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四八話 邪神の言づてと逃亡のタクティクス(後2)

  ―― コロシアムまで後、2日 まで 残り1時間 ――




 ファンナは所定の位置――室内訓練場いわゆる体育館のドーム屋根上で身をかがめ、夜の校舎を見渡した。グラウンドの中心には火事かと見まがうほどの大きな灯火があり。…我が物顔で母校に居座っている兵と余所者の傭兵の気配が、ただでさえコロシアムの祭り前で浮き足立っているマッシルドの中でもひときわ物々しい雰囲気で満たされていると思うと、…正直な話、おもしろくないのだ。


 傭兵達は生徒の個室に押し込められ。


 灯火で夜の暗闇を殺し、学校の各所に立ち監視して彼女達を拘束しているのは、その軍服の色すら一定していない、マッシルドを守るという名目の下集まっている軍人(傭兵の天敵)だ。…屈辱だった。浅くとも50年の歴史、曲がりなりにも一流の冒険者を育てるための学園を様々な国達の思惑に踏み入れられていることが。


 ファンナは一人、気合い十分に、サイドポニーにまとめた金髪を夜風になびかせて立っていた。

 学校の貸し出し弓と矢筒を片手に、自身の周囲一帯を警戒しながらも、双眸を細め、およそ一四〇メートルもの先から一瞬たりとも目を離さない――。


「《上等よ。適材適所ってこと、ミナは分かってるじゃない》」


 町は夜の酒の熱も今からと言ったところ。

 ファンナが何年も何年も待ち続けた――ある種のあこがれ、努力が報われるための戦いまで、残り2日。そんな前々夜祭最大の危険を任されたのだ。この作戦最大の危険を伴う囮役を。

 試されている気がするのだ。

 ミナに? 違う。

 きっとこの作戦の結果は自身のこれからを占う。この程度をこなせずして何が勇者か。何が大陸一の戦士か。得られる物は莫大の金。コロシアムを賭博と考える人間にはただの名声などお飾りだろうが。


 それでも。


 ――目を閉じれば祈るように夜風。未だかつてこのニスタリアンで感じた事がだろうか、こんなにもこの悔しい、校舎を失いたくない、と思う気持ちは。


 見下ろす眼下は赤々と夜を裂き、人と笑顔が集まり囲んでいれば祭りの光景のよう。きっとこの学校もそれくらい甲斐性があれば、ファンナもこの作戦を躊躇していただろう。


 それでも。


 …性別を殺し、剣を振り、弓で射て、武器が折れれば殴り合い、一〇歳で魔物の群れに放り込まれ、町に抜け出しては化粧をうらやんで、お前にはコレしかないんだと戦士としての生き方を押しつけられてきた。父がギルドの重役であることもあってそれを知っている同級には権力を笠に着ていると思われ、それを覆すためにも実力を積み重ねなければならなかった。勝って勝って、自分の実力で同じ夢を目指す仲間を押しのけていって喜びを見いだせてそのとき初めて戦いが好きになった。同時に、こんな自分じゃない自分が想像できないようになった。戦うことが――当たり前になった。もう、後戻りなんてできない。


「ふんっ…」


 弓を見た。魔力で弦の張力を高めたとて、この程度の安弓ではファンナの長距離即死狙撃を完遂させる威力を求めるなら、一発が限度。換えはない。学校内の教師も言いくるめられて武器の管理を完全に兵達にゆだねてしまっていたからだ。この一本だって…持ち出すのに恐ろしく苦労した。屋根裏伝いで、まだ髪には少し埃もついている。

 最期に、たぎるのは戦士としての血だ。

 この作戦は、ファンナのプライドにかけても成功させなくてはならない。

 たとえそれが、このニスタリアンをはや望郷にしてしまう結果を生むとしても。


「アンタが悪いんだからね。…勝負よ、パーミル」


 そんなことなど、級友を無力化する任を与えられたファンナには、所詮些末であった。






 ――時は二時間前に遡る。ミナの口から逃亡計画の提案が打ち出され、皆の視線の中しばらく思考に没頭していた皆が唐突に顔を上げ、


「ファンナ、貴方にはさっそくこの学園俯瞰図を完成させてもらいたいと思います」


 …決定した作戦のため感情なく指令を下すミナ。この程度簡単だろう、と試すような視線に一瞬逡巡したが、


「どういう事姉様、別にこの地図間違ってない――」


「『全部調べてこい』ってことね、了解。はいはい」


 ナツの頭にぽんぽん、と手を乗せながらファンナ。

 一時間後、不機嫌で埃まみれな姿で帰ってきたファンナをアグネがからかって空気が凍った。


「もういい、湯浴み行ってくるわ。けっ、こっちはチフー横切る屋根裏をほふく前進してきてたってのに。あとは埃まみれじゃないアグネさんと勝手にすれば!?」


なんだかいじけて外に出て行こうとするファンナの背に、鎧を着用していたシュトーリアががちゃがちゃ慌てて追いすがる。


「ふぁ、ファンナ? 何を怒っているのか分からないが、埃まみれと言うことはそれだけの仕事をしてきたと言うことだろう? アグネはファンナの努力を賞賛してくれてるのだと――」


「あーあーシュトーリアはホント純真でバカね。そのプラス思考(人の良さ)腹が立つ。私はこんななりでもお手入れくらいはね…!」


 戦士の訓練に明け暮れる人生の彼女に、天からの贈り物のような柔肌が最期の女としての砦であった。何とか戦でささくれていく心から守ろうと、怪我は仕方なくとも保湿等最低限の手入れと、装備も実用重視ではあるがお洒落の趣味も取り入れている。ミナだって香水や手鏡、化粧水等道具を持っていてこの学校に来た一夜目は化粧談義に花が咲いた物だ。


「………………………………………………………………………………………はぁ」


「な、なんだファンナ…っ、君の視線はたまにだが居心地が悪いぞ。や、めてくれ…」


 問題はこの、今彼女に手をはね除けられてきょとんと眉尻を落としているシュトーリアである。


 この女、未だかつて、全く、まぁったく、こいつぁ女として異常だった。

 食事もミナのように節制してるわけでもなく肉は食べても野菜はその三倍食べる大食らいのファンナ。シュトーリアはというと『筋力をつけなければ』などと言いながらも普通に肉食で、ここに詰めてる兵士と同じようにがつがつ肉を食う。いつも鎧を着ていたがり、人が親切に蒸れて臭くなると心配しようが、香水も使っていないのに何だか良い臭いがする。騎士の鎧を脱げば引き締まったウエスト、なのに筋肉質などとまるで感じさせない極上の柔肌というギャップ。これだけそろっておいてなお『バカだな、女らしさなど騎士としてはハンディも同然じゃないか』などと笑いながら言い放つ。詐欺だ。ファンナはシュトーリアと裸のおつきあいをしないことを心に決めている。


