四話 邪神の証明 (後)
――ニルべの森。
それは妖精が生息することで知られる結界地域の一つである。故に、彼らの加護のあるニルベの民以外は一度踏み行ってしまえば、たとえ同行者にニルベの民がいたとしても帰ることは出来ない、と言われている。
「おばば様」
村の中心から離れた、森山の岩肌が露出している場所に大きな洞窟があった。
明かり一つない中からは、ごりごりと薬草をすりつぶす音が響いてくる。
「なーんじゃぇ」
「ミナ様からの伝言です。今日また不審者に遭遇しこれを撃退した、と」
「ああん…ようけ聞こえん、ちょろっと待ってぇろ」
すりつぶす音が止む。
代わりに、暗がりからぺた、ぺた、と子供が歩いているような足音が始まった。村の守り手を任されている傭兵のような身なりのルージノは直立して長老の姿を待つ。
人は、年を取る。それは生きている以上仕方のないことだ。ルージノも守り手としてこの村を見てきて、長い。だが衰えを見せ始めてくる己に気付かないと言うわけでもない。
若い者は例外なく公国の稼ぎという名の労働を課せられる。
ルージノも例外ではないはずだった。
だが、たった一度。
そのたった一度生死を彷徨っただけで、身体は麻痺し、若き日の剣士は剣の冴えを失った。公国の手厚い要請もあったが、いつの日か不要通告を経て村に『押し戻された』不要品なのだ。
少しは訓練で持ち直したとはいえ、今度は身体の衰えが彼の道をふさいだ。ギルドに参加しようにも、中レベルのモンスターになるともう恐怖で、あの剣の冴えを失った瞬間で脳内が一杯になるのだ。
口が見えないほどの口ひげを撫でた。中肉中背。腰の大刀は王都兵の標準装備である鉄騎剣である。厚い両刃のサーベルだと言えば分かりやすいだろうか。
振れば王宮魔術士の一撃すら切り裂くと言われた剣技は、もはや見る影もない。
無力感は、長きにわたり――。
「…おばば様。この度の邪神様のほどは、どうみます」
「ん-、目で見てみるのが一番なんだがねぇ」
ひぇっひぇっと、しわで隠れて開いてもいない目をして笑ってみせる老婆だった。
この世界の人類の平均、とも言えるルージノの身長と比べても、長老は特別小柄だった。成人女性を無理矢理縦に押しつぶし皮だけを残したような、老獪、と言った具合である。
「大地が朝から鳴いておった。イグナ教が誇る聖王神ムードゥルの加護を払いのけた事による悲鳴であろうよ…じきにやむだろうがねぇ。この魔力量、ニルベの民ならばそろって胸に感じておろう」
「そうですな…どのような凶行も止み、諍いが霞みそうな程の威光。私はこの地に生を受けてまだ二度目ですが、前回よりも確実に力を持っていると感じていますぞ」
前回。
つまり一〇年前の事である。
前回の邪神は、先の戦争に参加した。
ニルベの盟約に従い、元王朝ガルガンツェリを守護する形で現王朝アストロニアに挑んだのである。ヒカルの推測通りニルベの戦人形と化した邪神は、この長老の命によりガルガンツェリを守ることになった。絶大な魔力を振るう邪神とその守護騎士一二〇名ほどの一個団で王都正規軍三大隊を一日足らずで屠り、王の喉元まで刃を迫らせるまでに至った。邪神あってこそだろう。
妖精の加護により、ニルベに旅人は辿り着けない。
それは今日まで邪神を脅かす公国軍一切を寄せ付けなかったと言うことでもある
でも――その加護は、永遠だろうか。
盗賊が侵入した。この事実が、不敵な笑みのうちに老婆を冷汗かかせる要因でもある。
敵は多い。それが邪神を祭るニルベの宿命だとしても。
以上から分かるように出稼ぎに出されているニルベの民は皆その職業を隠している。実は公国から再三徴兵を受けているがそれを届かせていないのも妖精の加護によるものである。
いくら魔力があったとしても。
現王朝は元王朝を倒した。つまり邪神をも倒したのである。
魔力量で人がいくら集まろうと無駄なのは自明の理。
けれど邪神は神でありながら人に敗北したのだ。
何か、他に理由がある――
静かに。
だが確実に。
ニルべを崩壊させる何かが迫ってきている――。
「――周囲の警戒を怠らぬよう促してまいりますので。長老もお早く占儀の用意を。席に着かれていて下さい。では」
「うむ…」
ニルベ村の長老にして…元王朝の皇后、ガルガンツェリ・ソネット・ラ・サティは重々しく頷き、その背を見送った。
日は落ち、雲がないせいか、星で空が満ちる。
澄んだ空気に一切のじゃまな熱気が消え、祭り囃子はどこまでも響くのを感じた。
長袖の中華ッぽい青の上下で村を闊歩する。
袖の部分に腕まくり用の切れ目が入っていてひらひらと気になるが、なるほど、このひらひら感こそ『神用』なんだろうなと一人で納得している俺。
ほら、天女って羽衣じゃない?
