三六話 邪神と夜目と潜入と
ヒカルがファンナと『交渉』している同時刻――。
ウェール通りを観察する目があった。
「えっへっへ、なるほど、人にあらざるとはよく言ったものだわ。うわ、あの窓外の剣もンのすごい魔力……………世界干渉無視してるじゃない…くぅぅ、アレじゃ勘の鋭い周囲の魔術士は怯えてるでしょうに。いいなぁ、気持ちよさそう。
ねぇねぇビル君、聞いてる?」
目。それは決して一つや二つではないが――その中でも一際『観察』にふさわしい目を向けているのが彼らだった。
連綿と連なる煉瓦造りの街並みの、屋根の上。だが、下は浮き足だった人々が珍品、名品、美味に夢中になっていて、彼らに気付くはずもない。もともとすぐ隣の高層宿の隣にあって日陰になっているせいもあるが、その道の達人も舌を巻くほどに断たれた気配はたとえ彼らを視界に捉えたとしても気づけもしないだろう。
警備兵の詰め所を意味する五階建ての蒼煉瓦の尖塔の先端を掴み、それを抱くようにして双眼鏡を構えている『彼女』。そして、その塔本来の屋上に当たるテラスで溜め息顔の男性が手すりに腕を乗せて、俯き気味に溜め息する。
――だが、すぐ観察の視線を、戻す。
遙か二キロ先の窓越しの出来事を、裸眼で。
「あーあ涙ぐんじゃってる。二スタリアンも肩無しだよねぇ、OBとして情けないったら。
昨日の野試合の報告ではガッコで三位だっけ? 彼女。
パパ様に知られたら即結婚モノだねー。えっへっへ」
プライベートでの、それも親子だけの誓いですら『報告』として脳裏に刻んでいる彼らだった。黙らない少女に隠密の心得を説教してやろうかと肩を振るわせていたが、結局いつものように空気が抜けたように、止めた。
「…虚偽をするな。涙など一滴も出ていないぞ。
それがわずかでも報告に支障をきたす。
お前は総長に言われたばかりだろうが、マァム」
「あ、分かるぅ?
いやー遠視魔法良いなぁ。今もね、私今すごくお尻かゆくって、塔掴んでる手を使うべきか双眼鏡を持ってる手を使うべきか迷ってたの実は!
あ、頭に乗せれば良かった」
てへり、双眼鏡で頭を小突くと、女の子は器用に頭に乗せてぽりぽりスカートに手を入れて掻くのである。今日は祭りも近いせいかおめかしをして、赤いフリルが何本も縦に入った長袖の黒シャツに、羽毛のようにふっくらとしたパレオ状のスカートというお気に入りでそろえているのだ。悪戯顔で下のお目付役をみやる。が、相変わらず石像のような無感情で、わざとスカートをひらひらさせたことにも見向きもしない。せっかく帝都からわざわざ取り寄せた刺繍入りの下着なのに、とマァムは「むぬぬ」と少しむくれた。去年の流行語をプリントされたカウボーイハットのようなものを被っていて、帽子から零れるように薄桃のツインテールが風に、静かに流されている。
ビルと呼んだ、今年二十歳になる青年の眼球すれすれには小さな赤い魔法陣が展開されている。遠見の魔法とも呼ばれる派生系でも珍しい魔法……………と世間では言われているものだ。だが、当たり前のように彼らの『団』ではそれぞれが会得している。このマァムだけは、とある事情もあってその魔法は使えないのだが。
「ビル君、先輩に対して敬意と憧れが足りないよ? えっへ、これは常識だよ。犬がしっぽ振りキュンキュンする感じで」
「『先輩』のだらしないところを見ないふりをしてあげるのも後輩の役目とは思わないか? マァム」
「さっき注意してきたクセに! 忘れたとは言わせないよ!」
「我らが神に背くわけにはいかないからさ。
…それで、奴はどんな?」
「えーと浮いてる武器全44本それぞれに1000~5500の魔力だよ。バラバラなのは多分形状とか材質の違いっぽい。
…くんくん。
純粋な魔力みたいだから指向性はなし。化け物だね。マテリアル・ドライブでもあれほどいかないもの。
ホント報告通り人外技だなぁ…いや、魔力隠蔽しておけば人でも無理じゃないかな?
それにあの最北のー、…………………………なんだっけ」
「魔刀鍛冶ダイドロス翁か」
表向き10年前に処刑されている彼は、真法騎士団の武具の精製のため、大陸最北に位置するアーノームドロン研究所最地下に魔力封印という名の下幽閉されている。他にも異能な技術者を『保存』しているが、魔力を収集するという意味では…膨大な魔力を刀剣に打ち込むという彼の性質に近いように思えるのだった。
「そうそう彼。…彼の重力魔法でもあそこまで理不尽な収集はできないでしょ。彼も色々魔力法則を無視してるけどこのヒカル君はそれ以上だね!