 シュトーリアをすっころばせて鎧の上からゲシゲシとしたたかに踏みつけ、動かなくなってからファンナが部屋を出る。


「えーっ…とぉ」


「まぁ、ちょっとお灸が必要だったと言うことです。ナツ、そこのベットに目を回しているシュトーリアを寝かせてあげてください。女の機微が分からない女の末路です。

 ファンナもああ言ってますがすぐに戻ってきますよ。せいぜい顔を洗ってくる程度でしょう。現場をよく見ているファンナですから、これから与えられる自分の役目を推測するくらいはできているでしょう」


 だが、ミナの信頼も甲斐なくしっかり三〇分湯浴みに行ってきたファンナであった…!

 思わずミナも巫女顔が崩れ洗面器で頭をすかぽーん! と殴打する。


「あ、あああああ貴方は作戦の重要さが分かっていないのですかファンナは…!? あの包囲網を相手にするんですよ!? 貴方は単独ですよ単独! よくものんびり入浴を楽しめた物ですね…!? 私なんか早々に胃痛が、」


 ほくほく顔で戻ってきたファンナにはもう埃まみれになって調べてきた学園俯瞰図のアドバンテージはなくなっているようで、


「わ、悪かったわよっ…! ホントは水かぶるだけで良いかなって思ったんだけど、浴場の釣り看板見ると我慢できなくって…」 


「女としてどうとか言ってましたね。では私と一緒にダイエットでも始めてみますかファンナ。とりあえず二日間食事抜きです貴方は」 


 途端、ファンナが本気の目に変わる。


「人を殺す気? 私自慢じゃないけど食べないと死ぬわよ」


 本当にあんまり自慢できる事じゃなかった!


「貴方が死ねばその食費で飢餓の人間を助けられると思えば安い物です。言われたくなければ結果を出すことですね。少なくともまだ私は、貴方がヒカル様を町中で痛めつけた事とヒカル様を置いて逃げた事と大食らいな貴方しか知り得ていません」


「それは私の活躍してるところことごとく聞いてないからでしょ!? ドラゴン倒したし!《シュトーリア達と合同だけど》 これでも今コロシアムの優勝候補6位なんだからね!? 私が優勝したら貴方赤っ恥よ!? めっためたにバカにしてやる」


「赤っ恥ですか? 結構です、私は女として慎み深いので、心に決めてもいない男性に肌を堂々露出させる貴方のように女としてリスクを背負った生き方はしていませんので。

 せいぜい跳んで跳ねてその臀部でんぶをさらす売春婦のような鎧のスカートで生き恥をさらすといいでしょう」


「…へぇ、巫女風情がよく言ったわ。いいわよ、賞金なんて一シシリーもくれてやらないんだから!」


「お風呂に入ったと思えばもう眠いですか? 寝言は寝て言う物です、もしも、万が一、まかり間違って貴方が賞金を獲得したとしても自分の食費のことだけ心配していればよろしいです。ま、半年で食いつぶすでしょうが」


「あ、あの姉様…」


「ファンナお姉ちゃん、何もできない俺がいうのもなんだけど、作戦前にこういう事は…ひぃっ!?」


「 「あ"?」「何ですか?」 」


 分からない。よく分からないけど、何だかもの凄い醜悪なオーラがミナとファンナを纏うように展開されていた。鋭敏な感覚でそれを察知したバウムは初めてハイハイを覚えたエマに突然ヒゲをつかまれその手を払うこともできずその『抜いても良い? 抜いても良い?』という少女の好奇の視線から逃れることができず、味わった――手に汗握る緊張を久方ぶりに思い出した。ヤークとナツの肩をつかみ回れ右させて「さ、ワシが故郷のまじないをしてやろう」と部屋から避難させる。アグネとギリリーも「あ、武器の手入れしなくっちゃ…」と部屋を静かに後にした。にらみ合って動かないミナとファンナの二人だけが残った。


 聞き耳もない。…いつまでもにらみ続けるかと思いきや、一〇秒もたつと、ミナの方から気苦労をはき出すように、

 

「…全く、ヒカル様が悪いのか周りが悪いのか分かったものではありませんね。これからも頭痛の種になりそうです。あの方の立場を考えるとそれで良いのかも知れませんが、これでは…私の立場がないではないですか」


「何でそこでヒカルが出てくるのよ」


「ご心配なく。どうせ直に分かることでしょう。

 しかし先にも言いましたがこれからの作戦はニスタリアンの校舎を知り得た貴方しかできないことです。同時に、私達の中で何とか逃れられるのも貴方だけ。

 ――調査の際、詰めている兵達の中に見たのでしょう? 今期ニスタリアンで最優と言われる牙を」


「……ミナ、…アンタ……………何で分かるの?」


「別に。私もラクソン公にお会いした際にそばを通りかかった彼を公から紹介いただいただけです。聞けばファンナとはしのぎを削りあった仲だとか。すでにご存じでしたよ、私達と貴方の関係は」


そしてミナは聞いてもいないのに、ソイツの容姿を口にする。

長身で銀髪のオールバックの美男子。銀鉄シリーズの兜と鎧、そして双剣。

 ――つまり、つまりそれは。


「…一体アイツ、いつから…」


「…ふむ。ファンナのその様子だと、彼…ダルルアン・エレティノ・ラ・パーミルと別行動しだしたのはそう昔ではないようですね。まさかかの邪神大戦で猛威をふるったと言われる古豪ダルルアン家のご子息が盗賊団に荷担してるとは、私も驚きを隠せませんでした。どのような手を使ったのか知りませんが」


「――…っ」


 …そうなのだ。確かにファンナは屋根裏からの天井の割れ目から兵達と席を同じくして傭兵隔離の指令を受けているパーミルの姿を見た。そして、ファンナに一瞬目配せもしてきたのである。…背筋が凍るかと思った。バレれば一巻の終わり、パーミルがファンナを捉えてしまえば残りの皆など一網打尽だ。

 今まで一度も勝てたことはなかったが…ここまで一位と三位の壁を感じさせられたことはなかった。そんな敗北感を纏ったじっとりとした汗を、ミナ達の居る部屋に持ち帰るわけにはいかなかった。


