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四三話 邪神の仲間の錯綜劇

 ――倒れたミナお姉さんを病院に連れて行く時も、ヤークは私の手を握っていた。私も握り替えしていた。夜か、昼であるかなんて関係ない。どっちにしろ私には見えないのだから。そこが人ごみであるならばあのヒカルにだって、私はすがらなくてはならない。


「やっぱり…だめだ、嬉しくて笑っちゃうよ」


 ヤークの声が耳にこそばゆい。

 …人ごみは、いつものようにミヨルにまかせていればいいものを。でもこうやってヤークに手を引いてもらっていたかった。ずっと、ずっと弟みたいに思っていたこの子はこの闇の中ではその手の大きさがよく分かる。手の平の熱が懐かしい、と思う。まぁ、まだ私と同じくらいだけど――でも、なぜか私の方が冷たく感じた。


「あのヒカルって人にも感謝しないと…。よく考えると奇跡みたいな確率だもん。俺さ、………ぅくッ!!!???」


 突然ヤークが隣で咳き込み出す。私は何か病気でもしたんじゃないかと慌てて手を伝って背中をさすった。


「お爺ちゃん! ヤークが…」


 前方に投げかける。さっきまでヤークを連れてきてくれたお姉さんとお爺ちゃんの相談声が聞こえたからそこにいるはず。

 お爺ちゃんが驚いてこちらに来る。が、触れるまでもなく、女の声がそれを無駄だと制した。


「んー? あ、ブクオ。あの空間の変な匂い思い出せる? 要するに『口には出せない』の。そういう呪いがかかってるんだと思って」


「…………………………うん…、あの濃い、甘い薬みたいな匂い?」


「ふぁ、ファンナ殿、呪いというのは…!」


「バウムさん、黙秘の香ってご存じかしら。まぁこの子はそういう空間にいたってだけ。私達が潜入したのもそこ。だから言えないけど、まぁ害はないんじゃない? 私も大丈夫みたいだし。別に依存性もないしね。しいて言うならいちいち首が絞まって鬱陶しいってことかな」


「首…じゃあ首が絞まったの…!? ヤーク!?」


「そんな…! そんな、間違えれば死んじゃうかもしれない事を『鬱陶しい』だけ!? す、すぐに解毒しないと…!!!


「うん…よく分からないけど。もう、大丈夫だよ…びっくりした」


「だめっっ! お医者さんもいるみたいだから、ヤークもちゃんと…!」


「無駄よ」


 なぜか歯切れ悪いヤークを遮るように、また女の人が声を差し込んでくる。聞き分けの悪い子供に説教を始める母親のような嘆息混じりの声に、私は我慢ならなかった。


「無駄って…でも、でもでもこれから治るまで……も、もしかしたら一生このままかも知れないんですよ!? そんなの危ないじゃないですか、だって身体が弱ってるときとか、老人になったりとかしたときにこんな風に苦しんだら、命にだって…」


「じゃあ、言わなければいいじゃない。考えなければいいじゃない」


 というか、身体に不具合があるのに放っておくなんて普通おかしいだろう。なのにこの女の人は平然としている。いや…受け入れている。


「そうねーなんて言えばいいのかしら…バウムさん、この子達には状況はきちんと話してるの? あ、まだなの? あぶないわね、いくら子供だからって自分達を殺そうとしてる相手のことくらいしっかり言い聞かせとかないと。見た感じ、もう15、6でしょ? 私の弟分はもう、たとえ野試合で命をやりとりすることだって覚悟出来てるわよ。…ま、いいわ。えーと…貴方、名前は?」


 エマです、と答えを急かすように言う。女の人はそのままナツや、ミナお姉さんの名前を聞いてくる。全員を終えた後、最後に「私はファンナよ。まぁ覚えておいて損はないから」と紹介を絞めた。何となく、この人仕切り気質なんじゃないかなと思った。


「自己紹介も終わったところで…エマの話に戻しましょう。まず最初に言っておくことは、貴方達がケンカを売った奴ら…もしくは一方的に狙われてるだけかも知れないってこと。それでも……まぁイジメみたいに虐められる方も悪いって言葉もあるくらいだから、貴方達に責任が全くないとは私も言えない。だって、君子危うきに近寄らず。助かったのならこのまま雲隠れする方法でも考えるのが普通でしょ」


