四一話 邪神と判明と銀色の姫君 (後)
―― 大会まで残り五日。マッシルド・カフバン通りにて、正午頃――
「バウムさん、姉様を見かけなかったですか? ちょっとの間正気だったのに」
「……あそこの店のマネキンに至福な顔ですがりついてるのはミナ殿ではないか? …ではないと信じたいのが心情だが、内心…内心、諦めかけての…」
「…うう申し訳ありません。他人のふりしたいですよね…。
…あー、また身長が似てるからってもー…」
まるで痴呆老人のような扱いをされているのは、そんな彼女の秀麗な姉君であった…。
まぁ、ふむ、…おおよそ、巫女服らしからぬ光景である。そう思いたい。
「えへ、えへへへへへヒカル様ァああ…」
よだれを垂らしながらマネキンの頬に口づけせんばかりに顔を近づけてしなを作っているのは紛れもなく蒼銀の長髪のミナ殿である。ヒカルの安否にうっすらと目元も青みが出てきていて、妖気すら放っている。店員の若い男性らしいが苦笑いで、出来るだけ顔を合わせるまいと明日を向きながら姉君の肩を叩く。直視できないのだ。おそらく怖くて。
…何でそんな事になったかというとだ。少し前に立ち寄った魔道具店で、道行く人がお化けのように見えるという子供の玩具眼鏡をナツ殿にかけさせられたらしく、
『ひっ、ひひひひひぇやあああああああああああああああああああああ!!!???』
と大会選手もびっくりの突然のバックジャンプで店のショーウィンドウに突っ込み、ガラスや展示の品を破壊し、狂乱を押さえに来た店員を対岸のお花屋に吹き飛ばして髪を振り乱しひきつけを起こしたように奇声を上げながら不気味な笑みを振りまいて通行人を恐れさせるという惨事を経験して、まだ一時間だ。もう少しで真法騎士団が要請されるところだったのである。人種差を拒まないマッシルドでなければわしが因縁をつけられていたところである。赤フードにダークグレーのポンチョを羽織っていたとしても、毛先の長いふさふさのしっぽが見られてはキツネの獣人と丸わかりであるからして。
「はぁ、仕方ないです、今度は私が姉様を抑えます。バウムさんは店員さんに言い訳とお支払いを」
「う、うむ……」
既に半分泣きっ面の表情で、変わりきった姉の元に走っていくナツ殿であった。姉と同じ青みがかった銀髪を肩で切りそろえた、どこか苦労性な背中である。わしとしても夢なら覚めて欲しい。キツネの獣人だというわしは卑下な視線だと慣れた物だったのだが、それが同情などとは生まれて初めてである。
ヒカル殿の武器の呪いが今頃ミナ殿を侵したというのなら眉唾でも信じてしまいそう。早く宿屋に連れ帰って謹慎させねば広大でたような人種が集まるマッシルドにさえ街に奇人の噂が立ちかねない。
胸を指先でなじるように押すミナ殿は、しおらしく上目遣いでヒカル殿(とは似ても似つかない木製マネキン)の首元の匂いを嗅ぎながら言う。ナツ殿がひぃひぃ謝り、私が周囲の視線に唇をかみながらミナ殿をマネキンから剥がすのに必死だ。
しかもこれで4件目である。
その度に…エマの中身が今はミヨルという9歳の少女なのだとしても、楽しそうに指さして笑っているエマにいらだちを見せるのは躊躇われた。しかしミナ殿の状態はエマの後ろの通行人の子供が泣いて母親にすがりつくほどなので、ここはナツ殿のように対処に動くべきか怖がっておくかのどちらかにしなさいと口がむずむずする。前科持ちなので、また一人でどこかに行ってはならんぞ、と釘は刺しておく。
借りている宿屋までまだ距離がある…そう言って最初の魔道具屋で買っていた手錠型の拘束魔具をつけていたのにそれすらも振りきって突然走り出しまたマネキンに抱きつきに行ったのだ。…たぶんあのおもちゃ眼鏡で見た時のように、生きている人型は全部幽霊に見えているに違いない。直視すれば卒倒しそうなほど幸せそうな白目でマネキンに頬を擦りつけるミナ殿は、現実逃避というよりもう自分の理性をどうかしたいのだろう。そしてナツ殿はナツ殿で白目を剥いて固まっていた。
(…意外と姉に似ている物なのだな…)
それでも無理矢理姉の袖をつかんで引きずってきて、ナツは涙目でぼやいた。
「ふぅうううう……もう私姉様をはがしに行くのイヤです…ううっ」
「わしも遠慮しておきたい」
「そうだ、姉様は気絶させて背負うことにしようかな」
「仕方あるまい。どれ、わしが背負ってやろう」
わしは肉球に細い電気を集め、狂ったミナ殿のうなじに押し当て気絶させる。わしやナツ殿ではなくなぜか周りの通行人から安堵の溜め息が聞こえたのは気のせいだろうか。
「っせ…。これミヨル、そこでは交通の邪魔になろう」
「お爺ちゃんすご-い!! そのぷにぷにな手でどうやって持ち上げたの!?」
包帯が両目を塞ぐように巻かれているエマは、まるで透けて見えてるかのようにわしを見上げて驚いてみせる。育て親の目から見ても、ポニーテールの先をぴょんぴょんと浮かせながらの、幼さと張りが等分された体つきはどこに出しても恥ずかしくない美人になった。しかしこの子、身体は一六歳なのに今の魂は九歳なのである。口や頬だけで喜怒哀楽をここまで出せるのだから、むぅ、子供の魂は身体の年齢には影響は受けないようだ。
「お爺ちゃん力持ちだ! 私も手伝うぅ」
「これ、足を持ち上げてはならん。ミナ殿のスカートが上がるだろう」
しっしっ、と、エマの顔を下からふさふさな尾ででぺしぺししてやる。こうするとこの子は喜ぶのである。幼い頃のエマもこれであやした。でも。時折掴まれることがあるから気をつけなくてはならない。逆立てられると気持ちが悪いし、…敏感なのだ。
よいせ、とミナ殿の身体を背負い直すとまた宿屋に向かって歩き出す。
「だめったらミヨルちゃん、姉様『で』遊んでも良いけど帰ってからね?」
「うん、じゃあ帰ってからするよ。じゃあナツお姉ちゃんの荷物持ってあげる!」
「………二人とも、人にぶつからぬよう気をつけるのだぞ」
子供は………苦手である。何するにしてもじっと見つめられるし、でも放って置いたら何をするか分からないし、いなくなるし、表情を作るのが苦手なわしはせいぜい尾で遊んでやるくらいしかコミュニケーションの取り方が分からない。子供は遊び疲れるまで遊ばせるのが一番だが、エマ・ミヨル…この子は身体は大人なものだからとにかく元気すぎて手に余る。目を少し離しただけでナツ殿まで一緒になって遊んでいるのだ。
「やれやれ、大きな孫が急に増えた気分だ…」
コロシアムまで四日を切った。ヒカル殿達は何をしているのだか。…まぁよい、のんびり茶を飲みつつ買った書でも読んで、――――。
その瞬間、バウムの鼻先が氷結の弾丸をたたき落とす――!
「ぬぅううう――――………ッ!!?? く、…!」
………間、一髪………!! バウムは飛来先である七軒目先の道具屋の屋根の上を睨む。が既に移動してしまったらしく姿はない。ナツはおろか周りの通行人さえ何が起こったか未だ分かっていなかった。ミナを背負っていて両手が塞がっていた上、後ろにはエマやナツがいて避けるわけにも行かなかったバウムは、とっさの判断で鼻先に小さな水陣障壁を発生させて受け止めたのである。
遅れて、当たりの人混みが静寂し、どよめく。
バウムの一歩先には。
強烈な冷気を纏った、二の腕ほどはあろうかという太さの氷杭が乾いた地面に深く食い込んでいた――。
「え、…え? バウム、さん」
「…この密度に練度は…! ナツ殿…エマを頼む! 猶予はないぞ、この手合いは暗殺か…どうやら狙われておるらしい!!」
間髪入れず、正面から人混みの隙間を縫うようにして飛んでくる氷の杭だった。人の影に見事に隠れながらの一撃である。全く姿を捕らえることが出来ず、バウムは舌打ちしながら反転、今度は土障壁のしっぽで薙ぎ壊す。エマの肩を守るように抱いて蒼然になっているナツ。バウムは吠えるように、
「何をしているナツ殿ッ! 早く逃げないか!」
「――は、はいっっっ!!!」
すぐさま路地裏へ――ではなく大通りを反転する二人。正解だ、路地裏など待ち伏せしてくれと言うようなものだ。少なからずミナ殿達から心得は教え込まれているらしい。
バウムは無詠唱でナツ、自分に土、雷、水の障壁三枚を付与させる。戦場を生きる魔術士にとって切り札は絶対だ、見られたら殺すのが基本。神殿障壁までとはいかないが、真力隣力の魔法を同時に無詠唱で付与させる事が出来る実力を見せてしまったことになる。だが、
「あ、は、はれ…? 私は…」
「起きたかミナ殿! …気をつけられよ、暗殺者か傭兵の類である」
ミナは寝ぼけ気味に辺りを見回す。が、魔力感知したのだろう、バウムのキツネ顔が一瞬たりとも隙を見せず向けている顔の先。
喧騒が騒然に変わるまで、数秒しか要さなかった。
「――…なるほど、わかりました。所で私は何でバウム氏の背中にいたのですか?
