四四話 邪神と涙とギルド終了のお知らせ
―― コロシアムまで後、四日 ――
…エベスザーレの病院は通りの店々に挟まれるようにして朝日を受けていた。
マッシルドの店主達の盛況な声はまだない。朝方の人々がようやくベッドから身体を起こし寝ぼけ眼を擦り始める頃。飲みつぶれた傭兵達が酒場の前で山積みになっていて、路地裏や地下道に生息するモルモット大のネズミ…チフーも夜の仕事を終え、巣に篭もり出す。時間の概念がないこの世界で言うならば『イグナ神の火打ち時』とも言うが、地球的に言うならば午前四時と言ったところである。
遠い港からの潮風が霧を伴いあたりに立ちこめている。天気の具合からも、今日は一日中曇りであろう。
子ミッポ鳥が啼きながら数羽、朝霧を切るようにして白む霧空へ連れ立っていく。夜通し見張りだったバウムは一人腕組み、病院の玄関に背を預けて目で追っていった。目やにをぬぐいつつ――その手のしわの張った肉球を見つめる。
一夜程度では倒れるほどでもないがそれでも若い頃に比べて耄碌しているには違いない。キツネ族の獣人であるバウムだが嗅覚も全盛期よりは衰え、俊敏さも思考に対して物足りない物がある。体格以上に赤ローブを持ち上げるもこもこふさふさの体毛は年がら年中この調子なので、基本的に温暖であるこの地域では…ある意味最寒である今の月が一番彼にとってはすごしやすいのかも知れない。若い頃のぷにぷにさはないこの肉球だが、あのヒカルが暇さえあれば触らせてとすり寄ってきた事もある。
雲のしわを数えるのにも飽きて、ヤークを赤目にした魔法陣を思案し、昨夜帰還したファンナ達との今後の行動についての問題点を探し、衣食住の安全と拠点、盗賊団の次を潰すための戦略案、同時にヒカル達や修行中のシュト-リアと合流することを再確認し、――さすがに一晩もあれば考えることもなくなって、空が白んでくる頃には我が子同然のエマの泣きっ面を思い浮かべた。
「思い込んだら我を嫌でも通す、と言うところは昔からあったか…むぅ、誰に似たのやら」
十才になって半年くらいだったろうか、店のマスコットにとスライムの人形を作りたいから見本に捕ってきてくれとせがんできてそれを叱った時である。泣かれた。泣き寝入ったかと思えば朝にはバウムの寝間着をベッドにびっしり縫い付けて『捕まえてきてくれないならヒゲを蝶結びする』などと脅してくるので泣く泣く草原に出て行った事を思い出す。
ローブの内ポケットから取り出すのは、キツネの人形のキーホルダーであった。エマのお手製であり同時に彼女の店のマスコットである、バウムの面影――。
「ん?」
寄りかかっていたドアの内側からノックが伝わってくる。さすがに睡魔を感じているのか少々気怠げにドアから離れた。
「ん~…! ああ…寮のベッドじゃない朝を迎えるのはホント格別ね!
バウムさんお疲れ。あれからどうだった? 問題はなかった?」
「ふむ、ファンナ殿か。その衣服では肌寒かったのではないかな?」
「ドレスのこと? ああこれ…うーん、私もベッド借りてたし、そうでもなかったわよ。鍛えてるからね」
にっ、と笑いかけながら腰に手を当てるファンナは髪を下ろした金稲のロングヘア。碧玉をそのままはめ込んだような眼色といい、絹で磨き上げられたようなしみ一つない乳肌といい、胸元や二の腕、切れ目のあるドレスが生足を露出させる踊り子のドレスはたとえ獣人であるバウムでさえも彼女の本職を忘れさせてしまうだろう。しかしあくび混じりに背伸びするも隙のない十七才の美少女。肩を回すだけでも艶やかさと気品すら兼ね備え、さらには隙すらない。それもそのはず、ここに至るまで何人の男性を夢中にさせたか分からないそのくびれ腰には、夜の呪いを蓄えた暗殺者のダガーが鞘の中でかちゃりと鳴る。
戦士の名門、二スタリアンの才女にして、大会出場資格を持つ学年第三位。