 でも貴方達はそうじゃない、とまるで呆れているかのような上から目線の物言いである。


「――のこのこ敵の主力が集中しているここにやってきていること。まずこれがいただけない。確かにヒカルがいれば余程のことがない限り貴方達に危険はないだろうけど、それでも狙われていることには変わりない。ヒカルだって万能じゃないわ、いつどんな隙を狙ってくるか私だって絞りきれないし。ふん…何より、あの男結構あれで隙だらけだしね。

 …それに、貴方達、どこに逃げても無駄みたい。

 こんな大通りに堂々とアーラック盗賊団が現われてるのよ? これは明らかな掃討行為。しびれを切らしたと言うより、自分達の正体を明かしてでもこの場で始末してしまったほうがいいと言うあいつ等の本心とも言うべき行動よ。しかもご丁寧に格好まで変装もなしの盗賊団まんま。これはもうある意味この町一帯の対盗賊団警備、及びアーラックに怯える貴族達、ギルド協会への宣戦布告と見てもいい。貴方達はね、お祭り前の最初の生け贄として選ばれたのよ、面倒臭いことに」


「むぅ…」


 お爺ちゃんが、呻く。反論や補足の余地もないのだろう、今ファンナお姉さんが言ったことが全てだと言わずして物語っているようなものだ。だとしたら――、


「私達、どうなるんですか…っ」


 ナツが全員の言葉を代弁するように言った。


「…それは私が決定する事じゃないわ、このミナって子が起きたら話し合いなさい。

 でも、言えることはあるわ。

 奴らの手先に二スタリアンの卒業生がいた。私が相手した奴はそうでもなかったけど、それでも危険な事に変わりはない。武に関しては専門的な知識がある分向こうが一枚上手だと言うことね。

 そして、同時に二スタリアン生、ギルド協会や個々の傭兵、貴族達…この分だと真法騎士団もね、とにかく周りが全く信用できないと言うこと。誰がどう繋がってるか、もうわからないのよ。この人だから大丈夫、っていうのはもう成り立たないってわけ。これらから出る結論、分かる?」


 ファンナお姉さんは、あくまで決定権はこちらにゆだねておきながら皆に言い聞かせるように言うのだった。たぶん、どのみち話し合ったところでその結論に達すると分かっているからに違いない。


「分、からないです…っ」


 だめだ、私、耐えられない…っ!


「ふぅん?」


「そんなの…っ、あ、危ないにきまってるもん……!! また、また…こんな目に合うかもって事でしょっ!? 怖いよ、今度は何されるか、もう考えたくもない…!

 何でよっ…私、私達何も悪いことしてないのになんでこんな風に殺されるかもしれないって話しないといけないの………!!!!」


 ヤークの手を振り払ってうずくまった。耳も押さえてしまえばもう何も私に干渉できない。もう何もかもがイヤで、怖くて物々しくて、私を置いて勝手に進んでいく…!!


「自業自得じゃない? 私の知った事じゃないわ」


「これ以上…これ以上何を奪われればいいの!? 私の! 家族同然だった町のみんなと生活を奪っておいて、私を…私をこんな風にしといて…っ、…勝手、勝手すぎるよ、滅茶苦茶だよ!!」


 叫んでいるとアフタの恐怖が蘇ってきた。

 叫び声に朝起きると、窓外で八百屋のおじさんが殺されていた。パン屋のおばさんらしき首なし死体が包丁を股間から生やして絶命していた。もうダメだと思った。逃げようと通りを覗けば、私のお人形屋を贔屓にしてくれた女友達が髪を掴まれ泣き叫び組み伏せられていた。ヤークに良く懐いていた向かいの三兄弟が仲良く一本の剣に貫かれて私に助けてと訴えた。さらわれていく娘を追いすがり袈裟切りにされて崩れ落ちる夫婦。焼ける匂い、生の血の匂い、露出した内臓が液という液を地面一杯にばらまいて、その中でその地面に顔を押しつけられるようにして犯されている親友――、

 忘れられるわけ、ない。自分も同じように女として大切な物は奪われた。刻みこまれた。今でもこの目の空洞が不安で、男性器をねじり込まれて頭を貫かれる夢を何度も見る。


「……………………………………だから?」


「だから、って何っ!? 」


 この人は分かってない、何だか強いらしいけど、全員が強いとは限らない! あの…私を奴隷とか言った滅茶苦茶な男もいない…嫌いだけど、…だけど、あの人は強いから。


「エマちゃん、お、落ち着いて…」


 肩に触れたナツの手を反射的に振り払う。


「別に良いけど。なら貴方が無事だなーって思うところに逃げ込めば? 貴方の運命に私達まで巻き込まれちゃ困るわ、死にたくないもの。

 何だか勘違いしてるけど、言っとくわ。私達の敵は、そんな甘っちょろい相手じゃないの。

 さっき話した黙秘の香だって、未だ解毒が成されていない非常に禁制な代物よ。これに関しては手の打ちようがないの。ちなみにものすごく珍しい物でもあって、そんな物を大量購入できる財力があるという証明にもなるわね」