私全然記憶がないんですけど。最後が道具屋…?」
「…自覚がないとなると説明も難しい。無事に帰ってからナツ殿にでも聞くが良い、わしには病気か怨霊の類に思えた」
「…?
分かりました、ではその時に」
ミナの両拳にそれぞれ8つ。バウムやブックナーのそれとは絶対的に密度、精度の異なる炎の弾丸が無詠唱で装填される。人混みが割れる。荒事に慣れているはずのマッシルドの住民も、傭兵同士の私合と違って相手方が見えないからかただならぬ気配に危機感を募らせる。買い物客は慌てて近くの店内に避難し、バウム達を見守った。
「今ナツ殿にエマを逃がさせておる。出方次第でわしかミナ殿が追うことになるだろう」
「バウム氏は鼻がききましたね。私は魔力感知ですか。それにしても…気配を消すのは上手くても魔力隠蔽は出来ない相手みたいですね。私にとっては――」
巫女服の擦過音。左手を肘より天に、右手はわずかに相手側に向ける…さながら柔術のような後手対応型の両手拳銃がミナのスタイルだ。魔力感知による大範囲全方位対応はバウムの動物的直観の上を行く――…!
「かかしも同然というわけです!」
同時だった。ミナの目前二〇メートルで、火炎弾と氷杭が爆砕する。
だがミナの姿はもうバウムのそばにはない。相殺すると見越して、きらきらと爆炎、氷の金剛石入り交じる輝きを突っ切っていたのだ。
「ではここは私が引き受けます! バウム氏はナツ達の方を!! 守りならば現状バウム以上の適任はいません!」
「任された。武運を祈ろう!」
バウムがフードを被り直してナツ達が逃げた路地裏へ駆けていくのを後ろ背に、隙を与えぬようミナは対象に炎弾弾幕で牽制する。弾丸と良いながらさながら砲丸の激しさで爆音し、炸裂する――!
「はぁ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・ああああああああああァああッッ!
守りに徹するならば、このまま押し切りますよ!」
ガトリング威力は同程度だが連射力は圧倒的にミナが勝っていた。牽制と言えど球数で押し切るような勢い、的確な位置把握に、有無を言わせず狙撃者の姿を露呈させる。
だが、冷汗を浮かべていたのはミナの方だった。
(あれだけの直撃を受けて、不動…!?)
ミナの天性なる精度で練り込まれた炎弾は同魔力で練られた同色の障壁でさえ数枚を貫く。魔力感知は、あわただしくはけていく人混みと爆煙越しに、だが確実に狙撃者の身体を捕らえている。167MP…王宮魔術士クラス、しかも技量に特化した単騎と見て間違いない。この荒れ狂う炎弾幕をどうやって、…………――!?
「…まさ、か、」
歯噛みして顎を引く。これ以上は無駄弾と気付いたからだ。
『…もう終わりなのかしら?』
「…………………ええ、何かの間違いだろうと思ったまでです。
今時の学生は闇討ちもするのですか? …ゼファンディアのご令嬢は」
煙が、晴れる。ミナは八つ炎弾を待機させながら向かってくる歩みの主を睨み付けた。
「闇討ち? 作戦のうちですわよ、たとえ傭兵崩れの戯言とはいえ私の結晶を打ち落としておいてその言いぐさは聞き捨て――なりませんわね」
どこまでも勝ち気な上から目線が、ミナの視線と相克する。
ゆっさゆっさ、と赤毛のポニーテールがそのままロールしていると言えばいいだろうか。身長はミナと同程度の160センチほど。胸には、金色の王冠の刺繍。赤いブレザー、栗梅色のロングスカート…噛みしめるように見た。それが憎々しいアストロニアのものでありながら、…ミナだって一度は憧れたこともあるその制服。
身を包むのは、一挙手一投足に育ちの良さと自信を見せつける少女だった。磨き上げられた赤毛の一本ロールが陽光に照らされ光沢を放っている。腕組みをし、まるで周囲の粗暴さは目の毒だと言わんばかりに目を閉じている。さながら、王に献上される手入れの行き届いた一輪の花のようだ。その小さな薄色の唇が、嗤うまでは。
「私はゼファンディア第二位、ペトー・クロテッサ・ラ・ルリューゼルですわ。
『サカヅキ・ソネット・ラ・ヒカル』の同行者でよろしいですわよね? お答えなさい」
ミナは目ざとく、その王冠の刺繍の下に、懐中時計を象ったような山吹色の宝珠のペンダントがついているのを見つけた。弱いが、質の高い魔力を放っていて先ほどから気になっていたのである。この傭兵や大会出場予定者、人混みの中で正確にこの女を捉えられていたのはある意味このペンダントのおかげと言っていい。
「…違う、といったらどうしますか?」
「まさか! ならば私はその身に纏う684もの魔力の理由を問いただすしかありませんわ。幸いこの町では傭兵狩りが行なわれて久しいようですわね。…コロシアムまでの日程も間近。競争相手は早め早めに間引いておきたいですもの。
…ええ、貴方の言うとおり間違いかも知れませんわ。けれどマキシベーの王女様捜索に与していれば傭兵同士の諍いも仕方がないでしょうからね、『不幸にも』傭兵ではない一般人を間違えて襲ってしまうこともあるでしょう…フフフ。
――して、」
顎でしゃくるように、挑発的にミナを見た。
魔力量にか、はたまたゼファンディアという自分を前にしての冷静な態度にか。
「…何か?」
呟くように言うミナ。じっとりと背中に汗が溜まり、シャツが張り付いている…。
「驚かないですのね。まさか天下に名高き名門ゼファンディアを知らぬ訳でもないでしょう。
………………まさか、魔力量を量れるのですか、貴方は」
「――お生憎さまです。MPなど手数の多さの指標に過ぎません。
…わたしとしてはどうやって捌いたかが気になるところです。さすがは名門の代表と言ったところですか…?
母より伝えられてます。
そのペンダントは、生徒会長の証ですね?」
曰く、『最高学区の赤陽色に気をつけよ』。
邪神とともにミナの母親が戦った相手ベーツェフォルト公国は、後のアストロニア王朝の指導者の口添えの元その最高学区の力を振るわせたのである。今期の『切り札』を考慮しても、その時代のゼファンディア代表は勝るとも劣らない名だたる実力者が並んでいたと聞いている。4000名の生徒の頂点に立つ生徒会長には、自治、風紀の守護者として
「証」が先代より受け継がれるのだ。装備者の半径一キロ内を対象とする魔力感知は、万能者をさらに万能者たらしめる最高生徒の証と言えよう。
「…あら、思った以上に賢いようね。なるほど、私が貴方を退場させるにしては十分すぎる理由ですわ。興味ありませんが…彼らの作戦の支障を来す恐れもありますし。
まぁ? 私は『生徒会長代行』ですので御安心を。
――ただ、正規の会長より劣ると思ったら大間違いですのよ」
(……………まずい…ヒカル様の身が危ない…ッ)
ミナは意識的に二度、念のため三度、つばを飲み込む。気圧されている。魔力量など差にならないのだ。専門的な知識と技術に裏打ちされた少女の自信に、温室育ちなどという言葉は当てはまらないのだと思い知った…!
