8 勇者ズルい
北港町へ定期的にやってくる船は元からそんなに多くない。
魔王が現れてから疲弊し、交易どころではないテアト大陸への定期船は皆無に近かった。
僕に用意されていたはずの船は、国が所有する連絡船のひとつだ。
他の連絡船は出払っていて、早くとも十日後にしか帰ってこない。
この窮地に立ち上がってくれたのは、以前サート大陸へ向かったときに乗った船を持つ商会だ。
僕とアイリ、そしてギロは、マーサント商会の船の永久フリーパスを持っている。
国の呼びかけに応じたマーサント商会はすぐさま商船のひとつを提供してくれた。
国は僕の名前を出さず、勇者の乗る船という名目で船の所有者たちに話を持ちかけたのに、マーサント商会は即座に反応した。
そのことを不思議に思っていると、責任者さんが説明してくれた。
「あの時の船長から話を聞いてすぐ、貴方のことは調べさせていただきました。貴方が例の方であると知った経緯はまあ、馬は馬方といいますか。商人としてラウト様を支援したほうが益になると判断しました」
少なくとも、既にミューズ国中の船を持つ商会や個人は、船を魔物から救った英雄、つまり僕のことを勇者だと知っている。
勇者のことを話す際に誰も「ラウト」という個人名は出さないのが、暗黙の了解になっているそうだ。
……じわじわ広がってるじゃないか。
「大丈夫ですよ。ラウト様に悪いようにはしません。貴方は一商船を救っただけとお思いの様子ですが、船は海の上で全て繋がっております。船乗りや、海を越える商人たちは皆、貴方に感謝し恩を感じておるのです」
大袈裟だし、お礼なら既にきちんと貰っている……と言ったところで、責任者さんは引きそうになかった。
「それで、お試しになりたいことというのは具体的にどのような?」
船はミューズ国城下町の港にあった。僕とアイリは転移魔法で城下町へ飛び、そこで責任者さんとやりとりし、船に案内された。
僕が船であることを試したいと伝えると、責任者さんと船長さんは驚きながらも「ラウト様のやりたいようにしてください」と快諾してくれた。
*****
「ねえシェケレ」
「しっ! 俺のことはラウトと呼べと言っただろうが」
ラウト達が乗るはずだった船は、順調に航海していた。
最上級船室では黒い髪にやや紫がかった青い瞳で長身の男が、灰に近いくすんだ銀髪に青い瞳の小柄な女を侍らせて、優雅に煙管をくゆらせている。
船内は禁煙だが、男に守る気はなかった。それどころか上等な煙草を強請って用意させていた。
頻繁に片付けさせているテーブルの上は最高級ワインの瓶や食べ散らかした跡が残っており、部屋中に籠る酒と煙草の臭いは、片付けに来る者たちの顔を毎回顰めさせていた。
「うーん、だって呼びづらいのだもの、ラウトって。慣れないわ」
「いい加減慣れろよ、アイリ」
シェケレは冒険者だったが、所属していたパーティから追放された際に冒険者資格も失い、現在無職である。
追放理由は、シェケレに言わせれば性格の不一致。だが元仲間たちの証言は全く異なる。
「あの野郎、仲間を囮に自分だけ逃げたんだ。一回だけならまだしも、何度も」
「魔法が使えるっていうから仲間にしたのに、攻撃も回復も補助も使えねぇ。何が出来るのか聞いたら空間魔法、しかも最低容量のマジックバッグひとつ保つのが精一杯だ」
「クエストの報酬持ち逃げされた」
シェケレはいくつものパーティで問題を繰り返し起こし、不適格と認定された。
そこで冒険者の道を諦めなかったのは、ある意味豪胆と言える。
真夜中に冒険者ギルドへ忍び込んだシェケレは、自身の冒険者資格取消書類を改竄しようと試みた。
書類は見つからなかったが、とある資料を見つけた。
それが、勇者ラウトの詳細情報である。
その冒険者ギルドでは最重要機密として厳重な金庫に保管していたことが仇になった。
シェケレの空間魔法は、魔力量や技術は伴わないが、隠されたものを取り出すことくらいは容易に行えるのだ。
「なんだこいつ、目茶苦茶厚遇されてやがる。……ん? これは……!」
知ってしまったのだ。勇者の特徴と自分の特徴が、ほぼ一致することに。
更に運の良かったことに、最近よく遊んでいる女が、勇者の仲間に似ていた。