 武でも財力でも。私達みたいな少数が機を合わせてぶつかったとしてどうにかなる相手じゃない。相手はその気になれば一国だって脅せるネットワークを持っているんだから。

 私達には攻めか守りかしかないのよ。けれど数差が圧倒的すぎる。おそらく一回でもまともにかち合えば私達程度ひとたまりもない。守っても無駄ね。

 ――ならば攻めるしかない。私達に残されているのは敵の蜥蜴のしっぽや腕、足、毒を切り抜けて頭を切ってしまうこと。相手に攻めを一切許さず、窮鼠が猫を一噛みで黙らせるにはそれしかない」


 いくわよ、とファンナお姉さんは有無を言わさず先に歩いていく。


「…………ぅ」


 私には、ついていくしか選択肢がなかった。







 しばらくして病院に到着する。奇しくもマッシルドに来た時に私を治療してくれた病院を使うことになったらしい。私の義眼を頼んでいるんだとかで、診断結果を待っているところである。義眼…やっぱり簡単にできる物じゃないみたいだ。


「へー、エベスザーレさん使ってるんだ? よくもまぁあのいい加減な人を…………あ、そっか、ヒカルがお金持ちだし大丈夫…かな?」


 病院の中に押し込まれるようにして私達。あの女医さんはファンナお姉さんの知り合いらしい。そのまま、呟くと、用事があるから、とどこかに行ってしまった。

 お爺ちゃんとナツさんはミナお姉さんの治療に同席していて、私とヤークは邪魔になるだけと思ったので廊下に出ていた。ヤークに聞くと、もうそろそろ夕方だという。


「あれから、アフタから…どうだったの?」


 壁に背を預けていた私に、ヤークが声をかけてくる。さっきまで会話がなかったのは、私が取り乱してしまった事への遠慮だろう。そっとしておいてくれたに違いない。


「………うん、私倒れてたから知らないんだけど、アフタはもうだめだって。ボロボロでもう町じゃなくなってるみたい。そのままアルレーの町で治療してもらって。

 こんな包帯してるから分からないけどさ、私目がないんだ。両目とも。自分でほじくって傷つけちゃった。あの時は痛いとか、気持ち悪いとかもうどうでも良かったから」


「…目を…?」


「うん、だから義眼作ってもらってるんだミナさんやお爺ちゃんはいいって言ってるけど、…こんな時にも私、迷惑かけて…」


 慰めて欲しかったわけでもないし、怒ってもらいたかったわけでもない。

 ただ話したかった。誰かに言いたかったんだ。何も知らないヤークだからこそ、私の言葉で、私の有様を伝えたかった。同時に、汚されたことを知られたくなかった。ファンナお姉さんに反発するときに口から零れたのに気付かれるのがイヤで。

頷いていてくれれば…それで良かった…。


「エマ姉ちゃん、変わったね」


「え?」


「今はしょうがないと思う。散々だったものね。でも…わからないけど、でもさ、でもさ…俺の知るエマ姉ちゃんは、もっと、しっかりしてた。ファンナ姉ちゃんは正しいよ、俺でも分かる。俺の知ってるエマ姉ちゃんは俺のこととか爺ちゃんのこと考えて絶対反発してた。危険な目に合わせたくないって言うと思った。…でも、言ったのは自分の事ばかり。あんな風にやけっぱちな言い方しかしてなかった。…だから、ちょっと悲しかった」


 身内の恥は自分の恥というかのように、ヤークが言う。


「目がないからって…現実から目を背けるのはなしだからね、エマ姉ちゃん。

 迷惑かけたなら、恩返ししようよ。人形屋やってるときだってそうだったじゃない。いつも金欠になってたでしょ? 少なくとも、俺の知ってるエマ姉ちゃんは恩返しの方法考えるはずだよ。自分を拾ってくれた爺ちゃんを獣人でもアフタの町に認められるように奔走したでしょ? 村長さんの家の前で座り込んで、いいって言うまでずっと風雨に耐えたんだ。いいって言わせるまで絶対に譲らないんだ。それがエマ姉ちゃんでしょ? 忘れないでよ」


「……………………………そんなに、変、かな」


 ――自分でも、恐ろしいと思えるくらいの暗い声が出た。

誰かに殺された幽霊達はこんな気持ちだったんだろうか。


「顔も分からない相手に恩返ししろっていうんだ?

