までの会食ですら見たこともない盛りつけの、一つの皿に六種類乗った、一品一品が光沢を放つ前菜。
「新鮮野菜と珍味の六色プチフールでございます」
私の前に音なく差し出し置く本来肉用に使っていたお皿に色とりどりのブローチのような一品一品が五角形と中央に一つ、盛りつけられている。
「これは?」
「この日のために用意しておいたアイデアでございます。…お気に召されれば幸いでございます、お嬢様」
デミアンがいつも通りの微笑で、告げる。まるで鬱に死んでいた私の目に輝きが戻ったのを確認するかのように、小さくうなずいてパパの脇に下がっていった。
「ふむ――…」
パパさえも舌で柔らかくつぶしながら料理のほどを確かめつつ、真顔で唸る。そして味わってるのかいないのか、ボルダノはさっさと五個目に突入していて感慨も何もない。
「へぇ…」
辛みのあるジェレをフォークで刺し崩しながら、私はボルダノからお皿の方に視線を戻すのだった。
(や、やっべ笑いそ…っッ、なんだあのブタは。笑い死させるつもりかっ。くくく!)
悶絶爆笑したいのにファンナの耳の良さを思い出して我慢する。アレはひどい。よくもまぁ典型的な不細工に引っかかったもんだとファンナに本気で同情する。逆に言うとあのボルダノとか言う奴の運勢に神がかり的なモノを感じるほどだ。何せあんなしょんぼりというのもおこがましいくらいのブタ太りの残念山男ヅラでてっぺんハゲタラコ唇な容姿をして、ファンナのような美人に結婚を望まれる立場だなんて。にしてもファンナを見る目が本当にエロいな。何考えてるのか知らんが、絶対料理でニヤついているんじゃないことは分かる。尊敬に値する。
(でも………うーん、…………章子先輩の時はひどい目にあったしなぁ。…っつっても、あの不動産王の満仁枝実業だし、推して知るべし、だったんだろうが)
特に家と家の問題は。タチが悪いのだ、家の中だけの問題ならいくらでも握りつぶせるが、家と家、となるとそうもいかない。当事者同士の問題では終わらず、世間向けな建前や結果が必要になってくる。
(…………みんな、苦労してるんだ、なぁ)
…ってなんで俺、こんな事考えてるんだろう。感傷か。…ばからしい。
ボルダノがファンナに話しかける度に、含んでいるような物言いに思えた。結婚を前提にしたような話題振り。ボルダノの屋敷の増設の話をなぜファンナに聞かせる必要があるのか。なぜか胸の内が熱くなる。だからだろうか。
「…ん?」
ちょんちょん、と俺の背をつついてくる――――パティだった。
スープ、魚料理を出して時間が作れたところで、パティが俺の手を引いて裏口から林に。林にそのままはいるかと思いきや、ぐるりと屋敷を迂回するように回って正門へ――俺が着替えた使用人の部屋の区画に歩いていく。
「お、おいって、どの辺まで行くんだ?」
「…この辺だとお嬢様の地獄耳の範囲外ですかねー、じゃあこの辺で良いです。
とーまった!」
うち一室に入り――女物の置物や替えのメイド服、化粧台が有るところを見るとおそらくパティの部屋だろう――照れたような笑みで振り返った。
「すごい逢い引きですねー! 雇い主の結婚話の最中に抜け出してその彼氏と二人っきりだなんて、ふへへへ、我ながら冒険ですワー」
「なんなんだよ一体…」
確かに静まりかえった部屋でメイドと二人っきりというのは、男としては興奮せねばならないシチュレーションなんだろう。だけど俺は本音のところファンナとボルダノの動向を見ておきたかったのだ。ぶっちゃけ、パティが女の子で俺が男、という関係すら頭になかったと言っていい。
「ヒカル様どう思います? あのボルダノ様って人。本気ですねよねー、勝った気でいますよねー、好き放題今後の…いや婚後の生活とか話されちゃって。彼氏なヒカル様としてはちょっともやもや? みたいな?」
「あのな、改めて言うことじゃないと分かってると思うけど、笑い事じゃないんだぞ」
人一人の、人生がかかってるんだ。人を容姿や性格で決めちゃいけない。家のこともあるだろう、それが貴族の役目であることも。しがらみのある世界だから、家を守るための人柱なんて日常茶飯事なはずだ。
――なら、どうして俺達は元の世界で、章子先輩の婚談をぶちこわしにしたのか。
――できたのか。
「そりゃ分かってますとも、お嬢様は、こういっちゃ何ですけど私の妹のような物ですからねぇー。何考えてるか、何を見てるか、何を感じているか、何を悩んでいるか手に取るように分かります。姉ですから。姉代わりですから。えっへん」
「だから?」
「ちょいと邪魔しようかなと思いまして。
勿論、その結果私は路頭に迷う身になっても構いません。いえ、キーシクル家を守るためにはそうするのが一番でしょ? なんというご奉仕魂。我ながら感動モノです。最悪あのケダモノの慰み者でもかまわないと。くふふ、いやー幼気ながら発情したこの身体とはいえ、どこまで持つやら。
まぁ臭いフェチですしネ私! そゆことで~」
「なぁ、話を折るようで悪いけど、今どういう状況だったのか聞いて良いか。ファンナの家のこと」
「良いですよー、もちです。ちょっとばかし簡単にしか説明できませんけど。
――旦那様は、邪神戦争で邪神方についたお方です。それはそれは猛威を振るったそうで。たくさんの村々がその戦争の被害に遭いました。戦後も煽りを受け、村々の小競り合い、新王国のちょっかいも激しく、そんな中私はたまたま拾われた一人というわけです。私も、くたばれアストロニア! ってな感じですね。
しかし、邪神側…ガルガンツェリは敗北しちゃったわけで。アストロニアは王家ご夫婦殺害後、断固としてその皇后や戦乱で活躍したガルガンツェリ側の英雄の首を求めました。
旦那様もそんなうちの一人。
マッシルドの長であるゼーフェ会長のお力添えがなければ今頃私も再び路頭に迷ってたかと。いや、そのままもののついでに殺されてたかも知れませんね。感謝感謝の感謝づくしですワ。
…旦那様は義理堅いお方です。出来ればご恩ある会長には手を煩わせたくないのでしょう。昔の責をちらつかされ、たとえ奥様の忘れ形見であるお嬢様が目当てのボルダノ様だとしても、断れば会長のお立場が悪くなるかも知れない。ギルドの大口の顧客でありますボルダノ様は、ギルドの本拠地のあるマッシルドでは多大な影響力をお持ちです。なればなおのこと、お嬢様もそれを意識しているかと」
……………邪神戦争、か。
そうだよな。すさまじい力を持つ邪神がニルベの操り人形と化して大暴れしたんだ、その被害も相当な物だったろう。ほんと、ミナには悪いがロクなもんじゃない。
「……だから、ボルダノの企みを邪魔するなと言いにきたわけ? こうしてファンナに知られないようにって?
