22 一時帰宅
ギロの部屋の前へ転移魔法で直接飛ぶと、ちょうどサラミヤが食事を運んできたところだった。
「おかえりなさいませ、皆様。あの、お手紙を……」
「読んだから来たんだよ。でも、食事の後かな」
「はい。こちらをギロ様にお出ししたら、皆様の分も食堂にご用意します」
自分たちでやると言ったが、サラミヤに「私がご用意しますからね」と笑顔で主張されて、皆従うことにした。
「でっけぇ家だな。迷うかと思った」
シェケレは家の中をあちこち興味深そうに見回しながら、一番最後に食堂へやってきた。
シェケレがこの家に来るのは初めてだ。余った部屋はすべて客室にしてあるので、せっかくだから一番広い部屋を使ってもらった。
「大袈裟だなぁ」
僕が軽く笑うと、アイリが僕を見て首を横に振った。
「ラウト、普通の家は部屋が余ったり、長い廊下があったりしないのよ」
「アイリの家にも使ってない部屋あったじゃないか」
「物置のことかしら。人が住める状態の部屋をいくつも持て余していないって意味よ」
「俺は自宅で自分の部屋なんて持ったことないぞ」
「じゃあ夜はどこで寝てたの?」
「寝室にベッドを人数分……ベッドもあんなでけぇのじゃなくて、宿屋の一番安い部屋のやつより小さいやつだ。それを並べるか、この家にある大きさのベッドなら家族皆で一緒に寝る」
「へぇぇ……」
僕は自分のことを庶民だ名ばかり貴族だなんて言ってたけど、実際の所にはかなりズレがあるようだ。
「お待たせしました。どうぞ」
すぐにサラミヤがやってきて、料理を配膳してくれた。
「初めまして、サラミヤと申します」
「おう、俺はシェケレだ。ラウトたちに世話になってる」
サラミヤはシェケレに配膳する際に挨拶を交わしていた。シェケレは穏やかに応じた後、配膳を続けるサラミヤを目で追っていた。
「なあ、あのサラミヤっての、まだ未成年じゃないのか」
「うん。十二歳って聞いてる」
サラミヤが配膳を終えて下がり、食べ始めてからシェケレに尋ねられた。
「しっかりしてんなぁ……」
食後のお茶まで頂いて、じゃあギロのところへ行こうかとなった時、ギロの部屋の方からガシャンとなにかが壊れる音がした。普段無駄吠えをしないシルバーがギャンギャンと吠えている。
僕たちが顔を見合わせたのは一瞬だ。
サラミヤも含めた全員で、ギロの部屋へ向かう。一番足の速い僕が最初に扉を開けた。
「ギロ!」
ギロはベッドからずり落ちたように頭を抱えて床にうずくまっていた。サイドテーブルは倒れ、周囲にはほとんど手つかずだった料理と共に、割れた皿が落ちている。
シルバーは後ろ足代わりの台車が外されていて、満足に動けないでいた。片手で掬い上げて、アイリに手渡す。
「どうし……」
「近づくな……触るなっ!」
ギロらしからぬ口調で僕を振り払おうとする。ギロの気配は普段は人に擬態しているが、今は魔族の気配に染まっている。
「しっかりしろ、何があった」
声を掛けている間に、異変に気づく。
ギロの左腕が、闇色に染まっているのだ。
闇色は左腕から始まって、首元まで侵食していた。
「近寄るな、離れ……」
気配は徐々に強くなり、僕が力を解放したときのように、屋敷がミシミシと軋み始めた。
咄嗟に結界魔法を展開し、僕とギロを包む。
「離れてて、空間を切り離す」
扉のところで心配そうに様子を伺っているアイリ達にそう告げてから、スプリガンに空間生成を頼んだ。
思いつきでやったことだったが、上手くいった。
マジックバッグを作る際、バッグの中身には異空間と呼ぶものを生成する。
その空間を、結界内に展開した。
この中なら何をしても外に影響は出ないはずだ。
普段の鍛錬も訓練場や庭じゃなく、ここでやろうかな。
と、暢気なことを考えている場合じゃなかった。
「ギロ、聞こえてるか。異空間を作った。ここなら、何をしても外に影響はない」
僕の足元で、顔を両手で覆いうずくまっているギロに声をかける。
ギロは最早全身を闇色に染め、背中には翼、頭には角……魔族の姿をしていた。
「ラウト様、離れてくださ……抑えられないっ」
「大丈夫だから」
