四二話 邪神の不在と重なる課題
「パパ」
コロシアム闘技会場最上階。きらびやかで繊細なガラス細工、物語絵が金で彫られたツボなど…調度品が規則的に飾られた赤絨毯敷きの廊下で探していた父親と鉢合わせる。
「――ファンナか。血の臭いがするぞ。いつ誰が私達の依頼人となるか分からないのだから、身の清潔さは常に気をかけよ。たとえ戦闘直後であってもだ」
「久しぶりに会ったのに開口早々お説教? …はいはい、分かってるって」
水色の踊り子じみたドレスをして手を腰に当ててファンナは面白くない父親をジト目する。目が覚めるような金糸のロングヘアは窓からの斜光を浴びて露が流れ落ちるようにうち光り、しみ一つない白肌は極上の質感を誇負し、それでいてなお引き締まった四肢や腰、物腰は今の彼女を戦士と言うよりモデルを彷彿とさせている。対照的に父親は埃一つ隙一つない黒炭色の燕尾服。――傍目から見れば、二人はお嬢様と彼女に使える執事だ。
平民ならば一生踏むことがないだろう絨毯の上に悠然とした風格で立ち尽くす二人の間に、同士を労る言葉など介さない。それもそのはず、二人はギルド協会のナンバー2とその娘…年こそはなれどギルドに身をやつしている仕事仲間でもある。すくなくとも子の二人はお互いをそう認識している。
「かれこれ二年と六七日になるな。協会長主催のパーティーだったか。
手短にしろ。私も用事がある」
「…相変わらず気味が悪いくらいの脳内カレンダーね。そんな日にち覚えてたって仕方ないでしょ。私の誕生日は忘れるクセに。
…。
…無反応? ま、いいわ。私のパパに限ってそんなかわいげのあること期待してないし。
第一、そんな話をするためにここに来たんじゃないし」
父親のその顔には表情という物がなく。久しぶりに会った一人娘をさえ観察するような仕事の目を向けるのだ。絵画のように、視界全体を捉えている目に焦点はない。ファンナがこのまま彼の視界を出ようと、この男は目で追いもしないだろう。同時に自分自身にも何の感慨も浮かばなかったファンナであった。自分にもこの男の血が流れているのだから当然だろう、とおどけるように肩をすかせる。
――物心ついた頃から母親と引き離され戦士として育てられたファンナだった
自分が突然養子だったと言われても別に驚かない。むしろ納得してしまいそうだ。
「聞きたいことがいくつかあるわ。
まず一つ目。町中に賊が出てきたんだけど、要人警備は何をやってるの? ザルじゃあるまいし。…リザード皮のなめし茶兜、革鎧と肘当て…アーラック盗賊団のこの兵服は当然警備対象のはず。このギルド協会の目と鼻の先で、しかも要人が集まっている現在のマッシルドで好き勝手やらしてるけど大丈夫なわけ?」
「遺体は?」
始末した事前提の返答だった。言うまでもない、とファンナは鼻をならす。
「近場のギルドに引き渡したわ。ちょっと運ぶのに知人に手伝ってもらったけど…。
それなりに手練れだったわ。二スタリアンの先輩もいたみたいだし? まぁ、アーラック盗賊団の討伐依頼がなくなったからって、それでも白昼堂々。気が緩んで現われたとは思えないというワケ」
「そうだな、『アーラック盗賊団が参上した』という向こう側からの声明だろう。ご丁寧なことだ」
「全くね。どうする? ギルド側から傭兵達にアーラック盗賊団狩りを要請しとくの?」
「いや、あえて泳がせておくつもりだ。裏オークションの最中でもある事を考えると、お前の言う盗賊の出現はアーラック側なりの目くらましかもしれん。向こうもそうそう我らの近くで行動は起こせないだろう。マキシベーが私兵を動かしているのは気になるが。
…? どうしたファンナ、キツネに摘まれたような顔をして。
何か思い当たる節があるのか?」
「…い、いや、まぁね」
ファンナは苦笑いしながら首筋を撫でた。…黙秘の香だ。まさか父親についさっきまで現地潜入していたとはとても言えない。――裏オークションのことを父親に察させるために言葉を選ぼうとしただけで首が締まったのだ。さすが国家レベルで取引を禁制されている代物である。思案しただけでも効力を示すなんて。
「分かったわ、とにかく協会からの監視は緩めないようパパから言っといて。それと、真法騎士団の諜報部にでも助力を要請しておいて。どうせ動かないにしても、彼らの名前を借りておけばある程度の抑止力になるでしょう」
「真法騎士団には既に掛け合っている。が、向こうは向こうで独立して行動を取るようだ。情報交換は前提とされていない。期待しない方が良いだろう。
他に何かあるか?」
「…マッシルドの住民への配慮ね。どうも傭兵狩りの弊害で少々暴力が目立っているみたい。まぁちょっと私の知人が盗賊相手にした時にちょっと派手にやっちゃったし?