うわー、かんっぺきな解呪。イグナの教皇クラスじゃない? アレを投げるんでしょ? いいなぁ、吹っ飛ばすのとか気持ちいいだろうに。
…えーと、危険度は………………Cくらいかな。魔力に害意がないし、何より彼魔力運用が若干ぎこちないもの。私でも殺せるレベル。今からやってみようか?」
「危険度C、と。
…マァム、お前は出来ても俺は出来ん。あなどれんってことでいいな?」
「いや侮って良いんじゃないかな。
ザコはザコらしく扱ってやらないと根付いちゃうよ? 負け犬精神」
魔力がミナと近い次元で感知できるマァムは一八万を黙視していながら『取るに足らない』と称してみせる。ビルはそれは驕りだ…とツッコミを入れようとしたが、また止めた。
それが、事実だからだ。
他の先輩も同様。『騎士団』中三番目の実力を有するという彼ら諜報部でさえ、目の前のヒカルを相手にするには余りある。
「…マァム。総長に言いつけるぞ」
「今、声がとうとうマジになったね!?
…し、仕方ないなぁ、愛すべき後輩の頼みなら仕方ないねー…」
今年22になる後輩ビルよりも8つも年下な先輩(14才)のマァムは、ガチガチ震えながら大量の冷汗を肌という肌から滲ませるのだった。これでもマァムを先輩として扱ってはいるのだ。年のわりに老成しているビルは本国では女性に異様な人気があり、マァムのお目付役としてその難を逃れていたりしていてそれなりの感謝もしている。だが、貴重な聖具を遊びで壊したり気ままに悪戯をするマァムを窘める方がよっぽど多い。
「…しっかし、今年は豊作だねー。内定もらってるって言うパーミル君も良い筋してるけど、それ以外もいよいよ怪物揃いだわ。ヒカル君を含めて大魔術士クラスが3、AA級ギルドが2。おまけにお隣さん(隣の大陸)で魔王を退治したって言う勇者ご一行様とか、お忍びで旅してる英雄クラスがまさかの5人。各国の諜報はその10倍数ときた。防諜も大変だわ…。
法王様がエストラントを密かに落とそうとしている各国の策略の可能性があるって言うのも頷けるよねぇ。えっへっへ、ま、杞憂だろうけど」
特に、勇者ご一行の数人と英雄クラス達の実力隠蔽は彼ら『騎士団』すら及ばない物がある。マァムの解析でも、特殊な術式でも使っているのかすらもわからないのだ。測定水晶を使用したところでその数値もそこそこなのだろう。
勇者。
英雄。
いずれも、邪神をすら圧倒する彼ら『騎士団』をも突破するであろう、文字通り『頂点』に位置する者達。魔族はもとより冥界や天界が地上に深く干渉できないのは彼らを相手取るのがただただ『怖い』から、だ。
町で民間人同様に服の話題に微笑んでいる者もいるのだろう。
他の旅人に混じって刀剣を見繕っている者もいるかもしれない。
コロシアムなど興味はないと、騎士団同様に今現在この町に蠢く悪意を探っている者もいるのだろう。
そして、英雄と称されつつも魔族、天界、冥界の手先もいるのだろう。この時期になると各国に潜伏している、もともと戦向きでない諜報部でさえ駆り出されて町の警備に当たらされるのもそのためである。
それら観点から見ても――マァムがヒカルを全然褒めてない声ですごいすごいと冷やかすのも理解出来るかも知れない。
「…ふむ。そう考えると総長のお考えは先駆的ではあるな。数値は当てにならない、か」
ビルが独りごちている傍で、マァムは遅くなった昼食を何にするか聞くかのように、
「――ビル。
そのまま北東東、およそ1964ニール(982メートル)、トラファルガー通りの道具屋ダングツの4F、左から2番目の窓」
「了解」
目視するビル。
開けた窓に寄りかかり町を見下ろしながらパンを食べていた青年の背後で、浮遊する大ナメクジのような寄生魔物が、同時に破裂した。驚いて青年がパンを落下させてしまう。
「あ、ああッ…サンドイッチもったいない…!
ううう、マサドで死んでたあの大悪魔と同じ匂いがするわ。
………送り主は一緒っぽいね。タンバニークとやり合っておきながらこちらに諜報する余裕もある、か」
それでも1週間前から諜報を開始してもう47匹目…3,4時間に一匹の割合で発見している魔物のほとんどが、である。
コロシアムやオークションの時期になると人の密度も増え、人と触れあう事が多くなるのだ。当然実力のあるギルドの人間も集まるので、民間人に寄生した後食物に魔物の卵を潜り込ませ、食させ、寄生させられ侵略の手駒とされてしまう。ゆえに、諜報部が巧みな情報操作で『傭兵狩りが行なわれている』と町に流した後、処理部が傭兵に変装してこれを残らず隠滅した。元々以前から傭兵狩りが行なわれていたし、所々で実際に傭兵狩りが行なわれていたのが良い隠れ蓑になったのだ。
「うふふふ、でも処理部の奴らホント笑っちゃう…。剣をお尻に突っ込んでるのなんか爆笑だったのよ。その点ではヒカル君は、ごーかく。
センスも抜群だし、彼さぁ、ウチに呼ばない? 君もお目付役が一人増えて楽ちんになってバンバンジー・おーけい」
「…万事OKって事で良いか、マァム」
傭兵になりきるため法具を持ってなかったのが災いしたようで、そのことごとくをあの魔術士に『狩られた』わけである。もっともその後ヒカルを処理しなかったのは、あくまでヒカルが自分達を傭兵狩りと勘違いした可能性がある、と総長が提唱したからだ。それが余計にマァムを笑わせる。いつもは冷酷な法の代弁者であり殺戮者である処理部が泣き寝入りだというのだ、今笑わずしていつ笑うというのか、とでもいうかのように。
「処理部か…。
そうだマァム、俺は入りたてで詳しくないが、マサドの件の大悪魔の死骸は処理部はどう処理したんだ?