「――っ!」
「よ」
通りすがりの民家で立ち話をしていた少女に手を振る。慌てて家に駆け込んで母親を連れてまた出て見送ってくれる辺り相当に邪神好かれてるんだなぁと思った。
否。
邪神とは村に都合のいい守り神のはずだ。
確かに守り神としての面では子供達には頼れる存在だろう。がどうだろう。子供達に人気、と言う事実は邪神扱いされてる俺も悪い気がしない。つまり、子供達の感情、仕草一つですら邪神を籠絡するためのものだとしたら?
「だめだな…」
ニルベの村でなかったならこんな気持ちにはならなかっただろう。もうちょっと素直に喜べたはずだ。第一、ミナとの修行は、精神的に鬱になりかけた。いじめだ。
足下が星々では不安なので無詠唱で光源を作る。人差し指にぽうっとライター大の灯が灯り、しかし俺という個を無視して光は一定空間をうっすらと照らす。神聖魔術の応用だ。
チッチでもつれてくれば良かった。
話し相手がいれば、少しは――。
「ん…?」
村の入口付近で何か物音がする。鈍い金属のそれだ。俺は光を消し、足を止める。靴にも専用の神具があるらしく、俺の靴は闇に溶けて無音になる。見た目が黒一色の学校用上履きなのはこの際気にしない。むしろセンスに脱帽である。
息は消せない。だから意識的に息を止めるしかない。
「おのれ…やはり警備の時間を…!」
「まさか。張り込んでいただけの事よ!」
中年の傭兵じみた剣士と…あの盗賊らがつばぜり合っていた。目先五メートルを残した民家の影からその様子を窺っていると、
ちょっと待て。
キン、と確かに剣戟が聞こえるが、明らかに音が小さすぎる。何よりミナやチッチの火炎を受けた日の深夜に戦闘が出来るだって!?
(あ、………………あぁね――魔法って奴は…)
おいおい六力だけじゃなかったのかよ。騒音遮断に回復魔法。いやそう言う意味でも『解明されてない』っていう派生系があるだろうけど…、
それに、後二人はどこにいる?
ドーム状に広がっていく輝ける障壁を二人の中心に展開する。
「ぐ!?」
「な、う!!?」
「よしおっさん確保」
光で明るくしてみると、見た感じニルべ村の雰囲気がする。鎧と剣以外に武装してないし。
こちら側に押し飛ばされたおっさんを確保しつつ自分を中心に障壁を展開する。
中心と良いながら、正確には自分の半歩前だけど。
――安全の確保。それが魔法使いの戦いだという。
薬湯の一服後、俺はミナと一緒に暗室に閉じ込もって呪文を唱え続けた。頭に魔方陣を思い浮かべる必要があるので何度も忘れる度に部屋から出てまた引きずり込まれる。
そのくりかえし。ようやく魔方陣が忘れなくなったと思ったら実地訓練。屋敷の裏にふらふらな状態で引きずり出され、良いですか今から火炎を飛ばしますのではじいて下さい、などとのたまい一秒後に飛ばしてくる鬼畜である。勿論避けた。あっついモノが頬をかすった。
「ヒカル様。分かりましたか。
今ヒカル様は避けながらも私の言いつけ通り呪文を唱えようとしましたが、呪文を詠唱する際に無抵抗になる魔法使いの弱さ、身に染みたと思います。
邪神様ですらそれは例外ではありません」
ふん、と教えてるんだか憂さ晴らししてるんだかどっちつかずの表情で淡々と言う。
「先にそれ言ってくれれば俺もちゃんと真面目に考えるけどね………!!!」
「邪神様ーっ」
一発避けただけで肩で息をしている俺の元にとことこチッチが走り寄ってくる。
「ん、どうしたチッチ」
「ミナ、いいからもっかいやるにょ」
「はい。では」
ドンドン! と砲撃じみた発射音で打ち抜いてくる火炎弾。
(これは、ちょ、まったぁ……!!!!)
