四五話 邪神の言づてと逃亡のタクティクス(前)
二スタリアン戦士学校の校舎の外は、さながら林間学校の木造校舎だ。ときおり廊下も踏めば軋むし、生徒のほとんどが貴族という事情にもかかわらず洒落た彫刻の一つもないほどで、木目、厚みと頑丈にとばかり作られている。そんな校舎を岩壁と鉄柵が四方を覆っていてさながら刑務所のようだ。柵上にはすぐに森の緑が鬱蒼と茂っていて単身では突破不可、実質その壁の高さは三階建ての校舎に匹敵する。
校門前で巡回に戻るとシュト-リアと別れたミナ達である。学生寮に入ってからギリリー達が一階に、ミナ達は二階に。先導していた兵士がとある一室で止まり、こちらに向き直り、言う。
「ここがお前達の部屋だ。学園から許可は取っているので、一週間、中は好きに使え。獣人と…少年はこの隣だ」
「分かりました」
不承不承とミナが頷く。だが兵士は了承を当然とばかりに受け取ってバウム達を見渡し、
「…食事の際は大鐘を鳴らした後各部屋に呼びかけに行く。また、昼間はこの敷地内でのみ自由行動を許可するが、入夜の大鐘以後は自室より外出を禁止する。用がある場合は巡回中の兵士に言付けるように。
…不審な行動はとるな。
では失礼する」
…不満を漏らしたところでそれに応えてくれる扱いでないことはこの学校に連行されていた時にも把握済みだ。兵士が木の床を軋ませて角に消えていく。ミナが睨み付けるようにその背を見つめていると、
「わぁー、ふかふかぁ…! 姉様、ほらほら!」
「…ナツ、今ははしゃいでる時ではありませんよ
…………………………あら、本当ね?」
「姉様だってさっき校舎に目をキラッキラさせてたくせに…」
早速部屋に入ったナツがベッドにダイブしていたのである。呆れたミナがベッドの妹まの隣に腰を下ろすとそのふんわり感に目が点になった。一瞬マサドのヒカルと自分のベッドを思い出したくらいの柔らかさと質である。質素に見えてやはり貴族クオリティなようである。
「ミナ殿、わしとヤー坊は荷物を置いてくるぞ。ファンナ殿は…如何様にするか?」
フードからキツネの顔を覗かせてバウムが言う。ヤークはなぜか廊下で赤い顔を部屋から背け、立ち尽くしたままだ。
「先に急に走って行ってしまいましたから、もしかしたら自室に戻っているのかもしれませんね。…彼女が戻って来次第、学校の見取り図を作って欲しいと思っているのですが」
言い終わると同時に、顎でバウムのいる方向を顎で示す。暗黙の了解――バウムもちらと後ろを見て、頷きつつ、
「ふむ、妥当であるな。
…ヤー坊? 隣に行くが、どうした?」
「…あ、いやっ…なな、なんでもないよ爺ちゃん」
ナツが「んぅ?」と羽毛の布団に顔を擦りつけつつ、酒を知った少女のようにとろんとした眼でドア外を見ると、ちょうどヤークと目が合う。ヤークはナツの視線から逃げるように隣の部屋へ行ってしまうのだった。
「…ナツ、ローブがはだけてふくらはぎが見えてますよ、はしたない」
「きゃぁああ、ホント!? 姉様、は、はやく言ってよぅ…!!!」
「自業自得は身をもって知らねば分からないものです」
ミナは笑いながらドアを閉め――――――、部屋の奥へ。
気配を殺し、バウムの部屋側の壁に身体を寄せて手の甲で二回、少し止めて一回小突いた。
(バウム氏、聞こえますか)
(ああ。呼吸の匂いで4…5は把握できたが)
ミナはジェスチャーでナツにベッドを叩いてごろごろ音を立てるように指示すると続きを話し出す。
(私の魔力感知では、こちらの気配を窺っていたのは7人です。正面の部屋に2つ、その両隣に1つずつ、バウム氏とは反対側の2つ隣の部屋に2つ、この部屋の後ろ隣の部屋に2つ)
…気配を探られるのは傭兵同士よくあることではあるが、慣れない場所では神経質なくらいでちょうどいいのだ。気配を堂々と探ってきているのがアーラック盗賊団か傭兵か、ここが敵地なのかそうでないのかの区別が出来ない以上、どのような時でも気を抜くわけにはいかないのである。