 私は夜か昼かも分からない。でも見られてることは分かるの。同情の視線。気持ち悪いって言って子供を遠ざける親の気配。見えなくても分かるんだよ?

 お爺ちゃんだって優しい言葉ばかりかけてくれて、でも私は届いてる気がしない。暗闇の中で、幽霊の声ばかりが聞こえるの…ッ!」


 支離滅裂で自分でも何が言いたいのか分からなくて、でも腹の内にたまっていた言葉が急速に形を成してヤークに八つ当たりした。無我夢中だった。

 こんなにも、同情の声が痛かった。


(……………エマお姉ちゃん大丈夫ぅ?)


(ミヨル、ごめん、遠くまで逃げて。私じゃ走れないから)


 暗闇の中、発光しながら金髪おさげの9歳の少女が、うん、と神妙に頷いた。


「エ、マ姉ちゃ…!」


「ついて、こないでっっ……!!!」


 ドアに身体を強かに打ち付けながら身体で押し開き、外へ出た。

 夢中だった。夜か、昼であるかなんて関係ない。きっとこの目を失ってなかったとしても私は目を開けることは出来なかっただろう。眼球のない瞼を覆う包帯が内側で濡れた。ちゃぷちゃぷと目の空洞で血と涙と粘液の水溜まりが跳ねている。エベスザーレ先生が言うにはこのまま放っておけば腐っていくと一笑したが、私にとっては笑い事じゃない。犯されたときの手の汚れが身体をも犯していくのだと思うと許せない…っ。

 握りしめた拳。

 ミヨルは私のお願いしたとおり、全力で前へ後ろへと腕を振っていた。人に当たり、飲み物が顔に当たり、ワンピースに染みる。ミヨルが人を避けようとして野菜を蹴り飛ばした。よく前を見ろ、と私の後ろ姿を罵倒する。膝を、二の腕をすりむいた。ミヨルは『もう止めよう?』黙った私に何度も問いかける。口を困惑で歪めながら――。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ…ひっ…………ひっ……ぅ…っ」


 ――あんな声で私を慰めようとするヤークの声を、どんな顔して聞いていればいいか分からない…っ!

 だって私は女としての清らかさが、もうない。話せるわけがない。何とか説明できたとしても、まだ子供で女じゃないヤークはその意味が分からずに怪我の事のように話すだろう。でもそれを聞いてしまえば、私は私じゃいられなくなる気がする。かさぶたが出来て剝がれたとしても、元には戻らない。戻っても意味がない――。


「ばかっ………………バカぁっ……!」


『ふぅー逃げ切れたかな…八百屋のおじちゃんお野菜ごめんねぇ』


 ひんやりした所で私の身体は立ち止まっていた。日陰…だろうか。人の声が遠いところを見るとおそらく路地裏だろう。中腰で、片手を堅いレンガの感触にまかせながら肩で息をした。この冷たさを感じていると思い出す。私が連れ込まれて乱暴されたのも、隣に腐った匂いのするゴミ箱があるようなじめじめした路地裏だった。逆光で、痛みの涙で、自分を馬乗りに押し倒した盗賊の顔が思い出せない。


『エマお姉ちゃん、…どぉ? もう落ち着いた?』


「……黙っ………ごめ、ん、…うん、あとちょっとだけ、待っ………て」


 必死に抑えた声が、胸のひくつきに震えて言葉にならない。私の涙やら飲み物やらで水浸しな顔を、闇の中で、鈴を鳴らしたような声の少女が心配そうに見上げていた。


「…良い子だね、ミヨルちゃんは。迷惑でしょ、私みたいな女の相手するの」


『ううん、私のお母さんがねー、よくこんな感じだった。だいじょうぶだよぉ、しばらくしたら笑顔になるの。ね、エマお姉ちゃん良い子良い子』


 感触はないのに、でも確かな熱量が髪越しに感じられた。私には、ミヨルだけ見えた。黄金のおさげをして九才のままその生涯を閉じた少女は、花が咲くような邪気のない笑みが…とても、眩しすぎる。視界のない暗闇の中でさえ最も暗くて卑しい自分を真っ白な笑顔が白昼の元に晒す。そうやって頭を撫でられていると、恥ずかしくて、罪深くて胸がいっぱいになる。