「しょーへきっ!」
それを流水で巻き込むがごとくマグマの流れが火炎弾を『そぎ消す』。
「ぎりぎりまで我慢する練習すればいいにょ」
「なるほど…成功すれば火炎障壁ごと火炎弾も防ぐでしょうから、それが一番でしょうね。ぎりぎりまで死の感覚も味わえる。これは良いかもしれません」
「死の感覚って何言ってるんだミナ! 冗談じゃないぞ!?」
避けるの禁止。なぜなら避けようモノなら火炎弾よりもヤバイ障壁の餌食になる。
「ひ、ひぃ~…!」
…二時間くらいで成果が出始める。
「魔力は身体の内からです! 次、行きますよ!」
「ったく、がぁああああああああああああああああああああっ!!!!」
時間が刻々と迫ってくる中、全然成功しないから呪文も忘れて半ばヤケになって右手で何か飛ばそうと念じた、その時であった。
「な!?」
「ぉよ!」
例のごとくチッチの障壁が展開されるがその障壁に当たる前に火炎弾が消し飛んだのである。強烈な風圧にぶち当たったかのように、放ったミナの方に消し飛んだ火の粉が散った。
「た、ただの魔力放出で…………………!? 指向性の持たない魔力でだなんて、どれだけの『容量』があっての話ですか…! なんてでたらめな――…!!」
驚愕のまま空を仰ぐミナ。何が起こったか分からない俺はとりあえず周囲の障壁に身を焦がさないように半分びくびくしていた。
「魔力? 今のが?」
現実世界じゃ何も起こらない、気合い一発的なノリの掌底だったんだけど。
「今のは…ぅ、どうなんでしょう、迂闊にダメとも言いがたいものです」
「よくわからん」
「そうですね…例えば川を想像して下さい。私達は指向性というもので、体内にある魔力に流れを作ります。流れが太ければ強く、細ければ弱い。水が少ないのに太いままでは威力が起こらない。分かりますか」
「…ホースの先をつまむと勢いが良くなるもんな…そういうことか」
「理解したならそれで。
でもヒカル様は『雨』で本来『川』で回すべき水車を回していると言うことです。チッチさんの障壁だけが何の影響もなかったのがその証です。
自分の中でまとめたモノではなく、周囲にある魔力密度を強引に最大値まで満たし、ただ『押した』だけです。
私は炎が消えたことよりも、その際に周りに飛び散っていった魔力量の方が恐ろしいです。大魔法を五発連射してもこれほどまでマナを無駄遣い…いや、贅沢な使い方はないでしょう…」
「そ、そんな事言ったって…」
いくらやっても内からは何も出ないのだ。数時間で何を、と言う声など知らん。全感覚を試したつもりだ。
三六九との経験を思い出す。
気弱な霊視能力者に付き合って一緒に霊(しかも極悪な呪いの類)を見てやる鍛錬もしたし、魔物の正悪の臭いをかぎ分ける命がけの実践もやったりした。
その度に求められたのが、適応能力と自分の感覚の支配なのだ。
見えないモノを見ようとするには普段使ってない器官を使うと言う事。人間は案外愚鈍に出来ている。例えば足の方を視ないで、今触られてる指が人差し指か中指か薬指かを正確に言い切れる人だって少ないはずだ。
たったそれだけのことでも感覚は『人を分ける』。
出来なかった奴は大けがしたし意識をなくした。
皆で助かるには自分が出来るしかなかった。それだけの話だ。
呼吸の一つ一つから血液の流れの速遅の調節、目の焦点を意識的にずらしたり。
武術に伝わる丹田。こんなの嘘っぱちだ。背中の筋肉を落とせば自然に力がこもる。
経験者しか語れないことがある。おかしな建前や知識なんて『本当にやってきた』者に対しては何の感慨も浮かばない。
今だって、野球の感覚で火の玉を呼び込みつつ弾く、そのイメージだったんだから。
ようやく掴んだ感覚を、否定されるのは、違うと思った。
コレしかない、という、直観ではなく、感覚と経験からくる身体の声だ。
「ちょっと待って。もう一回撃ってくれる? 試してみるわ」
訝しげなミナに半分の確信を込めていった。
「おっさん大丈夫?」
月でも出ているべきだよな。空を何となく見つめながら思った。
仰向けに転がって半身を起こそうとしている中年親父に背中で聞く。盗賊は後二人いたはずだ。陣形を知っている辺り、一人より三人の方が勝率が高いことも重々承知の上だろう。
「今の白い光は…」
「ん? 魔法魔法」
「白い、魔法なんて聞いたことも――…!」
二人…やっぱり分からない。魔力感知なんていうのはミナなど生粋の魔術士のの専売特許なのか、というか覚えたての俺にはそんな器用な真似はできっこない。
「く、くそこいつ昼間の…!」
「ご名答。――邪神様だ。頭が高いぞ、賊が」
こいつはもしかして囮か? 他の所から村に侵入する作戦なのか?