 ただ一人、この蒼銀長髪の巫女のミナだけは気づいていたのだ。

 顔を合わせて感じたのだろう。もしくはその魔力感知で質の差を感じ取ったのか。

 級友としての情をもつファンナだけが、あのニスタリアンの英雄トラファルガーの再来と言われるパーミルを相手取って離脱することが唯一可能なのだということも。

 逃げることに集中させるため、他の仲間に知られてはならぬと一芝居打ってまで――。


「…ヒカル様は、もしやもう彼らの思惑に勘づいていらっしゃるのでしょうか。

 盗賊団の真の目的は、もっと別のところに…――」


「………ヒカルヒカルって、貴方そんなにヒカルを信用して良いの? アイツ、あれだけの魔力を持ちながら私なんかに足下をすくわれてるわ。

 別に手合わせした時も、別に一騎当千というほどじゃなかった」


「ふふ、一騎当千は買いかぶりですよ」


 ファンナが、情けないわと軽口すると、ミナも苦笑しそれに応える。


「あの方はただとても眺望のきく視野で、最もリスクの少ない方法を選んでいるだけです。人を数で捉える軍人のようだったり、時には花を踏むのも惜しむような方です。まだ力の使い方を模索している段階、もてあましているだけに過ぎません。今のままでは隙を突かれ路傍の浮浪者に刺されて終わり、というのも十分に考えられます」


 まだこの世界に来て浅く。年も同じ。ニルベの巫女としての使命を幼少より課されてきたわけでもない少年は、ミナの警告をもはね除けて、まだ扱いはじめて間もなかったはずの魔力と武器とを使い切って逆転してのけた。


 シュトーリアに比べれば無残なほどに剣の振り方を知らなかった少年は、救国の英雄、神殺しと名高きトラファルガーを相手取ってさえ、使い手を助ける方法を可能な限り模索し見失わなかった。

 

「…身近な人が死んだのをたくさん見てきて、何度も何度も後悔してきた――そんな目をしていました。きっとヒカル様の故郷は天国のような豊かさと、地獄にも似た悪夢が同居したような場所だったのでしょう。だから見極める見識がついた。で、それを悔やむのをやめたわけではない。


あの方に、………きっと、一騎当千は向かない。


 でも。

 その一騎当千ごときに、そんなヒカル様が後れをとるはずがありません」


 天女をも舞台脇に寄せる信頼の微笑みと言葉が、ミナの覚悟なのだ。


「ふふ…眩しいわミナが。あーあ、どうしようかな。私負けちゃうかも。

 でもミナ、世の中には一騎当千より強い奴、たくさんいるんだから。ヒカルなんて一ひねりかもよ~?」


 あの大魔法使いは文字通り次元が違う。

 優勝候補なんて言われてるゼファンディア魔法学校の『切り札』マグダウェルが50人いたとしても。

 コロシアムなど、なおも茶番だ。

 隣大陸の魔王を下した勇者のパーティの一角を担うアラスト。その魔力の一片を覗いただけで十数年積み重ねてきた自信が喪失した。あの時隣にいた剣士も、そんなアラストと同等なのだろう。そこにいるだけで柔らかく、揺るがない剣気。…どれだけの死地をくぐれば境地に至れるのだろう。世界は、どれだけ広いのだろう。どれだけ、自分はちっぽけなのだろう。

 風の噂でファンナもこの町を勇者のパーティが訪れることは聞いていたが、魔王の脅威を退けた凱旋の意味もあるに違いない。勇者の見守る中、次期勇者を決めるとでも言いたいのか。


 そんなファンナの、言葉にならない吐露を察してか、今でも忘れていない小さな約束を確認するように言った。


「ヒカル様は、それでも最強ですから」


「いつまでそう言ってられるかしらね。ミナがショックを受けるところ、私は見たくないんだけど。まぁ絶対…ってわけじゃないけど、それでも九割九分無理ね」


「………ヒカル様に勝って欲しくないのですか? ファンナは」


「…そう言う訳じゃないわよ。どうにもならないことの一つや二つ、世の中にはあって当然だわ。ミナも魔王を屠った勇者のパーティの一人がそんじょそこらの魔術師に傷一つつけられると思う? ジャンプして太陽にタッチできるか、って聞いてるようなもんだわ」


「ファンナ」


「……ああもう! そーよ、勝って欲しいわよ、できればね! ホントに『できれば』ってだけだから。よしみって奴よ。悪い? 

 …そうなったら、そんなヒカルより強いってことで私の名前も挙がるし?

 ミナ、これでいい? 満足?」


 子供がすねるように言い放ったファンナは、目の前の顔が直視返せなかった。自分でもどうしてその程度の応えが素で返せないのか不思議でならなくて、納得がいかないまま。

 別に、おかしいところはない。クラスメイトが出る競技を応援するかしないか程度なのだ。なのにこのミナの聴き方はどこか卑怯な感じがして、負けた気がした。勝った奴の顔を直視できる希有な人間が居たら教えて欲しい、と言いくるめられた悔しさが頬を火照らせて、何とも言えない。――言えないのだ。


「ええ、満足です。大体、まず心配すべきは試合よりヒカル様の安否ですが。

 さ、貴方は貴方のやるべき事を」


「…あっそ、ま、せいぜいうまくやってくるわ。ミナ達もつんのめって転けるんじゃないわよ」


 舌打ち混じりに鼻息荒く金髪を翻し、ミナの苦笑から逃げるようにドアを開けて出て行くファンナだった。残されたミナは、


「…………そう、」


 苦笑が、微笑に変わり。


 微笑が、――哀れみになる。


 ニルベの邪神は絶対。ミナはそう言われて育ってきた。年を重ね、見聞を広げ、その誇りに似た信仰がその実巫女の心の支えでしかないという答えに至った後も、その思いは変わらない。

 けれど――思うのだ。こうしてあの少年と離れていると、その行動の一つ一つを思い返して、気づく。


《ヒカル様は…どうしてだろう。一体どんな人生を歩んできたら、あんないびつな人間ができあがるのか》


 ファンナのように武力に優れた個体ではない。魔法を知らなかったというから、きっとこの大陸に降臨するまではただの一般人だった。無力な、人間だったはずだ。ヒカルを思う気持ちも、同情ではなく、ただ、薄ら寒さ。

 