報告によれば頭部と分裂していたんだろう?
しかも距離を考えると、しばらく生きていたって事になるんだが――」
「へ? ダイドロス爺さんに材料として送ったって聞いたよ?
えっへっへ、それは、ちなみに生きていたんじゃなくて『残魂』してたの」
「残魂?」
ビルが唯一マァムを先輩として実感するのは、こうした魔術やその他に関しての知識を請う時だ。
本来正規の入団者でないマァムだが、彼女は真法国が長年追っている組織『方舟』で保護された子供らしい。法力を知らないその時にも真法騎士団の数人を返り討ちにした、とビルは聞いている。その戦闘力と、実力に裏付けられた知識はその見た目とは比べものにならないのだ。
「そ。他人の魂が死体に乗り移って動くことをゾンビって言うけど、それって、死んだ直後の自分の魂でも良いわけじゃない? 魂とは本能と同義。つまりあの場合は、死んでからも魂が抜け出られなくて、そのまま本能のままにしばらく動いてたって事になるね。脳は死んでるんだから理性が動くわけもない」
「じゃあ、今年のティアラの魔力はそれからなのか?」
マッシルドの賞品の一つであるミスリルティアラの保護魔力は法力のバックアップを得た守護魔力だ。ミスリルの対魔力の性質上、精製時に大量の魔力を消費するため、毎年騎士団の何名かが『調達』に駆り出される。
「そーそー。爺さん、今頃嬉々としてすり下ろしてる最中じゃない? 去年は私が当番だったから引きずっていったのね。
感想。
人間、あれくらいイッちゃってると人生もバラ色って感じ。以上」
「引きずっていった?」
「うん。マキシベーの大地下にいた、自称魔王。
近場だったからねー。
…よっと、腕疲れちゃった。くぅ、ジュース飲みたいけどお金ないし…。
…適当に傭兵から巻き上げるか」
しれっと言いながらマァムは屋根から降りると、ビルのすぐ隣…5階の屋上の手すりに着地しぐるぐると腕を回した。そのままカウボーイ帽子を片手で被り直すと、子供が悪戯を企むようにうひひと笑ってみせる。それを後ろ目で見ていたビルは、心配になって冷汗を流していた。マァムの心配ではない。器物の心配だ。元々そういったペナルティのない処理部に属していたマァムだが、あまりに修繕費の出費がかさむので、自重するようにと言う意味を込めて左遷された彼女である。
胸元には、ビルとおそろいのようにも見える八つ手の星形を通した金のネックレス。聖具とは異なる力を備えた、魔力以外に世界を動かす力の一つが内包されている。
それが彼らが騎士団である証であり、強さでもある。
「………………戦闘は、あのヒカル君のようになるべく町の外でしてくれ。俺達が破損した者は基本自費出費なんだからな。俺が立て替えれる代金にも限界があるんだ、『隊長』」
「大きな仕事来ないんだもん諜報部…。
討伐命令回ってこないかなー…そしたら借金も一気に返せるんだけどなぁ。
えへへ、じゃー、あとよろしく」
去年で14才になった、真法騎士団最年少にして諜報部隊長――『人間戦艦』の異名を持つサライ・エストセンティノイア・ラ・マァムは、ボーナスもなしの安月給に思いっきり舌打ち、――消えた。
「長年ここでお客を見てきたけど、アンタみたいなあからさまな変装は初めてだよ。どっちが地か分からなくなるくらいさ」
「大丈夫ヒカル兄さん、すごく似合ってる」
「言ってる事別々だけど、少なくともあざ笑ってることは一緒な!?」
宿屋受付のおばさんにに6万シシリーの価値がある金貨を二枚手渡し、裏口へ出ていく。すでに順番待ちの列ができはじめていたが、まだ5、6人程度の所で滑り込めたのだ。
最初は順番待ちで人が多くなって、真法騎士団とやらにバレるんじゃないかとヒヤヒヤしていたがそうでもなかった。貴族は大きなホテルから直接入るみたいだし、こんな宿屋に貴族なんて泊まらないし、シュトーリアの「5000シシリー=一般市民の六ヶ月分の給料」を鑑みると一般市民のおよそ六年分の給料に値する金貨を支払わなければオークションにも入れないということになる。人が溜まらないわけだ。
裏口から出るとマンホールを二回り大きくしたような大きなような穴があり、傍には木の蓋と上に被せておいたと見える煉瓦さながらの布地が壁に寄せてあった。穴からは段差の大きい階段になっていて、階段を照らすように炎の魔法が奥に列を成して灯されてある。こんなあからさまな場所警備に見つかるんじゃ、と左右を見回してみると、…こんなに広かったっけとも思わせるくらいに通りとその喧騒が、遠い。
「幻術…呪いの宝具を使っているみたいだな。外からも中からも、この路地から行き来することは出来ないだろ」
「なるほど。外からここを通っても、ただ道の反対側に出るだけ、って奴か」
お坊ちゃまといった感じの子供赤スーツを着たブックナーは少々浮ついた声だった。よかった、何だか知らないけど着替え中に入っていったら怒られたのだ。ファンナは良いのに何で俺がだめなのか分からないが、いつの間にか機嫌は直したらしい。というか、今は初めての暗黒界のオークションにドキドキしているに違いないのだ。
