2:最強は異世界に降り立つ
何もない空間。
男にとって、未経験なことであろうが、精神を乱すことはない。
精神の乱れこそ、戦うことに置いて敗北への足がかりだ。
そして告げられたのは、異世界転移。
男とて無知ではない。
情報も時として十分な力を持つと考えている。
更に、男は想像を丁重に扱う。
素人の想像であっても、時としてそれは必要なものを伴っていないだけで、自身の思考では出ない結論を出すことはある。
だからこそ異世界転移というものを知っていた。
そして、今自身が体験しているもの。
それに、男は多少なりとて不安を抱いていた。
自身が生み出した想像、妄想。
それを否定するものはいない。
思考を読み取られないように思考し、男は転移を迎えた。
☆☆☆☆☆
男が目を開けると、目についたのは川だった。
森の中にある川、と表現したほうがいいだろう。
自身の知識の中にない木々に囲まれた川辺に、男はいた。
「ふむ」
男は思考する。
空気の臭い、視界、感覚から、元の世界と違う物が存在するのを理解。
男はまだ知らないが、それは魔力というものであり、常人がそれを理解するには五年の時間を費やす。
本来であれば、それを感じ取ることができれば魔法は使えるのだが、男は地球の人間である。
ましてや神に能力を与えられてすらいない、いわば普通の、地球の人間だ。
魔力を感じることはできたとしても、それを使用できる体ではない。
神が与えた体も、魔力に対応できるというだけで、それを使用できるようにしたわけではない。
男は周りを見渡す。
木々が生い茂り、水が流れ、空気が済んでいる。
自然の光景だ。
その光景に、何を思ったのか男は空を見上げた。
なんてことのない、空。
地球と変わること無く、空は青く、太陽は一つ。
だが、男が見ているのはそんな無機質な存在ではない。
一点を、ただ一点を見つめている。
「龍」
その言葉を肯定するかのように、風が吹く。
それは、自然のものではない。
まるで人が動けば風が吹くかのように、故意的な風が男の肌を撫でる。
そうして現れたのは、小さな青い影。
それは徐々に大きくなり、人間なんぞ簡単に踏み潰す存在が男の上空に現れた。
それは羽を持ち、
鱗を纏い、
牙を有し、
威厳を放つ。
そんな存在だった。
「これが、異世界」
男はその言葉を、実感の持った言葉として発した。
男は脳の片隅に、ずっと燻ぶらせていたものが会った。
ここは本当に異世界なのだろうか。
自分はどうかしてしまったのではないだろうか。
微かに、ほんの微かに残る、疑念。
だが、それが否定された。
ドラゴン。
目の前の存在が、否定している。
目の前のドラゴンが、ここを地球ではないのだと。
その鱗が、牙が、爪が、地球ではないと。
そして目の前のドラゴン感じる五感が、魂が、その目の前の存在に震えている。
震える。
人間にとってそれは、恐怖を象徴する現象である。
だがこの男にとって、その意味合いは違う。
「滾る」
男が、大きくなったような気がした。
それは、何かをしたからそうなったわけではない。
男が気合を入れた。
それだけで、存在感という不確かなものが一回り大きくなったように感じたのだ。
GUIAAAAA!
音。
否、咆哮。
ドラゴンの咆哮は、確かに男の方を向いている。
それは、ドラゴンが自身より小さな存在を認識したという事実と、
「それでは、やろうか」
男が、構えた瞬間だった。
ドラゴンは即座に口元を明るくする。
それはまるで、太陽のような明かりであるとともに、男は駆け出した。
それはドラゴンのもとへ、ではない。
ドラゴンに背を向けて走っているのだ。
逃走。
それは一見、弱者の行動。
だが、背を見せると男の表情は、弱者のそれではない。
そうして、一瞬の男の行動の後、変化が起きる。
ドラゴンの口から、炎が吹き出した。
それはまるでホースから水が出るかのように、人を死に至らせる炎が、ドラゴンの口から吐かれた。
ドラゴンはその体内に発火機能を有している。
これは自身の体内で食物を熱し、細菌に侵されないように有した機能ではあるが、同時にその体が持ちえる攻撃手段の一つともなっている。
「良い!」
背後を見せ、逃走しているはずの男だったが、後ろの火の海を見て歓喜している。
「有史、火を用いるのは人間だけとされていたが、ついぞ生物が手にし、またそれを攻撃の手段として利用する!」
男は、震えていた。
目の前の火を見て、などでは決してない。
「己の持ちうる能力を用いて戦う!