 最強で…ある必要はないのだ。

 ただ、目的を達するために必要な力であればいいと、ニルベの巫女のミナも言う。

 負けてもいい。

 言葉で言いつくろって棄権しても良いのだと、打算と腹黒いミナも言い訳するように。


「…、…………信仰する神の心の内など、そんな、巫女が立ち入るべきでは…、

 ――ああ。だから、ですか」


 きっと、ファンナに答えを欲して、ミナは心を決めたかったのだ。

 ヒカルはニルベの隠し球。勇者、などという存在と戦うべきではない。敗北は目に見えている。

 どう転ぶか分からない。ヒカルの選ぶだろう道に、自身の考えが及ばない。ただの人間だったから、などと侮ることができない。誤召喚などではない。邪神のシステムが、ただの人間を選ぶはずがないからだ。あれは、最も邪神にふさわしい存在を運んでくる。


 不安は数え出せばきりがないのだ。

 けれど誰にも見せるわけにはいかない。邪神の僕、誇り高きニルベの巫女として。けれど俯瞰してみればそれは邪神という存在に盲信している、ただの独りよがりなのではないかと不安になる。


 だから――ミナが、自分の元へ訪れた邪神は間違っていないと。

 そして皆がヒカルの敗北を望んでいるわけではないという言葉が欲しかっただけだ。

 答えは得られた。ミナには、それで十分だった。



『ミナ。それはハズレだ』



 この時、不安だった胸が、満たされた。

 もう後はないと覚悟もできた。

 邪神の名声、ニルベ村の進退もこの言葉から、再び始まっていくと予感した。



『何とかするのは得意分野でね。こういう時の俺を邪魔しちゃあいけないんだよ』



 勇ましかった。ただの人間だった男の子が。周りでは人が死にかけ、自身達もそのままでは数刻待つばかりという状況下で、そんな死地を前にして心強くあれるのか。

 まるで――ミナの心の内の心苦しさに気づいて、察して、そして支えてくれた言葉。

 





『俺神様で、お前巫女だ。

 みんなの代わりに神頼みするのは、お前の役目だろ』






「…私は皆の言葉を代弁すればいいのです。皆が言えない気持ちを、誰よりも言葉に。

 私は、ニルベの誓いは、間違ってなどいないと。

 信じましょう。ニルベの邪神は、世界を変えると。」


 時代に立ち向かう決意を新たにした巫女は一人窓を開け放ち、その鼻の白いガーゼを取り払うと夜へ投げ捨てた。











挿絵(By みてみん)


 そしてファンナが地図を完成させ、皆が改めてミナの部屋に集められる。


「ほとんどの兵士が広いマッシルドに拡散してて見張り自体は少ないのよね。実際傭兵達はおとなしくしてるし。でも最低限は居るって事ね。

 赤点が見張りよ。交代制になってるけどほぼこの場所から動かないと思って良いわ。

 それで…」


 ファンナは説明しながら筆で校舎の一部を黒く染め、


「ここ。今黒く染めた校舎一階の部分が、兵士達の詰め所になってるわ。ここに来た当時シュトーリアが中を見たそうよ。元々一番やっかいな武器がおいてあるからいっそ拠点にしてしまえって事なんでしょうけど…、ん?」


 黒髪赤目の少年ヤークが「はーい」と手を挙げるのでファンナが、いいわよ、と促す。


「やっかいな武器ってどんなの?」


「んー? ああ、麻痺矢毒矢に催眠散布粉とか、半径二〇ニール《一〇メートル》規模の焼夷爆弾型有棘鉄糸とかあったわね。まぁ戦場兵器だし一兵卒に使えるもんじゃない、って程度。心配するほどでもないわ」


 大丈夫大丈夫、と、にへらにへら説明するファンナの様子に不安すぎて体の震えが止まらない一同であった…!


「あわわわわ、あわ…!」

「ナツ、ポーチをあさって解毒解麻痺の薬草を探しても意味はありませんよ? 即効性過ぎて」


「…きつねのじいさんさ、毛深いから良いよねぇ…」

「アグネ殿、ワシも無理をしてでもお主のような鎖帷子を買っておくべきであったと今切に思っておる」


「あんのー、エベスザーレ先生だったか? 広範囲の裂傷に効く応急処置ってできるか?」

「勝手にアタシもついて行くなんて決めつけないでおくれ筋肉ダルマ。でかい図体しといて弱気さね」

 こちらはギリリーとエベスザーレ。うん、見事に見放しておられる。


「…シュトーリアは平気なんだ?」

「私は神殿障壁があるからな」

 

 まぁーアンタはそうよね、とファンナはシュトーリアを嫉妬混じりの呆れ目をしてから、皆に視線を戻す。ほとほと自分にない物を持ってる奴は気に入らない様子である。


「問題は、この赤く塗った範囲ね。

 これは奴らが拠点にしている武器学室、用兵学室。

 特殊武器を持ち出してる様子はなかったけど…最悪、遠距離兵器の的になりたくなかったら、この赤色範囲だけは通らないこと。この範囲だけは拠点の窓から丸見えの範囲よ。同時に、最低限の兵士昏倒だけで済ませたいから兵士の追加呼ばれたくなかったら気をつける事ね」


「で、逃げるルートは?」


 さすが歴戦といったところか。自分の身を自力で守りきる事程度、朝飯前。ベテラン(アグネ)の率直な意見に小気味よさすら感じながら、


「それではルートを発表するわ。私の部屋…地図で言うと学生寮の一番右上ね。

 ここから下に降りて、そのまま本館裏の茂みを速やかに移動。

 学生寮左上と本館右上の兵士を昏倒。イレギュラーを想定して、学生寮と本館の間、学生寮の左を移動警備してるかも知れない兵士を掌握して戦線を確保して。

 あとは学園右上から静かに全力疾走、右下の学園出入り口の警備網を突破して脱出して」


「なるほど。とりあえずファンナについて行けば問題がない」


「あ、シュトーリア、私はみんなとは別行動よ?」


 ――意地悪な女。

 ミナは結局ここで初めてファンナに言わせるつもりだったらしい。目配せして睨むが当のミナはどこ吹く風といった風である。心配などみじんもしていない顔だ。


「ファンナには囮をお願いしています。

 …先頭は攻撃範囲の広いアグネさんが。マサドで見せてくれた鉄球での武を存分にふるってもらいます。シュトーリアはその機動力を生かしてしんがりを任せます。私とギリリーさんは常に隊の中心で、前にも後ろにも援護に行けるように。バウム氏はナツとヤークをどうかお願いします。守りの確実さから言えば、戦力でない二人を安全に送り届けられるのはバウム氏だけです。私とギリリ―さんが決死でお守りいたします」