このキーシクル・マッシルド・ラ・ファンナはどうやら自分達の味方であるらしい…。 手練れ揃いのアーラック盗賊団の団員数人をこの若さで、ダガー一本で瞬殺して見せてきた手前、バウムもその実力に何の疑いもない。しかもそれで特技は弓というのだから正直な話、呆れて物も言えなかったりする。
「そうそう、私ちょっと私寮に普段着取りに行ってくるわ。さすがにいつまでもこのドレス着ててもね」
「はっは、そうであるな。いや言いそびれたが、その流水を象ったようなドレス…不思議とファンナ殿によく似合っている。着る者が間違えば飲み屋の踊り子だがな、いや奇跡的だ」
「はぁ~…そのセリフをもっと若者に言われたかったわ。ちなみに男性陣からの賞賛は全くナシよ。パーティ会場の鼻の下伸ばした貴族達からは何度も声かけられたけれど」
じゃね、と魔力で強化された脚力で屋根に上り、朝靄に消えていく。
ファンナがお気に入りの冒険服…白のノースリーブ、赤褐色の鎧スカートの姿で帰ってきた時、ミナ達は朝食にと屋台前に並べられたテーブルの一つを囲んでいた。
「ま、おふぁおうほはいはふ!」
青銀髪のショートカットの少女がファンナを見つけて眼をきらきらさせてくる。その後、服を褒めたのだろう『似合ってまふ』と言いかけて咳き込んだ。
「ナツちゃんおはよ。あ、マッツハムじゃない! 煮汁がね、くぅう…♪ 私も買ってこよ」
悶えるように言って、マッツハムを赤い顔して急いで嚥下するナツの隣では、ミナとバウムが今後の作戦を話し合っていた。ミナは咳き込むナツにナツナジュースを苦笑いしながら手渡し、
「まずは、エマちゃんですか……」
「すまぬ。誠に申し訳ない。わしがもう少しあの子に気にかけておれば…」
その二人から避けるようにして俯き、もそもそとパンをかじっているのはヤークだ。自分が会話に混じっても無意味だと割り切っているのだろう、元よりナツはミナ達の会話に入り込む余地はない。ファンナが来た時無理して明るく迎えたのも、少しでもヤークの落ち込んだ雰囲気を払拭したかったからだ。
「……ファンナさんもいるし、大丈夫だよ、ヤーク君。すぐに見つかるって」
「でもさ…俺、何でだろ。こんな時にエマ姉ちゃんを責めるような言い方してしまうなんて」
昨夜、ナツは夜起きて…一人でぼそぼそ病室前の廊下でうずくまっていたヤークを見つけ、話をしていたのだった。ナツが起きる前にミナ達が事情聴取していたのだが、その内容にヤークの懺悔を含め、ナツは噛みしめた。全く責めないナツに、ヤークも心を許したようである。
「今日はヤーク君の服を買おうよ、さすがにそのお人形さんみたいな服はちょっとね。男の子だからもっとサバサバした感じにしたいんだ。私が選んで良い? ……………あ、そう言えばエベスザーレ先生に呼ばれてたんだった…ごめん」
「うんいいよ…でも、そんな暇なんて…」
「だめだめだめ! あむっ…そんな態度、ヒカル様がならデコピンしてるところだよ。姉様達すごいんだから。
あ、姉様、今日これからギルドに頼みにいくんでしょう?」
「…ええ、とりあえずヒカル様とエマちゃんについては各一万シシリーのランク制限なしで依頼するつもりですよ。貯蓄が不安になるので、ついでに私とバウム氏をギルド登録します。ファンナさんがBランクでしたのでそれなりの依頼が受けられると思いますが…………え"?」
「――プラス、5000でシュト-リアを確保、ね」
と、マッツハムの山が言った。
「何、これ…」
…じゃなかった、両手でマッツハムを抱えてきたファンナが、である。あんぐりとするミナ達を置いてけぼりにしてどさりとテーブル大半を占領するファンナ。
「私もお小遣い使い切っちゃったわ。あー、しまったなぁ…こんな事なら調子に乗ってあんなドレス買うんじゃなかったわ…」
「……わわ、これ私達が食べてるの何かより高級のじゃないですかファンナお姉ちゃん! あの『養殖モホモス最高級一枚肉を二段重ねで!!』って銘打ってる奴ですよね!?
か、買いすぎ…!!」
「ん? 別に買い過ぎじゃないわよ、私昨日の夜から食べてなかったし、今日は何だか食い溜めしとかないといけない感じだし…あーむ。
…!