これほどまでに強い戦略があるだろうか!」
誰かに聞かせるようなその口ぶりに、反応するものはいない。
だが、男は歓喜のあまり言葉を口にする。
炎のブレスを一通り吐いたドラゴンは、依然として空に浮いた状態でそこにいる。
普通の人間であれば、生き残ることこそできないであろう炎。
しかし、ドラゴンは確信しているかのように、そこに佇む。
「ならば、人間の持ちうる能力とは、なんだろうか?」
そうして、現れた。
ドラゴンのブレスは、体が過剰な熱を発するため、冷却を要する。
そのため連発ができない。
それを知ってか知らずか、男はドラゴンの目の前に現れる。
ドラゴンからすれば、文字通り歯牙にもかけない存在。
だが、
今、
ドラゴンは、
目の前の人間を、
敵として認識している。
「思考だ」
その姿は、どこにでもいる人間の姿。
動きづらそうな紺の長着に、少し長い髪を後ろでまとめている。
だが、その立ち振舞は、王者。
腕を少し広げ、まるで今から抱きに行くのではないだろうかというような姿勢だ。
「人間という不完全な生物を強くしたのは、思考だ。
鍛える、利用する、技術。
それらは全て、思考によって生み出された」
男は帰り道を歩くかのように、ドラゴンに近寄る。
その距離は遠い。
30メートルほどであろうか。
「だからこそ、人間は飛行生物への対応を見出している。
飛べない生物が出した答えは」
ピタリと、男は歩みを止める。
男の手は届かない。
男には翼がないからだ。
「投擲だ」
だからこそ、己ではないもので、対抗する。
男の体がブレる。
次の瞬間には、正常に見えるようになる。
その姿は、まるで野球選手。
投手が、ボールを投げた後のような状態で、男はそこにいた。
ドッ!
鈍い衝突音。
柔らかいものに、何かが衝突したかのような音。
その音の出処は、ドラゴン。
GUIIIIAAAAA!
音の出どころであるドラゴンには、変化が訪れていた。
ドラゴンのその翼には、穴が空いていた。
ポッカリと、穴が空いていた。
まるでそこだけ元からないかのように、穴が空いていた。
「飛んでいるからと言って、武術に敗北はない」
投擲術。
これも立派な武術である。
それこそ、槍、砲丸、円盤といった形状が違うだけでその投擲した距離を競うスポーツが存在する。
それこそ、人類が手の届かないものに肉体一つで挑んでいるという証明である。
そして同時に、投擲術というのは武術である。
先に上げた物が競技性を出すために統一したルールを敷いているのに対し、実践では同一のものを投げることなどまずない。
だからこそ、投擲術とは、体の扱い方を学ぶ。
つま先、足、腰、胸、腕、手、指。
これら全てにおいて発生する力を、ロス無く伝達し、掛け合わせ、投擲物に伝える。
それら全ての力が十分に込められた投擲物は、凶器となる。
「どれだけデカかろうが、牙を有していようが、頑強な鱗を持っていようが」
ドラゴンとて羽に少し穴が空いたとて、簡単に落ちることはない。
だが、男とて一度しか投擲をしないとも、言ってはいない。
流れ星。
それはまるで不思議な流れ星だ。
地へ落ちるはずの星が、地から舞い上がっている。
「地に落ちてしまえば、問題はない」
一つ一つが、ドラゴンの羽に穴を開けていく。
ドラゴンというのは羽を持っているが、その羽は丈夫ではない。
それこそ、跳ぶという機能のために体全てで軽量化を行っているのだ。
その根本となる羽が重いなんてことはない。
体であれば少しばかりのダメージに収まるはずの石とて、羽からすれば大きなダメージだ。
「潮時か」
男の言葉とともに、石の流れ星は止む。
