表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/68

二三話 邪神と英雄と神のパティシエ (後)

  うーんうーん、と唸っているエマ。ではなく霊・ミヨルである。鎖で縛るという仕打ちのあまり九才の、金髪おさげの女の子が泣きながらエマから飛び出そうとするが、


「あ、いたぁあああああ!?」


 ガン! と見えない球状の神殿障壁にぶつかって「うぇう…!?」とひりひり額を押さえるのである。幽霊は神殿障壁に取り込めると分かった俺はその光景に思わずニヤッと笑った。


「幽霊って…………プチっていけるかなぁ」


「え? ……………今ヒカル様何かおっしゃいましたか…?」


 俺達はエマinミヨル霊をテツでふんじばったまま、そろそろ表に顔を出し出す住民達に見つからないように診療所に足早に戻る。表通りは落ち着いてみればまるで、戦車が一発放ち、そのままキャタピラで突き進んだかというほどの焦土ぶりである。胸が痛い。

 右腕に間接をひとつ増やしたかような骨折具合のナーシャも、エマを寝かせた隣のベットで処置をした。内側から店を半壊させられてすぐ、とはとても思えない安らかな寝顔である。

 エマを神殿障壁から引き出そうとするとさすがに酷いことをされると警戒している金髪おさげの九才の少女ミヨルは、隙を突いてエマだけ離脱させようとするとすかさずエマの中に入り込んでしまった。何と悪知恵の働く奴。


「私何もしてないもんっっ! まずいお菓子食べただけだもんッッ」


「あのね! その貴方がまずいって言ってるお菓子にみんなお金払ってるの! 食べたくて遠方から来てる人だっているの! 貴方が食い散らかしたあの欠片を16になるまで一口も食べたことない人だっているの!!!」


「お、おお、落ちつこうミナ。エマの肩にアザが出来てしまう…」


 シュトーリアとバウムが後ろから今にもエマを張り倒しそうに肩を怒らせているのを両側からそれぞれ押さえていた。いつもの『俺を危険に晒した輩へ』という大義名分だったろうが、口から出る罵声はいつもとはまた随分違った私怨ぶりである。


 ナツが濡れタオルでエマの裸足をふき終わると、エマを一瞬気の毒そうに見下ろしてから俺達の後ろに入っていった。

 ミナを引き離しつつ、俺を先頭にエマとそのベッドを見下ろす形になる。

 外は深夜の暗さだがそれぞれの店主の雄叫びと嘆きが夜の静寂を破っている。「俺もう死のう…」と幻聴まで聞こえてくるようだ。今表通りは一種の呪いで満ちていた。呪いの包丁とか誕生してる最中かも知れない。


「ったく…………………破壊した九割がバウムのせいだもんなぁ」


 やれやれとバウムを流し見る俺である。


「なっ…!? ちょっと聞き捨てならんぞヒカル、ワシはきちんと通りにそって放った!

 大体、家を焼いていったの雷は青色だったではないか」


「いーや、あれはバウムの雷のせいだよ、俺のが反射されたんだ。俺通りにそって打ったもん」


「雷は雷を反射しない。角度的に考えてもポールを破壊する角度にいたのはヒカル殿だろう? …自分の罪を仮にもリーダーが他人に押しつけていいと思ってるのか?」


「いやいや俺はちゃぁんとあの時エマの正面にいたもんさ、確かにいたね。それになにさり気なくリーダーとか言ってんの? そんなの俺がするわけないじゃん、満場一致でミナだろ」


「いえ、リーダーはヒカル様ですが」


「はぁ!? 嘘だろ!? そんなのどう考えたっておかしい、俺一週間前にこの世界に来たばっかりだぞ!?」


「大体今回のギルドの依頼だってヒカル様が決めたではないですか。シュトーリアをパーティに加えようと言ったのもヒカル様ですし。私はそれを実現可能なように皆に指示を出しているだけなのですよ?

