真実への扉・1
――西暦2010年5月21日、日比先医科大大学病院13階隔離指定病棟第一号室――
傍らのメイドが株の名前を読み上げる通りに、ベッドから半身を起こした凜とした雰囲気の薄幸な青年――綺卿三六九の細めた目が、キーボードでその該当株の上がり値を確認する。
「ニューヨーク市場は全体で0.1パーセント減。アメリカ時間の午後四時のドル/円は91.52…確認。これで明日大暴落は確定か。
…ふむ、ドイツの空売り禁止措置が思いの外効いてるな。理生、ここ記帳」
やや冷め気味のアールグレイで喉を潤しながら、ため息混じりに言うのだった。5月病でもあるまいに今月に入ってからもの憂げな表情が目立つ三六九。病院暮らしも2年目に入り、その18才という年齢にしては小柄で細身で、なのにやり手の外務官ですらたじろぐような日本人離れした麗姿と風格を漂わせている。
画面の折れ線チャートを指さす三六九のマネキンのように細く白い指先を、ベッドのそばにたっているメイド――鬼神原理生が手に持つバインダーの書類に記入していく。
英国のゆかりある古参ホテルから引き抜いてきたようなブリタニッシュメイド姿の彼女は、その容姿から、女性にしては高い身長からと三六九とはまた違った日本人離れをしていた。純白シルクのレースカチューシャで留めた黒髪のショートボブだが、両のもみあげが地面に垂れつくほど長く、一見奉仕に差しつかえあるとさえ思えるその長さには彼女の矜持すら感じられる。クール系のモデルさえ一歩を譲る容姿とスタイルを、ふっくらとした特注のメイド服で纏うことで――彼女が持ちうる、淑やかでいて謹厳たる雰囲気を完成させていた。何より――本来なら世界のVIPといっても差し支えない三六九の、そのそばに彼女一人。それが彼女の価値であり実力であり、鬼神原理生という存在そのものを表していると言えよう。
「はい、記帳いたしました。三六九様、次は一分四〇秒後、ブラジルの原油価格をお願いします」
それが、予言者綺卿三六九の基本的な仕事だったりする。依頼は一つの予言につき四億だが、狙いすました投資運用をすればたかが四億など数秒で取り返せる金額である。
――依頼は、日々絶えることはなかった。
ただ予言で見た時間通りにその株の状態を見ればいいだけ。
予言は、いわば未来との約束と言っていい。つまり未来で『見る』という行為を確約していれば、予言に観測できない事態は事実上存在しない。政治家の先見、大企業が培ってきた運気操作、未だ貴族の間では根強い信頼を誇る風水――そんな予測サービスの最先端であり頂点であるのが『予言』だと言えるだろう。
事故も。
事件も。
災害も。
人の生死、技術の進歩、サクセスストーリー、新発見新製品新開発新企画、株の上がり値下がり値にいたるまで――。
大企業や大政治家、いわば国のトップ達が端から見て予想外と思える事態でも動じないのはそのためだ。その背後には三六九の予言という後ろ盾がいる。答え合わせでもするような感覚でその予想外を予言する。
世界がそんな三六九を野放しにするはずもない。父親も予言者という名門にしてサラブレッド。『公爵』というエリザベス女王に次ぐ大権力を与える理由としては、むしろ当然すぎるとも言えた。
「が、その前に理生、休憩の用意だ。茶菓子がやってくる」
「――…と言う感じのワンシーンに際して私帰還!」
その甲高さは見た目通り一三才の少女のそれだった。
薄灰のターバンキャップ、赤ミニひらプリーツスカート、同じく色そろえの赤コートで、その開いた胸から見える真っ白なキャミソールが眼に眩しい。栗色のクセっ気な長髪がどっかりと背負った、幼女である。
「そらそら、またうるさい13才が帰ってきた…」
17才だよっ! と人を嘲るような三六九君に私ぷんすかである。このエセ英国紳士、なってない。全くしてなってない。
「病室に引きこもりっきりの三六九君は少々デリカシーとかとりあえず英国紳士的な優しさをも一度イギリスで習ってこいと言いたいよ。
さて…で。ただいまぁ~!
三六九君も理生ちゃんもただいま!
