二〇話 邪神とお菓子の幽霊捕獲(ゴーストハント) (後)
おただいまでござい~! おもちおいしかったですwww
「三六九…! お前右腕大丈夫か…!?」
とうとう将司ともはぐれてしまった。他のクラスメイトもとっくにあいつ等の手の内だろう。…身の保証は、できない。すでに四人殺されている事は間違いないのだから。
燃える日本屋敷の一部屋に俺と三六九はいた。三六九は俺がぎりぎり蹴り飛ばしたからその程度で済んだが、右腕を大きくやけどしている。あんな紙っぺらでなんて威力。
肉をのこぎりでそぎ落とされる痛覚に匹敵するほど。意識を失っていないだけまだマシだ。三六九は呻きさえしないのだから痛ましいながらも、頼もしかった。たとえ強がりだとしても、こんな時でも三六九は三六九で居てくれるのだから。
最終防壁とか言ってた清水の陰陽師達が鬼神に落とされてから為す術がない。未来予知の三六九を優先的に狙っているのは明白だが、顔を見られた俺の方が奴らにとっては重大かも知れない。
術式は完成してしまった。圧倒的なまでに樹木の根っこみたいな触手が幻惑の京都を覆う。
あの神主、マジでイッてやがった。
先生も皮を剥がれて生け贄に使われていた。身は食わせたのだろうが、失敗した隣のクラスの御堂亜美の皮を投げつけられて正気を失った直子を三六九は見捨てた。結果直子は死に、俺が助かった。俺は文句を言える立場じゃない…。
――ッ、煙吸っちまった…!
「ごほっごほっ!!! ゲ、ホ…! みロ、グ、まだ走れるな…!? ここじゃどちらにしろジリ貧だろうが…!」
「…僕は良い。まだいい。だが問題はそれじゃない。
最悪なのは、このまま二人で行って、二人とも見つかって、二人とも抑えられて、――奴らの秘密を知っている人間が居なくなると言うことだ。もう陰陽師達の手に負える問題ではない。どちらかが術士支部にこの事実を知らせ、これを殲滅させることだ。このままでは全国規模になる…!!」
――ああ、分かったよ…!
「三六九、いいんだな」
俺は立ち上がる。すでに、三六九は限界だったのだ。おそらくあの爆発で足も…!
「いいか。戸泉小町に秘密を伝えたらすぐに京都から離脱するんだ。これを使え…」
三六九の銀時計だ。正確には銀ではない。世の中流で言えば、未知物質だ。
「あんだけ他人が触るの嫌がってたくせに、…………お前、…!?」
奴の権力の証。綺卿三六九の貴族たる所以。こんな身なりで英名なんて持ってて、冗談でもなんでもなく『公爵』なんて言う肩書きを持つ、世界の暗部をその身で支えている人間だ。
これがあれば千の命を言葉でやりとりできるという戸泉の皮肉が、今俺の手でずっしりと重い。
「もう、いい。助からない奴は助からない。助からなければならないのも僕たち二人ではなく、どちらか一人なんだ」
十五才が言う言葉じゃない。細身の身体で、制服の右腕が途中から食いちぎられたみたいに焼けていて、腕も血さえ焦げ付いて異臭を放っている。
目だけが強気だった。荒い呼吸。すぐにも倒れて意識を失ってしまいそうな顔色。
こんな強い姿を、あの三六九をバカにしていた四人は永遠に知らないままこの世を去った。でも、今。この先これが三六九だと、誰も知らないまま終わるかも知れない。
「行け!! 坂月ヒカル! その銀時計を預けた、この僕を失望させるな!!!」
死にそうな身でありながら、それだけで人を殺せそうな怒号で、右肩を抱いたまま起き上がれない三六九が言い放つ。
俺は反射的に立つ。何度も、こいつの言葉を脳内で反芻しながら――!!