マッシルド運営委員会に口聞いといてくれたら嬉しい。
あ、そうそう、それで思い出したわ」
――わざとらしく斜に構え、自らの顎に指先で触れるファンナ。じらすように咎めるように、流し目で父親を見た。
「手短にしろと言ったはずだ。時間もそうない…――で、本題は何だというのだ」
今度こそ、男はファンナの姿を捉えた。
話題が話題だけに、その鉄仮面の態度も親子の情けに崩れてしまう。気が急いてしまったのだろう。自覚してか、タイを片手で直し、わずかに背筋が張り直る。――そして、また二人は対等な仕事仲間に戻る。
「…襲ってきた一人にゼファンディアの生徒がいたわ。相手をしたのは私の知人だけど直接彼らと関係性があるような発言もしていたと供述もしてる。
奴らの生業や商売にしているその品目…もう一度洗い直す必要がありそう。ギルドにしたって、依頼ありきの傭兵ありきの商売じゃない?
…下手したら私達も足下救われる恐れがあるわ。パパも副会長とかしてるけど、……人間転げ落ちるのは簡単なんだからね? それが自業自得であれしっぽ切りであれ」
「考慮しておこう」
「以上よ。……………伝書鳥使わなくて悪かったわ。これからはそうする」
「そうだな」
――歩き出す、男。
とても自分を十代で生ませたとは思えない男だ。それでも生もうとした母親の気が知れない。今年で三四を迎えるのだから、この面の皮の厚さもいよいよ折り紙付だろう。
言葉は、ない。久しぶりに顔を合わせたというのに。絨毯を優しく、ずっしりと踏みしめる音のみだ。ファンナは立ち尽くしていた。往来の通行人と同じく追おうともしない。すれ違うのみだった。
防音と防壁をかねた要人用のこの貴賓塔は、換気用に開けられた窓から街の活気を伝えてくる。カントピオ砂漠からの乾いた熱気と港からの潮が街の十字路でおり混ざってコロシアム会場に流れ込んでいるのだ。景色は、石造りが天にも昇る大天街。なれど、どこか海鳥が窓のそばを通り抜けていくような開放感がある。
オークション一日目の熱気も収まり始めたところで、そろそろ出し惜しみしていた秘蔵の商品を各店が並ばせ始める頃だろうか。
祭りは、もう近い。
すれ違いざまだった。
わずかな逡巡の後、ファンナは思い切ったように口を開き、…開けた口に反して、呟くように言った。
「……………そうだ、まぁこれは家族のよしみって事で言っとくわ」
「………」
「パパを消し去るのってね、意外と私かも知れないよ?」
唇の端を持ち上げるファンナは、男がその階からいなくなるまで廊下に立ち尽くしていたのだった。
そう、言うならば風の音を聞いていた――。
窓外は赤く染まり、そろそろ夜の店が開店準備を始める頃である。
とある個人病院の一室の個人部屋のベッドにミナは寝かされていた。ミナは再三もう大丈夫だと医師にもナツにも言い張ったのだが今日一日は安静にしておくように言われ少々落ち込み気味だったが、色々指示を飛ばしたり意見交換することにより持ち直したようである。
鼻を湿布で固定され、骨折により腹を包帯で巻かれ。
これで動けると言い張っていたミナは、聞き分けの悪い子供を見るような視線を当てられていたことに気付いていない。それが――ミナという人間の美徳であるとしても。
「バウム氏、ではファンナさんはこちらの味方と考えてもよろしいのですね?」
ベッド傍らの椅子に座って夕陽を背にしているバウムは重々しく頷く。バウムに寄りかかるようにして隣で寝息を立てているナツを邪魔しないような首肯だった。