(わしの『鼻』では、魔物の血の匂いの具合からして傭兵だと思われるが…むぅ、一人は女性だろう。香水が強くてそれ以上を嗅ごうとすると鼻が曲がりそうだ)
(香水…なるほど、仮にも盗賊団員が証拠にもなり得る香水をつけるなどありえませんからね)
「はぁ~…そうでもないんじゃない? 奴らにとってはここもアウェーなんだし」
「ひゃっ!?」
あまりにも自然にドアが開けられたので飛び上がるミナだった。入ってきた本人は本人で打ちひしがれた表情だったが、今彼女に手を出そう物なら八つ当たりめいた拷問も考えられるので何も言えない。
「フファ、ファンナですかっ!? もう…脅かさないで下さい、ただでさえ私は最近心労が…」
「いや、私の耳からすれば貴方達のこそこそ話なんて丸聞こえだし。はいご注文の地図ね。…さっきまで、食堂で何食い散らせてやろうかと鬱になってたけど、ミナの声で我を取り戻したわ。やっぱりデザートオンリーはダメね。主食から根こそぎ在庫を空にしてやらないと誰も傷つかないもの」
「朝あれだけ食べてまた食べる話…!!??」
顔を青くさせて戦慄しているナツをよそにいかにも歌劇的に溜め息するファンナだった。どうにも憂愁に浸りたい年頃らしい。
「そ、そうですか。はぁ…ではバウム氏、こちらの部屋に来ていただけますか」
「よかろう。となると、ファンナ殿に伝達するのはいよいよやりやすいと見える。部屋で呟けば届くワケか。返答が聞けないのが難しいが」
そしてバウムを迎え、ミナ達はファンナの持ってきた地図を覗き込んだ。
「ふむふむ、ファンナは良い部屋をお持ちですね」
「そうでもないわよ、キュベレの月だと、日が低くて森の木々が邪魔して日光入ってこないんだもの、寒いわ。それに魔法学室の生徒が窓から身を出すと私の部屋の中丸見えなんだもの。
えーとこれは一階の見取り図ね。
二スタリアンは寮、校舎ともに三階建て屋上あり、高さも大体一緒よ。寮は見ての通り、各階に生徒部屋が102部屋、談話室一部屋、階段が二つで構成されてる」
「ファンナ姉ちゃん、寮の一番南側…の左側かな? この隙間何?」
「掃除用具入れ。清掃職員のための区画ね」
「この学校は清掃職員も雇っているのですか…通りで」
先ほどのベッドといい、この学校の見た目とは裏腹に清潔であるところといい、ますます戦士学校には似合わない。一つの貴族学区の形と思っても差し支えはないだろう、とミナは納得した。
「屋内訓練場の『閉鎖中』というのは?」
ミナが聞くと、ファンナは大きく溜め息をして答える。
「ああ…小憎たらしいことにね、私ら大会出場の生徒以外は、この寮に傭兵を収容するって言うんで街に放出中なの。この一人部屋だって昨日まで生徒がいたんだから。だから、持てるだけの荷物を持って街で遊んでるってワケ。大荷物や引っ越し依頼が必要なほどの大荷物は生徒でとりあえず体育館に運んでるの。さすがに自分達で買いそろえたタンスとかはそのままだけどね」
「…では閉鎖中、とはどの辺りまでを指すのでしょうか」
「ああ、誰かが潜んでるって言う心配はないわよ。二スタリアンの職員が鍵を管理してるし、一日おきに外から施錠具合を点検もしてるみたいだから窓も壁も細工の余地なし。盗賊団の本拠地にするには随分と使い勝手が悪いわ。特に金目の物があるわけでもない。
室内訓練場は一階建てだけど、天井は一番高いわ。中で訓練の一環で剣闘したり弓使ったりするからかな。…天井はドーム場になっていて、最大の高さはおおよそ校舎で言うと四階に相当するわ。二スタリアンから街を覗けるのもこの室内訓練場の屋根の上だけでね。先生に叱られても叱られても生徒が上るから妙な特等席みたいになってるわ」
「ああ、告白スポットみたいなですかっ?」
ナツが鼻息荒く聞く。やはりこの手の話題はナツの大好物なのであった。
「そうよそう! 連れてってあげようか。見晴らしは良いぞ~?」
どことなく悪戯顔でニヤニヤしあう二人である。もっと真面目に…とミナがジトッとするも、気にする様子も見せない。
