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四六話 邪神の言づてと逃亡のタクティクス(中)


挿絵(By みてみん)



―― コロシアムまで、後3日 ――




 濃厚な生姜じみた薬味の黄茶を喉に流し込みつつ白衣の女性は鷹揚に言った。窓からの朝日が苦しいらしく、日光が当たる右腕を頭に乗せながらも、その顔は満足げだ。


「今度から私じゃなくて魔術士を呼ぶんだね、潰れっ鼻」


「…く、…ですが、私は先生で間違っていなかったと思いますよエベスザーレ氏」


 エベスザーレの上機嫌の理由が、恩を自分に着せられたからだ、と言うことに気付いているミナは、負けずに引きつった笑みで返しながらも握り拳を背中で作っていた。まだ鼻は固湿布(ギブス)を被せていてエベスザーレから取る許可をもらっていない。言い返したいが言い返すべきではない。ヒカルを意識してとはいえ――鼻を人質にされている自分が内心情けないミナであった。さすがのミナもそろそろ皮肉の一つや二つ言っていい頃である。


 自分が寝るはずだったベッドでは、高熱のシュトーリアが横たわっている。荒く熱い呼吸が、一晩中。


 夜通しの診断をたった終えたエベスザーレは学生の勉強机に足を乗せ、ミナが持ってきた薬湯を味わっているのだった。背中までのモップのようなぼさぼさの茶髪。足を置いている机には薬草の配分率、調合と試行錯誤を重ねた走り書き…A4程度の羊皮紙が3、4枚投げ出されている。トランクが床に投げ出されていて、音叉のような聴診器をはじめとした医療器具、フラスコ、乾燥薬草や様々な液体が入った瓶、すり鉢などが彼女の周囲の一切を埋めて城と化していた。設備は寮の学生の一室だというのに道具だけで治療室か処置室に見えてしまう。


「…そろそろその目、止めてもいいんじゃないのかい」


「は?」


 そうともミナは、仲間を診断してくれた医者への労いの笑みである。


「目が笑ってないんだよ。それが一晩徹夜で処置した医者への態度かい」


 バウム達はエベスザーレの相手をミナにまかせ床についていた。だがミナは――エベスザーレの一挙手一投足を盗賊団の疑いを持って見張っていたのである。同時に盗賊団の警戒もあったが。

そう言うエベスザーレもミナへ向ける目だけがすわっていてとても医師と患者…友好的信頼的とはとても言えない。一昨日でも…仮にエベスザーレ医院に入るところを盗賊団に見張られていたにせよ、ああも易々と院内に侵入されているのだ。それも偽物に。当人は何の負い目も示さずに翌朝宣言通りの大金を取り立ててきた。厚顔無恥より他にない。いやむしろ――マッシルドにお似合いの薄汚い商人魂と言うことか。


「エマの義眼代を都合してくれたら笑みにもなるのですがね。それに私は一晩貴方の護衛をしていたのですよ? どうも高額なわりに身の保障はされていないようですから。

 賊が彼女の寝込みを襲いに来たとしても貴方が医者とはいえ身を挺して患者を守るようには思えないので」


「…当たり前だよ、どこの誰があの不運のアーラック盗賊団に付け狙われてる人間を庇うって言うんだい。言うがね、医者が私じゃなかったら治療なんてもってのほか、大金詰まれたって門前払いだよ、わかるかい。

 私は治すのが仕事だ何が何でも。金さえ払えば、そうさね、魔王でも治してみせる。

 潰れっ鼻達が傭兵なのなら戦うのが仕事。まさか一般人に守ってもらおうなんて性根の腐ったガキがほざくような事を期待してたのかい? 乳臭いったらありゃしない」


 そんなつもりは……………ない。ただの、八つ当たりだ。旅人に身をやつしている自分にエベスザーレが言っていることは、何もかも正しい。それが当然、それが一般人としての道理だ。それにミナ達も正義のためとか大言壮語出来る高い志で動いているわけでもない。身内の村の仇、人質を取られた恨み、気に入らないから、または邪神が自由に羽ばたくための障害になるから――…これも結局は仕返し、ただの恨み返し、排斥だろう。一般人に命を賭して庇われる理由は何一つないのだ。


「…私は貴方の前で一言も追ってきている相手が『アーラック盗賊団』なんて漏らしたことはありませんが? 随分と勘がよろしいのですね」


「……………………………ふん、徹夜明けとはいえ頭は回るようだね」


「お互い様です」


 ゆえに――このエベスザーレは警戒に値する。

 身の危険を顧みず、一昨日には自らの院内に侵入され運が悪ければ口封じのため殺されていたかもしれないにもかかわらず、ミナの要請に従って夜の街を早足で駆けた御仁だ。『盗賊団を怖がらない』が『何か殺されない理由があるのかもしれない。例えば盗賊団と関係があるかもしれない』という推測には容易に至ることが出来る。

 エベスザーレの印象が良かったとしてもミナはそうしていただろう。

 ヒカルのためだ。あの信頼に甘い主人のためならば、ミナは身内すら信用してやらない。


「――ま、せっかく数日休業って看板してきたことだししばらくこの学校に住まわせてもらうよ。保健室でも借りるかね。

 シュトーリア嬢ちゃん…患者の症状についてだ。

 血液中の問題はなし。まぁ、一般的な外傷、毒物の症状では見られない物だわね。

 問題は…魔力孔焼けを中心に第二神経の混線、魔力の過剰漏洩。これが今彼女が苦しそうにしている正体さ。魔力孔がほとんど機能していない状態だから、おそらく減少していく魔力を少しでも取り込むために呼吸を妨げてしまっているんだろう。筋肉の内部からの一部断絶していたのも身体に熱を持たせている原因。よって、処方したのはエワイン特効に魔力点滴三時間だ。いずれも魔力回復を強く促すものだ体調が回復次第眩暈を伴うが、数時間安静にしていれば治る」


