24 出立
冒険者登録の際、家名はあえて登録しなかった。
冒険者にとって、冒険者になる前の身分やこれまでの功罪などは無意味だ。
陛下は僕の家名やその他の情報を事前に知っていた様子だが、どういうことだろう。
「謁見される方は全て予め、身辺調査をさせて頂いております」
僕の隣にいる宰相が僕に耳打ちした。
それなら納得だ。
一国の王ともなると、国内の貴族の家名は全て覚えている。陛下は更に、父が謁見の際に三男と一緒だったと記憶されていたのか。
「発言を許す。そなた本当にヨービワ男爵の三男か?」
陛下に再度問いかけられたので、僕も言葉を返す。
「はい。ヨービワ男爵家が三男、ラウトにございます。恐れ乍ら、以前謁見してから五年経っておりますので」
「ふむ、そんなに前になるか」
宰相が陛下に書類を渡した。陛下はそれをざっと見て、目を見開いた。あれ、この反応、つい最近もどこかで……。
「凄まじい能力値だな。伝説上の勇者の記録は残されておらぬが、それ以上やもしれぬな」
僕の能力値を見た時のサリュンの反応と同じだった。
「恐縮に存じます」
「では、そなたを『勇者』と認め、魔王討伐の任を命ず。見事討伐を果たした際にはまた別の報奨を用意するが、今ここで望みはあるか?」
ついに、正式に『勇者』の称号を頂いてしまった。
ここで断ると、家名を知られている以上、家族に迷惑がかかる。
王族は、民の生活や命を大切にする一方で、自分の意にそぐわない相手の命は簡単に蔑ろにするという、両極端なところがある。陛下ともなれば、その極端さの振れ幅が天と地ほどもある。
だから王族となるべく関わりたくなかったし、がっつり関わることになる勇者に認定されたくなかった。
「では、私が勇者であることを広く公表しないでいただけますか」
僕の望みに、陛下は片眉を上げた。
「名を馳せたくないということか」
「はい。名を出さねば報奨は出せないというのであれば、それでも構いません」
魔王討伐の任には就くが、報奨を引き換えにしてでも名を出したくない。
目立たない方法は、もうこれしか無かった。
数秒の沈黙の後、陛下が大きな笑い声を上げた。
「はっはっは。無欲な男じゃのう。手配できるか、宰相」
宰相が今度は陛下の側に寄り、何事か耳打ちした。
「完璧は無理じゃ。お主に付ける騎士達に口の固いものを選び箝口令を敷くことしか出来ぬ。無報酬も前例を作ると今後に影響するでな、受け取ってもらう。これで妥協せよ」
「ご配慮感謝します」
「仲間はどうする」
「信頼できる回復魔法使いをひとり、連れていきたく」
「あいわかった。討伐の知らせを心待ちにしておる」
「誠心誠意尽くします」
謁見が終わり、城内であてがわれた客室で一息ついた。
部屋にはアイリも来ている。謁見には呼ばれなかったが、僕の仲間として入城を許されていた。
「緊張した?」
アイリがお茶を淹れてくれた。以前クレレが約束通り、アイリにお茶の淹れ方を教えてくれたお陰で、アイリのお茶は劇的に美味しくなった。それまでも不味いということはなかったのだけど、淹れ方一つでこうまで変わるのかと驚いたものだ。
「ううん。昔ほど怖くなかったというか……陛下も人だなぁって思った」
尋常ならざる迫力と存在感は相変わらずだったが、それだけだ。
僕も成長して肝が据わったのかな。
「ラウトが強くなったのよ」
「だといいな」
魔王の居場所がわかっている大陸まで、ミューズ城下町にある港から船で十日かかる。
諸々の準備は城のほうで全てやってくれるので、僕は手に馴染んだ装備を持っていくだけだ。それも、いざというときは精霊に現地調達してもらえる。
王様との謁見の翌日には出航した。倒せそうな勇者が出てきたのなら、さっさと倒してしまおうというわけだ。
船上でも僕は貴賓扱いされて、魔物さえ出なければゆっくり休めた。
出航して三日目に、巨大な烏賊の魔物、クラーケンが出た。
船には城の騎士団の騎士が十名と何故かヘッケルもいたが、彼らには荷が重そうだったので、僕が戦った。
船に絡まる足を数本斬り落とし、巨大な顔と胴体部分を縦に斬り裂いて、クラーケンはようやく動きを止めた。
「しぶといなぁ」