「まぁ……地の利があるファンナが言うのですから大丈夫なのでしょう。バウム氏、朝の予定とは大幅にずれましたが、ヒカル様やエマちゃんのこと、どうしましょう」
「後で、わしが兵達に掛け合ってみるつもりだ。…わし等の後からも、門から次々に傭兵達が連行されてきておる。わし等が兵の警備を敵に回してまで捜索に徹しようとすれば、いずれにしろナツ殿やヤー坊がどうしても足手まといになろう。
…シュト-リア殿の事もある。彼女は今軍に協力していると言っているが、状況からいえば人質に取られているも同然である。エマの事も彼女に朝話した事だし、優先的に捜索に力を注いでくれるとは言ってくれたが…」
「ではシュトーリアが巡回を交代した時に声をかけるというのは?」
「夜のみに限定してここを抜けだして街の捜索に当たる、というのもある」
エマとヒカルの捜索、だけでも骨が折れるものなのに、学園からの脱出というペナルティまで負ったためなかなか意見がまとまらない二人であった。ヤークやナツがどうしても気にかかってしまい、自分達の足止めに使われることは目に見えているからである。そこまで町中の傭兵を集めようとしている兵達が自分達のことを把握しているとは思えないが、シュト-リアと知り合いであることが知られてしまったせいで目をつけられてしまったことは否めない。
所在なさげだったヤークも引きずり込んで『ナツが良いのエマが良いの』と恋バナで虐めていたファンナだったが、
「煮え切らないわね~」
「ファンナ、人ごとのようですが貴方はどうなのですか。ブックナーという少年がヒカル様と一緒にいなくなったとの話でしたが」
「心配するだけ無駄ね。ヒカルは言わずもがなだし、ブックナーは………そうね、なんて言えばいいかしら。…凄くツいてる子だから大丈夫と思う。少なくとも出がらしじゃない。
あとエマちゃんだっけ? 彼女って貴方達の話からすると少なくとも戦闘側の人間じゃないんでしょ? 昨日の偽物使った襲撃もあった事だし、私達が盗賊団に狙われていることは明白。そんな中…彼女が真っ先に狙われたって事はつまり、殺しはしないって事よ。貴方達的に言うならば『人質』と言った所ね。
だから私達から動かなくたって向こうからアクションがあるわ。私達はどんと構えていればいいってコト」
ファンナはどんと構えすぎなのではないか、と口から出そうになる。確かにファンナにとっては第二の家のような土地だろう。
「ぬぅ…一理ある」
だが、バウムは心が動き始めていた。ファンナの言葉を信用すると言う意味でもそうだが、ここで一呼吸おけなければ自分以外が緊張に耐えきれないのではないか――そう言う不安が胸に滞留し出したのである。何せ18にも届いていない少年少女ばかりだ。エマが孫娘同然なら、ミナ達はバウムにとって娘息子も当然。一歩引いて心情を察してやるのも年長者の仕事であろう…バウムはそう、言葉を飲み込む。
「出がらし…ですか?」
「ああ、こっちの話。あの子の方は気にしないで。幸運の塊だから」
「で、ですが…」
ミナはバウムを見た。だが、ふるふると顔を振って答えを自分にゆだねてくるので、余計に答えに窮する。
「……………校舎、色々見たくない?」
「……………!!!!!!」
ミナの目が、何だか凄くキラッキラし出した。
そんな横顔に、隣でバウムが凄く疲れたように溜め息をしたのを見つけて、ナツとヤークが労るように笑うのだった。
~ 1階 ~
ミナ「あのっ、あのっ、あと旧魔法史時代の地域別とかありますでしょうか…! できれば技術革新の時期の書物を抜粋してですね、」
ナツ「姉様、あのね、先生も困ってるからそろそろ次に…」
バウム「『獣人でも読めるマッシルド史』…この本は肉球がある者限定なのだろうか…?」
ヤーク「爺ちゃん、アフタ史があったよ! ほら! あー、まだエマ姉ちゃんの区画はないや」
ファンナ「…まっさかこの人達、武器学とかに全く興味ないとはさすがに思わなかったわ、私も」
~ 2階 ~
