7 謙虚な休息
直接支援がしたい、という内容の書状を送ってきたのは、先日セーニョに会いに来た御婦人だった。
気さくな雰囲気の中にも気品がある方だと思っていたけど、まさか侯爵夫人だったとは。
「どうされますか?」
「お断りするよ。貴族の支援は国を通して間接的に受け取ってるし。セーニョもこれ以上のお礼は受け取らないでしょ」
それよりも、侯爵夫人が僕をはっきり「勇者」だと言い切ってるのが問題だ。
僕をどうにか利用したいと考えていた貴族たちは軒並み処罰を受けたはずだから、侯爵夫人は単純に善意のみで僕に支援したいのだと信じたいけれど。
「うーん……。ちょっと、アムザドさんに会ってくる」
ミューズ国丞相のアムザドさんには、スプリガンに作ってもらった連絡用マジックバッグを預けてある。
今から行っても大丈夫ですかと連絡を送ると、すぐに「お待ちしております」と返事が来た。
「ラウト殿を見て『勇者だ』と分かるものは少ないと思うのですが、勇者の名が『ラウト』であることと、オルガノの町の大きな屋敷に住んでいることは知られてしまっております」
アムザドさんが会うなり頭を下げて申し訳無さそうに言うには、先日の婚約騒動の一件で漏れた僕の情報が、結構な範囲に広がってしまっているという事実だった。
でも、僕が当初懸念していたよりは被害が少ない。貴族たちからは夜会の案内しかこないし、家に誰かが押しかけてくることもない。
政治の道具に利用しようとしたら罰せられることも同時に広まったためだろうか。
「ラウト殿のお人柄が影響しているのでしょうね」
アムザドさんが真面目な顔で変なことを言い出した。
「冒険者として、人として最高位の称号である『勇者』を得ておきながら、普段は冒険者ギルドで適正難易度のクエストをまめに請け、国からの援助もあるのに普段の生活は質素。奥様とも仲睦まじく、従者たちも家族のように接しておられます。そんな方を私利私欲のために扱おうとする人間は、余程の愚か者で無い限り現れないでしょう。現れたところで、国が罰しますし」
「は、はぁ……」
アムザドさんは「素晴らしいお方」みたいな感じで語ってくれたが、それって普通なのでは。
冒険者を生業にしているのだからクエストを請けるし、生活水準はこれ以上上げる意味も理由もないし、お、奥様……アイリと仲がいいのは当然だし、従者を家族のようにって、本当に家族だと思ってるし。
「第一、魔王を三体も倒しておきながら、それを一切鼻にかけるようなことをしておられません。もっと自慢しても良いくらいですよ」
「え、ええ……」
魔王は生かしておいたら、いつこの大陸に攻め込んでくるかわからない。事実、魔王のいた大陸は悲惨なことになっていたのを目の当たりにした。僕は僕の生活が脅かされるのが嫌で、且つ倒せたから倒しただけだ。
僕が引いている気配を察したのか、アムザドさんはコホンと咳払いをして、僕に向き直った。
「まあともかく、こちらが約束を守りきれなかったことに関しては、申し訳なく思っています。せめてものお詫びとして支援の増額と……」
「待ってください。これ以上の増額は不要です」
現状ですら貰いすぎているくらいだ。この前の厨房の改築だって、元々貰っていた支援金で賄えたのに、追加でぽんと渡されてしまったし。
「ラウト殿がそう仰るなら……。では他にご要望はありませんか?」
「この頃、貴族の家から夜会の招待状がしょっちゅう届くんです。これを止めさせることはできませんか」
「夜会、お嫌ですか」
「出るのも断りを入れるのも面倒くさいです」
アムザドさんは苦笑しつつも「ではそのように手配します」と了承してくれた。
アムザドさんとの話を終えて家に戻ると、エントランスに入るなりセーニョが飛びつかんばかりの勢いで僕に迫ってきた。
「おかえりなさいませ、ラウト様! ありがとうございます!」
「ただいま、どうしたの」
セーニョの後ろからギロが苦笑しつつ「厨房の件ですよ」と教えてくれた。
「ああ。あれはギロがね」
「許可を出してくださったのはラウト様だとギロ様が」