「で、あるな。どこからヤー坊…ヤークを連れてきたのかを結局話さず、が気になるところであるが。
ヤークの目がやけに赤かったのを覚えているか?」
「え、ええ…」
「あれは特殊な魔法による後遺症、アザのようなモノだ。わしが医者の手を借りて光彩から調べたが魔力による魔法陣の残滓が残されていた。…わしは少なくとも知らん魔法陣だ」
「禁呪の類でしょうか」
「おそらくな。…派生系と見分けが付きにくいのが難点だが。少々雷力の魔法陣に似ていたように思う。
何が後に響いてくるか分からぬ。…ヒカル殿の言う、後の選択肢を増やす行為であるか。
図書館の文献を探してみるつもりだ。明日以降時間を取るがよろしいかな?」
「ええ、特殊な術ならばアーラック盗賊団の内情に繋がるやも知れませんし。シュト-リアもなにがしか情報を掴んでいるでしょう、早いところ合流しておきたいですが…っ、
…身体、やっぱり痛いですね」
「くっく、ナツ殿の心配性は姉のせいかもしれんな」
「……………ふふ、ふふふ」
「…どうした?」
くすくす、と、それでも身体が重いのだろう、いつもなら隠している口元を露わにして堪え笑いするミナだった。
「…いえ、ちょっと思い出し笑いしてしまって。
選択肢のことです。まさかバウム氏がヒカル様を引き合いにされるなんて思いもしなかったので」
アルレーの町で……ヒカルはエマ達を一緒に連れて行く、とミナの意見をはね除けた時の事を、ふと二人と思い出していた。追われているバウム達が密かに隠れている屋根裏だというのに、金貨銀貨をいきり立つ自分の声の代わりに床にばらまいたヒカル。
「わしにとっては…ヒカル殿のイメージはまさにあの時の姿なのだよ。忘れようとも忘れられん。
選択肢は常に最大限選べるように…だったか。
言ってる事は理想論に過ぎぬ。わしらにとっては、あの時のミナ殿を咎めるために後付けしたんじゃないか、という言葉にすら聞こえるだろう。少なくとも言われた瞬間はわしはそう思った。自分がギルドとして稼げる立場であることを棚に上げての追い打ちの言葉だ、と、その時かばわれている側であったにもかかわらず内心憤慨しようとしたのだ。
――だが、それで通じ合っているミナ殿がいたのでな。
きっと、わし等が会う前に、その誤解を翻すほどの答えをヒカル殿が出したのだろう、と思い直したのだ。……想像もつかないが、あの術力をしてなお選択肢を減らされる苦しみを知っているのだろう。そう考えると、ヒカル殿の行動全てがそのレベルに基づいて成されていることに気付いた。躊躇いなく暴走したエマを殺そうと動いた理由も納得がいった。
おそらくヒカル殿は、それが最悪の状況を引き起こす理由になるのであれば親でも躊躇なく殺すだろう。これは、わし等には…すくなくとも我らのパーティの誰にも出来ない事だ。
…自分を過小評価して、もしくはされ続けて、無力という残酷な魔物の恐怖にさらされ続けたような。
大魔術士の魔力を持っていながら、未だどこかで自分は弱いと戒めているような。
――まるで…そうだな、聖人でも相手にしているかのような…」
だからこそ、急に官能小説を読んでくれなどとせがんできた時には頭の中が盛大に混乱していたのである。大人でも割り切れない問題を断ち切っておいて、まるで年頃の少年のようだ、と。それも年寄り相手に下ネタである。
へぇ、とミナは目を丸くしてバウムを見た。
「聖人、ですか。
…………確かに、情け深さと冷徹さが混同せずに両立できている方は聖人と呼ぶのでしょうね。だとしたら私達は随分と罪深い」
「まぁそのような扱いは、あのヒカル殿なら嫌うだろうがな。