ギロの背中に触れようとした右手がぱちんと弾かれた。手のひらにはいくつもの切り傷が出来て、血が滴り落ちている。
「抑えられないって、力か?」
ナーイアスは最近、僕がかすり傷でも作ろうものなら、何も言わずに即座に治療してくれる。
手のひらの傷もすぐに癒えた。
「取り込んだ、魔族の……」
ギロの呼吸が荒い。
指の隙間から覗く瞳は、人の姿のときの翠でも、魔族の姿の時の闇色でもなく、血のような暗い赤色だ。
「ギロはどうしたい? ここなら何をしても外に影響はないよ」
同じことを繰り返し言い聞かせると、ギロの呼吸が段々と落ち着いてきた。
顔を覆っていた両手が、恐る恐るといった風に開いていく。
ただ、僕を見る瞳は赤くギラギラしていた。
「お相手、願えますか」
僕と同じだ。時折、息抜きをしないと力が暴走するのだ。
「いいよ」
本気のギロが、全力で僕に襲いかかってきた。
魔王なんかより断然手強い。
しかし攻撃は巨大化した手や魔法をあまり使わず、僕に噛みつこうとするのが多かった。
僕を殴って付着した血液を舐めていたから、おそらく、人を食べたいのだろう。
あの衝動を抑えてやることは出来ないだろうか。
精霊たちと相談して、僕は賭けに出た。
レプラコーンの剣は、人を傷つけずに取り憑いた魔物や魔族だけを斬ることが出来るが、魔物化した人間を元に戻すことは出来ない。
だけど、魔物や魔族の本能だけを斬れないだろうか。
念のためにナーイアスをギロのすぐ近くに待機させて、僕は祈るような気持ちで剣を振り下ろした。
*****
「ラウト、ギロ!」
異空間を解除して出てきた僕とギロに、アイリとサラミヤ、シルバーが駆け寄ってくる。
「一体何をしていたの!?」
僕とギロは全身ボロボロだ。怪我はナーイアスに治してもらったが、装備は直せない。その上、魔族としての力を使い切り、人の姿に戻ったギロは気を失ったままだ。だらりと脱力したギロの手を、シルバーがぺろぺろと舐める。
「ごめん、説明する暇なかったから」
部屋は綺麗に片付いていた。清潔なシーツにギロを横たえ、サラミヤに手伝ってもらって着替えさせた。
「一体何が……」
「あんた二晩も出てこなかったんだ。疲れてるだろ?」
アイリが僕に詰め寄ろうとしたのを止めたのは、シェケレだ。
「……そうね、急かしてごめんなさい、ラウト」
「構わないよ。でも、ちょっとだけ休ませてもらえると助かる」
二晩も経ってたのか。
普通の魔物と戦うだけなら余裕の日数だが、今回の相手はギロだ。全力を出したし、流石に疲れた。
「お食事はどうされますか」
「軽く食べたい。何かある?」
「用意してございます。お部屋へお持ちしますね」
「私がやるわ、サラミヤ。ギロについててあげて」
「はい」
ずっと静かにしていたシルバーもギロの部屋に残った。
アイリがキッチンへ向かうと、シェケレが僕の部屋まで着いてきた。
「シェケレも寝てないんじゃない?」
「あいつらが寝ようとしねぇからな」
シェケレの目の下には隈がべっとり張り付いている。
「サラミヤも?」
「あいつはすぐ限界になってたからな。それでも起きようとしてたから、二人して無理やり寝かせた」
二人、というのはアイリのことだ。
シェケレは極力、アイリの名前を呼ぼうとしない。僕に遠慮しているらしい。
程なくして、アイリがサンドイッチとスープを持って、僕の部屋にやってきた。
「あんたももう休め。俺が起きてるから、こいつが起きたら全員を起こしてやる」
「皆寝てなかったのか……」
「心配だったのだもの。でも、もう寝るわ。シェケレも寝て」
「俺はまだ……」
「いいから寝て」
「お、おう」
アイリとシェケレが退室してから、サンドイッチとスープの食事を平らげた。少々物足りないと感じるほど、僕も消耗している。
ギロの魔族の本能だけを斬ることは、成功したかどうかわからない。
ギロを斬らないよう強く念じすぎたのか、剣はギロを傷つけずに通過したが、他に何かを斬った手応えはなかった。
いま気を失っているのは、単なる疲労だ。
ギロが起きたら、色々と確かめなくては。
食事のあとを簡単に片付け、ベッドへ横になると、すぐに襲ってきた眠気に抗えず、僕は深く眠った。