「…後遺症などはないですよね?」


「しつこいね潰れっ鼻は。まぁ私も初めての症例だから断言は出来ないが、これでも四〇年医者をやってきた勘で言えば、ない。長い間診療医やってると患者の表情や脈拍、吐息の匂い、唾液の糸引き具合、眼球の光彩の開き――大体分かるもんなのさ」


 言って、カラカラ笑うエベスザーレ。なら、よし――魔力感知で全く同じ診断をしたミナは医者としてのエベスザーレの言葉に矜持を感じ、薄く笑い返した。





 あ。


「私の鼻の後遺症はどうなのですか?」


「ふふん」


「…どうなのですかっっっ!? く、くぅうう…私にとっては死活問題なのです!!!!」


 キーッ! と青筋浮かべて睨むミナに、


「まぁ、キスがやりやすくなった程度ってもんだわ。角度的にも、あたしの経験ではベストの出来映えだよ、相手に鼻息が当たる心配もない。気が利いているだろ」


 ちょっとだけ若返ったエベスザーレの声色は、まだ根っこはわりと初心(うぶ)な少女を妄想の世界に引き込むには十分すぎた。ひかるヒカル光る、脳裏がヒカルで埋め尽くされ染め上げられる。


「まっ…き、キスだなんて…そんな、アーッ!」


 顔を真っ赤にして病室から逃げ出していくミナを爆笑が送り出すのだった。


 そして朝食時。


「うむうむ…って二スタリアンの学生毎朝コレなのかい」


 マッシルド南の港で上がった魚介類を使ったパエリア、薬草…主に山草を中心とした煮付け、もしくはソテーをトレーでもらう。そして食堂一帯を支配している八人掛けの丸テーブルにはそれぞれこんがり焼き色の炙りミッポ鳥の姿焼きがセルフ切り分けサービスで鎮座している。その大きさはさながら首の短いダチョウである。マッシルド在住のエベスザーレでさえも始めは食堂入りを躊躇したほどだ。


「まぁエベスおばさんあまり食には気を遣わない感じでしょ。それに食べ盛りは結構食べるのよ~」


 のたまうのは、さっそく左の巨大な手羽先を食べ終えつつあるファンナである。相変わらずの食漢ぶりに、お前だけだろ! という視線がテーブルを囲む全員から突き刺さっているのだが本人は全く気付いていない。

 カウンターの向こうでは、料理長らしき高帽子の男性がこちらのテーブルを窺うように二匹目の巨体を調理台に今まさに乗せるところだった。ナツとヤークが戦慄した。


「この香辛料は珍しい。柔らかい山菜と良くあっておる」


 ヒカルから言わせれば黄バジルなのだが、バウムは気に入ったらしい。

 ファンナを始点にミナ、ナツ、ヤーク、バウム、エベスザーレ。

 しばらくして、ギリリーと頭を辛そうに押さえながらアグネがやってきて八人テーブルが埋まった。


「聞いたぞ、昨日シュトーリアが倒れたんだって?」


 とミッポ鳥の肉を慎ましく切り取るギリリー。その隣では席に着くなり『水、水』とうわごとを言いつつ机に突っ伏しているアグネである。ナツが水をコップにつぐと、まるで手がまだ使い慣れていない赤ん坊のように危なっかしく両手で持ち、舐めるように飲み出す。化粧も落としてきているのかすっぴんで、エベスザーレも憐れと思うくらいに髪は突風に晒されたかのごとく飛びはね、前髪が持ち上がっている。ファンナも一瞬目を奪われて食事が中断したほどだ。だが、すぐ隣に座っているはずのエベスザーレだが、傭兵御用達の病院を経営しているだけあって全く動じていない。態度や見た目の悪い傭兵を見かけることなぞ、日常茶飯事なのだろう。


「え、………ええ、そうです。

 そうだバウム氏、昨日言いかけていた召喚劣化のことについてご教授願えますか。エベスザーレ氏も今後の診療に役立つかも、とかで是非にと」


「この潰れっ鼻はそう言うがね、あたしはあくまで医者で、魔術分野は得意じゃないのさ。この中ではアンタが一番おつむがまともそうだ、あたしにも分かるように説明してくれると助かる」


「ふむ、あくまで学術的な推測の域を出ないがそれでもよろしいならば」


 バウムは言って、そのままコップの水を飲みきり、布巾でその中を拭いた。


「さて、ではまずこのコップを見てもらおう。…ヤー坊のコップを少し借りるぞ。

 わしの右手にあるヤー坊のコップが転移前の座標であり水がその魔力、そして左手にある空のコップが転移後の座標だ。召喚とは右のコップから左のコップに水を移すことに目的がある。まずここまで分かるな?

 シュトーリア殿が体調を崩した理由についての説明であるからして、魔法陣の構成、作成については今は省く。

では実際にやってみよう」


 バウムは右手のコップ内の水を左のコップに注ぎ込んでみせる。


「――これが召喚である。

 しかしこのそそぎ終わった後の右手のコップを見るとわかるが、わずかに水がコップ内に水滴となって張り付いて残っているな?

