14 折れた心
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目覚めると見慣れた天井だった。僕の家の、僕の部屋だ。
起き上がろうとしたが、体が指一本動かない。
瞼も思うように開かず、視線を動かすだけで激しい頭痛がする。
「……あ……」
声はどうにか出たが、蚊の鳴くような声だ。
「ラウトっ!」
そんな小さな音を聞きつけてくれたのか、アイリが僕の顔を覗き込んだ。
アイリだ。とりあえずアイリの顔は、目と目の周りこそ赤いが怪我は見当たらない。全身、無事だといいのだけど。
「っ……」
怪我はないか、皆無事なのか、あの大魔王はどうなったのか。
聞きたいことがたくさんあるのに、言葉にできない。
「よかった……。十日も意識がなかったのよ」
十日。
今まで何度か長時間意識を失ったことはあったが、最長じゃないだろうか。
「傷は全部治したわ。だけど、なんて言ったらいいか……。ラウトから魔力の気配を感じないの」
言われてはじめて気づいた。
僕の体に魔力が全く無い。
人ひとりが持つ魔力の総量を百とした場合、どんなに使ったり減らしたりしても、必ず一は残る。生きるために必要な、最低限の魔力だからだ。
僕にはその一すらない。完全なゼロだ。
ならば、どうして意識を取り戻せたのか。
「魔力回復ポーション、飲める?」
アイリが口元に吸いのみの口をあてがってくれた。どうにか唇をこじ開けて、液体を注いでもらう。
つんとした薬の匂いと共に、無味の液体が口に流れ込んできた。
「う、うぇ」
うまく飲み込めず、口の中の液体で溺れそうになった。
するとアイリが僕に口づけて、僕の口の中の魔力回復ポーションを吸い取ってくれた。
「は……」
お礼を言いたいのに、やっぱり声が出ない。
「ごめんね、無理させちゃった」
アイリは僕の口元を布で拭うと、僕の額に手を当てた。
「ポーションで少しでも回復するならって思ったんだけど……。目を閉じて、痛かったら目を開けて」
何をするつもりだろうか。言われた通りに目を閉じてしばらくすると、額から暖かいものが流れ込んできた。
アイリの魔力だ。柔らかくて、暖かくて、清らかで……心地良い。
でも、それだけじゃない。
これ、まさか……!
「アイリ、やめ……っ!?」
飛び起きて、アイリの手を掴んだ。つい先程までの不調が嘘のように体が動く。
「よかった、ラウト、動けるようになったのね」
アイリの顔は真っ青だ。アイリを抱き上げて、僕が寝ていたベッドへそのまま寝かせる。
「生命力の譲渡だなんて、無茶して!」
生命力、つまり命そのものだ。アイリは自分の命を削って、僕に流し込んだのだ。
削れた命は回復魔法ではどうにもならない。体力を失った時以上に消耗し、長い時間を掛けても全回復は見込めない。
「だって、それが私の役目だから」
「役目?」
「ラウトが勇者だって直感した時に、私の役目もわかったの。私は、勇者を補助する者。勇者が倒れたら献身するのが私の最も重要な役目よ」
「なんだよそれ……」
僕はアイリの冷たい左手を両手で掴んで、額に押し当てた。
アイリをこんな目に合わせるくらいなら、勇者であることなんて、もう棄ててしまいたい。
だけど……。
「ギロは?」
一番聞くのが怖いこと。他にも聞きたいことはたくさんある中で、今一番重要なこと。
「……落ち着いて聞いてね、ラウト」
アイリは体を起こして僕の両手をぎゅっと握った。
「ギロは、帰ってきてないわ」
大魔王の攻撃は、僕がどうにか防ぎきったらしい。
ギロの命令を聞いた精霊たちによって僕とアイリはこの部屋へ直接転移してきた。
それから十日の間、何も起きていない。
あの大魔王が何かをしている様子も特にないそうだ。
「そうか……ギロ……」
アイリは「本当に大丈夫だから」と起き上がり、部屋にあるソファーに座った。
僕も隣に座る。
「ギロを助けに行かなくちゃ」
声に出したが、心がついてこない。
魔力ゼロの時よりも身体が思うように動かない。
「ラウト?」
助けに行くと言っておきながら、両手を両膝の上で握りしめたまま動かない僕の顔を、アイリが覗き込んでくる。
体が震える。冷や汗が止まらない。
あの大魔王が、怖い。