「後ろがつかえてるみたいだし、さっさと中に入ろう。
あと、執事っぽくやれよヒカル兄さん」
着て気付いたことだが、この執事服じゃアクェウチドッドの雷剣とかテツとかが大きさ的にどうしても装備できない。人が密着する可能性がある薄暗い会場で勝手に発光する武器の持ち歩きは確かに注目を浴びるだろう。愛用の武器は持って来れないので、小回りのきく小さめの武器を三つ持っていくことにした。
・アニウェの首狩り剣
狂気の刀匠アニウェの一七傑作の一。見た目は継ぎ目のない二段特殊警棒だが、それは見た目だけで、攻撃判定時は鋭利な剣となる。剣の峰、腹が存在せず、どの角度から切り込んでも刃になる。首狩り剣とは、毎度のように作品の制作を急かした貴族を我慢ならなくなったアニウェが、その首を切り落としたことからきたものである。
アニウェの死後、本人の狂気を引き継ぐように装備者を狂わせる。一概には発想力が高まるとも言われている。また、食人ぐせがつく。
首はもとより、手首、足首などと言ったあらゆる『関節』を対象にした場合の攻撃力が上昇する。
・黒目夜目のダガー・ダガー
ガルガンツェリで国を騒がせた殺人鬼の使っていたダガー。握りの反対側にも短い刀身がある。
装備中は闇夜でも周りが昼のように明るく見える効果がある。『暗闇』『霧』系といった視覚に影響するペナルティを受けない。装備中は暗殺スキルが上昇しやすい。
守備力、運の良さが0になる。さらに防具の守備力をも五〇%低下させる。
これにくわえて投擲武具にして閃熱暴風の『亡熱刺扇』で、3つだ。愛用で持ち運びがしやすいと言えば魔王精製の超分身投げナイフ『シェイドリック』だが、人の密集した場所では巻き添えをおおいに生むだろうから今日はお留守番である。雷剣のように強力な魔力的な恩恵、テツのように気心の知れた使いやすさがないのが心許ないが、それもしかたない。
「…むぅ、ちょっと段差が大きい…」
ブックナーが小声で言う。階段は深く、そして灯はあるのに十分ではないせいか遠近感が取りにくいのだ。俺でも壁にある手すりを掴んでいなければ今にも転けそうだ。目先の紳士達も、後ろで雑談しながら降りてくる気品のある夫婦もまるで平気そうだ。ここで転けないことがオークションに参加する紳士、淑女を試されているかのような気配さえする。一年に一回しか開けられないオークションへの階段の赤煉瓦は天井はもちろん壁や階段の踏み場でさえも真新しく、掃除もされているのか手で触れても砂粒一つつかない。
「坊ちゃま、お手を拝借いたします」
返答など待たず、ブックナーの手を取った。あっ、と怪訝に見上げてくるがニヤニヤと見返してやる。
「ここの段差はお坊ちゃまにはおきついものと思われます。また私の背中をお貸ししますが、いかがしましょう」
「……………またって………………………あ…!」
俺の顔を惚けて見つめたかと思ったら急に赤くして、慌てて俯くブックナーである。
何考えてるんだか分からないがこそっと耳打ちするように、
「(大丈夫だって、ブックナーの見た目ならまだおんぶは通用するよ。足でもくじかれたら困るだけだ)」
「(二スタリアンの生徒だぞっ!? くじくなんてそんなヘマするわけないじゃないか)」
「(まぁ聞けって。ぶっちゃけ、執事を演じるのが難しいだけだ。言葉遣いにもいずれボロが出るだろうし、こんな所にブックナーみたいな子供が来る時点で怪しまれる。だから、)」
「(だからもう15だって言ってるだろう、子供じゃないったら!)」
「(何ムキになってるんだよ、訳分かんない奴だな。良いから聞けって。
続けるぞ。だから、『演出』する必要があるって言ってるんだ)」
邪神の説明と同じである。ただ邪神とのたまうより、実力を見せつけた後邪神だと言った方が圧倒的に信頼を得やすい。自分達の味方と示したいなら逆境の最中に救いの手をさしのべた方が圧倒的だ。かのイエス・キリストだって、元はと言えば腹を空かせた(救いを求めている)人間に、これ見よがしに石をパンに変え(神の御技を見せ)、信者を獲得していった。信者を獲得する方法とはつまり、相手に自分を信頼させることに等しい。
――邪神になってから色々考えたのだ。演出は、俺の立派な武器の一つである。
「(執事とその子供主人を装うより、『エピソードを提供』した方が信じ込みやすいのは道理だろ? だから、『大人のオークションに参加したくて強引に執事に連れてこさせたが、待ってる最中に足が疲れてしまった子供主人、とその執事』を演じてみようと思う。
それだと、俺が押しの弱い頼りない執事を演じられるから言葉遣いが慌てててもおかしくないってわけだ)」
「(で、でででででででも…、)」
「(ちょっと試したいこともあるんだブックナー。
俺を助けると思って。な? 知り合いも多くないんだし)」