 申し訳ないと謝るミナに、いやいやいやいやと慌てて低頭するギリリー(ハゲ巨漢)。ファンナは場をまとめるように、


「ま、そう言う事ね。私は地図で言うと左下――室内訓練場の屋根の上から、他の警備兵を無力化する。敵の動きが速かった場合、拠点の教室を攻撃してミナ達が逃げやすいように誘い込ませるわ。…心配要素はあるけど…………まぁ任せといて。

 …やすやすと国僕に土足を許したニスタリアンの汚名返上もある。私の母国とも言えるマッシルドで皆をこんな目に遭わせてしまった負い目もある。

 絶対に、絶対に逃がさせてあげる。

 このファンナさんを信じなさいっ」


姉が妹弟達に言い聞かせるように人差し指を立ててそれぞれの顔をのぞき込むさまは、何とも――ファンナらしかった。








 ――作戦は、兵士が地面にたたきつけられる音で決行された。


「は、…早、…く」


 暗がりで兵士がうめく。

 無骨で動きにくそうな大型鎧の地方兵の首元をつかみ、呼吸を切断する。190センチもの長身を片手で、それをやってのけたのが少女と気づかせんばかりの(はや)さで、


「…、占領(クリア)だ。予定通り私はこの場で待機する」


 レイピアすら抜かず。うつぶせに倒れた兵士の鼓動をはかるように、うつむき顔。黒髪をかき上げて必要最小限度の声を上げるのはシュトーリアである。


「もうちょっと静かにできないもんかねぇ…」


 ファンナの部屋から吊されているのはアグネの鎖鉄球を伝い降りるミナ達を尻目に、アグネはやんちゃ子供を見る母親のような顔だ。合格ラインは合格ラインだが、鎧の音を極力殺すべきであったという意味である。最期にミナが鉄球を伝い、最期ギリリーが鎖鉄球の結び目をほどいて飛び降りる。


 星明かりの向こうから、あごで、早く行け、と黒髪の少女剣士は促してくる。追っ手があったとしても一兵も通す気はない――そんな言葉の形のような、いつもの顔だった。


「それではいきましょう」










挿絵(By みてみん)




 ファンナの視力が学生寮の背後から本館へ移る集団の姿を捉えてから一瞬頬をゆるめ、また二矢をつがえる。


「…――――――――――っ」


 ぐらり、倒れる鎧二つ。これで、――七人目。最初は学生寮の横腹に張り付くような一兵を、次は移動兵二人、室内訓練場の入り口の二人、そして今は学生寮入り口前の二人を同時に無力化してのけた。

 手加減、とは文字通り実力に差がある者にしか当てはまらない行為だ。しかしファンナのように戦士のほどをつかむ嗅覚はそのたたずまいを目視しただけで判断できる。遠距離から隙をうかがい、倒せるか否かを判断せねばならない弓兵の基本技能ともよべるものだ。勇者のパーティの見事な気配の隠蔽となると話は別になるが、それでもファンナがコレを外したことは一度もない。


《校門はまだ。今兵が倒れたことが知られればミナ達が到着した時に警備を強化されている可能性があるわ》


 再びつがえ、――本館の右の茂みから出てきた一兵を曲がり角を曲がった一歩目で狙撃する。距離にしておよそ二三〇メートル、深夜であり、屋外訓練場に設置された大きな灯火以外に明かりは何もない中を、風に流され大きく弧を描きながら、あたかも吸い込まれるように兵士の鎧と兜の隙間に突き刺さった。妙技、神業。いくら魔力で空気抵抗を抑圧しているとはいえ、そう呼ぶにふさわしい結果はニスタリアンはおろかこのマッシルドに集うどの弓使いの冴えを上回る。――それを、五秒にも満たない溜めでやってのける。これが学校の備品の弓などではなく愛弓だったなら一体どうなっていたというのだろう。


《ニスタリアンの弓姫の異名は、伊達じゃないって事よ。恨みはないけど――、》


 そして半径50メートルを補足する超聴覚が、室内訓練場から出て言葉を失う兵のかすれた声を聞き取った。

 

 タン、と学生寮の高い屋根へ跳躍する。

 戦場心理を則るならば騒ぎ出すまであと三秒。けれど二秒有れば十分だ。

 走りながら指で挟むように取り出していた二矢を、羽衣で空を上る天女のように柔らかな跳躍の中でそれをつがえ、


「ご愁傷様、ってね――っ」


 引いて、離す。

 平坦な寮の屋上に着地するファンナ。

 そして、のどを貫かれた二兵の鎧の音が続いた。


「ミナ達もさっさと――――――…ハッ!!??」


 ファンナは瞬きせぬまま、作戦が始まってから最も速い動作でつがえ、その方向を向いた。

 強烈な敵意だ。否、気配ある視線である。静かな猛虎を思わせるそれを直で向けられるのは、ファンナも久しくないものでだった。拠点の閉まった窓から、こちらを射貫くように視線。


「…もう勘づかれた、か――――――チッ、さすがね…」


 そんな彼女をもしのぐニスタリアンの最優のニヤつき顔が目に浮かぶようだ。イヤな顔だといつも言っていたというのに、癖なのか全く直すつもりがないようだったが。実力があるからなおさらもどかしい。

 ニスタリアンで最も優勝に近い存在。

 救国の英雄トラファルガーの再来。

 真法騎士団の誘致も獲得した、ニスタリアン最強にして最優の双剣士――…!


「試合と実践は違うって教えてあげるわ、パーミル」


 先手は打ってやろう、と。ぎりぎりときしみ始める弓。ファンナの周りに風が発生する。それは自然風ではなく、魔力の猛りが起こす上昇気流だ。ファンナの周りを帯のように魔力の流れがその製糸を開始し、次第に白光を帯びて弓先の矢に集結し、織り込まれていく。――神聖仮装。ニスタリアンの雌雄を決するなら、これ以上ふさわしいものはない。バレーボール大になった矢先の神殿障壁の内では、そとへそとへとファンナが押し込んだ魔力が暴れている。この魔力爆弾で、母校の教室二部屋ごと待機兵、そして級友もろともを破壊するために――。


「…シッ!!!!!!!」


 ニスタリアンの箱庭が、白い爆撃で戦場色に染め上がる。








「な!!!???」


 まるで大量の火薬が教室を吹き飛ばしたような揺れと轟音であった。ミナ達が本校舎裏の半分を駆け抜けていた時、校舎の窓の中が蛍の腹のように溜めるような発光をしたかと思えば、次の瞬間猛烈な爆炎と熱風を伴って窓のことごとくを内側から四散させミナ達の足をひるませる。


