三四話 邪神のほろ酔いとVSアマゾネス(後)
「おい、ウェール通りで野試合だってよ! 片方はあの二スタリアンらしいぜ!」
「お、俺男の方に見覚えがあるぞ……! あ、悪魔だ、人を人と思っちゃいないんだ…!」
「…………………………騎士団、呼ぶか?」
「ぐぅううう、呼んだ方は良いような呼ばない方が酒のつまみのような。とにかくだ、見なきゃ損だって…!」
瞬く間に噂は広がった。通りに面したあらゆる建物の窓が開き、明かりが生き返ったように灯る。野次馬は帯を作り、屋根に上り、他人の家でも押しかけて窓を貸してもらう人々が続出した。ウェール通りのサバスビーア(黒ビール)の瞬間売り上げは4日分に達したという。
『二人』を固唾を呑んで見守る視線は、一般人だけではない。マッシルドを根城にした仕事帰りの傭兵は元より、コロシアムの予想屋、近くに住む大会解説者などもいた。たまたま通りかかった魔法学校の生徒なども最初は大会のライバル…二スタリアン戦士学校の生徒の方の視察程度で足を止めたが、自らの認識の甘さを認めることになる。
「さぁ、行くよ。せいぜいうまく避けるんだね!」
猛るファンナ。白鳥の首のようにしなやかな腕が、一息で三本の矢を放ってくる。それぞれ俺の真ん中、右上、ヒカルの左足下。先ほどと違い、魔法の込められた宝石のその光の強さは、この時間の街にあるありとあらゆる光源を上回るほど。
「そっちこそスカートは抑えてろよ――!?」
流れるように暴熱一閃。
体感温度六〇度の竜巻の一振りが奔り、砂塵と共にファンナを直撃する――!
(――何ぃ…?)
しかし、ファンナの身体はわずかに一歩足を引いただけでそれ以上後ろに下がらない。
効かないはずがない。
なぜならファンナの後ろにいた観客七、八人は飛んでいったのだから…――ッ!?
ガンガンガン!
「矢が………………吹き飛ばない…!? いや、」
ファンナの放った矢が速度のままに障壁に直撃した。
そういえば矢に魔力を込める時一瞬ファンナの身体に白光が灯った…ブックナーと手合わせした時に見たのと同じ感じがしたのだ。俺には理屈が理解出来ないが、『剣に込められて矢に込められないわけがない』。だから、きっとこの矢も、
「やっぱり、そのぎりぎりまで透明な障壁…、神殿障壁か冥門障壁ね。
無詠唱で広範囲風魔法……やっぱり魔術士だったわけだ」
ファンナは射貫くような瞳のまま、わざとらしく肩をすくめた。
「そうかよ、ブックナーと似たようなもん使いやがって」
俺を狙い、空間に突き刺さるようにして止まっている光矢が妙に恐ろしい。おそらく先ほど風に耐えたのも、小さな神殿障壁を背中に発動させて支えにしたに違いない。
俺の感覚で言えば、魔力は物理攻撃とは違う。魔力値と魔力値がぶつかり合う…その上で、魔法の壁に対して最も深刻なダメージを与えられるのは剣撃でもなく打撃でもなく、一点に特化した突き、なのだ。だから、ブックナーの突撃も俺に対してなら理にかなっていた。
よく分からないが、ただ止めるだけじゃだめな気がする。放たれては手に戻る、まるで超分身投げナイフのシェイドリックみたいな矢。立て続けに打ち込まれれば均等に魔力を込めているつもりでいるこの障壁の思いもよらない弱い部分を貫かれていつか致命傷を負いかねない。
「神聖仮装のことね? 安心して。二スタリアンの代表五人のうち、これが出来るのは私とブックナーと後一人だけよ。だからアンタを倒せる可能性があるのは私達の誰かって事」
「ほぉ? ずいぶんな自信だな、他の参加者が怒ってるぜ? あーあ、闇討ちされかねないな」
「アンタも含めてここ数日襲われてばっかりだけどね。
――――油断して、大丈夫?」
がんががんがん!! と障壁にさらに四本上やら下やら真横やらから突き刺さる。…ッ! 即座に彼女の矢筒を見るが、…ない、一本も残ってない…!