 ゆえに、100を移動させようとしても机上の話でさえ95がいい所であろう。確実に100相手側に移動することは出来ない。

 そして実際には、」

 

 左手のコップに入った水を右手のコップに戻す――が、水がそれてコップから零れ、下のバウムの皿に三分の一ほどこぼれ落ちていった。


「――こういう事になる。つまり100を移動させようとすれば、まず召喚者の魔力放出精度、また座標軸に魔力を媒介に転送する加減が重要になるのである。

 コップに最初あった100の魔力はもう70になってしまった。

 この時点でまだ『魔力だけでの話』である」


「魔力だけ、での…?」


 ファンナが相づちを打つと、バウムは頷いて、言った。

「召喚とは魔力で魔力を運ぶのではなく、『物体』を運ぶ。ゆえに、召喚を行使する際の魔力の精度はそのまま被召喚者の身にも関わってくるのだ。召喚する際になぜ召喚したい物の強いイメージが必要になるかというと、寸分の狂いなく召喚物の大きさ、体調、魔力量、人格などを中心に転送しなくてはならないからだ。

 つまり、召喚者が…言い換えればヒカル殿がシュトーリア殿を呼ぶ際に、例えば両手両足がない状態を想像して召喚したとすれば、両手両足をその場に残したまま、本当に胴体と頭だけしか転送されない。

 …人体召喚が難しく、学術的にも禁忌、危険である所以はそこにある。一般に知られている召喚がことごとく大量の魔力を必要としているのは、余分な魔力量でそのイメージの差異の補正を行なっているからである。

 個人で使える魔力量ならば、王宮魔術士でさえせいぜい使い魔を呼べる程度。等価交換が全く成り立たないところといい、召喚とは魔法として使い勝手の悪いものと言えるだろう」

 

「…ふぅん、つまりだよ、あの女の体調の悪さはそのヒカルって奴のヘマが原因って事かい」


「そう、なるであろうな。

 ミナ殿、今どこにいるのか、なぜ呼んだのかと言う理由も含めてシュトーリア殿が意識を取り戻し次第聞く必要があるだろう。

 先にも言ったが…確かに魔力は大量に必要である。が、シュトーリア殿を召喚した際あれほどの魔力を使用しておいて、補正が十分ではなかったと言うところが問題なのだ。

 …重力魔法で魔力をかき集め最大MP以上に使用したのだろうが…。むぅ…以前、アフタでヒカル殿がシュトーリア殿をわしの氷から脱出させたことがあったのだがな、昨日の夜の魔力量ばらまき具合とは違って、魔法陣をその身に刻んでいるかのように丁寧な物であったのだ。そのヒカル殿がシュトーリア殿を、あれほどの魔力を使用しておいて送りきれなかった、というものが存外に信じられないのだ。

 わしは、一刻を争うと見ている」


 バウムはミナを強く見て、言う。…なぜ一刻を争うのか。無駄な説明を省いているのは、今自分話した説明だけで事態が把握できるであろう、というバウムなりの信頼の証だった。


「…………………………」


 ミナも見返し、冷汗を滲ませながら頷いた。いつしかフォークを置き、机の下では手が膝を握りしめるようにして力んでいる。


「なぁるほどね――『あれだけの魔力を使用してもダメなくらい、ヒカルがシュトーリアをイメージできてなかった』ってことか」


 ファンナが食事を再開しながらミナの言葉を代弁した。


 良くて記憶喪失、体内の魔力を狂わせる薬物を飲んだか飲まされたか。


 最悪、死にかけ――――――……………ッ。





(…まずいわねまずいわよ、ということは一緒にいるブックナーの身の保障も危うい…! ヒカルがいてあの子が守りきれないわけがない…! くそっ、あの後ヒカル達に何があったって言うの…!!)


 振り返るな。

 あの暗闇の逃走劇の中、ヒカルはファンナ達にそう叫んだ。


 …いや、そんな事を叫ぶ暇があったのならば、何かあの神殿障壁を使って対処できたはずだ。それができなかった。もしくは、『対処出来るとは思わなかった』、か。

 その前に自分はヒカルという男を信頼しすぎていやしないだろうか。

 極技とも言える障壁の応用技術、幾多の呪いの武器を所持し使用する反則さを目の当たりにしたからこそ、ヒカルが敵の手に落ちる絵がただ想像できないだけではないだろうか。

 実はヒカルという人間は弱く、脆く、何かあの時彼にとってやりづらい状況が起きてしまったのではないか。


 ヤークは一昨日釘を刺したおかげで(というよりエマが失踪した事に随分と気を取られているみたいだ)言い出さないが、いくら黙秘の香とはいえ、ミナ達に何とかして自分達がオークション内で一悶着起こし逃げ出す際に襲われた可能性がある、と伝える方法はあるのかもしれない。

 しかし、…ファンナは言い出しづらかった。あの時の自分の判断が間違っていたとは思えない。しかし結果、ヒカル達と離れ離れになる状況を作ってしまった。

 何とか自分だけで解決したい。自分の尻ぬぐいは自分だけで密かに終わらせておきたいのだ。

 おねしょした布団を親にばれないように洗ってしまおうとする子供の理屈だ。だが、ファンナは同時に貴族でありこれでも二スタリアンの主席であった。プライドがあるのだ。


(…今日の予定は決まったわね)


 もそもそもそもそもそもそもそもそもそもそ、とサラダが、ハムスターやうさぎが食べているかのように口に消えていくのだが、それが彼女なりの動揺であるとは誰も気づきやしなかったのであった。







 シュトーリアはまだ目を覚ましません。学校内からの外出を禁じられているので、せめてと私とバウム氏は手分けしてシュトーリアを引き合いに兵士達に聞き込みを重ねます。



●兵士1「傭兵達がいなくなったことで、祭りの雰囲気が随分大人しくなっちまったよ。何だか、ただのバザーになっちまったみてーだ。上の考えは分からないなぁ。ラクソン様は何を考えてるんだか」