……!!!
ぅっ…うっ、うっ…これこれ!! これよ…!!」
そういう意味で言ったんじゃないです、とげんなりするナツをよそにミナは苦笑し、自分もナツナジュースで喉を潤すのだった。
ギルドにて。
大会四日前ともなって上位20位のオッズ番付が入口に掲示されていて、その前でファンナが怒り狂っていた。
「あ"ーっ!! 何よ、それ!! 普通地元応援するでしょ!? なんでマグダウェルなんて冴えない名前した魔法バカが私より上なのよー!? …チッ! ……チッ!!!」
ちゃっかり五位だったりする自分の事は棚に上げといてこれである。みしみしと厚い板に食い込む指にヤークと抱き合って震え上がるナツ。悔しがる顔すらライオンが餌を横取りしたジャッカルの群れを忌々しく見つめるそれに見えたのだった。ファンナを知る傭兵達も機嫌を損ねないよう遠巻きにしている。
「おっ、ヒカル様のお連れじゃない」
「あーっ、ギリリーさんにアグネさんにティンさん! お久しぶりです! いきなりなんですけどごめんなさい、この人をオッズ番付から剝がしてくださいぃいい…!」
――閑話休題。
「えーと、依頼でこちらに?」
こいつら誰、という遠慮ないジト目(多分まだ番付を根に持っているのだろう)を向けるファンナを物ともせずに快活に笑う鎖帷子に紫ボレロを羽織ったけばけばしい妙齢の女性…鉄球のアグネはばしばしとナツの肩を叩いた。
「あたしらがそんな理由でマッシルドに来るかい。ヒカル様やシュト-リアちゃんも狙ってるでしょ、コロシアム。あたしらみたいなそれなりに腕に覚えがある傭兵にとっちゃ一年に一回の楽しみって事よ! まぁさすがにティンは無理だけどねー、この子弓使いだし、狩り向きだから。だろ?」
ぬっと顔を近づけられて小動物のように飛び上がるナツ。心の中で「化粧濃ゆっ」とツッコミを入れたのはナイショである。とてもじゃないけど言えない。
アグネの隣で、茶髪を後ろで束ねた…アグネの紹介通り狩猟者然としたティンが「怖がってる怖がってる」と相棒の肩を叩いて笑った。すいやせんね、とすっかりアグネの女房役のギリリーが二人に代わって会釈す――、
「ってファンナちゃんじゃねぇか!!? お前さん、ヒカル様のお連れだったのか!?」
「あらら、ギリリーさんにアグネ姐さん! その節はお世話になりました。どうですか調子は。こっちはシュト-リアづてで面倒ごとに巻き込まれ――じゃなかった、何だかこのパーティが面白げなので同行してるんですが」
「個人で動くと傭兵狩りに間違われるからねぇ…特に西門が酷い。一時期無法地帯になってたから西部のギルド主導で傭兵統制を行なってきたばかりさ。あたし達も参加してきたから実情はよく知ってる。民家十数件が半壊、営業停止に追い込まれた店舗二一軒。死亡者7名、重軽傷合わせて34名。…いくら広大なマッシルドとはいえ無害な人間の死傷者ごと信用に関わる。それに朝昼夜問わず襲われてちゃいくら慣れてるギルドの連中だって我慢もすえかねないって奴だろ。今だって、大事にならないように西部の特使としてここに来たのさ」
当事者が知らないと言うことは良くある。傭兵であるファンナだからこそ、最近はオークションやヒカル達のことにかまけて街の状況を把握するのをすっかり忘れていたのである。アグネの苦み走った顔に、
「………何かあったんです? 傭兵統制なんてお役所ごと、ギルド協会のお膝元でするでしょうか。ただでさえ三国条約で睨み合いになってるのに、こんな時期に傭兵三項の例外を施行するなんて」
「あたしらみたいな下働きにわかるわけないでしょうが。ファンナちゃん地元でしょ。なんか思いつかないわけ?」
「生憎学校で缶詰になってましたからね…。でも……………役員会で満場一致の決議を通らないと…………あのタヌキ親父、こんな大事なこと、私に黙ってたわね…!? どこまで信用ないんだか…!!」
「大会が近いから要人警護にぴりぴりしてるんだろうねぇ。運営委員会の警備員じゃ傭兵は実力じゃぁ止められないし、ってところ。
……くっ…噂をすれば、か」