「……いいの、もう、もう済んだことなのよ」


『どうして?』


 きょとんとした顔で言うミヨルに説明する気なんか絶対ない。ずっとこのまま、無垢なままでいて欲しい。ヤークもそうだ。誰かに話す必要なんてない。


 なんて言って気を逸らさせようか言葉を選んでいると、路地裏の先で足音がした。


「…み、ミヨルちゃん……あっちにいるの、だれ…?」


『………あ、ぅ? あれ? 身体動かない…よ!? うわ、何かエマお姉ちゃんの足が地面に…!』

 埋もれてる、とミヨルが叫んだ時、もう既に声の主がすぐ側まで来ていたのだ。じたばたと私の身体で暴れて、前のめりに倒れるのをじっと見ているのを感じた。ミヨルが顎をあげ、這いつくばるようにして身体を持ち上げ、上目遣いで見上げる――。


「へっへ、拘束の魔導符にゃぁさすがのゴースト付きでも歯が立つまいよ。…頭ァのやり方はいちいち面倒臭ぇが、アイテムの豊富さには及第点って所か」


「あ、の…おじちゃん、誰?」


「お? おお? 良い感じに憑依してるか? へっへっへ、ちょうど良い、手間が省けた。冥至(めいし)の御手…持って来損ってとこか」


 み、よる? 問いかけるがミヨルは答えてくれない。何かに夢中になってるのか気になりすぎて他に意識が及ばないのか、微動だにせず男を見上げ続けている。


(ミヨルちゃん!? どうし、)


「あ、」


 がしり。

 大きな手が、私の顔をわしづかみに…ッ、


「…………離っ…離して!!」

 

「なぁにこれ以上乱暴なことはぜぇーんぜんしないぞ。ぜぇーんぜん。ただ嬢ちゃんは思い出すだけでいい…」


「あ、ぅぁあああああああ!!???」


 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い――――!!??

 赤くなった剣を右目に差し込まれたような痛み。目から入り込んだ剣の形をした蛇が出口を探して眼窩内でふくれあがる。やめ、止めて…穴なんてない穴なんてない穴なんてないぃいいいい……!!!!


「――ちっ、左目は先を越されてるねぇ、しかもこれ…へぇーあの冴えない顔してどうしてどうして、…………………………やるじゃないのぉ」


「な、何を、して………!!!!」


 夢中で男の腕を引きちぎらんばかりに掴んだが、――しなりのある鋼鉄、ドラゴンの尾びれでも掴んでいるかのような感じで私なんかの力では絶望的なほどにびくともしない。

 なぜか通りの音が聞こえなくなっている。遮断の魔法だと何となく分かった。


 夢中で叫ぶのに、アフタの町同様、誰も、誰も…っ!!!


「ぁああああああ、うぇっ…! だ、誰かぁっっ…!

 ッッッ…ぁ、

 ………――あ」


「いいねいいね♪ 良い感じに熟れてきてる。

 ま、いい。

 さぁ――……そろそろ、見えてきたんじゃないのか? その目でよぉく見てみるんだ。

 どぉだぁぁあ――ン?」


 目から入ってくる熱が脳まで犯し――男から腕が外れ、ぶらん、と人形のように脱力した。


『エマ、お姉ちゃ…!』


 ミヨルがエマの中で暴れた。が、…うんともすんとも動かないエマの身体。力なく空いた口から唾液を垂らして放心し、ナツが似合うと言って選んだプリーツスカートにしみをつくっていった。…元よりただの亡霊に過ぎないミヨルはエマの許可なくコントロールを得ることは出来ない。つまりこれは、今エマがミヨルの声を不要としているという答えに他ならない――…!


「…せっかく知りたがっていたんだ『本当』だぜぇ?

 お気に召さないはずがない――、へっへ…」






 悪意ある物だとは、分かってた。

 でも、それにしか縋る物がなくて。

 ミナさんやシュト-リアさん、ナツやおじいちゃん。そしてヒカルに囲まれてうやむやになりかけていたけど、私は絶対にその最後の光景を忘れられない。おそらく死んでも忘れられないだろう。きっとこの光景が呪いになるんだ、と何となく亡霊達の気持ちが分かる気がした。それしか、自分にはないのだ。

 町を壊し、そして自分を襲った男。馬乗りになって私の女としての全てを奪っていった奴だ。涙で痛みで見えなかった男の顔を、殺してやると必死だった。でも、顔が、どうしてもおぼろげで…。


「 お気に召さないはずがない―― 」


 卑屈に笑う男の声が届くと同時に、盗賊の顔のヴェールが、晴れる。


「あ、ああああ……!」


 だらん、と垂れ下がっていた腕に、力が宿る。握りしめた。声も思い出せる。なんて…無様。そうだ、そうだそうだそうだそうだそうだ、そうだったんだ――……!!!!