なぁるほど、ということはホントは俺にさっさと帰って欲しかったんじゃないのか最初は? 残念だったな。
大体、それに具体的な方法は?」
パティはえっへっへ、と笑いながら、隠すそぶりも見せず、むしろ誇るようにそのメイド服の胸元から、小瓶と、…金髪のウィッグを取り出した。
もやもやと水に泡立たないシャンプー液を柔らかく混ぜたような金ラメに輝く瓶。――瓶に思い当たりがあって口が半開きになってしまっている俺をよそに。
「へっへー、実は前に試したことがあるんです。我ながら最終兵器? とまでは言わないですけど、」
おもむろに瓶の中身を飲み干すと、そのシニヨンを解き放ち。
瓶の金の液体の効果だろう、徐々に金色へ変わっていく髪と、同じ色をした片手の金髪のウィッグをそっと髪飾りでもつけるように頭に乗せた。
「あ、…」
「――――ねぇ。そっくりでしょ?
本当の姉妹みたいでしょ――?」
ざぁ、と風がそよいで林を鳴らした。野鳥達が一羽二羽、木々から飛び立って空を横切っていく。
儚げで、強がりで、そして誇らしげな笑み。悪戯っぽく出した舌の水気に胸が締め付けられる。逆光で陰っているにもかかわらず、その微笑みは光の精霊でも呼び寄せているのかと目をしばたかせるほど。
なんて人だ、本気で言ってる。打算なく、血のつながりもないファンナを本当の妹だと寸分たりとも疑わずに言ってる。こうした状況でファンナに似ていると言うことがどういう結果をもたらすのか分かっているはずなのに、僥倖だと言わんばかりに、狙っていたかのように、…いつか俺が見惚れたサイドポニーをして、メイド姿のファンナがいた。
「『べ、別にアンタのことが気になってるわけじゃないんだからねっ!?』
どう? 今キました? 後は声帯の薬も飲めば完璧だと思うんでー。へっへっへ、あのボルダノちゃんもころりと逝ってくれるかと。
さてさて。驚きの動悸も収まってきたところでぇー改めまして。
……………私の言いたいこと、ヒカル様ならもう分かりますよね? ね?」
分かるさ。これだけ魅せられて、分からない方がおかしい。
なんでだろう、胸が痛い。
――きっと俺も昔、こうだったんだ。こんな痛々しい姿をして、何度も何ども大丈夫だと叱咤して。今の自分にたどり着かなかったらと考えるとぞっとする。
「……バレたら、ただじゃすまないんだぞ」
「バレません」
「人の人生背負う意味、分かってるのか」
「はて。まるで経験者のように語りますねー、女装趣味がおありで?」
「着せ替え好きな友人にはひどい目に遭わされたことはあるけど――…ってそんなことじゃない! 俺が聞きたいのは、」
「だからどうしてそうも必死なんです? あんまり大声出しちゃうとお嬢様に聞こえちゃいますよー、ね、お口チャックする。
…私はお嬢様に成り代わり、お嬢様の代わりに超贅沢な生活を送ろうともくろむ悪女ですよ? 良いからヒカル様はお嬢様をどこかへ持ってけばいいんです。子作りしようと構いません。姉の私が許可します。バンバン! いや、ぱんぱん? えろぉ。
とにかく、――」
「――だから!
ファンナの人生を背負った時点で、パティの人生が死ぬんだぞ!!!