「(だけど………こちらは負けるわけにはいかないのですから…!)…ッ」
主がいない間パーティの留守を預かっているのは自分なのだ。
邪神の生け贄であり、守護者であるプライドにかけても。
「ああもー! ヒカル大丈夫かしら…!」
ファンナは金髪ロングを大きくたなびかせながら走る。踊り子じみた開放感たっぷりなドレスは、日の下では扇情的というより健康的であった。
おおよそ一五分間ノンストップの逃走である。地下通路をひた走り、階段を駆け上る。通りに出ても未だ手をひかれていたブクオはとっくの昔にバテて目を回していた。ファンナはそれでもかなり加減して走った方だ…二スタリアンの地獄の訓練のほどが身に染みる気持ちだった。
「ひぃ、ふぅ…! けほっけほっ…! ね、姉ちゃん早ぇや…!」
「だらしないわね、しゃきっとしなさい!」
ファンナは言い捨てると、耳に手を添え、辺りを『聞く』。
「ちっ…この通りの先はダメね、誰か戦ってるみたい。女の子と女の子か――」
厚い人混みの向こう二キロほどの辺りが音源だ。偉ぶったような典型的な貴族の娘のな口調。おそらく片方はゼファンディアの生徒だろう、と推測する。こちらに向かって数人が走ってくる音もあった。ファンナは目視してみたが、少女二人に獣人と全く見覚えもない。
「(気が立ってる犬猿の仲にわざわざ近づくこともない、か)
…ブクオ、これ以上スピードは落とせないわ。無理だって言うならまたおんぶするわよ。
ひとまずギルドへ急ぐわ! シュト-リアとヒカルの同行者を捜さないと…!」
「ふぅ、グッ………わ、分かったからあと、ひぃ、あとちょっとだけ………、
…?」
「どうしたの」
「あ、れ? 分からないけど、
あ、…………………だ、誰か…こっちに走ってきてるじゃないかっ」
「女子供よ。…追撃者が2、…いや3人。屋根渡りといい人ごみを駆け抜ける技術といい、かなり訓練されてるみたい。アーラック盗賊団に関係があるのかも。
…よし、ブクオちょっとごめん、助太刀してくるわ。貴方はそこの喫茶店で待ってて」
銀貨を指で弾いてブクオに渡し、身を翻して逃亡者の元へ走った。
バウムがナツ達に追いついたときには…いつぞやの盗賊達に囲まれていた。
「ぬぅ…!」
焦げ茶皮の横ツバの垂れ下がった皮カブト、革の鎧とプロテクターで身を包み、けれどその地味な色合いの装備とは裏腹にここの戦闘技術はCランク傭兵並という反則的な盗賊団である。忘れる、はずもない。
「アーラックの手の者が堂々と日中からかかってくるとはな…!」
投げナイフを雷弾ではじき、煙幕を瞬時に土流障壁で飲み込み、風や水、炎といった魔法攻撃を薙ぎ切りはじき返し受け流しかわし、そしてしっぽの魔力で相殺するバウム。
ナツやエマがどんなに本気で走ろうと所詮少女のそれである。獣人であるバウムは元より身軽なキツネの種族なため、その気になれば屋根に一息で飛び乗り屋根伝いに逃亡することも可能である…しかしそうであるがゆえに、全力で逃げられない不安を抱えながらも捌く捌く捌く。
相手は複数だ、永遠に逃げ切れるはずもない。
だが矢の一本たりとも、怪我一つたりともエマ達に負わせる訳にはいかない…!
「くぅ!!!」
エマ達に意識をむけすぎて、投げナイフをかわし損ねて右足に擦過傷ができてしまう。顔をしかめた。
……………………それが、隙になった。
(く…!?)
ナツ達の障壁が足りなかった。
いや、三枚とも万全な状態であったとしても無意味だったろう。
バウムにとってそれは悪夢だった。『神聖魔法の魔力』が付与された投げナイフが、三枚の障壁をまるでものともせずに、皮肉なまでに真っ直ぐ、エマの首元へ吸い込まれ、
「――獣人さん、まかせてもらえる?」
エマの首まで一〇センチを残してナイフが停止していた。エマ達が、背後の突然の着地音に驚いて振り向くと、
「あら、この中に私達のセンパイもいらっしゃるんだ。
へー……何もかも腐りきってるわね。
随分ともう、栄光ある二スタリアンを汚してくれるじゃない…!」
残像すら残す勢いで投げ返した。猛烈な風切り音が空を走り猛烈な白色に軌跡し、バウムの後ろに迫っていた盗賊の首を飛ばしてみせる。
バウムが新手と警戒してファンナの身体を捉えた時には、ナツとエマが彼女の後ろ背に守られ、
「逃がしもしないし生かしもしないわ。
この、二スタリアンの恥さらし」
…投げたはずのナイフが彼女の手元にあり、その第二刃を再び投擲するところだった。
―― コロシアムまで後、四日 オットー山脈山腹 ――
…僕たちはまるで海の嵐に取り残された一つのランプその物だった。
辺りはもう上も下も右も左もない。雪嵐も極まってきて、障壁にすら雪がまとわりつき視界を塞ぐ。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
マグダウェルが方向を指示し、僕が背負っているヒカル兄さんが障壁の道を展開する。何でもヒカル兄さんは障壁の座標を思う通りに動かす事が出来ないらしく、ただでさえ熱でうだっている身体に鞭打って道通りに障壁の球を作り、通り過ぎたら消していく、なんていう精神をすり減らす事をただただ繰り返していた。
「ブックナー君、…………そろそろ厳しい?
貴方、もう8時間ぶっ続けなのよ」
「僕は大丈夫だっ…、で、でもヒカル兄さんが…」
順調すぎると言っても過言じゃなかった。洞窟を抜け出た時はそこが山頂だったため周りに雪溜まりが少なかったのでまだ良かったほうで、やや平面になってくる山腹は…想像を絶した。
吹き下ろしてくる雪、
吹き上げてくる雪、
押し流してくる雪、
奔る雪、被さってくる雪。
何もかも埋め尽くして――。
時には視界が悪く崖崩れしているところを知らずに踏み入れていたこともあった。これが神殿障壁ではなくただの炎の障壁だったなら僕たちは崖下に真っ逆さまだったろう。ヒカル兄さんがいなければ最低でも三回は死んでいる。…ヒカル兄さんの虚ろな目には崖など見えず、ただただマグダウェルに指示されるままの方向に障壁を作り続けるのみだ。
兄さんの破れんばかりの鼓動が、背中を叩く。
二スタリアンの非人間的な教師達ですら棄権を棄権させるほど魔力が荒れていた。背中の魔力孔が剣山を突き立てられてるように鋭く痛み、唇をかんで耐えていた。
この痛みが引けば、それはヒカル兄さんの意識が落ちる危険サインなのである。
「兄さん、ヒカル兄さん…寝ちゃダメだっ…」
右肩に顔を置くようにして発熱している兄さんは、もう、限界の限界まで来てるに違いない。眉尻も落ちて、いつもの強がりなど何もない。意識をなくしていないのが奇跡的だった。何とか僕に応えようと首をがく、がくと動かしたりと、もう気を失う一歩手前まで来ている。
なにせ、ヒカル兄さんが気を失えばその時点で僕たちの死が確定するのだ。
「私が何とかしてみます、貴方はそのまま真っ直ぐに
――糸より細き子守の目よ、光、光、映し出す…細部診断」
「まっすぐ? 方向感覚なんてとうに狂いきってますって…!」
マグダウェルがヒカル兄さんの首もとに手を添え呪文を唱える。それは学校の治療室の教師がよく使っていた手術用の診断魔法だった。
「……そんな魔法も知っているなんて…」
「器用貧乏ですわよ。今の私にはこの程度しか助力できませんから……む」
改めてこの女性が、二スタリアンと並び称される魔法使いの名門であることを思い知らされた気がした。その生徒会長と言うからにはもはや知らない六力の魔法などないのだろう。
「どうだ、ヒカル兄さんの具合」
ちらりと振り向く。なぜか口を開けて唖然としていたマグダウェルが首を振り、勘違いですわよね、などと言いながら再度呪文をかけ直した。
なぜか不安で、背負っているヒカル兄さんのふくらはぎを支える手に力が入る。
「……………な、何なんですのこの男…………………!!!!!」
まるで今まで使ってきた教科書が実は嘘っぱちだったと告白されたような信じられないという顔で、今にも笑い出しそうに、
「ど、どうしたのマグダウェル…」
「動かないで! …絶対ですわよ…!? ちゃんと説明します、でも、絶対に動かないで!! …死にますわよヒカル君が」
「…………………………う、そ、でしょ…!?」
急に宣言されて、逆に力が抜けて落としてしまいそうだった。でも、こんな時にこの人が冗談で嘘を言うなんてあり得ない…!
「ヒカル兄さん! お、お願いだよ…っ、ヒカル兄さんってば…!」
「落ち着いてブックナー君!! この呪文がしっかり機能していることは、数日前死にかけの私の仲間にもかけていたから分かってる! この診断は間違ってないのですわ!