「絶対戻ってくる!」
何も出来ない…ここには三六九のように敵を圧倒する未来視と予備知識があってさえ、だ。銀時計を握りしめる。絶対、例えこの腕を矢で射抜かれようと離しはしないと心に決めて。
オカルトにはオカルトしか対抗できない。
その事実を、俺は江ノ島で痛感したばかりだろう…!
「――ああ、待っている」
目を閉じた三六九を流し見て、耳に聞こえた小さな言葉を噛みしめて、俺は走り出す。破壊音。振り返れず、全力で庭を突っ切った。
大量の鈴の音。
天井が落ち、火炎と大量の観音達が俺の友人を埋めていった。
――……――
「ヒカル様、ヒカル様」
――…………………あ――…、
「ヒカル様。どうかお目覚めを。町で問題が起こっているようです。事態の説明はともかく、ご自身の目で確認された方がよろしいでしょう」
「あ…………………………………、ミ、ナ…?」
「こんなに汗を…。何か悪い夢でも見たのですか? 気づかずに済みません。
邪神でも、………恐ろしい夢があるのですね」
くす、と口を隠して笑ってみせる巫女だった。だがすぐにきっと表情を切り替える。俺も涙を拭き、ミナの言葉に備える。
「町の店々のショーケースや受け取り窓のガラスが割られて、従業員同士が触発、一騒動起きております。おそらくいたずらか何かと思われますが――」
「ガラス?」
「ええ。怨恨にしては少々悪質です。すでにシュト―リアは町長の所に事情と目撃情報を聞きに行っています。
ただ――、」
パリン! と、ガラスが割れる音がした。
間違いない。
俺達の宿のどこかの部屋だ。
「町長が、バウム氏がこの町にいることを漏らしたそうで」
ギリ、とあのミナが、鼻から上は無表情のくせに、自身の感情を抑えられず白い歯を見せて悔しがっていた。昨日ミナ達が話しに行って、追いすがってきたあの男か。
「バウムは?」
傍らのもう一つのベッドに、もうその主の姿はない。
「裏口からすでに町に身を隠しております。ナツやエマさんも一緒に」
そうか。俺はそう頷いてベッドから出ると、窓外を見下ろした。
いるいる、店々の店員やら店長やらが三十人ほど。男ばっかり。獣人ってだけで何なのかね。
「ヤになるねいつの時代も、異世界でも」
俺達の仲間がその群衆に揉まれてないのを確認して、ミナに向き直る。後ろ背で、神殿障壁を発動。男達をまとめて地面に叩きつける。
「宿を変えましょう。もうここの主人にこれ以上は悪いです」
お金は渡しておきました、と、ただでさえやりくりしている風なミナがさして惜しんだ様子もなく言う。迷惑をかけてしまった気持ちの方が強いんだろう。
俺は窓外から呪いの武器を空に避難させると、ミナの手を取った。俺が窓に向かって手を引くのでミナは慌てて、
「あ、の、…どうして窓なんかに足をかけてらっしゃるのですか…?」
「ミナは空の旅は初めてだったか。まぁ俺もなんだけど」
そいっと、窓外にためらいもなく一歩を繰り出す。まるで窓の枠から板が続いているかのように、でも石を踏んでいるように弾力のない地面だ。眼下では菓子職人達が地面の味をなめては呻いている。
「ひっ、カル、様…ッ、わたし、、…!」
俺の腕に強くすがり、へっぴり腰になっているミナだった。初めての砂場の友達に怯えて親にすがる子供のそれだった。
「いつもそんなんだったら可愛いのに」
思わず口に出ていた言葉をミナは聞く余裕もなかったらしい。さらにきゅっと身体を押しつけてしがみついてくる。
俺達の身体はエレベーターに乗ったかのようにぐぐぐぐ、と空に上っていく。屋根を越えた辺りで止まり、
「んじゃ逃げるぞ、どこだ隠れ家は」
「え、――えええええっ、だめ、急に走り出したらこわ、きゃぁあああ!!??」
本気で怖がってるみたいだから、とりあえず未だ静かな住宅地へ。
空を、走る。
ほら、それにミナ達は、『穿いてない』し。
俺以外に誰が見せてやるものか。
俺だけのもんだ。
しばらくぶりに頼られてる感じに、なんだか朝から上機嫌な俺だった。
「で、何がどうなって図書館の屋根裏部屋になるんだ」
「そこに、本があるからだろう」
バウムがすでに勝手に拝借してきたらしい本の山をそばに置いて読みながら言うのである。