「魔力爆撃ですね。ファンナが動き出したようです。私達も急がなければ」


 ただの兵の掃討程度でこのような真似はしないことをミナも分かっている。そうしないとならないほどの相手がファンナに気づいてしまったと言うことだろう。


「アグネさん、…よけてください!」


 ミナは一息で右腕に圧縮された火炎球を展開させ、アグネがよけた瞬間の場所を砲撃が通過。兵士の胸元に直撃して壁にたたきつける。圧縮炎弾は当たった瞬間も四散せず確かな重量を持って鎧をへこませ、兵士の意識を貫いて地につける。


「二百ニール《百メートル》はくだらないって距離を…、やっぱヒカル様の使徒は違うねぇ…」


「すみません脅かせてしまって」


 右腕を構え打ち出したままの姿で残心をとり――大きく息を吐く。


 ミナは、半径四キロを掌握する凶悪なまでの魔力感知がある。このニスタリアンの学舎程度すでにミナの頭の中なのだ。本来兵の位置の情報など彼女には必要ない。先の兵など、ファンナの部屋から出る前から把握していた。


「さぁ、ミナちゃんも分かってると思うがね。こうなれば後はもうスピードだよ。シュトーリア嬢ちゃんもこっちの移動を待っているようだし」


「ですね。…ナツにヤーク、バウム氏にしっかりとついて行きなさい。いいですね」


 二人の了承のうなずきを見届けると、ミナ達は走り出、


「ッ!!!!」


 ミナが、驚愕にただ一人足を止めた。


「そんな、見落とすはずが――…え、上?」


 それも一瞬。ミナは反射的に上空を見ると――赤く染まった煙の柱を背に、黒いフードの影が。


「上? ミナちゃん、上って?」


「ダメです、アグネさん逃げてぇえええええええええええ!!!!!」


 アグネにも気づかれない気配で空から滑り降りてくる黒いフードの誰か。

 銀の軌跡が、ミナを振り返った鉄球を肩に背負ったアグネの、その首元へ滑り込んでいき――、








 爆煙を――風がさらってゆく。


 舌打ちした。ファンナのノースリーブにむき出しの二の腕や赤ミニの鎧スカートから滑らかに伸びた二足に熱煙がまとわりつく。

 今日は、風向きが運の悪いことに向かい風なのだ。

戦場兵器の破裂で起きたおびただしいほどの煙は空へ立ち上り、灯火の光をその全長に蓄えて狼煙のようにマッシルドの空を登っていく。――外部の兵が気づいてしまうのは、もはやあきらめていた。パーミルを相手にする以上、戦場兵器でミナ達が狙われたときにそれを阻止する援護射撃ができる余裕があるとは思えなかったからだ。パーミルと比較するなら、有象無象の兵数百を相手にする方がよっぽど楽なのである。

 呼吸を止め、目を細めた。催涙のたぐいは訓練で耐性があるし、毒物は吸わなければいい。無呼吸で五分は動けるファンナは自身の身体の心配より当然のように敵の捕捉を優先する。

 燃え上がり吹き飛んだオレンジ色に染まった教室の壁から、光の大玉が現れる。

 それは人の歩くスピードで校舎の敷居をまたぎ、…灼々とした校舎の一室のなれの果てを背にして、夜空を背負う弓姫と相対する。 


「兵40人あまりが君の一撃で夢から死、だ。ずいぶん物騒な永眠()かせ方をする。僕達の教室をこんなにして…君には母校をいたわる気持ちはないのか? まぁその心意気は美しいがね」


 話しかけている誰かの聴力を知っているがゆえに、隣にいる誰かに話すような声音である。白銀のオールバック。上から下まで傷一つない男性用銀鉄シリーズでそろえられたその青年は健康的と言うよりは蒼白く、彫像を思わせた。ゆっくりと半眼に開かれる重いまぶた。腕をクロスするよう腰へ回し、


「だが、これ以上は僕の癪に障る。なので、僕の双剣がお相手しよう。

 くるがいい。来ないなら僕からゆく」


 右の大銀鉄、左の小銀鉄。

 大と小を重ねて構えられる様は、それが神聖魔法の白光を始めればさながら水平線上に十字で描かれる太陽のハレーションをおもわせる。


「バーカ、アンタみたいな近接上等の奴にどうしてそんな真似するのよ。せいぜい追ってきなさい」


「言ってくれる」


 足下の木目越しに――ベッドから飛び起きた傭兵達が外を確認しようと慌てているのがわかる。今頃寮から飛び出した数人が倒れている兵士に駆け寄り、爆発や傭兵達の慌ただしさに兵達が学生寮と本館全面を中心に集まり始める。

 周辺に何をしゃべっているかどうかまで意識が飛ばない。

 聞こえてはいるのに――今はパーミルの一挙手一投足を追うのに集中していた。


「では行くぞ!!!」


 目を見開いた一瞬。パーミルは大人びていた声を突然気合いの一喝へと変え、まっすぐファンナめがけて走り出す。双剣を振り切り、両手を風に任せるように伸ばし、二つの白い流星を引き連れてパーミルは突撃を開始した。


「…っ、ちっ!!!」


 1、1、1! と息を吸うようにタイムラグを利用した神聖仮装の三矢。パーミルの推定走幅ストライドを逆算した、人体が一番いやがるタイミングで二本、達人であればあるだけよけにくくなる素直すぎる一撃も含め三本帚星の狙撃を難なくくぐり抜けてくる。


《ブックナーでさえ足を止めて応戦せざるを得ない緩急(人のテク)をこの男は…!》


 たまらず寮の壁をすら走ってくるパーミルに置き土産の二矢をたたき込んだ後、屋内訓練場のドーム屋根に跳躍後退するファンナ。早くも学生寮屋上に降り立ったパーミルを恨めしげに睨み、。


「…妙にしまらない軌跡だと思えば、なんだその弓は。君自慢の黒滑車弓や宝石矢はどうした」


「ちょっと家に置いてきちゃってね。悪い?」


「何、悪いことはないさ。君に手加減できるほど僕は強くない。君を無力化させやすくなったと言うだけでも僕は儲けものだと思おう。見下げ果てはするがね。君ほどの才女が準備不足とは世も末、ニスタリアンの教育もその程度というわけだ」


「ふん、こっちにはこっちの都合があるのよ。

 それよりもいいの? 仮にも真法騎士団に誘われちゃってる貴方がこんな『悪事』して」


「悪事?」


 鼻で笑うような様子に、もしやとファンナは敵意から可能性へと視線の色を変えた。


「…………………………知らないなら教えてあげるわ。

 アンタが今従っているラクソン公は、あの『不運のアーラック』盗賊団につながってるのよ。私や今の仲間がその生き証人。近隣の村々を襲って、各国の貴族達をたぶらかして…奴らは、目的は分からないけどマッシルドのコロシアムと祭を利用して何かをなそうとしている。