(あの惨状で、…私だけ『都合よく』現われた冒険者に『都合よく』助けられるなんて、ありえない…! 友達はみんな殺されたし、さらわれたし、お世話になった人達の断末魔が犯されている最中にも自分の叫び声を通り越して聞こえた…っ! 何で私だけ…!? そうだよ、きっとそう…あいつらこそ盗賊団の手先…! 私は、お爺ちゃんと一緒に『あいつら』に騙されていただけだったんだ――!!)


 顔は『目がなくなってから』一度も見たことはないけれど、この最後の光景の顔の年齢と、聞こえる声質があまりにも『合っていた』。忘れるはずもない、天幕車の中で何度も聞いた声。湖で裸の私を押し倒した声。目に、奴隷の紋章を刻み込んだ声だ…!!!!!


 ――エマは、記憶の中を泳ぐのに、全神経を奪われていた。

   あの町の最後の光景。

   自分を玩具として遊び尽くし嬲り尽くし満悦に見下ろす男の顔は、若い青年。今初めて見たけれど、その声質からしてもおそらく自分とも大して変わるまい。

   その光景をミヨルが肩代わりできたのならこう漏らしていただろう。


   ヒカルお兄ちゃん、と。









「うーん…これはもしかしたらめちゃくちゃまずいのかも」


 ファンナはとうとう人ごみを駆け抜けるのすら時間の無駄として、店舗の屋根伝いに通りを見渡しながらエマを捜す。その実、そんな会ったばかりの少女より、


(ブックナーとヒカルがホントにいない…!)


聴力の範囲を限界まで広げて、たとえ五〇メートル四方ならばヒカル達の溜め息さえ聞き逃さないほど引き絞る。エマが向かっていったという方向はその実自分が裏オークションから逃亡してきた順路であり、ブックナー達が逃げるであろう順路は全部洗った。二スタリアンの授業で街戦での身を潜める場所の特定は弓使いとして当然のスキルだ。道具屋裏の路地裏、菓子屋の搬入車の影、地下道入口、屋根の厚い建物の隠し屋根裏部屋――全てシロ。ブックナー達の気配はおろか追跡者の影すら見当たらない。


「まずいッ…まずいわね…あの時ヒカルが叫んだ事ってよっぽどだったのかしら。でも、あの男に限って…」


 踊り子風の水色ドレスが下がり始めていたので、立ち止まって裾をもう一度腰に結び直す。ちょうど眼下はウェール通り…目の前にはヒカルが宿を取っていた宿屋がある。入口からは、とても同じ宿を取るとは思えない貴族や冒険者の姿がちらほらと見受けられる。どの客もあの騒ぎに挙動不審かと思いきや、落ち着き払い、悪事の会合にその顔を連ねていたとはとても考えられない静かな顔つきだった。なるほど、騒ぎで高揚している素人の動揺をこうも隠蔽しきるとは。…アーラック盗賊団は心理術すらも侮れないというのか。


(…こうなればギルドに依頼してとにかく傭兵達総力でヒカル達を捜させて…ううん、タチの悪い傭兵に追われたりすればさすがのブックナー達も怪我するかも……!

 ああんもうっ! 何よあいつ、大口叩いといて結局心配させて…!!)


 何だか無性にヒカルの顔が殴りたくて仕方がない。今もしわざと私を困らせてるんだとしたら公衆の面前でマウントとって拳だけでのしてしまいそうだ。同年代の男からあんなに屈辱的な敗北をしたことは初めてだった。パーミルだってもう少し勝負後の余韻があった。


(あー何だかムカムカしてきた。だ、だいたい何よ、人がせっかくびびらせてやろうってこんな露出激しいドレス着てあげたって言うのに、あの『馬子にも衣装』みたいな目!