 エマさんを面倒見るとおっしゃったのはヒカル様ではないですか」


「…………………む、むぅ」


「それも、孫同然に育ててきた養父の目の前で、な」


 バウムがシニカルに笑いながら毒づく。

 ランプが部屋の四方に灯され、俺達の影からちょうど顔を出して照らしている、子供のように頬を膨らませているエマに、自分への注目を彼女に移すべく俺は、


「…何たってあんな事したんだ」


 溜め息するように言った。


「…分かったろ? ここにいる奴らは俺を含め、危害を加える気はないんだよ。ただ、君っていう幽霊が店に出てきてお客に広まったら怖いから、てことで、俺が探してただけなんだ。

 未練があるのは分かってる。それを教えてほしい」


「『みれん』ってなぁに?」」


「あー…もう…」

 

 今こうやってエマと話してる形になってるが、ミヨルは9才なのだ。14才で、成長期真っ直中の女の子の身体と顔立ちをしておきながら、オツムが小学生並み。学がないならそれ以下なのだ。プリプリしたポニーテールのエマの表情が可愛すぎる。


「……………ミヨルちゃんが、どうしてお菓子をまずいって言ってたか、それは言える?」


 ナツが聞く。


「だってまずいんだもん。美味しくないんだもん…!」


「…ヒカル様。相手はもはや妄念です」


「妄念だからって切り捨てちゃだめなんだ、ミナ。

 俺のいた世界もそうだったけど……とにかく幽霊って、祝詞とか塩とかで浄化しちゃうっていうのが当たり前になってたんだよね。友達の言葉を借りるけど…『祝詞』なんて、確かに聞こえは良いけれど幽霊にとっては『丁寧な【 帰れ 】』にすぎないんだって。ただ傷つけてるだけって。それがある意味無知なる人の限界だったとしてもだよ。


 物理的に手に負えない存在なら、って考えちゃだめなんだよ。


 ミナも後悔ってするだろ? 幽霊だって同じだ。時には、物言わぬこのベッドや部屋だって後悔するんだ。俺も、前までは知らなかった。


 理由がある。魔法がどうして使用できるのか、と同じ説明の仕方で、幽霊って何で発生するのか、を考えてみろよ」


 あの過去夢――三六九と俺達が京都の修学旅行で訪れた時に起こった、人が死に友達が死に、オカルトがオカルトを食らい合う非現実な出来事。その悪夢の発端は…………『人間の模造品』である式神が、その心を痛めに痛めてある人を愛した事がきっかけだったんだから。

 俺の友達を奪ったそいつの行為は、許すことは出来ない。

 でも、その式神の思いを模造品の勘違いだと否定するなら、――俺の友達はその勘違いで殺されたことになる。だから俺は今でも、その式神の思いを本物だったと信じている。


 押し黙るミナからエマに視線を戻す。


「ミヨル。俺は、どうしてまずいのか、分からないんだ。あそこで今働いてるんだけどさ、あの人達は本当に他の店に負けないくらい美味しいお菓子を作ってると思うよ」


「だって、だって本当に…………ほんとうなの、にぃ………!!!!!」


 どうしても自分の言葉を信じてもらえない感触に涙まで浮かべだしたミヨルだった。親ならこの駄々っ子を怒らなきゃいけないんだろうが、霊な事もあって根気よく付き合うしかない。シュトーリアやバウムも傍観を決め込んでいて、俺とのやり取りを観察していた。


 エマの、包帯で目を巻いた顔で、隣のベットに沈むナーシャを睨んだ。


「この人だけじゃないよ! みんな下手! みんなみんな、全然心のこもってないお菓子を売ることで必死なんだ! 私のお父さんもそうだった! ひいお婆ちゃんの味と全然違うのに、それで間違ってないって聞かなくて!!!!!!!!!!!」


「…………………………だから、そんなに幼かったんだな」


 俺じゃない。ミナでもない。バウムやナツ、シュトーリアでもなかった。

 ナーシャだった。


「――アルレーの死後、その味は衰え始めた。


 ケーキ屋の子が誰でもケーキ屋に向くと思ったら大間違いだ。


 彼女の一人息子は、宮廷からもその味に信頼を受けている母を偉大に思っていた。彼女が老年の味覚障害を起こして厨房から引退してから、一人息子とその妻が厨房を仕切った。

 ――母親のレシピ通りに、作った。でも、できなかった。アルレフールはそんな簡単にできるもんじゃ…ない。

 一人息子は自分の実力とそのレシピを信じていたから、それで完成だと疑わなかった。母の偉業ばかりを鼻にかけて味覚を育ててこなかったバツだな。購入客が増えてきたこともあって、それまでの一日200の販売形式から大量生産に移行した。