――ともあれ。
ミナ殿。お主はもう少しヒカル殿だけでなくわしらも立てることを自覚をしてもらわねばならん。確かにわしらのパーティを支えておるのは実質的にはミナ殿であろう。
しかしな、エマのこともあるが…仲間である以上わしも足を引っ張るわけにはいかんのでな。頼るときは頼って欲しい。くっくっく、鼻が潰れてまで先頭を歩く必要はないと云うことだ。たまには年頃らしくナツ達にまぎれておれ。エマの相手もして欲しいのだぞ」
たまには休め、とキツネの魔術士は苦笑した。
「…バウム氏までそんな事言うんですね。人の気も知らないで。
はぁ…こんな姿ヒカル様に見られたらなんて言われるか。
ああもう…」
治療が終わった後も、手鏡を結局見る勇気が出ずにいるミナであった。もしも鼻が潰れたままだったらどうしよう、と内心頭も抱えていたりする。そんな顔でどうやってヒカルを籠絡しているなどと言えようか、いや言えない。
「――失礼するよ」
ドアが乱暴に開かれ、白衣に手を突っ込んだ眼鏡の女性があらわれる。まるで羊毛のようにもさもさしている茶髪で、彼女が部屋に入っただけでヤニ臭さが充満する。
医師エベスザーレ。
ヒカル達と別れたミナ達がまず向かったギルド協会で聞いたのは医者の場所だ。エマの義眼を用意できるほどの医師はさすがに最大の商業都市マッシルドでも数えるほどしかいない。有名な医者であればあるほど貴族のお抱えが多く、町中でわざわざ開業する利点が少ないからだ。その中で、ギルドから紹介されたのは彼女だったのである。年はすごぶる若く、二〇代前半だろうか、と初めて見た時ミナは思った。
「嬢ちゃん、せっかく麻酔打ってるのに眠らないとはどういう事ね。
爺さんも寝る子をいじるんじゃないよ」
「これは失礼した。
…どうやらわしがいては彼女も目が冴えてしまうようであるな。エマ達の様子を見にいくか…」
ナツを起こさないようにそっと寝かせるバウムは、エベスザーレに会釈して部屋を出ようとする。
「――待ちな。ああ、そうそう、そのエマ嬢のことでも話がある。一応保護者として二人ともに聞いてもらっておきたい。嬢ちゃんの潰れっ鼻についてはその後だ」
「潰れっ鼻って…っ」
顔を熱くしたミナが起き上がろうとするが、いつの間にかミナの傍らまで移動していたエベスザーレの手の平が額を叩き、枕に沈めてくる。
「はいはい、怪我人の分際で医者に口答えするんじゃない。寿命縮むよ? …ったく、エマ嬢の診断結果を後日訊きに来いと言ったが自ら患者になってこいと言ってないぞ、あたしは。
…さてさて、どこから話したものかな。まぁちょっと長くなる。爺さんも座るといい」
あろう事かこの医者は病室で煙草を吸い出すのである。バウムは嗅覚ゆえか顔をしかめたが、それよりもエマのことが気がかりであった。後ろ手でわずかに窓を開ける。
そんなバウムの様子に満足げなエベスザーレは、ドア横の白壁に背を預け、大きく一吸い目を味わう。
「………………――ふぅ…。
まず結論から言うならば、エマ嬢に対してなら義眼は必要だろう。もともと眼球とは視覚その物と思われがちだが、年頃の女の子なら一番気にするだろう容姿にも大きく関与している。…いつまでも包帯じゃ可哀想だろうということだ。あたしはどうでもいいんだが、前の依頼人がうるさくてね…さすがに気は遣うわけだ。