ドラゴンは、その体制を崩し、堕ちる。
木々の上を飛んでいたその体は、まるで物を落とした時のように、簡単に堕ちる。
木々の折れる音。
木々をなぎ倒す轟音が、森に鳴り響く。
森はそこだけポッカリと穴を開け、ドラゴンのベッドとなる。
生物が、去っていく。
このドラゴンという危険な生物から離れようと、去っていく。
その中で、一人だけ、全く異なる行動をしている者がいた。
それが、ドラゴンの敵たる男。
男は距離を詰める。
30秒ほどだろうか。
男はたどり着く。
そこにいたのは、
「激怒、しているのか」
その四足で立つドラゴンだった。
ドラゴンは身体を低くし、警戒を示す。
それはまるで、男に怒っているかのような姿であり、
「来い」
同時に、男を恐れているかのような体勢だった。
ドラゴンは、一歩前に出る。
その一歩は、人間からしたら馬鹿らしくなるほどの歩幅であり、ある程度離れていたはずの男とドラゴンの間合いは一瞬にして詰まる。
迫る牙。
口が開き、男を飲み込まんと迫る。
「これでは」
ドラゴンの牙は、男が先程までいた場所を通り過ぎる。
しかし、ドラゴンの口内には男の姿はない。
男の姿は、
「犬畜生と同じではないか」
ドラゴンの顔の横にあった。
まるでマジック。
その移動は瞬間移動のように一瞬で行われ、ドラゴンは自身の目の下に、男がいるという事実に違和感を抱いた。
首を振るい、弾き飛ばす。
体が大きいからこそできる芸当。
人間が小さな虫を払うかのような動き。
ドラゴンなその大きな頭部をふろうとしたその瞬間、
「ハッ」
一呼吸。
一呼吸で、ドラゴンの頭が、跳ね上がった。
男は、掌底を天空に上げている。
その上では、ドラゴンの頭部が、浮いている。
「流石に重い」
まるで、ドラゴンの頭部を持ち上げたかのようなセリフ。
いや、この男は、現実にドラゴンの頭部を持ち上げた。
いや、持ち上げたのではない。
弾き上げた。
人間が、自身の十倍はあるであろう質量の物体を弾きあげた。
ありえない。
ありえないはずだが、現実はは、そうなっている。
「はぁっ」
弾き上げたれた頭部は、重直に従い、地面に落ちる。
そのまま落ちれば、男の体を踏み潰す代物。
男はそれを目の前にして、息を吐いた。
次の瞬間、男は衝撃的な行動をする。
連撃。
こともあろうことか、男はその体を用いた攻撃を、落ちてくる頭部に連続で行った。
潰されないようにするためか、それとも最後のあがきなのかは分からないが、男は連撃をする。
拳、足刀、手刀、蹴り、肘、膝。
ありとあらゆる攻撃手段を使い、男はドラゴンの頭部……いや、首を攻撃していく。
そして、一呼吸ほどの時間が過ぎ去った頃、
ズドォン
ドラゴンの頭部は、地に落ちた。
男の姿は、
「汚れてしまったか」
ある。
ドラゴンの首元に、いる。
「ふむ。
ドラゴンと言えど首と胴が離れれば死ぬのか」
男がドラゴンの首元にいる。
男は決して避けてはいない。
ならば、男はどうしてドラゴンの首が来るはずのそこに、いるのだろうか。
それは、ドラゴンの体がそこにないからだ。
誰がやったかは、この場を見れば一目瞭然で。
この男が、上から降るドラゴンの首を、その身一つで消し去ったのである。
「食えるのか?」
「あ、あぁぁあ?!」
男の独り言に返す様に、悲鳴が聞こえる。
その悲鳴は、ちょうど男が背を向けている方……つまりはドラゴンの頭が向いている方だ。
ドラゴンの首から男は出る。
「あ、あぁあぁああぁああ!?」
悲鳴は、更に強まる。
男がその悲鳴の方を見た頃には、
バタッ
悲鳴の主である青年は、気絶していた。