「弓使いが弓じゃないと矢を放てないっていうのは二スタリアンでは通用しないわ。
こんな風に、」
パチン、と指を鳴らすと、まるで帰ってこいの号令のように矢達が主人に飛んで帰り、彼女の足周りに、稲のように咲いてみせる。おもむろに二本を手に取り、
「矢は主人に返る物よ。魔力を時間差で発動させてコントロールすれば、簡単。
どう? あんたの障壁と私の矢数、どっちが持つか試してみようか?」
――俺相手にここまで言うとは。神聖な光矢を操る彼女は、絶対的な魔力差を誇る魔王の前に悠然と立つ勇者そのものに見えた。
…そうか、さっき刺さり方に違和感感じたのは、全ての矢の刺さり方が『俺に真っ直ぐ』だったからだ。途中で魔力で軌道を変えたに違いない。
…それを数本同時に……!
ただ魔力で飛ばしているだけの俺とは雲泥の差だ。
絶対的なコントロールを持つ彼女に対して、全体攻撃ばかりの俺は観客を気にしてやらないといけないので攻撃手段にハンデが出る。雷剣なんて使えない。ブックナー同様殺すわけにもいかない。亡熱刺扇じゃファンナに殺傷力がない…!
「こないの? このまま私が攻撃続けるけど?」
なぁんて言いながら、近づかせる気はさらさらないファンナは矢を二本弓につがえて俺を狙う。
「…お前の出番みたいだな。
あんまり人には見せたくないんだけど。
――縛り上げろ、テツ!」
右腕を上げる。
ローブの右腕からそれこそライフルの弾のように飛び出ていく魔力鉄輪鎖――!
「鎖!?」
「相棒だ!」
だが向こうは速射の達人だ、二〇メートルの距離を半分も詰める間もなく光矢が着弾する。呪いの武具であるテツも神殿障壁には対抗できない。質量を無効化されて押し進められ、ひるむテツ。だが俺はムチをしならせるように波立たせ、矢を避けるようにして鉄蛇の首をファンナに接敵させる。奇しくも、俺の障壁に二本が着弾したのと同時だった。
「ちぃ!!」
速射ならば矢を手にとるのも速いのか、地面の三本の矢を指に挟むようにして掴むとかぎ爪のように、発光している宝石部分でテツを横殴りする。ひるんで飛ばされたテツにさらに三本の速射、素手での二本投擲、俺の障壁に突き刺さっていた二本がとっくに帰還していてさらに残り三本がつがれていて発射目前…!
「テツ、まだ持ってくれよ…!」
テツは俺の魔力を受けて攻撃をすり抜けつつファンナを狙う。縦横無尽、背後からの横薙ぎ、足払い、大きく輪を描くようにしての捕縛、波だたせ攻撃を避けつつ鉄輪の残像すら残す突き。だかその全てがファンナの弓使いを卓越した技量と速度の前にたたき落とされる。五分もの連続攻撃をマラソンをする程度の呼吸で合わせてきて、隙あらば俺の障壁を破壊せんと放ってくるほどだ。
「くそ、後ろに目でもあるのか? ファンナは…!」
「バカね、鎖だなんて軌跡の見えるものをわざわざ見る必要なんてないわ!」
おそらく音だ。ファンナの後ろでさえ、長さを変幻自在に変えるテツは一切の油断なく死角をねらう。だが軌跡で判断するだけでは、ファンナにはまだ『足りない』。気配…いや、ヒュン、フォンと鎖の空気を切る音がファンナを反応させているに違いない。
開けば刃のブーメランとなる鉄扇をテツの攻撃に混ぜても、難なく反応してきやがる。
跳ね返って戻ってくる扇を手に取りつつ、冷汗をぬぐった。酔いで、足下がふらつく。下っ腹に汗がたまり気持ち悪い。
…視線も気になる。俺の手の内をこれ以上見せるわけにもいかん。
「テツ、ファンナをその場から動かすな!」
ぴくんと俺に反応した鎖は、命に従ってファンナのぎりぎりの攻撃範囲から離れ、矢を避けつつ球を描くように8,9、10、11,12…!