ナツ「ファンナお姉さん、ここは学校だからその…授業をしてくれませんか? 私、やっぱり学生もいいなって思って」
ファンナ「はぁ…いや、べつに良いわよ? 教科は?」
ミナ「全教科で。今日が基本、明日は各教科の応用編でみっちりお願いします(キリッ)」
バウム「座学だけでいいでの(キリッ)」
ファンナは目の前が真っ暗になった。
ヤーク「ここってそれなりに体育会系の学校じゃなかったっけ…」
~ 3階 ~
窓を開け放ったファンナは遠い目をして夕陽を見つめている。まるで失恋に燃え尽きた少女のようだ。彼女が見つめる柵の先では、羽を伸ばした学生達が笑い、飲み食いに明け暮れているのだろう。
ファンナ「うう…まさか大会出場生徒が学校に取り残されて半日授業やらされるとか思っても見なかったわ…」
ヤーク「ナツは薬草学凄いんだなっ、バンバン答えてたじゃないか。ファンナ姉ちゃん泣くくらいに」
ミナ「ナツは色々事情がありまして。住んでいるところが山奥だったからでしょうね。でもヤーク君も凄いじゃないですか。あんなに計算に強いだなんて。見直しましたよ。
あ、ファンナ。後でもう一度魔法学室で待機魔法を調べるので付いてきて下さい」
バウム「エマは人形を作れたが収支や家計の方はからっきしでの、わしの手が空いてない時はヤー坊が手伝ってくれとった。剣術の方もなかなかやるのだぞ」
ナツ「あ、あああ!! そう言えば私エベスザーレ先生に呼ばれてたんだった…!!」
夜虫が鳴き始める、日もとっぷりと落ちた夕闇時にシュトーリアは二スタリアンに帰還した。兵達と食事をとり、今日の報告も兼ねてミナの部屋に訪れる。今日の朝連れてこられたにしては、部屋は土産や服などに溢れていた。ミナが連行されている際にシュトーリアに宿に置いてある荷物を持ってこさせるように手配させたのである。
「なぁ、ファンナが食堂で、自身の食べ終わった皿に埋もれて突っ伏していたんだが。彼女はフードファイトでもしたのか?」
ミナの部屋を訪れたシュト-リアは言いづらそうにだが開口そう言った。ミナは麦菓子を口の中で転がしながら、(途中で耐えきれなくなったファンナが教師に無断で)借りてきた書籍をぺらりまた一枚めくり、シュト-リアを一瞥する。
「うーん、凄い勢いで食べて『やけ食いしてやるぅ…!』とは言ってたみたいですよ。ねぇ、姉様」
「そうでしたか?」
「そうだよ! 姉様、食事中も本読んでたから見てなかったんだと思うけど…あれは…そう、きっと30人前は…」
「さ、30人前…。じゃああれは、食べ疲れたファンナに食器の全てを押しつけて帰ったというわけではないんだな?
兵達が怖がっていたぞ。…食堂の親父はようやく止まったと泣いていたが」
ギリリー達が酒のつまみに皿から掘り起こし、彼女の頬を突いて遊んでいたところをシュト-リアが保護したのである。それこそソース皿で頬を叩かれたのかとばかりに片頬をべっとりと汚し、食器を肉に突き立てて爆睡していたのである。
学舎に酒を置いているのかと食堂の親父に物のついでに問い詰めたのだが、ここに連行されてきた傭兵達を纏めるのに一役買って出ていたらしい。半強制的な兵のやり方に鬱憤が溜まっていたらしい傭兵達は食堂でも一悶着起こしていたそうで、それを収めたギリリー達へのささやかな報酬、というわけだ。琥珀色の蒸留酒の甘さに強面のギリリー達も頬を緩ませて舌鼓を打っていたのである。
「結局、ファンナには手を出しづらくてそのままにしてきたんだが…」
「大丈夫でしょう。ここは彼女の学舎ですし緊張もないはずです。街では彼女は活躍しましたし、好きな食事で骨休めもしたかったのでは?」
「そうだろうかな…。あれだけ腹に入るのなら力も出よう。私も今度からもうちょっと食べてみるかな」
腕を組んでうんうん頷くシュトーリアにナツは鳥肌が立った。シュトーリアはこういう事に真面目に取り組む人間である。彼女がやると言えば必ずやる。
「いやっ、シュトーリアさんはそのままがいいと思いますよ私! あんなに食べたら太っちゃ…いや、ただただファンナお姉ちゃんが異常なんです…」