それがどんなに無謀か、独善的か、それが分からないのか!!!」
ファンナの――パティの肩を壁に押しつけるようにして吠えた。当然だ。
それを突き通した奴を知ってるから言える。地獄だ。たくさんの鎖を足に巻き付けて上る切っ先の見えない剣の山の道のりだ。
今でも、きっとそう。
中途半端な決意では崩壊するだろう。人だって埃がたまる。今でこそ優しさの固まりであるパティの心だが、時間がたつにつれて次第に薄汚れていき、元の気持ちを忘れてしまう。いつか、その決意をしたことを後悔し呪う時が来る…ッ。
「…思わず見惚れちゃいました。言う時は言うのですね、ヒカル様は。
ホント、あの子が惚れそうなタイプなことで」
肩を押さえつけている手をするりと抜けて、胸元に滑り込んでくるパティさんだった。ウィッグの毛先を手で押さえていたままだったので、ずるりと頭から剥がれて床に落ちる。
「惚れるとか惚れないとかどうでもいい。
…わかった、わかったよ。何か気持ちの整理がつかなかったけど、パティさんに負けたよ。ファンナを何とかする」
「へっへっへ、どんな男も泣き落としには勝てまいて」
「はいはい、負けました負けました」
だめだなぁ俺…。
うそぶくようにつぶやきながらパティから離れると、俺は頭をポリポリとかきつつドアへ手をかける。
「ありがとうございますヒカル様。それでは、お嬢様がお手洗いに行った隙に入れ替わりを――」
「は? 何言ってんの? 悪代官をぶっ飛ばすんでしょ? ファンナの物真似なんかしてる暇ないって。パティさんの協力がないと難しい。俺も準備があるから急ぎで町に戻らないといけないし。
覚えといたほうがいいよ。
悪戯は一人でやるもんじゃない。仲間で結託して漏れ出る笑いを必死に堪えながらやるもんなんだ。…ぷふ、いやマジで…っ」
というか、もう既に俺、口端がひくついてるし。やばいな、久々にゾクゾクする。
正直、俺は悪戯中毒かも知れないのだ。ここ一ヶ月近くは異世界だなんだで気が気じゃなかったし、大遠寺もいないから悪戯仲間もいなかった。やっぱり、大人数でやればやるほど面白いんだから――。
ああ、すごい生き生きしてる。わかる。やっぱり俺はどこまでいっても坂月ヒカルだから、自分で言うのも何だが、もしかすると悪戯好きだから邪神に選ばれたのかも知れない、と思えるほどなのだ。特にこの三六九顔負けの笑みは、確かに邪神的かも知れない。
「ちなみに、俺はこの手の悪戯には定評がある…!」
はっはっは…!な高笑いする俺。急にへたり込んだパティ一人を残して、俺は颯爽と町へ走り出す…!
一時間後。
デザートの後もしばらくそのままボルダノと笑いあった私は、ボルダノと父を食堂に残して自室に戻り、ソファーにどっかりと背を預けた。
この休息も息継ぎのようにつかの間だ。話が終わればまたボルダノのご機嫌取りが始まる。…どうせ二人きりになった途端スキンシップが激しくなるのは目に見えている。コルセットでもしとこう…アストロニアで最近流行っているという『下着』というものを二重三重に履いて感触をやり過ごしてはどうか、と頭を抱えている最中なのだ。
「何かおかしい? パティ」
「いえいえ、お嬢様。誠にざまぁでございます。はははははははは」
「チッ、地獄に堕ちればいいのに」
何だか人の不幸をせせら笑っているようなメイドの様子に舌打ちも隠せない。
「いっぱい着込むのもボルダノ様に一枚一枚脱がす楽しみを与えて良いかもですね! あー、面倒くさくなって着衣で襲ってくるかもですけど。その時のお嬢様の肌はさぞムレムレで手に嬉しい感触であることは否めませんね。それも林で。私も影ながら見守ります。くぅ、ボルダノ様うらやましい。」
もしかしたら私に恨みでもあるんじゃないかしらパティは。ぅ…でもその可能性はなくはないし、はねのけられない事情を突きつけられるかも知れないし……ああんもう…!
うまく逃げるためにシュミレーションしておいたほうがいいかもしれない。そう理由づけて、私は林の中で急に後ろから抱きついてくるボルダノを想像し、肘打ち…じゃなかった、だめだ抵抗しちゃいけないんじゃない。…形ばかりでしか抵抗できない私は悔しさに歯ぎしりしながらも涙をほろり、後ろから舐められ揉まれハァハァと熱い息が這い回り、全身を服越しに辱められながら、一枚一枚、剥かれた衣服を林の奥へ続かせて――、
「そう言えばヒカル様が先ほど戻られまして、」
――脳内のボルダノの顔が、なぜかヒカルの顔に変わった。
「ひぃやぁあああああああああああああああああ!!!???」
ボッッッ!!!!と発火した頬を押さえて立ち上がり、思いっきり机で膝頭を打って再びソファに飛び込んで悶絶する。
「ギャグですか? 笑うところですか? はははははははは」
「くぉおおおおッッ…ぃ! このメイドもうただじゃおかないんだからっっっ!!!!!」
――涙目で、結局ゆったりとしたワンピースタイプのドレスに着替えた私はパティを先導に部屋を出る。
「そうそう、せっかくなので先ほどのファンナお嬢様の妄想通り林方面にボルダノ様と食後のお散歩に行っちゃってください。いや、もしかしたらお食事になっちゃうかもですけどー。何事も早いほうが良いかと」
「なんで私が妄想してるって分かったのよ!!」
「お嬢様は単純であらせられますから。ほらほら愛しの人型豚、ボルダノ様もロビーでお待ちでございますよ? くふ、獣姦」
「もう…………………………わかったわよ」
「…、…お嬢様?」
2階の吹き抜けの廊下から一階のロビーを見渡して、諦めた。むずむずして待っているボルダノも、おそらくパティの言うとおりの妄想をしているのだろう。いやもはや『予定』かも知れない。パティの軽口も、そろそろ苦痛になってきた――。
「…で、ヒカルだっけ? さっさと帰しといて。アイツの脳天気な顔見てると、殴っちゃいそうだから」
「その時はお気の召すままに。
…いってらっしゃいませ」
そう言って、パティとは階段で別れた。本当なら私がボルダノの元へ行くまで付き従うものだが、彼女なりの優しさだったのだろう。
…私は立ち止まって一度深呼吸して、…たくさんの思い出ごと思い切り吐き出して、お辞儀し続けているだろうパティを振り返らずに階段を降りていく。
「ボルダノ様?