次に医学的な面から言おう。そもそも眼帯や包帯などと言った瞼を押さえつける物がいただけない。瞼が眼窩構成骨にこすれて炎症を起こすだろうし、押さえつけることにより瞼が内側にへこんで圧迫感を生む。義眼を用いないとした場合、この内側にへこむ問題を解消するにはまつげを全て処理し、瞼開閉の筋肉を切除しなければならない――眼球がないと言えど瞼は普通に機能するからね――手間としては義眼を用いない場合より複雑になるわけだ」
ミナは聞きながら、初めてエマの容態を見せたとき応急処置の質の良さにナツが褒められていたことをふと思い出していた。さっきから執拗にナツの寝顔をニヤニヤ見つめているのもそのためだろう。
「定期的な眼窩内の手入れも必要になってくるだろう。元々目は神経の束の集まりであるからして、皮膚や頭髪のように表皮の生え替わりほとんどしない。涙のせいで、口内のように乾くことがない。口の怪我は治りにくいだろう? それと理屈は一緒。まず義眼が必要だと言うことはお二方、理解出来たかな?」
ナツがうっすら目を開けたが、再び寝息を立て始める。バウムは知らずナツの髪を撫でていたのだった。きっと、無意識のうちに気を和らげられる感触を求めていたに違いない。
「そうですね、元々私達は義眼を作ってもらいに来たわけですし」
結構結構、と頷くエベスザーレ。
「…だけど、少々それが問題でね。確かに私は今までに数回義眼の手術を行なったことがあるが、いずれも貴族だった。体内体外の境目であり、年齢にかかわらずもっとも壊疽化しやすいのは目の病気だ。材料に気を遣うのは当然だろう。であるからして、私はその時々の貴族に義眼精製に必要な材料を頼んでおいた。まぁちょっとばかし多めにね? なーに、向こうは治してもらいたい一心だから量なんか不審に思わないさ。
で、なんと奇跡的に一人分手元にあるわけだこれが」
あっはっは、とギャンブルで大勝ちした酒飲みのように大笑いしてみせる医者とは対照的に、ミナは低頭、機嫌を窺うように言った。
「…今回、お譲りいただけるのはそれですか?」
「そうなるねぇ~~…………………………。
ま、ただとは言わないんだがね。
――眼窩手術と義眼精製、あとそこの潰れっ鼻。しめて七八〇〇〇〇シシリーいただくよ」
「なっ…!!??」
絶句、しようもない。治療費と言ったってせいぜい高くても五〇〇〇を少し越える程度と見積もっていたミナは開いた口が塞がらなかった。バウムでさえ身を乗り出し、聞き間違いでないかを確認したが、エベスザーレはいやらしい笑みで首を振る。
「代案を用意してあげても良いけど。
――そこのナツっていったか。この子を私の助手としておいていきな」
「そんなっ…、そんなこと、できるわけ、ないでしょう…っっ…!」
旅人にふっかける金額の程度を越えている。嫌がらせにしても限度がある。最初から払いきらせる気などないのだろう。
「ああ、なら仕方ない。なら診察代二人分と潰れっ鼻のお代だね。こっちは…二五〇〇〇くらいにしとこうか。さっきのはまだおまけしてる方なんだよ? ふふふ」
「は、話になりません…!! ギルド協会に訴えますよ…!」
ギルド協会はマッシルド運営委員会に通じていて、衛生問題の人員斡旋についても管轄である。ましてギルドで紹介されたとなればその管轄内であるはずなのである。営業停止に追い込まれる可能性もあるにもかかわらず、エベスザーレは「どうぞ?」と肩をすかすばかりだ。
「バウム氏、すぐにここを出ましょう。医者は他にもいるのですからそちらを当たりましょう…!」
「う、うむ…」
起き上がろうとするミナだが、上半身を起こした途端、苦悶を漏らし、崩れ落ちる。腹を抱えるようにして、
「…あぐ…っ…ぅう…ッ! く、…!」