ブックナーやファンナのように魔法を武器に込めるなんて言う芸当なんか分からない。魔力を込めることしかできない。でもその魔力さえ、たとえ数万の魔力を込めたところでMP10の神殿障壁にはあらがえない。なら、
「押し潰れろッ!」
締まり始めるテツもろとも、ファンナの頭上にセットした二つの無色の神殿障壁で押しつぶしに行く。ファンナは超反応で光矢の爪でテツの横っ腹を切り開き、囲いから突破して転がり避けた。俺は神殿障壁をわずかに広げて攻撃範囲を広げ、テツを手元に戻しつつ対象を地面、二枚目の障壁はファンナの『身体』に変更、押しつぶす!
「ぐぅうううううううう!!? こ、れは…重力…!?」
半径四メートルほどの球状にへこんでいく地面は砂地獄のようで、しがみつきながらも落ちていくファンナは砂の流れに捕らわれたアリのようだ。
テツを引いたのはワケがある。重力魔法を演出するならば、テツが範囲にいたらこいつも対象に入れないとおかしいのだ。ファンナという個を全体に対象を取れば、矢筒や服が障壁の球面に潰れて重力でないことが丸わかりである。
…おそらく、だが。
きっと神殿障壁を俺みたいに使っている人はいないのだろう。この障壁が人にとって大量に魔力を食う代物ならば、一瞬の防壁、武器に込めて攻撃の切り札として使われる程度のはず。そうじゃないと戦闘には運用できないのだ。それを軽々しく使っていれば不審に思われる。重力に見せたいなら、見せるための工夫がいる。
「うううう、…ぐ! …この感触…重力じゃ、ない…!?
…ま、まさか…」
ファンナの呟きが、冷たく脳裏に突き刺さった。
(………………………しまった…!
矢を対象に取るのを忘れた!!)
逃れようと地面に爪を立てながらも、ファンナは頭を働かせていたらしい。砂地獄の中が転がっている八本の矢。重力に晒されていれば矢羽が潰れているはずなのに…!
しかも運悪く結界の中。外と内を分ける被膜こそが対象を取るのであって、内と外は単なる屋内屋外である。
重力演出を中断、地面に対象を取っていた障壁を再度押しつぶしにかけるため縮小しようとしたその時、
「…そうか、見破ったわよ!」
縮小に合わせて八本の光矢が滞空、光量を増しその一点をめがけ、全ての矢が集中する!!
パ、パァン!!!
神殿承壁が二枚とも貫かれて破壊された…!
「え――?」
ブックナーの意表を突かれた声が何だか他人事のように耳に届いた。
魔力を全て使い切ったらしく再び魔力を込めようと地面に転がった八本に飛びつくファンナ。俺は再度ファンナに意識を集中させ、隙を与えず猛ったテツを飛ばし、
「ちぃ、ッ!」
暴熱一閃を重ねる。掴み取りそこねた三本を強烈な熱風で吹き飛ばす!
愛用のくせして三本にはまるで目もくれず、俺を勝ち気に睨んで次弾を装填するその気概。
…こいつ強い…!
確かにブックナーの戦術の方、邪剣のエマ同様に剣戟で攻め立てる方が俺に適しているといえるだろう。本来なら、対人戦において、俺の邪神魔力による障壁戦術は手数に特化した飛び道具相手には、無敵なのだ。
だが、無色にしていたのに、常識に考えてあり得ないのに、重力ではなくそれを『神殿障壁』と気付いたところ。
八本もの神殿障壁がこもった矢を自由自在に操り、テツの猛攻すら反応する超反応の身のこなし、そして背後の攻撃にすら気付くその聴力。
何より、ギブアップ間近の土壇場で俺の意図に気付き、一点集中で障壁を割ってみせる度胸。
どれも、…ファンナが才能に恵まれている事を証明するものに他ならない……!
二発。手投げで一発、二発をつがえ、後ろ飛びで距離を取るファンナ。最初から矢は相手にせずテツがかいくぐり、金髪を翻して、観客の方に飛んでいった三本の矢に辿り着こうとするファンナを人ごみより索敵する…! そんな逃げ場のない場所ではテツから逃れられない!