だから…っ……この人は、とっくに限界まできてる『はず』ですの!」
僕の頬を張る代わりに、声量で僕の鼓膜を叩いて来るマグダウェルだった。知らずヒカル兄さんにつられるようにして僕まで息が荒くなっていて、視界がふらふらと揺らいでいた。
「ご、めん」
「いいのです、私も信じられないくらいですから。
この人は体力は………ほぼ、ゼロです。このまま放置しておけばそのまま衰弱死する『はず』でしょう……………でも、おかしいのです。
貴方も魔力孔で感じているとおり、この男は魔力がなにがしかの生命活動を促している訳でもなければ、身体の成分が生命力に大急ぎで転換されているわけでもないでもない…………………信じられないけれど、だから思うのです。
これはもしかしたら、……………ヒカル君は、気力だけで」
「そんなバカな!? …そんなものがあるなら二スタリアンでも研究されてるはずだ…!」
「いえ、言い方が紛らわしかったようですわね。……例えば呼吸法とか、無意識に力を入れている部分とか、説明力に欠けますが生きようとする意志その物ですか…………。
そうでないと、ほぼないに等しい体力のくせに、その一線を越えようとしない事の説明がつかない」
「…………そうか。…でも、ヒカル兄さん、何でか知らないけど相当に荒事に慣れてる節はあったよ。危険な目にあったりするのも日常茶飯事だったんだろう。
旅をしている時にそういう技術やらを会得してたって何の不思議もない」
奴隷解放の時にも、あの暴熱風を巻き起こす扇のすさまじさに圧巻だった。大きく広く大量の魔力をばらまくように発動してさえレンガを強烈な火であぶったように発熱させるほど。あの魔力が一点集中されてみろ、突破できない魔法なんて存在しないに違いない。あの無敵とも思えるヒカル兄さんなら誰にだって負けるはずないし、死ぬはずない。そうさ、今もこんなにも熱く僕の背中にいるじゃないか――。
「(って……ぼ、……………………僕は、一体何を)」
…仮にもコロシアムで競おうとしていた相手だぞ? まるでこの人に勝って欲しいような言いぐさ…、
「……………お、前ら…黙って聞いてりゃ、人の事、化け物みたいに…」
「…ヒカル兄さんッ!?」
「…………………………ッ」
マグダウェルはもう幽霊か何かを見ているかのように片手で頭を抱えていた。でも、そんな事はどうでもいい…!
「ヒカル兄さん、大丈夫なの!? 寝ちゃダメだからね…!?」
「だから、寝てないって。そうじゃないとこの障壁消えちまうだろうが。
ほれ、何止まってるんだ…。さっさ歩け」
「だ、だって…だって………!!!」
「うっすらとしか覚えてないけど、歩いた振動だけで死ぬもんか。
…何涙ぐんでるんだよお前………イタタタタタタタタ!? おしりつねるなよ! アザになるだろ…っ」
「人の気も知らないで! どんだけ心配したか分かってるの!? も、もう~…!!」
――……――
まぁ、ホントのことを言えば半分夢見心地だった。何せ冷気やら風やら自分達やらを外に追い出した障壁の内部は人肌のままに温かくて、寝落ちしないというのがおかしい。
持ち直したブックナーが袖で目をぬぐうと、また歩き出す。
「(ヒカル君、貴方…………どうして)」
マグダウェルがブックナーにも聞こえないように呟くように言う。
「(はは…バレてるんだ)」
そうさ、はっきり言って今にも死にそうだ。でも人の体力って奴は曖昧で、たとえ胸をさされて死の瀬戸際にいたって何となくなら言葉も発せる。
…元の世界にいた時だって三六九と一緒に毎回毎回死んでるような感じだったからか、この自分が亡くなる寸前のぎりぎりのラインすら慣れたもんだ。いつも「もう死ぬ、ああ、もうだめだ」なんて思いながら諦めかけてでも耐えて。出血多量で、後に診断されてみると数時間で死に至っていたという傷でなんだかんだしてるうちに五日耐えていたこともあるから、恐怖なんてものは微塵もない。さすが今までも、即死級のは食らわないように注意はしてきたけど。
この程度で死ぬものか。
まるで暗示や狂信にも似た経験則が、世界の理すらねじ曲げて、俺は生きている。病は気からというし。
(俺一人が耐えるんじゃ、だめなわけね。ブックナーみたいなのは、世話焼いてやんないといけないのか)
不思議だ、昔はいつも足を引っ張ってばかりだった俺が、今度は気にかけなきゃいけないらしい。…いや、そういえばいつもそうだ。海賊から逃げて最後の砦に追い込まれたり、首都ビル最地下に閉じ込められたりして皆がなす術がないと絶望に暮れた時、…きっと正しく状況を理解しているからこそだったんだろうと思うが、頼りになると思っていた人が打ちひしがれ、大の大人が悪夢な光景に声を失って生気をなくしてしまっていた状況で…元気を出させる第一声は、俺の役目だった。無知無力だった俺だからこそだったろう。
何でこいつはこんなに元気なんだ。
人の気も知らないで。
この状況分かってるのか。
悲しくないのか。
俺の友達もお前の友達も目の前で食われたんだぞ。
バカが何やっても無駄だ。
でも、何度言われたって道化のように言い続けるのだ。こんな事してる場合じゃないだろ、と、何も出来ない俺が、時には死にそうな身体ででも、言い続けるしかなかった。
――それらが、やがて賞賛に変わった時。
どうにかなるに決まってる、どうにか出来る、と分かっていたから。
「ブックナー、…お前ってば本当に世話焼かせるんだな。バカ」
首に回した手で、ぎゅっとブックナーを抱きしめてやる。傍から見ると俺が背中から落ちないようにしがみついてるようにも見えなくもないが、ブックナーは自分より大きい俺を背負っていながら全然重いという素振りを見せない。戦士学校の訓練は一体どんなくらいきついのか気になるところだ。
「あっ……………」
で、何だか喘ぐような声をだすブックナーである。すんすん、と臭ってみると、何かブックナーのうなじから甘い匂いもする。そう言えばシュト-リアもこんな感じの匂いがしたな。鎧とか装備品つけてるとこんな………………こんな女っぽい匂い、するんだろうか。
「あ、」
装備、で気付いた。ちょっとポケットをまさぐってみる。
「………………………………うゎあ、亡熱刺扇とアニウェの首狩り剣がねぇえええええええええええええええ!!!???
く、くっそー…!! あれ正規の売値高かったのに…!」
勿論ある意味有名なアニウェの首狩り剣のほうだ。やっぱり珍しい能力と形状持ってるし、さすがは名匠の迷品と言ったところか。丹念にお手入れもしてきたのに。
「…と言うことは、ブックナーも剣がないじゃん。
良かったな、お互い部屋に装備置いてきて。俺もしも36000シシリーも使わせやがったお前の剣が取られでもしてたら、このまま絞め殺してるからな? 冗談抜きで」
「ヒカル兄さんは金持ちなのにケチだね」
「いーや、もう金持ちでもないよ。有り金全部取られたからすっからかんだ。
…あの時は失敗したって思ったけど、オークションであの炎操のネックレス買っててよかったぜ。全額そのまま取られてたら発狂してるところだ」
何だかブックナーの髪の毛が首に当たってこそばゆいので、頭を動かして端にやる。
(……………あれ、脱色してるの、これ)
潜入捜査するから変装するぞ、と三六九に言われて髪を染められた事もあったなーと思い出す。結論から言うと俺にパツ金なんて似合わなかった。お洒落にうるさい女子達は褒めてくれたけど、はっきり言って落ち着かなかったのである。
何かに気付きそうだったが、熱に浮かされた頭じゃぼうっとして考えが及ばな、
…ズシ――――ン…!!
「…ッ! ブックナー君、止まって下さい。これは…」
「……地震か?」
「ヒカル兄さん、地震にしては変だ、山なのに、局地的すぎる」
そうなのだ、地震にしては何だか狭く、でも重量感がある音だ。コンテナをそれなりの高さから落としたような、下敷きになればひとたまりもないと言うことだけは理解出来る。
…ズシ――ン、…ズシーン…!!
「………うえ、………………………上ですわ!! く、…ペンダントがあれば捕捉できますのに…!」
マグダウェルが右手を掲げ、臨戦態勢に入る。といっても、その右手に集まる魔力は全身から絞り出したぎりぎりの量だ。ミナの火炎弾よりわずかに上回っている程度である。
「マグダウェル、おかしいだろ、上って…山頂…だぞ!? ここいらまで寒すぎて魔物の一匹も出てこなかったじゃないか! 気配もなかったし、」
「…………………………………寝てたとか、どうよ」
いや、おかしいのはそれだけじゃない。この場はまるで止むことを知らない雪の災害地と化している。昼か夜かも分からない暗闇がどこまでも広がっていて草一本生き物の痕跡が何一つない。この有様を考えると、〇度以上になぞなったことは一度もないだろう。
つまり雪は柔らかく、どこまでも深いはずなのだ。片足を踏み入れてさえ重量は目も眩むほどになるのは間違いない。ならば、一足一足が『地を捉え』、かつ、変わらぬ歩調で続ける…この生き物の巨大さが知れる。
(畜っ生…!)
魔法がイメージに起因するから、神殿障壁はせいぜいもう一回り大きくするのが限度だ。それ以上拡大しようとすると魔力の繋がりが切れて霧散して最初からになる。この雪嵐に身をさらせばたとえ数秒だとしても命取りになる。俺一人だったらともかく、ブックナーやマグダウェルを道連れにすることは…できないっ…!
ズシン、…ズシン…ズシン…………………ズシン!!!