「(その、……………………………………でも、それじゃヒカル兄さんが…)」
まだ公衆の面前でおんぶされる恥ずかしさが勝っているのだろう、なかなか落ちない。まだまだ先の見えない階段の奥からは貴族達の談笑が反響して上ってくる。
「(これも作戦なんだよ)」
「(そ、そうなの…? うぅ…ん、………………………………………………ぅ)」
もぅ煮え切らないったら。
俺は二段飛ばしでブックナーの目の前に背中を向けて中腰になった。段差が高いのでこれくらいで掴まれるはずだ。
案外ブックナーって人間は思い切りが良い振りをして、実は長く悩んだ末に破れかぶれになって選んでいるのかもしれない。こうして示されることを心のどこかで望んでいるというか、
「…(――――甘えたいというか)
坊ちゃま、どうぞ。この階段は危のうございます」
「…………………あぅ……………………ヒカル兄さ、ん…しないとだめ?」
「だめです。いいから早く」
すぐ首に回せる位置に来るも踏み出せなくて棒立ちのままだ。俺は溜め息混じりにその両足を掴む。「ひゃぁ!?」とか言って慌てて首に回してくる腕。
「あ、ああああ危ないじゃないかッ!」
「はいはい、しっかり捕まってて下さいね坊ちゃま」
ほいせ、と背負い直す。途中で炎が途切れているようで手すりがないと足下が覚束ないが、ブックナーも肩に顎を乗せるようにして密着してしがみつくのでもう大丈夫かな、と一歩を踏み出した。
同時に――――右手の指先を、後ろポケットのダガーに触れる。
すると、眼前の階段はまるで蛍光灯に照らされたかのように灯で満ちた。光源もないのにはっきりして見えるので、まるでこの壁や地面一帯が光を帯びだしたかのようにも感じる。影は薄く小さく、所々に仕掛けられた炎の小さな灯でできている。
「(なるほど、暗殺にはうってつけって訳だ)」
指を離すと電気を消したようにすぐに暗闇に戻る。夜、暗闇という概念を駆逐する視界は、夜な夜な徘徊して殺人を繰り返していた殺人者と同じらしいのだ。
エピソードを探ってみると…どうやら生まれながらに暗闇や夜を理解出来ない、昼に変換してしまう身体だったらしく、ある一定の時間になると不安になったり足下が覚束なくなる人々をおかしく思っていたのだという。昼は威張り散らして剛胆なのにある時間になるときょろきょろしだす大男、こんなに明るいのに自分を自分と認識できない女を嬲ってみたいという欲求が生まれるのは、この視界を見ていると何だか理解出来なくもない。
人をタンタンと軽い足取りで抜かしていって平面な通路に出てもまだブックナーを下ろさない俺である。首にしがみついたままのブックナーは息がかかるほどの距離で、
「ヒカル、兄さん…? もう歩ける――…」
「つまり、だ。この背負ってる姿をみんなに見せつけないと意味がないと思うんだよ俺は」
「………………あ、あああ! 階段じゃなくて、最初からそのつもりで…!?」
げしげし蹴り出すので、仕方なく俺は両足で抱えることにした。
ぴちゃん、ぴちゃん、と水が跳ねている。背中ですねたようなブックナーに聞いてみると、近くで用水路が通っているらしいのだ。中世の牢屋へ続く煉瓦の通路のように点々と壁に設置された炎を辿りつつ歩みを進める。
途中で折れ道があり、俺達が来た道より大きいそこからは、これまた人がぞろぞろと現われるじゃないか。ざわめきという水が下へ下へと通路を流れていくようだった。上の正規のオークション会場の気配など全く感じない。それはつまり、上からもなのだろう。
「まるでレジスタンスの会合みたいだな…」
「れじすたんすってなんだ?」
「ああ、クーデター起こした民衆とかのことね。もー大変なんだから」
去年の二月だったか。同じクラスの松葉純が高都宮グループの部長さんの娘で、俺や三六九達が招待されてオーストラリアに行ったのだが、そのままホテルで拉致されたという話である。その時も煉瓦の地下だったのである。まぁ、ただし手は背中で縛られて歩かされたけど。内実はアボリジニー系の人々による迫害に対する蜂起――と見せかけた高都宮グループを含めた他国籍の企業の排斥を狙った事件だった。マシンガン持って命からがらの脱出、放浪、飢えてる最中に原住民な敵意むき出しのアボリジニーに襲われもして大変だった。捕まって女子もいる中で三六九が脱がされようとしたとき、初めてあいつが慌てたのを見た気がするのである。今となっては良い思い出か。
「クーデターか…。
それはやはり王が悪いんだろうな」
「いや、俺の時は第三者だったわ。どっちも踊らされてただけ」
むぅ、と押し黙ってしまう。何だか黙り方が俺に似てきたなと思っていると隣から声がかけられた。
「なぁなぁ自分、どこの家の人?」
ニカっと笑いかけてくる男は俺の肩を掴むようにして話しかけてくるのだ。鼻や目の彫りが深く、炎にちらついて見えにくい。すかさず夜目ダガーに触れてしっかりとした灯で顔を観察する。