振り返るファンナの口元がにやり、つり上がった。
………………………………………………罠だ…・・ッ。
落ちている三本矢を拾ってくるかと思いきや、弓につがえている二本矢を外し、テツをたたき落とす。そのまま鎖を足で踏み止め、穴に矢先を引っ掛けて俺に投擲する。テツが為す術もなく俺に飛び返ってくる。魔法矢の先は『神殿障壁』で、いくらテツに魔力を込めようとその障壁の座標軸に抗う術がないからだ…! 鎖に引っかかった矢を、俺の障壁でへし折ってやろうと思い切りテツを引くと、予期していたかのように自ら離脱する矢。舌打ちする。だが視界の先ではテツの追撃を逃れたファンナが安全に二矢を速射、同時に俺の斜め前から死角の一矢が届く。ひろった三本を左手に構え、自身も矢になったかのようにブックナーさながらに俺に突撃し三本矢の光爪で障壁を揺らしてくる。
「お前めちゃくちゃ強いな…!」
「あんたもスペックがすごいわね、並の傭兵魔術士程度のスタミナじゃとっくにダウンしてるわ…ッ!」
近距離。俺は神殿障壁で吹き飛ばそうと高速拡大させるが、ファンナは読んでいたように障壁の球面を登り越えて俺の背に着地する。…ガンガン! と着地音と同時に二矢の着弾。振り向いた俺の背後に三弾。
意識がばらつく。くそ、足ももつれそうだ…!
手に残っていた一弾、矢筒の一本でさらに一弾、自ら障壁に飛び込み、その間に自分に跳ね返ってきた二本を空中で掴んで打ち付け、それぞれが同じ場所を一点集中で打ち付けられ障壁が破壊される。俺は苦し紛れに発動した神殿障壁で八本もろともファンナを吹き飛ばす…!
障壁を足台に人混みぎりぎりに身軽に着地したファンナ。野試合で観客に被害を与えてはならないのは当然だ。俺がそれを遵守するとはなから読んでいて安全地帯とし、策士的に見つめ返してくる。
「ふふ、」
そこは、最初俺とファンナと向かい合っている時背後だった。
「ブックナー捕まえた! さぁもう逃げられないぞっ」
「お"い」
当然俺達を見守っていたブックナーがいるわけで。頬ずりされて嫌がっているブックナーを見ていると、なんだか姉弟みたいだ。
ね、と俺にウインクしてくるファンナ。
「はぁ…ったく。
コロシアムか…………先が思いやられ…――る」
殺気もなくなったファンナに俺も続ける気にもなれず、あくびをして扇をポケットに……………………。
「ちょっと、ヒカル兄さ――、」
――戻せずに、ふらり、倒れて気を失うのだった。
―― 大会まで 残り五日 ――
寝覚めると 床の上だった。日の光が目に痛い。
「ぅ、む…ケツが…」
…枕がちゃんとある辺り、別にベッドから落ちたわけではないらしい。寝返りを打った際に頭をぶつけた所為で覚醒することになったのだが、
「ベッドの足かよ!?」
計画的犯行と見て間違いない。のそりとベッドの端を掴み身体を起こすと、何だか勝手知ったるという風に仲良く寝ていらっしゃるブックナーと…見知らぬ女の子がいる。
俺が下で転がっている間にそんな…!? 先を越された気持ちでいっぱいになりながらとガバッと布団をめくるが、よかったぁ、二人とも服は着てた。ブックナーが女の子にしがみつかれる形で上下若干着崩れしてるけどこれは別に問題ない。…うぅ、頭痛い…。
「なんだ、起きたの」
「…どうして宿の正客が布団もなしに寝ててベッドですやすや乳繰り合ってるのか分からない」
ペットがベッドに寝て主人が犬小屋で寝ている心境そのものである。
「ベッドは愛する二人のためにスプリング仕様なんだけど?」
そうか、ミナやシュトーリア達に足りなかったのはスプリングだったのか。
「ていうか君は、誰? ブックナーの知り合いか?」
「…………………・え? 何言ってるの、昨日外でやり合った仲じゃない。
もしかして私がベッドから蹴り落とした時に頭を強く打ったんじゃ、」
「ちょっと待て。察するに、ブックナーが俺をベッドに寝かせたけど君が蹴り落として、そいでブックナーも君の餌食にされそうだったから、こいつが苦し紛れに俺に枕を差し入れた――っていうシナリオが今頭の中に思い浮かんだよ」
「なんだ、起きてたんじゃない。急に知らないフリはよしてよね。
意表を突くの、好きなの? 昨日だって急に倒れちゃうし」
「弁明する気はないってコトだな、オーケー。
で、倒れたのか? 俺が? 何で?」
目が丸くなる内容だ。どうやら俺は夕飯後にどこかで倒れたらしい。
でも記憶がない…急に気を失ったって言ってたし。一体何に巻き込まれれば意識を失うなんて事になるんだろう。気絶させられたとしか思えない。
中学の中頃だったかな、三六九の知り合いが美術館を建ててそのパーティに呼ばれた時もこんな事があった気がする。『あいつには飲ませるな』って言ってたけど何をだろう?