お誘いを受けてくれて嬉しいです。よろしければ、お散歩などいかがでしょう?」
「おお、ファンナさん! 私も会談に時間を取ってしまい申し訳ないばかりだ。君の父君は実に良い。かの邪神戦争の英雄も政治を知ったとなれば諸外国も目を見張るばかりでしょうな。とても、分かっていらっしゃる。かつての敵も今は友というわけですな。ぜひさらに仲を深めていきたいとおもう所存。では、お手を」
ずんぐりむっくりとして汗ばんだ手を握り返し、腰がすくむのを必死で耐えながら。
「…っ、そうですか。…………それでは」
玄関のドアを大きく開けるボルダノ。眩しい日光。花壇と湖面。林へ続く花道……
「あ"」
…の途中に、何か人影がうずくまっているではないか。
「おや、こんな時間にも花壇のお手入れを欠かさないとはすばらしい」
――悪気ない言い方をしているが、遠回しな皮肉だ。客の応対をそっちのけで土にまみれて家の手入れに従事しているとは、ある意味シェフで言えば厨房を覗かれているようなモノ。
(…うまいこと声かけて林から離れてもらわないと)
ボルダノに愛想笑いで帰しながら歩を進める五〇メートルほど。…私達に背中を向けて花道の雑草を毟っている後ろ姿はどこか見覚えがあると思えば、
「……………………………ヒカル、君?」
「ん? これはどうもお嬢様。…ややや! これはこれはボルダノ様!! いや、お恥ずかしいところをお見せしましたっ」
ぷちぷち、と怒りで毛細血管が素敵な弾力でちぎれていくのを感じながら、張り上げそうになる声を我慢して押し殺す。
「ん、ああ、花壇の手入れかね。ここの池花壇は実にすばらしい。君のような熱心な従業員の手入れによるモノだと思うと感心する。さすがはキーシクル家といったところか」
「いえいえ、ありがとうございます。あ、ちなみに私はそこのファンナさんの学友ですよ、ニスタリアンの。こういう雑草とか細かいことが気になっちゃうたちでして。
そういえばお料理はどうでした? 両親が高級ホテルのシェフをしておりまして、今回上客がいらっしゃるというので今日はおそれながら私が包丁を振るわせていただいたのですが」
「うむ、満足だった。このような有能な友人に恵まれてファンナ君も鼻高々だろう」
うそをつけ、飲むように食いやがって。俺は内心で毒づきながらも、さらに一歩詰める。ファンナが唖然として言葉を選ぶのに必死な様子だったが好都合だった。
「いえいえ滅相もない。これからお二人はお散歩で?」
「え、…………ええ。大事な話もありますから、ヒカル君今日はちょっともうお帰りいただけるかしら? 話は後日――、」
ボルダノがファンナを見てニヤついたのが分かった。なるほど、やっぱりこのままそういう事にしゃれ込むつもりだったのね。
「まままま! せっかくですから花壇をちょっと見ていってくださいよ――私がさっきまで念入りに手入れをしていたんで! どうせ歩くならゆったりと時間を過ごすのも良いでしょう、冷たい湖を見下ろしながら反射する二人の姿を眺めつつ肩を寄せ合い――というのも乙なモノかと。ささ、………………あっ!!」
ボルダノの上半身を押しながら、ズボンの片方の裾をつかみ、巨体は盛大にため池に落ちて水しぶきを上げる。
「ひ、かる…!? アンタなんてこ、」
「おおっとファンナさん、それは危険ですぜ!?」
池で足をつこうとおぼれ気味にもがくボルダノめがけて、ファンナの背中を蹴り飛ばして落とす。哀れ、悲鳴を上げながらファンナの膝がボルダノの顎にヒットしてさらに沈む――。
「汚れて帰ってくるだろうと思いお風呂を沸かしていたのですが、ずいぶんと早いお帰りで」
全身びしょびしょで玄関をくぐったファンナにパティが苦笑する。
「…ったくアイツ、何考えてるわけ?」
ふらつきながらヒカルに肩を貸されて歩いてくるボルダノを見やりながら言った。
「もう帰っていたかと思えば食事を用意していただぁ? たしかにデミアンが作ったとは思えないほど見慣れない盛りつけ、味だったけれど」
「おやおやドラゴン並の食漢なお嬢様がグルメに目覚めるとは。てっきり私はいつものように同席人が食う気をなくすくらいの豪食具合でぺろりといってしまうかと思っていましたのにー」
「緊張でお腹に入らなかったのよ…!
…んで?」
「ささ、いつまでも意中以外の殿方に乙女の塗れ肌を見せるものではございません。というわけで、さっさと湯殿へ行ってらっしゃいまし」
やんわりとパティに背中を押されるファンナ。はぐらかされた、と舌打ちしながらも…背後を気にしてか、濡れた肩を抱きつつ足取りは速く湯殿に向かっていく。
――男性用の湯殿で、ボルダノは湯を叩いて怒りを露わにした。
「クソッ!! ボルボーニャの高級皮が台無しではないかっ…!!!!」
あのクソ坊主…と歯ぎしりして思い返す。自分を助けようとしてファンナも飛び込んでいったと話していたがこっちはその口を切り裂いてやりたいくらいだった。たかが地方貴族の娘息子などボルダノのような大人物にかかれば殺されても何も言えないのだから。男の子より自身の皮靴、絹のシャツやタキシードの方がよっぽど大事なのである。一張羅の無残な姿にボルダノは発狂するかと思ったほどだ。だが婚約者を前にボルダノはその場でこそ怒りを飲み込んだ。
「待て待て…。今はファンナをモノにするのが先決…! クソッ…いや、友人の失態はその身体で償ってもらおうとしよう…くっく!」
「お楽しみの所すみませんが、お迎えに上がりました」
………もの凄く野太い声だった。しかし湯気向こうのシルエットではどう見てもメイド服。執事…ではない。お迎えと言うより犯罪者が刑務所の寮官に仕方なく丁寧に言うような、巨漢がさらに低くドスをきかせて言うような感じなのだ。
「だ、誰だお前は! 入浴中に――」
「急ぎですので、強行させてもらいますネ"」
背筋がビンと伸びて震え上がる。湯殿の壁に背をすり寄せて逃げようとするボルダノをよそに、湯気越しにのしのし入ってくる……………………………………………………………………メイド服を着たハゲの巨漢!!??