ナツが慌ててシュトーリアを諭すと、「そうか?」と納得いかなげに聞いてくるのでさらに念を押した。旅は燃費が良い方が良いとも言った。
「ぅ、む。まぁ、ナツがそこまで言うなら」
「そ、そこんとこお願いします…」
気圧されながらもシュトーリアが頷くと、ナツはそのままふらふらベッドに倒れ込んで動かなくなる。
ミナは読書から抜け出さず、また一枚ぺらりとめくった。せっかく朝別れたときに『帰ってきてから話があります』と半ギレ状態で額をザシザシ指で突きつつ言ってきたクセにいざ来てみればコレである。言われ続けはシュトーリアもも何となく納得いかない。言うならば反骨精神である。
「(ミナは読書家なんだな。…ヒカルは彼女のどういったところが気に入ったのだろう)」
手当たり次第、と言う言葉が最初に浮かんだが、なぜか頭はそれを早々に否定した。何せ自分は倒れているところを助けてもらったのだし、その時は旅で汚れ、傷ついてもいた。手当たり次第なら町中の綺麗な女性でも適当に捕まえればいい話である。
それに、自分の目の前にいる女性は日常では媚びもせず泣きもせず、鼻に湿布貼って読書するような人間である。シュトーリアの狭い価値観からしても、彼女のような人間よりエマやナツの方が可愛げがあるのではと思うのだ。ま、ましてや自分のような身体の硬い女にまで手を出してくる始末。そ、それは確かに胸に筋肉はつかないが…!
「………やっぱり二人きりだと変貌するのがいいのか?」
「はい? 何か言いましたか?」
「い…や、何でもない。独り言だ! 私は変貌しないっ! 可愛げなどあるものか、馬鹿馬鹿しい!」
「はぁ?」
一人で地団駄を踏み出すシュトーリアはうろうろうろうろドア近くを歩き回り、ぺたぺたと頬を触りはじめたかと思えば、赤い顔を抱えてうずくまりうなり出したりと気が散って仕方がない。
「シュトーリア。疲れているならその重々しい鎧を脱いで、肩でも揉んでリラックスしてくると良いですよ。」
「ぬ、ぬぬ脱いで揉むぅ!? なんて破廉恥な…!!」
ミナはきょとんとしながら本を畳みベットに置くと、席を立ち、シュトーリアに着席を促してくる。
「とりあえずここに座ってください。ナツほどではありませんが、私もなかなか上手いと思いますよ。ヒカル様も褒めて下さっているくらいですから。ささ」
「あ、ああ」
シュトーリアは怪訝ながらも銀鉄の甲冑を脱ぎ、レイピアを立てかけると椅子に座った。それだけでも確かに楽だ。レイピアも加えると総重量25キロに及ぶ鎧一式を部分的に高速化してようやく動けるようにしているのだ。あくまで身軽さだけ。魔力で誤魔化している程度なので、相応の反動はどうしても身体に負担がかかる。脱げばエノートを続けることも無いので、精神的にも脱力できるのである。
「すまない、どうかしていた」
両肩に後ろから手を添えられると途端に縮こまるシュトーリアである。子供の頃お説教される時も実はそういう風に肩に手を置かれていた、と言うのはまた別の話である。
窓そばの椅子で、窓に対してやや斜め向き。ふと、首を傾ければ眼下には屋外訓練場の真ん中に灯された警備用の大きな灯火が灼々と見える。
両肩に置かれた手はまだ揉み始めることなく置かれたまま。かつて病弱だった自分にそうしてくれていた母は、もういない。果物やお見舞いに送られてきた身体に優しいものばかり食べていた。立つためには誰かにすがりつかなければ歩けすらしなかったし、用を足すのだって恥ずかしさのあまり援助を拒否するのは、そのまま周りへの迷惑に繋がった。
――もしかしたら、まだそんな弱さの片鱗が自分にはあるのかもしれない。ヒカルはそれを感じ取ってちょっかいを出してくるのかもしれない。
ちら、と肩に添えられた右手を見た。わずかに、わずかにだがところどころ赤黒く変色して、痛々しい。