「…あー、いやそうそう、私が背中にとどめを入れたのよ、うん! だからブックナーは私のものよ? 私が勝ったんだから私のもの。わかる?」
女の子はブックナーの髪を手ですきながら言う。何で気まずそうに視線を逸らしているのか分からない。
俺は半身を起こして半分寝ながらそれを見ていたが、何だか寝起きなこの子はすごく絵になる。金髪ロングヘア、碧眼の女の子は口をすぼませて顔で俺を見ていたが次第に飽きたようにブックナーの髪の生え際に視線を戻す。むぅう羨ましい…。
「夕食を食べた辺りは覚えてるんだよ…いちちちち」
行きずりの間柄なら少しは遠慮の空気があっても良いのに、まるで俺とミナ達の関係のように少しも警戒心をみせてくれないから困る。一度でも会ったなら絶対忘れない容姿だ、シーツと同じ色のノースリーブのから肩のラインがすごく露わで、一言で表わすなら垢抜けてるって感じだ。俺にお披露目してくれたエマのキャミソールのように、ファッションとして洗練されている。
「ブックナーが酔ってるの酔ってないの、って言ってたけど…あんたお酒でも飲んだんじゃないの? あんたアレ? 酔った方が調子が出るタイプ?」
ブックナーが説明してあるのか、部屋の隅を陣取る呪いの武具一式には特に気も留めず言う。確かに、話し方も俺に面識がある感じだ。昨日…話したのかなぁ…。
「何の調子かは分からないけど。
どうでもいいがブックナーのほっぺで遊ぶな」
「あー、だめだめ。私の荒んだ寮生活の中で一番の楽しみは、この子の寝顔を見ることなんだから。もう日課。…一週間近くお預けだったからね」
ムニムニ白い指が這う度にその頬の部分を引きちぎりたくなる。って…
「あれ?
何か違和感が………。
あ、…! 俺の部屋の障壁が、」
…ちょうど俺の部屋内にギリギリ入る障壁を張っていたのに、跡形もない。俺は宿を借りて寝る時は必ず、呪いの武具を盗難されないために部外者が入れないように結界を張っているのだ。
「ああ、やっぱりアレあんたのだったのね。ここに入る時破壊させてもらったわよ」
「破壊したぁ!? バカな、あれ神殿障壁だぞ…!