「へい、ピンチヒッターではいらせていただきやしたギリリーと申します。得意のご奉仕は添い寝と高い高いでございやす。スリーサイズは、」
「ど、どちらもスリーサイズもいらぬ!! だ、誰かッ…!!」
むきっ、とボディービルダー並みの筋肉を見せつけながらギリリーはゴキブリのような足取りで近寄り、接近して抵抗するボルダノをひょいと背負う。哀れなほどに縮こまったボルダノのイチモツを太い指で弾きながら、
「殿方のお体をふくのは初めてでございやすが、丹精込めてやらせていただこうと思いやす。………………………………ポッ」
「や、やぁあああああああああめぇえええろおおおおおおおおおおおおおおおお……!!!!!!!」
ギリリーによる細やかで念入り、かつ厚い胸板による羽交い締めによって戦意を喪失したボルダノは一五分間の「お体ふき」を堪能するのだった。
「ぶふっ…ぷくくくくくくく…、ぼ、ボルダノ様、これ急きょ旦那様からお借りした衣服でございます…っっっくふ!! あーこれ聞いてないですねぇ、気を失ってます、ぶぶっ」
一部始終を見ていたパティとヒカルはぺちぺちぺち、と床に寝っ転がった裸体のボルダノの腹を叩きながら笑い悶える。
「おっといけないいけない。ひっくり返してと(ボルダノの仰向けの身体をごろんとうつぶせにする)。
えーとこれをお尻に思いっきり塗るんですよね?」
「あ、俺が塗ろうか。ぺたぺた…ええい全部いってしまえ。
よしと。ギリリー、悪いけどこいつにズボン履かせて。…クックック!!」
――次に目覚めたボルダノは、食堂の椅子に座っていた。会食の時の席だった。
「お、おお?」
ボルダノは立とうとしたが、手と足が椅子にロープで結びつけられているらしい。あの…思い出すだけで怖気が立つ巨漢メイドのせいだろうか。見つけ出してむごたらしく殺してやる――。
「――お目覚めのようで、ボルダノ様。邪神仕込みのご奉仕はいかがでした? 失神するほどとはさぞ快感であったことでしょうに」
「お、お前は…………ファンナの友人とか言った、」
「坂月ヒカルです。あ、別に覚えなくても良いですよ? 覚えるのはこっち。
『邪神』の方ですから。ククククさぁお立ち会い、どんな嘘つきも涙目、世紀の暴露ショーだ!! 公開処刑イェー!!! ふはははははははははは!!」
ヒカルは右手に持っていた透き見の杖を掲げると、高らかにボルダノの名前を告げた。
そして空中に目を走らせるヒカル。第三者には何をしているか分からないが、透き見の杖は対象のありとあらゆる情報を完全に看破してしまうという、教会が封印していたほどの激烈な一品である。
「では第一問。汝、モハドニ・アストロニア・ラ・ボルダノは子供の頃学院のいじめっ子にモホモスのしっぽに縛り付けられて暴走、引きずられて鼻がつぶれた。そうであるか否か?」
「………なっ、何を言っている!! それに貴様、邪神だと…っ!?」
「質問してるのはこっちだよボルダノ様ぁ? あ、言い忘れたけど、質問嘘つくことに特製ドリンクをコップいっぱい飲んでもらうからそのつもりで。
もう一回言うよ? 汝、モハドニ・アストロニア・ラ・ボルダノは子供の頃学院のいじめっ子にモホモスのしっぽに縛り付けられて暴走、引きずられて鼻がつぶれた。そうであるか否か?」
「…………ぐ…………………っうううううううううう……そう、だ」
苦悶しながら答えるボルダノ。ちょうどその時、バタバタバタ…! と食堂に走ってくる足音が同時に聞こえた。
「ヒカル!? パティに聞いたけど一体……………………え、ボルダノ様!!??」
メイド服姿のギリリーにも面食らったようだがさすがにギルド通いで荒くれどもの相手になれているファンナはそっちのけで、ボルダノの方に食らいついた。
「ふぁ、ファンナか!? お前の友人が…っ」
「お嬢様お嬢様、そんなのいいですからこのブタの痴態を眺めながらお茶でもどうです? ほら、アルレフール焼き増しときましたから。がっつり」
「パティ!? 貴方、何してるか分かってるの!? キーシクル家の一大事なのよ!? パパの首が…」
「もふもふ………んぐ。どうやらヒカル様は旦那様の首よりお嬢様の乳首の方が大事なようで。まま、乙女名利に尽きるじゃないですか。ねぇーヒカル様?