●兵士2「昨日の昼、マッシルド運営委員会の警備兵とうちが西地区で大げんかしてさ。問題起こすなって言ってたルダンさんが相当キレてて俺怖かったよ…。

 あ、これシュトーリアちゃんに買ってたんだ。ここの見張りのあとそのまま街の巡回だから渡す機会がなくて。よかったら渡しておいてくれる? ヒエットっていえば分かってくれると思うんだ」


●兵士3「うろちょろするな。屋外訓練場ならば昼間は開放している。身体が動かしたいならばそちらに行け」


●兵士4「ゼファンディアの校長が昨日ご到着なさって、私はゼーフェ会長の水杯宮までお送りしました。校長の隣にラクソン様がいらっしゃいまして。その時ちょっと小耳に挟んだのですが…何でも今回は上位五位がそろわないようで、次点だった生徒の希望者を投入するのだとか。貴方も大会に参加しますよね。もしかしたら今回は優勝を狙えやすい良い年なのかもしれませんね。頑張ってください」


●料理人1「今さっきパーミル様が実家から戻ってきて昼飯食べていったよ。風格が違う。今回の大会優勝はあの双剣のパーミル様で決まりだねっ!」


●教師1「コロシアムではトーナメント表の運も関わってきます。やはり大陸最強の勇者を名乗るには運も必要なのでしょう」


●教師2「風の噂だが、隣大陸の勇者のパーティがマッシルドを訪れているのだとか。隣大陸はまだギルドの制度がないらしいからランクは分からないが、コロシアムに出場するのだとしたら必ず優勝候補に数えられるだろう。12年来の悲願である優勝を今度こそ二スタリアンが掴みたいというのに。嫌な風だ」



「おや。…そのすべらかな蒼銀の長髪に栞織りの巫女服…もしや…、…うむ、もしかしてシュトーリアのお仲間ではないかね?」


 その途中で一階の用兵学室の前を歩いていたところで、ちょうど教室から出てきた金まじりの白髪の貴族に話しかけられる。深紅のマントを羽織り、顔のしわ具合から六〇はあるだろうか。年に似合わずがっしりとしたあご骨で、口元には年季の入った笑みしわがあった。掘りの深い目には玉石のような碧眼が濁りなくうち光り――友好的な笑みであるにもかかわらず漏れる眼力に、ミナが一瞬だとしても警戒してしまうには十分すぎた。

 反射的に声の元から一歩離れ、片膝を地に着けて、老人を見上げる。


「はい。確かにシュトーリアは私たちのパーティですが…。

 失礼を承知で申し上げますが、…どなたでいらっしゃいますでしょうか?」


「私はラクソンという。卑しい身ながらもマキシベーでは公爵と大臣をやっている。此度は私の私的な依頼で彼女には世話になっている最中でね、そのついでに街の警備も兼任してもらっているのだ。

 あの若さで実にしっかりしている…彼女を引き抜きたいくらいだよ。

 もちろん、彼女一人だけがそうなのではない、ということは重々承知しているがね」


 同輩がご心配をおかけしています、と苦笑しながらも――ミナは、この絶好の好機を物にせん、とすぐさまこの老貴族を落とすべく計略を始める。

 聞き出したいことはたくさんある。…しかし安易な踏み込みは危険だ。なにせ、盗賊に襲わせるにはおあつらえ向きとも言える傭兵監獄を作り上げた張本人である。なぜここにいるのか、そして意図。

 下手を打てば、自分達がラクソン公達を疑っている事が露呈し、何かしらの理由をつけて公然と縛してくる可能性だってある。

 相手は王族に近しい貴族なのだ、その程度の理不尽くらいあり得ない話ではない。


「しかし傭兵達には悪いことをしていると思っている。…このような仕打ちをしてしまったこと、誠に申し訳ない。大国が顔を合わせるコロシアムにおいて、同じ席に着かなくてはならない私としてはマキシベーの名において些細な争いの元は切り取りたくてね。小国の悲しいところなのだ。許して欲しい。それに…ある種の胸騒ぎがした。四日前に各国の警備用兵士の到着を急がせたくらいなのだ。今回の大会は」


 ラクソンは、言いながら沈痛そうに目を閉じる。


「いえ、大国に煽られて苦しむのは民なのですから。ラクソン様の判断は的確であると思われます。確かに少々強引である面は見受けられますが、大義あってのこと。ここでまみえ、お話して下さったことで少なくとも私に不満はございません。

 ――しかしながら、不穏ならあります。

 ここに集められてくる傭兵としてのツテではありますが、傭兵狩りが以前にはないほどの死傷者、重軽傷者を生んでいるとか。中には町中で発狂したように暴れ、被害を及ぼした者もいるそうです。この件について、警備に当たられているラクソン様にご推察、ご解答をいただきたいのですが」


 出しゃばりすぎず、言及は浅く。言葉を反芻してみても不審な点は、ない。同僚を不審に思う傭兵の一感想としてはあり得ないことでもない、当たり障りのない質問と言えるだろう。


「ふむ、その件については兵には伏せさせているが――少々魔術的な問題が起こっているのだ、とだけ言っておこう。結論から言うと、発狂してしまったのは意識的ではなく、感情の高ぶり、もしくは意識を強く誘導されて命令されたものであるのだ。

 どこにいるやもしれぬ人間が突然暴れ出してしまう。それがなまじ力がある傭兵であると一般人や警備兵では手に負えないだろう。死傷者が出てもおかしくないはずだ。

 だからこそ、固定した巡回をし、群体で行動し、列を乱さない軍隊である兵が問題の鎮圧に一番適していると言えるのだ。もちろん、そのような呪いにかからないよう我が兵にも万全の警戒をさせている。…今回傭兵達を拘束したのはその経緯、用心あってのこと」