「バカだね、回復魔法で治療できるのは骨子だけ。神経まで結ぶのは神官レベルの魔術だよ、それこそ貴族専用、私ら一般人が受けようと思ったら一生を捧げなくちゃあね」
「ま、よーく考えておくんだね。今日はもう遅いから潰れっ鼻、アンタは一晩泊まっていくといい。大丈夫、代金は一日泊めるくらいで増えたりしないよ。減りもしないがね。
今不用意に動いたせいでわずかに悪化してる可能性もあるさぁ…」
それじゃあね、と後ろ手を振りながら部屋を出て行く女医だった。
夕焼けが差し込む部屋に取り残される三人は、一人は寝息を立て、一人はわなわなと口物をふるわせ、そして一人はベッドに答えを未だ窮しているミナを鎮痛に見つめた。
「…………………………わしがもういちどギルド協会に掛け合ってこよう。」
「……………それしかないようですね。すみません、お手数をかけます…」
――お互い、聡いゆえに、分かってはいるのだ。
掛け合えど、答えは……一緒なのだろう。
ギルド協会が薦めたと言うことはこの町の誰よりも要請に適当な医師だったのだと言うことだ。
女医はナツを助手に欲しいと言った。確かにあの年で医者を唸らせるほどの処置を大した道具も用いず薬草学で施せたナツは医学に向いているのだろう。しかし…そんなもうただ一人しかいない家族である妹を得体の知れない医師に姉が引き渡せるわけがない。
バウムにしてもそうだ。ナツさえ引き渡せばエマに良い治療を施してもらうことが出来る。だがそれを口にすることは限りなくミナやヒカル達への背信になる。自分側からそんな案はとても言い出せない。同時に、それならばミナ達と縁を切ってバウム一人だけでエマの治療費だけを払う方法もあった。おそらくその場合はバウムはギルドに登録し、日帰りできる程度の危険な掃討依頼をこなす日々を送るだろう。しかし途中でバウムが命を落としてしまったら? そうなるとエマを養える人がいなくなるのではないか?
頼みの綱のヒカル達は、マッシルドの街並みのどこか。
バウムが重い腰を上げて立ち上がり、後ろ髪を引かれる思い露わに部屋を出て行く。すっぽりと赤フードをかぶり。…毛のせいであろうが、ふっくらとした広い肩も、今日ほど頼らなければならないのに、どこか頼り切れない。
ミナは長椅子で夢見心地のナツを流し見た。自分と同じ蒼銀色のショートボブがさらり開いた窓からの風で数本揺れた。
「ヒカル様が……………………今ここにいたら。
いや、いなかったとしたら、私はどう判断すべきなのでしょう…」
結局脱力したミナは目を瞑った。夢の中で、もしかしたらどうにかなる案がひらめくかも知れないと邪神にも祈る思いで。
「あら獣人さんお疲れ様。今から出かけるの? …じゃないみたいね」
さてさてヒカルのお仲間はどんな調子だろう、とミナを担ぎ込んだ病院の前に来てみれば何だか獣人がうな垂れてるじゃない。
「…ああ、ファンナ殿か。…昼の時の事は本当に世話になった。ミナ殿を運び込むのまで手伝ってもらって。礼を言う」
「いやいやいいわよ、私も貴方達に用があったわけだし」
お腹がちょっと空いたので軽食でもおごってもらおうかなと思案する。パーミルのバカは何やら行方知れずだ。あいつがいれば戦闘面なら百人力なのに。面倒だけど、ギルドによって伝書鳥を借りるしか――、
「そういえばそんな事を言ってたな。どういう事なのだ。ヒカル殿に世話になったという意味もよく分からぬ」
なんとも気落ちした声だ。赤いフードに隠れてか、飛び出たキツネ鼻しか見えないがきっと目も細めて俯き気味だろう。
「……………?