三六九君寂しかった? はいお土産。神奈川特産の海苔羊羹あるでの~。吉備団子も。どう、実はほら八つ橋だって。生だってよ。でもさー思うんだけどでも逆に生じゃない奴って私見たことないんだよね。あふ。
後、モアイ。
はい理生ちゃんもモアイ」
「………………………ちょこ、このラインナップでなぜモアイ」
お財布のお小遣いぎりぎりでとどめに買ってきた500ミリペットボトルくらいのリアルモアイ像を二人の手に収めさせる私。良い味だしてると思うのよねー、これは職人技だと思って空港で見た瞬間ビビッ! ときて、速、買い。
「ふぅん。…で? 今回はどこに行ってたんだい? 二週間近くも音信不通とは。僕に何も言わず内緒で旅行なんて、ずいぶん薄情な同室人だね」
まぁこうして三六九君の言うとおり――私、海々三谷千代子は綺卿三六九君の同室人だ。この何かと人の身長についてしつこい同室人にお土産なんてもってのほか、私が今回の旅行に行く前日には『君に最高に似合う衣装の組み合わせが見つかった』とか言ってどこかの幼稚園のぴちぴちスモックとうさ耳をにこやかに渡してきた時には怒りと我が身のロリを嘆く悔し涙で前が見えなくなるほどで、この変態の顔をどう打撲させてやろうかと本気で考えたりしたほどである。
「ありがとうございます千世子様」
「このモアイ像は三六九君だと思って大切に飾ってね!」
「………理生、お前も頼むからこいつのお土産の置物をいちいち窓辺に飾らないでくれるか。僕の部屋の物の統一性とか趣味がだな、」
理生ちゃんがいそいそと、暖かな日光の当たる窓辺にモアイを飾る。こちら側に向けると逆光で余計に深まった眼の深み。自分を見つめてきてるようなそんなモアイをへ鬱陶しそうに目をやりながら、手に持つもう一体のモアイをPCそばにさりげなく置く。
「この、ちょっぴり憂いを感じさせる目元が三六九君っぽいよね~」
「そうでございますね」
表情要素全くのゼロだけど賛成の意を示してくれる理生ちゃんである。あいあい。
「…君達はよっぽど、よっぽど僕のお仕置きが受けたいと見える。
ちょこ、君も帰ってきたんならさっさとうさ耳スモックに着替えろ。君がそんなまともな服を着てるなんてどうにも落ちつかない」
「なにその『お前は常時コスプレしてる生き物』みたいな言い方」
「僕のおもちゃである君からコスプレを取ったら何も残らない」
「断定待って!? そいで君がその公言したら本当にそうなっちゃいそうだから止めてよ!?」
予言とは全く関係ないけど、三六九君がかまわず言い続けてたら、そのままずるずると本当にそういう認識が周りに広まっちゃいそうで怖い。
「ちょこ。君は勘違いしているかも知れないが、スモックはれっきとした英国由来の伝統的な職業服なんだよ。襟がないのも、汗をかいても首元を痛めないように配慮した名残だ。シンプルイズベスト、それでいてこの機能性、その伝統のデザインは今も人の心をを魅了して止まない。馬車引き、羊飼い、農作業する時などにも欠かせない、たとえ貧しくても美しくあれと言う英国の誇りを投影し体現したのがこの衣服なんだ」
「はいそこストップ。百歩譲ってそうだとしても、確か一九世紀くらいから廃れたよねその伝統」
「廃れた? 何を言う今でも根強く続いている。ちょこ、君には女性らしさがない。ならばそう言う気品を着衣させてあげようという同室人なりの心配りなんだ。わかるかい?」
「その心配りは園児服着せてウヘヘみたいな下心しか見えないんだけどそこらへんどうかな」
「汚らわしい。そんなちょこの脳内みたいな下品な事を考えているわけがないじゃないか。僕は単に美しい物は愛でるためにあると言っているだけだよ。君はいつも精一杯背伸びして躍起になっているが、人には人の、その美しさの方向性がある。だから僕は君にHカップの巨乳なんて期待してない、来世にでも期待しよう。今はむしろ君のスモックを――、」
――この変態は綺卿三六九君。隙あらば私をコスプレ人形にして遊びたがる、しかも強要せず着せるように仕向ける手際がなんともドS。信じられないかも知れないけど、これでも彼は世界でも有数の大貴族だ。予言なんて言う得体の知れない嘘っぱちぃ真似をお仕事にしてる彼。