早速女に回復魔法使いらしい格好をさせ、冒険者ギルドに堂々と「俺は勇者ラウトだ」と名乗り出た。
勇者の詳細情報には「騙った者は厳罰」「勇者は自分から『勇者』と名乗らない」等の注意事項も書き添えてありギルド職員には周知徹底されていたのだが、名乗った場所とタイミングが悪かった。
本物のラウトはエート大陸の北港町に行ったことがない。故に、冒険者ギルドはもちろん誰もラウトについて詳しく知らなかった。そこへ現れたシェケレにあっさり騙されてしまったのは、一刻も早く出港したいという国からの通達があったことも要因のひとつだ。
つまりシェケレにとっては最良のタイミング、それ以外の者たちには最悪のタイミングで、シェケレは勇者で通ってしまったのだ。
船に乗る前からシェケレはあれこれと注文をつけた。
部屋は最上級船室がいい。
自分がいる船室には呼んだ時以外入るな。
酒と煙草がないとやる気が出ない。
晩餐には毎回、羊肉のステーキを用意すること。
力を温存しておきたいから、船上に魔物が出ても頼るな。
ラウトを知る者たちからすれば、どれかひとつでも一発でバレる要望ばかりである。
しかしここで悲しくもアイリの予想が当たってしまう。
「勇者様の機嫌を損ねたら、魔王を退治しないかもしれない」
船長と船員、そして北港町冒険者ギルドの者たちの不安はこの一点に尽きた。
シェケレの要望はことごとく叶えられ、船は出港してしまったのだった。
「チョロい」
夜になり、アイリと呼ばれた女が裸で眠る横でシェケレは呟いた。
勇者になるだけでこんな厚遇が受けられるなんて、ラウトって奴はとんでもなくズルい。
どうせ魔王ってのは、ちょっと強いってだけの魔物なんだろう。
怪我なんてしたくないから倒そうとは思わないが、折角だから顔を拝んで、倒せそうなら倒してやってもいい。
本物のアイリが聞いたらフルスイングビンタ連打間違い無しの妄想をしながら、シェケレは煙管をくゆらせた。
大陸を渡るのは好都合だった。
エート大陸では悪名が広まってしまい、既にシェケレの居場所はなかった。
北港町でもいつバレるかヒヤヒヤしていたが、装備を少し整え女を連れただけで、誰にもバレなかった。
テアト大陸へ渡り、魔王討伐報酬の前金を手にしたら姿をくらますつもりだったが、魔王見物は悪くなさそうだ。
どうせ前金を貰う前に、魔王の居場所とやらを伝えられるのだろう。
魔王と対峙しただけでも、冒険者業を再開する際の箔付けになる。
いやまてよ、退治に失敗しても、生還して「無理でした」と言うだけで済むんじゃないか?
誰も倒せないから勇者なんてものに頼っているのだ。勇者が諦めるような相手なら、仕方ないだろう。
本物の勇者だって、本当に魔王を倒してきたかどうか眉唾ものだ。
本物だというラウトという男も、俺と同じように甘い汁を吸っているだけかもしれない。
楽だな、勇者。今後も勇者で通すか。
遠くから聞こえる水面を高速で叩くような奇妙な音を背景に、シェケレはその日も豪遊三昧の果てに昼まで眠った。
どこまでも軽い考えしか頭に浮かばないシェケレは、本物の勇者がどれだけ桁違いか、想像すらできなかった。
船は順調に進み、予定通りにテアト大陸へ到着した。
「はー、船旅なんてもう懲り懲り。動かない地面が恋しい。違う名前で呼ばれるのもうんざりだわ。降りたらあんたとはお別れよ、いいわね」
「解ってるよ」
偽アイリ、本名チャスはぶつぶつと文句を言いながら、荷造りをしていた。
彼女も勇者を騙る片棒を担いでいるのだが、すべての責任はシェケレが負うと信じ切っているため、自分のしでかしたことの重大さに気付いていない。
彼らの破滅まで、あと少し。
「貴様らを捕縛する」
船から降りるなり、警備兵に囲まれた。警備兵たちの向こうにはシェケレと同じ黒髪に、鮮やかな紫色の瞳をした、長身の男がいる。
「え、あいつ? よくラウトって名乗れたわね」
男の隣にいるのは、白に近い銀髪に藍色の瞳をした、可憐な女性だ。
「僕、ああいう感じ?」
「全然違う。ラウトはもっとかっこい……顔の造形が整って……えーと、とにかく全然違うわ」
言いたい放題の男女の前で、シェケレとチャスは警備兵にあっさりと捕まった。