あ、デミアンテルさん。私ロイヤルドロップのシュルガンで」
「うーむ、良き日であるかして今日限りぞ、パティ」
「デミアンも!? 家主に断り無しに来客用の高級香り玉使って…!!!」
老紳士もよっこらせ、とばかりにパティの横に座って、暖めたポットのお湯を注ぐのである。くいくい、とドレスの袖を引っ張るパティに釣られるようになし崩しに席に着くファンナ。視線はボルダノとヒカルをいったりきたり。ハゲ頭に貼り付けるようにしてカチューシャをしているギリリーは憮然と、下座に座るボルダノの横についていて無言だった。
「ハッハッハ、そのブタみたいな鼻はいじめの後遺症か! さぞ恨んだことだろうね-、まぁ数年後脱税疑惑押しつけて手当たり次第に吸収していったみたいだしプラマイゼロか。あらあら同級生の恋人食っちゃってるとは。しかも井戸に捨ててるって」
「き、さまぁ、どうして、どうして分かる…っ!!!!」
「ああ、この杖は教会ご禁制の代物でね。お前みたいな口の割らなそうな、唇重たそうなデブのために存在する魔具だ。
ほら、未来の婚約者も見てることだし洗いざらい白状しちゃいな? 新たな結婚生活に隠し事持ち込みはだめだろ?」
『婚約者』と言う単語にキッと睨んでくるファンナの視線をどこ吹く風なヒカルは言葉を続ける。
「さぁさぁ第二問、脱税がバレたからベーツェフォルトの財務大臣に罪を着せて牢にぶち込んだってホント? えーとガンダンって言ったっけ、その人?
…あ、舌を噛もうとしてもギリリーが顎の骨を外す勢いでやるから無駄だよ? ギャグボールみたいな奴も町で買ってきたからそれ使っても良いけど、もうブタのレッテルから逃げられなくなるけどいい? いいってことね。はいはい」
勝手に言い出して勝手に決めるヒカルである。立方体の形だがギャグボールと同じ用途であろうそれを口にくわえさせる。
「顔真っ赤にしちゃって、血色が良いったらありゃしない。
さて、そうであるか否か?
十秒以内ね。十秒過ぎたらスペシャルドリンク」
悔し涙を浮かべながら首肯するボルダノ。おろおろとファンナが口に手をやるが、パティ達はボルダノの一挙手一投足を見逃すまいと嬉々としてみている。自分がおかしいのかと頭を抱えるファンナであった。
見たこともないような極悪な笑みをして、ヒカルがボルダノの苦悶を見下ろして嗤っていた。
「むぅッ…ゥううううう!!」
答えられないのか、暴れるボルダノをギリリーが押さえつける。
「はい十秒。ギリリー」
「へいヒカル様。
飲めッ」
ボルダノの顔を強引に仰向けさせるとギャグボールの穴の隙間からドリンク…白いトマトみたいな辛みのある野菜と甘ったるい柑橘系を思わせる香料を混ぜた奴をギリリーが鼻歌交じりに流し込む。ボルダノはむせるが、「鼻つまめ鼻」「へいヒカル様」呼吸を封じられ飲むしかないボルダノは白目を剥きながら慌てて飲み干し、絶叫する。
「もう一回聞くよ、汝は脱税がバレたからアストロニアの財務大臣に罪を着せて牢にぶち込んだ。そうであるか否か」
ブンブンブン…! と首を横に振り続けるボルダノにさらにもう一杯イく。半分シャツを汚しながら吐き出すので、もう半分の量を新たに飲ませる。意識がもうろうとし始めたのか、こく、こく、と首肯するボルダノ。
「結構。じゃあ次は愛するファンナちゃんへ告白タイムってことで。
第三問。人妻も生娘も構わず食っちまうボルダノちゃん。短小包茎のくせに媚薬の使い方は天下一品のようで。毎年毎年アーラック盗賊団の上物の奴隷の販売を楽しみにしているそんなボルダノちゃんですが、今回はアクシデントがあったらしくオークションが途中で中止になっちゃったらしいね。ええと…何々? 買った奴隷は一ヶ月ほどで捨ててしまっていて、反応が鈍くなると捨てちまうボルダノちゃんは相当に楽しみにしていて気が気でならなくて、適当にその辺の店の売り子を誘拐させるほど飢えていた。そうであるか否か」
「うわ、さいてーですねこのブタ」
「幼女は!? 幼女には手を出していないでしょうな!?」
「ええと、デミアンテルが好きな12才以下は今までで19人。少ない方だ」
「生皮剥いで殺してやるぞ駄豚が…!!!」
「デミアン? デミアンどうしたの? 何かいつもと違うような…」
コク、とうなずくボルダノ。
「よし、気分的に一杯いけ」
「ッ…!? ぅんン!? ん、ぐぐぐぐ…!!!」
ギリリーに流し込まれ、鼻をつままれながら飲み干し、そして突っ伏すボルダノ。ギリリーは怒声を聞かせながらまた椅子に背を立たせ直す。
「別に答えなかった訳じゃないけど、まさかその誘拐した売り子の女の子に行為中に罵られたからって殺すことはないだろう。死姦もいただけない。減点って事で」
「ボルダノには全く同情わかないんだけど、ヒカル、アンタその杖があればイグナ教皇ですら脅せるんじゃないの…!?」
さぁねーとファンナに生返事しながら、
「第四問。ファンナとの結婚生活はもちろんただれた『性活』を予定していたらしいけど、どうやらファンナの父親の前で『初』を予定してた。そうであるか否か」
…言いながら、ヒカルも恐れを感じた。ファンナの殺意を通り越した死/視線が、意識の怪しいボルダノのうつむいた顔を射貫く。
………コク。ボルダノは充血させた目でヒカルを睨みながら首肯し、
「いいわ、ヒカル一杯いって」
ビクッ! と顔を上げてファンナに懇願するボルダノをよそにギリリーが鼻歌(フレーズからして2番に入ったらしい)しながらドリンクを流し込む。身体を波打たせて苦しむボルダノ。果汁を舐めただけでヒカルも目をぱちくりさせるほどの白トマトのドリンクだ、発狂してもおかしくない。
ごぎゅうるるるるるるるるるうるるる、と静まりかえった部屋に嫌な音が響き渡る。
「まぁ、あれだけ水分取ったらお腹壊すわな。
さて婚約『予定』者に振られたところで気を取り直して第五問。
――先の邪神戦争において、裏切りを働いたか否か」
ごく、と全員が息を呑んだ。ファンナの父親の事情を知っている、実の娘のファンナやパティ、デミアンテルはなおのこと。俺を邪神だと知っているギリリーも俺の発言の意図に危険な臭いを感じて背をさらに伸ばす。
「…10秒と。ドリンクいっといても良いけど…そうだね、何だかむずむずしているみたいだし、疲れただろう。冷たいお水でも飲ませてあげようかな。ギリリーそこの氷水飲ませて」
今度は必死に、一滴もこぼさずに飲むボルダノ――だが、胃腸は急激な冷たさに反応して縮こまる。目が飛び出んばかりに顔を充血させ、暴れる様にヒカルが言う。
「トイレいきたいんだろう? いっていいよ。ギリリー、ロープ外してあげて」
ギリリーが全部のロープを外すと、慌てて席を立ち、ふらついて転け、お腹を押さえながらよろけつつもドアを開ける。
(殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるッゥウウウウウウウウウウウウウ!!)