アグネが睨む先の人通りで、ざわめきが起こり始めた。同時に、徐々にざわめきは近づいている。ファンナの聴力がその尖先を捕らえ、アグネと顔を見合わせる。
(な、何これ…まるで従軍のような、足音――…)
人並みが、文句や野次を飛ばしながら割れる。
何だ何だと集まり来る野次馬は押しのけられ、多国籍の兵士の服に不穏な空気を感じた人間が詰め寄るが、実力で黙らされる光景。兵士、兵士、上官の叱声。
「な――ッ…!?」
マッシルドは広大だ。ラグナクルト大陸の玄関であり、最大の商業都市。同時にギルド協会と連携して、半国家的な姿勢をとっている一種の治外法権。いうならば無国家でありながら他国と対等に渡り合う自治を持ち、あらゆる国家の侵略を受け付けないのが大天街マッシルドなのである。
さながら、自国の誰すらもが知らなかった戦争の、祝勝パレード。
これは一体何? という疑問が、帯剣し銀プレートに身を包んだ、兵士達の無表情な列歩に阻まれる。面がT字に空いただけのフルフェイスヘルムの額には金メッキの――三本剣が不敵に輝いている。
「…あちゃぁ…」
「あちゃぁ、じゃないですアグネ姐さん! これは一体…!」
「…不穏だな。おいアグネ、俺達は面が割れてるから…」
ギリリーが目を行軍に向けながらアグネに耳打ちする。頷くアグネは目配せしてティンを町中に紛れ込ませた。気配の消し方も、見ているファンナが思わず目を見張るレベルである。狩猟者とはよく言ったものだ、と薄ら笑みを浮かべ、
「良い腕ね」
「でしょう。暗殺ではあの子に良く助けられてるわ。最近は彼女向きでない慣れない仕事ばかりなんだけどね」
ナツはいない。軍が現われた時点で酒場に入りミナ達に知らせに行ったからだ。
行軍の先頭がファンナ達の十メートル目前といったところでミナを先頭に慌ただしく登場する。
「何という…――ファンナさん、状況を…!」
その脇を抜けるようにしてギルドの受付の人も一緒に、営業スマイルのなくなった険しい顔つきで誰よりも軍に向かっていく。それを、ファンナで制した。
「エベレンさん、ちょっとこのアグネさんがお話があるって。西部ギルドからの特使」
「ファンファン、…いえその前に、これは」
「関係あることだから。個々の責任者は貴方なんだから、ギルドと街の自治の代弁をしなければならないのは貴方よ。私達にはたとえ分隊だってさえ軍を動かす影響力は、ない。
あとファンファンは今は止めて」
無印薄茶軍服の女性、エベレンが促されてアグネに話を聞き出す。ファンナは自分の説明を待っているらしいミナの傍らに立った。
「…厄介なことになりそうなの。まぁ武装解除はされないでしょうけど、もし何かが理由で戦闘になったらこれ使って」
服の下は包帯で巻かれている病み上がりのミナに、戦うな、と言わないほどに状況は切羽詰まっているらしい。マッシルドに詳しいはずのファンナにさえ暗に想定外と言わしめる突然の軍の登場。――ファンナがミナだけに見えるようにその手に赤い宝石のネックレスを手渡す。
「ヒカルからのお土産よ。渡すのすっかり忘れちゃってた。彼が言うには貴方にうってつけだって」
「…ヒカル様が?」
「ミナってば機能性ばかりで恐ろしいほど見た目に女っ気ないからでしょ。多少実用が入ったとしてもこれくらいのお洒落、してもいいと思う。こんな状況だけど私のことはファンナって呼んで。私の方もミナって呼ぶから。…名前、短い方が指示出しやすいでしょ」
きょとんとするミナにウインクしてみせるファンナ。
「そうですね、ではファンナと。
ファンナ、で、これは…」
ネックレスをポケットにしまいながら再び軍に目を向け出すミナ。ナツが不安げに背に隠れるようにしてすがり、
「まぁ、今そこでギルドの代表が話しつけに言ってるから、聞き耳立ててると分かるわ。実は私の方もよく分かってないし。臨機応変に、ね」
『――…話はそちらの西部の特使の方から窺いました。私は、マッシルド依頼請負サービス、マッシルド東部所属、ティナ・アルレー・ラ・エベレンと申します。
この地区の治世も私の担当内ですので代表してお話を伺います。このような場所で迎謁いたしますことをご容赦下さい』
『全隊、止まれッッ…!