――ならミナはどうだろうか。自分が知るミナは少なくとも病弱ではない。守られる側ではなく守る立場だ。アルレーの街でも率先して町長の村へ赴き、バウムの保障と町の人間の安全を天秤にかけさせる、脅しもできる強い女性だ。自分にはない強さだと思う。
置かれた手の熱さにほんのり肩が暖まってきたところで、ミナがゆっくり揉みを始めた。最初は指だけで肩の肉を集めるようにほぐし、次第に、手の平全体で押しつぶす。
「どうやら貴方も気疲れしているようですね。私達のいない間にどんなことがありました? …良い機会です、貴方とは色々話してみたかったことですし」
「気疲れ? 私がか?」
「ええ、貴方みたいな真面目な方は表面には出さないですが、うっすらと心の色を身に纏うものです。今だって本心ではベッドに倒れ込みたいのではないですか?」
「否定は、…しない」
手の平の下から押し上げるように肩を持ち上げ、指先で反対側から包み込んで押さえ込む。首筋から肩へ、首筋から肩へと血行を考えて位置を変え、親指が指先がツボを捕らえる度にシュトーリアは眼を細めて声もなくのけぞった。
「…しかし、そんな事よく分かるな。私はミナを見てもよく分からない。鼻と手を怪我しているな、くらいしか」
「………………手のことに気付いたのはナツだけです。良く気付きましたね。鼻はちょっと…殴られたというか」
「女の顔を殴るなど、ろくでもない奴がいるんだな」
「シュトーリアが男女の話を持ち出すのも意外ですよ?」
「なんだそれ、私は女扱いされたくはないが、別に他人を女扱いしたくないというワケじゃない。
何となくだが、今かねてからの疑問が晴れた気がしたよ。…いたたたたっ」
案外――自分やミナは似ているのではないか。こと、疲れとか悩みをなかなか打ち明けないことについて。自分達の悩みや疲れで膨らんでいく風船をちょくちょく針で破裂させていくのがヒカルなのである。強い刺激や感性で煽り、胸の内に貯めさせない。少なくともヒカルに呆れたりしている間は、後ろめたさや心配事の重みがない気がするのだ。
自分は分かった。ならミナは…どうなのだろう?
「あ。あれはヒカルじゃないか?」
「何ですって!!??」
ずざざざざざッッ!!! とミナが肩揉みを放り出して、シュトーリアが指さした窓に張り付く。
「………………すまない、冗談だ。
本当にすまない、つい気になって。そこまで心配してるとは思わな、あいた!?」
魔法書の厚い背表紙でシュトーリアの頭を割らんと涙目で叩くミナだった。
「貴方はっ! 言って良い冗談と、悪い冗談の、区別がっ、付かないのですかっ!? そんな、冗談みたいなッ、性格しといてっ! こんな状況で、へらへら軍人さんごっこっ!? アホですか貴方はっ!?」
ごすっごすっごすっごすっごすっごすっ…。
あまりに危険な音。バウムも血相かえて部屋に飛び込むと、そこには、くすんと涙を袖でぬぐっているミナがいた。ただ、その足下にはシュトーリアが大きなたんこぶを作って気絶していた。
死んでいるかもしれないと思った。
夜も深くなり始めた頃。
「あの…な、ミナ、機嫌を直してくれないか。ヒカルは絶対見つけ出す」
「ほ、んとうですね…? 本当ですね? 命をかけますか? かけますよね? ね?」
えー、と一瞬言葉につまったが、また魔法書を手に取り出すので慌てて『かけるかけるっ!」と言ってしまった。羽交い締めにされている今、シュトーリアの命はこの魔法書の背表紙が握っていると言っても過言ではない。
あのまま寝てしまったのか未だベッドから起きないナツ。はらはらと、またミナが何か起こすんじゃないかと心配していてその傍らに腰掛けていたバウムだった。が、ぽりぽりと耳の後ろを掻くと、のっそり立ち上がって部屋を出て行った。そして椅子に座ったシュトーリアは、まるで酒に酔ったようなミナに後ろから首を腕で抱きしめられている。否、絞められている。
「大丈夫、ヒカルは無事だ。私が保障する。あいつは私より強い。私が今生きているのにあいつが生きていないわけがないだろう」
