20 醜悪施設
ギロは僕たちの頭上をぐるりと飛び、すぐに降りてきた。
「あちらに見える山の麓と、こちら側の……」
ギロが指定した場所は四箇所。ちょうど東西南北に均等に離れている。一箇所だけじゃなかったのか。
「うーん。ギロひとりでやれそうなところはある?」
「難しいですね。今こうしている間にも、魔物の数がどんどん増えていますので」
「どんどん増えてる?」
魔物は時に何もない所で自然発生する。と言っても、その頻度はあまり高くない。とある観測結果では、ある地点を長期観測中、五日目にゴブリンが一晩で五匹発生したとか、その程度だ。
「魔物を意図的に増やしてる何かがあるってことか」
「おそらくは。そうなると、私の手に負えるかどうかわかりません」
ギロは正直に話してくれた。
「じゃあ皆で行こう。シルフとドモヴォーイの力を借りるよ」
「はい」
「ええ」
「お、おう」
まず一番近くの魔物が増えている場所へ向かった。
その場所は周囲を見渡しても荒野しかない。
「地面の下ですね」
ギロが数歩進み、足先で土の地面をタンタンと叩いた。
「わかった。ノーム、頼むよ」
僕の中のノームが応えて、地面に大きな穴が開いた。
すり鉢状に抉れた地面を上から覗くと、一番深く掘られた場所に別の穴が見える。
「……うえぇ」
穴から漏れ出る気配と臭いに思わず嘔吐く。濃い魔物の気配に、肉の腐った臭いや糞便の臭い、とにかく人が不快に思う臭いが混ざっている。
「臭っせぇな。あれに突っ込むのか?」
シェケレが不安そうに僕を伺う。
「御免被りたいけど、中で何が起きてるか確認しなくちゃ」
シルフに頼み、僕たちの周りの空気を常に入れ替えてもらって、臭いのほうはかなりマシになった。
皆で穴に近づき、内部を覗く。
「あれって……」
アイリが絶句した。僕は自分を抑えるために、拳を思い切り握りしめた。
内部には広い空間があり、そこには……人間の遺体が無数に折り重なっていた。
遺体には巨大な羽虫のような魔物が何匹も集り、遺体を齧り、啜って取り込んでは、下半身から卵を産んでいる。
卵はすぐに割れ、中から人に似た姿の魔物……グールやスケルトンが生まれていた。
「う……」
シェケレが吐きそうになっている。アイリも胸を抑えて何かを堪えている。
「ラウト様、あの方々は……」
「この大陸は魔物の侵略で、大勢の人が亡くなったと聞いてる。その犠牲者だろう」
人口の三割を失った割に、立ち寄った町や村の墓標の数が少ないことが疑問だった。
見つからなかった遺体は全て、こういった場所に運び込まれていたのだろう。
「ギロ、アイリとシェケレを連れて退避」
「承知」
ぱきぱき、ぱき、と力を抑える膜が三枚、勝手に割れた。
ギロが二人を抱えて飛び去るのを確認してから、膜の残りの二枚を自分で割り、サラマンダと僕の力を最大出力で解放して、穴の中に炎をぶち込んだ。
「おっそろしい威力だったな……」
爆発の衝撃で起きた砂煙が落ち着いた頃、上空に退避していたギロ達が降りてきた。
先程のは僕が地面に開けた穴の規模についての、シェケレの感想だ。
穴は内部に何も残っていないことを確認してから、ノームに埋めてもらった。
「アイリとシェケレは町に戻ってて。残りの場所は僕とギロで回ってくる」
ギロによれば、他の場所も似たような気配だということだ。つまり、同じものがあと三つ。
全て同じ対処をすることになるだろう。
「わかったわ」
アイリが了承すると、シェケレも隣で頷いた。
「じゃあ村まで送るよ」
転移魔法を二人に使い、気のいいご主人のいる宿がある村まで送った。
「ギロ、次の場所まで頼む」
「お任せください」
ギロは僕の手を掴んで持ち上げ、空を飛んだ。
*****
「ああ、あんたたちか。さっきの地震は大丈夫だったかい?」
アイリとシェケレが村へ戻ると、村人の殆どが家の外に出ていた。
宿の主人も外へ出ており、村へやってきた二人を見つけて声を掛けてきた。
「地震?」
「地震というか、ものすごい音と地響きがしたじゃないか」
「ああ……あの、大丈夫でした」
二人はすぐに思い当たった。
ラウトが魔物の発生源を破壊した衝撃が、村まで届いていたのだ。
