17 NNN
朝になり、朝食の堅パンを齧りながら、精霊が戻ってきたことをアイリとシェケレに話した。
「精霊って実在すんのかよ……」
シェケレに精霊のことを話すのは初めてだった。ナーイアスに頼んで出てきてもらう。
「えっ、猫? 触ってもいいか?」
「それが、基本的に僕以外には触れられないみたいで」
レプラコーンが身に付ける武具を作るときに人の身体に触れるような仕草をするが、触れられている方は実感がないとか。
「そうか……」
シェケレがものすごく残念そうに顔を伏せる。
「猫好きなの?」
「悪いか」
アイリの問いに、シェケレは不貞腐れたように返事をした。頬が赤い。
「悪くないわよ。意外だとは思ったけど。これだけモフモフしてそうなのに触れないのは残念よね」
アイリがナーイアスの身体を撫でる素振りをする。ナーイアスは嫌な顔ひとつせず、自分の身体を通り抜ける手を眺めていた。
「でもどうして猫なんだ。精霊といやぁ、人に似た姿だって聞いてた」
「それどこで聞いたの!?」
僕が身を乗り出すと、シェケレは若干引いた。
「どこって……ガキの頃に親が絵本を読み聞かせてたんだよ。どこの本屋にもある、ガキ向けのおとぎ話だ」
浮かせた腰をすとんと落とす。
「そっか、うーん……」
思わず腕を組んで考え込んでしまう。
ミューズ国の禁書庫で読んだ本も、挿絵の精霊たちは人の姿だった。
「ねえ、人の姿だったことはある?」
考えてもわからないので、ナーイアスに直接訊いてみた。
「あるネナ」
即座に肯定された。
「じゃあ今はどうして猫の姿をしているの?」
「こっちのほうが可愛いネナ」
シェケレは深く頷いたが、僕の頭の中は疑問符でいっぱいになった。
「ラウトは人の姿のほうが良いネナ?」
ナーイアスがこてん、と首を傾げながら問い返す。シェケレが何故か片膝立ちになり、僕に殺気めいたものを向けてきた。
「えーっと……いや、好きな姿しててもらって構わないよ」
本心からそう告げると、ナーイアスは「じゃあこのままでいるネナ」と言い、シェケレは殺気を引っ込めて座り直した。視線は毛づくろいをするナーイアスに釘付けだ。
シェケレが重度の猫好きだということが、よくわかった。
遺跡から二日ほど歩いたところで、大きな屋敷を見つけた。
十人以上の人の気配がする。
家は高位貴族の本宅と言われても納得できるような大きさで、手入れもしっかりされている。
辺境伯のような人が住んでいるのだろうか。
「寄らないのか?」
「うん。個人宅みたいだから押し掛けるのもね」
「泊めてもらえばいいじゃねぇか」
「貴族相手だと余計気を遣うから嫌だ」
「……まあ、それもそうか」
あれだけ気さくなダルブッカのところでさえ落ち着かなかったと言っていたシェケレだ。僕の「貴族相手」という言葉にスッと真顔になった。
屋敷の前を通り過ぎてすぐ、少し離れた場所に魔物の気配を察知した。その近くには人の気配もする。
「人が魔物に襲われてる。行くよ」
二人の返事を待たずに、シルフとドモヴォーイの力を借りた。
僕たちは瞬時に魔物の居場所へ到着する。
馬車が一台、グールの群れに襲われていた。
御者らしき人と、二人の馬車の護衛と思われる兵士姿の人が応戦しているが、グールの数が圧倒的に多い。
「シェケレは人を」
「お、応」
シェケレは慣れない精霊による高速移動に目を回していたが、僕の言葉少ない指示にすぐ対応した。
やはり精霊がいてくれると、魔法の制御が格段に楽だ。
グールは頭を落としたくらいでは余裕で動き回り、人を的確に襲う。人とグールの距離が近いから、一匹ずつ確実に無力化する必要がある。
腕を負傷している兵士に襲いかかろうとしていたグールの頭と四肢を風の刃で狙い撃ち、動きが止まった隙にシェケレが怪我人を担ぎ上げて戦線から離し、アイリのところへ連れて行く。アイリは即座に回復魔法を掛ける。
それを三回繰り返し、馬車にたかっているグールは纏めて焼き払って、ようやく沈静化した。
グールは核を遺して消え去るまで徹底的に燃やした。
「ああ、はあ、助かりました」
「本当に、もうだめかと」
「ありがとうございました」