 含むところはあるが、確かにギリリー達の話に一致する。一般兵はほぼこれと同一の見解と見て間違いないだろう。


 …唯一巡回としてだが外出を許されているシュトーリアが床に伏しており、無理をさせるのは酷だ。エマの誘拐に、ヤークやバウムも平静をよそにその心情は狂おしいものがあるだろう。傭兵狩り。その裏に思惑があるとすれば、おそらく傭兵が集められるこの状況にこそ狙いがあるに違いないのだ。


 現に盗賊団は町中で堂々と自分達を襲ってきた。警備兵が町中を巡回し、マッシルド入口の大門は軍が検問している中で、である。そう考えるとあまりも軍は対策が遅い。傭兵だけを特定して拘束する点も腑に落ちない。――傭兵の連れであるとはいえ、自分が傭兵ではない、と、誤解だ、と正直に話したところで…この老貴族が自分達を開放するとはとても思えない。民に危険が及ぶ可能性がある…なるほど、この建前は随分と粘着質に拘束してくるようだ。


「そうですか。では…お聞きするのですが、」


 流れにまかせたところで事態は時が過ぎるごとに悪化してくるだろう。

 魔力感知――周りに盗み聞きの気配はない。

 ミナはここは押してみるべき、と意を決した。


「………その『魔眼』とその出所について、です」


 老貴族の頬がわずかに引きつるのを、ミナは見逃さなかった。








 魔眼。


 それは視覚を介するがゆえに、光魔法ならではの呪いと言えるだろう。詠唱を必要としない点で言えば、光を用いるという六力最速の特性に拍車をかける、最高峰の禁呪である。

 例えば目視するだけで対象を燃焼させてしてしまうパイロキネシス。魔眼者間における視覚共有。はたまた、魔眼に目を合わせた者の身体の自由を奪う呪いを与えるもの。他には解析眼、微速眼などなど、人間の神経の70パーセントが支配されている視覚に大々的に影響を及ぼす光魔法は六力の枠を越えるだけの危険さがある。

 特に――国家同士の会合においていえば、どの国とも一度は目を合わせ挨拶をしなければならないのに見ただけで感情を支配してくるかもしれないような魔法が横行しては、正当な話し合いが出来るはずもない。あるだけで危険。確かに光魔法は戦争すら生みかねないので大陸三国が条約を締結してでも禁止しなくてはならない理由は十分である。


 だからこそ、見落としていた。ファンナは自分の至らなさが口惜しくてたまらなかった。街の屋根を駆け、その金髪を強くなびかせ、白ノースリーブから露出した肌を振り乱し、陽光に映え――鮮紅している鎧ミニスカートの金属板を打ち鳴らし、目指す。


 光魔法は文字通り光速だ。


 あのヒカルが最強クラスの障壁を一息で展開できたとしても。


『光速』で吐き出される呪いには手も足も出ないに違いない――…!!!!!


「あの時叫んだのは、もしかして四肢の拘束…!?」


確かに私が飛びいれば、そのヒカルを拘束した人間の目を第一に見てしまっていただろう。そして二の舞、三の舞になる。…考え得る限り最悪の状況だ。一昨日だって、思えば私達に現われたあの偽物はブックナーにヒカル、エマ…全員あの時点で敵の手に落ちたと考えられる者ばかり。あの後ギルドの埋葬課に処理させたが、その整形技術は本人の生皮を剝いで被ったのではないか、と言うくらいに似過ぎていた。…いや、それすらも。


 …それが整形技術ではなく、『光魔法』だったとしたら。


 つまり私達の『目』が騙されていたのだとしたら。

 少々声が似ている人間がその魔眼を持つだけで簡単に騙されてしまうだろう。…バウムはあの時匂いで偽物と判別したと言う。視覚を封じられる。…恐ろしいことだ。盲目の人間なんて数少ない。ましてや盗賊団を相手に出来る盲目が世界にどれだけいると言うのだ。


 ファンナはヒカル達が泊まっていた、背高のっぽの宿に降り立つ。そしてその壁に背中を預け通りを眺める風にしながら、入口横の窓から中を気配を殺して覗く。…カウンターでは宿屋の四〇才ほどの恰幅の良い女将が舌を出して貨幣を計上していた。他の人間はいない。階段は入口から入ってすぐの右手にあった。


 用があるのは裏オークションの会場だ。入口の階段は、どの宿も決まってカウンター前を通った先にある裏口の先である。ファンナが裏オークションに潜入する際に使ったホテルやその他の宿は人の視線が多すぎて潜入には向かなかったのだ。ヒカル達がもしかして戻っているかとこの宿を訪れた時、潜入するならここだな、とファンナは目測をつけていたのだった。諜報学が染みついた脳の賜物である。

 窓は細かい傷などで汚れてカウンターから先がぼやけて見えない。が、目測をつけたときはその先に確かにドアがあった。ドア先は裏通りになるだろう。しかし――、


(おそらく…魔法陣によって簡易幻術、簡易転送が施されているだろうから直接は辿り着くことは不可能ね。オークションへの階段に至るには宿屋の裏口から入らなければならない、といったところかな)


 女将を気絶させればいいかもしれないが、それがきっかけとなってファンナが潜入したことがバレるかもしれない。じゃあこの宿の近くでボヤ騒ぎでも起こしておびき出そうか――しかしそれではこの女将が動じなかったら意味がない。そしてその方法は一度失敗したら次は不審がられる。仮にもこの大天街の裏舞台の入口を守る門番でもある彼らだ、その程度のマニュアルは持っているとしても不思議ではない。