「そちらこそ大丈夫でしたか? 建物が崩れたとか、物が落ちたとか……」
「俺たちもそれを心配して、皆外に出たんだよ。だけど、被害は一切なかった。不思議なこともあるもんだ」
ざっと見渡す限り、宿の主人が言う通り、建物の倒壊や地割れといったものは見当たらない。
村の所々に生えている木々では、鳥が何事もなかったかのように毛づくろいまでしている。
「ん? もう一人の顔の良い兄ちゃんはどうした?」
「彼はちょっと用事で、別行動中なんです」
「そうか。あんたたちはこの後どうする? 泊まってくか?」
「そのつもりです。部屋は空いていますか?」
「もちろんだ」
再び一番上等な部屋へ通され、シェケレはようやく一息つくことができた。
魔物の醜悪な所業に勇者の本気、そして魔族のような従者。
一度に多くのことを見聞きしすぎて、精神的に参ってしまった。
「とんでもねぇもん騙っちまったな……」
ベッドへ仰向けに転がり、独りごちる。勇者であるラウト本人と旅するうちに、勇者を騙ったことへの罪悪感は十分に芽生え、何なら花咲き乱れていたが、今は後悔と申し訳無さが大きい。
あのギロとかいう男のことをアイリに尋ねてみたい気もするが、止めておくことにした。
ラウトは普段は温厚で、人当たりの良い人物だが、魔物と相対する時は冷徹な一面を見せる。
旅の途中、アイリが魔物に狙われると、それはより顕著になった。
剣で一撃で両断していた魔物ですら、まず四肢を切り落とすなどして、一息に倒さないのだ。
アイリと密室で二人きりにでもなろうものなら、ラウトからどんな目に遭わされるか想像もしたくない。
そんなシェケレのささやかな気遣いは、扉を叩く音で壊れた。
「話がしたいのだけど、今いいかしら」
シェケレは夕食がてら食堂で話をしようと持ちかけ、ある意味勇者より恐ろしい相手との密室二人きりを回避した。
食堂ならば宿泊客以外にも客が入っているし、従業員もいる。
ここなら安全安心だと、シェケレは思わずほっとため息をついた。
「どうしたの? 疲れてる?」
「いや……なんでもねぇよ」
ある意味疲れているが、あえて言わなかった。
「で、話ってなんだよ」
アイリとは先程の理由から、必要なこと以外、殆ど会話したことがない。アイリ自身が人見知りをする性質であることに加え、シェケレが当初ラウトを騙っていた件について、アイリの心境にはまだ折り合いがついていなかった。
しかし、共に旅するうちにシェケレがある程度改心していることは認めていた。
「ギロのこと聞きたいんじゃないかと思って」
アイリは牛肉のソテーを食べきってから、話し始めた。
「俺が聞いてもいいのか」
「ギロは良い人なのよ。誤解されたくないの」
アイリの口から語られたのは、魔物への嫌悪感が増すのに十分な内容だった。
「あいつ、元人間なのか……。他には?」
「他に?」
「あんたたち、もっと他にも、魔物のそういうとこ見てきただろう」
「そうね。ギロの時は他の人にも似たようなことをやってたし、一国の王子に取り憑いて国ごと潰そうとしてきた魔族もいたわ。それと……」
アイリはサラミヤやその家族のことも話した。
「そういうことを、魔族たちは楽しんでるのかよ」
シェケレはデザートに出てきたタルトを食べる気が失せてしまった。
「楽しいかどうかは、聞いてないからわからないわね。人間を虐げるのが本能なのかもしれないし。でも確かに、楽しくないことなら、積極的にやったりしないでしょうね」
タルトをアイリの方に寄せると、アイリは「いいの?」という目でシェケレを見た。シェケレがうなずくと、アイリは嬉々として二つ目のタルトに取り掛かった。
「こっちは命がけで倒してるっつーのに、魔物って何なんだろうな」
アイリの口の中へ消えていくタルトを見るともなしに眺めながら、シェケレの口からはそんな台詞が出てきた。
「それは神様にでも聞いてみないとわからないわね」
「教えてくれるかどうかも分かんねぇやつに、聞かなきゃ分かんねぇことばっかりだな」
シェケレは無理やり笑ってみせた。
「本当にね」
アイリは口元をナプキンで拭いながら、同じように苦笑いを浮かべた。
その日の夜、大きな音と地響きが三度したが、もう誰も気に留めなかった。