ここは俺が言ったとおり、図書館の屋根裏部屋である。ちょうど宿屋から住宅側に向かって三件目の所に図書館があり、逃走している際に見た目から屋根裏部屋があることを見抜いたらしいのだ。ナツとエマを町病院に連れていき、自身は屋根裏部屋にいることを告げて、そのままここに潜んでいたのだという。
「というわけだ」
まるでバウム達に内緒で行ったはずのミナ達の行動を知っていた風に、バウムが漏らした。この屋根裏部屋は、薄暗く、俺が立つのがやっと、といったくらい低い。骨組みに腰掛け、通気口からの光でページを見つめているバウムが、何となく…凄く似合って見えてしまったのは、きっと、気のせいじゃない。
アフタで過ごす前では、きっとそう言う生活をしていたに違いないのだから。
「ワシのせいでエマまで罵声を被るのはよろしくない。ガラスの事が収拾したところで、変わるまい」
「この分だとエマだけでも、というのも危ういですしね」
何せ盲目になったばかりの少女だ。町全体が悪いわけではないが、似た気風に似た人間は集まる。類は常に同類しか呼ばない。良かれと残していった方が、彼女にとっては不幸の連鎖につながるだろう。あんなに可愛いのに、彼女自体は支えなくしては生きられない無力同然なのだから。
だから、長年連れ添ってきた養父と離ればなれになるくらいなら――。
「この町でもダメ、か。マッシルドからなら当てがあるのか?」
「マッシルドなら、あるいは――」
「もう止めよう。ミナ」
これ以上望みを掲げて突き進むのは酷だ。また次の町に行って期待をかけるのだ。そんな俺達を見ていて、バウムやエマはどう思うだろう。
助けた側の俺達の、なんと身勝手なことか。
「バウム。俺達の旅についてこい。
あんたは一度俺に殺されたも同然だ。文句は言わせないぞ。
エマもだ。俺が助けた。だから好きにさせてもらう。
面倒も、見てやる」
がしがし、と頭を掻いた。マサドの村に引き返すのも良いが、そうなると盗賊達の行方が途絶えるかも知れない。それは個人的にはいただけない。
俺が居れば、敵と遭遇はさせない。
なら俺と一緒にいる方がバウムやエマは安全だと言える。
「ミナ。俺のわがままだ。無理なら理由をあげてくれ。
言うお前の目の前で俺が否定してやるから」
絶句しているミナに俺が言い放つと、見かねたのかバウムが顔を上げ、
「………………それはワシにはありがたい提案だが、懐事情は大丈夫なのか。
旅の目的があったのではないか?
ワシはともかく、エマの身が目的のために重みになるとしたらどうする?」
「そういう事態にはさせない。それに金ならある」
俺はポーチを外すとひっくり返して見せる。半分ヤケだ。銀貨が八百枚近く、中には金色の硬貨さえ五、六枚混ざっていた。というか俺のポーチは硬貨で一杯だったのである。昨日だって依頼の話をしてからそのまま新しいポーチ買いに行くつもりだったのに。
「…………ヒカル様、これは…」
「ああ、アフタの町からいただいた。もったいないだろうが。
盗みがいけないって? バカ言え。
ミナ達は本当に、心のどこかで甘い。やりくりしてたんだろうが、こういう事態になるかもしれないって考えなかった時点でお前の管理は失敗だ」
エマ達を勝手に組み込もうとしてるのは俺であって、それがミナを責める理由にはならないんだけど。
でも万全の準備、というのは、限りなく選択肢を選べる状態を言う。
ミナがこんな時に正道を言ってくるのが怖くて、俺は一気に言い切ってしまった。正しいのは俺の方だろう。でも、ミナがそれに納得するかどうかが分からない。
押しつけは出来ない。俺一人でエマを看病するなんて出来ないし、バウムを気遣う云々だってもってのほかだ。
「夢見が悪くて気が立ってるんだ。
そう言うことだから、ミナ、後のやりくりよろしく」
とう、と屋根裏部屋から飛び降りて図書館のチェックの絨毯に着地する。
「ヒカル様!」
俺を追うようにミナが穴から顔を出してくるが、へたれな俺は顔を見る勇気がなかった。
「――――…………………お店、頑張ってください。今日も、また行かせてもらいます」
「今日はお昼からだけどな」
んじゃ、と、図書館の階段を走るように下りていく。
掃討依頼?
