3 騒動と平穏
突然気を失ったセーニョを客室のベッドへ寝かせたが、五分としないうちに意識を取り戻した。
「はっ! あ、あれ……えっと……」
「気分はどう? 頭は痛くない?」
アイリが優しく話しかけると、セーニョは周囲を見回し、僕を見たかと思うと、ベッドの上で正座して頭を下げた。
「ごめんなさいごめんなさい! わわ私、とんでもないことを! 謝って済む問題ではないことは重々承知ですが!」
ここへ来る本当の理由と条件の内容を正しく理解したセーニョが僕への謝罪をやめるまで、三十分ほどかかった。
「ご安心ください、貴女が何らかの罪に問われることはありません」
「大丈夫だから落ち着いて。ほら、お茶飲んで」
アムザドさんが断言し、僕が差し出したお茶を少しずつ時間を掛けて飲み干したセーニョはようやく落ち着いて、ベッドに座り直した。
「で、でもそれなら私、ど、どうしよう……」
事ここに至っても、セーニョは今起きている問題を全て自力で解決しなければと考えている様子だった。
責任感が強いというか、虐待されていたというから、そのせいで自己犠牲精神が過剰に培われてしまっているのか。
「何度でも言いますが、ご安心ください。私がなんとかします」
胸を張って力強く請け負うアムザドさんを見て、セーニョは「宜しいのでしょうか」と小さく呟いた。
「ええ。貴女に非は無いのですから、堂々としてください」
「……はい」
セーニョはお茶の入っていたカップから目を上げ、頷いた。
まずはアムザドさんがセーニョから聞き取った話をまとめて、国王陛下に持っていった。
貴族たちの勇者を軽んじるような横柄な態度や目に余る行動に対し、陛下は改めて「いい加減にしろ(意訳)」と貴族たちに通達ののち、順次処罰を実行。
ミューズ国内の高位貴族の四分の一と一部の下位貴族が爵位を下げられるか取り潰されるという大騒動に発展した。
「四分の一……」
「ラウト殿が気にされることではありませんよ」
僕とアイリは呼び出されてから二日、城に泊まっていた。
わずか二日の間に大きく動いた話を聞いて愕然とする僕に、アムザドさんが困ったような顔をしながら話してくれた。
「元々不穏分子だったのです。一掃できたのは国にとっても好都合でした。……すみません、勇者を政治的な道具にするなど以ての外なのですが、結果的にそうなってしまいましたね」
「僕に実害は……あるにはありましたが、もう済んだことなので」
「そう言っていただけると助かります。これで、勇者を利用しようとすれば高位貴族でも処罰は免れないと知らしめることが出来ましたので、今後ラウト殿を煩わせるような輩は現れないかと」
だといいなぁ。
また、ムジカ国へ正式に抗議を入れ、セーニョの件について問うと、ムジカ国からも謝罪が入った。
セーニョの継母は不当に子爵位の立場を利用していたことと、セーニョへの虐待の罪を問われて実子もろとも投獄され、セーニョは正しく子爵位を受け取ることができた。
セーニョが条件を満たしていなかったことに関しては、僕が横から口を出したこともあり、セーニョ自身はお咎めなしとなった。
当のセーニョはというと、一旦受け取った子爵位を唯一信頼していた叔母に譲ってしまった。
そしてセーニョは、先日から僕の家で侍女をやっている。
アイリがセーニョのことを気に入り、子爵位を捨てて冒険者としてやっていくと聞いた時に「じゃあうちにこない?」と誘ったのだ。
僕にも「いい?」と確認されたが、アイリが決めたことに異議を唱えるなんてしない。
家にやってきたセーニョは初日に、うちで侍女をしているサラミヤを見て「私も侍女のお仕事がしたいです」と言うので、そうさせた。
一連の傍迷惑な騒動の後、僕とアイリの婚姻届は、ようやく正式に受理された。
晴れて堂々と誰にも横槍を入れられずに夫婦と言える仲になった。
とはいえ、今のところ生活や皆との関係性は特に変わらない。
ただ寝室が僕とアイリで一つになったくらいだ。……うん。
とある休息日、屋敷の女主人専用、つまりアイリ専用のサロンで僕とアイリが寛いでいるところへ、侍女姿のセーニョとサラミヤがお茶とお菓子を運んでくる。
「どうぞ」
