王家の思惑
ルネが私の住む離宮にやって来た。
王宮ではいつ危害を加えられるか…と心配だっただけに、これで一安心だ。婚約が解消され、王子も謹慎中だがまだ生きているし、あの性格ではルネに謂れのない恨みを募らせる可能性が高い。あれは自分の失敗を認められず、人のせいにしてプライドを守るタイプだ。あんな男の手の届くところに置いておくなど、とても安心出来たものじゃない。
勿論、彼女に危害を加える奴は容赦する気はないし、念のため護りも付けている。そう簡単に護りが破られる事はないが、やはり手元に置いておくのが一番安心だ。
国王には、ルネの身柄は私の好きにしていいとの言質も取ってあるのだから、特に問題ないだろう。
そう思っていた私の元に王太子がやってきたのは、ルネがこちらに越してきて来た日の夜だった。
「アシャルティ殿、今よろしいだろうか?」
「これは王太子殿下。どうぞ」
申し訳なさそうな笑みを浮かべる王太子を室内に通すと、彼は空気を和らげた。未だにこの国の者は私を前にすると無意識かは知らないが緊張を強いられるらしい。まぁ、知らぬ世界から来て、この世界にはない魔術を使うのだから危険視しているのだろう。
「こんな夜に一体、どのようなご用件で?」
「こんな時間に申し訳ない。最近何かと忙しくて…だが、ルネ嬢がこちらに移動したと聞いて…」
「ああ、その事ですか」
ルネは今や聖女の地位を降りたとみなされているが、実は彼女の代わりは見つかっていない。それほどに彼女の力はこの世界では突出していた。
王家は私の力に慄きながらも、この国のために懐柔する道を選んだ。そして私の要求を飲んでルネを私の側付にしたが、一方で彼女の代わりがいない事にも焦っていた。万が一私が元の世界に戻ったり、結界の維持を断ったりした場合、国が大損害を受けるのが目に見えているからだ。
「ご心配なく。彼女に無体を強いる事はありませんから。ただ、毎日通うのは手間でしょうし、僅かな時間でも側に居てくれると体調がいいからなのですよ」
「そうでしたか」
「こちらの世界にまだ体が馴染まないようで、魔力が上手くコントロール出来ないのですよ。もし暴走すれば迷惑をかけてしまいますからね」
「そんなにも、ですか?」
「そんなにも、です。ここは元の世界とは魔力の量も質も違います。私の魔力は大きいゆえに、受ける影響も大きいのでしょう」
実際のところ、魔力のコントロールには問題はない。こちらの世界では僅かな魔力でも大きな反応が得られる。つまり魔術の利きが非常にいい。だからと言ってその加減を誤るほど無能ではないが、ルネを側に置くにはこれくらい言っておいた方が何かと好都合なだけだ。
「そうでしたか…余計な負担をおかけして申し訳ない」
「いや、負担が増えるのは私ではなくルネ嬢でしょう。この度の引っ越しも、彼女の負担を減らすためでもあります。短時間で力を中和して貰うのは彼女に負担がかかりますから」
そう伝えても、魔力どころか聖力もない王太子にはわからないだろうが。それでも、私の言葉を否定する材料は彼らにはない。彼らは無知ななりに自分達の立場を理解し、最善の方法を模索している途中だ。全く、召喚されたのが『私』と言う事になっているのを幸運に思って欲しいものだ。
「アシャルティ殿は…ルネ嬢を気に入られたのですか?」
その問いかけは、彼らの意図を明確に私に伝えてきた。先日、彼の妹でもある王女を紹介したのは、彼らの考えた中で最善と思ったものなのだろう。確かに身目麗しい王女だった。王女という身分と美貌を示されれば、並みの男なら妻にと乞うだろう。そして彼らは、私がその男達の列に加わるのを期待していた。
「そうですね。ルネ嬢の持つ聖力は素晴らしいに尽きます。あのような清らかで強い力は私の世界でも稀でしょう」
「そんなにもですか」
「ええ、あのような強い力を持つのであれば、ぜひ妻にと願いたいところですよ」
「つ、妻に、ですか…」
「ええ。力のある者同士でないと、子に力を受け継がせる事は出来ませんからね」
「力のある者同士?」
「そう。力のある後継を得るためには、妻も魔力がある者でないと意味がありませんから」
「そんな…」
私の話を聞いた王太子は、心なしか顔色が悪くなったように見えた。きっと彼らの望み通りに私が動かないからだろう。王女を娶らせて恩を売り、私を従えようとしたのだろう。そして出来れば、私の力を受け継ぐ子が生まれるのを願ったのだろう。そうすれば王家は一層求心力を得て、聖女などに頼る必要はなくなるのだ。これまでも聖女が王子と結婚させられたのは、その為だろう。
だが、残念ながら王女に力がなければ、力のある子など産まれるわけがない。魔術が廃れたこの国ではそんな事すらも知らないらしい。現に目の前の王太子は驚きを隠せずにいる。
「ああ、勿論、聖力だけではありませんよ。ルネ嬢の控えめで穏やかな気質はとても好ましい。こんな私でも妻にして欲しい言う女性は向こうにもいましたが、我と押しが強い女性に追いかけられたせいか、そのような女性は苦手でしてね…」
「…確かにアシャルティ殿は女性にもてそうですね」
「王族の血とこの魔力故ですよ。女性にとっても魔力の強い男は、一門を栄えさせるのに必要ですから」
「なるほど…」
まだ納得しきれないようではあったが、王太子には私の意図は伝わっただろう。
その上で彼らがどう動くかは私の知った事ではない。私の意に添わぬというなら、私も彼らの意に添う必要はない。今だって、ここから逃げ出そうと思えばいくらでも逃げ出せるし、我が身ひとつならどこででもどのようにでも生きる事は可能だろう。いっそルネを連れて逃避行もいいかもしれない。
「私とルネ嬢の子であれば、きっと強い力を持った子が生まれるでしょうね」
そう言ってやれば、王太子はまだ見ぬ子供に想いを馳せたようにも見えた。王女と結婚させて魔力がない子を得るか、ルネと結婚させて魔力のある子どもを得るか、彼の中で目まぐるしく今後の事が計算されているのだろう。そう、私相手では王女に価値はないのだ。だから私の機嫌を損ねないためにも必要以上に絡んでこさせるな。そんなけん制の意味を込めた言葉は、どれくらい彼に伝わっただろうか。
「ふふ、私の邪魔をしないでくれよ、王太子殿下」
彼が去ったドアに向かって告げた言葉は届かなかったが、彼なら適切な判断をしてくれそうな気がした。