――…こちらこそいきなりの行軍誠に申し訳ない。先ほどマッシルド運営委員会より決定した令書をお持ちした。――こちらだ。すぐに目を通していただきたい。我々はこれよりマッシルド運営委員会の決定よりこの町の警備に入る。
申し遅れた。私はラクソン公爵より警備の命を受けたダヌゥ・マキシベー・ラ・ルダン。私以下後ろの八八名のマキシベー軍がギルドに代わって大会終了までこの町の警備に協力する』
『お待ち下さい。上を命令だとしても、あらゆる運営委員会の決定は、それぞれの地区所属ギルド代表の裁定なくして施行されません。それまでは、他国兵…マキシベー王国の専行は三国条約の違反と見なしますがよろしいですか?』
タンバニーク王国やエストラント真法国、アストロニア王朝を敵に回すが良いのか、と言う意味だ。マキシベーは国とはいえ小国、その三国の一つをとっても強大であるのに、それを一挙に相手にして事を構えられるわけがない。相変わらずエグいな、とファンナも思わず毒づくほどである。あまりのストレートさにルダンも思わず眉を細めるほどだ。
『ぬぅ…了解した。滑らかなる裁定をお願いしたい。何せ、一分一秒と早い町民の身の安全が不可欠だ、との運営委員会からの仰せだ。私達は民意に応え、それを実現する義務がある』
『では【一分一秒と早い町民の身の安全が不可欠だ】、この発言の一字一句確認を運営委員会に取りますがよろしいですか。わずかでも虚偽であるならば命令誇張行為として今後等委員会より制限を受けるかも知れませんが?』
『訂正する。発言ではなく、この民の安全を思いやった決定の真意を汲んだ上での表現だ。誤解を誘ったのならば謝罪しよう。必要ならば令書を届けさせても構わない』
『…以後、気をつけるようにお願いします。
……………』
町の往来が、代表する隊長とギルドの係員二人に固唾を飲むほどに注目していた。誰も口を開かない、妙な静けさが不穏を煽る。
エベレンの視線が受け取った書面を走る。傭兵達、町民の敵意にも動じない兵士達、その圧力ある静けさの中で、エベレンのぶつぶつという呟きだけが場を支配した。子供がもし一人でもこの場にいたならば泣き出してもおかしくない。
『おお、ミナ達じゃないか! すまないルダン、そこにいる彼らは私の友人なんだ。この場を収めるためにも個人的に話をしたい』
え、と誰かが開口する。
それもそのはず、場に全く似合わないほどの友好に溢れた声質が兵士達の中から聞こえたからだ。
中から出てくる鎧の女性。
彼女に道を空ける、兵士達の尊意のこもった慌てた声がそれに続く。
容姿、物腰ともに兵士達の中でも文字通り群を抜くだろう。
先ほどの行軍の威圧感さえ、もしかするとこの少女の、犯罪を抑止しようという剣気であったかのように、緊張が、ふっ、と解ける。
ウェーブかかった黒髪、実直な眉に繊細な顔の輪郭。歴戦を思わせる傷に摩耗した銀鉄の鎧。腰の風の加護に鞘の中で微光するレイピアを揺らして――ミナ達に笑いかけた。
「しゅ、シュト-リア!? なぜそこに…!」
「ああ、まぁくわしくはそこの令書通りだ。やりにくいとは思うが、これも民の安全のためとなれば協力せねばなるまい。はっはっは、なに、これも騎士のつとめだ。
しかし…なんだなんだ、ミナ達だけかと思ったらファンナに…マサドの傭兵達も一緒じゃないか。所でヒカルはどこだ? どうせあいつを納得させないとミナ達も聞かないだろう」
「あ、なた、ねぇ…」
「人の顔を見るなり溜め息なんて、人が悪いなファンナ。
な、なんだみんなっ!?、そんな珍獣を見るような目で…」
「いや、もう前から思ってたけど珍獣だわ貴方」
ミナ達の総意をファンナが漏らし、シュト-リアは意味が分からず挙動不審に赤面する。
崩れていく体裁に、兵士の中から『よく見たらあの赤いスカートの子と後ろの青髪の二人可愛くないか?』と誰かが言い、厳めしく顔を引き締めたルダンが大きく咳払いをした。