めちゃくちゃな言い方だったが、今のミナを頷かせるには十分だったらしい。緩んだ腕からすかさず抜け出て鎧を着用したシュトーリアは、身体を冷やすな、と一言残して足早に部屋を出て行った。
「あ…シュトーリア、肘当てを忘れていますよ?」
銀鉄のお椀型のそれを掴み、部屋から涙に赤くなった顔をひょっこり出すが、そこにはもう誰もいない。代わりに違う顔が向こうの角から顔を出してきた。
「あれ、さっきまでシュトーリアがいなかった?」
はっ、としてミナはようやく魔力感知を開始したが、そこに見知ったシュトーリアの魔力数値が、ない。脳裏で各部屋の数値を洗いざらい把握し直しているミナに、
「…ちょっと待ってドアを出た辺りで私、彼女の足音聞こえなくなったわよ? 別に正面の部屋ってワケじゃないんでしょう? あの子の部屋」
ファンナが失礼を承知で向かいのドアを開ける。そこには槍の手入れをしている中年の傭兵の皮鎧の後ろ姿しかなかった。間違えました、といい加減な謝り方でドアを閉める。
「…どういうこと?」
「それは私が聞きたいです…! ッ…、だめです、私の魔力感知では今のところ周囲500ニール(250メートル)は該当する魔力数値がありません! 一体…!」
それはつまり、シュトーリアが半径250メートルの空間そのものから『消えた』ということだ。ファンナの聴力をしてもその足跡はたどれないとすると、
「て、んい?」
転移魔法。
ミナが苦し紛れに出した答えを、ファンナがもしやと額に手を当てながら否定する。
「いや…召喚魔法じゃないかしら、もしかしたら。
私見たのよ、ヒカルが私の知り合いを魔法で召喚して呼び寄せるところ。もしかしたら向こうでシュトーリアが必要になって呼び寄せた、とか」
「人を召喚…!? ああ、ヒカル様ならありえる、かも。
でも、となるとヒカル様に身に、何か…?」
ベッドに入り始めていたバウムを起こすと廊下に連れ出す。遅れてナツ、バウムに続いて瞼を擦りながらヤークが出てくると、
――廊下一帯をピンクの鮮光が走り、満たす。
強力――すぎる魔力だ。バウムが反射的に展開した三色障壁をその放出力のみではぎ取っていく。二スタリアンの寮から極光がふくれだし拡散する。窓からしみ出し、寮の壁という壁を貫いて、魔力光がありとあらゆる夜色を食い殺して球状に伸びていく。港の灯台の明かりすら及ばず、大気までが地面を揺らして地震した。
精緻な魔力運用や計算された魔法陣の美しさの欠片もない大魔力。
その数値、18万を半歩越えて5000――…!!!
「まぶ、しい…!!」
ヤークがバウムに隠れながら呻くも、その光から目を反らせない。
徐々にその桃色の光が白く、廊下にうつぶせになるようにして形をなしていっているからだ。気味が悪いを通り越して、もはや神々しいそれをどうして凡百の人間が見逃せよう。
さながら光の台風、爆発。
星の光が酸素の燃焼ならば、この桃彩はさながら核融合だろう。光の縞を伴い、波を伴い、心臓や大地の脈動に似た光の咆吼が空間ごと陵辱する。
誰もが身に覚えのない魔力の爆発。
ゆえに、魔力を数値化できるミナだけがその主を特定できた。
(ヒカル様…! こ、今度は一体、何を…!?)
数十秒にわたる視界の拷問をへて、光は蛍のような霧散を残して収まっていく。
廊下には、拳大ほどの氷晶を周囲に散らかして、
「シュトーリア…!?」
つい先ほど部屋を出て行ったはずの女剣士は魔力をカラにして、息も荒く、廊下でひざをついて打ちひしがれていた。光が完全に収まると、すぐに苦悶の表情を強めて廊下に倒れ込む。全身を棍で打たれたかのように、操り人形がその糸を失ったかのように受け身も取れず。
「――く、ぐ…!!??」
「い、かん、…召喚劣化か!!」
バウムが駆け寄りその手を取るも、シュトーリアが息切れながらも何やら呟き、そのまま意識を失った。
「……………『魔眼』、ですって?」
ファンナが聞き取り、声に出す。
ミナ達はその言葉を噛みしめるように、倒れたシュトーリアを冷汗混じりに見下ろした――。