「………………………――ッ…!!!!」
一同が、そのシルエットに言葉を失った。
ダークグリーンのシャチが鱗と頭に透明なクリスタルの塊を生やしたような顔だった。胴体自体が巨大な卵のように丸々と頑強で、腕や四肢の太さはそれぞれ俺の背丈ほどもある。背には頭部に乗っかっているクリスタル――輝きからして氷なのだろうが――が山をつくっていて、質量を想像するだけで寒気がする。
――大きすぎる。
なんだって、こんな時に八階建てのビルを相手にしろってのか……!!
「大、…きい」
「自然色竜種…………く、何て事、場所からしてヒュグルドドラゴンですわね。
にしても、ざっと四七ニール…論文の最大体長を超えてますわよ、これ…!!
この山の主…なのかしら」
マサドで垣間見た一〇メートルを超えていたクレイドラゴンが、まるで子供だ。まだこの竜の幼年期の方が長大だったに違いない。ティラノサウルスだって一二メートル前後だったって話だ。約二四メートルもの超弩級をどうやって相手にしろって言う――…?
神殿障壁の明かりで瞳が光り返してくる。…間違いなく俺の顔より大きい眼球が、瞳孔を開き切らして俺達を凝視していた。なるほど、この辺じゃ餌もロクに取れないよなぁ。…いや? もしかするとここに召喚される人間を狙ってここに住み着いたのかもしれない。
「…はぁ、はぁ…ッ……………ヒュグルドっていったら…確かブルブムアックスの材料になるって言う…?」
ブルブムアックス――俺の投擲専門の呪いの武器だ。ヒュグルドドラゴンを生きたまま溶かし、その涙を集め斧に練り込んで鍛えたという一品である。守備力を無視して攻撃を与える武装自慢には天敵の武具といえる。自分の守備力をも0にしてしまうって言う難点はあるものの。
「…驚きましたわ、ヒカル君は学がおありになったのですね。
そうです…あの斧は涙を用いているのですわ。
〇度以下では身体の水分が凍ってしまう。ゆえに、このドラゴンの涙には硬いものを柔らかくする特殊な成分が含まれているのでしょう。頑強な守備力をも奪うというのはおそらくこの効果が起因するものですわ」
「武器の話なんてどうでもいいでしょ二人とも!
涙? …こんなドラゴンが泣けば一体一度に何リットル取れるかわからないよ…!
…だめだ、来る!!」
『ゴォ、ゴォオオオオオオオオオオオ!!!』
――ヒュグルドドラゴンはしっぽを振るっただけだ。
なのに、雪原を奔る爆発の軌跡が俺達を襲った。
「ぐ、ぅううううううううううううううううううううううう!!!!」
まるで、戦場兵器…ッ!!!!
障壁がしっぽを受け止めて大きく振動する。まるでシェルター越しにミサイルを食らったように空気が震え、臓器があばらの中で暴れて悲鳴を上げた。見れば、しっぽの風圧で俺達の障壁の下にあった雪まで吹き飛ばされ、宙に浮いている状態になっている。
「そんな…ヒカル兄さんの障壁に、ひび!?
滅茶苦茶だ。質量が違いすぎる…!!」
しっぽのクリスタルが剣山のようになっていたのも理由だろう。とかく俺の障壁は尖ったものに弱い。イメージの及ばない障壁だけに、冷たさや物理的な危険からは身を守ってくれても規格外の一撃には早々耐えられないのだ。
「ち、き、しょう…余程必死なんだな、魔力ごと吹き飛ばしやがって…! またかき集めるのに集めるのに苦労するっての!」
両手が使えればもう少しイメージも膨らむんだろうが、強烈に眠いし、全身の神経が焼け落ちかけてるように身体が発熱していて鈍くなっている。もはや首も満足に動かなかった。なんてザマだ…っ。
「…久しぶりの獲物、って目をしてる。どうしよう、見逃してくれそうにない…!
ヒカル兄さん…どれくらい耐えられる…!?」
「…はぁ、はぁ、…ッくそ、無理言うなよ……!!
死にそうなくらいきついことには変わらん、なるべく時間取られずにさっさと下に降りて欲しい。それ理想な…」
俺が寝ぼけ眼で慌てて障壁のひびを修正しているそばで、マグダウェルが突如前へ出た。ミナの砲撃のように発射の抵抗を受けやすい横向きではなく、ただ正立から右腕を上げただけ。それが人差しの形でなければ、宣誓でも始めるのかという構えだった。
「ブックナー君にヒカル君、しばらく目を瞑っていて下さい。時間稼ぎになるか分かりませんが――、」
詠唱――そして、強烈なまでの光が、マグダウェルの右手、人差し指に集まりだす。
「月よ星よ日よ鍵よ、つんざく音を捨て、赫奕する十重を織れ、誉れ。さすれば一条の光たらん――」
俺がなじみ深い神聖魔法は、あくまで自分自身から生み出される発光だとするなら、これは集光だ。空や地面や雲を突っ切って細い光がわずかな電光を伴ってマグダウェルの右手に集約されていく。
風もなく音もない。
「………神聖魔法、じゃない…?」
電気を伴ったと言うことは、つまりは雷の派生系になる魔法なんだろう。
マグダウェルはシルエットを見据えた。彼女の銀の長い髪がわずかな風に後ろにながされ始める。さらにさらに奥、俺達を充血させて見つめる巨大な瞳をめがけ、
氷のドラゴンは止められた一撃目を不思議がるように、もう一撃を身体を二回転、そのまま重量のままに振りかぶり、
「『直閃する指光・改』…!」
光のピストルが放たれ、一条の光がドラゴンの眼球を貫いた――!!
文字通り光速の一撃、攻撃の質量こそミナ達の火炎弾に相違ない物の、速度が段違いだ。銃撃とレーザーでは根本的に切れ味が違うから…!!
ドォオオン…! と数十トンレベルの巨体が雪面に倒れ、もんどり打つ。重量が凄まじすぎてまるで地震だ。まるで山が倒れたかのように雪がふき上がる。
「はい…私はこれで打ち止めですわ」
憎悪と激痛の雄叫びを上げるドラゴン。反射的に音も障壁で対象に取るくらい耳に来たのである。一秒にも満たない時間だったのに鼓膜が麻痺してしまうほどに。
「マグダウェル、今のって…光魔法じゃ、」
さすがに脅威に思ったのだろう、ブックナーが溜まらず口を開いた。
「ええ、光魔法は雷の派生系と数ヶ月前に確認されたばかりで、物のついでに覚えたのですわ。私には真力も隣力もない希有な人間らしいので、使うだけなら、容易いです」
素知らぬ顔で言うが、禁呪とまで言われてる属性がそんな『物のついで』でほいほい覚えられたら世の中滅茶苦茶になってるっていうんだ。ミナ顔負けの射撃技術といい、万全ならば本当に凄腕…いや天才なんだろう。
「ここからは我慢比べです。ヒカル君、後は頼みますわよ」
「…言ってくれるよ、こっちは今にも『落ち』そうだってのに…!」
「…だめだ、直撃は危険過ぎる! マグダウェル、ヒカル兄さん、避けるよ!」
――俺達を餌ではなく敵と認識したドラゴンが緑の血をまき散らしつつ立ち上がる。今度こそ敵意の雄叫びを伴って、俺達へ突撃を開始した。
「さぁさぁさぁ! どうしたのです、一発も届きませんわよ!」
魔力の力押しで来ると思いきや、私の矢継ぎ早に放たれる炎弾を両手の魔力光で次々に弾くルリューゼルだった。音速かと思えるほどの左のジャブ、数発を薙ぎ返す右ストレート。身体を素早く反転させたり受け流しも含め、少しずつ距離を詰めてくる。先ほどの連続炎撃をもこの戦法で防いだのかもしれない。この時自分が観客にいたなら感嘆の溜め息を零していただろう。
指向性を持たせた魔力を圧縮したうえで、放つのではなく、消えず、在り続けさせる魔法。
魔力をただまき散らすのではなく残すことでその威力を長時間持たせる戦術だ。炎弾を捌く体術といい…私のように大量消費がちな戦術をとる魔法使いは相手取るには分が悪い近接型の魔術士らしい。しかもこちらの弾丸を三発に一発は殴り返してぶつけ相殺してくるほどである。
貴族でありながら――似合わない拳こそが彼女の魔法なのだと理解した。
だからといって戦術を負けるわけにはいかない。弾丸を弾丸を弾丸を、打ち込み、奔らせ、自身を一つの連射機関と変えて連射を止めない。
ヒカル様が武器として神殿障壁を使っているように。私も、今ある物を無理に変えず、戦略でその差を埋める…!
(でも…魔力ストックは遙かに私の方が上ですね)
にしても、限度がある。地面を打ち上げて視界を遮ったところになだれ打ちしても、魔力感知できる彼女には造作もなく打ち落とされるのだ。休むことなく炎を弾丸に変えて、けれど冷静になって考える。ルリューゼルの表情に余裕が少しずつなくなっているのだ。事実私の魔力感知でも五、六発ごとに一回彼女の拳の魔力を相殺しているのが確認できている。
赤毛一本ロールのルリューゼルは確実に距離を詰めてきている。もう残り四〇ニール(二〇メートル)もない…!