とにかく町から出来るだけ離れて草原の中心まで移動。神殿障壁を無対象にして最大限まで広げ、今度は魔物を対象に縮小させる。すると俺の方に集まるように敵が雪崩れてくるのである。
障壁と俺との距離が二十メートル近くなると、周囲の魔物雪崩の高さが5メートルを優に超え、俺の下の地面が盛り上がった。
なんというか、壮観である。
ゴブリンやらスライムやら件のデルオーガーやら地中からは大型のクレイドラゴンの群れやらがそれぞれ「うわぁぁあああ…」といった感じの奇声を上げつつ、おなじみのように転がってくる。二秒後、プレス。
掃討内容には知らない魔物も居たのだが、まぁこの三,四〇〇近い魔物の中に居るだろう。とりあえず地中組から、透き見の杖を使いつつギルド証明に必要そうな部分を刈り取っていく。
デルオーガ―は口ヒゲだという。ふむ。
全身岩石で出来てるクレイドラゴンに、鱗ってどこにあるんだろう?
スライムは無視。目玉集めたって二束三文である。
超過した分もとりあえず持って行って、依頼にあれば換金してもらう。
そんなこんなでギルドのお姉さんを表に呼んでその大量具合に悲鳴を上げさせ、ギルドの傭兵達を青くさせた後、俺は金貨三枚と残りは銀貨と銅貨でパンパンになったポーチで武器屋に向かった。
「親父、呪いの武器くれ」
「…………はぁ?」
他の冒険者が居る中、唖然とした店主である。すぐにきょろきょろと周りの冒険者に聞かれてないことを確認した細身の店主はおどおどとカウンターに伏せるように腰を折って、
(そ、そう言うことはあまりおおっぴらには…)
(良いからこの店の呪いの武器を全部くれ。金ならある。さぁ! さぁさぁさぁ!!)
奥の部屋に連れて行ってもらって、剣と斧二本で二五〇〇〇シシリーで売ってもらう。表に飾られてる一七〇〇〇シシリーの銀鉄剣に比べてなんとお得なことか! シュト―リアも解呪した武器使えばいいのに…。
特に高かった二〇〇〇〇シシリーの剣は、このまま売れなければマッシルドのオークションに出すつもりだったとかでずいぶんしぶってきた。なんでもエストラントの何とか騎士団にゆかりがあるものだとか何とか。あとで透き見の杖で見てみようっと。
「オークションって参加するにはどうすればいいの? あ、競り落とす側で」
「呪い付きは裏だからねぇ…飛び入りでも金貨一枚あれば入場できるぞ」
「………………ふぅん、よかったら聞かせてくれ」
銀貨を四枚握らせる。
――店を出ると、そこもお菓子屋だった。
「くそっ、どこのどいつが…!」
腕組みして見上げる白い作業服を着た男は、やり場なく地団駄を踏んでいた。
メニューを張っていたらしい窓がひび割れ、店外と中両方ガラスが飛び散っている。
「店長、何か入り口前の宿屋に獣人が泊まってたとかで集まってましたよ」
「なんか店前で重力魔法使われて地面に押しつけられてたとかでもうかんっかんなんス。アミューゼの旦那なんか宿屋の窓に包丁投げ込んだとかで、」
俺は無視して朝の町並みを歩いた。人通りが、悪い店の前で試食の台を出している店は半分もなく、どの店もガラスの張り替えと姿の見えない誰かに怒るので一杯一杯らしい。 天候にも恵まれず、薄曇り。まぁ彼らの身になって言えば、こんな日に日本晴れだったら逆にやるせないかな。
俺は路地裏に入って空に剣達を送ると、そのままホッツに向かった。
「ちっ。ホッツは無事か」
店の中では例によってナーシャが指示を飛ばしつつ動き回っているが、精彩に欠けた。何より動きが遅い。外の様子を気にしてだろうか。彼女の意に沿うように客足も少ない。この店に少ないのではなく、町全体に少ないのだ。