 …………見慣れてるのかしら。

 ……………………いやそんな、あんな男に限ってそんな甲斐性あるわけない。絶対ない)


 サイドポニーに結った髪は結構見たかも、などとそのまま屋根の上で腰に手を当て考え込んでしまいそうなファンナに、はっとさせる声が届く。


「ファン姉ぇー! こっちこっち!」


 宿屋から七〇ニールほど離れた喫茶店の入口で両手を挙げて大げさにアピールしていたのは、探していた弟分の姿だった。









 コンコン、と白い戸を叩くノックがした。

 傭兵達の酒に酔った声が遠く聞こえてくる。ベッドに横になり思考に没頭していたミナは気怠げにドアを見やった。夕陽が建物に隠れて暗がりとなっていて、客を迎えるにふさわしくないと思ったミナは火炎を弱く飛ばして部屋の角の4つのランプに火を灯した。


「…バウム氏ですか?」


 にしてはノックの音が軽かったのだが。


「残念はずれ。

 やぁ、元気してた? 何やら探してくれてたみたいだけど――

 うゎ、ミナ大丈夫!? すごい怪我じゃないか!! は、鼻が…」


「ヒカル様!? あ、ああああああ、やだっ、その……………すみません。

 誠に申し訳ありません。

 私がふがいないばかりに――」


 傷物になってしまって、と言う言葉を飲み込んでただただ頭を下げた。これから先のことを考えていたのに、全てヒカルの声にかき消えてしまったのだ。あはは、と灰色のポンチョを脱いで蒼い神服を露わにする。あまりに飄々としたいつもの姿に思考が、停止した。なぜか申し訳なさに反して顔が赤面して、その理由すらも自分で把握できない。久々に会ったからかつい先ほどまで死ぬほどに待ち焦がれていたからか暗いからか、普段の三割増に美化されて見えた。なんて人を安心させる笑みだろう。

 そして思うのは顔の怪我のこと。

 主にされたのならばともかくヒカルの了解なく生贄であるこの身を傷物にしたことが口惜しく申し訳が立たず、近づいてくるヒカルの表情がランプの影で見えずに不安で、思わず目を瞑ってしまう。どんなに健闘したとしてもこの主人は自分を叱るだろう事がミナには分かっていた。笑みながらも咎めている。邪神に目覚めてからはただの一度すら守らせてくれないこの少年はこの身を危険に晒したことを平手で、


「…こら。だめじゃないか」


 ――叩く、のではなく、………………もう片方の手も添えて顔を包み込んでくる。


「あ……………の?」


「何かあったんだな? ひどいな、俺のミナをこんなにしやがって」


 おずおずと目を開けるとすぐ近くにヒカルの顔があった。私がそんなに面白い顔をしているのかとつい言い返してしまいそうになるくらいの苦笑だ。ナツはまだ長椅子で寝息を立てている。よかった、こんな抜けた姉の顔を見られずに済む。


「…でも、ヒカル様が悪いんですよ? 私、言うことを聞かないみんなを纏めるのに本当に苦労して」


 ぷぅ、と膨らませた頬をぷにぷにと掌で押し返してくるヒカルだった。こんな事久しぶり…と胸の内がきゅぅん、としおらしくなる。昔ルージノの家にナツと遊びにいった時に読んだ本に載ってあった「女を口説くには夜」という言葉が本当だったんだ、とヒカルの瞳をマジマジと見つめて思った。


「ぅ……………う~…」


(だめ、だめだめだめです私…! 惚れさせなくてはならないのに自分がほっ、…骨抜きになってどうするのですか! 向こうがその気なら私も負けずに……………っていやいやその前にヒカル様はその気なのでしょうか、私がただ慌ててるだけとかからかわれてるだけとかでもすごく温かい手…ううぅうんそんな…)


「ナツ、寝てるね。すごく気持ちよさそうだ。やっぱり姉妹水入らずの部屋だと安心するのかな。ちょっといじっちゃおうかな」


「そ…………そんなことありませんっ…この子、疲れてたみたいで。そうですヒカル様、大変だったんですから…! ヒカル様のご友人のファンナさんとヤーク君の事とか、アーラック盗賊団が襲ってきたこととかです! 今エマちゃんもいなくなって捜索に出てま、」


 ナツの方に意識が言ったらしいヒカルを何だか無意識に引き留めるように言葉を連ねてしまうミナだった。――反して、ただナツを一瞥するだけだったヒカルはミナにさらに近づき


「ん? まさか、寝てる子は起こしちゃダメじゃないか。

 でしょ?」



「…………………そ、の、対策というか、はい、…ええと、ヒカル様、顔が……ぁう」


 近い、すごく近い。深い鼻息が包帯に当たって肩が強ばってしまう。ナツが起きていないか首を動かそうとしても、ヒカルが両頬を押さえたままで良しとしてくれないのだ。何だかナツに嘘八百を並べてこんな甘いシチュエーション話したことがあったかも知れない、とどんどんヒカルの顔が近づいてきて身じろぎして逃れようとしても許してくれないし形だけになってしまうし口元が口元が吐息ああもう、だ…ぁ…め――、