「コホンコホン! ………あー、シュト-リアさん、我らにもですな、メンツという物がありますぞ」
「いやすまない、ルダン。このところ離れていたので声も弾んでしまった。許せ」
「次からは…まぁ、気をつけていただきたい。所で彼らも腕は立つのか?」
「ああ。そこの傭兵はB級だし、後ろの獣人と女性三名も人格実力とも保障しよう。一人は二スタリアンだぞ」
「おお! それは心強い…! だが…ラクソン公はシュト-リア殿のみをご指定だ。軍規を乱したくないのだろうからな。分かってくれ。」
半分連行されるような雰囲気でミナ達は軍の最後列を歩いていた。連行されてる風情なのは主にシュト-リアである。肩肘狭さに、皆のジト目に耐えかねてか隣を歩くミナに言った。
「な、んだ…確かに一人で話を進めたのは悪いと思っている。驚かしてしまったようなのも侘びよう。だが…」
「そうではありませんシュト-リア。貴方はどうして『自分のワガママでパーティから外れ』修行をしているはずなのに、マキシベーの軍人とお友だちになって軍人面しているのか、です」
アーラック盗賊団やらゼファンディアの生徒やら、はてにはヒカルの偽物にまで襲われるミナは鬱憤を晴らす相手がようやく見つかったとばかりにシュト-リアを責めるのだった。言われてたじろいでは叱られた子供のようにぼそ、ぼそ、と言い訳し出すのである。
「ううぅっ、それはその、騎士として断り切れなくてだな…。
なんだ、ミナは軍人が嫌いなのか? 軍人だって話せば分かる奴らなんだぞ?」
シュト-リアが全くミナの言いたいことを分かってない姿にファンナも嘆息する。ナツとはすっかり肩の荷を下ろしたように明るく、アグネとギリリーにマサドからの道中の話を聞いている。その後ろでバウムと、手をつないでヤークが続いている。
「今度ヒカル様にお仕置きしてもらいましょう」
「え、ええええええええええええええええ!!??」
「穴姉妹というのも悪くありませんね。貴方みたいな人の良さの塊には手綱を持つ人間が必要のようです」
「あ、あな姉妹…だなんて!
ば、バカだなミナ! そんな事往来で――…!」
「シュト-リア、興奮しないで下さい。大声出して周りに聞かせているのは貴方だけです。ほら、貴方のファンのマキシベー兵も聞き耳を立ててますよ」
ミナの言葉に、ビククッ!! と背筋を伸ばす兵士達の姿は無意味に壮観だった。
(い、今穴姉妹って聞こえたよな…?)
(うそ、え、まさかシュトちゃんみたいな真面目な子に限って貫通済みなんてありえない)
(あの可憐なシュト-リアさんが穴姉妹ッ…!? 嘘だぁああ…!!)
(も、萌え…ぇ)
(青髪の小さい方、俺、すごいタイプ)
(やべぇよ、やっぱり美人の友達は美人なんだな…! ルダンさん最高っす!)
(お、おら、あの赤いスカートの子に踏まれたい…)
「(は、はははは、そうか………………ミナとはそう言う仲なんだよな、そういえば。この胸の不思議なまでの親近感はそれか…)」
悟ったようなちょっぴり物悲しい表情で空を仰ぐシュト-リアだった。
「ん? 何か言いましたかシュト-リア?」
「い、いやなんでも、何でもないぞ!? 私は騎士だから、自制など自分で出来る…だから、そのわざわざヒカルに言う必要はないっ。
…む、何だファンナ?」
さっきまでとはうって変わって、良い獲物を見つけたとばかりの肉食の笑みで二人の間に入り顔を寄せる。
「へぇ~…貴方達、清純そうな顔してヒカルの穴姉妹だったんだ?」
「「「「「「「なっ…!!!???」」」」」」」
「あ――…ッ、い、いえっ、違いますファンナ、言葉のあや、です…っ」
「そ、そうだぞ、あいつは確かにふしだらな奴だが、私達までそう言うってワケじゃない! 勘違いしないでくれ!!」
「なんだ違うの?」
ていていていていていてい、と二人して赤い顔で肘でファンナを後ろにやろうとする様なんかまさに息があった姉妹のようなのだが、そんな事にも全く気付かない二人である。
(うっそ貫通済み確定…!!??)