 パーミル。アンタがどんな言葉で目をくらまされたか知らないけれど、「知っているさ」その行動はあやま――…え?」


 今、今。あの男はなんといったか。


「アンタ…どういう事。誇り高きニスタリアンが悪事に剣を振るうと? その代表たるアンタが? 笑わせないで」


「『悪事』、ね。その是非はさておき――誇りのために剣を振るう? 違うな、いつだって僕らは時代のために剣を振るってきたし、これからもそうだ。

 僕たちが正義と思って行動したことが後の世界で悪と評価されたなら、それは正義でも誇りでも何でもないただの『悪』だろう? 後世で悪とののしられようと正義と褒め称えられようと、僕達を突き動かすのは、そうするのを時代が必要としているからだ。戦士とは、その時代の礎となれば良いだけ。そこをはき違えてはいけないな。

 今このラグナクルト大陸は新たな力を必要としている。

 アストロニアでもタンバニークでもエストラントでもマッシルドでもない、力が正義を肯定する存在の事だ。そのために犠牲はつきもの。魔物に襲われて食物となるより、売られて金になった方が力ない民も大陸の役に立つ。アーラックは、…あの男は、時代を作ろうとしている」


「…………前からアンタの貴族思想選民思想には胸焼けがしてたけど、ここまでくると哀れね。そのくだらない『大陸とやらの役に立つため』にアンタは剣を振るうって?」


「そうだね」


「嘘ね」


「……………ああ、本当はどうでもいい。僕は僕の目的のために彼らを利用させてもらっているだけだ。それは僕一人では無理だが、彼らを押していればいずれ叶うこと。

 君には何の恨みもないし、友人として好意もある。できれば手荒な真似は避けたい。この計画で、僕は無関係な人間がどうなろうと知ったことではないが、関係がある人間はできるだけ傷つけさせたくないと思っているんだ」


「愚問ね。その考え自体が、すでにニスタリアンの誇りを傷つけてる」


「どうしてもかい? ファン」


「くどいわ!! 真面目な面してそれ以上私達の在り方をおとしめないで!!!! 人間なら強いものは弱いものを守って当然。アンタが言ってるのは獣の理想よ、弱肉強食、パンを奪い合う貧しい大人にも劣る最低さ。耳障りだからどこかのあなぐらに篭もって一人でほざいてなさいよっ!」


 言い切り、仇敵のようにパーミルを青筋を立てて睨んだ。可能性があるのなら、と少しでも思った自分の心を踏みつけたい気持ちだった。しゃべらせるのではなかった。こんなにも、こんなにも――裏切られた思いはなかった。コロシアムを夢見るニスタリアンの若き戦士達、その夢を一心に受けた、誰よりも誇り高くあるべきこの男こそが、誰よりもニスタリアンの誇りをはき違えている!!!


 ファンナは矢をつがえ、パーミルめがけて弦を引く。もう話すことはない。ここで殺されてもお前は文句言えない――今まで夢をあきらめてきた、自分達にその席を譲ってきた皆にかけても、パーミルの言っていることは間違いだと否定し尽くしてやらなくてはならない。


「ファン…、」


 いつか三人で笑い合ったころと今も変わらない彼女の愛称を言葉苦しそうに、口惜しむように漏らして。考えるような間の後、パーミルは両剣をおろし、その白光を消し、一切の殺意を消し、一人の青年の声で言った。







「その在り方が、その誇りという呪いの言葉が、ブックナーを苦しめているとしてもか」







「…………え、」


 ――分からない。なぜ、そうつながるのか。なぜそこでブックナーが出てくるのか。


 ブックナーが苦しむ?

 ブックナーが?

 それは嫌だ、あの子は、私の守るべき弟分だから。


 それに――何を言う。そう言うパーミルこそがいつもブックナーを傷つけていたじゃないか。


 その剣技を古くさいと卑下し、

 貴族としての誇りを語れば揚げ足を取って嗤い、

 腕を上げたブックナーの努力を無駄だと決めつけ、

 練習のミスをあげつらい、

 果てには、ブックナーの魂とも呼べる剣を目の前で踏みつけてきておいて。


 ブックナーとパーミルは何か仲違いをして、ブックナーは言わないが致命的なまでにパーミルを、その根底にある一番大切な何かに障り、怒らせたに違いない。パーミルがその人間性は悪にはなれないとファンナは思っていたから、まるで橋渡しをするようにブックナーとパーミルを行ったり来たりして、探っていた。何が原因なのか、結局二人は口を閉ざしたままだ。ニスタリアンの厳しい校風の中で得た、三人兄姉弟(きょうだい)だった。――どうして、前みたいに仲良くできないのか、ずっと、ずっと悩んでいた。


「ブックナーと、…これから起こる事と何の関係があるって言うの?」


「――再度聞く。お前は、ブックナーが不幸になっても良いというのか」


「…質問の答えに、なってない…!」


「ファンは、これから起こる事と、ブックナーを秤にかけるのか?

 説明がないと、ブックナーの幸せを願ってやれないのか?

 俺たちにとってアイツはそんなに代替がきくような存在だったのか?」


「だから、言葉が足りないって言うのよ――!!!」


《ちくしょう、ちくしょうちくしょう…!

 だから、だから! どうして私には教えてくれないの!?

 何も説明してくれないまま…!》


「――分かった。それが君の答え…なんだな。

 もはや話すことはない。誇りとやらを胸に抱いたまま、我が白陽剣の錆になるがいい――」

 

 一瞬だった。

ファンナの弓は矢ごと大銀鉄で一閃され、魔力爆発で加速した小銀鉄がファンナの懐へ走る――!!


《く――っ!!!》


 全力決死の後退。屋内訓練場のドーム屋根が終わり、そのままグラウンドが続く、夜と灼炎の虚空へと逃れ、


 だが、


「ほら、ファンの誇りなんてそんなものだ」


 小銀鉄の白光が『振るわれながら伸びる』…!!


 《避けれ、ない――》


 まるでサイクロプスの大槌の一撃を受けたファンナは、金髪を風圧で引きちぎられるように、少女相応の軽さで吹き飛ばされ、校舎にたたき込まれる。








「ダメです、アグネさん逃げてぇええええええええええええええええええ!!!!!」


 ミナの冷静さを失った叫び声。だがもう遅い、アグネが気づくにはあとコンマ0と数秒が足りない。自由落下ではない魔力による加速、重力をも伴って加速率に上昇修正すらかかっている死角からの見事すぎる一撃――…!