斬り落とした足が甲板でまだ動いている。僕の身長の倍はあるそれを、片手で掴んで海へぽいと捨てた。
「流石勇者様」
「あの巨大な足を軽々と……」
「クラーケンが縦に斬り裂かれるの、初めて見た」
「それは皆そう」
騎士さん達以外にも船員さん達までざわざわしている。
「クラーケン、普段はどうやって倒すのですか?」
近くにいた船員さんをひとり捕まえて尋ねた。
「遭遇したら逃げの一手だ。攻撃魔法使いが数人がかりで魔法を何度も撃てば多少逃げられる確率が高くなるからやるけどよ、止めを刺したなんて話は聞いたことがない」
後学のために弱点を聞いておこうとしたら、まさかの「今まで倒したことがない」だった。
次に遭遇したら弱点を探し当てようと決意したのに、その後クラーケンに遭遇することはなかった。
「さすが勇者だな。なぁ、魔物が現れない限り暇だろう? 俺に稽古つけてくれないか」
クラーケンを倒した後、話しかけてきたヘッケルの申し出を了承した。実際暇だったからね。
稽古をつけると言っても、僕は誰かに物事を教えたことがない。取り敢えず手合わせをしてみて、動き方の拙いところを解説しようと試みた。
「ううむ、悔しいがその動きは俺には真似できん。そうだな、例えばラウトは、どう攻撃されたら嫌だ?」
黙り込んでしまった僕に、ヘッケルは苦笑いした。
「えっと、全方位から全く同時に攻撃されたら、剣じゃ全部を防げない……って、当然か。ええっとね……」
どうしよう、どう攻撃されても防げる。全方位からの攻撃も、僕ならなんとかできそうな気がする。
「本当に格が違うな。せめて手合わせは続けさせてくれないか?」
「構わないよ」
僕に教える才能は無かったが、ヘッケルは勝手に強くなっていった。
七日目に丸腰の僕から一本とった時、ヘッケルは両手を天に突き上げて喜び、すぐにがくりと肩を落とした。
「丸腰でようやくか……。どれだけ強いんだ、お前は」
「いえ、ヘッケルさんも充分お強いですよ! 俺たちは束になっても無理ですからね」
いつの間にかヘッケル以外の騎士さん達や船員さんの一部までもが、手合わせに参加していた。
誰かが勢い余って怪我をすればアイリが治してくれた。
「自分で自分に回復魔法かけるより、他人の怪我を治したほうが練習になるから助かるわ」
僕は僕で、皆が寝静まった頃に日課の素振りをこっそり続けた。
いくら連日、何時間も手合わせしていても、申し訳ないが皆相手にならない。
魔王がどれくらい強いのか不明な状況だから、僕自身もっと力をつけないと。
それと並行して、精霊たちに姿を現さずに力を貸してもらえるよう練習もした。
ヘッケルと騎士たちは、僕が魔王を倒すところを見届ける役目を担っているので、魔王を倒すのに精霊の力が必要な場合、見られては困るのだ。
精霊たちは元々姿を消すのが得意で、この問題は直ぐに解決した。
精霊たちにお礼を言うと、
「ラウトは心配性」
と口々に言われた。どういう意味だろう。
十日目、船は予定通りにラーマ大陸はナリオ国城下町の港へ到着した。
城下町は暗い雰囲気が漂っていて、僕はようやく魔王が人の世界を本気で破壊しようとしているのだと実感した。
船の帆に描かれたミューズ国の紋章でどこの船なのかは周知されたが、勇者が乗っていたことは伏せられ、国同士の連絡船として扱われた。
国の使者を装って、騎士さんたちとヘッケル、僕とアイリは馬車で城へ向かう。
僕とアイリ、ヘッケルで先頭から二番目の馬車に乗り込んだ。
「この国には来たことあるか?」
唐突なヘッケルの問いに、僕とアイリは首を横に振った。
「ないよ。ミューズ国から出たこともない」
「私も」
「俺は二度、来たことがある。一度は魔王が出る前で、二度目は三年前だ。三年前はこんなに、陰気な所ではなかった」
ヘッケルが窓から外を眺めながら、悲しそうに呟いた。
「三年でこうなったってこと?」
「ああ。細かく言うと、四年ほど前から影響が強まり、魔物が多く……むっ!?」
馬車ががくん、と止まった。
気配察知には、人間の気配しか引っかからない。
三人が顔を見合わせたのは一瞬だった。すぐに外へ飛び出すと、先頭の馬車を何人もの人が取り囲んでいた。