プロローグ
――予言者、というものを初めて知ったのは都内有数の難関校『成木中高一貫部』に無事入学を果たしてからだ。
『難関』というのも、偏差値が高いこと、何より授業料が高いこと。
他の学生と違い路傍の花のような普通の小学校から上がってきた自分だから気後れもしていたんだろう。
将来の付き合いのために確実に仲間を増やしていくクラスメイト。生き急ぐような、下心の見えるようなやり取りに、どうしてかなじめなかった。
「すぴー…」
「………って、おい…」
そんな学校でも爆睡してる奴がいれば、声もかけたくなる。
皆は殊勝と言うべきか、彼――綺卿三六九に気にかけもせずに化学実験室へ移動していたのだ。俺は昼食時間中はキャッチボールして遊んでいたからどうしてもいつも遅れ気味だから、そう言う光景を嫌でも見る。
「んぁ…」
「さっさ起きろよー」
「…………すぴー…」
「いや起きろって」
起こした彼は、最初の数回こそ俺を無視して教室を出て行ったが、それからは、廊下に出ると俺を待つようになった。
「コレってフラグなのか?」
「君は何を言ってるんだ」
初めて会話が成立した瞬間だった。
…それからは三六九とは色々あった。冒険じみたこともしただろう。精神的にも、体力的にも追い詰められもした。人の死に出会った。不可思議なことに遭った。でも何となくやってこれた。それはやはり、彼が、紛れもない超能力者――「予言者」だったからだ。
でも彼の予言は数回しか聞いたことがない。
そもそも予言じゃなくて予知らしいが、話してくれないんだから俺もあまり区別が分からないのだ。
でも地震の正確な発生時間を当てたり、ビルの倒壊を見切ったり、その光景を目にしないと分からないような現象を知る事が出来る様を何度も見た。
だから、他にもオカルトって奴が世界に存在していることに何の疑問もない。むしろそうである事が正しい、とすら感じている。
夜道を吸血鬼が彷徨う。
影が起き上がる。
オーパーツ。
歴史の矛盾。
そんな不思議なオカルトの一つ。
綺卿三六九は、俺の友達で、予言者だった。
ゴールデンウィークに何するまでもなく病院に見舞いに行くあたり俺もホント暇なんだろうな。部活も大して忙しくないし学校でも問題もない。
「ヒカル、………シーチキンまた忘れただろう」
「…………」
こいつとつきあい始めてから感覚が麻痺してるが、公民館の一室くらい広さのある一室を与えられている程のVIP待遇は今に始まったことではない。何せ声が響くほどなのだ。
入って左端の窓際を小さく陣取って、半身を起こしてこちらを見ている三六九は、缶詰シリーズをそれでも嬉々として手に取っていた。高級品暮らしが常のこいつには保存食系は本当に珍しいらしい。かに缶とかマジで喜んでたもんな。二人で食べたけど味は微妙だったが。
「あー、今度買ってくるって」
「いや………いいよ。どうせ今日が最後だったしな」
「最後?」
ああ、と銀の懐中時計を見ながら頷く三六九。身体が弱いせいか線の細い薄幸少年を思わせるが、その表情とか見てたらもうどこら辺が病弱よと疑いたくなる。
「……………これも、よしみだ。ヒカル。願い事を一つ聞いてやる。
何でもいい」
「は? どうした急に」
「お前は今日ここで消える」
訳が分からなかった。消える? デリート? 何かの騒動に巻き込まれる? …例えば三六九が誘拐されるとしてその際に邪魔者扱いされて撃たれる、とか…。いかんな、いちいち冷静に考えられるぜ…。
「死ぬって事か」
「分からない。だが、物理的にも消えることは確かだ。それ以上は分からない…」
「いや、お前の言ってることが既に分からないんだが」
「聞けヒカル。…僕は君と会った日から、今日の日があると言う事を知っていた。今日の出来事があるから、僕は君に興味を持ったと言っても良い。
…君は僕を超能力者と言うが、僕にとっては君の方がよっぽど不思議だった。
何せ人が消えるんだからな。
何か秘密があると思った。
何か隠してるんじゃないかとも思っていた。
でも分からなかった。君は前日にも何もアクションを起こさなかった。今日だってただの見舞い。だから、今やっと確信しているんだよ。君は『巻き込まれただけ』だったって」
「へぇ、マジで!? 俺すごいな! 初めて三六九に褒められたんじゃないかコレ?」
「よく分かったなヒカル、褒め言葉だって」
「あたぼーよ、どんだけお前のツンデレ具合に付き合ってるって思ってるんだ。経験値だけは圧倒的だわ。後は女子にそれが向けばいいけど」
「…君は一度自分をみている周りを気にするべきだ。全く、僕が君を認めてるのはその容姿もなんだよ? 僕と釣り合える奴はそうそういない。喜んどけ」
いつの間にかミカン缶をフォークで食べ始めてる三六九が言う。
「んで、願いは」
「ああ…」
正直実感とか、わかない。