相対的に考えれば、体力的にも魔力的にも向こうが詰み。…ならば、このまま消費が進んで私の魔力とルリューゼルの魔力が均衡した時が勝負の分かれ目になる。
そうすれば向こうは一気に距離を詰めてくるだろう。近接に持ち込まれれば勝てる自信がない。
「ナツがいないのが苦しいですが――、」
…結局一か八か。
ヒカルのように機転もきかないなら、…私の持ちうる切り札を、切るしかない。
ミナは左手だけ炎弾射撃を止め、最初の構えのようにゆらり、拳を空に向けた。
「――『圧縮上限解除、
密度上限解除、
空間摩擦熱補正、
重力差分補正、
空間隔、第一縮小、第二縮小、第三縮小、第四縮小、第五縮小。
多重力場形成開始』…ッ…!!!」
空気が、空間が、文字通り吸い込まれる。
「な………!!!??」
ルリューゼルは、炎弾を捌きつつも目が点になった。小暗黒が左拳より発生し、今まさに弾いた炎弾をも瞬く間に引き寄せて飲み込んでしまったのだ。
二の句が、…継げない。
それもそのはず、少なくともこの大陸のどの国のどんな文献を漁ろうと見つかるはずもない、ニルベの生け贄に語り継がれる固有魔法。
周囲一帯の景色がはがれ落ちるように左拳の上に集まっていく。重力魔法は範囲を訪わずその魔力のままに引き寄せるが、この魔術はあくまで圧縮。その空間内の物を引き寄せるだけに過ぎない。空間や光をすら歪ませるのはこの圧縮の副作用とも言えた。
左手では、炎が結晶化していくかのように禍々しい黒光を放っている。
「…あ、圧縮魔術の重ねがけ………………!!??
ち、もう遊んでるわけにはいかなさそうですわね…!」
「素晴らしいです。さすが魔法生徒。まさか目視で見破られるとは思いませんでした」
毎秒五発の炎弾に回していた魔力を少しずつ集約していく。瞬間使用の上限は守っているのにもかかわらず全身の、特に左腕にかけて魔力孔が悲鳴を上げていた。塞がっている魔力孔をも外側から無理矢理こじ開けて魔力を収集しようとする圧縮のすさまじさは、骨格レベルから痛みを伝えてくる。三発も続けていれば魔力孔がことごとく焼き切れて廃人と化すだろう。
「く!?」
しびれを切らしたのはルリューゼルだった。隙を突くサイドステップで全弾をかわした後、高速化された速度で一気に距離を詰めてくる。
(まだ、圧縮も魔力も足りてない…! でも、これで勝負!!)
「ぁああああああ、漆黒ッッッ!!!!!!!!!!」
炎弾さながらの速度で打ち出された黒弾は、ルリューゼルの目の前で『爆発』した。
――……――
「エマ姉ちゃん!!!」
ファンナがバウム達を追撃する三人の盗賊を捌いた辺りでようやくブクオが到着した。自分を呼ぶ声を聞いた瞬間、エマはミヨルから身体の所有権を奪い、叫び返した。
「や、ヤークッ!? ヤークなの!?」
「ヤー坊…! よく無事で…!」
包帯をぐるぐるに巻いた顔で辺りを必死に探すエマの手をバウムが握り、近づいてきたブクオ二人ともを抱き留め、抱きしめる。突然のことに、傍にいたナツは唖然としていたが。
「盗賊団に捕まっていたのだな…大丈夫だったか…っ!?」
「うん、エマ姉ちゃんの仲間っていう奴に買ってもらって、助かった! 確か、…」
「ヒカル殿か!」
噛みしめるようにまた二人を抱くバウムだった。表情の薄い彼が感極まって涙すらにじませるので、子も同然の二人は安堵にその顔を見上げた。
「…して、ヒカル殿はどこに? わしもミナ殿の加勢にいかねば、
――…!?」
雷を爆音にしたかのように空気が割れる。
そして、猛烈な風が、バウム達の四肢の自由をわずかに奪い、引きずった。
一帯を吹き抜けたかと思えた爆発音が、風向きに引き寄せられるがごとく反響してもどってくる。砂や砂利が真っ先に通りを駆け抜けていった。ちょうど通りの反対側…ミナが襲撃者を相手にしている方角にだ。黒光が空気やら景色やらを引きずりこみ何もかもを飲み込むようである。
「こ、れは…!」
「見りゃわかるでしょう、すぐに逃げるわよ、獣人さんにブクオ達」
「助けてくれてありがたい。…しかし、しかし同行者が、あちらで捕まっておるのだ…!
この騒ぎの中置いていくわけにはいかんでな…!」
「私耳が良いから聞こえてたわよ、多分貴方達のお仲間は間違いなくこの黒い渦潮の最中にいる。
これが始まってから声や音がぱったりと途絶えたわ……この魔法、…まさか、音まで飲み込んでいってるんじゃないでしょうね…!」
陳列されている商品までも崩れ始め、近くで野次馬していた人や店々が慌てて屋内に逃げ込み、店を閉めた。
「姉様、…一人じゃ危ないって自分であれほど…!」
ファンナを戦闘に退避する皆々のしんがりで、エマに手を引かれながら――ナツが黒光を、…姉の蛮行を、憎々しげに睨むのだった。
「るぁああああああああああああああ!!!」
ルリューゼルは目の前で爆発した強烈な重力を振り切り、ミナに特攻した。爆心地を通り過ぎた辺りで全身を大岩につながれたかのような凄まじい『引き』を感じたが、魔力で強化した四肢で力任せに突っ切る。水、火、雷の真力隣力を込めた右ストレートが、ミナの腹を捉えて、打ち抜く。
「グふ………ッッ!!!!」
身体が、拳で宙に浮く。
トマトをかみつぶしたように吐血したが、猛烈なまでの重力が血すらも吸い込んでいって零れる物は何もない。ルリューゼル自慢の一本ロール…さながらスプリングのような髪が黒光に引っ張られて真っ直ぐになってしまっていた。
「私の拳で落ちなさい、女ァああ!!!」
腹を抱えて苦悶しているミナを、醜態をあざ笑うかのようなアッパーが殴り飛ばす。
「ガふっ!! …はぁ、あ、ッ、あっぅうぐうう…!!!」
鼻を折られ、出血が手で押さえてでさえ目に余るほどだった。こんな姿ヒカル様には見せられないですね…追い込まれておいて、頭に浮かぶのはそんな事ばかり。
なぜなら、既に勝敗は決しているのだから。
「何が、何がおかしい…!」
当惑するルリューゼルは噛みつくように言う。ミナが自らの背後を見ていることは分かっていた。
だが………………振りかえ、られないのだ。
触手を模した収集力の闇が、首元をぞくりと撫でる。
ミナの視線の先、ルリューゼルの背後では、黒光がさらに闇の触手を伸ばして景色を食っていっていた。
「スピード、―…緩めましたね?」
ミナはうずくまった振りをして両の手の平と足を地面に力の限り魔力で縫い付けていたのだ。ミナの目の前では、ルリューゼルがしっかり魔力で固定していたはずの足が、少しずつはがれていっている。蠢く黒光は魔力さえも飲み込んでいく…!