セーニョは「これでアレの方を見ないように注意しながら厨房に入らずに済みます!」「そのうち克服してみせますが、もう視界に入らないのが嬉しくて」等と、両手を胸の前で握りしめながら、嬉しそうに話してくれた。
「よかったよ。じゃあ今後はセーニョの料理も食べられるのかな」
「えっ、ラウト様、私の料理食べたいですか? ギロ様の料理の方が美味しいに決まってますよ」
「そりゃギロの料理より美味しいものはなかなか無いけどさ。折角だからセーニョの料理も食べてみたいよ」
「ラウト様がこう仰ってるのですから、今日はセーニョに一品任せます。やれますか?」
「! わかりました、ご期待に添えるかどうかはわかりませんが、頑張ります! 早速準備しなくちゃ!」
セーニョはぱたぱたと厨房の方へ早足で去っていった。
「あんなに喜んでくれると、こっちも嬉しいね」
「ええ」
僕とギロは笑顔でセーニョの後ろ姿を見送った。
夕食には宣言通り、セーニョによる煮込み料理が出てきた。
デミグラスソースに牛肉がほろほろと溶け、一緒に煮込まれた野菜の甘味と相まって、絶品だった。
僕とアイリが美味しいと手放しに褒めると、セーニョは笑顔でカーテシーで返してくれた。
ここ最近の騒動らしい騒動といえば、婚姻届不受理やセーニョが人助けした相手が侯爵夫人だった件など、どこか暢気なものばかりだったから、今日届いた魔王に関する一報は、冷水を浴びせられたような気分にさせてくれた。
これまで、最後の魔王がいるとされるザイン大陸のキスタ国から定期的に送られてきた連絡が、定時を過ぎても来なかったのだ。
アムザドさんに呼び出されてミューズ国のいつもの客室へ赴くと、大臣や宰相まで集まっていた。
「しかしラウト殿を向かわせてしまってはこの国の守りが」
「だが現実的な解決策はそれしか……」
「先に送り込んだ騎士たちはどうなったのだ?」
「同じく連絡が取れません」
「冒険者ギルドに救援要請を……」
ぼそぼそと話し合っていた方々は、僕の姿をみるなりぴたりと話すのを止めた。
「お待ちしておりました、ラウト殿。こちらへ」
アムザドさんに促された椅子は、最も上座だ。僕がここでいいのだろうか。
戸惑いながらも座ると、アムザドさんに現状と、出た対策案など一通り説明があった。
「……というわけでして。ラウト殿、如何しましょうか」
「あの、僕の家にギロという人間がいるのですが」
ギロは冒険者登録もしていない、というか、魔物化してからステータスが表示できないので、冒険者登録ができない。
ここにいる人達はギロの強さを知らないし、知ることも出来ないから、どう説明したものかと頭を悩ませつつも、なんとか話した。
「僕といい勝負ができるくらい強い人なんです。彼がこの国に残りますから、僕がザイン大陸へ行きます」
「その者は本当にお強いのですか? ラウト殿を疑うわけではありませんが……」
「はい。それに僕なら転移魔法ですぐこの国へ帰ってこれますから」
「そうでしたな。それでは……」
こうして、僕は一旦単独でザイン大陸へ向かうことが決まった。
「私も置いていくのね」
出発は明日だ。一旦家に戻って準備をしながらアイリに話すと、アイリは唇を尖らせて拗ねた。可愛い。
「ごめん。でも、魔王の居場所が分かったら迎えに来るから」
なんとなく、魔王を倒すときはアイリに側にいて欲しい。理屈はわからないが、これだけは譲れなかった。
「わかったわ。気をつけてね」
「うん」
「というわけで、明日からしばらく家を頼むよ」
「畏まりました」
ギロにも話をすると、ギロは複雑そうな顔でどこかそわそわした様子になった。
そこで僕はようやく思い出した。
「ザイン大陸ってギロの故郷があったところだっけ」
「はい……」
「気になるなら、すぐ迎えに来ようか」
一度大陸の地を踏んでしまえば、転移魔法で自在に行き来できる。
「ラウト様は私をこちらの大陸の守りとして指名してくださいましたから。ご期待にお応えするべく微力を尽くす所存です」
「ありがとう。急な役割を押し付けちゃってごめん」
「いいえ、頼っていただけて光栄です」
ギロはさっぱりした表情になっていた。
僕は一晩ゆっくり休み、翌日の早朝には港町へ転移魔法で飛んだ。