 事は、外部に悟られず――なおかつ、この宿屋内だけで収める必要がある。


「そうねぇ…それしかないわよね」


 ファンナはそのまま空を見上げ、人の気も知らないで底抜けに明るい日光相手に、恨めしげに眼を細めた。







「ひゃぁああ!?」


 女将はあまりの痛ましい音に驚いて、せっかく10枚ずつ重ねていた銀貨銅貨を零してしまう。何が…、とカウンターから身を乗り出して覗いてみると、…何と、階段下に人が倒れているではないか。一昨日から泊まっている冒険者の男性である。図体のでかいクセに声の小さい斧使いだった。


「な、何やってんだい…」


 カウンターから出て近づくが、…床に散らばったままの金の方が彼女にとっては大事。冒険者を放って、先に零してしまった金を集め終えてからその身体を揺すり出す。


「あらま、打ち所が悪かったのかねぇ…こらあんた、酒でも飲んだのかい、起きなよ!」


 まさか…階段から落ちて死んでしまったのではないか。何せ、態勢からいってどうみても頭から落ちてきている。死人が出たとなっては商売あがったりである。いくら一年に一度オークションの入場金の一部で懐が潤うとはいえ、宿屋としての売り上げがなくなるのは心配なのである。宿屋はここ一一軒ではない。ほとんど客が来ないのに続けられている宿が不審がられるだろう…いつ裏オークション主からこの宿の経営権を奪われるか分かったものではない。


「……………いちちち…おお、すまねぇだ」


「なんだい…心配させないでおくれ…」


 男はふらふらと顔を上げ、女将の顔を見上げた。


「…階段踏み外しちまっただ。しっかし首が…。起き上がれん…っ」


「ああもう、あんたの身体が邪魔で外に出られないじゃないのさ! …たく…ちょっと待ってなよ、上に行って使えそうな人間探してくるから!」


 じゃらじゃら、と懐から貨幣袋の音を鳴らしながら、女将が早足で階段を上っていく…。





「――これでいいのがい? あ、アグネちゃん」





 男はすくっと起き上がると野太い声で入口のドアを開けた。


「上出来♪」


 男の岩石じみた頬に、桜の花びらのようなファンナの唇がついばむように口づけした。


「で……その、そのぉ…続きは…?」


「慌てないでぇおじさん、ちゃんとギルドに問い合わせたらばっちりだって。

 ほら、ギルドカード。

 私それなりに有名だしぃ、『チャルベリー・ウンデ・ラ・アグネ』って言えば一発だよ」


 ファンナはしなを作りながら男の胸にしなだれかかり、言う。思わず、我慢できず抱きしめようとするとスルッとその腕から逃げてしまう妖精のようなツインテールの美少女である。ああなんて可愛い声だろう。こんな子が今夜してくれるだなんて信じられない。い、淫乱ってホントにいるんだな…男は旅先の行商で買った官能小説に似たようなシチュレーションをみたことがあって、その登場人物であった女性にこの金髪の少女を重ねてしまっていた。


「て、鉄球のアグネ…だろ? 凄腕だって聞く…。で、でもこんな若くてぴちぴちした子だなんて、おで、知らなくっで…。

 その、愛用してるって言う、鉄球は…?」


 金髪の少女は胸の谷間を突き出すように両手を後ろにやりながら頬染め。いじらしく赤ミニ鎧スカートでもじもじしつつ上目使いしながらまた近づいてくる。



「そんなぁ、分かってるんじゃない?

 今日の私の鉄球は、おじさんのコ、コ♪」



 男の股間をさわ、と下から包むようにして握りながら熱っぽい声で言うのだ。童貞であるこの男を悩殺するには余りありすぎて脳内バラ色の悶え死三昧(ざんまい)である。


「だ、だのしみにしでるからな…!」


 再び階段を上がっていく男に投げキスしながら見送り、


「なんだ、やっぱりツインテールいけるんじゃない。

 アイツも素直じゃないわねー」


 アグネからスったギルドカードをポケットに直しつつ――。

 こんなにも可愛い自分に対して、あの時は悩殺物の踊り子ドレスだったというのに褒め言葉も何もなかったヒカルの顔を思い出して、舌打ったのだった。






「さてさて、問題はここからよね」


 入口が――ない。以前見たはずの、ヒカル達が通ったはずの裏口が、ないのである。全くの板張り。板目は歪みなく、年季が他の壁板と一緒だ。


 …からくりがあるのは間違いない。しかし時間は取れない。女将がいつ戻ってくるか。


 近づいて触れてみるが全くの壁だ。いや、視覚的に支配されているのかもしれない。強い暗示で、壁に見えているなら触感も壁だ、という類の幻術である。


「なら目を瞑れば…?」


 壁に見えていたというのも意識的に排斥して、再び。

 ――ん?


「…当たり、かな」


 切れ目。

 そのまま切れ目に従って下に手を這わせていくとドアの軸…蝶番(ちょうつがい)の手触り。ここはさっきはただの板だったとこ――ってあぶないあぶない、板だった光景を思い出したら急に触感が消えていった。気をつけなければ。


 再び集中し直して、…今度はドアノブを直接探しに行く。元々人の手に当たりやすい一に造られている物だ。ものの数秒で捉え、鍵を開けた。

 ドアをくぐって目を開けると裏通りに出る。

 すぐ側に人の気配があるのに左右の道はとても距離があるように見える。なるほど内側からも幻術がかかっているのか。正面から突破するのは骨が折れそうだ。

 あからさまにすぐ前に倒されている板をのけると――予想通り、深い階段が顔を出す。ニヤリとその暗がりを見つめ、スカート下に隠してあったダガーを手にとる。この黒目夜目のダガーがあれば、全ての闇が、味方だ。