「壊し方があるってコト。あなた、ブックナーと手合わせしたんでしょ? 貴方みたいな高位魔術士相手だったら絶対に神聖仮装しないと剣を向けられないものね。
あ、起きちゃった」
眠たげな呻きを上げて目を擦るブックナーを、二人して眺める。寝る子は育つというか。吐息が当たるほどの距離にいる女の子、次に俺、次に自らの捕食寸前の格好に目をやり――、
「な、ななななななな…!!?? ファン姉また脱がそうとしたね!? ひ、ヒカル兄さんもあっち! あっち向いてっっっ!!」
喚くブックナーに追い立てられるようにして廊下に退散する
ベッドを取られ床に寝かされた次には部屋まで追い出される俺って。
「要約すると、だ。昨日の夜ファンナが傭兵達をシメている時に俺が通りがかって何だか知らないけど戦いになり、ブックナーを賭けたバトルの末俺に一撃くわえて気絶させた――と?」
女の子の名前はファンナと言うらしい。昨日は普通に名前で呼んでいたとのことだがそれすらも記憶にないなんて。
「シメるんじゃなくって教育だったんだけどね。
ま、私が勝ったのは当然だけど。あんたも良い線行ってるんじゃない? 間違いなく本戦に出られる実力だと思うだわ」
「ほぉ……!」
イスに座っている尊敬の眼差しの俺の前では、ベッドに腰掛けてふんぞり返っているファンナの姿があった。すごいな、邪剣のエマでも俺に一撃すらくわえることが出来なかったのに突破してしまうどころか、ノックアウトするなんて!!
朝に弱いのか、ブックナーは服を直した後も何だかふらふらしている。そんな彼をよそにファンナは昨日の気を失うまでの出来事を話してくれたのだ。昨日の戦いの熱さ、お互いの接戦、啖呵の切り合い、そして劇的な勝利…! 聞いていて、ああ、何かその負け方なら満足だ、と思ってしまったのである。同時に戦士としての尊厳と誇りで俺に勝ったというファンナに尊敬の意を抱くのだった――。
「ファン姉、心痛まない?」
「う"………………いい? ブックナー。運も実力のうちって言うでしょう? それに二スタリアンの生徒が野試合で負けたとかバレたら最悪だし……っていうかブックナー、私は負けてないって言ってるでしょっ!?」
「そうだぞブックナー、このファンナはな…分かるか、言うなれば人の身で神様に勝ったようなもんなんだ。これの凄さ、見ていたブックナーは分かるだろ?」
(きっと酔っぱらって倒れただけだと思うんだけど…)
(最後まで立ち続けた者こそが正義なのよ! いいから見てなさいって、予定とは若干違ったけどね)
ばかちん、とブックナーの頭を小突くファンナだった。はて。
――頭痛が思ったより酷いのでファンナにブックナーを外に出さないよう囁いた後、宿を出る。ナツナジュースを買いに行くついでに外の空気で気分転換になればいいんだが。
「今日がオークション決行日なのに俺何やってんだか…。
うううぅ、芯にきてる…吐かないだけマシか…」
ローブが身体に擦れる度に頭痛や身体の寒気に変換されているみたいで質が悪いのだ。日の上がり具合から見てまだ七時前後。朝食目当ての通勤客用屋台ならともかく他の店はまだクローズ状態だった。新鮮な食材を扱う店々は今くらいから仕入れを終えて店前に陳列し出すという具合で、通りに三、四件はあるパン屋なんかは今くらいから煙突に煙をふかせていた。
「確かに昨日よりも人が多いな。
…オークションか、やっぱりコロシアムの次点くらいに目当てにされてるんだろ」
昨日まではまだ、出発準備の傭兵と街の仕事に従事している一般人が1:1の割合で通りを行きかっていたが、…オークション当日の今日ともなると、一般人が七割り増しで増えて見える。この時間から良い場所を陣取るつもりなんだろう。場所は昨日アルレーの武器屋の親父に聞いたとおり大広場である、ということだったし。
――大天街マッシルドはコロシアム会場を中心に十字を描く大通りがあり、それぞれが東西北の門に続いている。しかしマッシルドは一都市を丸々商業の場にしてしまっているスケールなので、ただでさえ広大だ。ゆえに各所に休憩場所として人工川や橋、ベンチ多めの公園などが設置されているのだという。それで、その大広場とは東西北の門への中頃あたりに設置されている。
徒歩にもに限界があるので俺は北地区周辺しか回れていないが、西に行けば二スタリアン戦士学校、東には高級住宅地…中には件の大富豪ゼーフェ何たらのお屋敷もあるとのことだ。
オークションは北側の…つまり昨日俺がエマinミヨルと会った大広場が使われる。理由は勿論、大陸の外部客が参加しやすいためだ。
「――そして、その地下で裏オークション、と。かえって人が多いから目立ちにくいってワケか。
はは、そういえば京都の時、敵が観光客に紛れてて苦労したな。どれが陰陽師だか全く見当つかなかったし。
…お、あったあった」
目当ての屋台は相変わらず盛況らしく、肉野菜サンドを朝食にするためにお客が八人ほど列を成していた。並びながら辺りを見回してみると、…これでもまだ列として短い方だと分かる。酷いところだと行列の出来るラーメン屋レベルで、何の料理だかは知らないが三〇人も並んでたら朝食の時間なくなるだろ、と突っ込みたくなるくらいなのだ。…うわ、カルビみたいな匂いがする…! よし、お昼辺りにブックナーに並ばせて買わせよう。
「親父、ナツナジュースとサンド」
順番がきたので早々に言った。この世界では初めて見る角刈りの強面なので顔はもう覚えてしまっていたりする。
「お、傭兵の兄ちゃんじゃんか、いやぁ、うちのジュース気に入ってくれたの?