「………ヒカル! 今起きたのか? こんな日にも図太い奴だ…」
シュト―リアの声に振り返る。腰に手を当ててため息してる風な女剣士にかみつくように、
「違う。ギルドの掃討依頼を終えてきたところ」
「ふん。そう言えばヒカルの魔物との戦い方は見たことがないな。
いくら稼いだ?」
一応ギルドの先輩であるシュト―リアはにやにや笑いながら言う。何となく上から目線だった。いつもは俺の胸の中で悶えるばかりのくせに、こういう時ばかりは調子が良い。ビギナーをいびろうとする気満々である。
「二七万と三〇〇シシリー」
「え」
「クレイドラゴンの大物が結構良かったな」
「……………………あれはAランクなんだぞ…!?
…まぁヒカルの魔力値ならありえなくはないか。八〇〇台とか…でたらめな奴だな」
目を細めて顔をしかめてくるが俺は涼しい風で受け流しつつ、
「当たり前だろ? 俺はシュト―リアのご主人様なんだからな。…な?
ご主人様の初のギルドの成果を祝って、そこの路地裏で一揉みいっとこうかな…」
「くっ…………! …まぁいい。いつか吠え面かかせてやる…! ぜったい…!」
がちがち、と紋章がある辺りの鎧をこづく。シュト―リアは払おうともせず忌々しく俺の手の甲を見つめながら、気づいたように、
「そうだ、この騒動について調査がある程度終わったところだ。聞くか?」
「おお、俺もそれ聞こうとしてたんだよ」
――少女の影。
窓ガラスが割られたのは明朝にかけてのようだ。スイーツの町アルレーの朝は早い。
どの店も店員が仕込み中の所にガラスを割られ、たまたまその姿を店内から目で追うことが出来た人の、話なのだと言うこと。
もちろん見間違いの可能性もある。
たまたまそこに少女が居ただけかも知れない。
だが、有力候補には違いない…。
「シュト―リア。どう見る?」
歩きつつ、辺りをうかがいながら言う。開けているどの店の店員も笑顔を装いつつ目で疑ってるような感じだった。店の裏口では隣の店と相談しあっている所がほとんど。
何とも嫌な空気だ。これではお客も歩きづらい。
「――子供のいたずら。もしくは、ライバル店の威をそぐために子供を雇い、犯行させたかのいずれかだろう。
ガラスの割られ方の角度と良い、大の男ではないことは間違いない」
「うーむ」
「ヒカルはどうだ? …ヒカル?」
シュト―リアが顔をのぞいてくる。
「……………………………………………………………お化け、かな」
俺は顎を撫でつつ言った。
そのままホッツの店長から聞いた話を聞かせる。
「背丈は…そうだな、シュト―リアの乳首くらいだ」
話によると大体それくらい。
「ちッ……!? おいヒカルっ、こんな人通りの多いところで!」
まぁまぁとなだめる。触るなっ、と手を振り払ってくるがそれすらもニヤニヤしてやっていると、
「ったく…! …ああー、確かにそれくらいの背丈だった…か? いや違うな。少なくともナツくらいはあったと聞いてる。ヒカルの鎖骨…辺りか?」
「女の子が男子の鎖骨をだなんて! ずいぶん大胆になってきたなー…」
「く、ぅううううううううううううううう!!!!!! ヒカルっっ!!?? 仮にも男がそんな自分の身体を抱くような仕草するな!」
「お、仮にも、って事は、シュト―リアは俺が男であることを疑ってるんだな? ほほう」
「……触るくらいなら女子同士でも、すると聞く……! いや、だからといって証明しなくていい! ヒカルがゲスだってことがわかってるからそれで十分だっ!」
「あれだ、つまりシュト―リアは俺がヘタレだと言いたいだな?