180はあろうかという長身で、顎が突き出た顔と、ひょろりと蛇の舌のように伸びているツヤある顎のヒゲが印象的だ。顔が瓜のように縦長なせいか彼の細目はもう瞑っているとしか思えない。だがしなやかな筋肉だ。腰に剣をかけてないのが不思議なくらい――そしてラクソンにも勝るとも劣らない軍服のような礼服で親しげに話しかけてくる男。声質からして三〇代前半くらいだろう。
「さっきの暗い階段軽ーく降りてったでしょ兄さん。すごいなぁ、夜目がきくんか」
「……………いえ、坊ちゃまを背負ったままでしたから勢いがついてしまっただけですよ。あのくらいの暗がりは、別に。
あと、私はマハル家の者です」
慌てて丁寧に返答する。この男軍人か傭兵か何かに違いない。
さぁ、ボロを出すまいぞ…。
「マハル? …ふーん。
でさ、兄さん瞳孔が全然開いてなかったやん」
「見間違いでございましょう。それに、均等に階段は配置されているのですから目視する必要はないと思いましたので。
貴方様もご友人と談笑しながら階段を下りられることはございませんか? ……ッ」
「ははぁ、そりゃそうやな!」
――階段を下り始めた頃はかすかだったが、地下通路を大所帯で通り始めた頃になるとあからさまにあのつんとしたキンモクセイの匂いがする。強すぎる香水だかお香だが知らないが、この匂いは、いつの間にか鼻が慣れてしまって気にならなくなるのだ。…オークションの熱気に当てられれば、匂いすら感じなくなるに違いない。
(黙秘の香、か。オークションが始まるまでの間にずっと息を止めてるかどうかしないとこのオークションを提訴することは出来ないって訳だ)
すでに一キロは歩いているだろうか。全力疾走でも俺にはとてもじゃないが、きつい。そしてもう吸い込んでしまっている以上、俺は知らぬ間に強力な暗示をかけられているというのが、正直信じられない。
…でも、もう遅い。
……………実はさっき試したのだ。
『階段を下りられることはございませんか』の後に続けるように、見ず知らずのこの男に、変装屋の事を話そうとした。が、まるで一瞬肺を直に握りしめられたみたいな息苦しさにパクパクと口が動くだけ。…式神の見えない力で口を閉じられた経験があるから動揺はしなかったが、罠にハマったみたいで、…歯がゆい。邪神の魔力はチッチみたいな要請の幻などは看破できるが毒物については役に立たないらしい。ちょっとは期待してたんだけど――。
「(でも、…過去には俺みたいに殴り込み同然に乗り込んだ人がいなかったのかな)」
いなかったことを考えてもしょうがないから、いた、と仮定しよう。そして現在までノンハプニングで続いている時点で、救出、強奪作戦は失敗していると言うことだ。
その原因は何だ?
1.ハプニングに強い。
…これは対強盗対策がしっかり成されている場合、だ。裏オークションの歴史の中でそれこそアフタのような大虐殺が行なわれて、娘をさらわれ、その仇討ちをギルドに頼んだと言う出来事が一回はあるはず。現にアーラック盗賊団討伐に懸賞金もかけられていたし、俺達が保護したエマとバウム以外は残らず殺されていたのも、『ギルドに依頼させないため』と逆説的に考えると筋は通る。会場でも腕利きが最低数人以上配備されていると見て間違いない。
2.ハプニングにならない。
…ハプニングをハプニングと扱われない事。たとえば珍品を盗もうだとか、売り物として出されている家族を助けようだとかで強盗まがいのできごとが毎度毎度起こっていてそれを取り抑えるまでの一連が一種の見せ物化している場合だ。似たようなのに覚えがあるが、客が観客に変わる催眠かも知れない。このキンモクセイの香りが催眠を促すのだとしたら、俺もそれに取り込まれる可能性がある。
3.ハプニングを知られない。
――これがある意味一番まずい。通路がこうも薄暗いのだから、会場も商品が良く見えるようにきっと舞台を中心に照らして、まるで映画館のようになっているだろう。観客がステージに注目している時にちらちらと動いたり周りを見回したりする不振人物は即刻マークされ、怪しい素振りをすれば連れて行かれるという警備が成されている場合である。
――警戒すべきは1と3。2はもはや俺の大立ち回りが黙認されている状況なのでたいしてまずくはない。…たとえば魔力感知できる奴が最低一人いて、ある一定以上の魔力を持っている人間にはマークがつくとかでもいいわけだ。魔力感知が出来るなら俺みたいな奴はそれこそ門前払いも良いとこだろう。
「けどなぁ、今回のオークションはすごいらしいで。ドラゴンザウダスの生き眼やらマスアウラの禁呪本が出るとかやらで、あのマキシベーの…なんて言ったかな、ラクトン?」
「ラクソン公のことでございますか?」
「そ、そーそー! そやそや、彼も競りに参加するって持ちきりやで」
「ほぅ? …それはお近づきになっておきたい物ですね」