一杯サービスしとこう。連れのちっこいのは?」
「いやまだ寝起きでね。あいつはあいつで何か買うと思うから…あ、ジュースはサービスね! サンキュー、いかしてるぜ親父ぃ!
しかし客が多くて何よりだな。稼ぎ時ってやつかな? オークションが今日だし」
「まぁーなぁ。でもオークションの客はまだだな。兄ちゃんも出場するんだろ? コロシアム。今日暫定オッズが発表されてるんだ、ほれ、後ろの方や周りの連中の手元見てみろ、メモ紙もってるだろうが」
「オッズぅ? …ああ、もう登録って終わっちまったのか!?」
うわーやっちまった…!!
シュトーリアになんて謝ろう…! まさかの不戦失格とは…!
「いやいや、登録は予選の日の出場〆切までオッケーだぜ。何せ賭けが始まるのは本戦だからな。出場するだろう人間をギルド協会の人間がリストアップしてくれてんだ。今頃コロシアム会場前は押し合いへし合い、だろうよ」
「へぇ…あぁ、馬券買う前の馬情報みたいな奴か。
た、助かった…」
それにしても意外だ、ギルド協会っていうからには荒くれどもを律してる感じなのに、賭博に協力的だなんて。まぁ本戦では各国が見に来るわけだから、自分達の傭兵が活躍する姿を見せつける意味でもこういう場は必要って事なんだろうか。
サンドをパクつきつつ酒場を目指す。ギルド協会が後援してるなら、ギルドにもオッズ表くらい設置してあるはずなのだ。
「ヒカルか?」
酒場がようやく人混みから見えてきた辺りで後ろから声をかけられた。
「シュトーリアじゃん。朝飯?
あ、ちょうどいいや、ナツナジュース余ってるんだ。一杯飲めよ」
「そうか? ならいただこう」
大型レイピアを背中に提げた女剣士は、まるで一仕事終えた帰りのようにすがすがしく微笑する。街一帯に広がっている賭けの雰囲気に当てられているのか若干トーンも高い。
「んー、シュトーリアはオッズ表、見た?」
「まだだ。その様子だとヒカルもまだのようだな。いや、町人の会話からヒカルの名前が聞こえた時は思わず笑ってしまったぞ。何でも昨日の夜手合わせして負けたとか」
俺の名前も載ってあるらしい。へぇ、この町からすれば一昨日来たばっかりってのにな。もしかして忍者みたいな人がいるのか? …傭兵狩り、バレてるかも知れんなぁ…。
「ていうかシュトーリア、お前、銀鉄の鎧とか楯が傷だらけだぞ。よく見ると焦げまで入ってるじゃんか。どんな敵と戦ったらこんなになるんだよ」
「ドラゴンを相手にしたといったろう? おかげで今はもうCランクだ。ヒカルに買ってもらったレイピアが本当に役に立った。ありがとう」
「よせやいよせやい。まぁ…そうだな、迫ってきてくれたらチャラな」
「…っ、バカかヒカル、周りに人がいる中でそういうことは言うなッ…!