「ありがとう」
セーニョは王城で初めて会った時のおどおどした態度が嘘のように、すっかり淑女らしくなった。
縺れていた茶髪は丁寧に梳かれて纏められ、サラミヤとおそろいの侍女服を着て僕たちに給仕してくれる姿も様になっている。
十四歳のセーニョは年の近いサラミヤとすぐに打ち解け、今では料理以外の家事や雑事をそつなくこなしてくれている。
「二人も一緒に頂きましょ」
「では、お言葉に甘えて」
女友達が増えたような感覚のアイリが気軽に二人を誘う。
はじめは困惑していたセーニョだったが、サラミヤが「いつものことですよ」と言うと、セーニョはすぐに適応した。
環境の変化に馴染みやすいのはさすが冒険者だ。
セーニョが冒険者として鍛えていたというのは、とてもありがたかった。
最後の魔王を倒しに行く際に、僕はギロを連れて行くつもりだ。
そうなると、サラミヤとシルバーに留守番を任せることになる。
二人が頼もしくないという意味ではなく、強盗や不審者への対抗策に乏しいのが不安だったのだ。
セーニョには僕の鍛錬の時間や簡単なクエストに付き合ってもらい、能力値の底上げをしている。
人の強さが必ずしもレベルに依らないという僕の意見は、この間ようやく冒険者ギルドに報告できた。
ギルドからしても薄々気付いてはいたが、決定打がなく対応しあぐねていたそうだ。
勇者の一言ならば説得力抜群であると、ギルドは早速動いた。
近いうちに、受けられるクエストの難易度はレベルだけではなく実績も加味されるようになるだろう。
あれだけ勇者の称号を厭っておいて、こういう時だけ利用するのは気が引けるが仕方ないと割り切った。
ところで、三体目の魔王を倒してからおよそ六ヶ月が過ぎた。
ザイン大陸にいるはずの最後の魔王については、どうやら僕が一体目の魔王を倒したあたりから所在がつかめなくなったらしい。
それどころか、他の大陸より活発化していた魔物も鳴りを潜め、元は世界一危険な大陸だったザイン大陸が、今では世界一安全な大陸とさえ呼ばれている。
「怪しいよねぇ」
「はい」
冒険者ギルドとミューズ国からは、魔王の居場所が判明していなくても、十日に一度は連絡が来る。
その定期連絡には今回も「魔王発見の報なし」と書かれていた。
怪しい、というのはギルドや国の連絡のことではなく、ザイン大陸の魔王や魔物のことだ。
僕とギロは僕の書斎でいつもの連絡を受け取り、テーブルに置いた書状を二人で上から見下ろしている。
以前僕はユジカル国で、過去の勇者たちの記憶を受け取った。
過去に勇者たちが足を踏み入れた場所へは転移魔法で飛べるのだが、ザイン大陸の記憶はなかった。
というか、過去に魔王が現れたのは今いるエート大陸と、ユジカル国のあるサート大陸のみで、過去の勇者たちは他の大陸に行っていないのだ。
「もう直に乗り込んだほうが早いのになぁ」
「私もそう思います」
国の支援を頼らなくても、船のあてはある。
ザイン大陸にある国々からは「勇者いつでも歓迎」の書状が届いている。
じゃあなぜ行かないかというと、話が最初にもどるのだが、魔王の居場所がつかめないからである。
もしかしたら、魔王は別の大陸に逃げているのではないか。
僕がザイン大陸に行っている間に、別の大陸に逃げた魔王が暴れ始めるのではないか。
そういった不安を訴えられて、僕は身動きが取れずにいるのだ。
お陰で室内練習場でのセーニョの鍛錬が捗る。
まだ家に来てひと月と経っていないのに、ベテラン冒険者並の攻撃魔法と短剣術を身に着けたよ、セーニョ。
てっきり本人の資質によるものだと思っていたのだが、数日後にフォーマ国王ダルブッカに呼び出され、いつもの鍛錬に付き合わされた時に、妙なことを言われた。
「なあ、ラウト。勇者はもしや、仲間に加護でも与えてたりするのか?」
心当たりが無いので首を傾げると、ダルブッカが続けた。
「いやな……。そのうちお主の耳にも入ると思うが、とある強制労働施設で奴隷の一部が逃げ出そうとしたのだよ」
僕は話を聞いて、半分頭を抱え、もう半分に例えようのない感情を抱えた。
逃げた奴隷というのがセルパン達で、阻止したのがシェケレだというのだ。