――持ちきりになんかなるはずがない。外部でこのオークションのことを話すのはせいぜい入る前の新規さん同士しかできないはずだ。
俺と男との会話を薄目で聞いていたらしいブックナーが俺の首にしがみつき直すようにして口を耳元に寄せ、
「(ヒカル兄さん、あまり会話をしないほうが)」
「(了解了解。適当にあしらう)」
坊ちゃまのために先にお手洗いの場所をを確認したい、と男から離れ、50メートルほど後退してまた歩き始める。
「まずいな…」
何だかこの大所帯が行軍のように思えてきた。
雑談やら期待やらで高揚してはいるが、行き先が自分の死地になる可能性があることに変わりがない。逆走することも出来ない。道を折れることも出来ない。ただただ流されるままに、さっきの男といい、胸に不安を抱えたまま踏み込むハメになるとは…。
会場は立食パーティのような風情だった。大きめの体育館を縦横に六、六と連ねたような巨大な空間で、天井や床は無骨な煉瓦造りである。明りは四面の壁と、およそ50列ほど直線に押し並べられている丸テーブルにそれそれ一つずつ。どれもテーブル周辺の人の顔と足下を少し照らす程度で、人々が視線を送る先は半円形のステージだった。
魔術の儀式のように巨大な炎の松明が右左に仕掛けられていて、幕は下りている。
このまま突然マジックが始まっていい雰囲気だが、……たぶんこれが『地』だ。街を見回してみたがこの世界にはせいぜい大道芸だけで、マジックなんてものはないみたいだし。何より俺が知っている元の世界のマジックは魔法を見せるかのような作られた雰囲気であり、本物の魔法が闊歩するこの世界ではそんな演出は必要無い。
…だから今から始まるのは奇術なんかじゃない。皆もそんな物は望んでいないだろう。
これが、怪しい怪しい、金持ち達が隠れた欲望を満たすためのオークションだ。
俺達はステージから見て左側の、端から八列目になるテーブルを囲んだ。『右から八列目、列がそれ以下なら一番端』と約束していたとおり、ファンナが近くをうろついていたのを見つけ、手招きする。変装のためか金髪のロングヘアをサイドポニーに纏めていて、実は最初は分からなかったのはナイショである。ファンナの方がこっちをちらちら見て『気づいてよっ』と言いたげに睨んできてやっと分かったのだ。
テーブルの上にはには何種類もの酒瓶と、割るための氷やら色とりどりのジュースが並べられている。テーブル上の小さな炎の明りに毒々しく酒瓶が光っていた。お酒か…いや、ちょっとでも今は我慢しよう。
「ブックナー、ファンナ。今から俺達がやること、確認するぞ」
俺は水を三人分グラスに注ぎながら言う。
「ああ、いいよヒカル兄さん」
「私は逃亡経路の指示だけだからね」
つんと顎をあげてみせるファンナだった。インドの踊り子がヴェールを纏っているような感じの肉体美と健康肌を強調するようなパーティドレスで、サイドポニーの金髪もちょっと遊びが入った感じですごく似合う。
「それでいい。…で、首尾は?」
「――上々。私がやると言ったのよ? 抜かりはないわ。
地図も持ってきたけど…ホントに見えるの?」
「大丈夫だ。じゃあ三人で見るか。
……………ほい、そでの隙間から出てる柄を触れてみてくれ。あ、柄のさきっちょは刃だから気をつけて」
「「あ」」
「きっちり二人分の驚きをありがとう。そのまま離すなよ。見えなくなるから。
辺りはご承知の通り暗闇だ。だけどこのダガーに触れている人は暗闇でも今みたいに昼間のように見える一品でね。
…作戦会議にはもってこいだろ?」
ファンナやブックナーのすぐ隣では他の貴族達がオークションの品について話している。ダガーの柄から手を離してみれば分かるが、彼らのほとんど声と息づかいを頼りに、だ。
配置された丸テーブルには隙間なく人が埋まり、テーブルに入りきらなかった人々は室内の壁に寄り添うようにしてステージを注視している。人は例えばこの暗闇のように視界が悪いと安定した物のそばにいたがる傾向がある。お化け屋敷で誰かに捕まっていたくなるのと同じ心理だ。誰が言うまでもなく列の列間に人が溜まることはなく、それぞれがテーブルに寄り添うようにして固まっている。まるでそこに決められた席があるかのように。
「このダガー…私に選ばせた時まで呪い付きだったんじゃ、」
「解呪したんだよ、あの後」
「ヒカル兄さん…、このダガー持ってれば今でもいけるんじゃ、」
「思い切りが良いのはいいが、それはハズレ。奴隷達を逃がす経路のことも考えてからじゃないとな。
…じゃ、ファンナ。説明頼む」
トン、とブックナーの額を指で突いてやりながらファンナに顎で促す。
「アンタが言ってた他の仲間の人にも会ってみたいわ…良く常識を保ってられるなって。
ま、いいわ。じゃあちょっとここを見てちょうだい」
マッシルド東部水路略図
↓渡し橋
~~~~~~| |~~~~~■~~~~~~~~~~~~~~~
| | 第三二番大水道
~~~~~~| |~~~~~~~~~~~■~~~~~~~~~