「食事にしましょ。サラミヤとセーニョにも、ラウトが起きたことを教えてあげなくちゃ。用意ができたら呼ぶから、待っててね」
「あ……うん」
アイリは僕の額に口づけすると、部屋を出ていった。
情けない限りだ。
食卓にサラミヤの姿はなかった。
ギロが帰ってこないので、塞ぎ込んでいるのだ。
「少しずつですが、ご飯は食べてます。でも、今は一人にしておいてあげてください」
セーニョは僕とアイリにいつも通り甲斐甲斐しく給仕してくれる。
ギロを見捨ててしまった僕は、給仕されるのも烏滸がましい。
セーニョとアイリの手料理は美味しいが、いつもの二割ほどしか喉を通らなかった。
「ごちそうさま。ごめん、僕もすこし一人になりたい」
早々に食事を切り上げて、部屋に籠もった。
異空間を展開しようとしても、出来なかった。
精霊たちは誰も残っていない。
魔力はアイリのお陰で少しずつ回復しているが、万全には程遠い。
万全であっても、あの大魔王に敵う気がしない。
立ち向かう勇気もない……。
「ははは、何が勇者だ」
しばらく自分と向き合い、考えた結果。
僕は各国から頂いた『勇者の称号』を返上することにした。
四体の魔王は倒したこと。その結果、大魔王なる存在が現れたこと。
僕は大魔王に手も足も出なかったこと。従者であり大切な仲間であったギロが一人で足止めをしているらしいこと。
あの時の出来事を包み隠さず書状に認め、連絡用マジックバッグに放り込んだ。
翌日、ミューズ国から返事が届いた。
「魔王討伐の任の達成を祝して勇者凱旋のパレード?」
僕は返信を三回ほど読み直して、それを声に出した。
僕の書状をちゃんと読んだ人が書いた内容なのだろうか。
まだ大魔王がいて、もう僕の手には負えないとしっかり書いたのに。
魔力はまだ半分も戻ってきていないが、転移魔法は十分使える。
僕はもう一度連絡用マジックバッグで連絡を入れてから、ミューズ国へ転移魔法で赴いた。
「ラウト殿、魔王討伐お疲れ様でございました」
出迎えてくれたのは、笑顔のアムザドさんだ。
「でも、大魔王が」
「その事は一旦切り離して考えましょう。貴方は四体いた魔王全てを倒した、正真正銘の勇者です」
「切り離してなんて、考えられませんよ。それに僕は……」
「まあまあ。王がお待ちですから、謁見の準備をしましょう。こちらへ」
「えっ、あの、えっ!?」
いつもより押しの強いアムザドさんに流されて、僕は侍女さん達によって着飾らせられ、あっと言う間に謁見となった。
「勇者ラウトよ、よくぞ全ての魔王を倒してくれた。我が国、この大陸すべての民に代わって礼を言う」
「ありがとうございます」
確かに最初に言われた四体の魔王は倒したが、それよりも最悪な存在を起こしてしまった。だから本来、ここで陛下にお礼を言われるような立場じゃない。……ということは流石に言えなかったので、型通りの返事をした。
その後も陛下は大魔王のことに一切触れず、三日後の凱旋パレードは国を挙げて盛大に行うと宣言して、謁見は終わってしまった。
「アムザドさん……」
「はい、ご説明いたします」
僕専用になっている客室へ戻ると、僕は正装のまま、アムザドさんに説明を求めた。
「正直に申し上げますと、大魔王という存在の復活は、まだ世界に何の影響も与えておらぬのです。それよりも魔王という脅威が去ったという事実だけを民に伝えたほうが益になる、という判断です」
「……」
僕が黙り込んでいても、アムザドさんは続けた。
「これまでの魔王討伐、本当にお疲れさまでした。しばらく休んでください。大魔王がラウト殿より強いとのこと、王も承知済みです。しかし、これ以上ラウト殿一人の肩に負わせるのも酷であろう、とのことです」
「それは……」
「ええ。そもそも、四体もの魔王相手にラウト殿がほぼ一人で戦っていた事自体、おかしな話だったのです。魔王を倒し終えたという話はもう広まりつつありますが、冒険者ギルドには既に『次なる勇者を集めよ』と命を出してあります」
僕一人の手には負えないが、頭数を揃えれば大魔王を倒す光明が見いだせると考えているのだろう。
あの大魔王が、そんな甘いやつには思えない。
かといって、アムザドさんの話を遮ることはしなかった。そんな気力もなかったのだ。