何か問題でもあったの? ヒカルには恩もあるし微力ながら力になるわよ」
獣人さんは押し黙り、しばらく私を窺うように見つめてきたが、ぽつりと一言零した。
「そうだ、ヒカル殿が今どこにいるか知らないか?」
「…それに関しては全く。えと、獣人さん名前なんて言ったっけ」
「バウムと呼んでくれ」
「はいバウムさんね――そう、バウムさん達を手伝ったちょっと前まで一緒だったんだけど、それから行方知れずなのよ。一応宿屋に戻ってるかもってここに来るまでによってきたんだけどもぬけの殻で…いや、もぬけの殻というか呪いの武器の山というか」
…うう、思い出しただけで寒気がする。ヒカルはご丁寧に部屋一杯に神殿障壁を張っていて中に誰も入れないようにしていたのだ。ドアを開けた途端呪いのあの鎖がガンガン障壁の中からこちらを威嚇してきて腰抜かしちゃったし…っ。
ま、おそらく防犯用だろう、中は見渡せたのでわざわざ神聖仮装するまでもなかった。私の弓が置きっぱなしなのは辛いが、ヒカルが帰ってくるまでは安弓と矢で凌ぐつもりである。今日のように向こうの武器を奪って使うのも良いし、腰には…黒目夜目のダガーがある。だから今はこれだけでいい。
「んー、ブックナー大丈夫かしら……………あれ?」
通りの向こう側から通行人の間を縫うようにして走ってくる、少年がいた。私達の前で止まると倒れそうな顔で肩で息をし、
「じ、爺ちゃん…」
「ヤー坊…どうした?」
「あ、ブクオじゃない。ねぇヒカル達見なかった? あいつ等こんな時になにやってるん――…………………あれ? あの、あんたのお姉ちゃんは?」
が、息を整えつつも…俯いたまま。
「――ふぅん、」
私は聴力を限界まで引き延ばして周囲一帯を探ったが、会った時に覚えておいた彼女の息づかいが見つからない。建物の内部だとしても半径三〇メートル圏内なら把握できるのにだ。
「ブクオ。さっさと言いなさい。手短にね」
「う、ん………………ごめん、ごめん爺ちゃん、ファンナ姉ちゃん…。
俺っ…エマ姉ちゃん怒らせたみたいで…!」
走り去るのを止められず、と言うことだった。
この忙しいときに…。呆れて物も言えない。
私のドレス姿にちらほら現れ始めた夜のマッシルドの遊び人達が不愉快な視線を浴びせてくるが、いらだち気味に睨み散らす。
「…ブクオ、あんたどういうヘマ打ったらそうなるのよ。久しぶりに会ったのに、普通キレて逃げる? 仮にもあんたさらわれてた事になってるんでしょうが…」
「わ、わからないんだっっ…」
「…ヤー坊、最後はどこまで見た?」
「……俺が走ってきた方向にある、喫茶店の角だよそこで傭兵のおっさん達にぶつかって転けちゃって、そのまま…」
ええい、ブクオを相手してる暇はない。…ヒカル達の身に何かあったとしか思えないのに、どうしてこうも次から次へと問題ばかりが寄ってくるのよ…っ!
「……………………はぁ…。
最悪、ギルドに頼みましょう。ブクオはミナ達の部屋に行ってなさい。私とバウムさんはエマを捜してくるから」
すまない…と頭を下げてくるバウムさんである。すまないと思ってるなら遠慮して断われっていうのよ。…まぁ、断わってきたとしても、
(アーラックの盗賊に繋がりがあるとしたら危険だわ。何でか知らないけどバウムさん達は見事にターゲットにされてるみたいだし。
…ち。
ガキ一人とはいえあんな奴らの手に落ちるのは癪だしね…!)
「じゃあ私がブクオが来た方向から。バウムさんは反対側から。発見次第ギルド協会の伝書鳥を使ってちょうだい。…はい、これ私の印に使って」
わたしはドレスの端をダガーで破って渡す。一瞬それを止めようとしたバウムさんだが、私が破るほうが方が早かった。
「なら、わしは…そうだな、体毛でよいだろうか」
「いいんじゃない? …ありがと。あらやだ、風に飛んでいきそう」
途中で盗賊団と鉢合わせて戦闘になるとも限らないのだ。私はまたダガーでドレスの端を千切ると体毛を結び、ドレスのポケットにしまった。
「もう夜になるし急ぎましょ。じゃあ解散!」
まずはエマを見つけて考えよう。
そう心に決めて、私は夕闇の通りを駆け始めた。