で、デリカシーがないぞ、全く…」
昨日の気を失った事や、ファンナに負けた話を織り交ぜて談笑しながら酒場の店内をさっさと入りぬけ、ギルドの入口の重い扉を開ける。
すると、そこには一面に、
「――あれ? 表がないな」
表が、なかった。想像では高校の合否発表の掲示板みたいなのがあると考えていたのに
全く昨日と変わらずのギルドの小部屋だ。シュトーリアの話だとコロシアム会場前では横に長く長く掲示されてたらしい。遠目から見ても予選参加者は500人は越えるとのことだ。それが32人にまで減らされる…。
俺の無意識の呟きに気付いたのか、係の女の人がはにかみながら、
「はい、さすがにこの部屋では掲示できませんので、窓口より口頭でオッズをお教えすることになっています。
オッズ照会をご希望ですか?」
話が早い。俺とシュトーリアのを照会してもらうことにする。ファイルをめくる音が窓口の向こうから響き、係の人が顔を上げて、またいつもの微笑みで朗読する。
「ノースランド・タンバニーク・ラ・シュトーリア様は出場の可能性89%の、オッズが43.5倍となっております。本大会では六番目に人気ですね。ランク昇格と近隣のドラゴン退治が注目されたようです。
サカヅキ・ソネット・ラ・ヒカル様は出場の可能性が71%。オッズは7888.4倍です。報告によると昨日ファンナ様とお手合わせされたようで、その時の敗北が人気を落とした原因のようですね。優勝者を当てる賭博ですので、出場者の誰かに敗北していることはマイナスに捉えられがちです。あくまで現在の目安、と言う言葉を添えておきますのでご了承下さい」
「お"い、おいおいおい…!」
思わず笑顔で係の女の人に掴みかかりそうだった俺をシュトーリアが押しとどめてくれながら酒場を出る。ひどすぎて涙が出そうだ。こうなりゃ有り金全部で俺のを買って優勝して換金係を失神させてやるしかあるまい。
「ぷふふふ…!!! ま、まぁ、二スタリアン相手じゃ仕方がないさ! 何せ戦士としての教育は国の鍛兵とは次元が違うと言うからな。
そうかそうか、ヒカルでも後れを取ることがあるんだな」
「何かお前俺が負けて嬉しそうだな。よほど朝から俺のフィンガーが恋しいと見える」
「ッ…って違うぞ! 単に戦士でもヒカルと戦う方法があるんだな、と前例が出来ただけで嬉しいんだ。ヒカルを突破する方法があるって事だからな。自信の要因になるってだけだ。何より敵の情報をくれたことだ。ヒカルを倒したというその女とも手合わせすることになるかもしれない。
――しかし…」
「しかし?」
「・・・いや、な。冷静に考えてみれば見るほど、ヒカルが負けるという状況が想像出来ん。単にそのファンナという女性が二スタリアンの第三位だったから、そういう風に誇張されて見えた、と言う事じゃないのか?」
信頼の篭もった疑い、という視線を初めて見た気がする俺だった。何だかこそばゆい。ちなみにファンナのオッズは33.6倍と四番人気だったりする。さすが俺を倒したことだけはある。
「そんなバカな、昨日の俺はかっこいい散りざまだったとファンナは話してくれたし・・・それにオッズだって、その結果が反映されているんだろ?」
土壇場のアレがでたのかも知れない。前から思ってる事なんだが、やばければヤバイほど俺って口が回るらしいのだ。三六九もそんな事言ってたような気がするし、マサドの救出戦だってもう口が暴走してたように思う。
「気を失ったのだって、別な理由があったのかも知れないぞ? 人気が上がったというのも、ヒカルが気を失った後『私が倒した』って言えば良いだけだからな。
・・・むぅ、
確かに、気を失った理由が攻撃を受けた以外に思いつかないが・・・」
「現実を認めろよ、俺より強い奴がいるんだって。もうこう、ゾクゾクするようなくらい『戦士!』って奴だよ。可愛いし。
あーくそ、どうして昨日の俺の記憶がないんだろ。もったいないなぁ・・・」
昨日の俺の勇姿をオークション潜入までずっと妄想し続けそうな気がする。
そしてこの時潜入まで、残り一二時間を切っていた――。