ギロの独白
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こんなに強い人間がいるのかと、我が目を疑うと同時に恐怖を覚えた。
俺が彼と最初に出会ったときの印象は、これに尽きる。
これまで、仲間にしてきた人間は、皆死んでしまったか、俺を裏切った。
だけどこの人なら、少なくとも俺より先には死なない。
裏切られても、諦めがつく。
「改めまして。ギロと申します。これから、執事としてラウト様にお仕えしますので、よろしくお願いします」
「そこまで堅苦しくしなくていいんだけど……こちらこそよろしく」
「よろしくね」
魔物と化した俺を、彼は他の冒険者に黙って連れ出した。
俺が思いつきで口にした「執事として雇ってください」という願いを、あっさりと聞き入れた。
ただし、彼の隣にいる女性には絶対に手を出さないようにと、俺を魔物として相対した時よりも強烈な威圧を持って釘を差してきた。
彼を怒らせるような愚かな真似は絶対にしないと、執事になる前から決めていたから、彼の心配は無用なものだ。
彼の執事の座に収まったが、一般的な執事の枠には収まりきらなかった。
魔族としての力が彼の助けになるのだから、使わない手はない。
何度か無茶をして叱られたが、それすら心地よかった。
「前にギロの話聞いた時は、本当に運が悪いなって思ってたけど……僕の執事になってからの方が、不運続きだよね」
テアト大陸を一晩中飛び回った後、情けなくも力尽きてしまった。
更にその後、身体の中に沈めていた他の魔族から奪った力が暴れだして、彼に迷惑を掛けた。
「何を仰って……」
「僕が無理させたせいで、ごめん」
「私が自ら進んでやったことです。それに、そもそもラウト様に出会わなければ、私はあの魔王の施設で永久に働かされていました。人間を直接手にかけていたかもしれません」
「それはその……なんとも言えないけど。僕以外の人に助けられてたら、また違ってたんじゃない?」
「いいえ、他の人なら私はとっくに始末されていたでしょう。ラウト様だけですよ、私に手を差し伸べて……差し伸べられるのは」
俺のこの魔族の力を御せるのも、ねじ伏せられるのも、世界で唯一彼のみだ。
「うーん、でももうちょっとこう、待遇に不満とか無い?」
彼はどこまでも謙虚で、人を慮ることができる。
「全くありません。これからも、よろしくお願いします」
だから俺ははっきりと、きっぱりと言い切った。
それでも彼は、苦笑いを浮かべていたが。
精霊たちとの盟約は、精霊の方から持ちかけてきた。
「魔物や魔族を嫌っているのではないのですか」
俺の問いかけに、猫にしか見えない精霊たちは人間のように首肯した。
「嫌いネナ。だけど、ギロは別ネナ。そもそも元人間で、何よりラウトのことを守れる人ネナ」
「私が?」
守ってもらっているのはこちらだ。
無理をすれば叱ってくれて、暴走した時は身を挺して受け止めてくれた。
これまでの人生でそんなことをしてくれた他人はいなかった。
「精霊一同、嫌な予感がしているノム」
他の猫……ではなく精霊が、器用に後ろ足で立ち上がって重々しく告げる。
「もしもの時は、ラウトのために命を賭けると約束して欲しいノム。そうしたら、その約束を絆に、一時的な精霊の加護が与えられるノム」
「わかりました」
俺に否やはなかった。
「言っといて何だけど、本当に命賭けられるンダ?」
「ええ。ラウト様のためならこの生命、惜しくありません」
「いやそこは惜しんで欲しいスプ」
精霊との会話はどこかズレてしまう。
「命を賭ける覚悟さえあればいいレプ」
「死なせたら、ラウトに顔向けできないルー」
「だから死んじゃ駄目ヌゥ」
「はあ、わかりました。善処します」
「……では、手を出せヴォ」
こうして精霊たちと結んだ盟約は、彼が手も足も出ないという異常事態に直面して、役に立った。