「さて、と」


 タン、と飛ぶように一足。ただし着地の音が全くと言っていいほどない。物音に敏感な巨大ネズミのチフーがそばにいても気付かないかもしれないレベルである。

 ダガー片手に階段を走り下りる。闇は昼間へと変わり、影が全く存在しない視界だ。そして極めつけに、聴力を全開に引き延ばして半径50メートルは私の把握圏内。たとえ遠距離武器を発射したとしてもこの距離感でならダガーでたたき落とせる自信がある。


 数分足らずでヒカル達が入場したはずの鉄壁に到着する。鉄門はしっかりと閉じられていたが――、




挿絵(By みてみん)




「ヒカルってば、やっぱとんでもないわ…」


 厚さ1メートルはあろうかというレンガの壁が見事に大穴を許している。神殿障壁で壊したのよね――球状にえぐり取られたさまは、さながら召喚魔法と言ったところか。四方八方にひび割れが広がっていて、破壊する際にかかった圧力のすさまじさを物語っている。


 穴が空いてる先――あの地図で言えば避難用具入れだっただろうか。オークション最中は奴隷達や商品が出番を待っていた場所だったが――。

 放置された鎖、消された燭台の蝋燭、布きれのきれはし。放棄された山賊のアジトの光景によく似ている。


「…これ…まさか」


 少し進んだところにあるレンガの床に、不自然な染みだ。屈んで確かめると、…赤かった。

 ――…ッ。

 嫌な光景が脳裏を掠めて、私は頭を振ってイメージを振り払った。…元々恨み辛みと絶望の思念がたまっていた場所だ、感情が引きづられてしまってはいけない…!

 でも、可能性の一つに考えて良いかもしれない。あの時。ここで奴隷達を開放しようとした時に…ヒカルかブックナーのどちらかに何かあった。ヒカルが危機を目の当たりにし叫べたと言うことは、その場合先に手を出されたのはブックナー…。


「自業自得よ…バカ」


 避難用具入れから先に進む。…期待薄だったが、舞台裏に続く鉄扉が開いていた。これ幸いと重い扉の隙間に身を滑り込ませ辺りを探る。

 物音はない。あるとすれば…レンガ越しに遠く響く、マッシルドの街並みの喧騒と、水の音。

 念のため、オークション台まで行ってみる。舞台の影から観客席を見渡す。あの時のヒカルの扇の一撃だろう、不自然に焦げたような一帯の焦げレンガ色の他にはごみ一つない。

 そのままステージ反対側へ。


「…何も、ナシ、か」


 ダガー片手に隅々まで見ていく。確か作戦中はこの辺でブックナーが囮を…って、


「あ、あ…!」


暗闇の隅に、何やら黒曜石のような棒状の物が転がっているのを見つけた。何だか見覚えあるな、と半ば確信しつつ近づいてみれば…案の定だ。


「確か確か、――アニウェの首狩り剣――――って…」


 ヒカルが潜入する時にブックナー用に、と持ってきていた一本である。私が武器を選ぶ際に紹介された一本でもある。そんな『ケイボウ(どういう物か聞くのを忘れた)』みたいなのが良いのか、とか言ってブックナーを不思議そうに見ていた気がする。


 かの有名な、狂気の刀匠アニウェの一七傑作の一振り――。


 見た目は、振って飛び出すタイプの黒い鉄の棒だ。しかしその正体は剣であり、どういう魔術が付与されているのか知らないが、剣の峰、腹が存在しない…つまり一見棒に見えても、この剣に触れたところその全てが『刃』になるというもの。接近戦で振るい方に捕らわれないと言う意味では、剣士にとっては凄まじい価値を持つ一品と言えよう。


「そうか…このダガーなけりゃ、とにかく暗いもんね。ココを点検した向こうも全員が全員徹底できてるってワケじゃないのね」


 …ヒカルの持ち物をまた一本回収できただけでもラッキーだ。今は宿の一室で、私の弓と一緒に山のように呪いの武器が静かに寝息を立てているが…その実、一本一本が凶悪だ。呪いの武器は代償の代わりに普通の武器よりも強い効果、魔力を持っているが、特にヒカルが使う武器はそのペナルティたる呪いがないのだ。

 ダガー一本持つだけで闇が味方。

 そしてこのアニウェの首狩り剣も、戦闘用の意味合いが強いが、それでもただの刀剣類よりははるかに使い勝手が良い。使用しない時は刃を収めればダガーと同じくらいの長さになって収納も楽である。


 しかし喜んでる場合でもない。首狩り剣を鎧スカートのポケットに直すと、水の音――そう、ステージのさらに奥、マッシルド地下水路に続く壁がある。確か第32番台水道だったはずだ。鉄門は…閉じられている、か。これは仕方ない。


「盗品を運び込んだとするなら、地下水道から、だもんね。上の宿からじゃあまりにも人の視線に晒されすぎるもの」


 何せ誘拐された人間が奴隷になって商品にいるほどなのだ。警備兵もうろちょろしている公の場に堂々と顔を出すのは少々危険すぎる。

 しかし、地下水道――この地下水道はマッシルド南の港へ続いている。普段は港へ流れているが、満潮時なら舐めれば塩味がするはずだ。何か最後に痕跡を残しているとすれば、この先にしかない。


 向こうに行くには、この2メートル近いだろう厚い壁を破らなければ。

 私はダガーを腰に直すと、そのままアニウェの首狩り剣をポケットより引き抜き、振って棒を飛び出させる。

 右足を引き、右上段に構え、


「ま、やるしかないしね――…よーし、よし…、

 すぅ――はぁ…。


 ――術色層解放より解放色、

   火、

   水、

   雷、

   土、

   風、

   木、

   全指向性、解放完了。

   …神聖仮装…!!」


 刀身に白光が灯り、小さな太陽となって辺りを白色に照らしだす。さすがに初めて使う武器には詠唱が必要だった。使い慣れた宝石矢なら無詠唱で出来る事なのだが。


「っし…つぁあああああああ!!!!」


 ガギン!!! ――ず、ずずずず…っっ!。


 一瞬だけ剣が手応え。しかし食い込むと、後は同座標を神聖魔法が奪うのでほとんど力を必要とせずに剣が振り抜かれる。


 二振り目、三振り目、四,五,六七,八九十――…!