アイリが回復魔法で治療した人たちからお礼を受けていると、馬車から女性が二人、降りてきた。
ひとりはやや年嵩で、もうひとりは僕と同じくらいの年齢だ。
どちらも薄い茶色の髪と瞳をしている。
豪奢なドレスを身に纏っていて、いかにも貴族といった風だ。
「奥様、こちらの方々が助けて下さいました」
御者らしき人が立ち上がり、年嵩の女性を奥様と呼んだ。女性たちは御者や兵士たちの無事を確認してから、僕たちに歩み寄った。
「外に出るなと言われておりましたが、恐ろしい魔物たちを見てしまいましたので、生きた心地がしませんでした。静かになったのは、てっきり……。貴方がたが助けてくださったのですね。ありがとうございました」
年嵩の女性は優雅に腰を折って感謝を表すが、もうひとりの女性は呆然と立ち尽くしていた。なぜだか僕をじっと見ている。
「この道を通っているということは、屋敷の前を通り過ぎて来ませんでしたか? 扉に狼の紋章が入った……」
「紋章は見ませんでしたが、立派なお屋敷は見ました」
「そこが我が家です。道を戻ることになってしまうのは申し訳ないのですが、是非お礼をさせてくださいませ」
「ええと、先を急ぐ旅ですので」
「そんな事おっしゃらずに、たくさんもてなしますわ」
僕と奥様の会話に割り込んできたのは、直前まで呆然としていたもうひとりの女性だ。素早く近寄ってきて、何故か腕に腕を絡ませてしなだれかかってきた。
僕は腕をそっと振り払うと、女性から二歩ほど距離を取った。
「お気持ちだけで十分です。ではこれで」
嫌な予感しかしなかったので、引き止める声を無視し、その場から速やかに走り去った。
普通に走っていただけだから、馬には追いつかれてしまった。
「先程はお嬢様が失礼しました」
馬に乗ってきたのは御者さんだ。馬車用の馬に鞍を着けて、わざわざ追いかけてきてくれたのだ。
「あの色惚け……失礼、お嬢様は見目の良い男性を見ると見境……ごほん、ええと、とにかくこれを。侯爵家のものが命を救われて、何も礼をしないというのも外聞が悪いとのことで、奥様から預かってまいりました」
手渡されたのは、狼の紋様が入った金の土台にイエローダイヤモンドがあしらわれた指輪だ。奥様が身に着けていたものだろう。
「換金されても構いませんが、それをお持ちであればフォーマ国の大抵の商会で、融通が利きます」
「僕たちは冒険者です。通りすがりに魔物が居たから倒しただけなのですが」
「それで私たちは救われました。屋敷にお寄りくださいとはあのバ……お嬢様が居る限り言えませんが、どうかこれだけは受け取ってください」
この御者さんもだいぶ苦労しているのだなぁというのは、言葉の端々からびしびし伝わってきた。
断り続けるのも失礼なので、指輪は受け取った。
「貴族ってああなのか」
御者さんが去ったあと、シェケレが呟いた。
「私はああいうタイプは初めて見たわ。それと、ラウトも貴族よ」
「はあ!?」
「名ばかりだよ。男爵の三男ってだけで、爵位も継がないし」
そういえばシェケレに言ってなかった。というか、冒険者の時の僕は、自分が貴族だということが頭から抜けている。
「どおりで……腑に落ちた」
「何が?」
「こっちの話だ。気に障ったなら悪かった」
「? 別になんともないよ」
シェケレは僕が貴族だと聞いても、少しも態度を変えなかった。突然貴族扱いされても困るが。
時折魔物を倒しながらの旅はその後も順調に続き、フォーマ国を出てから二つ目の村に辿り着いた。
村はところどころに魔物の襲撃跡はあったが、村自体には活気があり、人々の顔も明るい。
早速宿を取ろうと手近な人に道を聞いたら、宿まで丁寧に案内してくれた。
「こんな辺鄙な所まで来たってことは、あんたたち冒険者だろう? 魔物と戦ってくれる人には親切にするのがこの村の決まりなんだ」
案内された宿のご主人も僕たちを歓迎してくれて、一番上等な部屋を一番安い部屋と同じ宿代でと申し出てくれた。
「一番安い部屋でも十分なのですが」
「どうせ他に客もいないんだ。使ってくれねぇと普段の掃除が無駄になっちまう」
僕たちはお言葉に甘え、良い部屋をありがたく使わせてもらった。