 …今のアルレーの町の店々がそうしているように、大量に焼き、大量に売ると言う方法でな。私の店もマッシルドに配達してる。


 結果は分かるだろう? それが二代も続けば味はただの菓子屋になる。


 でもしばらくはアルレーの名前の元バカ売れして、一財産を築いた。アルレーの一族に群がるように人が集まり、その店の後継者を争った。

 刃傷沙汰も起きたと聞く。


 そう考えると、幼子の姿にも納得がいくよ」


 ナーシャは実は最初から聞いていたんじゃないだろうか。


 俺に話してなかった事も含め、今こうして吐露するように言うのも、菓子屋で働く(ナマ)の感情が篭もっているのも、――ナーシャが誇ってすらいた祖父からの店の味を否定されて、幽霊の少女の言葉を否定するように厨房で声を張り上げ、またその夜に否定されて、どこかで傷ついて、それからまずいまずいと何夜も否定されて。


 でも――店のために何がまずいのかを心のどこかで考えていたに違いない。


 それが、味を語り継ぐタイプのお菓子屋の生き方なら。


「…あの、聞いても良いですか……?」


 遠慮がちに声を上げるのは、ミナに隠れるようにして立っていたナツだった。


「今、ひいお婆ちゃんって言ったけど。

 ミヨルちゃんって、もしかして、アルレーさんのお菓子、食べた事あるの?」


「あるっ……………………ひいお婆ちゃん、ふがふが言いながら作ってくれたもん!」


「…なるほどね」


 おそらくだけど。

 店で忙しい息子夫婦や孫夫婦。

 …一人で遊ぶひ孫のために、何かしてやりたい。

 覚つかない手やその視力で、身体に染みついている…自分の名前がついたそのお菓子を作ってみせた。ふと、そんな光景が脳裏に浮かんだ。


「アルレー直通の血筋だ、味覚に才があって当然、か」


 ナーシャは怒って言い返すどころか、まるでやっと師匠にアドバイスをもらえた弟子のように大人しかった。店の彼女を知っている俺から見れば、しゅんとしている風にすら見えるほどに。


「美味しいお菓子が、食べたい」


 病室の天上を、包帯をしたままの顔で見つめながら。涙が包帯の上に浮いて見えるのは、おそらくそれがミヨルの物だからだ。エマにも影響を与えているのか、じんわりと包帯が内側からわずかに染みを作った。


 まずいまずい、を、その言い方を変えただけなのに。

 少女がしていた否定が、その瞬間万感に代わった気がした。

 理由が分かった。

 アルレーの血を引く、アルレーの味を知る彼女は、子供の欲求のままにただもう一度口にしたかっただけだ。


「………………ナーシャさん、どうしてもアルレフール作れない?」


 沈黙。

 黙ったままのナーシャを、俺が諦めてミヨルに向き直ろうとした時だった。

 

「…………………無理だ。私はアルレーの作った菓子を見たことがない。

 レシピは知っているが、焼きや時間、シロップの塗布に至るまでそのバランスを再現するには…、一〇年やそこらでは、」


「一応レシピは知ってたんですね」


 ナーシャさんのことだから、むしろ対抗意識で覚えたんだろうが。


「じゃ、じゃあ、…ミヨルが満足するまで、あと最低でも一〇年は………」


「私が作る」


 エマの唇が、そう、動いた。







 診療所の隣に医者の家があった。エマにミヨルが乗り移っている話はせずに、病人食を作りたいから台所を貸してほしいということで。ナツが良い印象をあえているのか、もう五〇近い、奥さんを亡くしている白髪の医者はメガネを直しながら笑って許してくれた。


「…オーブンって言っても、パン一、二枚焼けるかどうかのものだけどいいのかい?」


 本当だった。ちょっと言うと、トースト二枚並べたらもう限界というくらいの、中は所々炭で汚れている。ふたの下に鉄の棒がついていて、基本的な仕組みはホッツの縮小版だと言う事が分かった。


「なんだか目がうまく見えないの」


「まぁ包帯してるしね」


ミヨルの方がエマより何もかも小さいから、エマの内側から外を覗くことになる。何よりエマの身体を使おうとしても、彼女は目が見えない。たぶんエマに乗り移った時夢遊病者のように見えたのはその歩き方のせいだ。ふらふらで、手で何かを追うように目の前に掲げていた。何かに当たる、向きを変える、を繰り返しながらだったように思う。まるで老化体験用の狭く、悪くゴーグルをしてるみたいで。


「しかも火が出ないの……」


 両手を見下ろしながら言う。魔力に才能がなかったらしいエマでは、確かに無理だろう。


「…代わりに誰かが火の役をするのはだめか?」


 ナーシャだった。そのままベッドにいると思いきや、起きて俺達についてきたのである。


「……ミナはどう?」


「私は…………………その、別に…………でも、もしかしたら、…………ぅう」


「ヒカル様、姉様はその、お化けが」

 マジで!?