ドアから腹を抱えつつよたよた走り、そして三〇歩も続かない当たりで足がもつれ、倒れる。目の前にトイレがあるのだ。菊門は既に限界。がりがりと絨毯を毟りつつ立ち上がり、
「ほらほら、トイレは目の前だぞぉ?」
ゲシッと臀部を蹴り上げてくるヒカルを見向きもせず、壮絶な汗をかきながら怨念を送りつつトイレへ這いずる。
のぞり、のぞり。腰をびくびくさせながら上げ、トイレのドアを開ける。便器だ。夢にまで見た便器がそこにある。トイレの敷居をまたぎ、抱きつくようにトイレを確保するとズボンを――、
ズボンが――………………下がらない?
「ぅむぅううう!? ぅ、うううううううっううう~~っっっっっ!!??」
「ほらほらもうやばいんでしょ? ズボン脱がないとトイレ出来ないよ? ほらどっかの誰かに浣腸したみたいに無様に人間の汚物を垂れ流しちゃうよ? そーら臭いまで漂ってきた、門がぴくぴくしてるのが手に取るように分かる。接着剤が塗られてるんだよ、分かるでしょう? でしょう? ぴっちりみっちりお尻に張り付いて密閉しちゃってるのわかるでしょう? ねえどんな気持ち? トイレが目の前にあるのにズボンが脱げないのどんな気持ちぃぃいい?? ねぇええ????????? うひひひひひひひひひひひ!!!!」
「ふ、ふぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーー~~っっっっっ!!!!!」
う。
さすがにヒカルもその壮絶な瞬間に顔をしかめた。
脱げたらしい。
さすがに接着剤も強烈な排便圧には耐え切れなかったか…。
そして夕暮れ。ボルダノを林の深いところに投げ捨てた俺達はファンナの部屋に戻って一服していた。ギリリーはさすがに着替えていつものタンクトップに戻っている。デミアンテルはファンナの親に話があるのだとかで階段を上ったところで別れた。
お茶で喉を潤しながら、外で悲鳴が聞こえたが、まぁ気にすることでもあるまい。動物には高栄養だろうし、糞便も虫類からすると貴重な栄養吸収源だしな。
「ギリリーサンキュー、無茶を聞いてくれてありがと。恩にきるよ」
「いえ、ヒカル様の役に立てたっていうんなら幸いでさ。マグダウェルちゃんにニスタリアンの時の怪我は治してもらってぴんぴんだってのに、アグネがなかなかベッドから起こしちゃくれなくて困ってたんで」
「あら惚気? ふーん、いや、ギリリーとアグネって私から見るに良い感じだと思うわよ?」
「冗談言うなよファンナちゃん!? 誰があんな化粧を根本的間違ってる化け物みたいな女と…!」
「申し訳ございませんギリリー様。こー見えてもお嬢様は先ほど婚約者を亡くされた身、嫉妬しておられるので。おいたわしや、おいたわしや」
「アンタは主従って言葉の意味分かってるの!? ぱぁてぃいいい!!???」
やんややんや。ドレスは糞尿の臭いがついたみたいだからやだ、と結局いつもの白ノースリーブに赤の鎧ミニスカートに戻ってしまっているファンナが姉代わりにつかみかかる。顔をもみくちゃされながらも笑っている赤髪シニヨンのパティがファンナを引きずり込むようにソファへ倒れた。
良い姉妹じゃないか。とっつかみする所なんか、まさに――。
明日は大会だというのに、『遅いからと泊まっていけば?』などとライバルにのたまうファンナである。こいつライバルである自覚があるのか心配になってくる。ギリリーと俺はそれぞれ部屋をあてがわれた。夕食はデミアンテルが作ってくれて本場のマッシルド料理に舌鼓を打ち。入浴後、談話室でだべりだべり、しゃべり疲れたところで就寝――。
「できるはずもない、か」
夜、ぺたぺたと廊下を歩く俺がいた。試合前、運動会前の緊張に似ている。寝付かないと明日に響くっていうのは分かるのに、ごろんと横になっていられないのだ。歩いて歩いて気を紛らすのが常だった。玄関を出て庭を歩く。どの部屋も真っ暗で、勿論ファンナの部屋も薄明かり一つない。肝っ玉でかいなぁと感心して見上げていると、
「だ~れ~だぁ!」
「いイッ、いいいいいいい!!!???」
背後が池だということを忘れていて足を滑らせて転落――しそうになったところをガシリと腕を掴んでくれた、その人物。
「ファンナお前っ、危ないだろうが! 暗闇だぞバカッ! 怖いだろうが!」
「へ? アンタ暗いの苦手なの?」
「こんな得体の知れない世界だぞ怖いわいぼけぇええええ!!!」
半泣きで訴えるがファンナは調子狂ったとばかりにつまらなそうに俺を見る。
ファンナは花柄のネグリジェで、薄いケープを羽織っている。こうしてみると分かるがこいつ何着ても出るとこは出て引っ込んで欲しいところは引っ込む身体してるんだな。
「寝付けないんだ? だっさ」
「そう言うお前はどうしたっての」
「……………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………
…………………………………………………アンタと一緒、かな? …悪い?」