==================D====||
| |―――――| |――――――||=D||
| \_/ ||避難||
| @ ||用具||
| ↑ ||入れ||
| 現在地 ||__||
| D__各ホテル、宿へ続く通路
|_D________D____|
| | | |
| | | |
| | | |
~ ~
各ホテル、宿へ続く通路
■ → 階段
D → 鉄の分厚いドア
- → 厚さ1メートル以下
= → 厚さ1.1メートル以上
「簡潔にいくわよ。まず私達がいる大空洞はマッシルド東部の津波対策用の講堂なの。一応港町でもあるしね。少なくとも私が生まれてから津波が来たことは一度もないわ…確かに見方を変えると、このオークションのために設計されたかのような空間よね。ステージは有事の際の代表挨拶用の物よ。数年に一回メンテナンスされてるみたいだけど。
で、現在地がここになるわね」
つん、と地図を指さす。俺は周りを見回して距離感覚を再確認してから、
「なるなる。波打ってるのは水道か。この-本線と二本線の違いは?」
「下にに説明書きがあるでしょ。厚さ2ニール(1メートル)以下が一本、2.2ニール以上が二本線。それだけ丈夫って事ね。街の骨組みにも関わってくるから中に特殊な鉄骨が使われてるのかも。ほら、地下通路の上には街があるわけだからその重量に耐えないといけないでしょ?」
書いてあるとか言われても読めないんだもんなぁ。
「とりあえず、破壊しちゃだめって事でオッケー?」
「そ…そうね。…何だか納得いかないけどその通りよ。
どうしてすらっと破壊するって言葉が出てくるのか分からないわ」
水道に渡し橋があるのはおそらく他の大空洞と繋がっているからだろう。津波が起こったときなどに、市長がこの通路を通って各地の地下講堂を周り、市民に安心するよう声を呼びかけるためにも確かに必要だろう。
「…ヒカル兄さん、ファン姉、…この地図を見た限りだと――」
「そうね、この空洞のすぐ隣にある『避難用具入れ』に品が集められていると見て間違いないわ」
「ファン姉に付け加えるなら、おおっぴらに奴隷なんて運んでられないだろうから…おそらくこの水道を舟で奴隷達とその他の危険品を運搬したんだろうと思う。だから水道に逃げられたらもう終わりだね」
「…ブックナー、…………………………お前」
「うん。僕は奴隷達も助けながらスタッフも捕らえようとしてる。この黙秘の香のせいで騎士団に引き渡すことはおそらく無理だと思うけど」
そこまでする必要は、と言いかけたが、止めた。
実際にブックナーの言い分の方が正しいし、妥協する理由もない。妥協しようとしていたのは、必要最低限だけを成そうとしていた俺の都合だ。確かに多人数を制圧した方がアーラック盗賊団に繋がる情報を得られるかも知れない。
ブックナーは変装屋まで案内はできた。だから、おそらく黙秘の香とは『場所と出来事を沈黙させる』暗示香なんだろう。ならば外に出てしまえば、ただの――盗賊団と邪神の関係である。
外にさえ連れ出せれば俺達の勝ちだ…!
「ヒカル兄さん。ステージ横の通路は、おそらく競りに参加する人の待機場所だと思う。少ない人数になったらそこからステージに行って競り対決が行なわれるはずだ。僕たちもここに一度侵入してみよう」
「そうだな…。
うーん…いや、これは罠かも…」
「(ヒカル? 罠って?)」
ファンナが頬同士が当たるくらいの距離まで顔を寄せてくる。俺も頬を寄せて押しくらまんじゅうのように、ぷにっとしてやった。
ビンタされた。
「待ってファン姉ッ! そのガラスの水差しを振り下ろすの待って…!! 注目されまくって全てが台無しになるよ…!!??」
「ぶぶぶぶったな…!? お、親にもビンタされたことないのに…!」
「殴られはしたとか言いたいんでしょ、何となくアンタの思考回路分かってきたわよこのお調子者…ッ! アンタ真面目にする気あるの!? ブックナーさえも巻き込んでるってのに! やろうとしてる事すごく危険なのよ!? 下手すればここにいる貴族達の恨みも買うかも知れないのよ!?」
恐れ多くも邪神でもある俺のほっぺたを張り倒したアマである。完全な不意打ちで全然構えてなかったからちょっぴり涙がにじんでいたりする。
「わ、わわわ分かってるってホント、ホントですって!
冗談、ジョーク、こう、何か肩張ってる二人を和ましてあげようとだね、」
「和ましてどうすんのよ! 死ぬわよアンタ真っ先に! そうなったら即ブックナー連れて離脱するからね!? アンタほど自身の価値にマイナスが似合う人間はいないわ!」
「よくも言ったな、俺の愛弓貸してやってるのに…! 壊したらマジで承知しないからな!? 弁償だからな!? ものすごい利子つけるからなお前…!」
お互いに顎をつかみ合って今にも拳でお付き合いしそうな俺達をブックナーが涙目で諫めるのだった。
――そして、全ての明りが、消えた。