この小さな公園くらいは楽々入りそうな私達のVIP部屋は窓際以外は何も私物も置いてないリノリウム張りで、一見物寂しさを感じさせる。
傍らにメイドを立たせ、延々とパソコンで数字を見ていく日々。理生ちゃんは不器用だから感情を感情で返すこともしないだろうから、きっと三六九君のちょっとした悪戯も行き場を見失って次の依頼へ埋もれていくのだろう。
誰とも会わず、しゃべらず。
以前通っていたという学校のクラスメイトさえ、三六九君が言うには、もう会う運命にはないらしい。せっかく友達がいるんなら誰か…私が気を利かせて呼んであげても、良かった。でもそれは三六九君の予言に反することになる。以前やろうとして、…やんわりと止められた。
会おうとしても会えない――それは三六九君に会おうとすれば何らかの障害が発生することを指している。つまり三六九君の顔をちょっと見るためにわざわざ足を運んでくれたその友達が、その道のりで事故にあって帰らぬ人になったとしても――おかしくないからと。
なら、三六九君は何に笑うのだろうか。
窓から遠い街を見下ろして、その笑みの中に入りたいとは思わないのだろうか。身分があるのは分かる。でも人並みの感情がその厚い予言者の顔の内側にあることも私は知ってる。寂しいと。私は、思えてならなかった。
こうして三六九君は私が来ると笑ってくれるから、それは――杞憂なのかも知れないと、前までは思っていたんだ。
「僕を嗅ぎ回って、何か面白いことは見つけられたかい?」
「あ、さすがにばれた?」
「もう少し手の込んだやり口でも良かったんだが――、ま、当てつけが狙いなんだから仕方ないか。
ああ、覚えてるよ『江ノ島』で有名な海苔羊羹。
岡山の吉備団子には、ポルターガイストの大騒動があったな
生八つ橋は幻惑の京都の思い出がある。苦い思い出だがな。
モアイはオーストラリア迷い込み。これがなければたぶん分からなかったが。
――なるほど? 全部、僕が君に話した過去話の舞台の品だな」
「三六九君、すごく仲の良い友達がいたんだってね。でもある日忽然と姿を消した。
坂月ヒカル君――だね?」
三六九君の眼が凜と私を射貫く。
だけどそれがどうしたというのだ。
「…ずいぶんと謎が多い人物みたいだね。まず血縁関係。江ノ島に行く前に警視庁のバンクで出生時と学生時のDNAを鑑定してもらったけど全くして不整合だった。それに全国少年野球リトルリーグ準優勝…だけどここで頭部打撲を受けて途中退場してから一年間人の眼に触れていない、っていうのも気になるね。ここで彼に何があったかは聞かないよ。おそらくこの問題には関係ないから。
そこから成木中高一貫部に入学。君と接触し『なぜか』友達になる。三六九君学生時代は今にも増して他人に無関心な人間だったらしいね。クラスメイトも最初は敬遠していたって。松葉純さん。覚えてるかなぁ、今は高都宮グループの重役であるお父さんの補佐になってるよ。彼女からの証言。
結構な騒動に巻き込まれたらしいね。とりあえず私は三六九君が以前からぽろりと漏らした4つの事件に焦点を当てて調べてみたよ。
一つ目は、江ノ島の海賊騒動。テーマパークで遊んでいる際に海賊乱入、クラスメイトが殺されたり拉致されたり、護衛に待機していた訓練された警備兵すら『特殊な力』で退けてしまい、次世代のトップを担う子供達が未曾有の危機へ陥った…って話。とりあえず私も現場に行ってきたよ。海に沈んでしまった洞窟の中も探索して、惨状と三六九君達の血痕も採取した。
2つ目はポルターガイスト騒動、ね。こっちは現在詳細は調査中…だけど三六九君達がまたしても『巻き込まれた』ことはわかった。ずいぶんと問題ごとに好かれてたみたいだね? まぁ私も人のこと言えないけど。
3つ目は京都、大陰陽師・二月水戸乃枝幾の系譜にあった陰陽師のグループが引き起こした京都全体を召喚の儀式に用いた大騒動…こっちはさすがに術士さん達も隠しきれなくてニュースにもなったんだね。新聞も映像も確認済み。通称『幻惑の京都現象』これを解決したのもまた三六九君達と。いや…正確に言えばヒカル君なのかな?