 思わず脳内でファンファーレが鳴る。今度からミナを虐める時はそれで行こう。


「あー、まぁたしかに拒否反応が出ちゃうかもね」


 だから昔から、ミイラとか、死んですぐ、とか寝てるとき、とかとにかく無抵抗無感情の時じゃないと幽霊は乗り移れないのだ。


「なら俺で良いじゃん。試してみたいことがあるんだよね」


「…………ヒカルは火系だったのか?」


 訝しげに聞いてくるシュトーリアに、いやいや、と苦笑いしながら否定する。





 何とも変な感覚だった。視点も呼吸も手の動きも体重の取り方でさえも、自分の身体にもかかわらず、俺の感覚の外側で行なわれていた。


「次は糖蜜だよ。お姉ちゃん、ナツナの実はどこにあるかなぁ」


「ぷっ」


 笑うシュトーリア。

 殺してやる。アイツ後で絶対ヒイヒイ言わせてやる……!!


 俺の身体でお姉ちゃんとか言うもんだから違和感ありまくりである。しかも声が若干高い。子供の頃ってのど仏育ってなかったから、声の出し方が今と違ったよな…と何となく納得した。


 生地は、俺の手でこねられた後、そばのボウルの中で寝かされている。

 ミナからナツナを受け取ると「何かお姉ちゃんが下に見えるって変な感じ」などと呟きながら俺は慣れた手つきで皮を剥き、


「…………」


 ナーシャが、台所の壁に背中を預けながら、そんな俺を見つめていた。瞬きくらいすればいいのに、時折敵意やら羨望やらを織り交ぜつつ。


「もう遅い時間、だからちょっと風味を強くするよ」


 レシピより多いナツナの分量を入れるのにさえ、片方の眉尻をあげてくる始末だ。


 緊張した素振りのない手つきは、おそらくずっと親の後ろ姿を見てきたためだろう。親がするのを真似するように。


 …時偶、さっきのように分量を変更するなど、「レシピはレシピに過ぎない」という呟きは、まさしく、その伝説のレシピをただメモとして作ったに過ぎない『作った本人』にしか言えないセリフを織り交ぜて。


 ミヨルの見上げる先で、年老いたパティシエがそう言っていたように。そして今パティシエと化している俺の両手は、小さなオーブンに七つ、人数分のお菓子を並べた。


 ここアルレーの町の由来にもなったパティシエの名が刻まれたお菓子は、真四角ではなく、どちらかというとひし形に近い。それだけで、アルレフールとは別の物に感じられる。まるで立方体のは飽きた、とでも言うかのように。


 ただ糖蜜とシロップの風味を、ねりこんで薄くのばしただけの生地で段々重ねにしただけの一口サイズだ。

 俺の手は、静かにオーブンの鉄のふたを閉め、


「お兄ちゃん、お願い…」


「あいよ」


 一人で言って、応える俺。

 ミヨルの言葉と同時にコントロールが俺に戻り、俺はそのまま窓へ近づき、一本だけ下ろしてくる。黒刀だ。あの六色の宝玉が埋め込まれた儀式用の短剣。

 左手に握り、


「いいぞ。そのまま火を使ってみて」


 深呼吸をし、コントロールを受け渡す準備をする。――背骨を上から抜かれる感じで操縦桿をはぎ取られ、俺の手は、鉄の棒を握った。


「――――、ヒカル様が…属性魔法を…?」


 後で説明してやらなきゃ。


 これは呪い付だったが、六色の属性を持つ短剣だ。この剣を媒介に魔力を発動すれば、その魔術の感覚を知っているならば、自身の持つ属性に左右されず六色の魔法を使うことが出来る。

 六色ボールペンみたいなのと思えばいい。

 だけど自分の使えない魔法は使えないしそれ以上が出来るようになるわけでもない。属性魔法の魔法の種類やその使い方がよく分からない俺にはせいぜい障壁止まりで、神殿障壁を常用する俺には今のところ無意味でも、――こういう風に役に立つ。