人が魔物、魔族に変じるのが例外中の例外なら、元の人間に戻れたのは奇跡と呼べるだろう。
彼の力があってこそだが、ある意味、大魔王のお陰で人間に戻ることが出来た。
力は魔族だった時以上に充実しているが、唯一不満なのは、空が飛べなくなったことだ。
「人の身に翼は持てませんし、そもそもどうやって飛んでいたのか思い出せないのです」
彼は俺と空を飛ぶのがお気に入りの様子だったので、残念極まりない。
ただ、人間に戻れたことは、純粋に嬉しかった。
サラミヤは彼と俺が救い出した、元伯爵令嬢だ。
当初は魔族に飼われていたせいで精神的に退行し不安定だったが、その頃から何故か俺にしがみついて離れたがらなかった。
俺が魔族であることを明かした後も、人間に戻った今も、サラミヤの態度は何一つ変わらなかった。
精神退行を克服したサラミヤは、年齢以上に落ち着いた、品のある令嬢だった。
「ギロ様、これはどちらに?」
「そこに置いてください」
「はい。……んしょっ、と。他のもここでいいですか?」
「そちらはまだいいので、こちらを手伝ってください」
「わかりました」
サラミヤは本人の希望で彼らの侍女となり、よく働いた。
厨房の仕事を手伝わせると、細く小さい体が食材の詰まった重たい木箱を運びだしたので、慌ててやんわりと止めて、野菜の下拵えを頼んだ。
サラミヤとは養子縁組という繋がりを持った時、俺は魔族だったからそれが最良と信じて疑わなかったが、後悔する時が来るとは思わなかった。
「貴女から言わせてしまうとは、男として申し訳が立ちませんね。サラミヤ、私も貴女が好きです」
先に「好き」だと言わせてしまった。
まだ不安定だったときのように抱きしめると、サラミヤも俺を抱きしめ返した。
あの時のように、子供が親に縋るような抱き方ではなく、愛おしいものを愛おしむように。
不運だった俺の人生に、彼は救いを、サラミヤは彩りを与えてくれた。
「ラウト様、リュートに指輪をありがとうございます」
書斎で寛ぐ彼に、礼を言った。
先程、息子のリュートの右手人差し指に、細い銀色の指輪が嵌まっていたのを見つけたのだ。
サラミヤに尋ねると、ラウトが魔法で着けていったという。
そっと触れると、膨大な魔力と強力な保護魔法の気配を感じた。
指輪はリュートの成長と共に指に合うよう調整され、自分で危険を察知できるようになる頃には消えるという効果までついていた。
こんなものを簡単に作り出し、ほいほいと他人に与えることができるのは、レプラコーンの加護を得た彼にしかできない。
「勝手に着けちゃってごめんね。リュートになにかあったらって考えたら、気が気じゃなくなってさ」
「あの子は幸せものです」
「いや本当に、ごめん」
彼は俺の息子に多大な護りを与えてくれたというのに、何度も謝罪を口にする。
「謝らないでください。私は感謝しているのです」
「僕の自己満足だし」
「それでも、です」
彼は俺よりも先に婚姻し、夫婦仲睦まじいが、子供はまだいない。
理由らしきものの一端は聞いている。
俺は一度深呼吸して、ラウトを正面から見据えた。
「もし俺に何かあったら、リュートとサラミヤを頼む」
「えっ?」
素の口調は丁寧語に一人称は「私」だと言い張ってきたが、今は取り繕う場面ではないだろう。
とはいえ、自然と口に出る方が素であるから、丁寧語に「私」も素の自分ではある。
しかし、彼に対して自分は対等でもある、と示したかった。
「ラウトに何か……あることは無いだろうが、万が一そんなことがあったら、俺がアイリを護る。これでどうだ」
「あ、ああ……そうだね。ギロ、やっぱり口調……」
俺はふうっと息を吐いて、笑顔を作った。
「お互い様だと強調したかったのですよ」
「……そっか。ありがとう」
「お茶のお代わりはどうしますか?」
「頼んでいい? ハーブティーが飲みたい」
「畏まりました」