(勝ち組がいる勝ち組がいる勝ち組がいる勝ち組がいる勝ち組がいる勝ち組が)
(ヒカルか…あの黒髪の奴だな。俺あいつの入街審査の時に見たわ。顔も覚えてる)
(よし、似顔絵をかけ)
(背の高さは? 服装は?)
(帯剣の有無は? 戦闘になるかも知れん)
(俺二スタリアンに友達いるから暗殺依頼する)
(あ、そいつの爪の垢残しといてくれ。俺飲むから)
コホンコホン! と先頭のルダンが咳払いをして水を打ったように静まりかえる。
現金な物である。
シュト-リアもわざとらしく赤面を誤魔化すように咳払いをして、
「ま、まぁいい…とにかく令書について再確認するぞ。
今回、マッシルド運営委員会の方でギルド協会、各国要人警護の代表とともに警備強化を提唱された。実際は他国の口添えだろうが。集まり来る要人はいずれも名のある貴族王族ばかりだ。万が一にも傷害が加わればマッシルドの名前はおろか、『マッシルドの公正商業のための三国不干渉』…通称三国条約に亀裂が入りかねん。
そんな中、各地で傭兵狩りや傭兵同士の決闘で民に被害が出ている。私も取り抑えを手伝ったが、錯乱、幻術、果てには禁呪を受けた物がいた。民に死傷者を出したほとんどがそれだった事は機密として伏せられているがな。
当初からアーラック盗賊団への警備として、マキシベー王国のラクソン公が好意で警備に当たっていてな。おそらく彼が運営委員会に掛け合ったのだと思うが――、まぁ成り行き上仕方がないだろう。個々で動く傭兵より、規律と組織力のある軍人の方が警備に向くとな。よって、もうすぐアストロニア兵、イグナ教団の僧兵、エストラント王国騎士団が他にも来て街を警護することになる。巡回中の真法騎士団は相変わらず私達とは別に動くようだ」
「つまり、傭兵活動はしばらく中止って事かい」
ギリリーが言うと、シュト-リアは無言で頷く。
「そうだ。まぁ一週間だけだが、しばらくの間は帯剣ですら規制するらしい。それまでギルドに登録している傭兵は二スタリアンの寮に臨時的に収容される」
「はぁ!? うちの寮を使う気!?」
「…私に怒らないでくれファンナ。困る。
要するに、つまりギルドの登録外の不審な奴はしらみつぶしにすると言うことで間違いないだろう」
「要人警護の名の下では、三国不干渉の条約など名前だけですね」
ミナがまたもや毒づくが、アグネが笑って言う。
「まぁそうなるだろうねぇ、今のギルドは上層部が粘着質だからお偉いさん相手に敏感になるのは分かるわ。無理を通して道理を引っ込ませちまう」
「なんだ、じゃあアグネ、俺達は二スタリアンの寮に向かってるって事でいいのか?」
「はぁ…まぁ、そうなるな。ギリリーさん」
シュト-リアが代わりに応える。彼女の後ろでは、せっかく鳥かごから飛び出したというのにまた押し込められる悲哀にファンナがうな垂れていた。
「はぁ!? 課外授業と称して一週間街に!?」
マッシルドの顔とも言えるゼーフェの水杯宮を通り、街に寄り添うようにして、森。
ファンナは校門前に近づいた途端、列から抜けて、慣れ親しみすぎている校舎へ走った。それで事務室に飛び込んだ矢先、告げられたのはその『課外授業』である。
『実践授業として、街で一週間生活すること。その間の衣食住は自分で確保すること。金銭は1000シシリー支給する』
なんでも体育館に各自の私品はすでに纏められてあるらしく、それぞれの部屋はもうもぬけの殻らしい。文句を言うものなどいるはずがない。コロシアム出場権だって、この学校が学校外へ出してくれない体制への唯一の出口であるから皆必死だったのである。臨時的に傭兵に住まわせることについてとやかく言えば、逆に周りから袋だたきにされるくらいだ。
実質、タナボタで一週間祭りの街で遊び放題。
「わ、私の努力は一体…!!」
「あー、言いにくいんだがファンナ君、コロシアム優勝候補にもなってるだろう? 目をつけられちゃってるから…」
「わ、私まだ五日しか外にいなかったのよ――っっっっ!!!!!?????」
ぶわっ、と、泣いた。