 炎に包まれる右手が鉄の棒を握っている。この台所のランプは二台しかなく少々薄暗かったが、その炎で部屋が少し明るくなった。

 だが俺の目は部屋の明りを見ることが出来なかった。みんなの視線を一心に浴びているのだけはオーブンのふたに反射して分かったが。


 注視していた。

 焼けていくお菓子から一瞬たりとも目を離さずに。

 これが、あの頬を膨らませていた、あの九才という金髪おさげの女の子なのか、とびっくりするくらいだ。魔力が炎に変換されていくのを肌で感じながら。


 ミヨルの気持ちが、少しだけ分かった気がした。








 せめて残っている材料はないかと燃えかすの中を探したり、泣き崩れたり、アフタのことをようやく聞いたのかこの町を離れる準備をしている店員達を尻目に俺達は必要分の買い物を済ませ、ホモ車に乗り込んだ。

 町長の家の前では、保障をしていただろうなどと訴えながらドアを叩いている菓子職人の姿があった。さて、ご愁傷様なのか身から出たサビと言うべきか。ナーシャはこれから静かになって良い、と切って捨てたが胸が痛い。お金がなくて本当ごめん。


 残った店はどの店も、破壊された他人の店のことを尻目に普通通りの営業を始めた。

 ただ初めて見たときの明るさはなりを潜め、どことなく周りに遠慮するような静けさで客を待っていた。


 ホッツは、そのまま午前中に店内を掃除した後、休業の札をかけた。窓修理をスタッフにまかせながら、その片付けられたばかりの厨房には、周りの喧騒から隔離されているかのように彼女だけの空間を作り出し――あの若い、ブロンドをしばった女店長が、右腕を吊ったままという不格好にも関わらずボウルに生地を押し込んでは畳み、を繰り返していた。


 一心不乱に。


 破壊されてしまった町の中で一人、目に希望を燃やしていた。






「さて、と。皆さんもう買い忘れはないですね? これからは十日間町がありません。最低限の食事以外はもうありませんよ?」


「ていうかミナ。俺があげたあのお金であのお菓子買ったんじゃないだろうな…?」


 十箱である。それぞれ十五~二十五個入りのお土産用で、無事に残っていた二五のお店からこれでも選び抜いたらしい。


「ワシは本とナツナ茶があればいい」


「ヒカル、いい干し肉を買っておいたから後で食べよう」


 シュトーリアが包み袋(これまたデカい!)を持ち上げつつ言う。俺は干し肉をつまみにシュトーリアをいただくことを誓った。


 ナツはまだ放心していてホモ車の後ろで酔ったような顔をしたままである。あの・・味が忘れられないんだろう。

 でも危険なことに呪い武器の山のすぐ隣。崩れたらひとたまりもない。俺は焦りまくりながら空に武器達を上らせる。


「エマは?」


 びくっ、と。

 ホモ車の一番奥で、陽光を髪に浴びながら体操座りで小さくうずくまっている。

 時折誰かに話しかけられたかのように頷いたり、きょろきょろと周りを見回したり。俺の声から位置を探しているかのようだった。同時に怖がってもいたが。


「エマ」


 バウムが言う。深い緑をたたえたポニーテールの傷心少女エマは、ようやく、顔をひざの間に埋めるように、こくり、と頷いて見せた。


「――ミヨルは?」



『お兄ちゃん、だいじょうぶだよー!』


 金髪おさげの9才がエマの隣で両手を挙げて答えた。本当に良いお返事である。子供って良いな。


「………………………………大丈夫、だそうです」


 蚊の泣くような声で、エマが言う。

『俺には見えてる』のにエマが答えたのは。


 チッチ達と同じである。


 実は最初から、このミヨルは、俺以外には見えなかったのである。

 店の敷地を出てしまったから、が、ミヨルの言い分だったが。言葉は全部エマの口で言っていたため、彼女の意志はミナ達にも伝わっていたのである。

 憑かれてるっぽいエマは声が聞こえるみたいだけど。ていうかお互いなら触れるのか。だって今俺の目の前で九才児がエマの深緑のポニーテールで遊んでいるし。

 

 邪神の魔力、か。

 もしかしたら今までの町でも実は幽霊見てたりしてな。


…………………………こわっ。

















 アルレーの町。


 伝説は再び。

 女パティシエ――『ニコ・アルレー・ラ・ナーシャ』の名が世界中に広がっていく事になるのは、また少し先の話である。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クリエイター×コレクション  クリエイター総合サイトランキングである。パソコンからポチッとな!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