思い出の輪
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刑務官の詰め所で書類にペンを走らせていたシェケレは、ふと顔をあげた。
「脱走だ。とっ捕まえてくる」
他の刑務官たちも顔を上げ、シェケレに声をかける。
シェケレが「気配察知」という特殊能力を持っていて、囚人たちの気配を常に警戒していることを、刑務官たちは知っていた。
だからシェケレが「脱走者が出た」と言い出し、得物である長さ約百八十センチメートルもある鉄の棒を手にしても、誰も言動を咎めたり訝しんだりせず、むしろ応援したり労ったりと好意的に送り出すのが日常だ。
「承知しました。あ、それこっちでやっときますよ」
「いいのか?」
「ええ。シェケレさんこそ、いつもお疲れ様です」
「別に大した手間じゃねぇが……。ま、書類は助かる。頼む」
「はい。お気をつけて」
シェケレは文字を読むことは昔からできたが、書けるようになったのは刑務官になってからだ。
冒険者だったシェケレの両親も、クエストの内容を読むためだけに文字は覚えたが、書くことは覚束なかった。
刑務官の仕事でどうしても書類に触れねばならず、シェケレはどうにか最低限書くことができるようになったばかりだ。
刑務官仲間はシェケレの努力を認め、まだ簡単な書類しかシェケレには回していないし、こういう場合は積極的に手を貸している。
無期限労働奴隷だったシェケレは、勇者が魔王を討伐したことによる恩赦と、自身の精勤によって服役中から特別刑務官の任に就き、異例の早さで労役を終わらせてからは正式に刑務官となった。
そんな来歴のシェケレに対し、他の刑務官達は好意的だった。
多くの罪人たちは自身が犯した罪が露見し収監されたことを後悔することはあっても、「自分が心底悪かった」と反省する者は極稀だ。
だがシェケレは収監される前から自分の罪の重さを十分に理解、反省し、模範囚として精力的に労役に取り組んでいた。
どれだけ重い労役を課しても更生せず、時には再犯で戻ってくるような罪人たちを幾人も見てきた刑務官たちにとって、シェケレの存在は暖かい光なのだ。
本来、文字を覚えさせるなら書類仕事を率先してやらせるべきだが、皆シェケレには甘い。
それに、自分たちには到底不可能なレベルで囚人の脱走を察知し防いでくれる。
書類仕事が少々遅くとも、全く構わないのだった。
「懲りねぇ奴だな」
「くそっ、どうしていつもお前なんだっ!」
シェケレが捕まえたのは囚人番号七六八番、セルパンだ。これで七度目の脱獄未遂である。
セルパンは三度目の未遂を起こした時に、労役期間が無期限となっていた。
当然、労役自体も最も厳しく、普段生活する牢も一番厳重なものがあてがわれているのだが、今回は労働場所からの移送中に抜け出してきたようだ。
元冒険者なだけあって、力と体力は無駄にあるし、労働によって更に鍛えられてしまっている。
いっそのこと、部屋に閉じ込めて事務作業をやらせようかという話も出ていたが、断念された。セルパンは読み書きこそできるものの、絶望的に頭が悪い。一度試しに簡単な、読み書きのできる人間なら誰でも理解できるような書類仕事をやらせてみたところ、まず何の書類なのかすら理解せず、しかも本人は「これで完璧だ」と自信たっぷりに間違いだらけの書類を提出してきたのだ。
囚人に教育を施してまで書類仕事を任せることなど時間の無駄なので、結局そのまま肉体労働をやらせる他なかった。
「また七六八番ですか」
「行動力のある馬鹿が一番面倒なのは知ってたが、あれは最悪の部類に入るな」
シェケレがひと仕事終えて上官に報告をすると、周りで聞いていた他の刑務官たちも呆れの声を上げた。
「ご苦労だったな、シェケレ。またしばらく監視を頼む」
「はい。……あの、ひとつ提案があるんですが」
シェケレは自身の首元を無意識に触れながら、提案について話した。
首元は以前、シェケレがまだ自分の罪を自覚していない時に、ラウトに着けられた首輪があった箇所だ。
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「久しぶり! 元気だった?」
「ああ、お前も元気そうだな。そんで悪かったな、呼びつける形になっちまって」
「いいよ、最近魔物が大人しいから暇なんだ」
ミューズ国経由で、労働奴隷施設から魔道具制作の依頼が来た。
馬で五日の距離をシルフとドモヴォーイの力で三十分に短縮して行ってみると、そこで刑務官になったシェケレに出迎えられた。
シェケレとしては、自分で僕のところへ頼みに来たかったらしい。
しかしシェケレでないと抑制できない囚人がいるため、往復十日もこの場を離脱するのは現実的ではないと、刑務官長に止められてしまったそうだ。
「え、じゃあシェケレもしかして、休みなしなの?」
「そんなことはねぇよ。脱獄なんて、例のやつ以外は滅多にやらねぇからな。十日のうち四日は休んでるぜ」
「その四日も勉強と鍛錬に当ててるじゃないですか」
シェケレの後ろから、赤い髪の女性がぴょこりと顔を出した。女性にしては背が高く、冒険者のような体躯をしているが、愛嬌のある顔立ちをしている。
「お前、余計なこと言うなよ」
シェケレの口ぶりから、親しい仲のようだ。
「私は真実を伝えたまでです。ラウトさんと仰るのですよね。魔道具制作、よろしくお願いします」
「はい、頑張ります」
シェケレでなければ手に負えないという囚人は先日も脱獄を試み、シェケレに阻止された。
今は罰則として、窓ひとつ無い仕置部屋に全身を拘束されて転がされている。
シェケレと刑務官長さんが、囚人の部屋まで案内してくれた。
「こいつです。こいつに、脱走防止の魔道具を……」
「えっ、セルパン?」
「!?」
顔を含めた全身を拘束衣でぐるぐる巻きにされていても、気配でわかってしまった。
正解だという証拠に、セルパンがびちびちと動く。
「お前、こいつの知り合いなのか?」
「話すと長くなるんだ。先に魔道具作っちゃうね」
僕はセルパンの首元に人差し指を当て、レプラコーンに頼んで首輪の魔道具を創った。頼まれたのは脱獄禁止等の行動制限と本人の意志では絶対に外せない効果だが、他にも労働時以外は能力値が十分の一になる効果もつけておいた。
「これでよかったですか?」
「期待以上だ。謝礼に色を付けておくよ」
「勝手にやったことですので」
刑務官長とのやり取りのあと、シェケレと二人きりで話す時間を貰えた。
「……はー、お前を追い出すとか、無いわー……」
僕とセルパンの関係を掻い摘んで話すと、シェケレが大きなため息をついた。
パーティを追い出された理由もちゃんと話したのに、この反応だ。
「シェケレが最初に脱獄阻止した相手、他の二人も元仲間だよ」
「マジか」
ダルブッカから話を聞いた時にそうじゃないかとは思ったのだが、シェケレは自分が脱獄阻止した相手と僕の関係に気づいていなかった。
ちなみにツインクとクレイドの二人は脱獄未遂を起こしてから別々の場所へ収容された。そこで大人しく刑期を終えた後、少なくともストリング村には戻ってきていない。今どこにいるかは知らないし、知りたいとも思わない。
「お前も結構苦労してたんだな」
「そんなことないよ。例の称号の方が面倒くさい」
「相変わらずだな」
シェケレは屈託なく笑った。