「き、きゃぁあああああああ!!!???」
ミナに届いた『音』はそれだけ。
ゼファンディア第二位は、無様に黒光に引き寄せられ巻き込まれ、右腕が左足が頭が胴体が髪が、くしゃくしゃに丸められていく紙のように押し潰れて――――少女は無になった。
「…圧縮、停止」
ミナは尻餅をつく。ぱたりと小台風が消え、静まりかえった大通りに一人、糸が切れた人形のように倒れ伏せるのだった。
ブックナーの光の剣戟が、氷竜の厚い鱗をまたもや切り落とす。
「く…! だめだ、でかすぎる…」
舌打ち混じりにバックステップし、ヒカルの障壁に転がり込む。
土魔法で急きょ作り出した無骨な土剣に神殿障壁をこめた一撃である。隙あらば、とヒカルの結界から飛び出して攻撃し、そしてすぐさま跳ねるように退却するヒットアンドアウェイ。
『――それで…それでいいですわ。本来竜種はパーティで挑んだとしても脅威。
けれど物には道理と方法とがあるのです。逃走スピードに欠け、下山しているがこの山の規模を理解出来ていない今の私達だからこそ、かえって逃げる時の精神的、身体的危険を背負うことの方が下策。
ブックナー君の神殿仮装ならばそれが出来る』
ブックナーがこれならば、と神殿仮装をこころみたところ、マグダウェルが意を決したようにそう言ったのである。ふらふらながらも、ヒカルも彼女の意見に賛同していた。腹を空かせてるならどこまでも追ってくるだろう…そのプレッシャーに耐えながら目視できる物は何もない雪嵐をゆくのは地獄だ、精神的に早々耐えられる物じゃない。
「…はぁ、ッぐ、…はっ、はぁっ……!」
「熱が下がらない…! く、まずいですわね…!」
マグダウェルが障壁の外で、両手で救うように雪を炎で溶かす。ヒカルの口にそそぎ、濡れた手で額に手を当てた。全く下がらない…本来なら適切な薬用処置の後早急な休眠が肝要なのに、障壁のためという理由で徹夜させている現状だ。
(この男、体力どうなってるのかしら…)
思って、皮肉げに笑んだ。自分が生徒会で思うままに改革にいそしんでいた時は、男子はだらしないなどとなじり倒していた物だが――。
「マグダウェル…ヒカル兄さんの容態は?」
「………。
さっきより良くなってますわ。やはり地面に寝かせておくと身体に優しいのかも知れません。しかし有限ではない。貴方は早急にあの竜の四肢を分断なさい」
…良くなっているなんて飛んでもない。ヒカルの体調はみるみる悪くなっていく。マグダウェルの診断で言えば0.1が0.08や7になっていっている状況で、油断ならないことに変わりはない。…マグダウェルが見ていて感じたことだが、どうもこのブックナーという少年はヒカルに精神的に依存してしまっている節があるように思えるのだった。無駄に気負わせて心配させて、ドラゴン狩りの意識を揺らがせてしまう理由にはならない。
「その土剣、こちらに向けてくださるかしら。神殿障壁は外して」
…造形的には酷い物だった。剣と言うより土を固めた棍棒だ。土魔法で武器の造形など確かに困難なことではあるが、それでもマグダウェルの目に余る。きょとんとして、柄を握ったまま刃の部分を彼女の差し出すと、マグダウェルが目を閉じ、手の平を当てた。――そして、押し伸ばすように刃の根本から先へ撫でる。
「うわ、…ッ、すごいな…! まるで鉄剣みたいな刃面だ」
「あと、間接を狙いなさい。わざわざ竜族の骨子に挑むことはありませんわ。肉だけを断つ気持ちで」
「ああ! …よしッ!!」
ヒカルは何か物言いたげにブックナーを見つめていたが、…少しでも早く楽にさせたいブックナーはその視線を自ら切って結界から飛び出した。白色障壁で身を覆ったブックナーは光弾となってドラゴンに肉薄する。
「はああああああああああああああああ!!!」
刈り取るように一撃…! しかし、読んでいたかのように大木のごとき爪が障壁を薙いだ。やはり竜族、神聖な血も含んでいるのか神殿障壁にすら抵抗力を持っている。
距離を後退回転で取り、マキシベーの突撃の構え。見下ろしてくる竜を、負けず、睨みあげる。
体長差は歴然としていた。いくら今の土剣が万物を切り裂くものだろうと、大木を箸で切り裂こうというのはいくら何でも無謀だ。相手は生命力ならばいかなる生物を押しのけて群を抜く最大級の生命体の一つ。彼らからすれば、人間など象にとってのアリに等しい。
――だが、それが二スタリアンの姿だ。
単体で超常に挑む白色の剣技。敵わぬなど百も承知。大陸最強の戦士の名門と謳われた彼らは、その昔の英雄を肯定するために万里を駆け、一振りに命を賭ける。
…少なくとも、マグダウェルの膝に頭を寝かせていたヒカルの目にはそう見えた。自分のように障壁で排除し切れていないためか、白色結界の中だというのにブックナーの服は猛烈な向かい風にはためいている。
まばゆいばかりの金色の、髪も。
あのエメラルドのような双眸で、見据えながら――。
「…マグダウェル、どうして、言わなかった?」
だが障壁は不純と認識して排除したのだろう。
ドラゴンに挑もうとする前に自らに小型の神殿障壁を展開させた際に、その髪を茶に染色していた『濁色』を取り去ってしまっているのだ。
「…『心配要素は言わない』と決めたので。あの少年は少々心配性なようですので」
「いや、…………確かにその通りだ。
でも、だとしたら…あいつは、少年じゃなくて、……少女だ」
目を閉じる。そして、マッシルドの街に来た時にラクソン公から言われた依頼を、思い返す。
『身長は…155センチ。
性別は女だ。
目が覚めるような白みがかった金髪のショート。顔は幼げだが眼光の鋭い緑の瞳。逃走時茶ローブでマキシベー王国兵士の剣と胸当てを奪って逃走、装備している物と見られている。
…かなりのの手練れだ。武術と魔法ともに優れ、取り抑えに行った王宮魔術士が数人いずれも軽傷だが返り討ちにあっている』
(あいつは裏オークションでは家名はマハルと名乗ってたけど。
…だとしても、わざわざ男装することもあるまい。それでは、お忍びで学校に来なきゃいけない理由に、ならない)
「大体、あいつの立場の目測がついたよ。…分かってると思うが、あいつ悪い奴じゃないんだ」
「ええ分かりますわよ。…羨ましいほどに」
『くぅううう!!!』
ムチのようにしなった極太の尾が障壁を横ッ叩きにしてくる。爆発をまともに浴びて視界が抹消した。一撃一撃が自然災害、斬りつけようと斬りつけようとその硬い鱗を切り取るばかりで肉になんか届きやしない! 剣圧で正面だけ雪を突破して一気に胴体の滑り込んだブックナーは、走りながらも地をしっかりと踏みしめ、その少女の細腕に似合わない速度で袈裟切りにしてのける。はがれた鱗を足台にして背のクリスタルに片手で捕まり跳ね上がり、切って切って切って切って切って切って切って…! 駆け上がるように背を踏破して跳躍、鼻先を撫で切るように回転切りして着地する。
(チャンスだ、戻るか、決めにかかるか…!)
ヒカルの容態がブックナーの脳裏をよぎった。今すぐその手を握りに行きたいが、ここでこのドラゴンを倒していないとヒカルの命その物が危ない。
決心して、走り出し、再びその胴体の下に特攻し、
『!!!』
――このドラゴンにとってはあくまで体勢を立て直すために前足を踏み戻したに過ぎなかったのだろう。大木がブックナーの背中を捉えた。まるでブックナーの神殿障壁がピンポン球のようにはじき飛ばされ雪の山に突っ込んだ。神殿障壁が弾き消えたので呼吸をも忘れる必死さで障壁を展開し直す。
「まず、…ヒカル兄さん達から離れすぎてる…!!!!」
しかし、魔力はみるみるなくなっていく。
わずかな時間でさえ、土剣と神聖魔法付与、自身を守るぎりぎりの大きさの神殿障壁は、回復が見込めない今では絶望的ともよべるスピードでMPを蝕んでいってしまうのだ。ヒカルの残存魔力の心配などとうに思考の蚊帳の外。
「考えろ、考えろブックナー…あのドラゴンを何とか退ける方法を…!!」
まるで、そのブックナーの名前にはその強さがあるのだと言わんばかりに、吠えた。
『グォォ…ッ、―グウォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
そしてそのブックナーに応えるように、氷の竜が天を仰いだ。
…空へ、モホモスでさえ一口の巨大な口を開け。竜の身体全体が、クリスタルが、鱗の一つ一つが紺碧に発光を始め…光は徐々にその開いた口に集まっていく――!!!
集まる魔力の一つ一つが氷の精霊の一撃に匹敵するほどの物だ。それを百も二百も集めて何をしようというのか。
「な、んだこれ…!」
『――ックナ-君! ブックナー君ッ!!! 何をしているのですか、早くこちらに戻りなさい!!!!!!!!!!』
マグダウェルの雪嵐をも突っ切った叫び声に我を取り戻し、全力疾走で胴体の下を走り抜け、ヒカルの障壁へ帰還した。
――ギリギリだった。
氷結の大魔法。
冷気の極点。
絶対零度が光線と化し、蒼海色の暴力が神殿障壁もろとも一帯を飲み込んだ。
ゴゥウウウウウウウウウウウウウウウウ――!!!