4つ目――、」
「わかった、事件については………………もう、いい」
「………………坂月ヒカル君の足取りは2009年の5月2日この日比先医科大大学病院のロビーの、特別病棟入室記録の記載で途絶えている。外出した形跡は無し。
三六九君も知ってると思うけど、私は自分の目で見ないと物事は信じないたちだからね。映像記録を引っ張り出して、この特別病棟直通のエレベーターに入るその姿も確認した。でも出てくるところは見られなかった。テープを調べて差し替えられているか上書きの細工がないかも調べたけど全く形跡無し。
なら、病棟に入ってからヒカル君は密室状態だったわけになる。
もちろん理由は考えられる。ヒカル君の身に何らかの危険が迫り、三六九君がこの病棟のどこかにある隠し扉からヒカル君を脱出させてどこかで保護しているとか。病院の建設資料を閲覧したけど記載は無し。まぁ紙データだから信用できないけどね。
三六九君が関わっていることは明白なんだ。
なぜなら坂月ヒカル君は現在『死亡』した事になっている。家族すら騙すほどに上手に整形させたかりそめの死体まで用意して葬儀をしたらしいね? でもやるなら、この死体のDNAで他の記録を上書きするとかして徹底しないとね~。取らせてもらったよ、遺骨から。…予想通り、見事に坂月ヒカルとは違う人の物だった。
動機を考えてみたよ。
手口はすでに度を超してる。最期に失踪した場所は、この病棟。普段は一般看護婦すら寄りつけない貴賓の間だよ。仮にも親友であった坂月ヒカル君の失踪をこうまで隠したい理由は、何か――」
そこまで言って私は言葉を切り、三六九君を見据えた。
この男の子は、言葉に逃げる。
それが予言者の仕事の性質なのかも知れないけれど、今回ばかりはそうは言ってられない。私だって何振り構わず人脈を使って調べ上げた。三六九君がその権力を使って押さえつけたほどの失踪事件をだ。ネタは挙がっている。最期の目撃者が三六九君なのは明白だ。あえて伏せているが、坂月ヒカル君が入室したのを理生ちゃんからも裏はとれている。さすがに主人の秘密を話したと言うことが知られては気まずいだろう。…なぜなら、自らの体でドアに蓋をしたのも理生ちゃんだからだ。ヒカル君が入室してから、このメイド、鬼神原理生はそのドアの前に立っていたのだから。
調べていくうちに、たくさん分かっていった。どれだけ綺卿三六九が坂月ヒカルという人物を気にかけていたか。信頼していたか。必要としていたか。
だから私もそんな二人の友情に敬意を表して、誘導尋問で引きずり出すなんて事をせずに、自らの足で調べたんだ。二人がまだ一緒の時を過ごしていた過去を想像しながら。
(――詰みだよ、三六九君)
私の視線を察したか、…三六九君はあっさりと脱力してそのまま枕に倒れ込んだ。
「何が知りたい?」
「三六九君の、その大事な友達のこと。
何があったの? 三六九君は…何を見たの?」
「……………話したって何の解決にもならない」
すねた子供が親からの視線を避けるような顔だ。私はやんわりと破顔した。
「見つけてあげるよ、ヒカル君を」
「……………不可能だ。さんざん、探したんだ。
少なくとも僕のネットワークには一切引っかからなかった。人脈も権力も僕以下な君がどうして見つけられる?」
「……大丈夫。その代わり、覚悟をしてほしい」
三六九君は、普段の思慮深さが嘘であるかのように即答した。
藁をも掴む思いがにじみ出る。
どれだけ――どれほど長い間、この言葉を待っていたのか分からないくらいに。
「何をだ」
「たくさんの代償を支払う覚悟だよ。おそらく君の想像を軽く超える。正直私でもまだ目算がつかない」
「――領収書を持ってこい。どんな代償だって即金で払ってやる。
世界だって欲しければくれてやる。
本当だな? その言葉に偽りはないな?
坂月ヒカルに、――また会えるんだな?」
…気になっている男の子が恥も外聞も捨てて頼んでるんだ。
なら、応えてあげるのが、女の子だよね。
「任せて。
そのかわり会えた時は、微笑って」