…お前は俺に言ってはいけないことシリーズを言ったぁああああああ!!!!」
がしっと手をつかむ。わっ、と赤面、いやいやいい、いい! と慌てて踏みとどまろうとするシュト―リアをそのまま路地裏に引っ張り込んで、普段の三割増しで乳繰ったのであった。
謎の高笑いと堪えるような嬌声が聞こえた、と、しばらく近くの店々で話題になったらしい。ハルから聞いた。
ふふ。
「ありがとうございましたー」
お客に頭を下げつつ見送る。…列はない。
「………………………ハル。やっぱり少ない。なぁ、言っちまえよ君が犯人だって」
窓から中に身を乗り出しつつ言う。
お客が、である。お昼休みから入って三時間は経ったろうが、今のでやっと三〇組目だ。昨日の今なら一〇〇組を余裕で超していて、かつまだまだ列が続いていただろう。
ハルは帽子を取りつつロン毛をかき上げながら、
「知らねーよっ、やめろっっ! もしもてんちょーに聞かれてみろ、」
「ヒカル! 今の本当か!?」
イライラしているオーラむんむんにやってくるナーシャだった。ハルの首をつかむと仰向けのまま銀机に押し倒し、ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱん!!! と目が覚めるようなビンタを噛ます。
(たぶんイライラの向け場が欲しかったのだろうと勝手に解釈する俺である)
ハルがふぇ…と泣きそうな声でぐったりしているのを目を丸くして見下ろしていると、今度は俺の襟首が掴まれる。八つ当たりの矛先が! ひっ、と瞬間顔をかばった。
「………ヒカル君。一刻も早く幽霊を、頼む。これでは十日を待たずに弱小の店が倒れ始めるだろう。
それではいかんのだ。ここは店々が競い合う場所。私は自分の菓子を高めるため、価値を知らしめるためにここにいる。これではアルレーの町にいる意味がない…!」
「…………そうだ、今暇だし、ちょっと聞かせてくれませんか」
「ふむ、なんでもいい。この事態の収拾がつけられるのなら、な」
腕組みし、斜に構えて俺を見てくるナーシャだった。ブロンドの縛り方があまりにも女性にしては強引だし、化粧一つしてない顔も、この人が職人気質の人間であることを容易に感じさせる。
「この店はいつから営業を?」
「お爺様の代からだ。この町が菓子専門の通りになってきた辺りで前の店が潰れてな、空いた空間にこの店が滑り込んだ、という奴だ。店の誘致については町長が菓子屋を優遇してくれてな、タンバニ―クからだったが…引っ越し代には困らなかったよ。
ここの店の進退については町長が記録を持っているはずだ。聞けば見せてもらえるだろう」
「前の店は?」
「なに、競争にあぶれたのさ。客の増加についていけなかったんだろう。
元々細々とした店だったらしい。過去の栄光にすがったまま少生産を貫いていたはいいが、店長が変わる度に劣化していく味に、気づかなかった。だが昔からの味だ。そう信じて作り続け、客は逃げ、いつの間にかなくなっただけの話」
「ずいぶん嫌いなんですね…その店」
「何、どうしても前の店と比べられるからな。まぁそれでこそアルレー町だが」
知らないのか? と地面を指さす。
「前の店は、あの伝説、アルレーが創設した店なんだぞ」