言ってることが突拍子過ぎる。確かに俺が三六九に隠して超能力を持ってる…なんて事はない。こいつは今までそれを心配していたんだろう。変な力があるならそれを話すまで待っていてくれたのだ。まぁそんな力はなかったんだが。
三六九の言い方が理解出来ない。
それはきっと、こいつも分からないんだ。こいつは予言者だ。それが『職業』にもなっている今、こいつの状況描写で聞いている人に『分からない』と思わせるはずがない。
三六九自身もずっと考えていたはずだ。俺と出会った時から、俺が消えるのを知ってたという。
俺と初めて会話をなした時、こいつは何を考えていたのか何となく分かった気がした。
俺と付き合ってからなおさら分からなくなったに違いない。
明らかにオカルトの領域。消える、なんていうのもきっと事実をそのまま言っているだけだ。それ以上に説明がつけられない。
知識の限界。どうすることも出来ない未来。
今ここで自分の見解に敗北した三六九は、俺の願いを聞くことによって自分の無力をそそごうとしていること――。
「いや、特にないわ」
「馬鹿言えヒカル、お前が親に隠れてタバコ吸ってるの僕は知ってるんだからな」
「消えるんだろ? これを機会に止めるわ。消えた先にタバコあるか分からないから」
――っ…。
軽口を言ったつもりが、三六九は相変わらず笑みながらも奥歯を噛みしめてる感じがしたので、窓に目を逸らした。
「消えるんだな、本当に」
「ああ」
「タバコを例に持ち出したって事は、もう時間もないってか」
「ああ」
「じゃああれか願いって言うのは」
「…そうだ。残り五分足らず。僕が聞いている願いは、君の残された家族やその友人達に向ける遺言、とその贈り物、形見の品の渡し、だ」
「…痛いのかな」
「表情は悪くはなかった」
「痛み堪えてるのかもだぞ」
「視てるこっちは吐きそうな光景だがね。だって透けるんだぞ人が?
…決まったか?」
「なぁ三六九。
お前さ、俺が消えるから不思議で俺とつるんだ、って言ったよな」
「そうだな」
「俺ってその程度だったのか?」
「……………………………、」
三六九へ視線を戻す。ミカン缶を脇に置き。
もうすぐでお昼だ。看護婦が病食をもってくる頃だろう。
三六九は無言だった。
「…わからない」
「……そっか」
問答とは全く別の所で一瞬気を失いそうになったが、頭を振ってかき消した。きーんといつの間にか耳鳴りが始まっている。リノリウムの白濁とした床が何となく波立ってきているような感じがする。
「お前の妹とかには僕から伝える。祖父母にも手紙を書こう」
「よろしく。学校の手続きってどうなる?」
「全部丸々留学とでもしておこう。…いきなりいなくなるより、どこかで生きてる、と言う感覚を経て言った方が残された者のショックも少ない」
風もないのに前髪がふわり浮き上がった。
「ヒカル」
「ん?」
「訂正しよう。きっかけはそうだったかもしれないが、僕は少なくとも君という人間に好意を抱いていたことに変わりはないよ」
「なんだ今更」
「僕にシーチキンを教えてくれた。でも、それでも僕は世界が広がったのを感じたよ。なかなか世界は面白いらしい。
人は醜くて嫌いでも、なるほど、こんな発見があるというのなら話は別だ。
ヒカル。
これから君はどうなるか分からない。死ぬかも知れないし、どこかに飛ばされるだけかも知れない。まぁ…でも死ぬ、と考えるよりその先がある、と考えた方が建設的だろう?」
「全くだな、それ~」
「…………………怖くないのか」
「いや、覚悟できてるしな」
「よろしい。確かにその気概は、僕の友としてふさわしい」
ジジ、とベットの土台の金属部から地面に電気が走っているのが見えた。音が鳴ったからきっと三六九も気付いている。
キ――――ン………・
「ぅ…あ」
気を失う十秒前、という感じがした。精神が剥離する。
三六九を見た。何年も前から見続けてきた光景を見届けようと目を強く見開いていた。
「っ!!!!!」
咄嗟に振り返った。ボーリング状の重力を模したような黒々しい玉が電気を巻き込んで俺の背後で暴走を始める。一秒ごとに一回りも二回りも大きくなり、俺は逃げる術もなく半身を飲まれ、
三六九を見た。
嵐に髪やパジャマをはためかせながらも、顔は背けず唇を噛みしめてるのが分かった。
針の飛んだレコードのようなギリジリと耳に痛い音の向こうで、病室の外が騒然としているのが分かった。どんどん、と看護婦がノックをしている。入り口にいたはずのメイドは何をしているのだろう。鍵はしていないはずなのに、ドアが開かないらしい。
朦朧と。呼吸も出来なくなる。否、必要がなくなる。
こいつは、良い表情だったといってた――
「行ってくるぞ。彼女作れよ~?」
「…さっさと行けっ!」
パシュ…―――
景色が白くなり、脳内とその光景の区別が出来なくなった頃。
――ン――…。
坂月ヒカルの身体は、この世界から消失した。