鼓膜が内側から膨らむよう。吐き気がするほどの耳鳴りが頭を、全身を覆い、ヒカル達は為す術もなく剣も取り落とし耳を塞ぐ。外は、ヒカル達からすれば信じられない光景だった。神殿障壁の外で見える雪嵐もが凍結し、まるで雪達が瞬間接着剤で固められていくようにクリスタルへと変わっていくのだ。
「…嘘、でしょ…神殿障壁が凍っていってる……!!!」
べきべきべきべきべき…! と零度砲の直撃を受けている神殿障壁の正面が、神殿障壁を構成する魔力を強引に氷へ変化させていた。倒れてる場合じゃない…総毛だったヒカルが死ぬ思いで神殿障壁をさらに数枚構成する。
「貫かせてたまるかッッ――!!」
――そして、砲撃が、終わる。
「く、そ…頭が割れそうだ…!」
惨状は凄まじかった。瞬く間に一枚目、二枚目が完全凍結。三枚目を半分氷に変えられてしまっていた。ブックナーの障壁程度では瞬く間に氷結の牢獄となり、その芯まで氷の結晶となっていただろう。
「…はぁッ、はぁ、はぁ…! …そんな神聖魔法が、凍るほどなんて…!?」
威圧を振りまく氷のドラゴンに言葉を失う。尻餅をついていたブックナーは、目が離せず、土剣を手が探していた。マグダウェルがその腕を掴み、柄を掴ませる。
「貴方、…………………魔力、もうほとんど残ってないじゃない…!」
魔力孔の開き具合と出入りする魔力量で、ブックナーの内心を看破してみせるマグダウェルだった。
「大丈夫、この土剣の障壁は表面だけに魔力を振り分けてるからそんなに魔力は食わないよ。問題は自分を纏う障壁の方…、まずいよ、あの質量相手じゃ物理攻撃も耐えられないかも…」
動揺してかヒカルの神殿障壁もわずかに揺らいでいた。体調が最悪で魔力がまるでつかめず安定しない上に意識すらも眠っているのか起きているのか曖昧だ。今も強烈な睡魔がヒカルを襲っていて、それを律するべき頭は高熱でまともに動いてくれない…!
(まずい、まずいまずい…!! これじゃ、ジリ貧じゃないか…!)
物言わず冷徹にドラゴンを視線で貫いているマグダウェルも、言わないだけで同意見だった。先の蒼海の零度光線の一撃のせいで辺りの魔力が薄く最悪なまでに魔力が回復できない。
またわずかでも貯まれば『直閃する指光・改』でもう片方の目も貫いてやるつもりだったが、――あり得ないことに魔力供給が、ゼロ。
まるで辺りでクリスタルとかしている雪の一粒一粒が光線によって凍結させられた魔力にも思えた――。
「逃げは、…無理…ですわね…来ますわよ!」
あの一撃がヒカル達に有効だと勘づいたのか、ヒュグルドドラゴンはまたもや天を仰ぎ、紺碧の光をかき集め始めている――…!!
「――…、だめだ、今しかない…!!!」
「…ぶ、ックナー君…?」
「…説明は、後でする。というか、多分聡明なマグダウェルの事だから分かると思う」
ヒカルにはもはや、精一杯男っぽくしゃべろうとしている少女にしか見えなかった。
言うブックナーは、未だ自分の髪が金髪に戻っている事、眼球の色素魔法が外れてしまっている事に気付いていない。
懺悔するように呟き始めた。
「――……………………大会は、もうこれで無理だ。
僕の三年間も、…水の泡になる。
でも、ここで死んじゃったら、元も子もない、よね」
なぜかヒカルを見て。ヒカルの向こうにいる誰かを見て…。
ブックナーは剣を右手で振り下ろす。そして、左胸のポケット…盗賊団が逃したのだろう、今のブックナーの唯一の宝物と言うべき黄金のネックレスを手の平に包んだ。
三本剣が寄り添うマキシベー王国の紋章。騎士、そして剣の誇り。剣の部分はミスリルで出来ていて、その魔力保有率は学会で発見されている鉱石の中でも群を抜いて高い。
そして、アミルという少女が、猛者の集う大会を勝ち抜くために日々魔力を込め続けた、切り札。
「術式解凍全解放!
マテリアル・ドライブッッッッ!!!!!!!!!」
ネックレスから、熱が、風が、冷気が、電子がふきだしブックナーに浸透していく。高密度高純度の魔力は水蒸気のように辺りの景色を揺らがせ、たゆたった湖面のようにブックナーの姿を幻惑した。
「く、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
全身の魔力孔がだだ開きになり、一瞬でも油断すれば意識を根こそぎ持っていかれるほどだ。この術は本来、静止し瞑想する魔法使いのものであって、一瞬たりとも活動を停止できない剣士や戦士向きの物ではない。
その名も術式名『マテリアル・ドライブ』。
ゼファンディアの稀代の天才…そう、今この光景に言葉を失っているアエラ・クロテッサ・ラ・マグダウェルその人が宿敵二スタリアンに対抗すべく編み出した技法である。
ようは魔力を武器に込める、の逆バージョンだ。剣に魔法や属性を付与できる、アラマズールのように魔法が記憶されたりするのなら、魔力を武器に貯蓄しておき、武器から魔力を引き出して使う事も可能なはずである。身体は最大魔力保有量の限界があるが武具やアクセサリーは魔力制限が人体よりすくないことも理由だ。
ゆえに、巨大な魔力保有を可能にした。
神聖仮装による対神殿障壁を編み出し魔力切れを狙う二スタリアンに、ゼファンディアは魔法使いとしての誇りを持って、堂々と対抗するために――。
(…なんで、なぜこの子が私の技法を知っているのです…!
それも、知るどころか使用して…!
各国の王族と研究者にしか、お見せしていないはずですのに!)
だが、その身に纏う4300あまりの魔力は間違いなく本物だった。ブックナーは最大集中で剣に莫大な魔力を込め、余剰の魔力…それでも自身の最大MPの三倍をも上回る量を神殿障壁に内包し、軽く前方に振るう。…業物で切られた案山子のように、凍っていた神殿障壁がずれ、崩れて破砕した。
そして構えた。
前屈姿勢さながらで、剣の切っ先を真っ直ぐに巨像のドラゴンの眉間へ向ける。
荒れ狂う嵐のような各国の諍いから小さな小さな国を守るための、構え。
自分自身を一本の、絶対に折れない矢に変える――、
「一撃で決めるッ!」
金髪の少女が、白色結界を持ってクリスタルの地面を駆け抜ける。その手にある滑らかな切れ味の土剣は壮烈な白色光を帯びて、あわや夜空に浮かぶ星のように暗黒のオットー山脈を強く照らした。
目が眩んで直視できない。
ブックナーの気合いの叫びが雪の暴風にかき消されるも、その手に構えた一振りは圧倒的な光の密度で展開されていて『物音程度』鼻であしらうかのようだ。
そしてあと二十ニールに来たところでドラゴンが、雄叫びとともに、あの即死級の零度砲を放った。欲張りにもブックナーとヒカル達をどちらも狙ったらしく、疾走するスピードも相まってか、ブックナーの頭部近くに蒼光線が直撃する。残りは地面をクリスタルに変えヒカル達の障壁に叩きつけ最強の神聖魔法で編まれた障壁が硬質なダイアモンドのように鉱石へと変わっていく…!
「く、ま、負けるかぁあああ!!!!」
直撃が何だ、全力疾走の勢いで光線を力任せに突っ切ってドラゴンへ肉薄する。危険を察知して下降線を中断して振り下ろされる爪、通常ドラゴンの胴体ほどもある太さの巨大の尾によるなぎ払い――!
「たぁあッ!!!」
爪を一振りで三本を根元から切り落とし、しっぽに刀身を突き立てて捕まる。手がちぎれるイメージだった。苛烈極まりない風圧に吹き飛ばされそうだがここで手を離しては全てが無駄になる。なにより右目はマグダウェルによって潰れて死角になっている。この隙を逃す手はない…!
尾の勢いが収まってきた辺りで剣を抜き、また尾から背に駆けてのクリスタルの山を疾走を開始する。神殿障壁の硬度があるから可能なのだが、クリスタルはどれも鋭く一個一個がまるで剣だ。剣の切っ先を飛ぶように山を登る。ドラゴンはうっとうしい人間を嫌がって動くから、もしも何かの拍子に神殿障壁が貫かれればその瞬間にアウト。
一か八かなんて状況は、一流の魔法使いの猛攻を捌ききって近接する二スタリアンには当然のハンデ。
たとえそれが主クラスの竜種であろうと、ゆくゆくはその白色の一振りでもってかの英雄のように竜王種すら相手にせねばならないのなら、いずれ踏破せねばらない試練なのだ。
邪魔なクリスタルは破砕する勢いで貫く。イバラ状になっている氷の棘はその大本から切断して切り飛ばし他のクリスタルもろとも押し崩す。飛ぶ、跳ねる、跳躍する。頭にまで上り詰めたブックナーは首の関節めがけて2、3の剣撃を放つ。
『グォ、ギャ、オオオオオオオオオオオオオオォン…!!』
(鱗が、厚い…!!!)
肉に届いているだろうが、だめだった。狙うなら背中側より腹側だろう。仰向けに倒れてくれなければそんな場所は狙えない。
(――なら、中から殺すまでだ!!)
悩む時間は一瞬たりとも、ない。ブックナーは全力で光の剣を頭部の苔のように生えている氷を破壊しつつ根本まで貫き、
「爆発、し ろ ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」
――そして剣士の少女は叫んだ。
破砕するドラゴンの頭部、剣の切っ先で破裂する魔力。神聖魔法が付与されたそれはあらゆる物理条件を無視して拡散する。
…ヒカル顔負けの神聖魔法の輝きが、オットー山脈の果てまでも伸びていくのだった。