 いずれもフルスイングでいったが、ただただ刃のままに鋭い線が出来るだけで、亀裂すらできやしないのである。はっきり言って時間の無駄と思った。三日あってどうにか、と言った具合である。


「あいつ…………………案外、理にかなったことしてたんだ…」


 傍から見れば何魔力の無駄遣いしてるの、という感じだったが、でもこの場を神殿障壁で穴を開けるというやり方はむしろ的確だったのだ。ヒカルのやり方がなぜか豪快に見えるだけ。


 でも、それで、私に可能なのか?


「――仮に、それしかやり方がないのだとしたら…。

 でもそうだとしたらまずいわね…魔力が、持たないかも」




 …皮肉にも、神聖仮装の限界がある。



 神聖仮装。



 それは神聖魔法に適正のない者が、六力の仕組みを駆使して神なる奇跡に辿り着く万人のための切り札である、文字通り神聖魔法を仮装使用するもの。ファンナも元々の真力は水力だが、ただ戦闘技術や諜報や魔法などに修行の時間を当てすぎたためにほとんど練度がない。

 …もちろん、万人のためといってもそれは少しばかり誇張が入っている。得意、苦手に関わらず六力の魔法を発動させるための感覚を掴まねばならない。真力、隣力を会得するので精一杯、良くても最後の一力だけ分からなかったり、とそれだけで既に才能を要求される問題なのだ。


 ファンナは魔力量こそいっぱしの132だ。なれど、神聖魔法はそのことごとくがベテランの王宮魔術士が使用してでさえ手に余る金食い虫ならぬ魔力食い、その一魔法である神殿障壁は神域の結界を展開する代わりに、人一人を覆う大きさで毎秒MP10を持っていってしまう。


 そして神聖仮装の限界とは、その発動方法にある。


(その極意は、六力全ての魔力を均等に練り白に近づける事。

 つまり、『最も苦手な六力面に、真力、隣力が合わせなければならない』

 …コレは、痛いわ…)


 例えばファンナなら得意魔法――、つまり真力が水。その次に得意な魔法――隣力が雷と炎である。



………………火

…………木   水

…………風   雷

………………土



 神聖仮装はそれぞれの出力が同じ値になるということ。なので、いくらファンナが水力で50MPを一気に発動できる才能があったとしても、一番苦手な木が3MPが限界なのなら、水も出力を3に押さえなければならない。そのほかも3に合わせなくてはならない――つまりこの場合神聖仮装で使用できる神聖魔法のMPは18MPが限界なのだ。


 ヒカルのように身体から発動しない神聖魔法を好きな座標に展開するなぞファンナには信じられないくらいの技術である。

 なにより神殿障壁は、『展開』もすることを忘れてはならない。結界魔法であるからして、手に乗る程度の玉から拡大していって障壁となる。つまり拡大していく最中も魔力は使用されるのだ。つまり、ファンナが神殿障壁を使用しようとすれば、18MPで壁ぎりぎりで展開し、その魔力が尽きるまで拡大させる事。そしてまた最初から神聖仮装し、また同じように、の繰り返し。


(おっと…召喚劣化の話もあったわね…)


 バウムが説明したように、…右手のコップから左手のコップに水を移動させて、その時右手のコップの内側にわずかに水滴が残ること。そして、零してしまうこと――つまり魔法を使用した際にそれが100%顕現するワケではないということ。召喚劣化ならぬ魔力劣化の法則だ。


 得意不得意関わらず六力を全て使用する神聖仮装は、なるほどその劣化も激しいだろう。得意武器ならいざ知らず、初めての武器だ。――魔力の送り込みを、このアニウェの首狩り剣からはみ出ないようにイメージしないと、はみ出た分だけ『劣化』したことになる。ようするに無駄遣いということになる。

 高望みはできない。

 無駄だけ省く。

 身体が一つ通れて、上々…!


 穴を開けた先で、もしくはここからかえる際に襲われたときにMP0だったらはっきり言って危険すぎる。ヒカル達が容易に手に落ちる難敵。ここで自分も捕まったら目も当てられない。

 …わずかに、後悔。一人くらい連れてくれば良かった…と今さらながらにファンナは舌打ちする。

 だが、それもまた出来ないのがファンナという人間の業だ。


「…大丈夫大丈夫、大丈夫、大丈夫大丈夫。

 ファンナ…貴方はコロシアムできっと優勝するの。

 そんな人間がこれくらい…!

 自分の自由は、自分の力でつかみ取るだけよ…!!」


 MPなぞくれてやる。

 だから、ブックナー達を――返してもらう。


 神聖魔法が元から使えていたなら。

 才能があったなら。

 …そんな女々しい泣き言はしない。


 

 二スタリアンの誇りにかけて――。



(それが私のプライドよ…ッッ!!!!)


「――術色層解放より解放色、

   火、

   水、

   雷、


――ッ、危ない…落ち着け、ふぅ…すぅ…


   土、


   風、


   ……木、


   全指向性、解放…………………完了。

   神聖仮装――、


   神殿障壁ッッ…!!!!」




  そして、壁に添えた手に魔力が宿り――祈り高らかに、白光が侵略を開始した。


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