 が、どたどたどた…! と静けさもあったものでない音を立てて病院に乗り込んでくる足音がそれから先の邪魔をした。


「ミナ殿っ!!!」


「ひぃぁあ!!?? ば、ばばばばばバウム氏…!! いやっ、誤解ですバウム氏! ぅ、これはそのヒカル様が…、ひっ、カル様もほらっ、ほらっ!」


 わたわた慌てるミナがヒカルの両腕を掴むが、ヒカルは突然現われたバウムが信じられないとばかりにきょとんとした眼で見つめるのみだ。余程全速力で走ってきたのかバウムは赤フードも外れた状態だった。キツネの獣人であるにもかかわらず、息荒く、舌を出して肩で息をしている。


「わしにはエマの偽物を掴ませるとはな…! ミナ殿、そやつはヒカル殿ではないッ!!」


 バウムが無詠唱で雷弾三発を飛ばし、のけぞるもヒカルに全弾が直撃する。

 すかさず倒れ込むヒカルの背を掴んだバウムが床にたたきつけ足でずしりと踏みつけにした。


「ばっ…バウム氏!? 一体どういう事ですか!?」


「偽物を使った罠である。玄関ドアを入ってすぐにヤー坊が眠らされていた…この分だとファンナ殿も…。ミナ殿、魔力感知でヒカル殿を計ってみてくれぬか? それで全て分かるはずなのだが」


「はい…分かりました。

 ………………………む? …あ!」


 思わず声を出してしまうミナに納得するように、うむ、と頷くバウムだった。

 確かに最初、姿を見るまではバウムと勘違いした、と今さらながらに気付く。

「わしは獣人で鼻がきく。匂いで、多少誤魔化してあったがエマではないと見破る事くらい何でもない…。ミナ殿は魔力感知があったが、身動きを取れない状態であるから優先したのだが…案の上であったな。危ないところであった」


「は、はひっ…! ええ、全く、ええ全くその通りですともバウム氏。

 …本当にありがとうございます。少々自分を見失っておりました」


「自分を?」


「いえ、なんでもありませんからっ!」








 ファンナはブックナーの姿を見つけると十数メートルある高さからヒョウのように飛び降りて喫茶店に向かった。夕闇であることもあるが、通りの通行人はファンナの気配の無さに、降り立ったことなどほとんど気付かない。


「ブックナー! アンタ大丈夫だったの!? ねぇ、ヒカルは――」


「うう…ごめんファン姉、追手をまくためにヒカル兄さんとは宿を出てから別れて…。

 でも、でもでもここで落ち合うことになってたから大丈夫だよ! そういえばファン姉、奴隷の子はどうしたの?」


 いきなり抱きついてくるやいなや、早口でまくし立てる。こんなに心配してくれたのね、と頭を撫でてあげるファンナだった。


「……………そっかー、



 ねぇ、



 アンタいつから敵中で大声出すような子になったわけ」



 とす、と右手に持ったダガーでブックナーを背中から刺し貫いていた。死痛の断末魔もファンナの肩に口を押しつけられて、消える。


「奴隷の子じゃなくて『ブクオ』よ。ヒカルがそう言ってたからあの子も絶対そう言う。それに私のブックナーのつむじは右巻きじゃなくて、二個の左巻きなのよね。覚えておきなさい。…………って無理、か」


 ファンナによりかかるようにして絶命した偽物を路地裏に放置しダガーの血のりをその服でぬぐい取った後、足早にミナの元へ向かった。ミナやがブクオが一番危険であると言うこともあるが、


(分担戦は御法度ってわけね。この分じゃエマも向こうの手に落ちてるでしょうし。

 ああもう世話の焼ける…!!)


 金髪の踊り子はダガー片手に軽やかに、夜のマッシルドの屋根を疾走する。

 ヒカル達は今いずこ。アーラック達の動向。エマの行方…物事が錯綜しているからには整理が必要だ。

 なにより。

 金髪で緑目だとかで自身によく似た容姿の少女が追われてるらしい…のだ。殺意を持って。


「私に安息とマッツハムをちょうだい…ぅう」


 身体のラインを気にしてか昼ご飯をあまり食べてなかったファンナである。

 何だか最近ろくな事がないわ、と屋台の肉ばさみサンドに思いを馳せるのだった…。











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