ふんだ、とそっぽ向くファンナはつかつか先に行ってしまうので、さっき脅かされたせいか取り残されるのが不安で俺も早足でついて行く。
「…………今日はその、ありがと」
一〇分くらい林沿いを歩きつめて、ようやく口に出したファンナの第一声がそれだった。
「へいへい。つってもボルダノの不正の情報をきっちり向こうに知らせないとまずいからな。そこはきっちりしといて」
「わかってるわよ」
ファンナがふらり、立ち止まる。敵か、と俺は周りを見渡したがそんな物音はなく、
「一個だけお願い聞いたげる。一個だけよ」
ふぁさり、と長い金髪を翻しながら振り返るファンナが、うつむきがちに、碧眼の相貌で俺を伺うように上目遣いして、ぼそっと言葉にした、その意味。
「何? 殊勝にも感謝してるわけ? あー、こっちはそんなつもりじゃなかったから。パティさんのお願いがなけりゃ分からなかったかもよ? だからお礼はパティに、」
「もうパティには言ってるわよ。アンタには言い忘れてたの」
「言い忘れるとかもう感謝の欠片もなくない?」
「……………(人がいる場所で言うと恥ずかしいでしょっ、このバカ)…ふんだ」
「え、何か言った?」
「な、何も言ってないわよっ!」
「ふーん、ま、いいけど。…そうだなぁ、じゃあこれはお願いというか希望というか。
その結果は実はもう先取りしたみたいな感じで分かってるんだけどさ、」
「先取り? 何それ? …言ってみなさいよ。聞くだけ聞いてあげるから」
「ふふん。聞いて驚くなよ。
俺がだぞ? ファンナのサイドポニーでメイド服着てる姿に見惚れるかも知れないっていう――」
名前 キーシクル・マッシルド・ラ・ファンナ
性別 女
種族 人間
職業 傭兵学生、傭兵弓術士
戦術型 弓術士(ニスタリアン流)
『遠距離武器』が使用できる。遠距離攻撃成功率に+20%の成功補正。同様に遠距離からの攻撃回避率を+20%。
ニスタリアン戦士学校の授業によりステータス上昇率にランダムで+1~2の追加成長補正がかかる。
筋力 91
力の強さ。ギルド協会は握力で測定している。(魔力により強化している常時筋力)
体力 189
ヒットポイント。我慢強さである。
攻撃力 275
コンパウンドボウ(滑車付き弓)による攻撃力。重戦士並みの引きが必要になる弓だが滑車と魔力強化の筋力により使用を可能にしている。
防御力 164
ニスタリアンの体術により通常時から防御力は高い。なお、鎧スカートには魔物の攻撃に対して直撃をずらす効果がある。
敏捷 283
素早さ。身のこなし。この値が高いほど行動ターンが回ってくるのが早い。戦術型が弓術士なので、戦闘が始まった際には優先的に行動ターンが回ってくる。
気配 122
暗殺の成功率。ニスタリアンの暗殺術は武器の有無に囚われない。黒目夜目のダガーを使用した時はさらに80アップする
健康状態 100
100が平均値。
運の良さ 67
50が平均値。
退魔力 56
一般的なイグナ教の守護を受けている者は50が平均値
精神力 109
精神力。戦闘で能力を発揮する際の冷静さを保つ力。一般的な傭兵としては高レベルクラス。
反応速度 140
攻撃に際して反応する速度。この値が高いほど敵の攻撃に対しての回避行動率が高い。
魔力 132
一般的な王宮魔術士が120である。弓術士の職業で言えば十分な数値である。
魔力回復速度 7/m
分速7MP回復。弓術士で言えばやや高水準な数値である。
魔術知識 160/300
魔術における知識、教養。この値が高いほど新しい魔術を覚える成功率が高くなり、その時間が短縮されていく。また、魔術使用時のMP浪費率が少なくなる。ニスタリアンでは魔術は重点的には習わないに加え、ファンナ自体が一般的な魔術をあまり重要視していなかったため低め。
武術知識 210/300
武術における知識、教養。この値が高いほど新しい武術を覚える成功率が高くなり、その時間が短縮されていく。
Aクラスの傭兵の体術を有する。
使用魔法
真力は水だが指向性魔術はほとんど習得できていない。
・神聖仮装 7/10
ニスタリアン戦士学校の奥義。名の通り、神聖魔法を仮装使用するもの。六力全ての魔力を均等に練り白に近づける事で、使用者の少ない神聖魔法を疑似的に使用する技術である。
・神殿障壁 4/5
神聖魔法の障壁。白色結界。上位階層(天界、冥界)の力場を再現して展開する大魔術の一。成人であれば身を包む程度で毎秒10MPを使用する。
人類で言えば上位精度。ファンナの神殿障壁は神聖仮装による物なので最大値が低い。
・魔力操矢 8/10
魔力によって矢の軌道を操ったり帰還させたりする操作魔術である。矢先の宝玉に神聖仮装するなど、応用力、貫通力は高い。
演出値 68/500
攻撃の派手さ。この値が高いほど攻撃する度に威圧感を与え、相手の行動回数を減退させる。ただし精神力が高いと減少できない。
攻撃範囲
直線最大10マスの遠距離攻撃に加え、範囲転移攻撃(暗殺技術による回り込み)など特定座標攻撃に優れる。