「はン」
そうだった。俺は邪神様だったな。
右手を掲げる。
――きっかけは解呪の呪文だった。
ミナの目を盗んで何気なく書いてみたピンク色の聖光は、簡単に具現した。
なのに障壁が出なかったのはなぜか。
解呪は『自分でなく誰かに施すモノ』という意識が強かったから、出来たわけである。障壁の方は魔力に関して講釈食らったせいで『自分の内より溢れるモノ』だと思い込んでいた。
違う。
坂月ヒカルの内なんぞに、今現在ですら、魔力など皆無だ。元の世界通り、それは変わらない。
盗賊のリーダーの足下を中心にどこまでも拡大していくドーム型の障壁をイメージする。
対象は盗賊三名。
見えない相手?
俺は邪神だろ、なら見えない有象無象など相手にするな。
まとめて吹き飛ばしてしまえばいい。
坂月ヒカルは邪神じゃない。邪神の魔力を持たされてるだけだ。ならばその魔力って奴もきっと俺の内にあるのではなく、
「食らえ、神殿障壁――!!!!!!!!!」
身体を『纏っている』一八万の魔力全てを結界に押しこんでやる――!!
展開する白光がまるで昼間かのようにドーム内を照らしつつ毎秒一〇メートルの勢いで拡大していく。神殿に立ち入ってはならない外敵のみを寄せ付けない、本来は全体防御の神聖魔法である。王宮魔術士一〇〇人を動員して直径五〇メートルが関の山の絶対障壁を、
「おらおらおら、まだいくぞ…!」
モノの数秒でうめき声残り二つが聞こえたがまだ止めない。二〇秒を超えるともうニルべ村を軽く飲み込む。木にぶつかり枝に腹を貫かれ、それでも身体だけを押しやっていく障壁は止まらない。
地鳴りなどない。
大地や、邪神に微笑む夜は味方だ。
結界は空から視ればさながら湖面に映った月のようだろう。
ついでに魔物の群れを九つ、公国に潜伏していたらしい正体不明の魔将一体を巻き添えにしてべーツェフォルト公国の城壁に押し花のような死体オブジェを作っていたらしいがそれを知るのは後の話である。
――…結界を、解く。
ぱしゅん、と夢の終わりのように光りの帳が、醒めた。辺りは元の夜に戻る。
祭りの喧騒が静まりかえっているの感じた。一瞬にして自分達を飲み込んでいった結界に驚いたんだろう。
飲み物こぼしてるかも。悪いことをしたな。
でも、魅せるにはちょうど良かったかも知れない。
「へぇ-、ようやく神様じみてきたな」
一八万の魔力を実感できはしたが…なんともはや。
「ん? おっさん何呪われてんの」
解呪~♪ しつこい汚れも一発でつんつるりんである。
「え――…あ、何を…………ああっ!」
さっきまで盗賊一人に苦戦していたおっさんにしてはあまりにも見違える動きで立ち上がると両拳を唖然とした表情で見つめて呻いた。
「お、おおおおっ………・! おおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
「え、ええええ、おっさん何で泣き出すの!!??」
「ぅくぅうううっっっ………!!!! ああ、邪神様、この御恩は一生、いや死んでも、永劫忘れないことを誓いますぞ! うっうっ…!
諦めかけてて…でも忘れられなくて…!
この感覚…!
二度と、もう、戻らないとばかり…!」
「てい!」
男泣きにすがりつかれるが気持ち悪いので蹴りやる。
投げ出されても我歓喜に死す! とばかりに満面の泣き笑みで仰向けに寝っ転がる親父だった。
なんかちょっと若々しい感じになった気がする。
表情って大事だな。
傭兵のおっさんに連れられてついた宴の席は、まるで拍手の地獄だった。もみくちゃにされる。
(さ、触られたっ!!!!!)
ひゅんとなる股間。何て事だ! 代わりにもみくちゃに紛れて綺麗な子を死角から触りまくった。
――祭りの席にて。
身体ぎりぎりに障壁を展開してみる。
「おお、邪神様が輝いているぞ!」
「なんて神々しく禍々しい光…! ああ!」
…何か面白かった。