「アグネぇ――ッ!!」


 ギリリーだった。ギリリーの棍棒が、アグネの頭部すれすれに振り切られ、その剣撃をはじき飛ばす!!


「あ、あんた…」


「下がってろアグネ! こんの顔も見えさせない卑怯モンに馴染みの首を取らせる気はねぇ…!」


「ふむ――」


 男性、だった。ギリリーを値踏みするような声に全員が警戒して構える。

フードの袖からは手は見えないが――その宝飾された異質な剣が体を覗かせる。


 …少なくとも人のデザインしたものとは…とても思えないものだった。

 もし金でできた幹に太い枝、銀でできた小枝、鋼でできた一枚の薄長い葉、金剛や紅玉の実をつける…そんな現世にはあり得ない神木があったとしてその枝を拝借して武器としているような。


「傭兵もなかなか質が良いようだ。侮っていた」


 鋼の(やいば)に、赤い、熱の気配がちらりと覗く。

 ゆらりゆらり、剣先を下に向けたままフードの男はギリリ―達に歩いてくる。若い、二十歳を少し超えたくらいの男性を思わせる声。

 ――なのに、感じるのはいつぞやお菓子(アルレー)の町で相対したニスタリアンの亡霊から感じたような実力差からくる恐怖だった。あの経験がなければ、ミナ達はあのときと同じように言葉を失い決断を鈍らせていただろう。

 ミナは両腕に魔力炎弾の待機を完了させ、バウムは三色の魔力障壁を全員を覆うように展開する。アグネは鉄球を大きく振り始め、ギリリーと肩を並べるようにミナ達との間に立ちはだかる。


「確認しておこう。お前達はサカヅキ・ヒカルの巫女とその従者でいいか?」


「…………………。

 ――下郎、ヒカル様の名を呼び捨てにするその不敬、相応の覚悟があると思ってよいですね?」


 巫女として――ミナは男と敵対した。

 つまりそれが、ミナの返答。


《なぜヒカル様の御名を知っているのか》


 けれど、それならここで吐かせるのみ。どのみちこの男をどうにかせねばヒカルの行方を追うことはできないだろう。

 ゆえに、


「ふむ」


「名乗りなさい。そして、我が主の元へ案内するのです。…今すぐ…!!」


 探し始めて唯一の、ヒカルの手がかりでもあるのだ。

 本当に、本当に――本当に心配させて。

 この男は障害なのだろう。でも、だからどうしたというのだ。早くニルベの希望の安否を確認しなければ、と、ニルベの巫女の義務が重く両肩にのしかかっている。



「やはり――邪神、か。

 確認なしにまず殺しておくべきだったか…?」



「………………………………貴様…!!!」



 魔力が両腕に8つずつの火炎球となって猛るのを、ナツが必死にその胴にしがみついて押さえていた。

 だが。だがバウムが、操り糸を失った人形のように膝を落とし、ミナの背を見上げている。三色の魔力障壁もバウムが自失すると同時に消えてしまった。

 

「………………………み、ミナ、殿…。

 もしや、

 邪神というのは…」


「…バウム氏――、


 …。


 …――名乗らぬなら男。邪神の名の下に、その醜き魂に裁きを。遺言を許しましょう」


 バウムの視線を切って捨てたミナは勇ましく託宣する。

 邪神に準ずる巫女の身ならば、その誇りはすでに人有らざるもの。だがミナに仇なす者が邪神の敵なのではない、邪神に仇なす者がミナの敵だ。

 ――すでに、ミナの自身の命よりも大切な存在の一つである邪神をこの男は汚した。傷つけた。おとしめた…!

 

「いいでしょう。

 …その罪、死んで償うがいい!!」


 ミナの両腕が、火炎球がスパイラル回転しながらの爆撃を開始する。爆撃が熱風を吹き出し、熱風が熱風と激突して相乗して男の体を火炎の乱舞に飲み込んでいく。

 ミナの暴走を止めようと体にしがみついていたナツが、その砲撃のロケットじみた噴射にあおられて車に追突されたかのように草の上を転がってうめいた。ヤークが慌ててその肩を抱いて守る。そんなヤークの視線の先では、あっけにとられたアグネとギリリーが硬直していた。爆撃を現在進行形で続けているミナの横顔に釘付けになって、……恐れていた。


 ドン、ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン――!!!!!!!!!


「バウム氏」


 どうしてか、その砲撃の戦場でミナの声はとても澄んで聞こえた。爆炎の先を見据えたままつぶやく声が、その場にいる全員に毒のように染み渡る。

 まるで悪魔が脳裏にそのまま声を流し込んでくるよう――、


「二度は言いません。破られることのない魔力障壁をナツ達に。

 破られることは許しません。

 託宣をあらがう何一つの言い訳は、この邪神の巫女には通用しないと思いなさい」


 宣告に、バウムがはき出すつもりだったありとあらゆる言葉が、絶する。

だめだ、言葉など通用しない。この巫女は止まりなどしない。


 ――やはり邪神の巫女だったのか。あの、一〇年ごとに現れるという破壊を謳う神だったのか。


 《…そんな、ミナ殿達が、そんな、まさか――…………………》


 逆らう術も理由もないと、裏切られたような悲痛を顔面いっぱいに貼り付けて――何重もの三色魔力障壁を展開させる。


 ――何度も、疑問に駆られたではないか。


 その出身、その魔力、その知識の偏り。バウムもうなるほどの不相応すぎる決断力も、裁きの一端であったとするなら筋も通る。


《ヒ カル、殿……………………………》

 

 ミナをあきらめたバウム。だが障壁の中で、思う。外では邪神の巫女が正体不明の男をこの世から滅さんと殺意の篭もった火炎と爆音を踊らせている。

 なぜか。こんなにも明確な答えで、証拠で、自白であるにもかかわらず。あのヒカルが邪神だとは、全く論理的でないのにもかかわらず信じ切れない自分が居るのだ。


《お主は、……………でも、お主は違った……――》


 旅には重荷しかならないはずのエマを助けると宣言したいつかの少年の顔は、他になんと形容しようもないほどに真っ直ぐだった。

 ただ目の前の理不尽が許せないと、バウムにとっては半身も同然だったエマに手をさしのべてくれた。


 どうしても…どうしても、あの(・・)邪神などとは、思えなかったのだ――。

 




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